東京高等裁判所 昭和50年(う)1437号 決定 1978年4月28日
本籍
新潟市沼垂東四丁目七七七番地三
住居
新潟市東大通二丁目三番一五号
職業
会社役員 内山キヨ
大正九年一二月二〇日生
右の者に対する法人税法違反被告事件について当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件公訴を棄却する。
理由
本件公訴事実の要旨は
被告人内山キヨは、新潟市花園町一丁目二番地に本店を置き、パチンコ遊技場を営む有限会社ニューヒノマルの取締役として右業務全般を掌理しているものであるが、右会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、右会社の代表取締役としてその業務全般を統括する内山千代蔵と共謀のうえ、
第一、昭和四一年七月一日から翌四二年六月三〇日までの事業年度において、所得金額が八一、九七八、〇一〇円で、これに対する法人税額が二八、四六五、二〇〇円であるのにかかわらず、公表経理上売上収入の一部を除外し、簿外の貸付信託受益証券を買入れ、架空名義定期預金にするなどの行為により、所得の一部を秘匿し、昭和四二年八月三一日新潟市営所通二番町六九二番地新潟税務署において、同税務署長に対し、所得金額が一六、二一〇、二二三円で、これに対する法人税額は五、四四六、四〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もって不正の行為により右事業年度の法人税額二三、〇一八、八〇〇円を免れ
第二、昭和四二年七月一日から翌四三年六月三〇日までの事業年度において、所得金額が八一、五九九、七一三円で、これに対する法人税額が二八、三一四、八〇〇円であるのにかかわらず、公表経理上売上収入の一部を除外し、簿外の金銭信託に預け入れるなどの行為により所得の一部を秘匿し、昭和四三年八月三一日右税務署において、同税務署長に対し、所得金額が二一、二一一、六一〇円で、これに対する法人税額は七、一七九、〇〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もって不正の行為により右事業年度の法人税額二一、一三五、八〇〇円を免れ
たものである、というのであるが、昭和五三年四月二〇日付東京高等検察庁検察官粟田昭雄作成名義の「被告人の死亡について」と題する書面によれば、被告人は昭和五三年三月一八日死亡したことが明らかであるから、刑事訴訟法第三三九条第一項第四号により本件公訴を棄却する。
(裁判長裁判官 石崎四郎 裁判官 森樹 裁判官 中野久利)
○ 控訴趣意書
被告人 有限会社ニューヒノマル
他二名
右の者等に係る法人税法違反被告事件につき、左の通り控訴趣意書を提出する。
昭和五十年九月十日
右弁護人 関根達夫
同 伴昭彦
同 原和弘
東京高等裁判所
第一刑事部 御中
記
第一点
原判決は事実の誤認があってその誤認が判決に影響を及ぼすことが明かであるので、刑事訴訟法第三百八十七条第三百九十七条により破棄さるべきである。
一、原判決は被告人会社の昭和四一・二年度(起訴第一年度)の総売上が二億五九五一万六二七一円であり、同四二・三年度(起訴第二年度)の総売上が二億七六六〇万〇五八八円であって、少なくとも起訴第一年度の総売上が二億九一〇八万〇八六一円をこえず、同第二年度は三億〇二六八万三八六五円をこえることはないのに、誤ってこれをこえた総売上を認定したのであり、この事実誤認は脱税額を判断する上で極めて重要であって判決に影響を及ぼすことが明らかである。
(一)、原判決は、被告人会社の起訴年度の所得金額を算出するについて、資産増減法を用いているが、更にこれを補強するために損益計算の面からも検討を加え、検察官が採用する国税査察官試算の損益計算法による金額と弁護人主張の損益計算法による金額を比較検討し、前者の方が後者よりも合理的で信頼し得るとしてこれを採用している。しかし、この見方は間違っている。そしてこの間違った見方に基いて、原判決は所得金額を誤認しているのである。
