大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和50年(う)1131号 判決 1977年6月27日

本店所在地

東京都北区王子一丁目九番地

世界観光開発株式会社

右代表者代表取締役

堀川喜太郎

本籍

埼玉県東松山市大字石橋一八八九番地

住居

東京都豊島区南大塚三丁目一一番二号

会社役員

飯島善治

大正三年三月二三日生

右の者らに対する法人税法違反被告事件について、昭和五〇年四月九日東京地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し、弁護人から各適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官設楽英夫出席のうえ審理をし、つぎのとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人笠原力、同松井元一共同作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官設楽英夫作成名義の答弁書記載のとおりであるから、これを引用し、これに対して、当裁判所は、つぎのとおり判断する。

一、控訴趣意(以下趣意という)第一の一ないし五について。

この点についての当裁判所の判断は、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の一および三ないし六で説示するところと同一である。すなわち、

1  趣意第一の一については、関係証拠によると、被告人世界観光開発株式会社(以下被告会社という)は同社の業務全般を統轄していた被告人の指示により原判示のように被告会社の経営していた合計九店のキヤバレーの売上金額を一〇パーセントまたは五パーセント除外し、その残りの売上金額に対応する公表の売上伝票は改めて被告会社の事務所で作成し、公表帳簿上の売上として右残額のみを記帳したこと、売上除外した金員は各店の営業責任者から被告人の手元に集められ、被告人はこれを原判示のように経理担当責任者に命じて原判示の信用金庫支店の被告人の個人名義の口座に入れ簿外預金とし、雑収入の一部も簿外としていたこと、右売上の一部除外は所論のように売上額に対応して徴収義務者として納付しなければならない料理飲食等消費税(以下料飲税という)の支払の一部を免れ、その免れた金員を裏資金として資金繰りを容易ならしめることにあつたとともに、他面この売上除外により原判示のように法人税を過少に申告して納税義務を過少に確定させ、申告外の法人税額を免れる意図があつたことが認められる。そして右売上除外の方法ならびに簿外預金の設定が料飲税ほ脱のための不正な方法による売上高秘匿工作であるとともに法人税ほ脱のための不正な方法による所得秘匿工作であることは極めて明白である。そればかりか、被告人は前記のように、真実の所得を隠蔽しそれが課税対象となることを回避するため、所得金額をことさら過少に記載した確定申告書を税務署長に提出することを認識認容していたのであつてこのような行為自体所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」に該当すると解すべきである(最高裁昭和四六年(あ)第一九〇一号・同四八年三月二〇日第三小法廷判決・刑集二七巻二号一三八頁参照)。原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

2  趣意第一の二については、原審における証人堀川喜太郎および被告人の各供述(供述記載も供述という。以下同じ)中に所論の事実にそう供述がある外他にこれを認めるべき証拠はない。そして右堀川証人および被告人の供述は原判決が「弁護人の主張に対する判断」三の2で説示するところと同一の理由からこれを措信することができない。原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

3  趣意第一の三については、本件記録によると、原判示のように被告人が白石清に対し何がしかの現金を支給したり、遊興飲食代金の請求をしなかつたりしたことはこれを認めることができる(被告人が白石清に対し年間一二〇万円の簿外給与を支払つていたことは認められない。)けれども、原審における証人白石清、同飯塚富三郎および被告人の供述により認められる白石と被告人との従前からの関係、白石が被告人から金を出させるようになつた経緯、白石の態度に対する被告人の考え方などに徴すると、被告人の白石に対する右金員の支払いは白石が被告会社の業務として何らかの役務を提供し、これに対する報酬として被告会社の経営者として支払つたものというよりも、被告人が白石との間のいろいろな経緯、交際の上で同人の所得のうちから小遣銭として提供したものと認めるのが相当であるから、被告人の白石に対する金員の支出は被告会社の経費と認むべきではない。原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

4  趣意第一の四については、原判決が「弁護人の主張に対する判断」五の2の冒頭で挙示する証拠を綜合すると、原判示のように被告人と平和新天地建設株式会社の間に、同社が王子百貨店から賃借している同百貨店の三階の一部に所在する「王子プリンセス」店を共同経営し、同店の総売上金の二割相当額を右会社に支払い、それが八〇万円(当初は三五万円)に満たないときには利益分配として最低歩合金(最低保障額)八〇万円(当初三五万円)を支払うという形式の契約がなされ、その後被告会社が被告人の右契約上の地位を引き継いだこと、右利益分配の額については鈴木仙八が存命中に同人の選挙その他政治活動の際に応分の寄付をすることなどの形で最高額として売上の一割あまりを被告人が支払つたことがあつた外には総売上額のいかんにかかわらず、右最低保障額のみを支払つてきたものであること、「王子プリンセス」店の経営に平和新天地建設株式会社は一切関与したことはなく、同会社が被告会社に対し総売上額の二割相当額を利益分配として明確に請求したのは本件査察開始後のことで長期間放置されていること、右最低保障額の金員の性質については被告会社および平和新天地建設株式会社とも経理上固定額の家賃として取扱つており、昭和四六年一一月からは被告会社から光熱費、水道料等としてさらに月二〇万円を平和新天地建設株式会社に支払い、被告人としては右店舗の総売上の二割相当額と既払の最低保障額との差額の支払についてこれを履行する意思がなかつたことが認められ、以上の事実に徴すると、原判示のように平和新天地建設株式会社と被告会社間の「王子プリンセス」に関する契約は同店の共同経営という形式はとつているものの、その実質は王子百貨店三階の右店舗部分の賃貸借契約に過ぎず、右最低保障額が右店舗部分の賃料であつて、右両当事者間においては右最低保障額を超える二割相当額に達する部分は利益分配として平和新天地建設株式会社が被告会社に任意の履行を期待するにとどまる一種の自然債務的性格を有していたと認めるべきである。原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

