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東京高等裁判所 昭和49年(う)688号 判決 1974年11月26日

控訴人 検察官

被告人 西沢久利

弁護人 儀同保

検察官 鈴木信男

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一五、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審および当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検察官検事鈴木信男が差し出した東京地方検察庁検察官検事伊藤栄樹作成名義の控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断する。

控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違反ないし事実誤認の主張)について

所論は、原判決が、被告人に対する本件酒酔い運転の公訴事実につき、警察官によつて採取された被告人の本件尿は、被告人に対し偽計を用いこれを錯誤に陥し入れて採取したと同様のものであり、かつ尿中のアルコール度を検査する真意を告知すれば被告人がこれに応じないことが推認される場合であるのに、令状なくして採取したことは、憲法三五条、刑訴法二二二条(原判決は二一三条と記載しているが、これは明らかな誤記と認められる。)、二二五条または二一八条等の定める令状主義の原則を潜脱し、憲法三一条、刑訴法一条の要求する適正手続にも違反するものであるから、右尿は事実認定の証拠としては使用できないものであり、右尿中に含有するアルコールの程度の鑑定結果を記載した鑑定書も、右尿と同じく事実認定の証拠とはなしえないものと判断し、結局被告人が酒に酔いまたは酒気を帯びて、身体に呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを保有する状態にあった事実が認められないとして、無罪の言渡しをしたのは、憲法、刑訴法の解釈を誤って採証法則に関する訴訟手続の法令違反をおかし、ひいては事実を誤認したものであつて、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないと主張する。

