大判例

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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)2756号 判決

一 <中略>控訴人らは、控訴人栄治郎が前記のように一側の腎臓の喪失及び小腸癒着部分の切除という障害を被ったのは、腎生検に携わった被控訴人佐藤の次の(1)ないし(4)の過失によるものであり、被控訴人らは不法行為責任を免れないと主張し、その過失の態様として、(1)腎生検の適応の判断を誤ったこと、(2)患者側の承諾を受けなかったこと、(3)腎生検の手技を誤ったこと、(4)施術後の経過観察ないし医療措置を誤ったこと、の四点を挙げている。そして、同控訴人と被控訴人国との間の契約関係が右に見たとおりである以上、これらの過失は、不法行為の原因であるのみならず、同時に、いわゆる履行補助者の過失として被控訴人国の債務不履行の原因となるものでもあるから、以下、右(1)ないし(4)の順序に従って、被控訴人佐藤の過失の有無につき検討することとする。

二 まず腎生検の適応の判断の点であるが、≪証拠≫を総合すると、前認定の経緯により昭和三七年一一月五日東大病院小児科に入院した控訴人栄治郎の診察は、鈴木義之医師が主治医として・腎臓専門の被控訴人佐藤が指導医として、ともにこれを担当することとなったのであるが、入院前の同年一〇月一二日小児科外来で同控訴人を診察した本間講師は、付添いの控訴人かつよから、控訴人栄治郎は九歳時急性腎炎を患い、同年三月一二日には日赤病院に入院して腎機能検査を受け、尿蛋白がプラスになったりマイナスになったりするほか異常ないと言われて二三日後には退院したけれども、血圧(収縮期)はその後も一四〇ないし一六〇もあり、降圧剤を服用し減塩食をして学校も休んでおり、同年八月三〇日には日大病院で扁桃剔出をした旨の説明を受け、慢性腎炎を疑い、検尿を指示した結果蛋白質(定性)プラスであったこと、次いで、同年一〇月一九日小児科の腎臓外来を訪れた控訴人栄治郎に対し被控訴人佐藤が診察した際、付添いの控訴人かつよからは、血圧が高いが腎炎のためなのか本態性高血圧なのかよく分からないとの訴えがあり、尿蛋白は陰性であったが、血圧は収縮期一五二・拡張期八〇であったこと、控訴人栄治郎の入院後は、同年一一月五日から一五日までのうちの九日間における都合一七回の血圧測定の結果によると、拡張期では六四ないし八四程度であったが、収縮期では一六〇が一回・一五〇台が五回・一四〇台が二回あったこと、その間同月九日には降圧剤を投薬していること、なお検尿の結果は時に軽度の蛋白尿がみられたこと、その他の腎機能検査等の諸検査の結果は異常なく診断に資すべき格別のものはなかったこと、被控訴人佐藤は、カルテに記載されているこれらの事情(その一部は自ら診察したところでもある。)に徴し、控訴人栄治郎につき、急性腎炎の既往歴があり、扁桃剔出の手術もしており、また現に高血圧の持続及び尿蛋白の出没の症状が認められるとして、慢性腎炎の疑いをいだいたが、その他の点では各種の入院検査の結果も診断に資すべき格別の所見が得られなかったこと、及び、慢性腎炎は非常な難病であるのみならず、これにかかっておれば、その病態のいかんにより、治療方針はいうまでもなく、その後の生活態度のすべてが左右されるものであることにかんがみ、手遅れにならないうちに何よりも的確な診断を付けなければならないと考え、日赤病院入院後半年以上も経過しており、既にした検査等によっても慢性腎炎の疑いという程度しか分からない以上、この上は、腎組織の病理的変化を直接解明する腎生検によって確実な診断を得るほかないとの判断に達したこと、そして、腎孟撮影、出血時間及び凝固時間検査等により腎の奇形、出血傾向の異常等の禁忌症のないことを確認した上、同月一五日主任の高津忠夫教授から腎生検の許可を得て、控訴人栄治郎に対し、翌一六日腎生検をしたが功を奏しなかったため同月二四日第二回目の本件腎生検をしたものであること、なお、その間同月二〇日にも収縮期血圧一六〇という値が見られたこと、以上の事実を認めることができる。