5  趣意第一の五については、原判決が「弁護人の主張に対する判断」六の2の冒頭で挙示する証拠を綜合すると、六の2の(1)ないし(3)の事実を優に肯認することができ、以上の事実に照らすと、所論の被告会社の株式会社日本色彩社に対する債権は昭和四八年一月三一日期において貸倒れ損として計上すべきもので、昭和四七年一月三一日期においてはまだ回収の見込がなかつたとはいえず、かつ債権抛棄の確定的意思表示もなされていなかつたものと認められるので、貸倒れ損として計上することはできないというべきである。原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

二、趣意第二について。

本件犯行の態様、ことにほ脱した税額が三事業年度にわたり合計六、二一六万九、六〇〇円の多額にのぼつていること、その手段、方法が計画的であることなどに徴すると、被告会社および被告人に税法違反の前科がないことやその他有利なすべての事情を考慮しても、原判決の量刑が重過ぎると認むべき事由を見い出し得ない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 東徹 裁判官 石崎四郎 裁判官 長久保武)

○控訴趣意書

法人税法違反 世界観光開発株式会社外一名

右被告人に対する頭書被告事件につき、昭和五〇年四月九日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、同月一五日控訴の申立をしたが、その趣意は左記のとおりである。

昭和五〇年七月一七日

主任弁護人 笠原力

弁護人 松井元一

東京高等裁判所

刑事第一部御中

第一、原判決には事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れないものと思料する。

原判決が認定した事実は、「被告人世界観光開発株式会社(以下被告会社という)は肩書地に本店を置きキヤバレー営業等を目的とする資本金八〇〇万円の株式会社であり、被告人飯島善治(以下被告人という)は被告会社の事実上の経営者として被告会社の業務全般を統轄しているものであるが、被告人は被告会社の業務に関し法人税を免れようと企て、売上の一部を除外して簿外預金を設定するなどの方法により所得を秘匿したうえ、第一昭和四四年二月一日から昭和四五年一月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が別紙第一記載のとおり七、九六一万七、六四二円あつたのにかかわらず、昭和四五年三月三一日東京都北区王子三丁目二二番一五号所在の所轄王子税務署において、同税務署長に対し、所得金額が二、八四六万三、〇二四円で、これに対する法人税額が九七五万二、〇〇〇円である旨の虚偽過少の法人税確定申告書を提出し、もつて不正の行為により被告会社の右事業年度における正規の法人税額二、七六五万五、九〇〇円と右申告税額との差額一、七九〇万三、九〇〇円を免れ、第二昭和四五年二月一日から昭和四六年一月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が別紙第二記載のとおり四、三三四万五、四八二円であつたのにかかわらず、昭和四六年三月三一日前記王子税務署において、同税務署長に対し、所得金額が九八七万八、八八三円でこれに対する法人税額が三三六万七、六〇〇円である旨の虚偽過少の法人税確定申告書を提出し、もつて不正の行為により被告会社の右事業年度における正規の法人税額一、五六六万六、七〇〇円と右申告税額との差額一、二二九万九、一〇〇円を免れ、第三昭和四六年二月一日から昭和四七年一月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が別紙第三記載のとおり一億五〇万六、七八七円であつたのにかかわらず、昭和四七年三月三一日前記王子税務署において、同税務署長に対し、所得金額が一、八〇三万二、〇五九円でこれに対する法人税額が六三六万四、二〇〇円である旨の虚偽過少の法人税確定申告書を提出し、もつて不正の行為により被告会社の右事業年度における正規の法人税額三、八三三万八〇〇円と右申告税額との差額三、一九六万六、六〇〇円を免れたものである。」というのである。

しかし、被告人は、本件公訴事実につき、先ず冒頭の事実のうち、被告会社が東京都北区王子一丁目九番地に本店を置きキヤバレー業等を目的とする資本金八〇〇万円の株式会社であること、被告人が被告会社の事実上の経営者として被告会社の業務全般を統轄していること、売上の一部を除外して簿外預金を設定したことは認めるが、被告人が被告会社の業務に関し法人税を免れようと企てたとの点および不正な方法により所得を秘匿したとの点は否認し、第一事実のうち、昭和四五年三月三一日王子税務署長に対し所得金額金二、八四六万三、〇二四円、これに対する法人税額金九七五万二、〇〇〇円である旨の法人税確定申告書を提出したことは認め、その余は争い、第二事実のうち、昭和四六年三月三一日王子税務署長に対し所得金額金九八七万八、八八三円、これに対する法人税額金三三六万七、六〇〇円である旨の法人税確定申告書を提出したことは認め、その余は争い、第三事実のうち、昭和四七年三月三一日王子税務署長に対し所得金額金一、八〇三万二、〇五九円、これに対する法人税額金六三六万四、二〇〇円である旨の法人税確定申告書を提出したことを認め、その余は争つている。そこで、その真否について、弁護人の立場より逐次検討を加えることする。