そこでまず、本件において問題となる尿の採取及び鑑定の各過程について検討するに、原審証人佐藤恵一、同矢崎武一、同吉田征二、同安田春男の各供述、当審証人長谷川治寿、同矢崎武一の各供述、安田春男作成の鑑定書二通、司法警察員作成の鑑定嘱託書謄本、当審において取調べた被疑者留置規則実施要綱(昭和四二年五月二五日通達甲三号)謄本、警視庁刑事部刑事管理課長作成の「玉川警察署被疑者留置運営内規の報告受理について」と題する書面、警視庁玉川警察署長作成の「玉川警察署被疑者留置運営内規の送付について」と題する書面、「玉川警察署被疑者留置運営内規の制定について」と題する書面(右内規を含む)謄本を総合すれば、次の事実が認められる。即ち、被告人は、昭和四七年九月一九日午前〇時四四分ごろ、東京都世田谷区用賀四丁目一一番二号付近道路上において、酒酔い運転の現行犯人として警察官に逮捕されたものであるところ、酒酔いの事実を否認し、呼気検査に応ぜず、玉川警察署に連行されてからも右検査を拒否していたが、同日午前二時五分ごろ同署留置場に入監させられたこと、当時玉川警察署留置場における夜間の留置人の処遇は、被疑者留置規則(昭和三二年国家公安委員会規則四号)、前記被疑者留置規則実施要綱および玉川警察署被疑者留置運営内規に則って行われていたが、留置人の夜間の用便に際しての処置について、右要綱第三、看守の項の「13看守者の遵守事項」中の(15)には、「夜間、留置人が不時に疾病、用便等を訴えたときの留置人の出房は、必ず幹部の指揮を受け、他の看守者立会いのうえ措置しなければならない。」と規定されており、また右内規二一条には、「看守者は夜間宿直体制に入つてからの留置人の起床、就寝、用便、急病等に際し、必ず宿直幹部の立会いを求めてこれらを行う」べき旨定められていたこと、なお同署留置場の房内には便所が設けられていなかったこと、当夜同署留置場において看守勤務についていた矢崎武一巡査は、被告人の入房に先立ち身体検査をした際、入房後不時に被告人から用便の申出があると宿直幹部の立会が必要となるので、入房前に用便をさせておくのがよいと考え、被告人に対し「トイレに行くか」と尋ねたものの、被告人が「行きたくない」と答えたので、午前二時二〇分ごろ同人を入房させたところ、ほどなく被告人から用便の申立があったので、前記諸規定に則り宿直幹部の立会を求めるため、留置場備付けのインターホンで宿直事務室に連絡をしたが、応答がなくその立会が得られなかつたため、被告人に房内で用便をさせようと考え、以前留置人が病気のときに使用したおまる様の便器がたまたま留置場横の物入れに保管されていたので、その便器を出して被告人に渡し、立会幹部が来られないからこの便器の中に尿をしてくれと告げたところ、被告人は午前二時三〇分ころ房内において右便器内に排尿し、排尿した右便器を矢崎に引き渡したこと、当夜内勤宿直主任(宿直幹部)として勤務していた警察官長谷川治寿は、前記のように玉川署に連行されて来た被告人の取調べに当り、これを終えて午前二時二〇分ごろ事務室に戻った際、警視庁から神田警察署管内の派出所に爆弾が投入されたので庁舎等を警戒するようにとの緊急電話指令が入つていたことを知り、これに基づき警察署庁舎および付属施設周辺の警備を実施すべく、直ちに宿直警察官を指揮して庁舎周辺等を巡視点検させ、自らもその巡視に出て午前二時四〇分ころ事務室に戻つたなどの事情があつたため、同人をはじめ他の宿直幹部はいずれも矢崎の前記インターホンによる連絡を知らず、被告人の用便の立会に行けなかつた状況にあったこと、前記矢崎巡査は、被告人を入監させる際、交通係の召田巡査より、被告人が酒酔い運転の容疑で逮捕され入監する者でアルコール度の検知が未了であることを告げられ、被告人から用便の訴えがあつたときは小便をとつておいてくれとの依頼を受けていたので、被告人の排泄する尿がアルコール度を検定する資料に用いられることはその予想するところであつたが、前記のように被告人が用便を訴えた際には、右のことには触れず、前記のとおりのことのみを申し向けて便器を差し入れたこと、そして同巡査は、召田巡査より前記の依頼を受けていたため、被告人から受け取つた右便器内の尿を便所に流すことをせず、便器はふたをして看守室に置き保存したこと、そして同日午前五時ころ宿直事務室に尿をとつてあるから取りに来るようにと連絡したところ、同署交通係の吉田巡査が牛乳の空瓶を持つて留置場に来て、便器内にあつた尿の全量を右牛乳瓶に移し入れ、その口をビニール製の袋で塞ぎ輪ゴムでとめて持帰り、同日午前九時三〇分ころ前記召田巡査とともに右牛乳瓶入り尿及び鑑定嘱託書を携行して玉川警察署を出発し、警視庁科学検査所に行つて係官にこれを渡し鑑定を依頼したこと、同検査所第二化学科主事安田春男作成の昭和四七年九月二八日付鑑定書は右牛乳瓶入り尿(容量約五〇ミリリツトル)を資料としてした鑑定結果を記載したものであること、その他被告人は、現行犯逮捕された現場で警察官がうがい用に差し出した水筒の水を飲み干したほか、玉川警察署に到着後調室内洗面所において湯のみ茶碗に四杯の水を飲み、その後取調を受けている途中に捜査係の室にある便所に排尿に行き、これを終ってのち水道の蛇口に口をつけて若干の水を飲んだこと、以上の各事実を認めることができる。被告人は、原審並びに当審公判において矢崎巡査から便器を差し入れられたことは記憶にあるが、その中に排尿をした記憶はないと供述し、弁護人は、入監前に大量に水を飲んだ被告人の排尿の量がわずかに五〇ミリリツトルであることはあり得ないことであり、被告人の供述をも総合して考えれば、本件において鑑定の資料とされた尿が被告人の尿であるということはすこぶる疑わしいというが、被告人の原審並びに当審におけるこの点に関する各供述は、その他の証拠と対比して到底信用できないものであり、入監前に相当量の水を飲んだ事実があつても、前記のとおり入監前に一度捜査係の室の便所において相当量の排尿をしたことが認められる本件の場合においては、入監後二五分位を経過した時点における排尿の量が五〇ミリリツトルであつても、異とするには足りないと考えられるのであるから、弁護人の所論は容れることができない。弁護人は、また、召田巡査からの依頼により被告人の尿を保存することを予定していたその矢崎巡査が被告人の用便に際し宿直幹部の立会を求めたということは、あり得ないことである旨、及び、そもそも前記被疑者留置規則実施要綱及び玉川警察署被疑者留置内規中の留置人の夜間の用便に関する規定は、いずれも、刑訴法に根拠を有しない違法な規定であるのみならず、憲法の保障する基本的人権、特に生理に関する自由を侵害するものである旨論ずるが、右要綱及び内規は、国家公安委員会が警察法五条一、二項、同法施行令一三条に基づき逮捕された被疑者の留置を適正に行うため必要とする事項を定めた昭和三二年国家公安委員会規則四号、被疑者留置規則等に根拠を有するものであつて、それらの中の夜間の用便等につき宿直幹部の指示を受けることまたはその立会を要する旨の定めは、事故防止の見地からするそれなりの合理的理由のある規定であつて、疾病等でやむを得ない者については房内で便器を使用させることができる旨の規定(要綱13の(16))があることに徴すれば、本件のように宿直幹部の立会が得られない場合に応急措置として房内において便器を使用することを禁ずる趣旨のものとも解せられないのであるから、その規定自体は、人の生理の自由を特別に侵害するものとはいえず、これを違法、違憲とする理由はない。また矢崎巡査は、留置人の夜間の用便については宿直幹部の立会を要する定めになつているため、一応形式的に宿直事務室に連絡を取つたとみられるのであつて、召田巡査よりあらかじめ被告人の尿を採取保存することを依頼せられていたにかかわらず、宿直事務室に連絡したことを架空の全くの虚構のことであるといわなければならない理由はないのであるから、叙上の点に関する弁護人の所論もまた容れることはできない。

そこで、以上の事実関係を前提として、本件尿の採取行為の適法性及び安田鑑定書の証拠能力の有無について考えてみるに、被告人が現行犯逮捕の現場においても、玉川警察署に連行されたのちにおいてもその呼気検査を拒否し続けていたことは前段認定のとおりであるが、前段認定のとおりの尿の採取経過によつてみれば、本件尿の採取は、酒酔い運転の罪の容疑によつて身柄を拘束されていた被告人が、自然的生理現象として尿意をもよおした結果、自ら排尿の申出をしたうえ、看守係巡査が房内に差し入れた便器内に任意に排尿し、これを任意に右巡査に引渡したことに帰するものであつて、この採取行為を違法というべき理由を発見することはできない。原判決は、立会の幹部が来られないというのは単なる口実であるといい、本件尿は、偽計を用い被告人を錯誤に陥し入れて採取したのと同様であるとするが、立会の幹部が来られないということが単なる口実ではなかつたことは、前段認定のとおりであるばかりでなく、被告人が尿意をもよおして排尿を申し出て排尿した尿であることは、右のことの如何にかかわらず動かし難い事実である。もつとも、看守係の矢崎巡査が、被告人の尿がその中に含まれているアルコール度検出のための資料とされることを知りながら、そのことを告げないで便器を差し入れたことは前段認定のとおりであり、原判決も、被告人の原審公判廷における供述を根拠として、「被告人は自己の尿中にあるアルコールの程度を検査する意図であることを知ったならば、尿の排泄を断念するか、あるいは排泄した尿を任意に捜査官に引き渡さなかつたものと推認できる」とし、右の点においても被告人を錯誤に陥し入れたことになるものとしていると解せられるが、本件被告人のように、酒酔い運転の罪の容疑によつて身柄を拘束されている被疑者が自然的生理現象の結果として自ら排尿の申出をして排泄した尿を採取するような場合、法律上いわゆる黙秘権が保障されている被疑者本人の供述を求める場合とは異なり、右尿をアルコール度検査の資料とすることを被疑者に告知してその同意を求める義務が捜査官にあるとは解せられないのであるから、右のことを告知して同意を求めなかつたことをもつてその採取行為を違法とする理由の一とすることはに賛同できない。特に本件被告人の場合は、容疑事実を否認していたことは別としても、呼気検査を拒否したばかりか、逮捕後大量の水を飲み体内のアルコール度の稀薄化を意図していたと認められるのであるから、尚更である。