そこで、腎生検の適応に関する被控訴人佐藤の右の判断に誤りがあったかどうかにつき検討するに、≪証拠≫中には、控訴人栄治郎につき慢性腎炎と診断したのは行過ぎであり、腎生検は行うべきでなく、経過を観察するのが妥当であったという見解を述べている部分があり、この見解は、腎生検は全く危険がないものではないから、適応の判断を慎重にすべきであり、慢性腎炎についていえば、そのかなりの蓋然性がなければならないという控訴人らの主張にも添うものである。しかしながら、右に認定したように、控訴人栄治郎は、日赤病院入院からすると半年以上を経過し、他の諸検査も既に終わっていたのであるから、このまま観察を継続してみても診断に資すべき格別の所見を得られる見込も少なく、一方では手遅れになるおそれも十分に考えられ、このことと、次に認定する当時における腎生検についての一般的な考え方からすると、更に経過を観察すべきであったとすることも、またこれを理由に被控訴人佐藤が腎生検の適応の判断を誤ったとすることも妥当ではなく、したがって、右≪証拠≫中の右の見解は、この点に関する被控訴人佐藤の過失を認めるべき資料としては採用することができない。また、≪証拠≫中には、右≪証拠≫の見解と同趣旨の記載があるけれども、これらは、いずれも採用し難く、ほかには、被控訴人佐藤の右の過失を認めるに足りる証拠はない。

かえって、≪証拠≫を総合すると、急性腎炎は、いったん軽快したかに見えても中には慢性腎炎に移行しているものもあること、一方、慢性腎炎は、症状が多種多様であり、病態により治療方法も生活能度も左右されるものであるにもかかわらず、その正確な鑑別診断は極めて困難であるところ、その中には、例えば、本態性高血圧症と類似の症状を呈し、尿蛋白も時に陰性・時に陽性を示し、腎機能もほぼ正常ないし軽度に障害されているにすぎない場合があり、かかる場合は、本態性高血圧症と区別し難いものであるけれども、急性腎炎の既往歴のある患者については、ひとまず慢性腎炎ではないかと疑ってみるべきであること、しかしながら、多種多様な慢性腎炎のうちのどのような病態のものであるかについては、腎機能検査法の急速な進歩にもかかわらず、なお腎組織の病理像を正確に把握し難い場合があり、かかる場合には、結局は腎組織を直接に検査する腎生検によらざるを得ないこと、本件腎生検が行われた昭和三七年当時、我が国においても、腎生検がかなり普及し、腎疾患の診断、腎病変の解明、予後判定、治療方法の確定等のため腎生検が臨床医学上日常的に採用される検査法となりつつあったこと、腎生検の適応症は腎に汎発性変化を引き起こす疾患であって、その主要なものはいうまでもなく各種腎炎であり、また、禁忌症は出血性素因、高度の全身衰弱、腎梗塞、腎動脈瘤、腎周囲膿瘍、片腎等であること、腎生検は、当初予想されていた偶発症・合併症は極めて少なく、適応症の選択を誤ることなく慎重に手技を行えば格別危険な検査方法ではなく、肝生検・脾生検に比較するとむしろ安全であるとされていたこと、なお、小児に対する腎生検は、患者の協力が得られるか、又は全身麻酔を施して行う限り格別の支障はないこと、等の事実を認めることができる。右認定事実に照らして考えるに、前に認定した被控訴人栄治郎の症状は、腎機能は正常であり、また血圧も拡張期では正常であって、これらの点では慢性腎炎の症状は見られないが、同控訴人の急性腎炎の既往、そして、収縮期の血圧がしばしば一五〇以上の高い値を示し(特に、一六〇というのは、一四歳の小児(当時の同控訴人)にしては、かなり異常である。)、尿蛋白が出没する等の現症その他前認定の事情からすれば、被控訴人佐藤が慢性腎炎の疑いをいだいたのはもっともである。しかして、慢性腎炎が腎生検の適応症であることは右に見たとおりであり、既にした各種検査では確定的な診断を下し得なかった以上、出血性素因等の禁忌症のないことを確かめた上、腎疾患における早期のかつ的確な診断の重要性にかんがみ、同被控訴人が、控訴人栄治郎につき、腎生検を行う必要があると判断したのも、またかかる判断に基づき当時特に危険な検査方法とはされず腎疾患の診断方法としてかなり一般化していた腎生検を行ったのも、医学上相当である。ちなみに、日大板橋病院においては、控訴人栄治郎につき、軽度の慢性腎炎と診断し、減塩食を指示していたこと、及び扁桃剔出の手術をしたことは、前記一で認定したとおりであり、そして、≪証拠≫によると、同病院においても同控訴人の既往歴、現症等から腎生検の必要性を認めていたが、設備上の制約から、より緊急性のある患者を優先させたため、これを施行しなかったこと、なお右の扁桃剔出は腎炎予防のためのものであったこと、そして、同控訴人退院後も同病院は腎炎治療剤及び降圧剤を投薬していたこと等の事実を認めることができる。これらの事実によっても、被控訴人佐藤が控訴人栄治郎につき慢性腎炎を疑い、腎生検の適応ありとした判断の妥当性を裏付けることができる。