資産増減法による所得金額の認定は、或る事業年度において、一定額の純資産の増加があると認められるならば、それはその法人のその事業年度における所得から成ると認められる、という推定に基づく所得推計方法である。脱税の認定においてこの推計が成立するためには、重要な二つの前提条件が必要である。その一は、前年度末の法人の純資産額が確実に把握され、それ以外の隠匿財産は存在しなかったことの確認である。その二は、その年度の純資産増加と見られるもののうちに外形だけのもの、例えば他からの預り金、借入金等が存しないとの確認である。
被告人らは、前年度末の純資産額について検察官主張の額を争い、約一億円の現金を隠匿所有していたと主張した。しかし、この主張は原判決の採用するところとならなかった。弁護人はこの点にも後記のとおり異議があるが、それは別として、原判決がこの被告人らの主張を信用しないからといって、それだけで前年度末に検察官主張以上の純資産が存在しなかったと即断することは、刑事の脱税の認定としては、いささか無理であると考える。事業経営者とくに小規模事業経営者には、他人にいえない事業運営上の秘密がいろいろある。特に金銭の出入りには、たとえば他人に融通している貸金あったがその他人の名を口外すると今後の事業運営等に支障を来たすから、口がさけても口外できないと、いうような場合も在々にしてある。したがって、被告人が前年度末の隠匿資産について或る弁解をし、裁判所がこれを採用しないからといって、それだけで、隠匿財産がなかったと断定し、これを基礎として所得金額を推計し、脱税犯と決めつけることは、酷である。(民事的には「一応の事実の推定」としてそのような認定が許される場合があるかもしれないが、刑事において脱税犯の事実を認定することは酷であると考える)。また当該年度中の資産増加についても、外形では資産増と見られるものでも、実は絶対に口外し得ない他人からの預りものが含まれているということもあり得る。このような点からも脱税犯の認定は慎重であるべきものと考える。
それ故、資産増減法により所得を推計する場合は、被告人が全面的に資産状況を承諾しているならば格別、そうでなく被告人がいろいろと弁護している場合には、他の面からの補強証拠が必要となり、この補強があって始めて資産増減による所得の推計が是認されるものと考える。
原判決も右の点は十分に配慮されているものと思われ、資産増減法による推計を主柱としながら、別にその補強として損益計算の面からも検討を加え、この面から考慮しても資産増減法の推計額とほぼ同額の所得金額を推計し得るとして、検察官の主張を是認しているのである。しかし、この点の原判決の検討には到底承服し得ないものがある。
原判決が比較検討した二つの損益計算は、その一は南凡夫メモに基づく国税査察官の試算であり、その二は査察中の記録による竹津勇メモ(乙第一号証)に基づく弁護人の試算である。この後者を、原判決は「査察を受けていることを意識した営業方針のもとでのものであり、いわば姿勢を正した状態のものである」として一蹴し、接近しているとはいいながら店の模様も営業方針も異なる他店の営業成績の記録である南凡夫メモを基礎とする推計より合理的なものとしているのである。しかし、竹津メモの基礎となった査察中の記録は、被告人会社の店における約三ケ月に亘る営業成績の記録であって、その期間の最初の六日間は、査察官が、売上のパチンコ玉の個数が自動的に計算されるメーターと、景品交換に差出された玉の個数が自動的に計算されるメーターの鍵の全部を自ら保管し、毎日来店してメーターを調べ、その個数を記録したものであり、その後の期間は、鍵は被告人会社に返還したが、時々来店してメーターを調べ、その個数を記録したものである。その記録の内容を仔細は検討すれば、その期間の営業方針に査察を意識した行為が加えられていないことが自ら明らかとなり、竹津メモが損益計算の基礎とされるに足る合理的なものであることが明らかである。
原判決はこの点を無視し、弁護人の試算を斥けて査察官の試算を合理的なりとし、その損益計算を裏付けとして資産増減法の推計の結果を是認したものである重大な事実誤認というべきである。
(二)、弁護人が右起訴両年度の総売上を算定した根拠は、原審における弁論の中(弁論要旨四(二)、六六八丁以下及び同二、(一)六六〇丁以下)で述べた通りであって、その根拠は竹津勇作成のメモ(乙第一号証、昭和四七年押第九八号符号三五)である。