弁護人は、本件の場合、被告人は、その尿が便所に捨てられると思つていたから便器に排尿したもので、これを検査に使用するといえば当然に反対することが予想された場合であるから、便所に捨てるというような道徳上または常識上承認される処置を完了するまでは、被告人が排泄した尿は、排泄者たる被告人の占有に属した物であり、これについて適法な法的手続をとらず、勝手に検査の用に供した措置は違法であると論ずるが、各人がその自宅の便所以外の場所において日常排泄する尿の如きものは、特段の意思表示のない以上は、排泄の瞬間にこれに対する権利を放棄する意思をもつて排泄するというのが社会常識上も首肯できる解釈であり、被告人の場合もその例外ではなかつたと認むべきであるから、排泄後の占有が依然として被告人にあつたことを前提とする所論は、採ることができない。

これを現行刑訴法上の立場から考えても、理論的には、裁判官の発する鑑定処分許可状・差押令状を得てこれを採取することその他の方法が考えられないではないとしても、刑訴法二一八条二項が「身体の拘束を受けている被疑者の指紋若しくは足型を採取し、身長若しくは体重を測定し、又は写真を撮影するには、被疑者を裸にしない限り、前項の令状によることを要しない。」と規定していることとの対比からいつても、本件の場合のように、被疑者が自ら排泄した尿をそのまま採取しただけでその身体を毀損するなどのことの全くないものは、むしろ右二一八条二項に列挙する各行為と同列に考えるのが相当である。その他、酒気帯び状態ないしは酒酔い状態の有無は、他の徴憑によつてこれを判定することが不可能でない場合においても、できる限り科学的検査の方法によつて明らかにされることが望ましいところ、尿はその性質上飲酒後の時間の経過とともにアルコールの含有量を漸減して行くものであつて、飲酒後なるべく早い時間に採取される必要性、緊急性があることも、考慮に値いしないことではなく、上述のところを彼此総合すれば、本件のように、酒酔い運転の罪の容疑により身柄を拘束されている被疑者が、自然的生理現象の結果として自ら排尿方を申し出て担当看守者が房内に差し入れた便器内に排尿した場合に、担当看守者が尿中のアルコール度を検定する資料とする意図をもつて右便器内の尿を保存採取することは、たとえ右担当看守者が房内に便器を差し入れ被疑者をしてこれに排尿させる際当該尿を右検定の資料とする意図があることを告知しなかつた場合であつても、憲法及び刑訴法の規定する令状主義の原則及び適正手続に違反する無効の証拠収集であるということはできない(原判決が引用する仙台高等裁判所の判決は、採血に関するものであり、本件とは事案を異にし、適切ではない。)。

そうとすれば、本件において、前記矢崎巡査が便器内に保存したうえ、吉田巡査が牛乳空瓶に移し入れて警視庁科学検査所に持参した尿は、これを証拠として使用できないという理はないのであり、右尿中のアルコール度を鑑定した安田春男作成の鑑定書も、その作成者である安田春男が原審公判廷において証人として尋問をうけ真正に作成したものであることを供述している以上、その証拠能力において欠けるところはないというべきである。そして右鑑定書によれば、右尿中には一ミリリツトルについて一・〇二ミリグラムのアルコールが含有されており、これを血液アルコール濃度に換算すると、血液一ミリリツトル中のアルコール含有量が〇・七八ミリグラムとなることが認められるのであるから、右鑑定書は本件酒酔い運転の公訴事実の証明に欠くことのできない証拠であるというべきである。とすれば、右鑑定書を事実認定の証拠とはなしえないものとした原判決には、訴訟手続の法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

以上説示のとおり、論旨は既に右の点において理由があり、原判決は破棄を免れないので、控訴趣意第二点、事実誤認の主張)については判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従つて更に次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四七年九月一九日午前零時四〇分ころ、東京都世田谷区用賀四丁目一一番二号付近道路において、酒気を帯び、アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、普通乗用自動車(軽四)を運転したものである。

(証拠の標目)<省略>

(事実認定についての説明)

原判決は、原審が取調べた安田春男作成の鑑定書を除くその余の証拠を検討したうえ、これらの証拠によつても、被告人が公訴事実記載の日時場所において酒に酔つた状態もしくは呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを保有する状態にあつたと認めることはできないと結論しているが、当裁判所はこれとは見解を異にするので、以下に簡単にその理由を説明する。