以上要するに、被控訴人佐藤には、腎生検の適応を誤った過失はないものといわなければならない。

三 次に患者側の承諾の点について考えるに、≪証拠≫を総合すると、腎生検をするに当たっては、患者に対しあらかじめ腎生検の意義ないし必要性及びそれが安全な検査法であることをよく理解させておくことが(特に小児では)大切であり、患者の同意を得た上で行わなければならないとされていたこと、当時腎臓に関しては一方の権威と目され腎生検についても昭和三十四、五年以来数百例の経験を有していた日大板橋病院第二内科においても、事前に同様の説明をして患者の同意を得ており、なお、術後出血することがあっても二、三日ないし一週間で止まるから大した心配はないという程度の話はしていること、前記鈴木医師は、第一回目の施術に先立つ昭和三七年一一月一三日、控訴人かつよに対し腎生検の施術の概略を告げて承諾を求めたが、控訴人栄治郎の扁桃剔出時出血がなかなか止まらなかったという事実が指摘されたため、同月一五日までに同控訴人につき慎重に出血傾向の検査を行って異常のないことを確認した上、同日重ねて控訴人栄治郎及びかつよに対し腎生検施行の承諾を求めたところ、右控訴人両名から幾ばくかの疑問点が提示されたため、この問答を通じて、右両名に対し、腎生検は背部から針を刺入して腎の組織片を採取し、これを顕微鏡で観察するという検査方法であること、控訴人栄治郎には既往歴、現症等から慢性腎炎の疑いがあるが、これを的確に診断する方法は腎生検以外にはないこと、施術に当たっては局所麻酔を行うので、苦痛はさほど大きくないこと、術後出血する場合があるが、やがて治まるから心配ないこと等の説明をした結果、右控訴人両名もこれを承諾したこと、そこで、同月一六日の第一回目の施術をしたが功を奏しなかったので、第二回目の施術が予定され、鈴木医師は、同月二二日から二四日までの間、再三にわたり控訴人栄治郎及びかつよに対し再度腎生検を行うことの承諾を求めたところ、第一回目の不成功により不安を感じていた右控訴人両名は難色を示していたが、第二回目の二四日当日にはとにかく準備のための注射(止血剤及び鎮静剤)だけは済ませたこと、その後間もなく施術担当の被控訴人佐藤が自ら説得のため現れ、施術の安全性すなわち七〇回余の自験例中失敗は皆無であったこと等を強調し不安を解消するよう努めた結果、右控訴人両名もようやく腎生検を受ける気持ちになり、控訴人栄治郎は、腎生検のため別室に赴き、椅子に逆向きに(椅子の背に向かって馬乗りに)腰を掛けて本件腎生検を受けたものであること、以上の事実を認めることができる。

