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東京高等裁判所 昭和49年(う)1782号 判決 1980年9月01日

本店所在地

東京都荒川区町屋六丁目三四番四号

株式会社平和アルミ製作所

右代表者代表取締役

中条嘉

右法人に対する法人税法違反被告事件について、昭和四九年五月三〇日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告法人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官河野博出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人仁科哲及び同大橋堅固連名作成名義の控訴趣意書(第二、二の(1)(2)を除く。)、同補充書、同補充書(その二)及び同補充書(その三)に、これらに対する答弁は、検察官粟田昭雄作成名義の答弁書及び補充書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用するが、弁護人らの所論は、要するに、原判決が判示する被告法人の昭和三六年四月一日から昭和三七年三月三一日までの事業年度(以下、昭和三七年三月期という。)及び同年四月一日から昭和三八年三月三一日までの事業年度(以下、昭和三八年三月期という。)の各所得金額の認定には、後記のように、論理法則又は経験法則違背の違法ないし証拠に基づかない認定の違法、あるいは証拠の評価の認りによる事実の誤認があり、その違法ないし誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

右所論に対し、当裁判所は、記録及び証拠物を調査して、以下のとおり判断する。

控訴趣意書の第一中、被告法人本社工場の昭和三九年三月期におけるロス率算定方法の不合理性を主張する部分、同第二(二の(1)(2)を除く。)及び同補充書(その二)の主張について

所論は、要するに以下のようにいうのである。もともとアルミ圧延工場におけるいわゆるロス量は、工場の機械の性能や設備の状況、従業員の熟練度といった要因の如何によって異なってくるほか、使用材料及び製品の種類・品質・規格、数量等の要素の如何によっても異なってくるものであって、使用材料高あるいは生産高の多寡によって単純に定まるものではない。ところで、被告法人本社工場は、受注生産工場であるため、使用材料及び製品の種類・規格、数量及びこれらの構成比は常に変動している。したがって、同工場においては、ロス量は、総使用材料高や製品製造高の単純な函数ではなく、当然、製品製造高を一定の歩留まり率(自家鋳造スラブが種々の加工工程を経て製品になる割合をいう。)で除することによって得られるスラブ出来高の函数でもない。同工場におけるロス量は、前記のような種々の要因・要素によって影響を受けるものであるから、同工場におけるロス率の算定にあたっては、これらのすべての要因・要素を考慮に入れなければならず、しかも、同工場においては、これらの要因・要素は常に変動していて一定しないのであるから、客観的妥当性のある一定のロス率というようなものは存在せず、これを求めることもできないのである。そうであるにもかかわらず、原判決は、昭和三八年四月一日から昭和三九年三月三一日までの事業年度(以下、昭和三九年三月期という。)における同工場に関し、同工場で鋳造されたスラブから製造された製品・半製品の製造高を一定の歩留まり率で除し、これによって得られた数値である自家鋳造スラブ出来高(以下、単に、スラブ出来高という。)でロス量を除し、その結果得られた数値である二・七パーセントをロス率とした。しかし、前記のとおり、ロス量とスラブ出来高との間には函数関係がなく、ロス量は種々の要因・要素によって影響を受けるものであるから、ロス量をスラブ出来高で除することに格別の意味を認めることはできないのであって、そうして得られた数値はロス率というに値しない、というのである。

そこで検討してみるのに、被告法人本社工場が受注生産中心の工場であること及び同工場におけるロス量が、製造機械の性能、設備の状況、作業方法、従業員の熟練度といった要因や、使用材料及び製品の種類・品質・規格等の要素の相違並びにこれらの数量の多寡と多かれ少なかれ関連性を有することは、所論の指摘するとおりである。しかし、所論のように、ロス量は総使用材料高や製品・半製品製造高の函数ではないと言い切るのは極論に過ぎるし、また、ロス量に関係するすべての要因・要素を確定しなければロス率を求めることができないというのは、いたずらに科学的な完全性を要求するものであって、かえって、逋脱所得推計のために行うロス量計算の趣旨を没却するものといわなければならない。すなわち、被告法人本社工場は、他から購入したアルミ塊等を熔解してアルミスラブを製造し、このアルミスラブあるいは中間製品として購入したアルミ板、アルミコイル及びアルミ線を圧延加工してアルミ板製品及びアルミ線製品等を製造する工場であって、使用材料も製造される製品も限定されており、一方、得意先は七〇数社から一〇〇社近くにも及ぶので、一事業年度というような相当の幅のある期間についてみれば、ロス率に関係する諸要因・要素は概ね平均化されて、その間のロス率は、経験則上合理的な数値を示すに至るものと考えられるのである。現に、山崎弘の検察官に対する昭和四〇年五月一五日付、同月二三日付及び同月二六日付各供述調書その他の関係証拠によれば、総使用材料高と製品製造高及びスラブ出来高並びにロス量との間には一定の比例関係の存在することが認められるのである。そこで、原判決は、証拠に基づき確定した昭和三九年三月期における総使用材料高から総生産高を差し引くことによって当期のロス量を算出し、やはり証拠に基づき確定した当期中に自家鋳造スラブから生産された製品・半製品製造高を、前記山崎弘の検察官に対する各供述調書によって認められる製造方法、使用材料及び製品等の相違をも考慮した一定の歩留まり率で除することによってスラブ出来高を算出し、これで右ロス量を除することによってロス率を求めたものであって、原判決の採用した右のようなロス率算定の方法は、ロス率に関係する諸要因・要素について十分に考慮し、かつ社会通念に照らして公正妥当と認められる程度の精確さを備えた合理的な方法であるということができる。

なお、所論の中には、原判決の採用したロス率算定方式から、ロス率は当期生産高でロス量を除した数値に歩留まり率を乗じた数値と等しいとの算式を誘導したうえ、この算式は、歩留まり率が向上すればそれに比例してロス率が高くなるという全くありえない事態を示しているし、このことをもって原判決のロス率算定方法に根本的欠陥があることの証左であると主張している部分があるけれども、被告法人本社工場においては、ロス率、当期生産高、ロス量及び歩留まり率は相互に関連し一定の均衡状態を保っており、したがって、所論の想定のように、歩留まり率が向上する場合には、当然当期生産高とロス量との比も変化するため、所論の指摘するような結果にはならないのであって、この点も採用の限りではない。論旨は理由がない。

控訴趣意書の第一中、被告法人本社工場における昭和三九年三月期のロス率を昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期のロス量の計算に使用したことの不合理性を主張する部分、控訴趣意書の第三、同補充書の第一の一ないし三並びに同補充書(その三)の第一の二の主張について

所論は、要するに以下のようにいうのである。原判決は、被告法人本社工場における昭和三九年三月期のロス率を条件の異なる同工場の昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期のロス量の計算に使用した点において誤っている。すなわち、同工場における昭和三九年三月期のロス率を昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期のロス量の計算に使用するためには、同工場においてロス率に関係する諸要因・要素が昭和三九年三月期と昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期との間で何ら変更がないということでなければならないが、昭和三九年三月期と昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期とでは、生産設備、製造方法、総使用材料高及び使用材料の構成比、製品別売上高及びその構成比等に顕著な違いがある。したがって、昭和三九年三月期のロス率は昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期のロス量計算の基準値とはなしえないものであるのに、原判決がこれを基準値として採用したのは誤りである、というのである。

そこで、まず、被告法人本社工場における昭和三九年三月期と昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期との間における製造設備及び製造方法の異同並びにそれらのロス率への影響の有無及び程度について検討する。山崎弘の検察官に対する昭和四〇年五月一五日付、同月二三日付及び同月二六日付各供述調書その他の関係証拠によれば、同工場では、昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期においては、板製品は主として自家鋳造スラブを切断、圧延しながら製品に仕上げていくいわゆる小板方式によって製造し、線製品も自家鋳造のワイヤーバーを伸線加工して製造していたが、昭和三八年三月期から購入コイルを圧延加工して板製品に仕上げるいわゆる購入コイル方式も導入され、昭和三九年三月期からは同方式による板製品の製造が本格化したこと、更にこの期からは、購入線から線製品を製造することも開始されたことがそれぞれ認められるが、原判決は、購入コイル、購入線などの中間製品たる材料から製造された製品を自家鋳造スラブから製造された製品・半製品とは区別してスラブ出来高の計算から除外しており、ロス量計算にあたり右製造方法の変更の点を考慮していることが明らかである。また、前記山崎弘の検察官に対する各供述調書、山崎弘の証言及び押収してある決算原稿一袋(東京高裁昭和四九年押第四九八号の四四)によれば、昭和三九年三月期からは、自家鋳造スラブから板製品を製造するのに、従来の小板方式と併せて一部コイル方式を採用したほか、購入コイル方式の本格化に伴い、小板方式で製造する製品の種類・規格が同方式に適合したものに限定されるようになった結果、自家鋳造スラブから板製品のできる歩留まりがやや向上したことが認められる。ところで、原判決は、面削りスラブから板製品のできる歩留まり率を昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期は四五パーセント、昭和三九年三月期は四六パーセントとして、右歩留まり向上の点を考慮していることも明らかである。