一、原判決がその証明力には疑問があるとする司法警察員佐藤邦彦作成の昭和四七年一〇月三日付実況見分調書というのは、成程、原判決の指摘するとおり、問題の被告人の運転行為のあつた日より一二日後の昭和四七年一〇月一日に、犯行当時外観上は通常人所有のライトバンと異るところのない警察の無線カーを運転して被告人車を追跡した久保正行巡査を立会人として、被告人車の当時の進行状況を指示説明させて実施した見分の結果を記載したものには違いなく、また、当時本件関係の実況見分調書として、同じく佐藤邦彦巡査部長が同年九月二一日に右久保巡査を立会人として作成した九月二三日付実況見分調書が存在したのにかかわらず、前記一〇月一日に実施した実況見分に久保巡査が重ねて立会い指示説明をすることになつたのは、久保巡査としては、同巡査自身が確実に追跡をして現行犯として逮捕した場合であるから、その必要はないつもりでいたが、その後に至り、被告人が酒酔い運転の事実を否認しているというので、佐藤巡査部長の意見もあつて再度の実況見分をすることになつたというのであるから、右の経緯によつてみる限り、被疑事実否認のことを意識した久保巡査において、実際にあつた以上に鮮明な蛇行運転があつたように指示説明をするおそれがなかつたとは言い切れない。しかし、他方、右久保巡査の原審公判における供述によれば、同巡査は、当夜玉川警察署において宿直勤務中、用賀四丁目所在の某アパートから住居侵入事件があつた旨の一一〇番電話を接受したため、直ちに無線カーを運転して右アパート前に行き、折柄右無線カーの停止地点の後方から発進した被告人車を追跡することになつて追跡中、被告人車の通常でない進行状況から自然に無免許運転ないしは酒酔い運転ではないかとの疑いを抱くに至つたというのであつて、同巡査としては、幅員四メートルないしは七・八メートル位の道路上を約四〇〇メートルの区間に亘つて、被告人車の真うしろ数メートルのところを進行しながら観察していたもので、被告人車の進行状況を極めて正確に観察できる立場にあつたとみられるばかりでなく、被告人を玉川署に連行した後九月一九日の朝方さらに車を運転して先の進行路線を回つてみて被告人車の進行状況の大綱をメモしておいたというのであるから、前記一〇月三日付実況見分調書に記載されている内容のうち、蛇行の幅何メートル何センチ位という数量的な点はそのままには受取りかねるものがあるとしても、どの地点において大きな蛇行をした、どの地点において小さな蛇行をしたとする限りにおいては、これを信用できないというべき理はないのであり、右実況見分調書をも含めて関係証拠を総合すれば、被告人車が当時僅か四〇〇メートルばかりを進行する間に急に対向車線内に入つてしまうような右側への大きな蛇行を少くとも一回は含む合計約四回の蛇行をしたことは否定できないというべきである。原判決は、かりに蛇行があつても、右は当時暴漢に追跡されていると思つていた被告人がそのために運転を誤つたものと認めることができるとしているが、被告人が、その原審公判において供述するように、当時真実暴漢に追跡されていると考えていたか否かは別として、後続車に追跡されていることを途中から感得していたことは認めることができることではあるが、その職業経歴からいつても運転経験の極めて豊富な被告人が右のようにむしろ緊張して運転したとみられる場合に約四回も運転を誤つたということは、容易には首肯しかねることであり、むしろ他の原因、すなわち酒酔いに基因すると認めるのが相当である。

二、原判決は、関係証人の証言に一致しない点のあること等を挙げて酒酔いの徴憑とみるべき言動等はなかつたとしているが、各証言内容を仔細に検討してみると、右の点は、各証人が同一時点の同一場面についてのみ供述しているわけではないことに原因するところが多く、関係証拠によれば、少くとも、酒臭が強く、足許がふらつく等の酒酔いに原因するとみられる現象が被告人にあつたことは否定できない。

三、原判決は、飲食量につき、被告人は前日の九月一八日午後六時ころ普通のコツプにビール三杯、午後九時から一〇時までの間に小ジヨツキに三分の一の生ビールを飲み、その後二時間三〇分くらいの間道路上に駐車させた自動車内で眠つていたものとし、この点をも酒に酔つた状態になかつたことの一つの論拠としているが、前夜来の飲酒の事実等に関する被告人の供述には変転があること、被告人が逮捕後連続的に大量の水を摂取し、体内に保有するアルコール度の稀薄化を意図していたとみられること、逮捕時に酒臭が強かつたこと等に徴すれば、前夜来の飲酒の事実が原判決認定のとおりであつたかについては、合理的な疑問をさしはさむ余地が存するというべきである。

四、以上の諸点に加えて、当審においてその証拠能力を認めるべきものとした安田春男作成の前掲鑑定書の示す被告人の保有したアルコールの程度が、尿中では一ミリリツトルにつき一・〇二ミリグラム、血液中では一ミリリツトル中に〇・七八ミリグラムであつたことを参酌すれば、本件公訴事実にいう被告人の酒酔い運転の事実は、その証明が十分であると認められる。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、道路交通法六五条一項、一一七条の二第一号に該当するところ、被告人はかなり以前に道路交通法違反の罪により二回の罰金刑を受けた以外には前科のないこと、その他諸般の情状を考慮して、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一五、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金一、五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審および当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。

以上の次第であるから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上野敏 裁判官 大澤博 裁判官 千葉裕)

検察官伊藤栄樹の控訴趣意

原判決は、

「被告人は、酒気を帯び、アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、昭和四七年九月一九日午前零時四〇分ころ、東京都世田谷区用賀四丁目一一番二号付近道路において、普通乗用自動車(軽四)を運転したものである。」

