大判例

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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)1872号 判決 1977年5月26日

控訴人 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 渡辺脩

被控訴人 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 糸賀悌治

主文

原判決を取り消す。

控訴人と被控訴人とを離婚する。

控訴人・被控訴人間の長男春男(昭和四一年一〇月一三日生)の親権者を控訴人と定める。

訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は主文第一ないし第三項同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の事実上・法律上の主張及び証拠の提出・援用・認否は、次のとおり附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

(一)  控訴人の主張

(1)  被控訴人は昭和四七年五月二四日国立○○重度障害者センターに入所して現在に至っているが、その間に被控訴人の身体的機能がやや回復しているとしても、それはあくまで第一級の「外傷による体幹機能障害」の枠内にとどまるものであって、この認定の変更を要する程度の回復は絶望であり、その機能を発揮することも、設備の利用、環境の整備、補助者の看視等があってはじめて可能となるのであって、この要件を控訴人が充足させることはおよそ不可能である。

(2)  本件事故の原因は、夜間飲酒酩酊して無燈火の自転車に乗り、全力疾走した被控訴人自身の過失にあり、右事故による被控訴人の身体的疾患から生ずる負担のすべてを控訴人に負わせるわけにはいかない。

(3)  控訴人と被控訴人とは、昭和四二年四月一六日以降現在までの間、昭和四五年六月八日から同年八月五日までの期間を除き、すべて別居生活を余儀なくされてきたしこの状況は今後もさらに数年間継続されることになるが、このような長期にわたる別居生活の継続は、それ自体が婚姻破綻の客観的事情となる。

(4)  右の同居期間中、被控訴人の性的能力は著しく不完全で、正常位による性的交渉は全く不可能であり、そのことが控訴人に性的交渉を嫌悪させる一因となり、控訴人は被控訴人との性的交渉において到底満足を得られず、身心両面で耐え難い苦痛を強いられた。この点は、将来にわたっても改善される見込が絶無である。

(5)  控訴人一家は、○村役場に保育所の保母として勤務し月給金七万三〇〇〇円を得ている控訴人の月収と、○村の○○○○工業株式会社に守衛として勤務し月給金七万五〇〇〇円を得ている父の月収によって生計を維持しており(母が自宅で経営している雑貨・食糧品店の売上高は月平均金一万円程度で、利益率は二割にすぎない。)、経済的余裕はなく、控訴人が子供のほかに被控訴人をもかかえて生計を維持してゆくことは不可能であり、被控訴人を自宅で監護するのに必要な経費を負担することもできない。

(6)  控訴人は一人娘であるから将来にわたって両親と同居し、これを養ってゆかなければならないが、被控訴人は本件事故以後の一連の経過の中で、控訴人の両親を恨み現に憎悪するに至っている。この一点だけでも、控訴人と被控訴人との婚姻を継続し難い決定的な要因が生まれている。

(7)  以上のような経過と問題が集積されてくるに従って、当然のことながら、控訴人の被控訴人に対する愛情は次第に失われ、現在完全に喪失されるに至った。本件事故以後の客観的経過からみて、控訴人の被控訴人に対する愛情が今後回復することはありえないし、そのことを控訴人に強要することは過酷というべきである。

(8)  これを要するに、控訴人と被控訴人との間には、婚姻を継続し難い重大な事由が客観的に成立しているものというほかなく、もはや当事者の主観的意図や努力によっては如何ともなし難い状況が形成されている。

(二)  被控訴人の主張

(1)  被控訴人の身体的機能は漸次回復し、昭和四九年八月には一定の期間を定めて実家に帰ることを許された程で夫婦間の性関係を持つことに支障はなく、また住居の一部改造等の多少の工夫を行なえば、日常の起居のほか、内職程度の職に就くことも可能である。そのための負担は、相互扶助の関係にある夫婦として当然負うべきもので、客観的にみて耐え難い苦痛を控訴人に強いる程のものではない。

(2)  本件事故時に被控訴人が多少飲酒して夜間無燈火の自転車に乗っていたことは争わないが、酩酊していたわけではなく、全力疾走していたものでもない。右事故は全くの災難であり、妻として夫の過失と非難すべき性質のものではない。

(3)  控訴人と被控訴人とが別居を余儀なくされているのは相当の理由があってのことであり、婚姻破綻の事情にはならない。控訴人において可能なかぎり被控訴人を見舞い精神的結合を継続すれば、婚姻の維持は充分可能である。

(4)  被控訴人の生家においては、七〇才の実父は本態性高血圧症のため静養中であり、実母も六九才の老令のため家事労働にも耐えないうえ、実兄が昭和四九年一〇月に胃潰瘍のため胃の切除手術を受け、その後高血圧症も併発して重労働に耐えられず、兄嫁が農事と家事の労働を一身に引き受け、三人の子供と老父母の世話もしている状況で、被控訴人を引き取って世話をすることは不可能であり、被控訴人にも生家に帰る意思はない。

(5)  被控訴人が控訴人の両親を恨んでいる事実はない。仮に多少の不満の感情があるにしても、その原因は被控訴人が怪我をするや追い出そうとした両親の側にあり、この態度さえ改められれば直ちに解消することで、控訴人との婚姻関係を継続し難い事由とはならない。

(6)  被控訴人の生きる光明は、控訴人が心を持ち直して温かい愛情を注いでくれることと長男春男の成長にある。控訴人の離婚請求が認められないことになれば、控訴人も人間としての真の夫婦の道を考え、被控訴人との間に夫婦の愛情が蘇ってくることは間違いない。両者間の愛情は完全に枯死してはおらず、控訴人から送られた手紙にも示されているように、愛情の根は立派に残っている。客観的にみて婚姻を継続し難い重大な事由は、控訴人と被控訴人との間には存しない。

