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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)1565号 判決 1979年7月31日

控訴人 細川力也

右訴訟代理人弁護士 高橋崇雄

被控訴人 細川タミ

右訴訟代理人弁護士 玉田郁生

同復代理人弁護士 保野昭一

同 細野静雄

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

控訴棄却

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被控訴人は、控訴人名義で、訴外勧業建設株式会社(以下「勧業建設」という。)に対し、昭和二七年一〇月、東京都目黒区下目黒一丁目一三一番地上に、床面積一階五七・八五平方メートル(一七坪五〇)二階三七・一九平方メートル(一一坪二五)の木造瓦葺二階建居宅一棟の建物(以下「本件増築前の建物」という。)を建築することを、代金一四〇万九、〇〇〇円で請負わせた。右勧業建設は被控訴人に対し、昭和二八年三月二日頃までに、同建物を建築完成のうえ引渡した。

被控訴人は、かくしてその所有権を取得した本件建物につき、昭和二八年三月二日、控訴人名義で所有権保存登記をした。

2  被控訴人が右請負契約及び登記に控訴人名義を使用したのは左記事情による。

右建築資金は、すべて被控訴人において負担支出したものであるが、その内訳は、住宅金融公庫融資金四四万円、株式売却金一九万円及び貯蓄金七七万円余である。ところで、被控訴人は、無職のため公庫融資を受ける資格に欠けていたので、被控訴人の長男で当時、日本大学医学部生理学教室の無給研修員で、合資会社目黒雅叙園の名目上の役員であった控訴人名義を用いて右金四四万円の貸付を受けた関係上、請負及び登記も控訴人名義によってなさざるを得なかった。

3  被控訴人は控訴人の懇請により昭和四四年一〇月、医師である控訴人が本件建物に入居して被控訴人と同居し、勤務先病院から帰宅後診療に従事できるようにするため、本件増築前の建物の一部を診察室等に改める増改築を同人の負担ですることを承認した。そこで、控訴人は、同年一一月五日までに、同建物につき、一階一九・三八平方メートル二階二三・〇〇平方メートルの増築をした。この増築部分は従前の建物に従として附合したから、被控訴人は右部分についても所有権を取得した。

なお、右増築により従前の建物の表示は別紙目録記載のとおりに改められた(以下右増築後の建物を本件建物という。)。

4  控訴人は、被控訴人が本件建物につき所有権を有することを否認している。

5  よって、被控訴人は控訴人に対し、本件建物につき、被控訴人が所有権を有することの確認、及び右所有権に基づく所有権移転登記手続の履行を求める。

二  請求原因に対する控訴人の認否

1  請求原因1の事実のうち、勧業建設が、昭和二七年一〇月、控訴人名義の注文により、代金一四〇万九、〇〇〇円で被控訴人主張の地上に本件増築前の建物を建築することを請負い、昭和二八年三月二日頃までに右建築を完成してこれを注文主に引渡したこと、及び同建物につき昭和二八年三月二日控訴人名義で所有権保存登記のなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

本件増築前の建物につき、建築請負の注文をし、完成建物の引渡を受け、もって所有権を取得し、また所有権保存登記をした者は、控訴人である。

2  同2の事実のうち、建築資金中金四四万円が住宅金融公庫融資金で賄われたこと、被控訴人が無職で公庫借入資格を欠いていたこと、及び控訴人が被控訴人の長男でその主張の役員であったことは認めるが、その余の事実は否認する。

本件増築前の建物建築資金のうち、控訴人が負担支出した分は控訴人が右公庫から借入れた金四四万円及び同人が合資会社雅叙園から借入れた金五〇万であり、その余は控訴人が被控訴人から贈与を受けて支払った。

3  同3の事実のうち、控訴人が被控訴人主張の床面積の増築をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

4  同4の事実は認める。

三  抗弁

1  仮に本件増築前の建物が建築された当初被控訴人の所有であったとすれば、控訴人は、昭和二八年三月初頃、被控訴人から同建物の贈与を受け、その所有権を取得した。

2  控訴人は、本件増築前の建物建築の完成した昭和二八年三月二日頃同建物に居住して以来、何人からも異議を述べられることもなく、所有の意思をもって平穏かつ公然に同建物の占有を継続してきたもので、さればこそ、同建物の固定資産税やその敷地の賃料を一貫して支払い、昭和四四年九月頃金三〇〇万円余も支出して同建物の改築をし、現在は本件建物敷地を所有者の国から買受けその所有者となっている次第であり、また、同建物の占有開始当時において控訴人が同建物を自己の所有物と信じたことには、登記簿上の所有名義が控訴人であることからして、もとより過失は全くないから、民法一六二条二項の取得時効完成により、昭和三八年三月二日頃控訴人は本件建物所有権を取得した。