との公訴事実に対し、犯罪の証明が十分でないとして無罪の言渡しをした。

その理由は、要するに、

一 捜査係警察官から依頼を受けた看守係警察官が、被告人の尿を鑑定資料として採取するにあたり、その尿中のアルコール度を検査する意図でありながら、右事実を告知しないで、単に、口実として、立会の幹部が来られないから便所に連れていくことができないと称し、被告人をして留置場内に差し入れた便器に排泄させたのであるから、右尿は、第一に、いわば偽計を用い、被告人を錯誤に陥れて採取したものと同様にみることができるし、第二に真意を告知しないことによつて、被告人の体内またはその占有に属する物を、その意思に反して取得するためには、裁判官の発する令状を必要とする憲法三五条、刑訴法二二二条(原判決書では同法二一三条と記しているが、これは明らかな誤記と認められる。以下同じ。)、二二五条または二一八条等の定める令状主義の原則を潜脱して取得されたものである。したがつて、右尿は、証拠収集過程において、憲法三一条および刑訴法一条の各規定に違反する重大な違法を犯し、法律に定める適正な手続に違反して取得した証拠であるから、事実認定の証拠としては使用できないものと解されるので、右尿中に含有するアルコールの程度の鑑定結果を記載した鑑定書についても、その鑑定資料とされた尿と同一の取扱いをするのが当然であり、その取調べにつき証拠とすることの同意もないので、右鑑定書もまた事実認定の証拠とはなしえない。

二 右鑑定書以外の、被告人が蛇行して走行した状況、酒臭等の、被告人の身体状況に関する警察官の証言等および被告人の飲酒量とその後の時間の経過に関する被告人の供述等の各証拠を総合しても、本件訴因における被告人の酒酔いの状況はこれを認めるに足りないし、公訴事実において同一性があると認められる、被告人が酒気を帯び身体に呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを保有する状態にあつた事実も、これを認めるに十分ではない。

というにある。

しかしながら、右判決は、本件尿の採取過程における事実について認定を誤り、かつ、憲法三一条、三五条および刑訴法一条、二二二条、二二五条、二一八条等の各規定の解釈を誤つて、証拠能力のある証拠であるにもかかわらず、その証拠能力を否定するという訴訟手続における法令違反をおかし、さらには、その他の証拠の評価判断をも誤つて事実を誤認しており、これらはいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、とうてい破棄を免れないものと思料する。

以下その理由を述べる。

第一訴訟手続の法令違反と事実誤認について

原判決が、警察官によつて採取された被告人の尿は、被告人に対し偽計を用い、かつ、憲法および刑訴法に定める令状主義の原則を潜脱してなされたいわゆる違法収集証拠であるから、これを資料としてなされた本件鑑定書も、その取調べにつき証拠とすることに同意もないので、事実認定の証拠とはなしえず、したがつて、被告人が酒に酔いまたは酒気を帯びて、身体に呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを保有する状態にあつた事実が認められないと判断したのは、憲法、刑訴法の解釈を誤つて採証法則に関する訴訟手続の法令違反をおかし、ひいては事実を誤認したものであつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 原判決が、被告人の尿は、看守係警察官が被告人に対し、被告人の尿中のアルコール度を検査する意図で便器に排泄させるものであるのに、右事実を告知しないで口実として、単に、立会の幹部が来れないから便所に連れてゆくことができないと称して偽計を用い、被告人を錯誤に陥れて採取したものであると認定したのは、明らかに、当時の警察署における留置場看守の勤務実態を無視し、事実を誤つた認定である。

1 原判決は、鑑定資料として採取された本件尿は、被告人が昭和四七年九月一九日午前二時三〇分ころ、玉川警察署の留置場において、便器に排泄した尿であることを認定したうえ、

「証人佐藤恵一、同矢崎武一、同吉田征二の各供述部分を総合すると、被告人は逮捕時において、身体に保有するアルコールの程度を調査するための、呼気を風舶に吹き込むこと、その他直立能力、歩行能力等の検査を拒否したために、捜査官側においては被告人が排泄した尿から右アルコールの程度を検査しようと考え、前記の日時・場所において被告人が尿意を訴えて便所に連れていくように求めるや、当夜の宿直の看守係であり、捜査の係員から被告人の尿の採取を依頼されていた右証人矢崎武一は、被告人の尿中のアルコール度を検査する意図で便器にさせるのであるのに、右の事実を告知しないで、単に、立会の幹部が来られないから便所に連れていくことができない、と称し、便器を留置場内に差し入れてこれに排尿させ、もつてこれを採取したものであることが認められる。被告人の尿の採取を依頼されていた右矢崎武一としては、なんらかの方法でこれを採取し保存しておく必要があつたのであり、右証人吉田征二の供述部分によると、同人においては採取した尿を保存するために、牛乳びん、密封用のふた、ゴム輪等を準備していたのであるから、立会の幹部がこられないというのは単なる口実であつて、便器という容器内に排尿させた真意は、尿の採取・保存にあつたと認められる。」(判決書・記録三七四丁裏ないし三七五丁裏)