次に、各期における材料及び製品の種類・品質・規格、数量及びこれらの構成比の異同並びにこれらのロス率への影響の有無について検討する。各期の総使用材料高及びその構成比率をみると、昭和三九年三月期と昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期との間では、これらにかなりの相違があることは認められるが、山崎弘の検察官に対する昭和四〇年五月二六日付供述調書などによると、右の相違は、昭和三九年三月期から購入コイル方式が本格的に稼動を開始したことに起因するものであるとみられ、この点についても原判決が考慮に入れていることは前記判示のとおりである。また、昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期における各製品別売上高を比較すると、総数量及び構成比率にかなりの差があることは認められるが、総数量の差は原判決のロス量計算方式の中で十分考慮されており、構成比率の違いの点も、原判決は購入コイルからの製品を除外して計算を行うなど、考慮していることが明らかである。もっとも右除外の点に関し、所論は、被告法人本社工場においては、既に昭和三八年三月期から自社鋳造コイルによる板製品の製造が行われていたのであるから、無条件にこれを除外することは許されない旨主張するが、山崎弘の証言によれば、自家鋳造コイル方式は同期にはまだ試験段階であって、同期中のコイル製品はそのほとんどが購入コイルからの製品であったことが認められるから、これを除外したことは誤りではない。

なお、所論中には、右各期のロス率が等しいとされるためには、右の三期を通じロス発生の条件が全く同一でなければならず、したがって、スラブ出来高の単位重量あたりの熔解鋳造ロス(材料を熔解してスラブを鋳造する過程で生ずるロスをいう。)、製品製造高の単位重量あたりの作業工程ロス(スラブを加工して製品を製造する過程で生ずるロスをいう。)も同一でなければならないのに、原判決の認定したスラブ出来高及び製品製造高の各数値により各期の熔解鋳造ロス率を同一として各期の作業工程ロス率の比を求めてみると、これらは一致しないのであって、これはまさしく原判決の矛盾である、とする部分がある。しかし、原判決は、右各期の全体としてのロス率が等しいとしているだけであって、所論のように、細分したロス率までもが同一となるとしているわけではなく、また、原判決は、熔解鋳造ロス及び作業工程を含む全体としてのロス量に関係する数値としてスラブ出来高を使用しているのに、所論の試算のように、スラブ出来高を熔解鋳造ロス量とのみ関連させたのでは、原判決の検証方法として不正確であり、いずれにしても所論は独自の前提、方法によるものであって、にわかに左袒し難い。また、所論中には、仕入地板を加工する過程で生ずる作業工程ロスの数量は、スラブ出来高に比例して定まるという関係がないのに、原判決が同ロス量を含む全体としてのロス量をスラブ出来高に比例して定まるものとしたのは誤っている、とする部分がある。なるほど、原判決は、基準とした昭和三九年三月期のロス率の計算にあたり、同期のロスが自家鋳造スラブの鋳造・加工の過程と仕入地板の加工の過程の両方から生ずるものであるのに、この両者を合わせたロス量をスラブ出来高で除し、これを同期のロス率としているけれども、このようにした方が、自家鋳造スラブの鋳造・加工の過程から発生したロス量を除した場合よりも高いロス率が算出されるうえ、こうして算出されたロス率を仕入地板を使用して製造した製品の比率がはるかに小さく、したがって、仕入地板を製品に加工する過程で生ずるロス量が絶対的にも相対的にも少なかった昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期にそのまま適用しているのであるから、原判決の行った右方法では、その分だけ右両期のロス量が実際よりもやや多いめに算出されるようになっており、むしろ、被告法人に有利な控えめの認定方法として是認することができるのである。

要するに、原判決は、同一経営者による同一製造工場のある事業年度のロス率をその直前年度及びその前年度に適用したものであって、異質のものに無限定に適用したものではなく、しかも、その適用にあたっては、製造担当責任者である山崎弘の供述をはじめ、製造方法、使用材料及び製品の種類・数量等によって異なる板製品、線製品それぞれの全体としての歩留まり率及び購入した中間製品たる材料の使用等を十分に検討し、考慮に入れているのであって、所論のような誤りを犯したものとは認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意書の第四の(一)の主張について

所論は、要するに、原判決は、被告法人の昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期における各所得金額の認定にあたり、被告法人本社工場における右各期首の棚卸資産認定の基礎とすべきロス率としては、昭和三九年四月一日から昭和四〇年三月三一日までの事業年度(以下、昭和四〇年三月期という。)におけるロス率よりも数値の大きい昭和三九年三月期のロス率を採用した方が被告法人に有利であるというが、本件においては、連続する二事業年度が対象となっているので、数値の大きいロス率を採用することによって昭和三八年三月期の期首棚卸高を大きく見積もることは、取りも直さず昭和三七年三月期の期末棚卸高を大きく見積もることとなるのであって、必ずしも被告法人に有利な計算方法であるとはいえない、というのである。

そこで検討してみるのに、原判決の採用した右方法によれば、単に所論のように昭和三八年三月期首(昭和三七年三月期末)の棚卸高が大きく見積もられるだけでなく、同様に昭和三七年三月期首の棚卸高も大きく見積もられることとなるのであるから、結局原判決は被告法人に有利な控えめの方法を採用したものということができるのである。論旨は理由がない。

控訴趣意書の第四の(二)の主張について

所論は、要するに、原判決は被告法人本社工場における昭和三九年三月期のロス量をスラブ出来高で除することによって得られた数値をロス率としているが、このような数値は、原判決自体、ロス量計算の基準値としては、総使用材料高でロス量を除することによって得られる数値に比して、より間接的で不正確であることを自認しながら、なお、昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期の総使用材料高が不明であるという理由だけから、右数値を基準値として採用したのは不合理である、というのである。

そこで検討してみるのに、原判決は、その説示にみられるとおり、被告法人本社工場における昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期の各総使用材料高が不明であるため、昭和三九年三月期について、製品・半製品製造高をスラブが製品となる一定の歩留まり率で除することによってスラブ出来高を算出し、これでロス量を除することによって得られる数値をロス率とし、これを基準値として昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期の各ロス量を推計していることが明らかであるが、関係証拠上すべての原材料はスラブに鋳造された後、種々の工程を経て製品になるものであることが認められ、スラブ出来高は総使用材料高とほぼ比例する関係にあるものと考えられるから、総使用材料高が不明であった以上、これに代えてスラブ出来高を用いたことにも十分な合理性があるというべきである。論旨は理由がない。

控訴趣意書の第四の(三)、同補充書の第一の四中、昭和三九年三月期の被告法人本社工場において面削りスラブが製品となる歩留まり率について原判決がした認定の誤りを主張する部分及び同補充書(その三)の第二の主張について

所論は、要するに以下のようにいうのである。原判決は、昭和三九年三月期における自家鋳造スラブの面削り前後の歩留まりに関し、一二〇キログラムの面削り前のスラブ一本から二六キログラムの面削りスラブ四本がとれると認定したが、右二六キログラムの認定は、押収してある決算原稿一袋(前同押収番号の四四)の記載に徴し誤りである。また、原判決は、昭和三九年三月期における面削りスラブが製品となる歩留まり率を四六パーセントと認定したが、これは証拠に基づかない認定である、というのである。

そこで、まず昭和三九年三月期における自家鋳造スラブの面削り前後の歩留まりの点について検討する。前記決算原稿によれば、そこに記載されている二七キログラムのスラブというのは面削り前のスラブを意味し、二五キログラムというのは面削り後のそれを意味するものと見られ、その他関係証拠、殊に押収してある在庫品調二綴(前同押収番号の二六)及び本社在庫調一綴(同押収番号の三一)の各記載並びに山崎弘の検察官に対する昭和四〇年五月一五日付供述調書などをも合わせ考えると、四枚に切断し面削りした後のスラブ一枚の重量は恐らく二五キログラム程度と認定するのが相当ではないかと考えられ、昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期における面削りスラブ一枚の重量についても同様に考えられるのである。しかしながら、なお翻って検討してみることとし、右三期における面削りスラブ一枚の重量を二五キログラムとして、実際に原判決の行った方法によって昭和三九年三月期におけるロス率を求め、これによって昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期の各ロス量を求めてみると、右各期における板スラブの面削り前後の歩留まり率は八三パーセントないし八四パーセント程度となり、各期のスラブ出来高はいずれも原判決の計算した数値よりも大きくなるが、昭和三九年三月期のロス率が二・六二パーセントないし二・六〇パーセント程度と小さくなるため、結果的には、昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期における各ロス量の数値は、原判決のそれとほとんど変らないのである。してみれば、たとえ原判決に板スラブの面削り前後の歩留まり率に関し、所論のような誤認があったとしても、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。

次に、昭和三九年三月期における面削り後のスラブが製品となる歩留まりの点について検討する。山崎弘の検察官に対する昭和四〇年五月一五日付、同月二三日付及び同月二六日付各供述調書、山崎弘の証言、押収してある在庫品調二綴(前同押収番号の二六)及び決算原稿一袋(同押収番号の四四)、その他の関係証拠を総合すると、被告法人本社工場では、薄板製品を製造するのに、自家鋳造スラブを使用したのでは顧客の求めるような製品に仕上がらないなどの理由から、昭和三八年三月期から購入コイル方式を導入し、昭和三九年三月期にはこの方式による薄板製品の製造が本格化したが、この期においては、まだ自家鋳造スラブを使用して製造する板製品の量の方が多かったこと、そして、自家鋳造スラブを使用して板製品を製造する方法の中心はいわゆる小板方式であったが、購入コイル方式の導入に伴って、従来の小板方式は加工工程の短い比較的厚い板製品の製造に向けられるようになったこと、またこの期から、自家鋳造スラブを切断しないで連続圧延するいわゆる自家鋳造コイル方式による稼動も一部開始したため、面削り後の自家鋳造スラブから板製品のできる歩留まり率は従前の四五パーセントよりもやや向上したものの、昭和四〇年三月期のように購入コイル方式が板製品製造の主流となり、自家鋳造スラブ方式の割合が低下した時期における同方式全体の面削り後のスラブが製品になる歩留まり率五〇パーセントには及ばないものであったこと、がそれぞれ認められる。原判決はこれら証拠によって認定された諸事情を基礎として、昭和三九年三月期における面削り後の自家鋳造スラブが板製品になる全体としての歩留まり率を四六パーセントと認定したものと判断されるから、原判決の右認定が証拠に基づかないものであるとするといわれはなく、何ら不当であるとはいえない。論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意書の第四の(四)及び同補充書の第一の四中、被告法人本社工場における昭和三七年三月期の期首棚卸高認定方法の不合理性を主張する部分について