仮りに右占有開始当時控訴人が本件増築前の建物を自己の所有に属するものと信ずるにつき過失があったとしても、民法一六二条一項の取得時効完成により、昭和四八年三月二日頃控訴人は本件建物の所有権を取得した。

3  控訴人は、昭和四四年九月四日から同年一一月二〇日までの間に、金三二五万円余の工事代金を負担して、本件増築前の建物の全面的改築工事をした。その結果、従前の間取りで残っているものは、一階の和室六帖部分のみでそれとても柱・壁面・床等は全て新材をもって替えたものであり、診療室部分や二階和室(被控訴人用居室)は全くの新設であって、外見上も、間取りも、建築材料のうえでも全く面目を一新するに至った。

したがって、本件増築前の建物と本件建物とは、物理的にも社会的にもその同一性はないのであって、本件増築前の建物は消滅し、本件建物は被控訴人の所有に属するものではない。

四  抗弁に対する被控訴人の認否

1  抗弁1の事実は否認する。

2  同2の事実は否認する。

被控訴人は、少くとも、控訴人が妻子と共に被控訴人との共同生活に復帰した昭和四四年一〇月までは、本件増築前の建物の固定資産税や敷地の賃料を支払ってきた。

3  同3の事実は否認する。

本件増築前の建物は、階下は和室八畳及び六畳・台所(八畳)・浴室・便所であり、二階は和室八畳二間であったところ、昭和四四年の増築によって、階下和室八畳が約一〇畳の診療室に、台所が約一〇畳のダイニングキッチンに各拡張され、二階に和室八畳及び便所が増設されたにすぎないのであって、本件増築前の建物と本件建物との間には同一性が失われる程度の変更は全くない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因事実のうち、勧業建設が、昭和二七年一〇月、控訴人名義の注文により、代金一四〇万九、〇〇〇円で、東京都目黒区下目黒一丁目一三一番地上に本件増築前の建物を建築することを請負い、昭和二八年三月二日頃までに同建物を建築完成のうえ注文主に引渡したこと、同日同建物につき控訴人名義で所有権保存登記がなされたこと、控訴人名義で借受けた住宅金融公庫貸付金四四万円が右建築資金に充てられたこと、被控訴人は当時無職のため公庫融資借受資格に欠けていたこと、控訴人は被控訴人の長男で当時合資会社目黒雅叙園の名目上の役員であったこと、控訴人が昭和四四年一一月に本件増築前の建物につき一階一九・三八平方メートル、二階二三・〇〇平方メートルの増築をしたこと、及び控訴人は被控訴人が本件建物の所有権を有することを否認していることは、いずれも当事者間に争いがない。

二  ところで、被控訴人は、本件増築前の建物の建築を注文し、その引渡を受けた者は被控訴人であって、請負契約上の注文者及び登記簿上の所有者がいずれも控訴人名義になっているのは、住宅金融公庫からの資金貸付を受けるに当り、被控訴人は無職でその適格性に欠けるため、やむをえず控訴人名義を借用したことに起因するもので、右建築資金は被控訴人がすべて負担し、本件増築前の建物の所有権を取得した者は被控訴人である旨主張し、これに対し、控訴人は、同建物の建築を注文し、その引渡を受け、その所有権を取得した者は控訴人である旨主張するので、以下これにつき判断する。