右認定事実によれば、被控訴人佐藤は、自ら又は鈴木医師を通じて、右各腎生検につき、右控訴人両名から施術に必要な患者側の承諾を受けているものということができる。ところで、当時においては、前記二で認定したように、腎生検は特に危険な検査方法とはされておらず、むしろ右認定のように腎生検の安全なことを患者によく理解させておくことが大切であるとされており、腎臓における一方の権威とされていた日大板橋病院第二内科における説明も、出血はするが大した心配はないという程度のものであったのであるから、被控訴人佐藤(ないしは鈴木医師)が施術の安全性を強調して説得し、また危険性の告知については出血することもあるがやがて治まるという程度のものであったことは右に見たとおりであるけれども、その故に被控訴人佐藤の説明が不当であり不十分であったとすることはできない。したがってまた、危険性について真実を知らされていなかったことを理由に有効な承諾はなかったとする控訴人らの主張も採用することができない。また、第二回目の本件腎生検の当日、右控訴人両名がまだ確定的に承諾していないうちに鈴木医師が準備のための注射をした点についても、強制して無理に注射をしたとは認められず、最終的には腎生検そのものにつき右両名の承諾があったのであるから、右の点を特に取り上げて違法視することは、当を得ない。

以上の認定判断に抵触する証拠としては、≪証拠≫をそれぞれ挙げることができるけれども、これらはいずれも採用し難く、ほかには、右の認定判断を動かすに足りる証拠はない。

四 そこで進んで、本件腎生検における手技操作上の過失の有無につき判断する。

≪証拠≫を総合すれば、被控訴人佐藤は、不成功に終わった昭和三七年一一月一六日の第一回腎生検に引き続き、同月二四日午後一時四〇分から控訴人栄治郎の右腎に第二回目の本件腎生検を施し、終了後同控訴人はしばらく安静を保っていたところ、午後四時三〇分肉眼的血尿があり、同日中更に一回血尿があったこと、翌二五日いったん清澄となったが、二六日には朝から軽度の血尿が続き、夕方には新鮮血を排出し、その一部は凝固しており、尿意はあるが出ないとの訴えもあり、二七日以後も肉眼的血尿が続き、泌尿器科の応援を得て膀胱洗滌を行い凝血を流出させたりして対症療法の手を尽くしたこと、一二月一日血尿の色はいったん薄くなったが、二日には再び濃くなり、血尿は継続し、四日午前九時には再び新鮮血が流出し、排尿が困難となり泌尿器科の米瀬医師から出血が腎周囲に浸潤し付近の癒着を起こすなどのおそれがあるとの判断が示されたため、翌五日右腎の剔出を行うこととなり、五日午後二時三〇分から木本外科において右腎剔出のための開腹手術が施行されたこと、その際の所見は、腹腔内には大量の出血や血塊はなく、肝臓からの出血もなかったが、切開してみると腎に出血や梗塞があり、部分剔出も不可能ではないが技術的に難しく、また完全に止血し得ない場合もあり、圧迫止血に基づく血管の狭小化により高血圧増進のおそれもあるほか、血管異常があって片腎性高血圧を生じている可能性もあるところから、結局右腎全部の剔出が相当とされ、その手術が無事完了したこと、以上の事実を認めることができる。右認定の事実経過及び≪証拠≫からすると、右腎剔出という結果とならざるを得なかったのは、異常な腎出血が生じたためであり、その異常な腎出血は、本件腎生検にかかわりのある何らかの原因によるものであると推認することができる。