というのである。

2 そこで、当夜の看守勤務についていた警察官である矢崎武一が被告人をして便器に排尿させるにいたつた経過をみると、次のとおりである。

(一) 矢崎は、午前二時二〇分ころ被告人を留置場の房に入房させた(矢崎証言・記録一五六丁裏)。

(二) ところで、当時の玉川警察署留置場における夜間の留置人の処遇は、昭和三二年八月二二日付国家公安委員会規則第四〇号「被疑者留置規則」、同四二年五月二五日付警視庁刑事部長依命通達甲第三号「被疑者留置規則実施要綱」および同四二年一一月三〇日付玉川警察署長達甲第九号「玉川警察署被疑者留置運営内規」によつて行なわれており、右要綱「第三看守」の項の「13看守者の遵守事項」中第15号によれば、「夜間、留置人が不時に疾病、用便等を訴えたときの留置人の出房は、必ず幹部の指揮を受け、他の看守者立会いのうえ措置しなければならない」こと、また右内規第二一条によれば、「看守者は夜間等宿直体制に入つてからの留置人の起床、就寝、用便、急病等に際し、必ず宿直幹部の立会を求めてこれらを行」なうことがそれぞれ規定されており、かつ、同署留置場房内には便所が設けられていない(控訴審で立証予定)ので、矢崎は、入房に先だつて被告人の身体検査をした際、被告人の呼気などから酒の臭いがしたが、入房後不時に被告人から排尿の申出があると宿直幹部の立会が必要となるので、入房前に用便をすまさせておくのがよいと考え、被告人に対して「小便したくないか」と尋ねたところ、被告人は「便所にはいかない」と答えたので、そのまま入房させた(控訴審で立証予定)。

(三) しかるに、被告人は、房で寝る支度をしていつたん横になつたが、すぐ起きて、用便を申し出たので、矢崎は、前記諸規程に定められたとおり宿直幹部の立会を求めるため、備付けのインターホンで用便の連絡をしたが、緊急配備の事件があつたらしく、右連絡について応答がなく、宿直幹部の立会がえられなかつた(矢崎証言・記録一五七丁表、一五八丁表ないし裏、一六三丁裏ないし一六四丁裏)。

(四) 矢崎がインターホンで連絡したころは、当夜の内勤宿直主任長谷川治寿が、午前二時一〇分すぎごろ取調べを終えて留置場に向かうべく取調室を出た被告人の後姿を見送つてから宿直事務処理のため事務室に戻つた際、午前一時四五分ころ警視庁本部から緊急電話指令が入つたことを知り、これに基づき警察署庁舎および付属施設周辺の警備実施をし、起番の宿直警察官を指揮して庁舎周辺等を巡視させ、自らもその巡視に出ていたころであつたため、宿直幹部はいずれも矢崎の前記インターホンによる連絡を知らず、被告人の用便の立会に行けなかつた状況にあつた(控訴審で立証予定)。

(五) そこで、矢崎は、やむをえず、被告人に房内で用便をさせようと考え、留置場横の物入れに保管してあつた便器を出して、これを被告人に渡し、被告人には、立会幹部がこられないからこの便器の中に排尿してくれとのみ告げて、被告人をして午前二時三〇分ころ房内において右便器に排尿させた(矢崎証言・記録一五七丁表、一五八丁裏、一五九丁裏ないし一六一丁裏、一六五丁表裏、一六六丁表ないし一六七丁裏)。

(六) 右便器は、かつて留置人が病気のときに使用したものが、たまたま留置場物入れに保管されていたものであつて、本件尿の採取のために特に準備されていたものではなかつた(控訴審で立証予定)。

(七) 矢崎は、被告人から受け取つた右尿入りの便器にふたをして、右尿を翌朝まで保存し、翌朝午前五時ころ、玉川警察署交通係警察官で同夜宿直勤務に服した吉田征二に連絡して同人に引き渡し、右吉田は、右尿を便器からあらかじめ準備していた牛乳ビンに移し、同じく準備してあつたゴム輪と密封用のふたを使用して密封してから、これを科学検査所に持ち込んだ(矢崎証言・記録一五七丁裏、一六四丁表、吉田証言・記録一八〇丁裏ないし一八三丁表、一八七丁裏ないし一九二丁表)。

3 以上のような過程において、矢崎武一が被告人に対し、便器を渡す際に、「インターホンで連絡したけれども応答がないから、幹部の立会が得られないので、便器に排尿されたい」という趣旨のもとに、「立会幹部がこれないから、便所に連れて行くことができないのでこの便器にしてくれ」とのみ告げ、アルコール度を検査するために便器に排尿してほしい旨を告げていない(矢崎証言・記録一五九丁表および裏、一六三丁裏ないし一六四丁表)ことは、原判決も指摘するとおり、原審が取り調べた証拠上明白であるが、他方、右矢崎が被告人に対して検査目的を告げなかつたのは、

(一) 矢崎は、これまでの看守勤務において、留置場の房の中で便器を用いて便をとつたことがなかつたこと、および被告人から用便をしたいという申出があつたので、幹部の立会をえられるまで待たせるより早くさせなければいけないと考えたことから、幹部の立会が得られないときのやむを得ない処置として便器を房内に入れたこと(矢崎証言・記録一五九丁裏ないし一六一丁裏)

(二) 矢崎は、召田巡査から被告人の尿をとつておくように依頼を受け、同巡査から、被告人が酒酔い運転の嫌疑で留置場に収容されるものであることを聞き、被告人の尿を検査することは認識していたものの、右依頼の趣旨は被告人が用便を申し出たときには、その尿を保存しておいてほしいという程度のものであると理解していたこと(矢崎証言・記録一五八丁裏、一六〇丁表ないし一六一丁表)

からであることは、右矢崎の証言によつて明らかに認めうるところであり、この証言は、前記2(七)において述べたように、矢崎が被告人の尿を便器に入れたまま翌朝までその手もとに保存していたこと、および吉田が準備した牛乳ビン等は矢崎からあらかじめ渡されていたものではないこととに照らすと、極めて信用性の高いものであるといわなければならない。

4 このように、矢崎が被告人をして便器に排尿させたのは、被告人から用便の申出があつた際、宿直幹部の立会をえられないために、その立会をえられるまで被告人に排尿を断念させることは、かえつて、留置人の健康管理、留置場の衛生管理の面からして相当でないと考え、臨機の措置として便器を利用する事情を率直に告げて被告人の了承をえたうえ、便器を房内に入れ、被告人もこれに応じて任意に便器を排尿したものと認むべく、ことさらに幹部の立会が得られないとの口実を構え、検査目的を告げないことによつて偽計を用いたものではない。