一、先ず、被告人が、被告会社の業務に関し法人税を免れようとしたか否か、また不正な方法により所得を秘匿したというるか否かについて考究する。

被告会社が法人税の一部を 脱したことは形式的には認められるが、しかし、<1>被告会社が所得を少くしたのは、法人の所得を圧縮して過少申告をするためではなく、遊興飲食税を一〇〇%払つていないので、それにあわせるため売上(所得)を減らしたものとみられること(飯塚富三郎(四)公判供述。栗林広行(九)公判供述)、<2>遊興飲食税は、経営が赤字でも国税と異り一〇〇%払わなければいけないので、店によつては潰れることもあるため、未払の店が増えているし、また飲食税を払わずに仮装倒産までする店も三割位はあつたと思われること(飯島善治(一六)公判供述)、<3>従つて、被告会社でも、遊興飲食税の支払は、査察当時七〇%前後であつたが、この比率は業者間の平均を上廻る数字であつたこと(右栗林(九)公判供述。右飯島(一六)公判供述)。<4>被告会社では、査察による遊興飲食税の追徴と、倒産した有限会社飯島商事の滞納飲食税等八、〇〇〇万円位の税金および一般債権の支払に充てる必要から、被告会社の売上の五%乃至一〇%の売上除外金(飲食税相当分)を捻出し、別途預金をしていたこと(右飯島(一六)公判供述)、<5>そのため、被告会社では、旧債の支払を経費として計上することができないため、利益計上していること(右栗林(九)公判供述)、<6>被告人は、簿外預金を、架空名義、あるいは被告会社と取引の全くない金融機関に預金したのではなく、被告会社の取引金融機関である巣鴨信用金庫大塚支店に被告人個人名義で普通預金をしていること(右飯島(一六)公判供述)などよりすると、被告会社の飲食税相当分の逋脱にとどまるので、被告会社の業務そのものについて逋脱の意思があつたものとは認められないし、また被告人の執つた本件簿外預金の設定の方法が不正なやり方になるかどうかについては、甚だ疑わしいと考えざるを得ない。この点に関する原判決の判断は、形式的でその実質をみないものであり、到底左袒することができない。

二、堀川喜太郎に対する簿外給与について

被告人の第一六回公判廷における供述によれば、<1>有限会社飯島商事の不渡り後は、銀行取引の関係で、被告人が代表者になることは何かとうまくないので、被告会社の代表者を堀川喜太郎に頼むことになつたこと、<2>右堀川は、昭和四六年末か昭和四七年に一時代表者を辞任し、喫茶店営業を一年位やり失敗してから被告会社に復帰したものの、体の具合が悪くて入院してしまつたこと、<3>右堀川の仕事は、警察関係、保健所関係および各店長の監督などであつたこと、<4>右堀川には、給料の外に裏の金から昭和四四年より二〇万円、昭和四五年より二五万円、昭和四六年より三五万円の支払をしてきたが、喫茶店営業を始めたため、店を廻らなくなつたので、裏からの金の支出を中止したこと、<5>右堀川に対する裏の金は、簿外預金より支払つたこと、<6>裏の金を払つたのは、右堀川より、遅くなつたときのタクシー代、よその店へ行つたり、あるいは、店長連中との融和のための飲食費として金が要るとの要望があつたので、支出したことが認められ、さらに証人堀川喜太郎の第一一回公判廷における供述によると、<1>代表取締役の立場より次第に交際が広くなつたのと、被告人が旅行、会合に出ないこともあり、他店の経営状態の視察、被告会社の各店舗別の従業員との慰安旅行の飲食費、同業組合(全国単位と地区単位の組合を含む。)の旅行の際の飲食費、ホステスに対する貸付(被告会社ではホステスに対する貸付を禁止している。)などで費用も増えてきたため、昭和四四年になり被告人に請求し、昭和四七年一月まで本俸以外に特別に支払いを受けていたこと、<2>その金額も毎年増額し、昭和四四年二月一日より昭和四五年一月三一日まで月二〇万円、昭和四五年二月一日より昭和四六年一月三一日まで月二五万円、昭和四六年二月一日より昭和四七年一月三一日まで月三五万円にして貰つていたこと、<3>証人が被告人より貰つた給与外の金は、領収証などは出していないので、会社の裏金より出ていたと思つていたこと、<4>給与外の金は、被告人より毎月定額を貰わないこともあつたが、トータルでは毎月の定額分を受取つていたこと、<5>しかも、給与外の金は、その使途とともに手帳に記入していたが、右手帳は喫茶店営業を始めるため転居したとき紛失してしまつたこと(検察官および原判決は、押収してある手帳に給与外の金の収支が殆ど記入していないとの批難をしているが、この手帳は本件手帳とは別箇のものであるので、右批難は当らないと考える。)<6>証人が被告人より給与外の金を貰わなくなつたのは、昭和四七年三月より喫茶店営業を始めるため、被告会社の方が非常勤取締役となつたためであり、その後廃業し被告会社に復帰してからは、自宅二階より転落して腰椎を骨折し、王子の貴家病院、あるいは甲州温泉病院で治療を受けていたため、被告会社の業務も以前ほど出来なくなつたからであること(ところで、証人が昭和四七年三月一八日より昭和四八年三月二〇日まで東京都北区豊島一丁目一八番一〇号で「ドレイル」の名称にて喫茶店営業をしていたことは、弁一〇号証((証明書)の記載よりして明かである。)、などが認められる。しかも、被告人が、査察のとき右堀川に対する簿外給与金支払の事実を言わなかつたのは、被告人の第一七回公判廷における供述によると、<1>査察当時一億何千万円もの利益が出ることを全く予想していなかつたこと、<2>昭和四七年一月期の申告のとき、三、〇〇〇万円の申告を希望したが、一、五〇〇万円の数字しか出なかつたので、王子税務署の調査のあることを予測し、調査があれば税務署の点数をあげるため、一、五〇〇万円を出せばよいとの考えでいたこと、<3>当時飲食税として年間三、五〇〇万円乃至四、〇〇〇万円の預り金があつたので、それを差引くと殆ど法人税は出ないと思つていたからであること、<4>国税局に嘆願書を出したとき、平和新天地建設株式会社の未払歩合金および株式会社日本色彩社の貸付金につき記載しながら、右堀川に対する簿外給与金のことを書かなかつたり、検察官に対してもこの事実だけを言わなかつたのは、他の従業員に対する給与外の金との均衡上内緒にしておこうとの考えがあつたからであることなどが判るし、さらに右堀川の業務の性質より推測される支出を賄うのに、本俸だけで足りるとは思えないことからすれば、右堀川に対する簿外給与金の支払いがあつたものと考えざるを得ない。この点に関する原判決の判断は、一を見て他を見ざる嫌いがあり、到底賛成することはできない。