控訴人らは、右のごとき異常な腎出血を生じたのは、本件の穿刺針が腎髄質の相当深い所を損傷したからであると主張するので、本件の穿刺針が腎のいったいどの部分を刺したものであるかという点につき、検討を加えることとする。この点に関する証拠としては、まず、(1)前掲甲第二一一、第二一二号証及び第二六三号証並びに乙第二号証、(2)本件腎生検によって採取されたと思われる標本の写真として控訴人らから提出された甲第二三八号証の二ないし六を挙げることができる。右(1)の各証は、病理所見、手術時所見カルテの類であり、これらには本件損傷腎の略図及び説明等が記載されており、特にそのうちの楔状梗塞の形状、大きさ、古いか新しいか等は腎の損傷部位及び原因を知る上で重要な手懸かりとなるものと考えられる。しかしながら、右各証をしさいに比較対照してみると、かなりの食違いがあり、損傷部位を確定するための証拠として右各証のいずれを採用すべきかはにわかに決し難く(手術担当の木本外科作成という点では甲第二一二号証(四枚目)に、一歩離れた立場において病理的組織検査をした結果という点では甲第二六三号証(甲第二一一号証四枚目はその写)に、記載が詳細で具体的であるという点では乙第二号証(五二ページ以下)にそれぞれ証拠価値が認められ、これらの優劣を判定して取捨選択をすることは、極めて困難である。)、事の性質上、これら各証を彼此総合しておよその見当を付けることも相当でないのみならず、殊に略図にすぎないものから素人的推断を加えることは極力避けなければならない。そうすると、どうしても専門家証言に頼らざるを得ないところ、乙第二号証を示された上での前掲証人羽田野(医師・外科)の証言及び甲第二一一号証を示された上での同瀬戸(医師・病理)の証言は、いずれも、結局のところは損傷部位がはっきりせず不明であるという趣旨のものにとどまっている。次に、右(2)の甲第二三八号証の二ないし六の標本写真であるが、東大病院小児科医師榎本武作成の同証の七の写真説明書に、「昭和三七年一一月二四日の腎生検術によって採取されたと思われる標本」と記載され、あえて断定を避ける表現が採られているところからすると、果たして本件腎生検によるものであるかどうかという証拠としての特定性の点でいささか疑問がないわけではない(この疑問は、右写真説明書作成者たる前掲証人榎本の証言によっても、完全には解明されていない。)。ところで、この点の詮索はともかくとして、これら榎本写真は、それ自体では、穿刺針がどこまで入ったかを直ちに明らかにし得るものではないので、右写真説明書を見るに、同証の二の写真の「下部の組織は肝である。」、また同証の三の写真の「左側には主に腎皮質がみられ、右側には腎髄質が主にみられた。」と記載されている。そこで、当の作成者たる右証人榎本の証言を検討するに、同証の二を示された上での証言であるが、「正確に何センチ入ったとかそういうことは言えないと思います。ただこの検体から、顕微鏡からみた範囲では皮質も髄質もありますから、髄質まで入っていると思います。」との推測を述べているにすぎない。しかしながら、皮質部分から生検に必要な長さの組織を採取するために、髄質と互いに接し合っている所まで針を進めた場合には、髄質組織の一部が皮質と一緒に採取されてくる可能性も十分に考えられるところであるから、右に見た程度の証人榎本の証言では、これを参酌してみても、右に掲げた榎本写真をもって、針がどこまで入ったか、特に相接合する部分を越えて髄質内にまで深く入ったかを的確に認定することはできない。なお、肝組織の点については、同証人は、針が髄質を突き抜けて肝臓にまで達したという趣旨の証言はしていない。また、同証の二、三にある採取組織の長さから針がどこまで入ったかを測定する方法も考えられないではないが、穿刺の方向・角度及びその部位、穿刺針の構造、皮質部分の厚さの個人差等種々の条件を考慮に入れなければならないので、これら諸条件を度外視するのでは、所詮憶測の域を出るものではなく、皮質との接合部を越えて針が髄質内にまで深く入ったか等精確なところは分からないはずであるから、かかる方法によることはできない。以上要するに、右(1)(2)所掲の甲、乙号各証及びこれらを踏まえた上での右各証人の証言は、本件の穿刺針が腎のどの部分を刺したかということを確定するには不十分であり、まして、これら各証拠によって、穿刺針が腎髄質の相当深い所まで入り、止血不能を来すような太い血管を損傷したという控訴人ら主張事実を認めることは、不可能というほかはない。なお、前掲証人小川は、腎内のかなり大きな血管に欠陥があった旨証言するけれども、あくまで推量の域を出るものでないことは同証人自ら断っているところであり、同鈴木も、ほぼ同趣旨のことを証言しているけれども、「強いて言えば」と自ら断った上でのものであり、したがって、右各証人の証言は、いずれも採用し難い。そのほか、≪証拠≫には、控訴人らの右主張に添う趣旨の記載もあるけれども、これらはいずれも採用し難く、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

