東京高等裁判所 昭和50年(ツ)94号 判決 1976年3月13日
上告人
株式会社テヅカ
右代表者代表取締役
三橋哲三
右訴訟代理人弁護士
成富安信
同
宮下浩司
被上告人
光商工株式会社
右代表者代表取締役
村田清
右訴訟代理人弁護士
井波理朗
主文
原判決を破棄し、第一審判決を取消す。
被上告人は上告人に対し金一九五、二八〇円およびこれに対する昭和四九年七月五日から支払いずみに至るまでの年五分の割合による金員を支払わなければならない。
訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
理由
別紙上告理由について。
原審が確定する事実関係としては、上告人は上告人と訴外橋村隆栄間の前渡金返還請求事件(東京地方裁判所昭和四〇年(ワ)第四八八二号事件)の和解調書の執行力ある正本に基づき、右訴外人を債務者とし被上告人を第三債務者として同訴外人の被上告人に対する昭和三七年一二月分から同三八年七月分までの給料等債権金一九五、二八〇円(以下、本件債権という)につき、同地方裁判所八王子支部に債権差押ならびに取立命令を申請し、同裁判所は昭和四九年三月一六日差押命令を発し、その正本は同月一九日被上告人に、同年五月二五日右訴外人にそれぞれ送達され、ついで同年六月一一日発せられた取立命令の正本は同月一三日被上告人および右訴外人にそれぞれ送達されたというのであって、上告人の被上告人に対する本件請求は、右取立権原に基づき右給料等金一九五、二八〇円およびこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四九年七月五日以降支払済みまでの年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるというものである。
そして、さらに原判決が確定するところによれば、本件債権は労働基準法にいう賃金債権にあたり、そのうち金二二、五三〇円については弁済期が昭和三七年一二月一五日であり、その余は同年一二月分から昭和三八年七月分までの給料債権であつて、弁済期が各月の二五日であるというのであるから、被上告人援用のとおり同法一一五条により右各弁済期から二年を経過した時期に消滅時効期間が完了するものといわなければならないところ、上告人は原審において、右時効の中断事由として、本件債権に対しては、上告人の右訴外人に対する前渡金返還請求権の執行を保全するため、右訴外人を債務者とし被上告人を第三債務者として昭和三七年一二月八日東京地方裁判所昭和三七年(ヨ)第七六九六号債権仮差押事件の仮差押決定がなされ、同決定正本がそのころ被上告人に送達されたことを主張し、この主張事実は当事者間に争いのないものとして原判決に判示されているところである。
これに対し、原判決は、仮差押が時効中断の効力を生ずるには、その時効が問題になる当該権利の権利者によつてなされたものでなければならないとし、その理由として、債権仮差押は仮差押債権者が仮差押債務者に対してする被保全権利の主張であつて、債務者の第三債務者に対する権利主張とはならないからであると説示して、上告人の前示債権仮差押によつては本件債権の消滅時効を中断するに由ないものであると判断している。
しかし、消滅時効制度の趣旨は、自己の権利の行使を怠り、権利の上に眠つている権利者を法の保護に値いしないとするところにあつて、かかる権利者は権利消滅の不利益を受けるのもやむをえないとするものであるから、権利者がその権利を行使しうる状態にありながら権利行使をしないところに重要な意義があると解すべきである。この制度の右趣旨は、民法一六六条一項が「消滅時効ハ権利ヲ行使スルコトヲ得ル時ヨリ進行ス」と規定するところにも表われているものといわなければならない。たしかに、民法一四七条が時効中断の事由として掲げる仮差押は、同規定本来の趣旨としては、原判決が説示するとおり、時効の成否が問題とされる当該権利の権利者によつてなされる場合の仮差押をいうものと解すべきであるが、債権の仮差押がなされれば、仮差押債務者としては第三債務者に対して有する債権を行使するに由ない状態に拘束されることになるのであつて、仮差押がなされている間、仮差押債務者としては自らの権利を行使しようにも行使できず、第三債務者の履行を受けることも許されず、いわば自己の権利の上に眠ることの自由さえなくなつているのであるから、ただ単に、その間の時の経過をもつて権利消滅の効果を生じさせることは、前示消滅時効制度の趣旨に照らし不合理であるといわざるをえない。しかも、右制度の趣旨からすれば、時効完成によつて債務者側が受ける債務消滅の利益は、債権者が権利行使を怠つたことによつて法の保護に値いしないとされることの反射的利益にすぎないと考えるべきであるから、債権者の権利行使につき何ら怠るところのない事態のもとでその利益を受けさせるべき理由は見出し難く、これに対し、当該権利自体を目的財産として自己の権利の保全を計りつつある仮差押債権者のごとき第三者に期待に反する不利益を及ぼすことは取引における第三者保護の建前からも避けるべきものといわなければならない。なお、原判決は、仮差押債権者において本件債権について時効中断の必要がある場合には仮差押債務者に代位して第三債務者に対し訴訟の提起その他の請求方法をとりうるのであるから、時効中断のための方法に欠けるところはなく、不合理な結果を招くことはないと判示しているが、金銭債権につき債権者代位権を行使するには債務者の無資力等特別の要件充足の問題があり、特に本件債権のごとき給料等債権が仮差押される事実関係のもとでは、必ずしも常に右特別の要件が充足されて原判決の右判示代位請求が可能でるとはいえず、同判決の理由づけは十分のものとはいえない。
