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東京高等裁判所 昭和49年(う)2304号 判決 1975年1月28日

控訴人 被告人

被告人 杉沢照雄

弁護人 稲垣總一郎

検察官 鈴木信男

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人稲垣総一郎が差し出した控訴趣意書に記載してあるとおりであり、これに対する答弁は検察官提出の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断をする。

一、控訴趣意第一点の一について

所論は、原判決はその判示第三、第四の各私文書偽造、同行使の点につき「弁護人の主張に対する判断」として、秋葉庄一の検察官に対する供述調書によれば、被告人があらかじめ秋葉庄一から供述書に署名することの承諾を得ていたとは認められない旨判示しているが、右の判示は、事実を誤認したか、証拠と認定事実の間もしくはその理由自体の前後の間にそごのある違法があるものであると主張する。

そこで、原審記録を調査検討し、当審における事実調の結果をも考え合わせ、所論の当否について判断するに、原審において取調べられた秋葉庄一の検察官に対する供述調書二通、被告人の司法警察員に対する供述調書三通ならびに検察官に対する供述調書二通、松本金次の司法警察員に対する供述調書、副検事鳥飼保作成の電話聴取書、前科調書、当審における証人秋葉庄一の供述、押収してある交通事件原票二枚(原裁判所昭和四九年押第一六〇号の三、七)、同じく破れたメモ(前同号の八)等を総合すれば、被告人は、昭和四四年ごろから千葉県内で大型ダンプカーの運転手をしていたものであり、同四八年五月ごろからは千葉市若松町の松本建材株式会社と継続的に契約を結び、同社が他から請負つている埋立て工事現場にダンプカーで山から土砂を運び売渡すことを業としていたものであること、ところで、被告人は、積載制限違反などを重ねて犯したため、昭和四八年八月一〇日から九〇日間運転免許停止の行政処分をうけていたが、その停止期間中にも運転をし積載制限に違反したため、同年一一月七日付で運転免許の取消処分をうけるに至つたこと、右のように免許の停止や取消の処分をうけ、免許証も取上げられたので、被告人は商売ができなくなり困つてしまい、そのことを同じようにダンプカーで松本建材に土砂を売渡すことを業としている仲間の秋葉庄一に打明けたこと、右秋葉は、同年一〇月か一一月ごろ被告人から右の話を聞き、被告人に対し、「運転をしていて警察官に聞かれたら俺の名前を言つてもいい。ただし、信号無視とか重量制限違反などのように減点になる違反をしたときは、俺の免許に影響して来るから名前を使われては困るが、免許証不携帯ということだけなら減点にならないから俺の名前を使つて取調べをうけてもかまわない。」と言い、被告人に自己の免許証を見せたり、住所、氏名、生年月日などを書いたメモを渡したりしたこと、そこで、被告人は、秋葉の住所、氏名、生年月日などを暗記し、いつでも答えられるようにし、運転免許を取消された後も、原判示第一の事実のとおり多数回にわたり無免許運転を続けていたこと、その間、昭和四九年二月二七日には、原判示第三のとおり、警察官から免許証の提示を求められたが、自宅に忘れて来たといい、秋葉庄一の氏名を用い、供述書に署名するなどし、積載制限違反により反則金八〇〇〇円ということで済んだこと、その後、同年五月二〇日にも、原判示第四のとおり、免許証の提示を求められ、同じように秋葉庄一の名前を用い、免許証不携帯により反則金二〇〇〇円ということでその場を切抜けたものの、その際の被告人の答弁に不審を抱いた警察官が捜査をとげ、本件の各事実が明らかになつたこと、以上の各事実を認めることができる(なお、右不携帯による反則金二〇〇〇円は、被告人が五月二〇日の夕刻逮捕されたので納付されるまでに至らなかつたものであり、前記二月二七日の反則金八〇〇〇円は被告人から一旦仮納付されたが、本件の事実関係が明らかになつた後昭和四九年五月二八日付で千葉県警本部長から被告人に対し是正通知が為され、同年六月一一日ごろ被告人に還付されたことが、原審記録ならびに当審における事実調の結果によつて明らかである。)。