所論は、要するに以下のようにいうのである。原判決は、被告法人本社工場における昭和三七年三月期の期首棚卸高を推計する過程で、求めるべき期首棚卸高をその推計の要素として使用するという論理的法則違背を犯している。しかも、同期については期首棚卸結果を示す資料がないため、製品・半製品について同期末の公表棚卸高と実際在高との比率を求め、これを同期首における製品・半製品の公表棚卸高に乗ずることによって得られた数値を、右に指摘した推計要素たる製品・半製品の期首棚卸高とする、という方法をとっているが、このような期首棚卸高算出の方法には合理性がない。現に原判決の認定した数値を使用して、昭和三九年三月期、昭和三八年三月期及び昭和三七年三月期の各期について、それぞれスラブ鋳造に使用された材料高を求め、これから原判決の算出したスラブ出来高を控除した数値が原判決の算出した各期のロス量と一致するか否かを試算してみると、昭和三九年三月期及び昭和三八年三月期についてはその一致を見るのに、昭和三七年三月期についてはその一致がみられない。これはまさしく原判決のなした同期首棚卸高の推計が結果としても誤りであることの証左である、というのである。

そこで検討してみるのに、原判決が、被告法人本社工場における昭和三七年三月期の期首棚卸高を推計する過程で、求めるべき期首棚卸高を構成する期首製品・半製品在高を使用し、また、この期首製品・半製品在高を求めるのに、所論のような方法をとっていることはそのとおりである。しかし、同期首については、総棚卸高はもとより製品・半製品在高を直接認定すべき資料も得られなかったのであるから、これらを推計する手段として右のような方法を用いたことも相当の合理性があるというべきである。のみならず、原判決が同期首棚卸高を推計する過程で暫定的に使用した同期首製品・半製品在高は、計算の最終結果として算出された同期首製品・半製品在高の数値をかなり下回るものであったところ(原判決別紙四の(一)、(二)参照)、期首棚卸高計算の基礎となる期中製品・半製品製造高は、期中の出荷高と期末製品・半製品在高とを加えたものから期首製品・半製品在高を控除することによって算出されるものであるから、原判決が右のとおり期首製品・半製品在高を実際より少なめに想定したということは、その分、期中製品・半製品製造高を実際より多いめに計算し、更にこれをもとして推計されるスラブ出来高、ロス量、ひいては期首棚卸高全体を多いめに計算する結果となったことを意味するのであって、原判決が用いた右方法は、被告法人に有利な控えめの認定方法としてこれを是認することができる。もっとも、所論の試算によれば、昭和三七年三月期のロス量に関し、指摘のような数値の不一致がみられるが、これは、同期についてはロス量の計算上直接資料によっては確定し難い数値がいくつかあるため、原判決は、ロス量が過少に計算され、被告法人に不利な認定結果が生じることのないよう、計算の過程で用いる期首製品・半製品在高を少なめに想定したり、スラブ出来高計算の基礎となる製品・半製品製造高の算出にあたり、仕入地板の期首在庫を零とするなどの配慮をしたことに起因するものと考えられるから、所論のような数値の不一致があるからといって、直ちに原判決がした同期首棚卸高の推計結果が不当であるということはできないのである。論旨は理由がない。

控訴趣意書の第四の(五)及び同補充書の第二(二)(1)の(ハ)の主張について

所論は、要するに、原判決は、被告法人板橋工場の棚卸資産について、昭和三七年三月期首及び昭和三八年三月期首(昭和三七年三月期末)とも昭和三八年三月期末のそれと種類、品質、数量、金額まで同一であると想定したが、いかに同一工場といえども、事業年度を隔てた期首と期末の棚卸資産の数量、金額等が全く同一などということはありえないことであって、このような想定は現実的でないのみならず、基準とした昭和三八年三月期末における棚卸資産の分類、評価も粗雑で、前二期首の基準とはなしえない、ということである。

そこで検討してみるのに、原判決の認定した昭和三八年三月期末における板橋工場在庫と押収してある貯蔵品在庫調査表一綴(前同押収番別の一六)及び在庫調一袋(同押収番号の五六)とを対照してみると、原判決は、同工場において同期末に行われた棚卸結果に基づき種々の製品・半製品及び材料の単価及び数量を集計して同期末における板橋工場在庫を認定したことが明らかであって、その認定は、決して所論のいうように粗雑で不正確なものではない。また昭和三七年三月期首及び昭和三八年三月期首(昭和三七年三月期末)については、同工場における棚卸結果のすべてを直接確定しうる資料は存在しなかったところ、当時被告法人の経理担当責任者であった早川菊雄の証言及び同工場における棚卸の責任者であった五十嵐吉雄の検察官に対する供述調書その他の関係証拠によれば、同工場の在庫は、その構成及び重量において昭和三七年三月期首、昭和三八年三月期首(昭和三七年三月期末)とも昭和三八年三月期末とほぼ同一であったものと認められるから、原判決が同工場における昭和三七年三月期首及び同期末(昭和三八年三月期首)の各棚卸高を昭和三八年三月期末のそれと同一と認定したことは誤りではない。また、押収してある貯蔵品在庫調表一綴(前同押収番号の一六)、決算資料三綴(同押収番号の二四)及び在庫調一綱(同押収番号の五六)によれば、同工場における個々の棚卸資産の評価額(製造原価)は右二事業年度の間にその大多数のものが値上がりしたことが認められるが、原判決は、値上がりの後の昭和三八年三月期末の評価額で同期首(昭和三七年三月期末)及び昭和三七年三月期首の各棚卸資産を評価しているのであるから、原判決の採用した棚卸高の認定方法は、その評価方法においても被告法人に有利な控えめの方法を採用したものとして是認することができる。論旨は理由がない。

控訴趣意書の第四の(六)の主張について

所論は、要するに、原判決は、昭和三七年三月期の負担に属する昭和三六年三月期の事業税を認定するにあたり、原判決の認定した昭和三七年三月期首の簿外棚卸高と大蔵事務官の調査した昭和三六年三月期末の簿外棚卸高との差額を大蔵事務官の調査した同期の所得金額に上のせし、この金額を同期の実際所得金額であるとして、同金額によって同期の事業税額を計算しているが、大蔵事務官のした棚卸高の推計方法と原判決のそれとは関連性・連続性を持たない異質のものであるから、原判決の行った右方法は誤っている、というのである。

そこで検討してみるのに、大蔵事務官作成の法人税額計算書によれば、大蔵事務官は、被告法人の昭和三六年三月期の所得額を計算するのに、いわゆる財産増減法によっていることが明らかであるところ、原判決も同じ方法を採用しているのであって、ただ審理の結果に従い、昭和三六年三月期末の簿外棚卸高をより妥当な数値をもって置き換えたに過ぎないのであるから、それが不合理な措置であるとはいえない。しかも、原判示のとおり、原判決の認定した被告法人の昭和三六年三月期末(昭和三七年三月期首)における簿外棚卸高が大蔵事務官の調査した結果よりも大幅に多かったという事実からすれば、昭和三六年三月期首についても同様のことが考えられ、そして、同期末における右簿外棚卸高の差額を大蔵事務官の調査した同期の所得金額に加えた以上、同期首における簿外棚卸高の差額に関しても同様の調整を行い、これを同期の右所得金額から減ずることとした方が同期の所得金額としてはより正確な数値が得られるのであるが、原判決は同期首関係では一切右調整を行わず、その結果、原判決が昭和三七年三月期の損金として認容した被告法人の昭和三六年三月期の未払事業税を計算する関係で認定した被告法人の同期の所得金額は、続く二事業年度の各所得金額の二倍以上にも達しているのであって、現実に昭和三六年三月期にのみこのような多大の所得があったとは考えられないところからみると、原判決は未払事業税を実際より過大に計算することによって被告法人に有利な控えめの認定方法をとったものと解されるから、結局原判決の行った未払事業税額の認定はこれを是認することができる。論旨は理由がない。

控訴趣意補充書の第二中(二)(1)の(ハ)を除く部分の主張について

所論は、要するに以下のようにいうのである。原判決は、被告法人本社工場における昭和三八年三月期首(昭和三七年三月期末)の棚卸資産の評価にあたり、いわゆる不足分たるアルミ新塊については、不足分以外のアルミ新塊の総金額を総重量で除した平均単価で評価し、いわゆる不足分たるアルミ再生塊については、公表のアルミ再生塊の単価で評価しているが、当時同工場で使用していた材料は新塊にしろ再生塊にしろいずれも種類、品質、規格等が多岐多様にわたっていたのであるから、右評価にあたっては、右不足分を種類、品質、規格等によって細分したうえ、それぞれを最終仕入原価で評価すべきであったのに、この方法によらなかった原判決の右評価方法は誤りである。また、原判決は、同工場における昭和三七年三月期首の棚卸資産の評価にあたり、その構成比を同期末(昭和三八年三月期首)のそれと同一と想定し、かつ、棚卸資産のアルミニュームを新塊、再生塊、地板、屑、灰、製品及び半製品に分類し、それぞれを単一の単価で評価しているが、昭和三七年三月期首の棚卸資産の構成比を同期末(昭和三八年三月期首)と同一としたことには合理性がなく、また、種類、品質、規格、単価のさまざまな棚卸資産を右のように単純化して評価すべきではなく、被告法人において採用している棚卸資産の評価方法である最終仕入原価法によるべきであって、この方法によらなかった原判決の右評価方法は誤りである、というのである。

