東京高等裁判所 昭和50年(行コ)23号 判決 1978年1月31日
長野県松本市双葉町二、七六二番地
控訴人
矢ケ崎昭三郎
右訴訟代理人弁護士
中條政好
同県市城西二丁目一番二〇号
被控訴人
松本税務署長
庄司栄
右指定代理人検事
小沢義彦
右指定代理人
真庭博
同
井出吉雄
同
内田守一
右当事者間の昭和五〇年(行コ)第二三号所得税更正決定等取消控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人訴訟代理人は「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人に対し、昭和四一年一二月一五日付でした次の所得税の更正、再更正、決定の各処分を取り消す。(一)昭和三六年分(更正)総所得金六〇万〇、二〇〇円、確定税額金七万三、四九〇円、重加算税金三万六、五〇〇円、(二)昭和三七年分(再更正)事業所得金一三九万七、二〇〇円、確定税額金二八万六、六六〇円、重加算税金一〇万〇、一〇〇円、(三)昭和三八年分(決定)総所得金一八一万六、八〇〇円、確定税額金三〇万二、四七〇円、重加算税金一〇万五、七〇〇円。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人指定代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実に関する主張及び証拠関係は原判決七枚目表七行目「二七五、〇〇〇」とあるのを「二七三、〇〇〇」と訂正するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。
但し、「原告」とあるのを「控訴人」、「被告」とあるのを「被控訴人」と読み替えるものとする。
理由
一 当裁判所の判断もまた結論において原判決と同一であり、その理由は、原判決理由二(一九枚目表三行目冒頭から二一枚目裏一一行目終りまでの部分)の全文を後記二のとおり訂正し、その余の部分を後記三のとおり訂正、附加するほか原判決理由記載のとおりであるから、これをここに引用する。但し、「原告」とあるのを「控訴人」、「被告」とあるのを「被控訴人」と読み替えるものとする。
二 控訴人は、被控訴人が控訴人に対してした昭和三六年ないし昭和三八年分所得税賦課処分は、その事業所得が東京に本社のある矢ケ崎建設株式会社(以下「東京の矢ケ崎建設」という。)の松本出張所(以下単に「松本出張所」という。)の事業によりえた収益でその収益の享受者が名実ともに東京の矢ケ崎建設であるのに、その収益の法律上の帰属者である同会社が実際には単なる名義人であつてその利益を享受せず、控訴人個人がその収益を享受したものであるとして、控訴人に実質所得者課税をした違法があるから、その取消を求めると主張する。
1 各成立に争いのない乙第一号証の一ないし九、乙第二号証の一、二、乙第三、第四号証、乙第五号証の一、二、乙第六号証の一ないし四、乙第七号証の一、二、乙第八号証の一ないし七、乙第一〇、第一四、第二一号証、甲第二号証の一ないし三、甲第八号証の一、二、甲第九号証、原本の存在と成立に争いのない甲第一号証の八、文書の体裁により原本の存在とその成立が認められる甲第三号証の一ないし八、原審における証人中村伸(第二回)の証言から各成立が認められる乙第九、第一一ないし第一三号証、(記載の整然画一性から成立が認められる乙第二号証、)原審における証人矢ケ崎忠実の証言から各成立が認められる甲第一号証の一ないし七(ただし甲第一号証の一中官公署の押印部分の成立は争いがない。)、九、一〇、原審における控訴人本人尋問の結果(第一、二回)から各成立が認められる甲第六号証の一ないし三、同本人尋問の結果と原審における証人宮島茂雄、同斉藤長夫、同穂刈甲子男、同江上精亮の各証言によつて成立が認められる甲第七号証の一ないし一〇、原審における証人中村伸(第一、二回)、同矢ケ崎忠実(但し、一部認定に反する部分を除く。)の各証言、同控訴人本人尋問の結果(第一、二回。但し、一部認定に反する部分を除く。)を総合すると、次のように認められる。
(一)(1) 控訴人は矢ケ崎忠実(以下「忠実」という。)とは忠実が叔父、控訴人が甥の関係であり、忠実は昭和二一年ころから東京の矢ケ崎建設(本店東京都千代田区神田淡路町二丁目一三番地。同族会社である。)の代表者として建設業を営み、控訴人は昭和三四年四月から長野県松本市で「矢ケ崎建設」名義で建設業者登録(建設大臣登録)の上個人で建設業を営み、両者は事業上の取引もあり密接な協力関係にあつた。東京の矢ケ崎建設は、従前は東京都知事の建設業者登録の上主として東京都内の建設工事の請負をしていたが、東京電力が安曇ダム(梓ダム)を建設することになつた機会にその工事の附帯施設である仮設建物、社宅、寮、飯場等の建設工事を請負うことを計画し、昭和三六年五月六日建設大臣の建設業者登録をえた上、そのころ前記の業者登録の更新を申請していた控訴人に対し、東京の矢ケ崎建設の松本出張所長に就任して右ダム附帯施設工事の発注を受け工事の施工をしてくれるよう要請し、控訴人はこれを承諾して松本出張所長となり、同年六月一日から控訴人が個人で営業していた事務所を右松本出張所にあてて事業を開始し、他方同年九月八日前記の個人営業としての業者登録更新申請を取り下げ、個人営業を廃止する形式をとつた。控訴人は東京の矢ケ崎建設の代理人として東京電力またはダム工事元請人と交渉して附帯施設の工事の発注を受け、松本の方で大工を雇い、その監督をして工事を施工した。