5 しかるに原判決は、右述の諸点を看過し、本件をもつて、矢崎がいわば偽計を用い、被告人を錯誤に陥れて尿を採取したものと事実を誤認したうえ、この点において個人の尊厳を基調とする被告人の基本的人権を侵害し、さらに刑事訴訟手続における公正と正義の観念に反する(判決書・記録三七六丁裏)と判断したのであつて、まことに失当といわなければならない。

二 原判決が、前記矢崎において被告人の尿中のアルコール度を検査する真意を告知しないで被告人の尿を採取保存したことは、憲法三五条、刑訴法二二二条、二二五条または二一八条等の定める令状主義の原則を潜脱したことになると判断したのは、明らかに右各法令の解釈を誤つたものである。

1 原判決は、

「被告人は、逮捕当時から酒酔いの事実を否認し、前記のように、呼気を風船に吹き込む等の検査を拒否していたのであるから、自己の尿中にあるアルコールの程度を検査する意図であることを知つたならば、尿の排泄を断念するか、あるいは排泄した尿を任意に捜査官に引き渡さなかつたものと推認できるし、このことは、被告人の当公判廷における供述によつても認められるところである。

してみると、本件鑑定資料の尿は、--(中略)--真意を告知しないことによつて、被告人の体内またはその占有に属する物を、その意思に反して取得するためには、裁判官の発する令状を必要とする憲法三五条、刑訴法二二二条、二二五条または二一八条等の定める令状主義の原則を潜脱したことになる。」(判決書・記録第三七五丁裏ないし三七六丁表)

と説示している。

2 しかしながら、被告人は、東京都世田谷区用賀四丁目九番二〇号所在「たちばな荘」の塀側で立ち小便をしたあと同所を発進し(被告人の供述・記録二七四丁表ないし二七六丁裏)、その後同丁目一一番二号先路上で、警察官久保正行によつて酒酔い運転の現行犯人として逮捕され(久保証言・記録八九丁裏ないし九五丁表、一二四丁表佐藤恵一証言・記録一三七丁ないし一三八丁裏、昭和四八年九月二三日付実況見分調書・記録三五丁ないし五〇丁)るや、警察官佐藤恵一らから指示された、呼気を風船に吹き込む等の検査を拒否した(佐藤恵一証言・記録一三八丁裏ないし一三九丁裏)ことは原判決が認定するとおりであるのみならず、被告人はその際、右検査のためのうがい水を一気に飲みほしただけでなく、さらに水を要求し(佐藤恵一証言・記録一三八丁裏ないし一三九丁裏)、続いて玉川警察署に引致され、捜査係の調室において、再度右検査を拒否したが、そのときも湯飲み茶わんでたて続けに四杯の水を飲み、右佐藤に対して「午後六時ごろビールをコツプ三杯ばかり飲んだんだ。出るはずがない。」旨供述して酒酔いの事実を否認し、次いで被告人自ら用便を訴えて小便をすました直後、便所の手洗用の水道の蛇口に口をつけて水を飲み、弁解録取書の署名押印を拒否したうえ、留置場に収容された(佐藤恵一証言・記録一三九丁裏ないし一四三丁、一五二丁表ないし一五四丁表)が、入房前に矢崎から「小便をしたくないか」と尋ねられたのに、その必要のない旨述べて入房し、入房後間もなく本件の用便を申し出た(前記一2(二)(三)掲記のとおり。)ことが認められる。

被告人のこれらの行動は、水を飲み排尿することによつて早く酔いをさまし、自己の身体に残るアルコール保有量の証拠を消滅させようとする目的であつたということができる。しかも、このような状況のもとにありながらも、なお前記一において詳述したとおり、矢崎が差し出した便器に、なんら強制されることなく、任意に尿を排泄したことを総合すると、被告人も、本件尿が警察官によつて捜査の資料として利用されることがありうることを当然予想し、または予想しえたにかかわらずあえて任意に排尿の挙に出たのであるから、本件尿は、被告人がこれを警察官に引き渡した時点において、すでにその占有を放棄した廃棄物であつて、原判示のごとく被告人の占有に属するものとすることは強弁も甚だしいものである。

3 ところで、刑訴法二一八条二項は、「身体の拘束を受けている被疑者の指紋若しくは足型を採取し、身長若しくは体重を測定し、又は写真を撮影するには、被疑者を裸にしない限り、前項の令状によることを要しない。」旨規定している。その趣旨とするところは、すでに逮捕されて身体を拘束されている被疑者については、逮捕という強制力を加えている以上、被疑者を裸にしない限り、人権侵害の程度も極めて低いから右に列挙されている処分行為を行なつて証拠を収集することについては、身体検査令状等の令状を必要としないというにあると解される。しかも、例えば掌紋の採取などの場合を考えると、この場合についても右条項の類推適用を絶対に許さない制限的規定であるとは解されない。したがつて、唾液の採取についても、その手段方法が穏当適切で相当性を欠かない限り、右規定を類推適用しうるものと解される。これに鑑みるとき、ましてや被疑者が排尿すること自体についてなんら強制力を加えられないで任意に排泄した尿を捜査の必要から捜査官が鑑定資料として採取するについて令状を必要としないことは、刑訴法上許容されているものといわなければならない。いま、もし、原判決が判示するように、本件尿を人の体内にある物として、その採取には令状を必要とするものであるとするならば、被疑者に対し、その体内から尿を採取するために、医療器具の使用に必然的に随伴する必要以上の身体的苦痛を与えるという結果を招来し、かえつてその手段において相当性を欠くとのそしりを免れないところであるから、本件のように被疑者の自然排泄をまつて尿を採取することこそ、その方法において極めて穏当適切であるといわなければならない。