そこで、まず、昭和三八年三月期首(昭和三七年三月期末)におけるいわゆる不足分たる新塊及び再生塊の評価方法の当否について検討する。関係証拠によれば、被告法人においては、再生塊については、そのほとんどが自家製であるところから、その全部について被告法人で計算した単一の製造原価を付していたことが認められるところ、原判決はこれに做い、不足分たる再生塊全部については被告法人の公表原価を採用したことが明らかである。また、押収してある昭和三七年三月期分の所得金額・法人税額の確定申告書一綴(前同押収番号の一)、昭和三八年三月期の所得金額・法人税額の確定申告書一綴(同押収番号の二)、昭和三五年度分の法人税の確定申告書一綴(同押収番号の六二)、及び決算資料三綴(同押収番号の二四)その他の関係証拠によれば、被告法人においては、他から購入した棚卸資産の評価方法として最終仕入原価法を採用しており、新塊はすべてが仕入品であるため、これを種類、品質、規格等別に分類したうえ、同評価法によって評価していたことが認められる。しかし、不足分たる新塊については、その種類、品質、規格を明らかにする資料が得られなかったのであるから、原判決が、これを評価するのに最終仕入原価法によって評価されたその余の新塊の平均単価によったことは、合理的かつ相当な評価方法であるというべきである。

次に、被告法人本社工場における昭和三七年三月期首の棚卸資産の認定・評価方法の当否について検討する。原判決が、同工場における昭和三七年三月期首の棚卸資産の構成比を同期末のそれと同一として処理したことは、同期における棚卸資産の構成比を直接認定しうる資料が存在しなかったこと及び製造方法、使用材料なども特段の変更があったとは認められない同一製造工場における一事業年度を隔てた期首と期末の棚卸資産の評価であることを考えれば、必ずしも不合理であるとはいえない。また、原判決の認定した同工場における同期首の棚卸資産の評価額と、押収してある昭和三五年度分の法人税の確定申告書一綴(前同押収番号の六二)、決算資料三綴(同押収番号の二四)及び昭和三五年度買原簿一綴(同押収番号の三)とを対照してみると、原判決は、棚卸資産のうち、屑、製品及び半製品については、すべて被告法人の公表単価によって評価しており、また、公表単価の不明な地板及び再生塊並びに新塊については最終仕入原価法によって評価し、ことに新塊については、その品質、規格等によって異なる仕入原価の平均値を採用するなどしていることが認められるのであって、原判決の行った同工場における昭和三七年三月期首の棚卸資産の評価方法は、可能な限り当時被告法人が行っていたそれに従ったものであり、これまた合理的な方法として是認することができる。論旨は理由がない。

控訴趣意補充書(その三)の第一の一の主張について

所論は、要するに以下のようにいうのである。原判決は、被告法人の昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期の各期首棚卸高の確定にあたり、本社工場の期首棚卸高については、期末棚卸高と期中出庫及びロス量とを加えた数値から期中入庫をさし引く方法によって算出し、その中で、本社工場から板橋工場への出入庫も右の期中入庫又は期中出庫として処理し、板橋工場の期首棚卸高については、これとは別個の方法(前記板橋工場における棚卸資産の認定方法の不合理を主張する論旨参照)によって算出しているが、本社工場についてのみ前記のような方法を採用し、本社から板橋工場への出入庫を期中出庫又は期中入庫としてさし引き計算したのは誤りである。そこで試みに、昭和三八年三月期について、被告法人内における棚卸資産の移動を捨象し、被告法人からの出入庫のみを出庫又は入庫として、本社工場及び板橋工場について、原判決の認定した数値や押収してある決算資料三綴(前回押収番号の二四)などの数値により、期末棚卸高、期中出庫(ロスを除く。)及び期中入庫の各数量を集計計算し、また、期首棚卸高は原判決の認定した数値を使用することとして、後記算式によって同期のロス量を算出し、これから前記決算資料にあらわれた板橋工場のロス量をさし引くことによって、同期の本社工場におけるロス量を計算してみると、四八トン二五二キロ六四四グラムとなるが、これは原判決の認定した同期の同工場におけるロス量六二トン六五二キロ三五九グラムと大きく相違するのであって、このように本来一致すべき同期の同一工場におけるロス量が一致しないということは、原判決がしたロス量の計算及び期首棚卸高認定の合理性を疑わせるに十分である、というのである。

(所論のロス量の計算式)

ロス量=(期首棚卸高+期中入庫)-(期末棚卸高+期中出庫)

そこで検討してみるのに、被告法人の昭和三七年三月期及び昭和三八年三月期の各期首棚卸高を認定するのに、原判決のように、各工場別に別個の方法で各期首棚卸高を算出し、これらを合算して被告法人全体の期首棚卸高とする方法が誤りであるとすることには何ら根拠がないばかりでなく、本件では、右各期首の棚卸高を直接確定しうる資料が存在しなかったため、昭和三八年三月期末の棚卸高や期中の出入庫の関係から各期首棚卸高を算出する方法によらざるをえなかったのであるが、この方法で期首棚卸高を算出するためには、本社工場におけるロス量の確定が不可欠であるところ、これについても直接これを確定しうる資料は存在せず、これを算出するための特別の計算が必要だったのであり、また、板橋工場における棚卸資産の出入庫状況に関する記録もずさんなものであったことなどに徴すると、原判決が各期首棚卸高を認定するのに、各工場別に別個の方法を採用したことは、右認定に利用しうる資料の内容や信用性の程度などをも考慮した合理的な方法であったということができる。そして、本社工場についてのみ、期末棚卸高と期中出庫及びロス量とを加えたものから、期中入庫をさし引く方法によって期首棚卸高を算出する方法を採用したからには、同工場から板橋工場への出入庫をさし引き計算すべきは当然である。次に、所論の試算について検討すると、その方法自体は誤りではないが、早川菊雄の証言などからうかがわれる被告法人における経理事務処理の実情や所論の援用する証拠物の作成状況などに徴し、所論が計算の基礎とした板橋工場における棚卸資産の出入庫関係やロス量を示す数値が所論のように直ちに採用しうるものとは到底思われないことからすれば、所論の計算方法によってした被告法人本社工場における昭和三八年三月期のロス量が原判決の認定したそれと一致しないからといって、そのことから直ちに原判決のした期首棚卸高の認定方法やロス量の計算方法に疑問があるとはいえないのである。論旨は理由がない。

以上の次第で、論旨はいずれも理由がないから、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堀江一夫 裁判官 浜井一夫 裁判官森眞樹転補につき署名押印できない。裁判長裁判官 堀江一夫)

○控訴趣意書

被告人 株式会社平和アルミ製作所

右の者に対する法人税法違反被告事件について、東京地方裁判所がなした判決に対する控訴の趣意は次のとおりである。

昭和四十九年一〇月二六日 右主任弁護人 仁科哲

弁護人 大橋堅固

御中

原判決がなした被告人会社の昭和三八年三月期並びに同三七年三月期所得額の認定には、論理法則・経験則違背の違法ないし証拠に基づかない認定の違法があるか、しからずとしても証拠の評価を誤り、ひいて事実を誤認した違法がある。

右違法はいずれも判決に影響を及ぼすこと明らかであるから刑事訴訟法第三七九条ないし第三八二条に該当する。よって同法第四〇〇条但書を適用して原判決を破棄し無罪の判決がなされるべきである。

第一 総論

一 原判決は、いわゆる簿外在庫なるものの確定について原審検察官がその冒頭陳述要旨変更書(以下単に変更冒陳と言う)で主張した昭和三八年三月期首(同三七年三月期末)及び同三七年三月期首(同三六年三月期末)の棚卸に関する推計は、いずれも合理的なものである、と是認した。

右推計が不当不合理であることは、原審において弁護人がその弁論要旨第二部第一「簿外在庫の確定の主張」の項において既に明らかにした通りである。

しかしながら、本件控訴趣意書においては、百尺竿頭一歩を進め、右推計の成否を決するとも言うべき不可欠且重要な要素であり、又本件の最大の争点とされたロス量の推計それ自体が論理法則と経験則に反する不当不合理なものであることを明らかにすることとした。

なんとなれば、原判決が前記期首棚卸の推計に合理性ありとする理由は、ロス量の推計が合理的であるとすることにあるから、もしもロス量の推計が論理法則と経験則に反するものであることが論証されるならば、この推計が合理的であり、したがって、期首棚卸の右推計も亦合理的であると認定した原判決は、その余を論ずるまでもなく、論理法則に違背するものとして、破棄され、本件は無罪であるとの判決が速やかになされるべきだからでかる。

二 原判決が、検察官の主張する昭和三八年三月期首及び同三七年三月期首の棚卸推計におけるロス量の推計が合理的であると認定した理由の要旨は左の通りである。

(一) 昭和三九年三月期の使用材料の総重量(当期材料使用高)と製品の総重量(当期生産高)との単純な差引計算による重量が当期のロス量である。

右ロス量は証拠により確定しうる。

(二) 右当期生産高を、板と線とに分別し、前者からはコイルによる生産分を、後者からは素線による生産分を控除したる上、その各生産高を一定の割合の製造歩留り(板の場合は四六パーセント、八七パーセント、線の場合は七五パーセント)で除して、板及び線の自家鋳造スラブ出来高を各別に推計した上これを合計する。