三、白石清に対する簿外給与について

被告人の第一六回公判廷における供述によれば、<1>被告人が、昭和二五年ごろ御徒町の鉄道高架下に出す店舗の営業許可をとるのに、白石清に骨を折つて貰つたことから同人と知り合つたこと、<2>そこで、右白石には、警察関係、保健所関係、鉄道関係、ホステスの斡旋などを頼んだりしていたので、二年位の間月二万円(当時としては大金であつたことが推測できる。)位の手当を出していたこと、<3>昭和四〇年ごろ「浦和女の世界」を開店するとき、建物の賃借をするのに、白石の世話になり、再び交際をするようになつたが、同人が浦和に居住していたこともあつて、顔の広いことを考え、以前のように警察、あるいは保健所関係の仕事を頼み、再び手当を払うようになつたこと、<4>その後、右白石の仲介により、被告人が代表者、妻政枝および右白石が取締役であつた有限会社三久において、右浦和店およびその裏のストリツプ劇場の建物を購入できたこと(ところで、被告人らが三久の取締役であることは、弁一三号証の商業登記簿謄本の記載よりして明かである。)、<5>右白石には、三久より月に一〇万円払つていた外、昭和四四年ごろより被告会社の顧問として簿外預金より月一〇万円づつ支払つてきたこと、<6>ところが、右白石に集金を頼んでいたストリツプ劇場よりの賃料が未払になつたことと、被告会社振出の手形と交換した右白石が代表者をしていた競技場事業株式会社振出の手形および小切手が不渡りとなつたこともあつて、右白石に対する不信感より昭和四七年初ごろから同人に対する顧問料の支払を中止するに至つたこと(この点は、弁一三号証の登記簿謄本の記載から明かなように、右白石が昭和四八年一〇月五日付で取締役を辞任していることからも推認することができる。)、などが認められ、さらに、証人白石清の第一二回公判廷における供述によると、<1>証人が、被告人を知つたのは終戦後のことで、被告人より経営上の企画につき相談を受けたり、あるいはキヤバレーのキツチンの主任の世話をするなど何かと事業上の相談を受けていたこと、<2>その後、被告人が被告会社を設立した後も、前と同様いろいろと相談を受けていたこと<3>また、被告会社の「浦和女の世界」開店にあたり、官庁、商店会等と連絡をとつたり、各方面より人を集めるなどして協力し、開店後も経営相談を受けていたこと、<4>昭和四二年終ごろより昭和四八年一月ごろまで、被告人との話合で、被告人より交通費、諸雑費として月一〇万円づつ貰つていたこと、<5>右浦和店の建物は、証人が実質的経営者であつた有限会社三久の所有であり、被告会社より賃料として月三五万円貰つていたことが判るし、また証人飯塚富三郎の第一五回公判廷における供述によつても、被告人が右白石に対し三久の賃料より支払をしていたこと、などが認められる。しかも、被告人が査察のとき右白石に対する簿外給与金支払の事実を言わなかつたのも、被告人の第一七回公判廷における供述によると、右堀川喜太郎の場合と同様の理由からであること。さらに、右白石の仕事の性質より推測される支出を賄うのに金が必要であつたことからすれば、右白石に対する簿外給与金の支払はあつたものと考える。この点、原判決は、被告人が右白石とのいろいろな経緯、交際の上で自己の所得のうちから同人に小遣銭を提供していたにすぎず、しかもこの支出は個人的なもので被告会社の経費とは認められない旨の判断をしているが、前記のように、被告人は被告会社の業務を別にして右白石に金員を支払う理由もないものと思料されるので、右判断は事実誤認と謂わざるを得ない。

