大判例

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東京高等裁判所 昭和48年(行ケ)90号 判決

一、引用例の還元手段の転用について

原告は、硫化アルカリがニトロフエノール等のニトロ基の還元に適用できるのはニトロ化合物の構造いかんにかかつており、本願発明の中間体のようにチオアルコキシ基に対しメタ位にあるニトロ基の還元に有効であるとは、技術水準として期待できなかつたと主張する。

(一)、ニトロ化合物の構造による還元のちがい。

1 成立に争いのない甲第二号証(本願明細書)によると、本願発明の方法においても、先駆物質であるビス(メタ―ニトロフエニル)ジサルフアイドから出発物質メタ―ニトロチオフエノールの塩を生成する際に硫化アルカリを用いているが、その際ニトロ基は還元されないし、生成する出発物質もまた、そこに存在する硫化アルカリによつてさらにニトロ基が還元されることはない。

また、成立に争いのない甲第三号証(引用例)によれば、ニトロ化合物の構造によつて還元の様子が異なることを説明する記載はない。しかしながら、引用例の脚註に引用されている成立に争いのない甲第四号証(ジヤーナル.オブ・ジ・アメリカン・ケミカル・ソサイエテイ第六五巻第一二号-一九四三年)には、「オルト―およびパラ―ニトロフエノールは、他の芳香族ニトロ化合物と異なつて電解還元により中間化合物を生ぜず、直接アミノフエノールを生成する。他方、メタ―ニトロフエノールの場合には、一般には通常の中間化合物を与える。」「オルト―およびパラニトロフエノールをアルカリ溶液に加えると、それらはキノイド構造を形成する。」「高いPH値で還元されるのは、水酸基がニトロ基に対してパラ位にあるニトロクレゾール、および水酸基がニトロ基に対してオルト位にあるニトロクレゾールの通常のフエノール構造よりも、むしろ、キノイド構造である。」「メタ―ニトロフエノールはキノイド構造を採らないことから、また、メタ―ニトロフエノールとして分類できるメタ―ニトロクレゾールは、高いPH値ではヒドロキシルアミンにまでしか還元されないことから、アミンまでへの完全な還元が行われるか否かは、キノイド構造を容易に採り得るかどうかによつて決まるものと思われる。」旨記載されている。

これらの記載によれば、「メタ―ニトロフエノールの場合には、一般には通常の中間化合物を与える」とあるのは、電解還元による場合であるから、そのような結果が硫化アルカリによる還元に際しても生ずるかどうかは明らかではないが、ニトロフエノールにおいては、一般にその構造によつて還元の様子が変ることは認められる。

2 成立に争いのない甲第七号証(インダストリアル・アンド・エンジニアリング・ケミストリ―第四〇巻、一九四八年)には、二硫化ナトリウムによるジニトロアルコキシベンゼン類の部分還元において、2・4―ジニトロアルコキシベンゼン類および2・5―誘導体類(2・5―ジニトロアルコキシベンゼン類)が、2―アミノ―4―ニトロアルコキシベンゼン類および2―アルコキシ―4―ニトロアニリン類となることが記載されている。これはジニトロ化合物の部分還元、すなわち、二つあるニトロ基のうちの一方のみを還元する場合に関することであつて、その場合、アルコキシ基に対してメタ位またはパラ位のニトロ基がもう一つのオルト位のニトロ基に比して還元され難いという事実を示すにとどまるから、これによつて、アルコキシ基が存在する場合、一つだけのメタ位のニトロ基が不活性であるとは一般的にはいえず、したがつて、ジニトロ化合物から導びかれる法則は、一つだけあるニトロ基を還元しようとする本願発明方法に適用できるものではない。

