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東京高等裁判所 昭和49年(う)1159号 判決 1975年3月27日

主文

被告人向田勝、同金賛虎に対する検察官の各控訴を棄却する。

原判決中被告人稲沢昭三、同斎藤譲、同小林武由紀、同宗像紀夫、及び同佐伯岩男に関する部分を破棄する。

被告人稲沢昭三を懲役三年に処する。

同被告人に対し、原審における未決勾留日数中九〇日を右の刑に算入する。

被告人斎藤譲を懲役三年に処する。

被告人小林武由紀を懲役二年六月に処する。

被告人宗像紀夫を懲役二年に処する。

同被告人に対し、この裁判が確定した日から三年間右の刑の執行を猶予する。

被告人佐伯岩男を懲役一年六月に処する。

理由

検察官の控訴の趣意は、東京地方検察庁検察官検事伊藤栄樹名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、被告人向田の弁護人山本孝提出の、被告人稲沢の弁護人尾崎正吾、同笠原克美連名提出の、被告人小林の弁護人遊田多聞提出の各答弁書のとおりであり、そして、被告人らの控訴の趣意は、被告人稲沢の弁護人尾崎正吾、同笠原克美が連名で、被告人斎藤の弁護人石井元、被告人小林の弁護人遊田多聞、被告人宗像の弁護人熊本典道、被告人佐伯の弁護人衣里五郎がそれぞれ提出した各控訴趣意書に記載されたとおりであり、これらに対する検察官の答弁は答弁要旨に記載されたとおりであるから、いずれもこれらを引用する。

一検察官の控訴趣意について。

所論は、原判決は、本件の交通事故証明書の写は、「原本の作成名義人としての警察署長の記名印及び公印の形状はそのまま現われているが、それが印影そのものではなく、複写機によるその写であることは一見明瞭であり、公文書の原本として通用する可能性のある文書ではなく、被告人らもこれを原本として行使する目的で作成したわけではない。またこの書面には原本と相違ない旨の認証文言の記載も、写の作成者の署名、印章もない。このような認証のない公文書の写を作ることは何人にも許されるところであつて、その作成権限が一定の公務員に限定されているものではない。以上の点から見ると、本件交通事故証明書写は、その作成名義人としての公務員の印章又は署名を使用した文書ではなく、また偽造した公務員の印章又は署名を使用した文書でもない。更に交通事故証明書のこのような写は公務員の作るべき文書とはいえない。」として、この点につき被告人らを無罪とした、しかし、(1)刑法上、文書偽造罪の客体である文書は原本又は原本的なものでなければならないといわれているところ、本件交通事故証明書写は、原本ではないが、複写機による複写であつて、手書きによる写と異なり、原本の筆跡・形状をあるがままに写し出し、その内容は原本と全く同一であつて、見る者をして原本の存在と内容とを強く推認させ、原本によるのと同じ証明力をもつものとして作用し、現に原本に代えて社会的に通用しておるものであつて、原本と同視しうるだけの社会的機能と効用を有するものであるから、すぐれて原本的な性格をもつといわなければならない、(2)そして従来、写は文書ではなく、それに写である旨の認証があるか、又はその旨の表示が文書全体の趣旨から認定しうるときにかぎりその認証関係において文書性が認められていたのであるが、複写機による複写は認証がなくてもそれとは別に前記のとおり、原本的性格によつて複写自体に文書性が認められるのであり、また従来写自体に文書性が認められなかつたのは、それが手書きによる写だつたからであり、手書きによる写は筆跡・形状ともに原本と全く異なり、写作成者の判断を介して再構成されるものであるから、写作成者の認証をまつて、はじめて内容の正確性が担保され、社会的に通用し得たのであるが、複写機による複写は原本の筆跡・形状をあるがままに写し出す精度の高い機械によつているので、原本の作成者の意思表示自体を保有し、かつ原本の内容の正確性が保証されており、認証の必要もない、この点が手書きによる写と根本的に相違し、前述のように原本と同一の社会的機能と効用が認められる以上写そのものに文書性を肯定するのが相当である。そして複写機による写の作成名義人は原本の意識内容の主体であり、本件交通事故証明書写にあつては、交通事故を取扱つたことを証明する者としての警察署長であり、従つて本件交通事故証明書写は警察署長名義の公文書ということになる、なお、認証のない公文書の写を作成することは何人にも許されるところであるとしても、それは正当な写を作成する場合に限ると解すべきであり、本件のように原本の内容を改ざんするなどして原本のない又は原本と異なる複写を作成する場合にはこれを許容するいわれはない。(3)更に、本件交通事故証明書写には手書きでなどと表示する場合と異なり、複写機によつて警察署長の記名印と公印とが原本そのままに顕出されているのであるから、法的評価として、偽造した公務員の署名及び印章を使用した有印公文書と同視すべきである、これを要するに、原判決は刑法一五五条一項及び一五八条一項の解釈適用を誤まつたものといわねばならないというのである。

たしかに、本件の交通事故証明書写は、原判示のように正規の交通事故証明書用紙の証明願欄に虚構の事実を記入し、その下方の部分を切り取つたうえ、真正な交通事故証明書から警察署長の記名印及び公印の押捺されている部分を切り取つたものを下方に貼りつけてつなぎ合わせ、これを複写機にかけて作つたもので、いかにも真正な交通事故証明書の写であるような外観を呈する書面である。そして、所論のごとく複写機による写は、手書きによる写と異なり原本の筆跡・形状をあるがままに写し出すことができ、その内容も原本と全く同一であり、みる者をして原本の存在と内容を強く推認させるものであり、また右の特性から証明力が飛躍的に高められ、従つて原本に代えて社会的に通用し、社会的機能と効用を果たしていることも否定することができない。しかし、写はあくまで写であつて、それに記載されたところと同一内容の文言の記載された原本が存在することを推認させ、これにより原本に記載されたとおりの事実が存在することを推認させるにとどまり、原本と同視すべきもの(所論にいう原本的な文書)であるとはいえない。また、写は原本の存在を主張する者が、簡易軽便な方法として、誰でも自由に作成することができるもので、原本の作成名義人から許容され又はその推定的承諾がある場合に限り写を作成することができるというようなものではない。従つて、本件交通事故証明書写は、単に被告人らが自ら勝手に作成した内容虚偽の文書に過ぎないことになる。これと異なる見解をとる所論指摘の名古屋高等裁判所の判決をはじめとする裁判例には賛同することができない(当庁第九刑事部、昭和四九年(う)第九四七号同年八月一六日判決参照)。以上の次第で、本件交通事故証明書写は刑法所定の公文書にあたらないとした原判決には法令の解釈・適用の誤りはなく、所論その余の本件交通事故証明写の作成名義人は誰かとか、有印公文書であるか無印公文書であるかなどの点について判断するまでもなく、論旨は理由がない。

<以下―省略>

(寺尾正二 丸山喜左エ門 和田啓一)

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