ところで、右のように損傷部位に関する個々の証拠を吟味した上で損傷部位を認定し得るかどうかを考えるのではなく、むしろ本件腎生検における一連の事象経過特に異常な腎出血という事態そのものから腎の損傷部位を推認し、該推認の結果からその原因を探求することも、もとより可能である。控訴人らは、本件において異常出血を招いたのは、被控訴人佐藤の手技がどこかで誤りを犯したものといわざるを得ないと主張するが、これも、異常出血をしたこと自体から逆に腎髄質の深い所を刺したという腎生検の手技操作上の同被控訴人の過誤が推認されるべきであるとするものと解される。しかも、前記二で認定したように、本件腎生検においては、控訴人栄治郎は、事前に、腎孟撮影、出血時間及び凝固時間検査等により、腎の奇形、出血傾向の異常等の禁忌症のないことの確認を経ていたのであるから、なおさら右推認がなされてしかるべきもののごとくである。しかしながら、≪証拠≫を総合すると、腎臓は殊に血流が多く、もともと出血しやすい臓器であり、出血するのは必ずしも太い血管を穿刺した場合に限られないこと、また個体によっては腎の血管に異常のあることもあり、その分布ないし走行状態には個人差があり、場合によっては、腎の皮質部分しか穿刺しない(髄質部分には達しない)のに出血することもあること、かかる出血もやがては止まるものと考えられており、したがって、前記二で認定したように、本件腎生検当時においては、腎生検が特に危険な検査方法とはされていなかったこと、等の事実を認めることができる。もっとも、かかる出血はやがて止まるという右の最後の点については、本件の全資料を精査しても、必ず止まるという証拠はなく、かえって、右認定の事実からすると、個々の生体の素因ないし傾向や生検針の穿刺に対する反応の仕方いかんによっては、右のごとき出血でも止血不能に陥ることもあり得るものと推認するのが相当であり、それゆえ、術前措置を含めて方式どおりに腎生検を行っても、個体によっては異常又は予想外の反応を示すことがあり、したがって、出血異常や止血不能があれば穿刺が深すぎたことになり、軽微な出血であればそうでなかったことになるという具合に直ちに一般化して考えることは必ずしも当を得ないものというべきである。この点は、全く同旨の≪証拠≫によっても裏付けられるのみならず、右のように結果自体から逆に原因を推認し得るような一般的な高度の経験則を見いだし得ないことこそ、医学上の各種施術の特徴であるということができる。≪証拠≫には、腎生検における偶発症・合併症の若干の事例の報告等が記載されているが、これらを総合してみても、腎の異常出血ということから直ちに穿刺が深すぎた等腎生検における手技上の過誤を推認し得るに足りるほどの医療経験が現実に集積しているとは認められず、したがって、これら各証から右のような逆の推認を可能ならしめるに足りる一般的な経験則を得るにはなお不十分というほかはない。他にかかる経験則を認めるに十分な資料もないから、結局、右のような逆の推認の方法により、本件の異常な出血を招くに至った因果関係、特にそれが被控訴人佐藤の何らかの手技上の誤りによるものであるという因果関係を認めることはできないことになる。むしろ、(1)≪証拠≫を総合すると、腎生検においては、いかに細心の注意をしてもある程度の偶発症・合併症の起こり得ることは避けられないこと、かかる偶発症、合併症が重篤な結果となるのを防止するため、術後の管理に十分意を用いなければならないとされていたこと、外国の例ではあるが、施術中もX線透視をしながら腎の位置を確認しつつ行う方法(この方法は、本件の当時はまだ我が国では行われていなかった。)においても、なおかかる偶発症・合併症が起こったという報告や、腎剔出のやむなきに至った症例につき後で組織を詳しく調べてみてもどこから出血したか分からなかったという報告などもあることが認められる。また、(2)≪証拠≫によれば、同被控訴人は、本件の約二年前から小児に対する腎生検を行っており、既に七十数例の臨床経験を有し、その間一回も失敗していないことが認められ、その熱練の度合からすると、不注意による手技の誤りも起こり得ないではないが可能性としてはまず少ないものと考えられ、一方、(3)≪証拠≫によれば、控訴人栄治郎の右腎には血管異常のあった可能性もうかがわれる(≪証拠≫中のこれに反する各記載は、採用することができない。)。そして、既に説示してきたところに、これら(1)ないし(3)の諸点をも合わせて考えると、本件の異常な腎出血は、腎生検における手技の誤り以外の原因、例えば患者側の特異な素因、傾向等によって生じたという可能性を否定し去ることができず、証拠上もかかる可能性を否定すべき資料はない。このように見てくると、訴訟上の因果関係の立証は、科学的証明ではなく、通常人が疑いを差しはさまない程度に真実性の確信を持ち得るものであれば足りるとされているけれども、その通常人の立場で考えてみても、右の出血が手技の誤り以外の原因によるのではないかとの疑念を差しはさまざるを得ないのである。