しかも、成立に争いのない乙第四号証の一から四まで(バイルシユタインス・ハンドブーフ・デル・オルガニツシエン・ヘミ・第四版・第一三巻、一九三〇年)には、メタ―ニトロアニソールが二硫化ナトリウムによつてメタ―アミノアニソールに還元されることが、成立に争いない乙第六号証の一・二(リキユイユ・デ・トラボー・シミツク・デ・ペイーバ・エ・ド・ラ・ベルジツク第二八巻、一九〇九年)には、オルト―、メタ―およびパラ―の各ニトロアニソールが二硫化ナトリウムによつてそれぞれ対応するアミノアニソールに還元されることが記載されている。またいずれも成立に争いのない乙第五号証の一・二(バイルシユタインス・ハンドブーフ・デル・オルガニツシエン・ヘミ・第四版・第一三巻第一補遺、一九三三年)および乙第七号証の一・二(ヘミカツアイトンク第三九巻、一九一五年)には、メタ―ニトロフエネトールが多硫化ナトリウムによつてメタ―アミノフエネトールに還元されていることが記載されている。しかも右メタニトロアニソールおよびメタニトロフエネトールは、ニトロ基を一つ有するものであるから前記ジニトロアルコキシベンゼン類(甲第七号証記載)よりも本願発明の中間体に構造上近い。

右各事実によれば、アルコキシ基が存在するとき、メタ位のニトロ基は還元剤に不活性であり、ひいてはアルカリ性における還元によつてはアミノ基に還元されない、とまではにわかに認めがたいところである。

(二)、ニトロフエノールとアルキルメタ――ニトロフエルサルフアイドとの構造類似性

両者は骨核がいずれもベンゼン核であつて、かつニトロ基を有するものであり、またチオフエノール類は対応するフエノール類と類似した性質をそなえることについては、当事者間に争いがない。そして成立に争いのない乙第三号証の一から四まで(フイザー有機化学、中、昭和三四年)によれば、オルト―パラ配向基の主な基に水酸基やメトキシ基があること、水酸基等三つの基は配向性に強力な影響を及ぼすが、メトキシ基等のその他の基の間の相違は僅少であること、および水酸基等の極めて強力なオルトーパラ配向基は著しい活性化作用(新置換が起きることを促進する作用)も有しており、この作用は弱いながらもメトキシ基等の他の基についてもみられることが認められる。これによれば、置換基が新しく入る場合にかぎつていえば、水酸基とアルコキシ基の一つであるメトキシ基とは、ベンゼン核の活性に及ぼす影響において共通するものがあることは明かである。また、アルコキシ基は水酸基の水素原子の代りにアルキル基が入つたものであるため、両方の化合物が類似した性質を有することもよく知られているといえる。とすれば、ニトロフエノールはニトロアルコキシベンゼンと構造上類似している、ということができる。

ところで、アルコキシ基がチオアルコキシ基に類似することについては当事者間に争いがない。したがつて、化合物の構造上から検討すれば、ニトロフエノールはアルキルメタ―ニトロフエニルサルフアイドに構造上比較的に類似することは認められる。

(三)、転用の難易

甲第三号証によれば、硫化アルカリによる還元方法の利用に関し、この方法が広範囲の応用分野を有し、工業的に広い利用分野があること、かなりの種類のベンゼン誘導体が通常この一般的方法で還元されること、および硫化アルカリの比較的重要な用途として、ニトロフエノール類等四種のニトロ化合物類の還元があることが記載されているが、一方、そのあげる反応について、これらの反応式は大かれ少なかれ理想的な条件を表わすもので、他の副反応が頻繁に起るので、各成分についてそれぞれ異なつた割合を必要とすること、また試薬をどのように添加するかは化合物の種類によつて異なるので反応を進める一般的な方法を示すことはできないむねの記載があり、またアルキルメタ―ニトロフエニルサルフアイドと構造が類似する化合物の還元に適用することまでは記載されておらず、それを示唆する記載もない。