(2) 控訴人はまた、その後昭和三七年九月までの間松本市内で一〇件のそれ以外の建築工事を請負い、これを施行しているが、請負契約はいずれも東京の矢ケ崎建設の名でなされている。
(3) また、控訴人は東京の矢ケ崎建設に対し、昭和三六年七月以降総計金額は確定できないが何回かにわたつて送金した事実がある。
(二) しかしながら他方、
(1) 前記控訴人が個人としての事業を廃止し、東京の矢ケ崎建設の松本出張所として引き続き事業を行うにあたり、通常かかる場合に行われるべき営業の譲渡に関する取決め、すなわち控訴人が行つていた工事の引継ぎをどうするか、建物、車輛、機械、工具、備品等はどうするか等に関する取決めがなされた形跡は全くなく、その後松本出張所の名でなされる営業はすべて従来控訴人が個人として行つていた営業施設をそのまま利用して行われているにかかわらず、これらの営業施設が東京の矢ケ崎建設に出資等の形で譲渡されたものとしての会計処理はなされていないし、またその使用の対価が支払われ、または支払うべきものとされた形跡もない。〔すなわち、同年五月三一日現在の控訴人個人営業の最終の貸借対照表(乙第一号証の九)に記載された建物(一一三万一、二四五円)、機械装置(三一万五、三六五円)、車輛運搬具(一七万一、一〇七円、但し、同年一二月三一日現在では乙第一号証の七によると六八万四、二三八円)について、出資ないし譲渡されたとすれば記載がなされるべき東京の矢ケ崎建設の昭和三七年二月二八日の貸借対照表財産目録(乙第五号証の二)には、建物の記載が全くない上、機械装置(一八万四、五四四円)、車輛運搬具(四四万二、六五〇円)の記載には右乙第一号証の九記載の数字が合算されていない。(控訴人もまた、右乙第一号証の九によつて、出資ないし譲渡、承継の手続をとつていないことを自認する。)その他前記東京の矢ケ崎建設の貸借対照表等には、上記松本出張所の開設に伴う権利義務の変動の会計処理上の反映とみるべきものが全く認められない。〕
(2) 営業に関する帳簿は、昭和三六年五月三一日現在で個人営業を締切り計算をしておらず、これに継続して松本出張所の営業分を記載し、その後においても個人営業当時の債権債務関係を明確に区分できるような記載をせず、いずれが個人営業に関する収入、支出であるか区別できない。また、取引銀行である日本相互銀行松本支店の銀行取引口座の名義は従前の個人営業当時のまま継続し、その出入金の内容も事業についてのものであるか個人的な収支であるかについてはもとより、事業に関するものについてもそれが従前の個人営業当時のものであるかどうかの区別がつかない。このような状態は、松本出張所開設後から昭和三八年六月に松本市双葉町二、七六二番地に本店のある矢ケ崎建設株式会社(代表者控訴人。以下「松本の矢ケ崎建設」という。)が設立されるまで同様に続いている。
(3) 松本出張所の営業方法についてみると、控訴人が東京の矢ケ崎建設を代理して工事の請負契約をすると、その旨文書等で東京の矢ケ崎建設に報告し、松本出張所が実際の工事を施行するのに要する予算額を交渉し、東京の矢ケ崎建設がこれを承諾すると、松本出張所がその予算額の範囲で独自に施行し、予算額内で利益をえたときは松本出張所の利益とされた(但し、昭和三六年中に一回一五、六万円が東京の矢ケ崎建設に送金されたことがあるという。)。そして、松本出張所が注文者から代金(前渡金も含む。)を受領するとこれを東京の矢ケ崎建設に送金し、東京の矢ケ崎建設は前記の承認した予算額に充つるまで松本出張所にこの中から送金することとし、前者が後者より多かつた場合は松本出張所が東京の矢ケ崎建設に対し、その予算額との差額相当分を貸与(準消費貸借)したものとし、経理上は短期貸付として処理していた(このような営業方式について、東京の矢ケ崎建設は、実質上松本出張所に工事の下請負をさせたものとして処理している。)。このような短期貸付が昭和三六年六月一日から昭和三八年六月一日までの間に合計二一八万六、四五〇円に達しており、松本の矢ケ崎建設が設立された際、後記のように松本出張所から同会社に対し右債権が譲渡された。
