東京高等裁判所 昭和49年(う)1079号 判決 1974年7月09日
被告人 平賀政信
主文
本件控訴を棄却する。
理由
(控訴の趣意)
弁護人高林茂男が提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。
(当裁判所の判断)
論旨は、被告人において、その譲り受けた物質が覚せい剤取締法別表一ないし八のいずれかに該当することおよび覚せい剤の原料になることの認識を欠いていたのに、被告人に犯意を認めた原判決は、証拠によらずに事実を誤認したものであつて、原判決には訴訟手続の法令違反および事実誤認がある、というのである。
そこで、所論に徴して検討すると、原判決の挙示する証拠によれば、被告人は、以前属していた錦政会秋山一家の組員で兄貴分であつた西沢良男の実弟西沢孝治の依頼により、原判示のように武田友治から塩酸エフエドリンの粉末合計四、二〇〇グラムを譲り受け、右西沢孝治にこれを転売して利得していたこと、当時被告人は右物質が塩酸エフエドリンと呼ばれるものでありそれがぜんそくにきくことは承知していたものの、右西沢孝治の使途を確認していたわけでなく、やばいものであることを察知しながら小づかいかせぎになるので、右のように右武田から塩酸エフエドリンを譲り受けていたことを十分に認定することができる。そして、右認定に徴すれば、被告人において武田友治から譲り受けた原判示の物質が塩酸エフエドリンであることを認識していたばかりでなく、右譲り受けについて少くとも未必的に違法性の認識をも有していたものというべきである。
ところで、原判決の説示するように、覚せい剤取締法にいう「覚せい剤原料」とは同法別表各号に規定する物質の総称に過ぎず、具体的にはあくまでも、右別表各号のいずれかに規定する個々の物質を指称するものであるところ、別表一号に掲記された一―フエニル―二―メチルアミノプロパノール―一の塩類が一般に塩酸エフエドリンと呼称されていることも関係証拠に照らし明らかである。
したがつて、原判示のように被告人が武田友治から覚せい剤原料である一―フエニル―二―メチルアミノプロパノール―一の塩類合計四、二〇〇グラムを譲り受けた際に、その物質が覚せい剤原料であることあるいはその化学名や取締法規の知識を欠き、単に右物件が塩酸エフエドリンと呼ばれるものであることを認識していたに止まる場合であつても、上述のように違法性の認識がある以上、右譲り受けによる覚せい剤取締法違反の事実の認識として欠けるところはなく、右の罪に関する故意の成立を妨げるものはないと解するのが相当である。ちなみに、所論は、有罪の判決を言渡すにあたり、薬学の専門家には塩酸エフエドリンが覚せい剤の原料であることの認識は必要であるが薬学の専門家でない一般人にはその認識すなわち故意を必要としないという考えのもとになされた原判決は法の下の平等に反し不当である、とも主張するが、原判決の趣旨が、所論のように故意の成立につき薬学の専門家の場合と一般人の場合と異なることを前提として、覚せい剤取締法適用に際しその対象となる人によりその構成要件を異にすることを容認しているものでないことは明らかであつて、ただ同法が薬学の専門家のみでなく一般人をもその適用の対象としているところから、右取締法違反の故意として覚せい剤原料であることの認識をも要求するのは相当でない旨の判断を示したにすぎないものと解されるのであり、したがつて、所論は、原判決の趣旨を正解せず、誤つた訓み方に基づき原判決を批難するものであるから、その前提を欠き失当である。そして、さらに所論のように、被告人がその譲り受けた物質が当時の覚せい剤取締法別表一ないし八のいずれかに該当すること、またそれが同法にいう「覚せい剤原料」になることの認識を欠いたとしても、右は同法に関する法令の不知に過ぎず、刑法三八条三項にいわゆる法の不知に該当するものであつて、いまだ被告人の故意を阻却するものではないというべきである。
してみれば、原判示のように被告人の本件故意の成立を認めた原判決は正当であつて、さらに記録および証拠物を検討しても、原判決に所論のような訴訟手続の法令違反ないし事実誤認の形跡を発見することはできない。
したがつて、所論は採用しがたく、論旨は理由がない。
よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のように判決をする。