東京高等裁判所 昭和49年(う)284号 判決
被告人 前沢虎義
〔抄 録〕
第一、原判決に、内乱罪につき管轄を認めた違法があり、かつ法令適用の誤りがあるとの主張について
所論は要するに、被告人の本件各行為は内乱予備罪(刑法第七八条)を構成し、本件の延長線上には内乱罪(同法第七七条第一項)としての「連合赤軍」によるいわゆる「あさま山荘事件」があったのであって、本件各行為についてはこの点までとらえたうえ評価をなすべきものであり、本件は内乱罪に吸収され、結局被告人は、その加功の程度からみて、内乱につき、「その他諸般の職務に従事した者」(同法第七七条第一項第二号)にあたるというべきであり、さらに検察官の主張は、本件公訴事実においてすでに内乱予備罪を訴追しており、また罪名、罰条は単なる裁判所に対する上申意見にしか過ぎず拘束力はないのに、原審は、少なくとも内乱予備罪の構成要件事実の存在を無視して漫然審理のうえ、被告人を殺人等の罪に擬律したものであって、内乱罪につき第一審裁判権を有しない原審は本件につき管轄違の言渡しをなすべきであったのに、被告人の本件各行為につき殺人等の罪名により審判した原判決には、不法に管轄を認めた違法があり、かつ法令の適用に誤りがあって、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。
そこで先ず被告人の本件各行為が所論のように内乱罪ないしその予備罪に該当するか否かについて検討するに、内乱罪はいわゆる目的犯であって、暴動が朝憲の紊乱を目的としてなされることを要し、かつそれで足りるものと解される。ところで、右の朝憲の紊乱とは、日本国の政治的基本組織を不法に破壊することを謂い、政府の顛覆、邦土の僣窃はその例示にほかならないのであるが、朝憲紊乱を目的とするというのは、これを直接の目的とすること、すなわち直接的に日本国の政治的基本組織を改変しようとする目的でなければならないのであって、これを直接の目的とせずに、その暴動を機縁としてあらたに発生するであろう他の暴動によって朝憲を紊乱する事態の現出を期するのは、内乱罪にあたらないものというべきである(大審院判決昭和一〇年一〇月二四日、刑集一四巻一、二六七頁参照。)。(なお右の暴動とは、多数人が結合して行なう暴行・脅迫であるが、少なくともある一地方の平穏を害する程度になったものであることを必要とするものと解するのが相当である。)従って内乱罪が成立するためには、暴動が朝憲紊乱を直接の目的として行なわれることを要するとともに、暴動も、朝憲紊乱という特定の目的を共同にもつ集団的行動であることを要するところから、態様としてある程度組織化されて然るべきであり、また右朝憲紊乱の目的を達成するに足る相当な規模をもったものでなければならないこととなる。また内乱予備罪は内乱罪の実行を目的とする準備行為で実行の着手前の段階のものをいうが、内乱予備罪が成立するためにも、右のような直接的な朝憲紊乱の目的をもって、内乱たるにふさわしい態様と規模をもつ暴動の準備をしたことを要することは当然である。しかし記録を精査し、かつ当審における事実取調の結果に徴しても、被告人の本件各行為が内乱罪ないし内乱予備罪に該当するとは到底いえないところである。すなわち、原判決の摘示するところによれば、
被告人の所属したいわゆる革命左派と赤軍派とが合体して結成することとなった新党派(これが世上連合赤軍と呼ばれることになる。)は、所論のように、銃をとって直接権力機関に打撃を与える武装ゲリラ闘争を拡大展開していき、遂に敵権力を打倒し、プロレタリアート独裁を実現するところにのみ、革命実現の途があるものとする、いわゆる銃を軸とするせん滅戦なる革命路線をとったとし、新党派が武装ゲリラ闘争の早急な開始を望んでいたもので、構成員の共産主義化は、どうしても必要であるから、これまでとは質的に異なる一挙的・徹底的な共産主義化のための総括が、しかも迅速になされなければならないということになってきており、新党派こそ日本武力革命を達成する唯一の中心的勢力であって、その崩壊は該革命自体の挫折にほかならないと説かれていたとされる。しかしこのような被告人らの目的・意図は、単に新党派(連合赤軍)の理論的性格のものであって、綱領として具体的に決定されたものではなかったのみならず、その後原判決が摘記しているように、暴力的総括へと転落しているのである。また武力革命を指向していたとはいえ、日本国の政治的基本組織を不法に破壊するに足る直接的な暴動行為を企図していたものとまでは到底いえないし、また記録上これを認めるに足る証拠も存しない。従って被告人らには、内乱罪ないし内乱予備罪の成立に必要な朝憲紊乱の直接的な目的があったものと認めることはできない。さらに被告人の所属した新党派(連合赤軍)の組織の実体についてこれをみるに、記録によれば、革命左派の軍事組織である人民革命軍(被告人は右人民革命軍の隊員であった。)