右製造歩留りは合理的であるからスラブ出来高の右推計も亦合理的である。

(三) 次いで、右板と線の自家鋳造スラブ出来高の合計重量に対する(一)のロス量の割合を求め(二・七パーセント)これを当期のロス率とする。

しかして、前述の如く、右ロス量は証拠によるものであり、また、自家鋳造スラブ出来高の推計も合理的であるが故に、右ロス率それ自体も合理的である。

(四) かくして、昭和三八年三月期及び同三七年三月期の自家鋳造スラブ出来高を前同様の方法によって算出し(但し板の製造歩留りを四五パーセントとする。)これに右ロス率を適用することにより、右各期のロス量を推計する。

右ロス率は前述の如く合理的であり、スラブ出来高も亦合理的であるから、右各期のロス量の推計も亦合理的である。

(五) 以上の如くであるから、検察官の主張する各期首の棚卸の推計は合理的である。

以上で明らかな通り、原判決がロス量の推計を合理的であるとした認定は、二・七パーセントなるロス率が昭和三九年三月期のロス率として合理的なものであること、および右ロス率は、基準率として昭和三八年三月期及び同三七年三月期にも適用しうるものであるとの判断の上に立つものであるということができる。

即ち前者は、昭和三九年三月期におけるロス率としての合理性乃至正当性の問題であり、後者は右ロス率の基準率としての適用可能性(妥当性)の問題である。

したがって、本件のロス量の推計についての原判決の認定につき、これを右の二点に分けて批判検討し、それが論理法則と経験則に違背するものであることを論証する。なお原判決は所得確定のためとして、右以外の諸点についても論理法則、経験則違背をおかしているので付随的に触れるものである。

第二 昭和三九年三月期のロス率(二・七パーセント)が合理的であるとする原判決の誤り。

原判決の右認定を批判検討するために、先ず、当期における被告人会社におけるロス発生の状況の概略を明らかにし、次いで原判決が右ロス率を合理的であると認定した理由を批判し、結論として、原判決の認定が不当であることを明らかにすることとする。

一 被告人会社におせるロス量について

被告人会社におけるロスは、アルミが酸化し、酸化アルミとなり或いは苛性曹達と化合すること等による所謂化学変化にもとづくものと、アルミが切粉、切断屑として空中に飛散し、或いは回収されないために生ずる所謂物理的原因にもとづくものと二つに分れる。

しかも、これらのロスは後に製造工程図で明らかにするように全製造工程のいろいろの段階で生ずるが、これを大別すると、材料を溶解・鋳造する段階で生ずる所謂溶解鋳造ロスと鋳造されたスラブから最終製品が製造される作業工程の段階で生ずるものとの二つとなる。しかも、溶解鋳造ロスは、作業工程ロスよりも、全ロス量に占める割合ははるかに多く、このことは、検察官もその変更冒陳において、「ロスの主たるものは鋳造過程で生ずるロスである」として、これを認めている。

しかして、ロスの発生及びその量について概略を示せば左の通りである。

(一) 溶解鋳造ロスについて

これは既に述べた如く材料を溶解鋳造する段階で生ずるロスである。材料としては、新塊、再生塊、屑の三種類に大別されるが、単位重量あたりのロス量は、新塊、再生塊、屑の順序で多くなる。単位重量あたりの単価が、この順序で安くなっているのは、右ロス量の多寡が反映しているからに外ならない。

また、材料は同一種類でも品物、規格、形状等の異るに従い、その単位重量あたりのロス量も異る。

以下その概略を明らかにする。

(1) 屑について

屑が再生塊を作るために溶解される時に、酸化現象によって生ずるものと、屑に含有されている酸化アルミが分離するために生ずるものとがある。しかも屑と称しても、それぞれの屑により単位重量あたりのロス量は異る。何となれば、いずれの屑も形状が異なるにしたがい表面積も同一でなく、したがって酸化度も違うのみならず、不純物(鉄等の非アルミ金属、石、木材、塗料等)の混入度も異なるからである。

例えば、仕入屑は所謂戻り屑(会社内の製造工程で生ずる屑)に比し、不純物も多く、酸化度も高く、したがって単位重量あたりのロスは多い。しかも仕入屑自体も、屑毎にロス量は悉く異ると言ってよい。

仕入屑はアルミスクラップ業界に於て俗に言われている(一)新切屑、(二)ゴミガラ屑、(三)ガラ屑、(四)アルミ粉に大別されるが、(一)から(四)の順序で単価が安くなるのは、(一)から(四)の順序でロス量が多くなるからである。

例えば、昭和三九年三月期に、山崎金属株式会社より仕入れた屑はkg当りで一三〇円、一五〇円、一六〇円の段階がある如しである。(押58材料仕入帳(三八年度))

戻り屑について見るならば、

(一)自家鋳造スラブ製造の段階で生ずるもの、(二)板製造の作業工程で生ずるもの、(三)線・棒の製造の作業工程で生ずるものに大別される。いずれも、そのロス量の条件を異にする。

(一)ではスラブの不良品が最もロス量が少ないのは当然であり、鋳造時のこぼれ屑及びスラブ切断又は面削等による鋸切屑等は酸化度が高くなるからロス量が多くなる。

(二)熱間圧延不良品のロス量は少く、熱間圧延後の荒延切断屑、中間切断屑、更に仕上圧延の際に生ずるアルミ屑等はロス量が多くなるが、いずれもその量は一定しない。

(三)については、検査の不良品、返品及び圧延後の切断屑、口付時の屑、溶接時の鋸屑、バリ切捨屑等多様であり、いずれも屑の形状が小なる程酸化度が高いからロス量は多くなる。

(2) 再生塊について

再生塊はスラブ鋳造の時に、酸化現象によるものと既に含有されていた酸化物が分離することによるものがロスとして発生する。しかも再生塊は一個当り四キロ、十キロ(押58、材料仕入帳(三八年度)佐渡島金属口座、同高橋愛次商店口座参照)の二種類があるが、四キロの再生塊は、単位重量あたりの表面積が十キロのものに比し大きく、したがって、酸化度が高いと言えるからロス量も多くなる。

(3) 新塊について

スラブ鋳造の時における酸化現象と含有せる酸化物の分離によりロスが発生することは再生塊と同様である。

しかも、同じ、新塊と言っても、最小は十キロ七百グラムから十二キロ、十三キロ、十五キロ、十九キロ二〇〇グラム、二〇キロ(押58、材料仕入帳(三八年度)昭栄興業口座・同昭和興産口座・同神鋼商事口座等にあらわれている)と各種類があり、既に再生塊のところで述べたように、重量の小さいものほど単位重量あたりの表面積が大きいから単位重量あたりのロス量は多くなる。

(4) 地板・コイル・素線について

これらは、製品の作業工程段階での作業工程ロスしか発生しないから、前記三種類の材料に比しロス量は少い。

(二) 作業工程ロスについて

これは自家鋳造スラブ又は地板、コイル、素線から最終製品を製造する作業工程で生ずるものであることは既に述べた。

したがって、いずれの製品も、原判決も認めるごとく作業工程の異なるにしたがいロス発生量も異るのは当然である。製品は大別して、板と線とに分かれ、両者のロス発生量が異ることは原判決も認めるところである。

しかしながら板でも、コイル、円板、角板の三種類があり、それぞれロス量は異るのみならず、この三種類の製品もそれぞれ多くの規格、寸法、重量を異にし、その異なるに従って作業工程も異り、やはりロス量は異ってくる。

例えば同じ角板でも同期に製造されたうち、

売先 売上年月日 品種 厚さ 幅長さ 重量 単価

成田金属(株) 39・2・25 <省略> 20×500×600mm 198kg 290円

大金商事 38・5・15 <省略> 0.18×400×1200mm 53kg 340円

(押72 三八年度分売上帳)

の如く、前者は厚さの最大のもの、後者は最小のものでその間に多数の厚さの異るものがある。この場合、厚さの小さいもの程、圧延回数が多く、したがってロス発生が多くなる。

また同じく円板でも

売先 売上年月日 品種 厚さ 直径 重量 単価

(株)白銅商店 39・3・16 <省略> 2.0×300mm×丸 91kg 295円

(株)カネヒロ商店 38・8・22 <省略> 0.3×180mm×丸 1kg 320円

(前同)

の如く、前者は厚さの最大のもの、後者はその最小のものでその間に多数の厚さの異なる製品があり、この場合も厚さの小なる程ロスが多くなる。

またコイルでも

売先 売上年月日 品種 厚さ 幅 重量 単価

(株)星野商店 39・3・31 <省略> 1.3×73mm×coil 565kg 260円

亜細亜アルミ(株) 38・9・17 <省略> 0.18×56mm×coil 130kg 330円

(前同)

前者は最大の厚さ、後者はその最小のもので、この間に多数の厚さの異るものがあり、前同様ロス量は全部異る。

要するに板は主として厚さの小なるもの程作業工程が多く、したがってロス量もそれに比例して多くなり、単価も高くなるのである。

原判決は線として一括しているが、この部門線と棒との二種類に別れ、作業工程も異るからロス量もまた異り、しかも同じく線と棒と言っても又直径等の寸法規格は多数に分れ、それぞれロス量は異る。

例えば線では

売先 売上年月日 品種 直径 重量 単価

(株)新興商店 39・3・25 <省略> 10mm 25kg 270円

(合名)武藤商店 38・4・17 <省略> 0.5mm 50kg 370円

(前同)