四、平和新天地建設株式会社に対する未払歩合金について

被告人の第一七回公判廷における供述によれば、<1>昭和三四年ごろ平和新天地建設株式会社と王子百貨店の代表者であつた鈴木仙八の選挙地盤内に、被告人の経営する店があつたことから同人を知つたこと、<2>被告会社では、昭和三七年夏ごろより王子百貨店(建物)の地下を使いキヤバレー「女の世界」を、三階の一部を使用してキヤバレー「王子プリンセス」を経営していたこと、<3>「王子プリンセス」について、鈴木仙八と最初に契約をしたときは、保証金と敷金とが非常に少かつたこともあり、共同経営の約束をし、その後二年毎に契約を更新してきたが、「女の世界」の方は当初より通常の賃貸借契約であり、現在の賃料は月六〇万円位であること、<4>共同経営による歩合金は、当初売上の二割、最低三五万円であり、その後昭和四二年八月一二日の更新のときから最低歩合金を八〇万円に増額したこと、<5>鈴木仙八は、地下の店の利益があがつていたのをみて、三階の店の方を共同経営の形で契約をしたものとみられること、<6>従つて、共同経営の契約も、鈴木の方で起案してきたものに、被告人がただ署名、押印をしたにとどまること、<7>鈴木仙八の存命中は、歩合金と飲食代とで月に一〇〇万円位払つていたが、その比率は売上の一割二、三分位であつたが、最低金額分のみ領収証を貰い、それを超える分については右鈴木の希望もあり領収証を取らなかつたし、またその外に区議選、衆議院選、参議院選のときに、鈴木より歩合金の要求を受けてこれを払つてきたこと、<8>鈴木仙八が死亡し、鈴木たけが代表者になつてから後、遊興飲食税の徴収がやかましくなり、五〇%ではなく、七〇%位も払うようになつてきたので、最低金額を払うのが精一杯であつたから、鈴木の方より何か言つてくれば払う積りで、最低金額の八〇万円だけを払つてきたこと、<9>国税局の査察があつてから、鈴木より「査察が入る位だから相当儲うかつているのであろう」と言つて、差額の歩合金の請求を受けたこと、<10>その後、平和新天地建設株式会社から被告会社宛に、内容証明郵便により、月四〇〇万円以上の利益があるからといつて歩合金の差額請求を受けたが、裁判中でもあるし、金もないので今のところ未払いではあるが、場合によつては差額の支払いに代えて三階の方を明渡すことを考えていること、などが認められる。この事実は、証人鈴木たけの第一二回公判廷における供述によると、<1>亡夫鈴木仙八の死亡後も、被告会社との契約を更新しているが、その内容は従前の契約をそのまま踏襲したものであること、<2>右仙八は存命中被告人より八〇万円以上の歩合金を貰つていたが、それは同人の選挙その他のときに受取つていたこと、<3>被告会社に使用させている「王子百貨店」の建物内には、外にも賃料徴収方式ではなく、歩合金方式のものがあり、後者の場合でも定額しか貰つていない店と、それ以上貰つている店とがあること、<4>証人が王子百貨店の代表者になつてから、「王子プリンセス」に行つたこともあつたが、病気勝のため最近は殆ど行つていないこと、<5>しかし、当初見廻に行つたときは、具体的な売上は判らなかつたが、経営は良かつたと思つていたこと、<6>被告会社には、国税局の査察の入る前から、定額の八〇万円の値上げと、利益があがつていると思われたので、売上の二割相当分を払うことを含め、被告人に対し、値上げを要求し、被告人も払うと言つていたが、現在まで払つて貰えなかつたこと、<7>国税局の査察後に、顧問の中村源蔵弁護士と相談し、正式に被告会社に二割相当分の歩合金の請求をしたことなどが認められるし、さらに、<1>契約書の記載は、必ずしも正確ではないにしても、第二項に歩合金に関する記載のあること(弁三号証)、<2>昭和四八年一月一〇日付平和新天地建設株式会社宛の内容証明書の存在すること(弁四号証)、<3>「王子プリンセス」の売上明細書によると、昭和四四年度より昭和四六年度までの間に、各期に売上の二割に相当する歩合金のあつたことが判ること(弁一二号証。右飯塚(一六)公判供述参照。)。<4>しかも、被告人が査察のとき、平和新天地建設株式会社に対する未払歩合金の事実を言わなかつたのは、簿外預金からこれを払えばよいとの考えがあつたからであること、などよりして、これを認めることができる。してみれば、未払歩合金の支払はあつたものであり、また契約上これを払わなければならなかつたものと考える。この点原判決は未払歩合金の性質について、平和新天地建設株式会社が被告会社に任意の履行を期待するにとどまる一種の自然債務的性格を有していたものとの判断をしているが、平和新天地建設株式会社が被告会社に対し未払歩合金の支払を内容証明書により請求しながらそのまま放置していること、鈴木仙八の死後右歩合金を受取つていないことなどより右判示をしたものと推測される。しかし、原判決の判断には明かに論理の飛躍があり承服できない。