と赤軍派の軍事組織である中央軍とが合体して結成した連合赤軍の構成員は、その結成時においても二八名にすぎず、しかも本件傷害致死、殺人等のいわゆる「リンチ殺人事件」による死亡者や被告人を含む脱落(もしくは脱走)者などがあって、その数は次第に減じていき、結局最後まで各山岳ベースにとどまった集団はわずか一〇数名であり、また右連合赤軍が小袖・塩山・丹沢・井川の各ベースを経て、榛名山・迦葉山の各山岳ベース内で所持・保管していた武器類は、最終的には、散弾銃九丁(散弾銃用実包約八〇〇発)、ライフル銃一丁(ライフル銃用実包三〇数発)、けん銃一丁(けん銃用実包約五〇発)、手製爆弾約八個、ダイナマイト二〇個ならびにその使用に供すべき導火線四本、雷管一一九個、黒色火薬約八キログラム等だけであったことが認められるのであるから、右の程度の新党派(連合赤軍)の人的構成および武器または器具類を有するにすぎない組織をもってしては、前記の朝憲紊乱を直接の目的とした態様と規模をもった暴動を行なうのに必要かつ十分であるとは到底いえない。そして被告人の原判示各所為についてこれをみるに、記録によれば、「リンチ殺人事件」とよばれる原判示第二の(一)ないし(九)の傷害致死、殺人、死体遺棄の各事実は、いずれも新党派(連合赤軍)が、武装ゲリラ闘争の早急な開始のために、各構成員の一挙的・徹底的な共産主義化のため総括を、しかも迅速にしなければならないということになり、その総括を行なう過程でなされた犯罪であって、組織内部で行なわれたものであり、内乱ないしその予備とは無関係の犯罪行為であることが明らかであり、また原判示第二の(一〇)の爆発物取締罰則違反、火薬類取締法違反、銃砲刀剣類所持等取締法違反の各事実は、権力機関に直接的な打撃を与える攻撃を加える際使用する意図をもって、手製爆弾約八個、ダイナマイト二〇個、雷管計一一九個を共同して所持したほか、法定の除外事由がないのに、黒色火薬約八キログラム、ライフル銃、けん銃各一丁および散弾銃九丁等を共同して所持していたことを内容とするものであり、原判示第二の(一一)の森林法違反の事実は、人里離れた山奥において、軍事訓練を含めた革命運動をするためのベース建設資材として使用するために保安林内の立木を伐採したことを内容とするものであるが、これだけの行為では、内乱たるにふさわしい態様と規模をもった暴動を、直接的にわが国の政治的基本組織を改変しようとする目的で行なう準備行為としての要件を具備しているものとは認められず、従って内乱予備罪には該当しない。また原判示第二の(一二)の有印公文書偽造の事実についても、仮りに所論のようにベースでの生活、革命活動のためになしたものであったとしても、内乱予備罪の成立に必要な前提要件を具備していないことが明らかであるから、内乱予備罪にはもとより該当しないものというべきである。(なお所論の「あさま山荘事件」とよばれる事実については、被告人はこれに関与しておらず、従って訴追もされていないので、ここで論及する限りでない。)そして被告人の本件各行為が右のように内乱予備罪に該当しないのみならず、仮りに所論のように、その延長線上に右「あさま山荘事件」があったとしても、被告人の各行為について、訴追もされていない右事件までとらえたうえ、その評価をなすべきものとは到底いえないところであって、従って所論のように、本件各行為が内乱罪に吸収され、その加功の程度からみて、被告人が内乱につき、「その他諸般の職務に従事した者」(刑法第七七条第一項第二号)にあたるなどとはもとより解しえない。
次に記録によれば、検察官は原審に対し、被告人の各所為を内乱もしくは内乱予備として訴追せずに、傷害致死、殺人等の罪名をもって起訴していることが明らかであって、所論のように、検察官の主張が公訴事実においてすでに内乱予備罪を訴追しているものとは到底解されない。所論は、罪名、罰条は単なる裁判所に対する上申意見にしかすぎず、拘束力はない旨主張するが、罪名、罰条は訴因の法律構成を明確にするために記載されるもので、訴因と離れて独自の意味をもつものではなく、とくに罰条の記載が、刑事訴訟法第二五六条第四項但書の趣旨に照らし、訴因の記載に対する附加的、補充的なものであることはもとより否定できないが、これによって被告人に検討の機会を与え、被告人の防禦権行使を容易ならしめようとする趣旨も含まれていると解されるのであるから、罪名、罰条は所論のように単なる裁判所に対する上申意見にしかすぎないものであるとはいえないことは明らかである。そして記録を調査すると、本件は傷害致死、殺人等被告事件として原審に起訴され、原審において公訴事実に対する審理がなされたうえ、原審が事物管轄を有するものとして、被告人を右公訴事実と同一の事実である傷害致死、殺人等の罪に擬律したことが明らかであるから、原審が本件につき管轄があるものと解して審理、判決をなし、所論のような管轄違の言渡をしなかったのは正当であって、原判決にはなんら所論のような法令適用の誤りはないといわなければならない。
以上のとおりで、所論は、立論の前提を欠くかまたは独自の見解であるというのほかはなく、原判決には所論のように不法に管轄を認めた違法もなければ、また法令適用の誤りも存しない。論旨は理由がない。
(石田 柳原 小林昇)