右の事実によつて考えると、秋葉庄一が被告人に対し自己の氏名等を使用することを許諾したのは、免許証不携帯などいわゆる点数制度による加点のなされない違反事実によつて取調べをうける場合に限つてではあるが、単に警察官に対し口頭で住所、氏名等の申告をすることだけでなく、交通事件処理の際通常用いられる交通切符中の供述書末尾に署名をすることも含めて許諾したものと認めるのが相当である。

原判決は、秋葉庄一の検察官に対する供述調書のみに依拠して、原判示第三事実及び第四事実のいずれについても、秋葉庄一は被告人に対し供述書に秋葉の名義で署名することまで許容したものとは認められないとしているのであるが、右の認定は、違反が点数制度による加点の事由となる積載重量超過違反であつた原判示第三事実の場合においては、秋葉庄一はそもそも被告人が右のような場合に口頭で秋葉庄一と詐称することすら許容していなかつたのであるから、もとより正当な認定であり、これを論難する所論は失当というのほかはない。しかし、当面の摘発された違反が点数制度による加点の事由とはならない運転免許証不携帯のことのみであつた原判示第四事実の場合においては、原判決は、秋葉庄一において供述書末尾に秋葉庄一として署名することまでも許容していたのに、そこまでは許容していなかつたものとして事実を誤認したものというべきであるから、所論は、右のことを指摘する限りにおいては、理由のないものではない。

しかしながら、ひるがえつて、右第四事実の場合のように、道路交通法違反をした場合に、あらかじめ当該他人の承諾を得ておいたうえ、交通切符中の供述書の末尾にその他人名義の署名をして右供述書を作成した場合、右の他人の事前の承諾がどのような効果を及ぼすかは、さらに慎重な検討を要する問題であり、当裁判所は、以下の理由によつて、右のような場合には、他人の事前の承諾があつても、刑法一五九条一項の私文書偽造罪の成立を肯定すべきものと考える。すなわち、一般に文書の作成名義人の承諾があれば、文書偽造罪の構成要件該当性は失なわれるものと解されている。通常の私文書についてみれば、名義人の承諾があれば、その名義を直接用いて文書を作成する権限が与えられたとみてよく、そのようにして作成された文書は名義人について私法上の効力を生ずるのであり、当該文書に対する公共の信用が害されることもないから、文書偽造罪の成立を認めるべき理由はない。しかし、本件における供述書の場合、交通反則切符の二枚目表の交通事件原票(告知書番号八〇三一七五、東京高裁昭和四九年押第七七四号の三)下欄に道路交通法違反現認報告書の欄があり、その下部に、「違反者は、上記違反事実について、四九年五月二〇日次のとおり供述書を作成した」との記載があり、その下方に供述書(甲)と題し「私が上記違反をしたことは相違ありません。事情は次のとおりであります。」という不動文字が印刷されていて、その最下部に署名をすべきこととなつているものである。従つて、その書面としての形式、内容からすれば事実証明に関する私文書というべきものであるが、その内容は違反事実の有無等当該違反者個人に専属する事実に関するものであつて、通常の私文書とは著るしく趣きを異にし、専ら道路交通法違反事件処理という公の手続内において用いられるべきものである。私人間において授受され、その効力が問題となるものではない。その性質からして、名義者本人によつて作成されることだけが予定されているものであり、他人の名義使用は許されないものといわなければならない。いいかえれば、名義人の承諾があつても、その名義を用いて供述書を作成する権限は生じ得ないものというべきである。いかに本人が承諾したからといつて、実際には違反をしていない者につき、違反者としての手続が進められるのを放置してよいとは考えられず、本件のような供述書が名義人につき効力を生ずることはあり得ないのであつて、結局、本件のような供述書作成によつて、供述書に対する公共の信用が害されることは明らかなところである。以上のように考えれば、原判示第四の事実については、秋葉庄一の事前の承諾にかかわらず、被告人は権限がないのに他人の署名をしたものと認めるべきであり、原判示のように私文書偽造、同行使の各罪が成立することは当然といわなければならない。