五、株式会社日本色彩社に対する貸倒れについて

被告人の第一七回公判廷における供述によれば、<1>昭和四四年より福田赳夫の秘書の仲介もあり、被告人が日本色彩社の赤字補填のため一、〇〇〇万円の増資をするとき六〇〇万円を出資したことから、同社の代表者に就任したこと、<2>その後、被告人は半年位経つたころ、借財の多すぎたこと、不良在庫の多いこと、労働攻勢の激しいことなどから、一〇年位前より取引のあつた被告会社の出入商人である大山武に対し、経営を委託したこと、<5>被告会社では、被告人が右色彩社の代表者のとき、現金、あるいは手形などで六、〇〇〇万円位の貸付をし、その資金は簿外預金などより支出していたこと、<4>右大山が、後任の代表者になることを引受けたのは、右大山の会社も、右色彩社に対し、材料代金の未収が四、〇〇〇万円位あつたので、被告人より、この会社に入ればその回収も可能であろうとの話があつたのと、被告会社の右色彩社に対する六、〇〇〇万円位の貸付金を放棄するとの話があつたからであると思われること、<5>しかし、他の債権者の手前もあり、放棄の事実を書面化することを避ける必要から、はつきりさせなかつたものであること、<6>右色彩社の代表者が右大山より中村清七に交代したときは、被告人にも報告があり、同社の建物および借地権を森ビルに売却するときも、被告人個人名義で売り、その金の処理については、右中村より被告人に報告してきたこと、<7>右中村も右大山より聞き右六、〇〇〇万円位の貸付金放棄の事実を知つていたし、昭和四四年秋ごろ右建物等を処分した後、右中村より被告人に対し債権者の大島が自分の債権三、〇〇〇万円を放棄したとき、これと一緒に帳簿上も抹消したいとの申入れがあつたこと、<8>その後、昭和四八年一月二七日付で被告会社より右色彩社宛に債権放棄の内容証明書を出したが、これは右中村より右大島の方で放棄してくれないので、被告会社だけでもはつきりさせたいため、債権放棄の通知を出してほしいとの要請があつたからであること、<9>それに対し、昭和四八年一月三〇日付で右色彩社より被告会社に対し債権放棄通知書を受領した旨の内容証明書をよこしたが、これは右中村の一存によるものであること、<10>被告人が右色彩社の代表者辞任後も、右大山および中村からの要請により、そのまま役員にとどまつていたし、また右色彩社の毎期の決算報告書は必ず被告会社に送つてきていたことが認められる。この事実は、<1>友広印刷株式会社の代表者である大山武が、昭和四三年ごろ知人の大石樹吉の紹介で被告会社の印刷を受註するようになつてから被告人を知り、その後被告会社より借入れまでしていたこと(大山武(一三)公判供述)、<2>右大山としては、被告人が右色彩社に対し、右友広印刷の債権(印刷代金)が、三、五〇〇万円位あつたので、これを決済したいとの気持のあつたこと、被告人より右色彩社に対する借入金を放棄するし、事業資金を貸すから頼むとの懇請があつたこと、右色彩社所有の建物と借地権とで約一億円の資産があつたことから、多額の負債があつても何とかやつていけるとの気持があつたことなどより、同社の経営を引受け、昭和四四年一一月ごろより昭和四五年二月ごろまでその運営にあたつたこと(右同)、<3>右大山が右色彩社の代表者を辞任したのは、自分の経営する右友広印刷の業務に専心する必要のあつたことと、右友広印刷の右色彩社に対する借入金の大部分を回収することができなかつたからであること(右同。中村努(一四)公判供述)、<4>右大山は、右色彩社の代表者を辞任するにあたり、同業の知人中村努(通称中村清七)に事情を話し引受けて貰つたこと(右同)、<5>右中村も、前記のように約一億円相当の資産があるので、何とかやつていけるであろうとの考えより引受けたと思われること(右同)、<6>右大山も、右色彩社の昭和四八年一月より同年一二月まで決算書に被告会社よりの貸付金が計上されていなかつたのをみて、自分が代表を引受けたとき、被告人より口頭で放棄すると言つたことを実行してくれたものと思つたこと(右大山(一三)公判供述)<7>昭和四七年一月期の右色彩社の決算報告書には、被告会社よりの借入金は計上されているが、これはその前に被告人より債権放棄の話があつたとき、大島恒彦の長期借入金を放棄して貰うよう交渉するのでそれまで待つてほしい旨頼み、その後右大島と折衝したが埓があかなかつたため、そのまま残つていたこと(右中村(一四)公判供述)、<8>右中村は被告人に会社の事業内容を報告していたため、被告人より債権回収の見込みがないのでプラスになるようなら債権放棄してもよいとの話があり、その後昭和四八年一月二七日に正式に内容証明書により債権放棄の通知を受取つたこと(右同。弁六号証)、<9>そこで、昭和四八年一月三〇日右中村は、被告会社宛に債権放棄通知の受領書を内容証明書で発送し、その後昭和四八年一月期の決算期で被告会社の借入金を計上しなかつたこと(右中村(一四)公判供述。弁七号註)、などよりしても、これを認めることができるし、さらに、被告人の(一七)公判廷における供述によると、右色彩社に対する本件貸倒れ金につき、査察官も一応はこれを認めていたことが窺える。この点、原判決は、日本色彩社が不渡り手形を出した当時被告会社の債権の回収が不能の状態になかつたことと、昭和四七年一月三一日期の決算に被告会社に対する債務として計上していることを理由に、昭和四八年一月三一日期に貸倒れ損として計上すべきであると判示しているが、日本色彩社が不渡り手形を出した当時営業が続けられたのは、被告会社において本件貸付金を放棄することを明示し返済要求をしないことが確定していたからであり、また昭和四七年一月三一日期の決算に計上した事情は前記<7>記載のとおりであるから、原判決の判断は誤りと謂わなければならない。むしろ、書面の形式にとらわれることなく放棄の意思が何時の時点で明確に表示されていたかその実質にそくして判断すべきものと思料する。