の如く、前者は直径が最大、後者は最小でその間に多数の直径の異るものがある。

また棒では

売先 売上年月日 品種 直径 長さ 重量 単価

(株)飯田商店 38・10・31 <省略> 31.2×2500mm 246.4kg 295円

(株)三崎商店 38・4・6 <省略> 1.6×1000mm 12.6kg 370円

(前同)

前者を最大とし、後者を最小とし、その間に直径の異る多数の製品がある。

要するに線・棒は、直径が小なる程作業工程が多くなり、したがってロス量は多くなり勢い材料費も高くつくからそのために単価も高くなるのである。

二 ロス量及びロス率の意義及び原判決の認定の誤り

原判決が昭和三九年三月期のロス率(二・七パーセント)が合理的であるとした認定は、誤りであることを論証するため、先ずロス量及びロス率なるものの意義を明らかにし、その算定方法が如何なる性質を有するものであるかを明らかにした上で、右認定が誤りであることを論証することとする。

(1) ロス量およびロス率の意義とその算定方式について

被告人会社の如く、製造業を営む業種において、本来の意味でのロス量とは、一定の材料で一定の製品を製造する場合に生ずる材料の減耗を言い、このロス量の使用材料に対する割合をロス率と言う。

この点、原判決が総使用材料高に対するロス量の割合を求める方が自家鋳造スラブ出来高に対する割合を求める場合に比べて「より直接的でより正確な数値がえられる」としていることは正しいと言うべきである。

(判決二六丁)

しかしながら、ロス量は、原判決がいみじくも指適する如く、「企業規模の大小、設備状況、作業方法、従業員の技術等によって著しい相異がある」だけではない。

何となれば、ロス量は、右の生産条件だけでなく、ロスの発生及びその量に関係する製品と材料の条件(例えば種類、品質、規格、形状、重量等)によって、定まるものであることは経験則上明らかなところだからである。

したがって、ロス率を一定の算式によって導き出すためには、この算式は、右の生産条件だけでなく、ロス量に関係のある製品および材料のすべての条件をその要素として取入れなければならないことは、理の当然であって、これはロス率算定の法則と言うべきである。

したがって、ロス量に関係する諸条件の一つと雖もそれが生産条件にかんするものであれ、はたまた、製品又は材料にかんするものであれ、これをロス率算定の算式の要素から除外するならば、このような算式は正しい算式たり得ないから、したがってこれから正しいロス率を算定することは不可能とならざるを得ないことも亦目明の理と言うべきであろう。

以上の観点に立って、原判決が合理的であると認定した、昭和三九年三月期のロス率(二・七パーセント)が果して合理的であるか否かを検討することとする。

(2) 原判決が昭和三九年三月期のロス率(二・七パーセント)を合理的であるとした認定の誤りについて

原判決は昭和三九年三月期のロス率を同期の総使用材料高から、当期生産高を差引いたものをロス量とし、これと自家鋳造スラブ出来高との割合を求めることによって算定し、このロス率は自家鋳造スラブ出来高の推計が合理的であるから、したがって合理的であるとしていることは既述の通りである。

原判決のロス量およびロス率の算定方式を示せば左の通りである。

(総使用材料高―当期生産高)÷自家鋳造スラブ出来高=ロス率

したがって、原判決のロス率が合理的であるためには右算式によってえられたロス量が先ず正しいものであること、次いでこのロス量との割合を求めたもの(ここでは自家鋳造スラブ出来高)も亦正しい、少なくとも合理的なものでなければならない。

しかしながら原判決の認定したロス量なるものは、当期のロス量ではなく、それとはおよそ縁もゆかりもない全く無関係な意味のない数値にすぎないのである。何となれば本件においては総使用材料高から当期生産高を差引くことによって、そのロス量を求めることは不可能だからである。

即ち、原判決における総材料使用高とは、期首に存在した材料の総重量に期中で仕入れた材料の総重量を加算し、これから期末における材料の総重量を差引いたものであることは明らかである。しかし、ロス量を算出するにあたり、すべての材料をその種類、品質、形状等にかかわりなく、単にその重量だけであらわすということは、すべての材料が、その種類、品質、形状等により単位重量あたりのロス量を異にするものではなく、それは全く同一である。したがって、すべての材料は、その重量だけがロス量に関係があり、しかもそのロス量は単位重量あたり同一であると言うことを意味し、またはこのことを前提にしてはじめて可能であると言わざるを得ない。

また、原判決における当期生産高とは、製品のすべてを単に重量で表示したその総計にすぎない。しかしながらロス量を算出するにあたり、当期の総製品を単にその重量だけであらわすということは、製品のすべてはその種類、規格等の相異にかかわりなく、その単位重量あたりのロス量が異るものでなく全く同一であるということを意味し、またはこのことを前提としてはじめて可能なことなのである。つまり、製品の種類規格等は、ロス量とは何ら関係がなく、関係のあるのはただその重量だけであり、しかも単位重量あたりのロス量はすべて同一であるということに外ならないのである。

要するに、原判決の採用した総使用材料高から当期生産高を差引くという算式によってロス量を求めうるのは、同一種類の材料で同一製品を作る場合に限られると言うべきである。

しかるに本件においては、既に「被告人会社におけるロス発生」の項において述べた如く、材料は新塊、再生塊、屑の三種類があるが、その種類毎に単位重量あたりのロス量は異るのみならず同一種類の材料でも重量、品質、形状等が異れば、その単位あたりのロス量は異るのである。また製品である板と線とでは、単位重量あたりのロス量が異るのみならず、同一種類の製品でも、例えば板を例にとれば、円板と角板とコイルとでは単位重量あたりのロス量が異り、更に同じ角板、円板、コイルでも、規格等が異なればロス量も異るのである。

したがって本件において昭和三九年三月期のロス量およびロス率を算定するためには、生産条件についてはもとよりのこと、材料および製品についてもロス量に関係のある前述のごときすべての要素を組入れた算式によるべきであることは(1)で述べた通りであって、この要素を捨象した算式によっては、ロス量、したがってロス率も算定できないと言うべきである。

しかるに、前述の如く、原判決は材料および製品について、単にその重量のみを要素として取上げその他のロス量に関する要素をすべて捨象した。

(総使用材料高―当期生産高)÷自家鋳造スラブ出来高

なる算式を用いてロス量を出し、ロス率を算定しているのであるから、原判決のロス量なるものは当期の正しいロス量でなく、したがってロス率なるものも、当期の正しいロス率でないことは当然である。

即ち原判決は本件においてロス量およびロス率算定の法則に反した誤った算式を採用しているからである。要するに原判決のロス量なるものは前述の意味での正しいロス量ではないから、このロス量なるものに基づいて算出したとする数値なるものは決して当期のロス率ではあり得ない。このことはロス量なるものとの割合を何に求めたかに関係なく言いうることなのである。

したがって、原判決が「より直接的でより正確な数値がえられる」とする総使用材料との割合を求めたとしてもそれがロス率であり得ないことは敢えて言う迄もない。

原判決はその認定に係るロス率は、自家鋳造スラブ出来高の推計が合理的であるから、合理的であるとしているけれども、たとえ原判決所論の如く、かりに自家鋳造スラブ出来高の推計が合理的であるとしても、そのことが、ロス率そのものの合理性を理由づけることとならないことは今更論ずる迄もない。

したがって、かかるロス率にあらざるものを昭和三八年三月期及び同三七年三月期に適用したとしても(仮りにその適用条件が同一であるとしても)当該期のロス量は算出され得ないこととなる。

原判決が昭和三九年三月期のロス率は合理的であるが故に、このロス率を昭和三八年三月期および同三七年三月期に適用して得たロス量の推計は合理的である、したがって、期首棚卸の推計もまた合理的であるが故に、簿外在庫を確定しうるとした認定は、まさに論理法則と経験則に違背するものと言うべきである。

第三 ロス率を昭和三八年三月期・昭和三七年三月期に適用した原判決の誤り

前段で述べたところから昭和三九年三月期におけるロス量及びロス率なるものが、何らの意味も有しないものであることは明らかである。

しかも原判決は適用条件について何らの意図も払わず無限定的にこのロス率なるものを昭和三八年三月期、昭和三七年三月期に適用したことにおいて二重の誤りを犯したのである。

一 係数適用の条件について

A1という事実とA2という事実とが×という係数関係にあるということは(昭和三九年三月期の総使用材料高と総生産高とを対比しても意味ある係数にはなり得ない。これは前段で述べたことであり、ここでは措くとして)当然この係数をB1C2D3・・・という他の事実に適用してB2C3D4・・・という更に第三の事実を推計しようという目的を内包しているものといわなくてはならない。

もしそうでなければ単にA1なるときA2であったという他とは全く関連をもたない事実があったというに過ぎないのである。

したがって×が係数といいうるためにはA1A2という二つの事実が正確に確定されていることを当然の前提とするが、その以前にA1対A2という比率を問題とする以上、この対応関係を知ることに如何なる意味があるかが吟味されなければならないのである。

つまりA1対A2という割合を算出しても、B1対B2の場合にもC1対C2の場合にもこの割合が同一であるということが明らかにされない以上×なる数値は係数たり得ないのである。

卑近な例をあげよう。ある年の日本の総人口数、未成年者の総数が判明していると仮定する。ここからたしかにその時のわが国の未成年者人口の総人口数に対する割合は算出できる。

しかし、これを用いてたとえば同年におけるフランスの総人口数が与えられたと仮定しても、同国の未成年者総数は到底推計できないのである。よく言われるように少くともある時点において日本の年令別人口構成はピラミッド型であり、フランスのそれは“ちょうちん”型であることからそれは容易に肯定しうるところである。