原判決は、この竹津勇作成のメモは「被告人会社に関する査察中の記録は、被告人会社が査察を受けていることを意識した営業方針のもとでのものであり、いわば姿勢を正した状態でのものである」としてこれに基づく計算を採用していない。しかし、この竹津勇作成のメモは、前記のとおり三月中の分は査察官が鍵をもっており、その間は記帳上の不正は絶対不可能であったのであり、従って、その後の四月五月六月についても大幅に変動するような記録上の不正はできない。そこで、考えられることは景品交換率の操作であるが、景品交換率の増減と売上の増減、粗利益の増減の間には定型的な法則がない。景品交換率をよくすると客は滞留するが玉の売上はのびない半面、噂を聞いて入場者がふえるということも考えられるけれども、入場者がふえるという効果はいつ頃から生ずるのかは業界でも明確ではない。逆に景品交換率を下げても客がある程度の時間は遊べれば最終的に損をしても満足して帰るものであって売上が下がるとは限らない。従って交換率の操作によって売上を意識的に増減することは著しく困難である。(極端な変動を生ずる場合は格別であるが、一〇パーセント以内位であれば、意識的な操作は難かしい。)原判決は「いわば姿勢を正した状態のもの」というが(意味が正確にはかりかねるけれども、査察に対して身構えたという趣旨に思われる)そうだとしても、一体景品交換率をどうすればよいのかも明らかでない。弁護で述べた通り、被告人内山キヨ等においては査察が入ったということでい ばふるえ上っていた状態であるので到底対応策を打ち出せる状況ではなかったことは明らかである。
又、査察官においてもこの結果を記録しており原審でそれが証拠として提出されている(甲第二〇五号証、一四二一丁以下)。国税庁ではパチンコ店の脱税調査を過去にも多数行なっており、本件被告人会社を担当した査察官近藤昭治も本件の前に新潟会館朴万圭方の調査を担当し、他にも調査をしている(同人の証言、四五九丁)のであるから、査察と同時に売上の実情を調査するためメーターの鍵をとり上げてまで調査するということは決して無意味なことをしているものではない。査察に入った時点での営業実態が適確に把握できるし、従って査察対象期間の売上や景品交換率を推定する根拠をもなし得るということで行なっているものである。過去において、経験上これが無意味なものであるならば本件で行なう筈がない。従って、この調査結果を利用して査察対象期間の営業内容を推計することは極めて妥当なことというべきである。
(三)、原判決は、場所的に近い新潟会館(新井こと朴万圭経営)の調査結果を用いて被告人会社の売上を推定している。しかし、営業方針の違う店の景品交換率を使用することは誤りである。
査察官近藤昭治作成の「景品率による売上脱漏額調査表」(甲第二一六号証、一六二八丁以下)によると、新潟会館における景品交換率は一ケ月平均最低六〇・四パーセント、最高で八一・八パーセントであって、大体七〇パーセント前後であるが、被告人会社の査察時の交換率は(弁論要旨別表一記載の通り)八二・八パーセントから九一・六パーセントであって平均して八五パーセント前後である。この事実から見ても両者は営業方針が意なることは明白である。もっとも、査察時の調査の際に被告人等が交換率に作為を加えたとして一挙に十五パーセントも景品交換率をあげることができるだろうか。釘師である竹津勇の証言(三一四丁以下)によると、機械の調整は、「玉売り機のメーターと景品交換率のメーターを見て、玉がどのくらい交換されているかを考えながらやっています」といゝ、その調査の内容については「かんです」と答えている。即ち、景品交換率は或る程度は調整できても、勘の通りの数字になるものではなく、毎日の玉の出方を見ながら調整しているものであることがわかる。従って、七〇パーセント前後の景品交換率を翌日は一挙に八五乃至九〇パーセントにするということは不可能であって、こゝに作為を加える余地は全くないのである。