以上によれば、控訴人栄治郎に右腎剔出という事態をもたらした異常な腎出血が、被控訴人佐藤の腎生検の際の手技の誤りに起因するのか、それとも他の原因によるのか、その間の因果関係は、ついに明らかでないというほかはない。ところで、医療事故においては、因果関係が存否不明であっても、医師の側に重大な過誤があり、かつその過誤が一般に当該権利侵害を生じさせるのに適していると認められる場合には、医師の側でその過誤が右権利侵害を生じさせた原因でないことを証明しなければならないとして、挙証責任の転換を説く見解が、学説上有力に主張されている。そこで、以下、この見解に一応立脚した上で、被控訴人佐藤の過誤に関する本判決事実摘示二4所掲(1)ないし(8)の控訴人らの各主張につき検討を加えることとする。

まず、腎下極を穿刺点とすべきであったのに上部を穿刺したという(1)の主張については、≪証拠≫を総合すれば、同被控訴人は、本件腎生検において右腎外側を穿刺点としたこと(右腎上極ないしは最上部を選んだと認めるに足りる証拠はない。)、当時、腎生検における穿刺点の決定法(と穿刺方法)については、多くの人々が、他の臓器等を穿刺する可能性、腎を深く穿刺した場合の危険性、呼吸性移動による感知の難易等の比較衡量から種々の提案をしていたところであり、その中でも右腎下極というのが比較的多数ではあったが、一部にはそれよりも少し上の外側というのもあり、また、成功率を重視して右腎上半分を目標に穿刺している例もあって、下極というのが必ずしも定説ではなかったこと、同被控訴人が右腎外側を選んだのも、穿刺針が腎門付近の中心部に達して大きな出血を招くということのないようにとの配慮からであること、等の事実を認めることができる。このように、当時においては右腎下極というのが比較的多数ではあったものの、定説とはなっておらず、一方、被控訴人佐藤が右腎外側を選んだについても、右のごとく安全性の点の配慮(この配慮自体を不合理とするに足りる資料はない。)もした上のことであるから、右腎下極という比較的多数の例に従わなかったからといって、同被控訴人の過誤と断ずることはできない。ほかには、この点の過誤を認めるに足りる証拠はない。次は、腎孟撮影時の体位と施術時の体位とが異なるという控訴人らの(2)の主張についてであるが、≪証拠≫によれば、同被控訴人は、臥位で撮影した上腰掛位で本件腎生検を行ったことが認められるけれども、一方、≪証拠≫によれば、腎孟撮影による腎位置の確定は穿刺姿勢と同じ体位で行うことが理想ではあるが、腰掛位で穿刺する小児については、同じ腰掛位で撮影したのでは体動が大きく撮影上困難であるところから、本件の当時においては、撮影は臥位ですることとし、穿刺の際には体位性移動を考慮して多少加減することとされていたことが認められる。そうすると、被控訴人佐藤が穿刺時と同じ体位で撮影しなかったことをもって、直ちに同被控訴人の過誤とすることもできず、ほかには、この点に関する同被控訴人の過誤を認めるべき証拠はない。その次の(3)ないし(7)の主張は、いずれも、針を刺入して操作するという具体的な手技そのものに関する過誤を指摘するものであるが、これら主張事実を認めるに足りる証拠はない。なお、損傷部位を確定した上でないしは一連の事象経過それ自体から何らかの手技操作上の過誤が認められないかというに、かかる認定をなし得ないことは、既に説示したとおりである。最後の(8)の主張については、≪証拠≫によれば、腎生検における腎組織採取の成功率はおよそ七、八十パーセント止まりであり、初回で採れなかったりして同一の機会に二、三回ぐらい穿刺が試みられることは異例でないことが認められ、このことと≪証拠≫を総合すると、本件腎生検においても、右二、三回程度は穿刺が試みられたものと認め得るけれども、この点は、格別過誤と見なければならないほどのものではなく、また、その間に被控訴人佐藤があせったりした等、控訴人ら主張事実を認めるべき証拠はない。このように、控訴人らの(1)ないし(8)の主張はいずれも採用し難く、そのほか、本件の全証拠を精査しても、これら以外の点でも同被控訴人の手技操作上の重大な過誤を認めるに足りる証拠はない。