以上のように、原判決が証拠の取捨選択を誤り被告人らに不利な判断をしたのは、明かに重大な事実の誤認であり、到底破棄を免れないものと考える。

第二、仮に弁護人の主張が認められないとしても、原判決の刑の量定は著しく重く、甚だ不当である。

一、被告会社が、本件簿外預金を設けたのは、純然たる法人所得の誤魔化しではなく、また極めて単純、幼稚な方法を執つているものとみられる。

このことは、<1>被告人が、当初簿外預金を設けたのは、遊興飲食税を七〇%位しか払つていないので、査察が入り一〇〇%納税するときの準備および飯島商事のときの旧飲食税の支払に充当するためであつたこと(飯島四七、六、五付大蔵事務官、検察官および(一六)公判各供述)、<2>他方、被告会社の貸倒れが、年間の売上の一五%位(一、五〇〇万位)はあるが、これを含んだ総売上に対する飲食税を一〇〇%払うと赤字経営になり、そうなれば金融機関からの借入れも難しくなることより、売上除外をしたこと(飯塚富三郎(四)、(七)公判供述。飯島(一六)公判供述。この点、被告人の供述によると、査察を受けた当時の金融機関からの借入れは、二億二、〇〇〇万円乃至二億三、〇〇〇万円位であり、借入れをしないと被告会社の業務の遂行が難しかつたことが窺える。)<3>簿外預金からは、被告会社の飲食税および飯島商事の旧飲食税等の支払に充てた外、資金繰りの苦しいときは、被告会社の通常経費にも支出していたこと(飯島(一六)公判供述)、<4>売上除外の率も、売上の一〇%が飲食税相当分であるので、これを基準にし、利益の多い店と少い店とがあるため、当初は浦和店のみ税務当局の徴収が厳しいので一〇%、その他の店は五%とし、その後は全店舗とも一〇%に殖したこと(右飯塚(四)公判供述。飯島政枝(五)公判供述。内藤行雄の大蔵事務官供述。飯島検察官および(一六)公判供述)、<5>被告人が、売上除外の金を、仮名を使つたり、あるいは被告会社と取引のない金融機関を使うなど偽装工作をすることなく、被告会社の取引金融機関である巣鴨信用金庫大塚支店に、被告人個人の普通預金口座を開設し、これに入金をするなど、査察があれば直ちに判明してしまうような方法を執つていること(右飯塚(四)公判供述。飯島政枝(五)公判供述。飯島(一六)公判供述)、<6>しかも、右被告人個人の預金口座に入金したのも、被告人自身が全店舗の飲食税について保証人になつていたからであること(飯島(一六)公判供述)、<7>被告人が、当初から売上除外の金を架空名義にするとか、今まで取引のなかつた金融機関に預金をする考えはなかつたこと(右同)、<8>簿外預金も、被告人が個人的に使つた一部を除き、税金の支払、あるいは被告会社の業務上の支出に充てるときは、同社の当座に被告人個人よりの名義で納入してから支出をしていたこと(右同)、などよりして、これを認めることができる。