《証拠省略》を総合すると、次のとおり認定することができる。

控訴人は目黒雅叙園の初代経営者であった訴外亡細川力蔵(昭和二〇年没)の非嫡の子であり、被控訴人はその母であるところ、力蔵には妻、嫡出の子があるため、被控訴人は力蔵との間の四人の子とともに別世帯の生活をしていた。被控訴人らは、終戦頃まで東京都新宿の花園神社附近に居を構え、本宅からは「新宿」と呼ばれ、目黒細川家に対する関係では被控訴人(当時町田タミ)は表面に立たず、控訴人が右「新宿」家の当主のような扱いを受け、被控訴人も旧来の考え方から控訴人を長男として尊重する風があった。昭和二六年頃、被控訴人の娘二人は医師となり既に他に嫁し、被控訴人(当時五二才位)とその頃医師の国家試験に合格したばかりの控訴人(当時二七才位)とは訴外細川力雄(被控訴人の二男で当時二二才位、以下「訴外力雄」という。)と共に、目黒雅叙園前の山田某の二階に間借りしていたが、被控訴人と控訴人とが相談して右家族三名の居住する家屋を建築することを計画し、まずその敷地を確保するため、控訴人がその異母兄である訴外亡細川力蔵(目黒雅叙園二代目の経営者)に交渉して、同訴外人から東京都目黒区下目黒一丁目一三一番地の土地約一三二平方メートルを控訴人名義で無償で借受けた(右土地については、その後昭和三〇年頃からは賃料を支払うようになり、昭和四五年には、物納により右土地所有者となった国から有償貸付を受け、現在は控訴人が国から買受けてその所有者となっている。)。さらに、右家屋の建築資金については、控訴人に資力がなかったので、同人は右力蔵に借用方を申入れたところ、力蔵から住宅金融公庫から借入れるようすすめられ、被控訴人が控訴人を伴って被控訴人の義弟で勧業銀行に勤務していた花島某に相談に赴き、控訴人名義で同公庫に借入の申込をした。右の申込をするについては、被控訴人は、前記新宿に昭和二〇年頃先代力蔵から譲渡された土地約五〇〇坪を所有し、これを昭和二三年頃金二五〇万円で売却して当時資産を有していたこと及び同女は無職で、定期的収入がなかった(もっとも、昭和二七年頃には右売得金のうち金一五〇万円余りを他に貸付け、有利な利息を得ていた)ことから、右金融公庫の融資を受ける資格を欠き、当時雅叙園に勤務し定期的収入を得ていた控訴人が借入れることになり、細川力蔵が連帯保証人となったものである。昭和二七年一〇月住宅金融公庫からの控訴人に対する金四四万円の貸付が決定したので、前記花島の紹介にかかる勧業建設株式会社との間で控訴人を注文主として、本件増築前の建物を代金一四〇万円余で建築する旨の請負契約がその頃締結された。以上の住宅金融公庫からの借入れ、勧業建設株式会社との建築請負契約の締結等の諸手続及び交渉等は主として被控訴人がこれに当り、右建築代金の約金一四〇万円については、前記金融公庫からの借入金四四万円のほかは、その頃控訴人が細川力蔵を介して合資会社雅叙園から借入れた約金五〇万円をこれに充て、その余は被控訴人の株式売却金約金一九万円及び被控訴人の前記土地売却金のうち他に貸付けた残余金をもってこれに充て、右会社の追加工事及び控訴人名義で他業者に施工させた工事等(物置、風呂釜取付、畳、硝子、水道、電灯、門工事その他)に要した費用も被控訴人が支払った。

昭和二八年三月初旬頃本件増築前の建物の建築は完成し、同月二日同建物につき控訴人名義の所有権保存登記及び住宅金融公庫に対する債務者を控訴人とする抵当権設定登記を了し、被控訴人、控訴人及び訴外力雄がこれに入居して共同生活を営むようになった。そして、右共同生活においては、当初控訴人には医師としての収入はなく、三者の生活費は同人及び力雄が雅叙園から受ける給料又は配当金及び被控訴人が収得する訴外川平らに対する貸金の利息によって賄われたものであったが、控訴人の被控訴人に対する依存的生活態度などから、住宅金融公庫に対する毎月の返済金(昭和三八年五月で返済完了)や同建物の固定資産税等の公租公課及び借地の賃料等は被控訴人において負担支出していたものである。ところが、昭和三八年五月頃に至り控訴人が被控訴人の反対を押し切り訴外細川洋子と結婚することになったため、両者の関係が不和となり、控訴人が他所で生活するようになり、力雄も一時的に不在になることもあったが、被控訴人は終始同建物に居住し、同人において右建物の公租公課や地代を負担し、その支払をしていた。

その後昭和四四年九月頃に至り、控訴人が再び妻子とともに前記建物に居住し、医院を開業することになり、同年一一月頃控訴人は金三二五万円を支出して同建物の増築改造工事を行ったが、右工事は本件増築前の建物が建坪約五七・七五平方メートル、二階約三七・一二平方メートルであったのに対し、別紙目録記載のとおり一階七七・二三平方メートル、二階六〇・一九平方メートルとするものであり、一階の一部を診療所、待合室に増築改造し、二階に八畳の間を増設する等従前の建物の規模からみれば相当な大きな増築改造であった(ただし、右増築改造後の本件建物が従前の建物との同一性を失っているものとは認めがたい。)。これに対し被控訴人らは格別異議を述べることはなかった。以後本件建物においては控訴人家族と被控訴人及び力雄が同居する生活が始められたが、たちまち被控訴人と控訴人ら、とくに控訴人の妻洋子との関係が円滑でなくなり、控訴人家族は右建物の一階に居住し、被控訴人及び訴外力雄はその二階に居住し、相互に言葉を交わすことも殆どない状態となり、昭和四五年七月頃から被控訴人と控訴人とは互いに本件建物につき所有権を主張し、被控訴人は控訴人に対し所有権移転登記手続を請求し、遂に本訴を提訴するに至った。なお、右同居後の本件建物の固定資産税等は控訴人が支払っている。