当裁判所は、以上の点を考慮して、前示債権仮差押に本件債権の時効中断の効力を認めるのを相当とし、原判決が上告人の時効中断の主張を排斥した判断を失当と解するから、この点を指摘する論旨は理由があるものといわなければならない。
なお、大審院大正一〇年一月二六日判決(民録二七輯一〇八頁)は、国税滞納処分の債権差押が被差押債権につき時効中断または停止の事由とならないとする判例であるところ、当時施行の国税徴収法二三条ノ一によれば、右債権差押が債務者に通知されたときは政府は滞納税額等を限度として被差押債権者に代位するものと規定されている(この点につき現行国税徴収法六七条一項は「徴収職員は差し押えた債権の取立をすることができる。」と規定する。)のであつて、国は差押中にあつても右法律上当然に、債務者の無資力等一般の債権者代位権行使における要件の具備を要しないで被差押債権者に代位して第三債務者に対し何時でも債権を行使できる関係にあるから、本件とは事案を異にし、本判決と牴触するところはない。
よつて、原判決を破棄することとするが、本件は前示原審確定の事実関係によつて判決するに熟しているから、民事訴訟法四〇八条一号に従い、第一審判決を取消し、上告人の被上告人に対する本訴請求をすべて認容すべきものとし、訴訟費用の負担については同法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(畔上英治 安倍正三 唐松寛)
上告理由
原判決には判決に影響を及ぼすこと明白なる法令の違背がある。即ち原判決は、民法第一六六条第一項及び第一四七・一五四条の解釈適用を誤つた違法があるので、破棄を求める。
一、原判決は民法第一六六条第一項の解釈適用を誤つている。
(一) 民法第一六六条第一項は、消滅時効の基本をなす規定であるが、そこには「消滅時効は権利を行使するを得る時より進行す」と定められている。従つて消滅時効の期間は、ここにいう権利を行使し得る時が起算点となるものである。而して本件に於て上告人が被上告人に対し訴求しているのは、訴外橋村隆栄の被上告人に対して有する賃金債権であるが、この債権は本訴請求前上告人によつて悉く債権仮差押されている。斯様に債権仮差押の対象となつた債権について、第三債務者はたとえ債権者(差押債務者)からの請求があつても、支払い(債務履行)を為すことができないものであるから、そのような債権債務について右法条における権利を行使しうる状態にあるものとし、消滅時効期間の進行を肯定するのは背理である。もとより第三債務者が、事実行為として債務額相当の金員を債権者に出捐することは、物理的に可能であるとしても、その行為は仮差押債権者に対する関係では、これを債務履行(債権行使)であるものとして法律上対抗することができない(換言すれば債務を履行し債権を行使したものとしての取扱いを法律上受けられない)のであるから、結局差押債権者との関係では、債務を履行しえず債権を行使し得ないのと法律上同一の効果となるものである。斯かる債権について右法条のいう、権利行使が可能な状態であると解することは到底できないものといわなければならない。然るに原判決が、本件仮差押債権につき消滅時効の進行を認めたのは、明らかに右法条の解釈適用を誤つたものである。
(二) 右法条に関する従来の判例は、債権者が権利を行使する上で障害となる事態を、事実上の障害と法律上の障害とに区別し、後者の場合が消滅時効の進行を中断するものと解しているが、本件の如き仮差押が法律上の障害に該当するものであることは、(一)に詳記した通りであつて、権利を行使し得るとは単に事実上債権者が請求を為し得、債務者が物理的に出捐を為し得るという趣旨ではなく、法律上有効なる債務の履行・債権の行使を為し得る趣旨であることは自明の理である。
尚右にあげた法律上の障害のように見えても留置権の抗弁、同時履行の抗弁、保証人の催告の検索の抗弁の如く債権者の意思のみで排除が可能であるものについては、必ずしも時効の進行を止め得ないとする判例もあるが、本件の場合のように仮差押(及び差押)は、差押債権者の意思によることなしに債権者(差押債務者)単独の意思を以て排除することは不可能なものであるから、これが時効の進行の中断事由となることは明らかである。
以上の通り本訴で上告人の訴求した債権については、未だ消滅時効が進行を開始していないにも拘らず、これについて時効消滅を認めた原判決は誤である。
二、原判決は民法第一四七条、第一五四条の解釈適用を誤るものである。
原判決は本件について仮差押が為されているにも拘らず、被差押債権の消滅時効が進行し即に消滅に帰したものと解する理由として、「仮差押が時効中断の効力を生ずるには、それが時効が問題になる当該権利の権利者によつて為されたものでなければならない」とし、「このように解しても本件債権について仮差押債権者において時効中断の必要がある場合には、債務者に代位して第三債務者に対し訴訟の提起その他の方法をとりうるのであるから、時効中断のための方法に欠けるところはなく、控訴人主張のような不合理な結果を招来することはない」と判示した。ところでここに原判決が、訴訟提起以外の「その他の方法」としていかなるものを予想しているのか明らかではないが、およそ他にとるべき手段があるということを以つて、当該手段の有無効の判断理由とすることは、これまた背理であり飛躍であるというべきである。のみならず、訴訟の提起を債権者代位権によつて為し得るか否かに関しては、判例も全く別れているが、消極に解するのが有力にして多数であると解される。そうである以上、そのように不安定なる(たとえ提訴しても不適法とされる可能性が大きい)他の手段の存在を理由にして、右のように本件の仮差押に時効中断の効力を認めない原判決は、右各法条の解釈適用を誤り、違法に控訴人の主張を却けたものといわなければならない。