以上のとおり種々検討を重ねてきたけれども、なお、本件腎生検における被控訴人佐藤の手技操作上の過失は、結局、これを認めることができない(そもそも、異常な腎出血をもたらした因果関係自体も明らかでない)ことに帰着する。

五 最後に、本件腎生検施行後の経過観察ないし医療措置に関する過失の有無につき判断する。

前記四の初めの部分で認定した本件腎生検施行から右腎剔出に至るまでの事実経過、≪証拠≫を総合すると、被控訴人佐藤及び鈴木医師(以下「被控訴人佐藤ら」という。)は、昭和三七年一一月二四日、本件腎生検の施術後、控訴人栄治郎に安静臥床をさせるとともに、頻繁に血圧、脈搏を測定し、腹痛の有無に注意するなどして同控訴人の容態の把握に努めていたところ、同日午後四時三〇分肉眼的血尿が見られたのを端緒として、以後前記四認定の血尿ないし出血症状を呈し、また腹痛の出没も認められたこと、この間、被控訴人佐藤らは、症状に応じて止血剤・抗生物質・鎮痛剤の投与、輸血、輸液等の保存療法を試み、泌尿器科の応援も得て対症療法の手を尽くしたけれども奏効せず、なお血尿が続き、同年一二月四日には新鮮血が流出した後排尿困難に陥ったため、泌尿器科の米瀬医師の来診を仰いだところ、尿閉と腎周囲の癒着の危険が指摘されるとともに、早急に腎の剔出を行うべきであるとの意見が示されたため、翌日にも腎剔出を行うとの方針が決定されたこと、そして、翌五日午後二時三〇分から木本外科において腎剔出のための開腹手術が行われたところ、右腎の所見から部分剔除の可能性も一応検討されたが、前記四認定のように、止血が困難であること等の理由により、結局全部の剔出が相当とされ、以後の手術は無事完了したこと、右手術後は、被控訴人佐藤らのほか、右手術に立ち合った木本外科の医師数名も診療に加わり、ともに経過観察に努めたところ、術後の経過は良好で尿も良く出て左腎の機能も全く正常と考えられたものの、尿ないし腎の関係とは別に、同月六日以降悪感戦慓、腹痛、腹部膨張感、嘔吐、吐気等を訴えるようになり、腸雑音も出没したが、必ずしも症状が定まらず、同月一九日の段階では、排便があり、腸ガスはない等腸閉塞は考えられない状況であったので、なおしばらく保存療法に努めていたこと、ところが、同月二〇日ごろから腸閉塞を疑わせる徴候が見られるようになり、同月二三日に至って腸閉塞に間違いないと思われる症状が現れたので、控訴人栄治郎は、木本外科の佐藤、塙両医師の診察を受けた後同外科へ転科し、同日午後六時三〇分から、同外科において、再び開腹した上、小腸の癒着部分を剥離して通過障害を除去するとともに、血液の循環障害を起こした部分と奨膜を来した部分の二箇所(計七〇センチメートル)を切除する手術を受けたこと、なお、開腹手術後に大なり小なりの癒着を起こすことは避けられないが、癒着が起きたからといって必ず腸閉塞に進展するわけではなく、むしろその可能性は少ないこと、癒着、腸閉塞を未然に防止することは不可能であること、一方、同控訴人の右手術後の経過は特に異常もなく、体力の回復をまって翌三八年一月二一日再び小児科に転科して療養を継続し、同年二月二二日退院したことを認めることができる。

右認定事実に照らして考えるに、本件腎生検施行後の控訴人栄治郎に対する被控訴人佐藤その他関係医師の経過観察及び医療措置には、適切を欠き不十分なところがあったとはいい難く、したがって、注意義務の懈怠その他の過失を認めることができず、他にこれら関係医師に過失があったとすべき事情を認めるべき証拠もない。かえって、同被控訴人は、関係医師とともに、最善を尽くしたものと認められ、同被控訴人には、その間に何らの過失もなかったものといわざるを得ない。

(岡松 田中 賀集)

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