(四)、原判決は、新潟会館の売上げについて、同店支配人南凡夫作成のメモが「査察を意識しない通常の状態そのまゝの事実を記したものである」として全幅の信頼を置いているようであるが、必ずしもそうは言えない。同人の質問てん末書(甲第二二五号証、一六六四丁以下)によると、同人は一応支配人ということでありながら通例に反して玉売機の鍵を渡されず現金にタッチしていないこと(問五、六に対する答)、社長に口頭でいわれたのを手帳と別の紙にメモしたこと(問一一の答)、手帳の数字の記載は毎日のものではなく月別集計を手帳に記載すれば統計表を廃棄してしまうものであること(問一六の答)がわかるが、この月別集計を記録していた動機は、「何かの時に、社長にこれだけの成績挙げたぢゃないですかと一応文句が言えるようにするために自分の手許に残しておいたのです」(問二一の答)と言っているのである。従って、査察は意識しなくとも、南は社長に対し売上及び粗利益率が高いことを誇示するという目的があったのだから集計の際に、景品交換高をそのまゝにし、若くは低くし、売上を高くすることによって粗利益率を高くするということはあり得ることであって、このメモが全面的に信用できるとは言えない。
前記の竹津メモに作為が入り込む余地のないことを考え合わせると、寧ろ南メモより竹津メモの方が遙かに信頼できるものであると言える。従って、新潟会館における売上高及び景品交換率が正確であるという判断する根拠はないし、更にこれを根拠として被告人会社の売上を推定するのは誤りである。
(五)、仮りに新潟会館の南凡夫のメモが正しいとしても、その売上高を用いて被告人会社の売上高を推定するのに最も近い方法は、機械一台当りの売上を用いて換算する方法である。その結果は原審の弁論要旨添付別表四記載の通りであって、昭和四〇・一年度及び、同四二・三年度(起訴第二年度)は竹津メモによる推計とほぼ同じであり、起訴第一年度である昭和四一・二年度については約一千三百万円多くなって差額が約二千四百万円となるが、何れにしても検察官主張の如く差額が六千万円を超えるような数字には程遠いものである。右の昭和四一・二年度(起訴第一年度)の、公表金額と推計金額の差額(売上脱漏額)二千四百万円は原審の弁論で述べた最高限度額四一八八万六二七一円(六六二丁裏)を下まわるものであって、必ずしも全く誤った数字とも言えないのである。
(六)、以上の通り、原判決は、被告人会社の総売上(売上脱漏金額)を推計する上で最も誤差の大きい「他店(新潟会館)の景品交換率」を使用し、これを基礎とする損益計算を裏付けとして、資産増減法による推計所得を認定しており、しかもその新潟会館の売上金額の認定の根拠が前述の通り全面的に信頼できるとは言えないものであるから結局この点で採証法則を誤り事実を誤認したものである。
(七)、ここで問題になるのは、原判決が指摘している弁護人が昭和四七年六月十七日の準備手続期日における陳述書で「起訴年度の被告人会社の年間総売上高は約三億五千万円である」とのべている点である。これがそのとおりならば竹津メモの売上高は過少ということになる。しかしこれは弁護人の計算違いに基づく錯誤による主張であった。陳述書に記載してあるとおり、この金額は、弁護人が一日の売上を百万円、年間の営業日数を三百五十日として概算したものである。そして一日の売上百万円とは、竹津メモのうちの最初の六日間の平均を九十九万六千円と算定しこれを含めて百万円としたものであった。しかし竹津メモの右の六日間の売上の平均は八十九万九千二百二十円で約一〇パーセント低いのである。年間の営業日数も正確には三百三十日(弁論要旨別表一)であった。このような違算と錯誤により年間総売上を約三億五千万円と記載したのであるが、これを修正すれば、年間総売上は三億円以下となり、竹津メモを基礎とした弁護人の損益計算の数字との間に大したくいちがいはないことになるのである。
二、原判決は本件各起訴年度中における被告人会社の預金等の資産の増加は、すべてパチンコ営業における利益によるものであると認定しているが、それに対応する営業利益があったという証明がなく、むしろ、甲第二一六号証「景品率による売上脱漏額調査表」(一六一四丁以下)によると預金発生額に見合う脱漏額がなく、預金発生額の方が多い。このことは原審の弁論でも主張した(弁論要旨四(一)六六七丁以下)が原判決はこの点についての判断を示さなかった。