つまり、わが国とフランスにおいては、歴年の出生率、死亡率等々を諸要因とする年令別人口構成が全く異るのであって、このように対応関係が存在しない場合、すなわち条件が同一でない場合には、さきのわが国において求められた総人口対未成年者人口の割合は、いかなる意味においても係数たり得ないのである。

二 本件における適用条件について

原判決は右の例でいうおよそ適用すべからざる場合に係数として用いたという致命的な誤りを犯したのである。

すなわち、原判決が推計によって確定したというロス量なるものは、材料から製品に至る全製造工程中に生じた筈のものである。

したがって製造工程のロス発生に関係するすべての条件の基準とした昭和三九年三月期と推計しようとする同三八年三月期と、また同三七年三月期と同一であることが立証されないかぎり、昭和三九年三月期におけるロス率なるものはそもそも係数として用いることのできないことは、以上述べたところから当然の帰結である。

ところが原判決はそのまさに根本であるロス発生条件が同一であることについては一切判断を示すことなく、推計をなしてしまったのであり、このこと自体、理由不備の違法と言う外ない。

しかも被告人会社におけるロス発生についての諸条件が各期毎に同一でなく大きな差異があることは後に詳述するところから明らかであり、原判決の誤りはこの点からでも容易に指摘しうるのである。

三 被告人会社の製造工程とロス発生との関連

被告人会社の製造工程の実情は、昭和四一年八月一一日検証調書(とくに別紙製造工程図面及び説明文)記載のとおりであり、とくにロス発生との関連から簡略に図式化すれば、次のとおりである。

ロス発生(歩留りと置き換えても同一である)にもっとも影響をもつものが生産工程の出発点である材料の如何とその到達点である製品の如何であることは既に述べたとおりである。

もし意識的に原判決が材料・製品の差異と言う要素を捨象したとするならば明白な誤謬を犯していると言う外ないのである。

アルミ線・棒・製造工程図

<省略>

アルミ板・円板・コイル製造工程図

<省略>

被告人会社において使用する材料及び製品が決して単一のものではなく多種多様のものであることも第一で述べたとおりである。以下ロス発生との関係で繁をいとわず簡略に再説する。

被告人会社で使用する材料が新塊及び再生塊とスクラップに大別されることは前述したところであるが、スクラップはそのままでは新塊と混入できないので一旦溶解炉にいれて溶解し、これを金型に入れて固め、なまこ型の再生塊とし、これと新塊とを混ぜて溶解し初めてスラブとするのである。

したがって、スクラップの場合には、再生塊にするために一回余計の工程を経ることが必要であるので、その間に生ずる熔解ロスの分だけ歩留りが悪くなる訳である。

しかも、スクラップと言っても購入スクラップは鍋・釜・空缶などアルミ以外の不純物を含み(他金属・塗料油等々)しかも雨ざらしになったため酸化されており、アルミ再生塊になる歩留りが悪いのに対し、生産工程中に生じた切り屑であるスクラップは右のような諸要因は少なく歩留りは良いという差異がある。

次に製品の違いがロスの発生にどのような影響を及ぼすかについて述べる。

被告人会社の製品が角板、円板、コイル、線、棒に大別され、しかもその長さ、厚さなどの規格が多様であることは前述したとおりである。

形状から言って角板、丸板は容易に判断し得るところであるが、コイルとは要するに長い帯状の板を切断せずにまきとったものと理解してよい。

また線部門の中には最短一〇〇米ないし最長二五〇〇米に及ぶ伸線されたワイヤーをそのまま巻きとる狭義の線と三〇糎ないし三米程度に切断した棒(バー)とがある。そして右の製品の差は当然歩留りの差になってあらわれてくるのである。

なんとなれば、板の場合の歩留りには素板から何程の内品が得られたかが勿論関係してくるのであるが、角板の場合には圧延工程の後に前後左右の耳を落すことで足りるのに反し、角板の場合には四角い素板から丸い製品をいわばくりぬくのであって歩留りが角板の場合に比較しはるかに小さいことは当然の事理である。コイルは長いものの切断をせず最終段階で両端の耳落しをするだけであるから一層歩留りはよい。

またワイヤーの場合には前述のとおり長いものを巻きとる訳であるが、一方バーの場合にはダイスをとおる時に生ずる前後の不整形部分を製品の長さごとに切り落して最終製品にするのであるからワイヤーに比較して歩留りはその分だけ悪くなるのである。(以上山崎弘の検察官に対する供述書甲一の2の24―昭和四〇年五月一五日付―第一〇項、甲一の2の25―同月二三日付―第一項)

右のように製品の種類如何によって歩留りが違うということは、結局断裁片の総量の違い、つまり総材料中に占めるスクラップの量が異ってくることになり、スクラップの場合は前述のとおり再生塊にするため余分に熔解ロスがでるのであるから、例え総材料の重量が一定であるとしてもその中にスクラップが何程の割合を占めたかが異ればロス量も当然それに応じて異ることは自明の理である。

しかのみならず、原判決は製品生産高を歩留り率で除すことによってスラブ出来高なるものを算出しているのであるから、それぞれ歩留りの異る各製品の構成比率に差異があれば、たとえ生産された製品の重量が同じであってもこれに必要なスラブ出来高はこれまた当然異ってくるのである。しかも、ロス量=スラブ出来高×二・七パーセントとして算出できるというのであるから、ロス量に影響してくるのである。

原判決は二九丁裏末行以降において「前記ロス率を算出するにあたっては、その要素たる生産高および歩留りの確定において、弁護人主張の生産条件の違いを考慮しているのであるから・・・」と述べている。

しかしながら原判決が考慮したというのは購入コイル方式・自家鋳造コイル方法・従前の小板方式によって歩留りが異ること(それにしても昭和三九年三月期は自家鋳造コイルの分が多くなったという一事から、前期より一パーセント向上という結論が証拠に基づかず何故出るのであろうか。全くの独断であり事実誤認である)。また板と線とでは歩留りが異ること、これだけである。

使用材料におけるスクラップの割合とか製品における角板、円板、コイル、線、棒等の構成比率についてすら全く考慮していないのである。(更に細分化された製品、材料の規格によって一層ロス発生の条件は異る)。

その重要性を知りながら、あえてこれを無視したとするならば論外であり、しからずとするならば、以上の各構成比が基準年度と推計年度とが同一であると言う想定をたてて結論したと言う外ない。

しかしながら刑事訴訟手続において証明を要しない事実は公知の事実、法律上の推定事実等に限られるのであって、まさに犯罪事実そのものに関連するロス発生の条件について想定、仮定が許されよう筈のないことは当然である。

したがって原判決の証拠に基づかないかかる想定の違法は明らかであり、しかもその想定は次のように関係各証拠を対比すれば容易に崩壊するのである。

四 適用条件が同一でない事実

先ず第一に各年度における製品の構成比を押4昭和三六年度売原簿・押14受領書(板橋)押19得意先元帳という客観的証拠に基づき集計すれば次のとおりである(ここでは簡略化するために角板・円板・コイル・棒・線に分類したにすぎないが、実際は厚さ、長さ等の規格はまちまちであってロス発生に影響する構造はさらに複雑である。なお円板(E)、コイル(C)、棒(B)の各数値については前掲証拠から一つ一つ拾い出して積算し、角板(P)、線(W)については変更冒陳の板、線の各合計教値から右の円板、コイル、棒分を差引いて算出した。昭和三九年三月期においては板橋工場送りの納付書控―押68―が昭和三八年一〇月一四日までしか存在せず、したがって右工場における通年の数値が出ないので前期二年度についてのみ対照することとしたが、これだけでも条件が同一でないことは明白に言いうる)

第1表

売上高表

<省略>

ところで、このように期によって製品の構成が異ることは発生スクラップの量及び割合が当然異ることになり、このことは当然購入スクラップ量にも影響する筈である。

なんとなれば使用材料たるスクラップにおいて両者は大数的にみて相互補完作用があるからである。つまり発生スクラップが多くなれば購入するスクラップは少くなり、前者が少なければ後者を多く購入して使用しなければならないという必要が生じるからである。

また、さきに繰り返し述べたように新塊と再生塊とでは熔解ロスが異り、さらにその前に再生塊にするためスクラップを熔解するのであるからスクラップは二重の意味で新塊よりロスが多いのである。

ところで使用材料高を直接証明する客観証拠が起訴事業年度においては欠如している。このことは原判決の認めるところである。

しかしながら原判決は基準年度である昭和三九年三月期と推計年度である昭和三八年三月期においては変更冒陳の数値ないしは推計をそのまま肯認し、同昭和三七年三月期においては右冒陳における計算違いを「別紙四の(一)ないし(五)昭和三七年三月期における製品、半製品の公表と実際との倍率二・六五を二・五八に訂正することにともなう棚卸関係計算書」においてなすことによって使用材料高がその種類別に認定できたというのである。

次の表中はいずれも変更冒陳、判決書別紙四の(四)をそのまま記載した期首と期末材料高、期中入出荷材料高でありはこれを差引計算した結果である使用材料高及びその構成比率を算出したものである。

一見して判るとおり材料の種類別構成比はこの三年度において全く異っている。

とくに注意すべきは前述のとおりロスの発生の大部分は熔接段階において生ずるものであるから、この工程においてロス発生条件の全て異る再塊のあるいは屑(ここでは購入スクラップ)の占める比率が基準年度と推計年度では全く異りまた推計年度間においてすら同一でないことである。