したがつて、前(一)1項認定の事実も考慮すれば、前(二)項認定のように、ニトロフエノールがアルキルメタ―ニトロフエニルサルフアイドに構造上比較的類似するからといつて、それに基ずいて直ちに反応上においても同様であるとまではいえないから、アルキルメタ―ニトロフエニルサルフアイドにおけるニトロ基の還元がニトロフエノールにおけるニトロ基の還元と同様に行えるかどうかについては従来知見はなく、実験の結果をまたなくては、にわかに確認しがたいところである。

そうすると、硫化アルカリによる還元手段を本願発明の中間体である低級アルキルメタ―ニトロフエニルサルフアイドの還元に適用することは、かならずしも容易に想到できるものとは認めがたい。この点に関する原告の主張は理由がある。

二、中間体を単離せず第二反応を実施することについて

原告は中間体を単離することなく第二反応を実施することの想到困難な理由の前提として、還元反応が酸性条件下で行われることをあげている。しかしながら、その前提は従来法そのものが行われる限りにおいてであつて、本件では還元が硫化アルカリにより行われる場合を論ずるのであるから当を得ない。

ところで、本願発明の第二反応として中間体を硫化アルカリにより還元する場合について検討すると、いずれも成立に争いない乙第一号証(第七改正、日本薬局方第一部解説書、一九六一年)、同第二号証(有機薬品製造化学、中巻、昭和三六年)によれば、二以上の工程からなる製造方法において中間体を分離しないで反応させる技術は当業者に広く知られているものと認められる。

そして成立に争いない甲第二号証(本願明細書)によれば、本願発明の第一反応におけるアルキル化はアルカリ性条件下で行われ、そこで生じた反応生成物中には硫化アルカリと反応して消耗してしまうような物質が他に存在しないことが認められる。

そうすると、中間体を単離しないで第二反応における硫化アルカリによる還元反応の実施を考えるのに格別困難な理由は見当らず、この着想困難をいう原告の主張は採用できない。

三、作用効果の顕著さについて

甲第二号証およびいずれも成立に争いない甲第八号証(宣誓供述書)、同第九号証(宣誓供述書)によると、本願発明の作用効果として、つぎの事実が認められる。

(イ)、中間体を単離することなく還元反応を引続いて同一反応容器で、工程を中断することなく実施することにより、操作を単純化している。

(ロ)、悪臭ある中間物の取扱いが避けられ、工程中放出される悪臭を著しく減少することができ、環境問題が重視されねばならない今日において工業的な生産を可能にする上で大きな意義を有する。

(ハ)、本願発明のメタ―チオアニシジンの製造を例示した実施例一および二における先駆物質からの出発物質の製造、アルキル化反応および還元反応の三工程を通しての総括収率は九〇%および八六%を示し、従来法(甲第九号証)により計算される収率八二・八%と比較すると高い。また実施例一によれば純度が九九%であり、目的物質の純度も高い。(なお甲第九号証の記載は、反応条件などが明かにされていないけれども、従来法を示す成立に争いない甲第五号証の記載を考慮すると、メタ―チオアニシジンの収率は低過ぎず、作為的に作られた数値とはうかがえず、また原料の使用量も妥当なものなので信用してよいものと考えられる。)

(ニ)、鉄スラツジによる火災の危険が解消された。

以上の事実を検討すると、(ニ)の効果は甲第三号証によれば引用例に記載されて既に知られているものであるが、放出される悪臭を著しく減少する点など従来法の欠点を克服し、製造上有益な効果を得ようとする本願発明の作用効果は、総合的にみて顕著なもので、予期できる程度のものとは認めがたい。したがつて、この点に関する原告の主張も理由がある。

四、結論

そうすると、引用例の硫化アルカリによる還元手段を本願発明の方法に転用することが容易であるとし、また本願発明の作用効果の顕著さをみすごして、本願発明の進歩性を否定した審決は、その判断を誤つており、違法であるから、取消されねばならない。

よつて原告の本訴請求は正当であるから認容する。

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