4 さらに現行刑訴法において、被疑者ないし被告人のいわゆる自己負罪拒否の特権として供述拒否権を認めたのは、被疑者もしくは被告人の供述ないし報告などの供述証拠に限られ、非供述証拠である証拠物については、これを認めていないことは詳論するまでもないところである。

このことからすれば、逮捕当時から被疑者が身体に残る証拠を少しでも早く消滅させようとしていて、しかも、その対象物が尿であるとなれば、その尿が人体から排泄される液体であるという性質をもつものである以上、被疑者において、排尿の際においても、なお、容器に入れることなく、自由に処分することが可能であり、かつ、時間が経過するにしたがつて、アルコールの含有量も減少してゆくものであることを考えあわせると、捜査の必要上、早急かつ確実にこれを採取しなければならない緊急性が存するのであつて、その緊急性のゆえに、あえて検査目的を告げることなく、被告人が任意に排泄し、その占有を離れた尿を採取することもまた、憲法および刑訴法の許容するところであると解せられる。

5 ひるがえつて本件についてみるに、すでに述べたように、被告人は、酒酔い運転の罪を現に行なつていると認められた者であり、同人に対して、身体に保有しているアルコールの程度を検査するため、呼気を風船に吹き込ませて採取することは警察官の権限であり、正当の理由なくしてこれを拒否するときは、法の定める制裁を受けることとされているのである。しかるに被告人は、逮捕当時から右検査を拒否し、その後も自己の身体に残る証拠を消滅させる行動に出ていたところ、たまたま、被告人が尿意を訴えたのを知つた警察官が、被告人の尿中のアルコールの程度を検査する目的で、同人の身体をいささかも障害することなく、かつ、なんらの強制力も加えることなく、任意に排泄した尿を令状なくして鑑定資料として採取したのは、たとえその検査目的が被告人に告知されていなくても、被疑者が吸い捨てたタバコから唾液、指紋を、また、被疑者が任意使用した茶わんから指紋をとるなどの場合と同じく、憲法および刑訴法が、実体的真実発見のために許容した適法な捜査方法といわざるをえない。

6 すでに、本件と同種の事案につき、東京高等裁判所第一刑事部が言い渡した昭和四八年一二月一〇日の判決も、右と同旨の理由をもつて、被疑者が検査目的を告知されないまま、任意排泄した尿を採取することは適法であると判断している(判例時報七二八号一〇七ページ以下)。

7 しかるに、原判決が、被告人に検査目的を告げずに令状なくして採取された本件尿は、令状主義の原則を潜脱し、憲法三一条の規定に違反する重大な違法を犯して取得されたいわゆる違法収集証拠であるとしてその証拠能力を否定し、事実認定の証拠として許容されないと判断したのは、前掲東京高等裁判所の判決にも背反し、明らかに法令の解釈を誤り、証拠能力のある証拠の証拠能力を否定するという訴訟手続における法令違反をおかしたものといわねばならない。

三 原判決が、本件尿が違法収集証拠である以上、これを資料としてその尿中のアルコールの程度を鑑定した鑑定書の証拠能力をも否定し、被告人の身体に呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを保有する状態にあつたことを認定できないとしたことも明らかに訴訟手続に法令の違反があり、ひいては事実を誤認したものである。

1 本件鑑定資料とされた被告人の尿が、すでに論述したとおり、適法に収集された証拠である限り、これに基づいて、その尿中のアルコールの程度を鑑定した原判決挙示の昭和四七年九月六日付安田春男作成の鑑定書(五月一四日付受付印のあるもの。以下「本件鑑定書」という。)(記録二四七丁ないし二四九丁裏)もまた適法な証拠となるのであるから、事実認定の証拠として許容されるべきものであり、しかも右鑑定書は、証拠とすることの同意はないにしても、第五回公判において、刑訴法三二一条四項該当の証拠として採用され、その取調べがなされている(記録第一七五丁)のである以上、その証拠能力においても欠くるところがない。

しかも、本件鑑定書によれば、本件尿中には一ミリリツトルについて一・〇二ミリグラムのアルコールを含有しており、これを血液アルコール濃度に換算すると、血液一ミリリツトル中のアルコール含有量が〇・七八ミリグラムとなることが認められるのであるから、被告人が本件犯行当時身体に呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを保有する状態にあつたことを優に認めることができる。

2 しかるに原判決が、「右尿中に含有するアルコールの程度の鑑定結果を記載した本件鑑定書は前述の適正手続の趣旨に鑑みると、その鑑定資料とされた尿と同一の取扱いをするのが当然であり、その取調べにつき証拠とすることの同意もない本件においては、結局、右鑑定書についても、事実認定の証拠とはなしえないこととなる。」(判決書・記録三七六丁裏ないし三七七丁表)として、本件鑑定書を事実認定の証拠として許容せず、したがつて、「本件における訴因である酒酔いの状況はこれを認めるに足りないし、これと同一性があると認められる酒気を帯び、身体に呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを保有する状態にあつた事実もこれを認めるに十分でないのである。」(判決書・記録三八〇丁)と判断したことは、極めて失当であるといわねばならない。

四 原判決は、以上のとおり、明らかに法令の解釈を誤つた結果、訴訟手続について法令の違反を犯し、ひいては事実を誤認したものであつて、これらは、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は当然破棄さるべきものである。

(その余の控訴趣意は省略する)

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