(4) 東京の矢ケ崎建設は毎年二月末日が決算期であるが、松本出張所からはこの時期に必要な報告がされておらず、毎年一二月末日現在で当該年度の収支決算報告がされていたのにすぎなかつた。そして、東京の矢ケ崎建設の昭和三六年ないし昭和三八年分の収支決算の基礎には松本出張所の分が入つておらず、従つてまた、右各年分の事業所得の確定申告にも松本出張所分は入つていない。
(5) 松本出張所には控訴人夫婦のほか従業員二人が勤務していたが、東京の矢ケ崎建設松本出張所の名義で、所得税の源泉徴収手続をしたことは一度もなく、その給与支払関係について東京の矢ケ崎建設は全く関知せず、控訴人が収入の中から適宜取得していた。
(6) 前記昭和三八年六月の松本の矢ケ崎建設の設立にあたつては、同会社が東京の矢ケ崎建設松本出張所から同出張所関係の未完成工事の請負人の権利義務、松本出張所の車輛器具その他動産類を譲り受けたとの形式をとつているが、東京の矢ケ崎建設は当時すでに営業を停止した後で右譲渡行為をしてはおらず、右譲渡行為は松本出張所長であり松本の矢ケ崎建設の代表者である控訴人が双方代理(代表)してしたもので、右譲渡は東京の矢ケ崎建設に対する反対給付なしに行われ、しかも右譲渡資産の中には前記のように松本出張所の東京の矢ケ崎建設に対する貸付金も含まれている。また、東京の矢ケ崎建設の債権者は一般に松本出張所の資産をその債権弁済の資力とみておらず、差押その他弁済のための追及の手続をとるものはなかつた。
以上のとおり認定することができる。一部右認定に反する原審における証人矢ケ崎忠実の証言、控訴人本人尋問の結果(第一、二回)の各一部は信用できず、他にこれを左右する証拠はない。
2 右認定事実によると、法律上からみると松本出張所は東京の矢ケ崎建設の一機関であり、その事業所得も東京の矢ケ崎建設に帰属すべきものであるが、その実際をみると、松本出張所における営業はほとんど控訴人の専行するところであり、その間における経理についても東京の矢ケ崎建設と独立して収支決算が行われ、松本出張所の挙げた利益は松本出張所のみに帰属せしめられ、東京の矢ケ崎建設には帰属するものとはされず、両者はあたかも元請負人と下請負人に類似するような形で処理されていることが認められるのである。元来法人における本社と出張所との関係は同一の権利主体における内部関係にすぎないから、当該法人の政策上内部的な計算関係においてはあたかもそれぞれが独立の営業主体であるかのような相互的計算を行うことがあるとしても、当該法人の最終的な収支を確定するためには全部を一括して計算を行わざるをえないものであるところ、東京の矢ケ崎建設と松本出張所との間においては右に述べたようにこのような最終的処理は全くなされておらないのみならず、松本の矢ケ崎建設の設立にあたつては松本出張所の資産がそのまま東京の矢ケ崎建設への反対給付を伴うこともなく移転せしめられ、あまつさえこれに対する松本出張所の貸付金債権なるもの(これは一個の法人内においては、前記のような単なる内部計算上のそれとしてはありえても、実体的な権利関係としては存在の余地がないもので、松本出張所が東京の矢ケ崎建設とは別個の営業主体である場合にのみ存立しうるものである。)さえもが松本の矢ケ崎建設に譲渡されたものとされていること前記のとおりであるから、これらの点にかんがみると、東京の矢ケ崎建設の一部門たる松本出張所としての営業は単に形式上のそれであるにすぎず、その営業による収益が実質的に帰属しているのは右東京の矢ケ崎建設ではなく、松本出張所における事実上の営業の主体、すなわち控訴人個人であり、控訴人がこれらの収益を支配、処分していたものと認定せざるをえない。そうすると、被控訴人が所得税法三条の二(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの。現行法一二条と同一)により、松本出張所の事業所得を法人である東京矢ケ崎建設の所得ではなく実質所得者である控訴人の個人所得と認定してこれに所得税を賦課したのは適法であるということができ、控訴人所論の違法はない。この点の控訴人主張は失当である。
三 原判決二二枚目表一行目から同二七枚目裏三行目までの間に引用された乙第一号証の二、三、四、六、乙第八号証の六、乙第一一ないし第一四号証の各成立の説示に関する部分をそれぞれ「前顕」と訂正し、同二八枚目裏三行目「なした」とある部分を「重加算税を賦課しうべく、右各事実に基づき所定法規を適用して重加算税額を算定すると被控訴人主張のとおりとなるから、本件各」と訂正する。
四 以上のとおりであるから、控訴人の本訴請求はいずれも失当として棄却すべきところこれと同趣旨の原判決は相当で本件控訴は失当であるからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中村治朗 裁判官 石川義夫 裁判官 高木積夫)