第2表

判決による全使用材料高表

<省略>

弁護人は右の各数値を決して正確なものとして認容している訳ではない。推計方法がおよそ誤っているという主張であるから当然のことである。

しかしながら、判決自体においてすら適用条件の相違が明らかにあらわれているという趣旨でここに指摘する訳である。

同様のことは他の点でも指摘できる。すなわち判決書二五丁七行目以下において、検察官のいうロス率そのものも昭和四〇年三月期においては二・三四四パーセント、同三九年三月期においては二・六九五パーセントと期によって同一でないことを認めているのであるが右のように異った二つの数値が両立しうるとする以上結局ロス率は作業条件によって異るという結果を肯認したことに外ならないのである。

五 (結語)

以上要するに、基準としたロス率そのものが意味のないこと、しかもこれを適用すべき条件がないにもかかわらず適用したことが明らかになった。

したがってまた起訴事業年度における期首棚卸が確定しえないことも同様明らかになった訳である。

論ずる迄もないことであるが、勘定科目の一たりとも確定しない以上、仮に他の科目が確定しえたとしても財産計算法上は所得額が確定し得ないのである。

結局、ほ脱額なるものは遂に認定しえず、本件有罪判決の基礎である「罪となるべき事実」そのものが存在し得ないという結論に到達する。

第四 原判決のいわゆる「合理的である」ことの不合理性について――結びにかえて――

原判決は前述のとおり昭和三九年三月期のロス率なるものが合理的であるとした点において、またそれを更に起訴事業年度に適用したことは合理的であるとした点において、重大な誤りをおかした。しかもそれと性質を同じくする誤りを「合理的である」とする認定において、随所におかしていると言うことが原判決の特色であり、このことが刑事判決として致命的欠点であると言える。

右のことを原判決中にあらわれた若干の事実に触れつつ、そのまさに不合理な所以を例証する。

(一) 昭和三九年三月期を基準年度としたことについて

原判決は、昭和四〇年三月期のロス率(二・三四四七パーセント)なるものより、同三九年三月期のロス率(二・七パーセント)なるものを、同三八年三月期に適用する方が被告人に有利であるから、合理的であるとしながら、更に同三七年三月期にも亦適用している。成る程昭和三八年三月期にかんする限りは、原判決の如く一見有利であるけれども、それは同時に同三七年三月期においては、不利を来すものであることは所得計算の原則上、自明である。原判決が昭和三九年三月期のロス率なるものを採用する方が同四〇年三月期のロス率なるものを採用するより、より合理的であるということを明らかにするならば格別何らこの点について論及することなく、しかも結果的には必ずしも被告人に有利と言えないにもかかわらず慢然と有利であるとして、昭和三九年三月期のロス率の適用を合理的であるとするに至っては批判の限りでない。

(二) スラブを基準としたことについて

また原判決は、昭和三九年三月期のロス率を自家鋳造スラブ出来高に対するロス量の割合を求めることにより算定しているが、この点につき、

「(なお、昭和三九年三月期において、総使用材料高に対するロス量の割合を求め、これを昭和三八年三月期に適用して同期のロス量を算出できればより直接的で、より正確な数値がえられるが、本件においては適用されるべき昭和三八年三月期の総使用材料高を直接確定すべき証拠がないので、検察官のように昭和三九年三月期の自家鋳造スラブ出来高に対するロス量の割合を求め、これを昭和三八年三月期に適用することもなお合理的なものと言うべきである)」としている。

まさにこれこそ合理的に非ざる非合理的な判断であると言わざるを得ない。

何となれば、自家鋳造スラブ出来高に対する割合を求めてロス率を出すことは、総使用材料に対する割合を求めた場合に比し昭和三八年三月期のロス量の数値をうるには「より間接的でより不正確である」と原判決が自認しながら「昭和三八年三月期の総使用材料高を直接確定すべき証拠がない」ことが何故にこのようなより間接的でより不正確な数値しか得られないとするロス率の適用を「なお合理的なもの」たらしめるのかについて何ら合理的な論拠を示していないからである。

(三) 使用スラブについて

原判決は基準となるべき昭和三九年三月期のスラブ面削前後の歩留りに関して一二〇キロの面削前スラブから面削後二六キロスラブ四本が得られるとし、その理由として被告人会社では、この種のスラブ(面削後のスラブの意)として「昭和三九年三月期においては二五キロのものおよび二七キロのものを使用していたことが認められる。」そこで「その中間の二六キロをとったと思われる検察官の主張は合理的なものというべきである」をあげている。

しかしながら判決の引用する押44・3・31棚卸の材料部分にある「スラブAL(二七K)の記載は二五キロスラブの箇所の「面削スラブ(二五K)」とは明らかに異り、「面削」なる語を用いていないのであるから、まさに面削前スラブを指すものであることは当然の理である。

しかるに原判決はこの異る両者を混同した誤りをおかしたものであるうえに、さらに数量にも大差があるこの二個の異質なものの単純平均を出して歩留りを算出するという不合理をもなしているのであって到底許されざる論理法則違背という外ない。

(四) 昭和三七年三月期期首の棚卸について

原判決は昭和三七年三月期期首の棚卸を推計する過程の中で実は求めるべき期首棚卸をその要素として使用しているのであって言わば「問いを以って問いに答える。」という論理法則違背をおかしているのである。つまり、ロス量算出の作業には当期生産高が何程かを知る必要がある。

当期生産高の算出には期末、期首の棚卸高を差引しなければ出て来ない訳である。

ところが昭和三七年三月期については何らの期首棚卸を示す資料がない。そこで検察官は製品、半製品の各公表棚卸高と実際棚卸高との相異の倍率なるものを昭和三八年三月期において求めこれを昭和三七年三月期の公表棚卸高に乗ずるという方法をとった。被告人会社において製品・半製品・材料の構成比が一年を経過しても全く同一であるなどと言えないことは検察官の変更冒陳の数値自体においてすら左のとおり明らかである。

第3表

各期製品・半製品構成割合表

<省略>

さきに述べた問いを以って問いに答えた結果はどうであるか。

六三トン九〇五・四二五キログラム対八一トン四九四・一〇九キログラム(そもそも検察官のような大雑把な前提をおいていながら、グラム単位迄推計できるなどということは誤差論を持ち出すまでもなく有り得ない空理空論と言う外ない)と二つの数値は大きく異っているものである。

この二つは昭和三七年三月期の期首棚卸であって他ではなく、同一の数量でなければならないことは言う迄もない。

原判決はこの矛盾を知りながら、函数的なものであるとか被告人に有利である云々とおよそ合理的な理由にはなり得ない論法を用いて糊塗したものである。

(五) 板橋工場の在庫想定について

原判決は本社工場の棚卸については、いかにも、もっともらしく諸係数を用いつつ推計をしながら、一転、板橋工場の在庫については、昭和三六年三月期末から同三八年三月期首まで証拠(押16、56)の存在する昭和三八年三月期首の在庫と数量・品質・種類・金額に至るまで同一と想定することも合理的なものとして許されるとしている(三〇丁八行目以下)。

しかしながら、その根拠としている甲一の2の18・19(五十嵐吉雄の供述調書)および証人甲川菊雄の供述を仔細に検討すれば、このような事実は到底推認できないばかりか、およそ経験則上現に生産をなしている工場の在庫が二年間をへだてて前述のように重量・品質・種類・金額において同一であるなどという想定は成り立ち得よう筈もないのである。

原判決の不合理な点は論じる迄もなく明らかである。

(六) 昭和三七年三月期未払金について

原判決は未払事業損、認定損は前期の実際所得を基礎として算出すべきであるとの弁護人の主張を容れ、昭和三六年三月期の実際所得を基礎として検察官の主張を修正したのが判決書別紙のとおりであるというのである。

しかして別紙六による昭和三六年三月期の所得なるものが一体実際所得といい得るであろうか。

然らずである、なんとなれば別紙六は検察官の推計方法によって算出した昭和三六年三月期期末(昭和三七年三月期期首)の棚卸から単純に甲一の2―五〇の棚卸高を差引き、これを甲一の2―五〇の調査所得金額に加えたものであるというのである。

しかしながら右甲一の2―五〇は査察官が独自の方法によって(いかなる方法か判明しないが検察官の方式でないことだけはその数量の差から言って明らかである。)棚卸を推計したものであって両者は関連性、連続性をもたない異質のものである。

弁護人は縷々述べたとおり判決の棚卸推計方法そのものを不合理なものと論証してきた訳であるが、判決が昭和三七年三月期、同三八年三月期の棚卸は推計によって確定しえ、その方法も合理的であるという以上、前期である昭和三六年三月期についても同様の方法によって期首棚卸を推計して初めて連続性をもつ同期の所得として確定したといい得るのである。

以上原判決の不合理な諸点を例証してきた訳であるが、原判決は単に「合理的である」との表現を使用すれば、それによって直ちに認定の合理性が保障されるとでも考えているのかと疑いたくなる次第である。

刑事訴訟において証明を要すべき事実についての認定が合理的であるとされるためには、その事実が合理的な疑いをさしはさむ余地がない程度に明らかにされることを要件とするものであることは、まさにその原則である。

原判決はいかなる意味においてもその存在が容認されるべき合理性を欠くものであるから速やかに原判決破棄無罪の判決がなされるべきである。

尚、原判決には簿外在庫と簿外預金の帰属について、重大な事実の誤認があるけれども、本件控訴趣意書において、敢て論及しなかった所以は、右推計の認定の不当性が論証されるならば、本件が無罪とされるにつき、右事実誤認を論ずる必要がないからである。

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