昭和四〇・一年度から同四二・三年度までの三年分の年別の脱漏額は右弁論要旨に記載したのでそれを引用するが、更に右三年分(昭和四〇年七月から同四三年六月まで)の総額を計算すると、
脱漏総額 一億七一七六万二二三一円
預金発生額 一億八四〇〇万〇〇〇〇円
となり、殊に昭和四〇・一年度は一三〇〇万円以上、同四一・二年度は二〇〇万円以上、預金発生額の方が多いことを考え合わせれば、売上脱漏額以外に預金発生の原資があったことは明白である。従ってこの点でも原判決は事実を誤認している。
三、原判決は、被告人内山夫婦の個人資産の持込(混入)を全面的に否認し、その認定根拠を累々挙示するが、その大部分は合理的な理由ということはできず、或いは又経験則の適用を誤って事実を認定したものである。
(一)、原判決(5ノ(1))は、被告人内山キヨが国税査察官の質問に対して、被告人会社の平常の手持現金は五〇万円程度であると述べ、一億円の現金の存在について全く主張していないことを右理由の一つとするが、元々右一億円は、被告人内山夫婦が個人営業時代に蓄積し、個人資産として保有していたのであり、つまり会社資産とは別個のものと理解していたのであるから、当初右会社保有資産について質問された際、その存在を主張しなかったとしても、至極当り前のことであって、この点をもって原判決の如く言うのは誤りである。更に又、右一億円現金の存在を明らかにし、会社資産の混入の主張自体が遅れたことをもって、その存在を否認する理由とするが如くであるが、原審弁論要旨で述べた如く右一億円の現金は、被告人内山夫婦が長年月をかけ、法認されていなかった景品買等によって得た利益をも、含むものであったため、これを極力秘匿してきたものであって、元々、被告人内山夫婦個人に対する税査察ではなく、被告人会社に対する税査察に際して、種々質問を受けて、容易にその存在を明さなかったとしても、これ又至極当然の成り行きというべきというべく、このことをもって現金の存在に疑いを持つ根拠とするのは、見当違いである。更に又、右個人と法人の問題を仮にさておくとしても、長年月の労苦を重ねて、秘匿保持してきた巨額の現金について税査察の際に容易に面らかにすることを期待することは、経験則一般に照らしてみても困難というべく通常被査察当事者は、事の有利・不利を問わずその存在を容易には明さないものである。
(二)、原判決(5ノ(2))は、一億円現金の保管場所について、被告人内山キヨの供述が変転し、首尾一貫しないというが、これは、現金の全部ないし一部について、保管場所を地下室から貸金庫に移転したという事情があったことによるものであって、同キヨが現金の保管場所と方法を一定していたと供述していたのであれば、いざ知らず、そのような供述は見当らないのであるから、時期的に異った点について問われ、或いは返答すればこれ又、当然現金の保管場所・方法が変るのであって、右の点を吟味しないで原判決の如くキヨの供述が首尾一貫しないなどと即断することはできない。更に又、原判決(5ノ(2))は、現金の運搬方法について具体的な供述がないことをもって、同様理由の一つとするが、これは捜査公判の両過程においてたまたまこの点について質問するものがなかったのか、或いは、質問と返答があったとしてもこれを記録に残さなかっただけのことであって、意識的にこれらの点について、被告人内山夫婦が供述を回避した訳のものではない。更に又、右運搬方法に関する供述がたまたま現われなかったとしても、それが現金の存在の認定に原判決が考えるような意味を持つものとも考えることはできず、従ってこの点に関する原判決の挙示理由は合理的な根拠を欠くものと言わざるを得ない。