以上のとおり認定することができ(る)。《証拠判断省略》

以上の事実によって検討すると、昭和二七年当時本件増築前の建物の建築及び右建築資金の一部を住宅金融公庫から借入れる等の諸手続や交渉については被控訴人が積極的にこれに当り、右建築に要した費用の半額近くは被控訴人の出捐にかかり、右建物が完成し被控訴人、控訴人及び訴外力雄が入居した後も、住宅金融公庫への返済(完済まで)、同建物の公租、公課や地代の支払は被控訴人の負担においてなされていたことが認められ、右の点からみれば右の建物の建築主は実質的には被控訴人であるかの如き観があり、建築会社との請負契約の当事者が控訴人名義であり、右建物につき控訴人名義に保存登記がなされたのは専ら住宅金融公庫からの借入に控訴人名義を使用したことによるものとする見解が控訴人を除く被控訴人親子の間に生ずる所以も理解できる。しかしながら、本件増築前の建物が建築されるに至った経過をみると、その敷地については控訴人が異母兄である細川力蔵の援助のもとにこれを借受け、右建築資金の一部も控訴人が右力蔵を介して合資会社雅叙園から借用したものであり、住宅金融公庫からの借入れも当初力蔵の控訴人に対する勧告によるもので、右力蔵が同金融公庫に対し控訴人の連帯保証人となっており、控訴人の果した実質的役割を無視することはできないのであって、同金融公庫からの借入について控訴人は単なる名義人に過ぎず、建築会社との契約も本件増築前の建物の保存登記も同金融公庫からの借入名義人が控訴人であったがために止むをえず控訴人名義でなされたものと断定することは困難である。なお、右金融公庫からの借入には直接関係しないと思われる他業者との附随的工事の契約等も控訴人名義でなされていることも右の認定を困難にさせるものである。また、本件増築前の建物が完成し被控訴人及び控訴人らが入居した後、住宅金融公庫への毎月の返済や同建物の公租公課、地代の支払等が被控訴人の負担によりなされたとはいえ、当時同建物に同居していた被控訴人、控訴人及び訴外力雄ら親子の収入が家計上明確に分離されていたとは認められず、控訴人の収入が少なく、被控訴人の貸付金利息収入が当時としては相当高額に上るため、被控訴人が控訴人のためにこれを支払う結果となっていたものとも言えるのであって、右の事実から控訴人は本件増築前の建物に関し、すべてにおいて単なる名義人であり、被控訴人が同建物の建築主であり、同人が同建物を建築会社から引渡を受けて所有権を取得したものと認定することはできず、本件全証拠を総合しても被控訴人の右主張を肯認せしむるに至らない。かえって前記の本件増築前の建物の建築に至る経過並びに前記のとおり昭和二六・七年当時被控訴人親子の世帯において、長男である控訴人が被控訴人からも目黒細川家からもいわゆる家長的な存在と目されていたこと、被控訴人親子が本件家屋に入居し、約一〇年を経て昭和三八年頃控訴人が結婚問題で被控訴人と仲違いをして他に転出し、その頃住宅金融公庫に対する返済もすでに完了したのに、被控訴人は右建物の所有権を明確に主張することはなかったこと、その後昭和四四年に控訴人が同建物に入居するに当り、同人が相当大きな増改築を施すについても被控訴人はなんらの異議を申出なかったこと等を総合すると、本件増築前の建物は、その建築に当り、被控訴人はこれを控訴人の所有とする意思で建築資金の一部を負担し、控訴人が同建物の建築請負契約の当事者となり、その完成後控訴人が引渡を受けて所有権を取得し、同人名義の所有権保存登記を経由したものであると認めるのが相当である。

三  してみれば、被控訴人の本訴請求はその余につき判断するまでもなく理由がないから棄却すべきところ、これと異なる原判決は失当であって、本件控訴は理由がある。

よって、民訴法三八六条により原判決を取消し、被控訴人の本件請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 外山四郎 裁判官 清水次郎 鬼頭季郎)

<以下省略>

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