とすれば、原判決が弁護人の主張に対する判断としてした認定判断は前記のように誤認した事実を前提としてなされたもので失当であつても原判決が判示第三事実においてはもとより当然のこととして、第四事実においても私文書偽造、同行使の各罪の成立を認めたことは相当であるから右の誤りは判決に影響を及ぼすものではないといわなければならない。論旨は結局理由がないことに帰する。

二、控訴趣意第一点の二について

所論は、原判決はその判示第二の積載重量制限超過の点につき「弁護人の主張に対する判断」として、期待可能性の有無を論ずる余地はないとし弁護人の主張を排斥しているが、右は前提事実の認定を誤り、期待可能性の有無の判断を誤つたものであると主張する。

そこで、原審記録を調査検討し、所論の当否について判断するに、原審における証人若菜一雄の供述、被告人の検察官に対する昭和四九年五月二八日付供述調書、被告人の原審ならびに当審における各供述等を総合すれば、被告人は、大型ダンプカーを所有し土砂を建設業者の工事現場に運搬して売渡すことを商売にしていたものであり、右ダンプカーの購入代金を毎月一八万円づつ支払わなければならず、そのほか車の修理代やガソリン代などを考慮し、家族との生活費をも考えれば、月に四、五〇万円程度の収入を必要と考えていたこと、そして、積載制限を大幅に超過して連日稼働すれば右程度の収入を挙げることが可能であるが、積載制限の範囲内で稼働したとすれば、右の収入を得ることは困難な状態にあつたことが明らかに認められる。しかしながら、原判示第二の日時において、被告人が既に運転免許を取消されていたことは、本件記録上明らかなところであり、被告人としては、他の運転手を雇うか、そうでなければダンプカーを処分して転職をはかるのが当然であつた。このような状況を前提にして考えれば、被告人が原判示第二のような積載制限超過の運転をしたことが、全く無理もないことであり、それをしないことが全く期待できないものであつたとは到底認めることができない。また、無免許の点を抜きにして考えてみても、積載制限違反の運転をすることがある程度無理もないことであり、それをしないことを期待するのが困難であるとは認められるが、その期待が全く不可能であるとは考えられない(車の月賦代金を毎月の収入で支払おうとする点にも問題がある)から、本件積載制限違反の罪の成立を否定すべきものということはできない。

以上のとおりであるから、原判決の判断は、その理由とするところの当否はともかく、期待可能性の不存在による犯罪不成立の主張を斥けた点の結論において相当というべきであるから、判決に影響を及ぼすべき誤認、違法は認められず、論旨は理由がない。

三、控訴趣意第二点について

所論は、量刑不当を主張するものであるが、原審記録によれば、被告人には昭和四一年以来道路交通法違反の罰金前科が八犯もあり、控訴趣意第一点の一に関して前記したような経緯によつて運転免許の取消をうけたのにかかわらず、原判示第一のとおり、半年以上もの間、連日のように長距離の区間にわたり大型貨物自動車の運転を続けていたものであり、また、原判示第三、第四のように、警察官の取調をうけた際二度にわたつて他人の氏名を使用した供述書を作成し、同第二のとおり積載制限にも違反したものであつて、このような前科や事案内容からすれば、原審の量刑は相当といわなければならない。所論のうち、違法な積載をしないかぎり発車させない親方に責任があるとの点は、積載制限違反の認定事実が原判示第二の一度だけであり、しかもその際の運転は平常の稼働先の仕事ではなく臨時の仕事であつたという記録上明らかな事実にかんがみ理由がなく、また、免許の停止、取消処分の不当性をいう点も、被告人自身の違反を棚上げにして他を非難するものであり、理由のないことが明らかである。被告人が運転による事故を起してはいないこと、現在は車を処分して土工をしていること、被告人の家庭には妻と三人の幼児がいて被告人の収入に依存していることなどの点は、酌量すべき情状として記録上認められるところであるが、これらの点を十分に考慮してみても、原審の言渡した刑が重すぎて不当であるとは認められず、当審においてこれをさらに減軽しあるいは執行猶予を付すべき事由があるとも認められないから、量刑不当をいう論旨も理由がない。