(三)、原判決(5ノ(3))は、被告人会社はパチンコ店であるから、その売上金は大部分が千円札か百円硬貨であって一万円札や五千円札は少なく、しかも中古札が多い故、そのような(千円や百円のという意味か?)金種で一億円の現金が銀行の貸金庫に納まるはずがないというが、成程パチンコ店の場合顧客一人当の売上金額は少額であり、主として小額貨紙幣が授受されるということは一応言えるが、それにしてもやはりいくらかは五千円、一万円札を呈示する客の認められることも通常の経験則に合致する。そのような高額紙幣も混じるか中から、被告人内山夫婦は、日々の売上金の全部ではなく、その一部を除外していたというのであるから、高額紙幣を選んで除外したものとみるのが自然であり、更に又、仮に一万円や五千円の紙幣ばかりではなかったとしても、長い期間に両替、その他の機会をつかまえては、逐次保管に適する高額紙幣に変えていったとしてもこれ又、ごく当り前の且つ何人もが考えることである。従って右判決の如く安易にパチンコ店の売上金額の性質から直ちに、秘匿保管された紙幣の金種を推認する方が根拠に乏しいものというべく、この点に関する右判決理由も理由となり得ないというべきである。
(四)、原判決(5ノ(4))は「被告人らの主張どうり、現金がもっとも発覚しにくいと考えていたのなら、このとき貸付信託をすべて現金に替えて、東京方面の銀行の貸金庫にでも保管すべきであったろう」と言うが、これ又およそ主旨の理解に苦しむ。一旦貸付信託証券にかえてしまえば、仮にこれを解約して現金化し、これを秘匿したとしても、銀行に残る貸付信託記録たら現金の所在が追求されることは必至であることに思い至らなければならない。さればこそ被告人内山夫婦は秘匿現金の預金化・証券化を極力回避して長い間現金として持ち続けていたのである。
(五)、原判決(5ノ(5))は、商才たけた被告人内山夫婦が利子を生まない現金を一億円も持ち続けるとは到底考えられないと言うが、この点も弁論要旨で累々述べた事情に加えて、右(四)で述べた事情も合わせ考えた場合、判決のように「到底考えられない」と言うことはできない。利子を求めるについては、元金の存在を危くするというデメリットが伴うという事情のもとでは、利子の利益を放索して現金の秘匿を維持するということは、ごく自然な選択というべく、そのあたりの被告人の主張する事情を考慮しないで判決の如き一般論を支持することはできない。したがって、この点についても原判決は理由たり得ない。
(六)、原判決(5ノ(6))は、被告人らが内山ビルを昭和三八年に建設するに際して、秘匿現金を使用しなかったのは、同現金が存在しなかったからに他ならんと言わんとするようであるが、これ又、実情を理解しない論理であって、かかる論理が支持されるものとは到底思えない。被告人らが昭和三八年に計画したビル建設資金額は約六千万円であるが、これは当時としては決して小さな金額ではない。これ程の資金規模になれば、その何割かを秘匿資金でおぎなったとすれば、税務当局は容易にその出所を把握し得ようし、又仮に容易に把握し得ないような小金額の補充であればそもそもはじめよりそのようなことに腐心する程のことはないものというべきである。従って右ビル建設に秘匿現金を支出した形跡が認められないからといって、そのことをもって秘匿現金の存在しなかったことの根拠とすることは誤りである。被告人内山夫婦が個人所得の一億円の現金の会社資産との混入を主張している点については、その金額に幾分の誤差があるとしても、弁論要旨(六ノ(二))で主張した如く、安田信託銀行の貸付信託証券の年度別購入契約高の増加状況に照らしてみると、昭和三九年から同四二年にわたり、それ以前に比較して異常な増加が認められ、これら増加の全部を当該年度の営業利益に原因するものと説明することは困難である。
第二点
原判決は刑の量定が不当であるので刑事訴訟法第三百八十一条第三百九十七条により破棄さるべきである。
脱税額が原判決認定のような莫大なものでないことは、右に述べたとおりであるが、こと点を別にしても、本件犯行の動機が被告人会社の将来の経営の安定を願ったことによること、被告人らが犯則の発覚後重加算税等を滞りなく支払い、その後の経理および税務申告を公正に改めていること、被告人千代蔵がもともと高血圧であったところ本件査察の衝撃でさらに健康を害したこと等は、原判決が認定したとおりである。被告人千代蔵がこのため約三月に亘り入院および温泉療養をしたことも原判決認定のとおりである。この点について情状酌量を賜わりたい。また、他の税法違反事件数例についての宣告刑はつぎの表のとおりで、これらの例に比較すると原判決の罰金刑は著しく高額である。
<省略>
以上の点から見て原判決の量定は不当であると思われるので、破毀のうえ寛大な判決を賜わりたい。