二、被告会社は、納税意慾の欠如した所謂不良納税者ではない。

このことは、<1>被告会社が倒産した飯島商事の滞納税金八、〇〇〇万円位を引き継ぎ、現在まで六、〇〇〇万円位を支払つてきていること(飯島(一六)公判供述。この点は、被告会社の税務相談を担当していた証人栗林広行が公判廷において「本件対象事業年度内でも、飯島商事より引継いだ旧債の飲食税三、〇〇〇万円位、法人税一、〇〇〇万円位の支払いが含まれている」と、また被告会社の経理担当者飯塚富三郎が公判廷において「四三年当時飯島商事の遊興飲食税だけでも四、五〇〇万円位あつたと思う」、「世界観光で旧債を引継ぎ遂次簿外預金などより払つている」、「旧債の残も、査察当時は三、〇〇〇万円前後であり、証言当時は一、〇〇〇万円前後だと思う」と供述していることからも、これを推認することができる。)、<2>しかも、飯島商事の旧債を引受けたのも、債務の総額が支払可能であることだけでなく、納税義務を十分意識したからであること(右同)、<3>本件裁判の対象になつた昭和四四年二月より昭和四七年一月までの事業年度を含め、遊興飲食税を年間五、〇〇〇万円乃至六、〇〇〇万円のうち、七〇%を払つてきたこと(飯島(一六)公判供述)、<4>飲食税は、預り税のため、店が赤字でも払わなければならないので(国税なら赤字だと払わなくてすむ。)、潰ぶれることもあるため払わない店も増えてくるし、飲食税をためて仮装倒産までする店も三割位はあつたこと(飯島(一六)公判供述)、<5>飲食税も国税より地方税に移つてからは、七〇%位払えば税務署当局もやかましく言わないし、優良店舗の評価さえうけるほどであつたこと(飯島(一六)公判供述。この点、風俗営業関係の税務相談も受けている証人栗林広行が第九回公判廷で「風俗営業者が支払う飲食税は、普通六〇%位であり、八〇%以上支払うときは表彰されるほどである」と証言していることからも、これを推認し得る。)、<6>嘗つて被告会社に査察が入つたとき、税務当局の予想に反し、各店舗のうち八重洲店が一〇〇%公給領収証を発行していたため、案外正直に納税しているとの評価を受け、修正決定を二年も待つてくれたことがあつたこと(飯島(一六)公判供述)、<7>被告会社を設立した後、初年度を除き、昭和四二年ごろより数年間は黒字申告をして納税をしていたこと(飯島検察官、(一六)公判供述)、<8>昭和四七年二月一日より昭和四八年一月三一日までの事業年度(昭和四八年一月期)決算期のときは、飲食税を九〇%払つたため赤字申告をすることになつたこと(飯島(一七)公判供述)、<9>被告人が福田後援会に入つたのも、被告会社の税務上の問題処理を考えたからではないし、事実査察の入つたことで被告会社のことを、また他人のことについても福田赳夫に依頼し手心を加えて貰つたことはなかつたこと(飯島(一六)公判供述。この点は、被告人が本件査察を受けたとき「川島主査より福田赳夫と親しいことから、同人の所へもみ消しに行くのかと聞かれたが、その考えのない旨を答えた」との供述からも、これを推認することができる-(一七)公判供述)、<10>被告人には経理の知識がなく、飲食税の支払のことだけが頭にあつたこともあり、本件のような結果が生じたともみられること、などよりして、これを認めることができる。

三、被告人には、本件と同種の前科等がなく義侠心もあるうえ、利慾に恬淡とした事業家であり、また本件所為について深く反省している。

このことは、<1>被告人および被告会社に本件と同種の犯歴のないこと、<2>被告人が税務署より税金も払わず、また債権を棚上げにしたらどうかとの要請があつたにも拘らず、倒産した飯島商事の負債を引受けていること(飯島(一六)公判供述)、<3>被告人が若い政治家の育成を考えて応援をしたり、人の会社を引受け数千万円の損害を被つたり、あるいは金銭的には非常に物慾のない人とみられていたこと(右星野(一四)公判供述。この点は、被告人が前記のように日本色彩社の経営を引受けたり、あるいは同社に融資をするなどして援助をしたのに、結果的には六千万円近い債権を放棄せざるを得なくなつたことからも、これを推認することができる。)、<4>被告人が福田後援会に入会したのも、税務対策上など福田赳夫の援助を期待したからではなく、政治的および経済上の話を聞くことによる知識の向上を計るためであつたこと(飯島(一六)公判供述)、<5>前記のように、本件査察の入つたときも、福田赳夫に頼み手心を加えて貰う気もなく、また頼むようなこともしていないこと(右同)、<6>被告人が昭和一二年に埼玉県より上京して以来、兵役に服した期間を除き、現在まで三四年間もキヤバレー、喫茶店営業に携わつてきた事業家であること(飯島四七、六、五付大蔵事務官供述)、<7>被告人も、被告会社の実質上の経営者としてその責任を痛感し不注意であつたことを深く反省していること(飯島(一七)公判供述)、などよりして、これを認めることができる。

以上のように、被告会社および被告人については、幾多有利な情状も認められるのに、原判決が、被告会社を罰金一、三〇〇万円に、被告人を懲役一〇月、三年間刑の執行を猶予する旨の処断をしたのは、量刑著しく重く到底破棄を免れないものと思料するので、さらに相当の判決を求めるため、ここに控訴に及んだ次第である。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例