以上のとおり、論旨はいずれも理由がないから、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することにし、主文のように判決する。

(裁判長裁判官 上野敏 裁判官 綿引紳郎 裁判官 千葉裕)

弁護人稲垣總一郎の控訴趣意

第一事実誤認ないし理由齟齬

一、原判決は昭和四九年五月三一日付起訴状記載公訴事実第二ならびに昭和四九年六月一五日付起訴状記載公訴事実第三の有印私文書偽造・同行使罪につき、被冒用者秋葉庄一の事前の承諾を得ていなかつたと認定し被告人を有罪としているが、右認定には事実誤認ないし理由齟齬の違法がある。

すなわち

原判決は秋葉庄一の検察官に対する供述調書を引用して、同人は行政処分によつて減点される場合を除いて警察官に免許証呈示を求められた際には、自己の氏名等を使用して不携帯申告することを被告人に対して許諾していたものと認定し、更にその許諾には当然のこととして本件犯罪事実となつている供述書末尾に、自己の氏名を署名することまで包含されているものと推認されないではないとしながら一転して、警察官が立ち入つて調べれば容易に無免許の事実が発覚し、秋葉の憂慮する事態を招来すべきことは見易い道理であるから、元々被告人の窮境に対する同情に出でた秋葉としては、そこまで深く考えず軽い気持で許諾を与えたにすぎないこともまた右調書から窺われるので、前記供述書末尾に署名することまで許諾したものではないと認定するに至つて居り、原判決は要するに警察官が立ち入つて調べれば容易に被告人の無免許事実が発覚するから、秋葉としては自己の署名を許諾する筈がない。このことは秋葉の供述調書全体から窺われると言うのであるが、この論理は秋葉庄一の検面調書で秋葉が検問の際、自己の氏名を詐称することを許諾していた旨の供述と矛盾するものであるから、秋葉の気持を右のように推認するには、明確に巻き添えになるのは困るので許可しなかつた旨の矛盾した供述がある場合に初めて、両矛盾供述間の真意を推測する事は可能であるが、原判決は何ら特段の矛盾供述を挙げることなく、(秋葉の検面調書に右のような明確な矛盾供述はなく、単に減点になる場合だけ制限していたにすぎない。しかもこれは減点にならない場合の矛盾供述ではない。)

更に憂慮すべき事態の招来の内容も明らかでなく、一方的に裁判官の信念として許諾するはずがないと断定しているにすぎず、この点において原判決は証拠に基かず認定した違法がある。

更に原判決に於て被告人が、警察官に免許証呈示を求められたときには、秋葉の氏名を用いて不携帯申告することを秋葉が許諾していたものと認定していながら、容易に発覚するものであるから署名まで許諾していなかつたと言うのであるから、原判決は単なる不携帯申告(しかも秋葉の氏名を詐称しつつ)で署名を拒めば発覚は容易ではなく、署名まですると発覚が容易になるという二段階があることを前提とし、署名まで進まぬ第一段階まで許諾したものにすぎないとする二段階論に立たぬ限り、論理矛盾の違法があると言わねばならない。ところで右のような二段階が存在しないことは、これこそ経験則上当然の自明の理であるから、結局に於て原判決には理由齟齬の違法があると言わざるを得ない。

以上のとおりで原判決中、有印私文書偽造・同行使の各罪については、判決に影響を及ぼすべき事実誤認又は理由齟齬があるから破棄さるべきである。

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