東京高等裁判所 昭和50年(う)135号 判決
被告人 杉山健吉
〔抄 録〕
ところで、記録および当審における事実取調の結果によれば、被告人通行の道路は幅員六・一メートルであり、金沢通行の道路は、これとほぼ直角に交差する幅員五・五メートルであり、いずれも舗装道路であって、速度制限の規制はないこと、被告人通行道路の左側は金網のフェンスがあるが、見とおしは悪くないのに比し、右側は民家、樹木、電話ボックス、ブロック塀にさえぎられ、しかも右方の金沢通行道路は交差点から藤枝方面に向って右にカーブしているため右方の見とおしが極めて悪いこと、また、金沢通行道路は右側にも民家があり、左右いずれも見とおしが悪いこと、そのため被告人進行の交差点の右前方角にはカーブミラーが設置されているが、これも右の道路状況およびカーブミラーの取付けの角度の関係上映像物の遠近感が必ずしも明らかでなく、確認しにくいこと、被告人通行道路の交差点手前には一時停止の道路標識が設置されているうえ路面にも一時停止線の道路標示が引かれ、右停止線上にはストップアイが三個設置されていたこと、また交差点中心にはフラッシュアイが設置されており、被告人通行道路に面しては赤色点滅、金沢通行道路に面しては黄色点滅となっていたこと、金沢通行道路の交差点手前には横断歩道があり、その手前には停止線の道路標示が引かれていること、交差点内は水銀灯に照射されていて明るく交差道路を進行してくる車両の前照灯の光が確認しにくいこと、被告人は本件交差点の手前で一時停止し、藤枝方面から柳新屋方面に向う自動車一台が交差点を通過するのを待った後、左右の安全を確認し、左右いずれからも進行してくる車両が認められなかったので発進し、時速約五キロメートルで約五メートル(交差点中心付近まで)進行したところ、右方から、おそくとも時速約四五キロメートルで進行してきた金沢運転の普通乗用自動車前部に自車右側部を衝突されたものであることが、いずれも認められ、被告人の警察官調書中、右認定に反する部分は措信できない。右のとおり本件交差点は、交通整理の行われていない左右(被告人通行道路の左側を除く。以下同じ)の見とおしがきかない交差点であり、しかも金沢通行道路が優先道路でもなく、また被告人通行道路の幅員より明らかに広い道路でもない(かえって〇・六メートル狭い。)から、金沢としては交差点に進入しようとするには交差道路である被告人通行道路に一時停止の道路標識があったとしても徐行義務は免除されるものではないから徐行しなければならないのである(道路交通法第四二条第一号、最高裁昭和四三年七月一六日第三小法廷判決刑集二二巻七号八一三頁以下参照)。しかるに金沢はこれを怠り徐行することなく前記のとおりおそくとも時速約四五キロメートルで交差点に進入しようとし、すでに交差点中心付近まで進入していた被告人車を至近距離に迫ってはじめて発見し、急制動の措置をとったが間に合わず被告人車に衝突したものであることが明らかである。しかも、金沢正晴の原審公判供述および原審の取調べた酒気帯び鑑識カードを総合し、同人の当審尋問調書を参酌すれば、金沢は、本件事故当時、呼気一リットルにつき〇・二五ミリグラム以上の酒気を帯びており、その酒気帯び運転が同人の注意力を減退させ、右衝突事故を起こした一因となったことも認められるのである。従って、本件事故は、酒気も影響した金沢の徐行義務違反による過失によって生じたものというべきである。
そこでさらに被告人にも過失があったかどうかについて考えるに、本件のように、交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかない交差点で、しかも交差する双方の道路の幅員が五・五メートルと六・一メートルというように、いずれも交差道路よりも明らかに広いといえないような場合において、被告人のように、一時停止の道路標識に従って停止線の直前で一時停止した車両が発進進行しようとする際には、自動車運転者としては、特別の事情のないかぎり、これと交差する道路から交差点に進入しようとする車両が、酒気帯び禁止を含む交通法規を守り、交差点で徐行することを信頼して運転すれば足り、本件金沢車のようにあえて交通法規に違反し、高速度で交差点に進入しようとする車両のありうることまでも予想して、これと交差する道路の交通の安全を確認し、もって事故の発生を防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である(最高裁昭和四八年一二月二五日第三小法廷判決、判例時報七二六号一〇七頁参照)。そして記録および当審における事実取調の結果を合わせ仔細に検討しても、他に被告人の過失の存在を肯認させるに足る特段の事情を発見できない。そうとすれば、原判決は、被告人に対し交差点を通過し終えるまで右方を見て安全確認を一層徹底して他の交通との衝突を未然に避けるべき義務があるとし、その過失を認定した点において、道路交通法の解釈を誤った結果、事実を誤認したものというべきであり、右誤りが判決に影響を及ぼすことも明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
(石田 柳原 小林昇)