(三)  証拠関係《省略》

理由

一  当裁判所が原判決挙示の各証拠のほか《証拠省略》を総合して認定する事実は、左に附加するほか、原判決の理由冒頭から八枚目裏末行までに認定判示されているところと同一であるから、これをここに引用する(ただし、原判決六枚目表七・八行目を「その成立について当事者間に争いがないのでいずれも真正に成立したものと認めることのできる甲第一号証、第二ないし第四号証の各一・二、第五号証、乙第一号」と、また八枚目表二行目を「として支出した金員はそれを若干上回っており、その」とそれぞれ改める。

(一)  控訴人は事故直後の六ヶ月間は被控訴人に付切りで看病につとめ、その後も休日には病院を訪ねて看護にあたってきたが、被控訴人が厚生年金病院を退院して控訴人方に帰ってからは、日常の起居に必要な諸動作すべてに介助を要するため、二ヶ月足らずの間に、著しく疲労が重なり、このままでは到底永続きしないという気持になった。そのうえ、被控訴人は退院直後からほとんど毎日のように夫婦関係を求めたが、身体が動かないうえに神経も麻痺しているため、控訴人がさまざまな努力をしてもほとんど満足な結果が得られず、そのうち、控訴人はそのような夫婦関係を重ねることに嫌悪感を抱き、ひいて被控訴人との同居生活自体を辛く感じるようになり、口喧嘩も絶えなかった。

(二)  離婚調停の申立や本訴の提起については、旧来の家中心の意識のあらわな控訴人の両親の意向が強く働いていることは否めないが、控訴人も前叙のような事情から、余儀ないこととして両親の勧めに従ったもので、調停申立後被控訴人をその生家に送り返してからは、被控訴人の療養先を訪れることもなく、生家との連絡も絶ち、かくして日を重ねるにつれ、夫婦としての感情は完全に消失し、形だけの夫婦として拘束されているにすぎないとの意識が定着して六年余を経過するに至った。

(三)  被控訴人は引続き国立○○重度障害者センターにおいて機能回復訓練を受けており、日常生活上の活動能力につき全般的に或程度の好転を示し、入浴以外は一々介護の手を要しない状態になってはいるが、頸部脊髄の損傷による経性麻痺を基本とする障害であるうえ、左右の肘関節にも故障があるため、かなり不自由な車椅子による生活を脱しうる見込はなく、事務的な職に就くことも難かしく、目下のところ、家庭に復帰して小売業の店番程度の役割を果たすことを期待しうるにとどまる。そして、そのためには、居宅を車椅子による生活に適応するよう改造するとともに受入家族の精神的協力が必要であることはいうまでもない。しかし、控訴人の両親にはもとより、両親との同居を必然の前提としている控訴人にも、被控訴人に対する憐憫の情はあるものの、再び被控訴人を迎え入れ夫婦として生活を共にして行くことは、業苦の再現として恐怖の的でしかなく、その意思は毛頭見られない。なお、前記障害者センターは終生居住しうる施設ではないが、受入態勢の整わないまま障害者に退所を強いることは行なわれないのが実情である。また、被控訴人は、昭和四九年度で月額金四万円の年金給付を受けている。

以上のような事実関係が認められる。当事者間に争いがないので原本の存在とその成立を認めうる乙第四号証の一・二も《証拠省略》に照らすと、被控訴人に対し独り立ちの気力を期待しての励ましの手紙とも解されるので、前記認定と抵触する証拠とはいえず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

二  以上に認定した事実関係に基づいて判断すると、控訴人には、身体障害者の被控訴人を引き取り、夫婦として相協力し苦労を共にする意思は全く無くなっており、同居期間の何倍にもあたる長年月にわたって、被控訴人のいないまま、両親と同居し長男を育て上げてきている現実が、その意思を到底動かし難いものとしているものと認めざるをえない。現在の被控訴人が、ひたすら控訴人の愛情と家庭生活への復帰を希求していることは、その供述に照らすまでもなく、推察するに余りあるものがあるが、それを知りつつも受け入れる気持にはなれないでいる控訴人の態度も、前叙の事実関係からすれば、あながち心得違いとして強く非難されるべきものともいい難く、控訴人に縋る被控訴人の一方的な心情の故に控訴人の飜意を強いることは、生涯控訴人に対してのみ犠牲を強いる結果となりかねず、両当事者の平等な相互協力を本旨とする婚姻の理念に照らしても、当を得たこととはなし難い。

これを要するに、控訴人と被控訴人との間の婚姻は、被控訴人の不幸な事故から生じた身体の障害及び事故後の経緯に基因する控訴人の夫婦関係継続の意思の完全な喪失により、すでに破綻しているものというべく、婚姻を継続し難い重大な事由があるものとして、その解消を求める控訴人の離婚請求はこれを認容せざるをえないところといわなければならない。被控訴人には、社会福祉制度にまつところが多いとはいえ、自力厚生の途を進む強い意志を期待してやまない。

三  以上と異なり控訴人の離婚請求を斥けた原判決は失当たるを免れないので、これを取り消したうえ、控訴人と被控訴人とを離婚することとし、なお、如上判示の事実関係のもとでは、当事者間の未成年の子である長男春男は、従前どおり控訴人のもとで監護教育するのが相当であること明らかであるから、控訴人を右春男の親権者と定める。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法九六条・八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 室伏壮一郎 裁判官 横山長 三井哲夫)

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