東京高等裁判所 昭和50年(行コ)7号 判決 1979年7月09日
控訴人
関根スミ子
右訴訟代理人
大森綱三郎
外二一名
被控訴人
浦和労働基準監督署長
右指定代理人
持本健司
外三名
主文
原判決中、被控訴人に関する部分を取消す。
被控訴人の控訴人に対して昭和四三年二月一六日付でした故関根五郎の死亡について労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとの処分を取消す。
訴訟費用は、第一、二審とも(但し、第一審は被控訴人との間で生じた部分)被控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
一控訴人の夫関根五郎が昭和四〇年八月二六日明治パン株式会社に入社し、以来同社東京工場(以下、訴外会社という。)に勤務していたところ、昭和四二年九月六日午後一〇時頃、製品の仕分け作業中倒れ、数分後に急性心臓死した(当時四五才)こと、控訴人は五郎の死亡につき被控訴人に対して労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたところ、被控訴人は昭和四三年二月一六日付をもつて、本件死亡は業務上の災害に当らないとして、右各給付を支給しないとの処分をしたことは当事者間に争いがない。
二控訴人は、五郎の死亡事故は業務の遂行中に発生し、かつ業務に起因したものであると主張するので、まず、五郎の死亡に至るまでの経過について調べてみる。
<証拠>を綜合すれば、次の事実が認められる。
1 (被災者の訴外会社における職場歴)
五郎は昭和四〇年八月二六日満四三才で訴外会社に入社し、同社東京工場に勤務することになつたが、同人の希望により深夜勤務の製品仕分け作業(各注文店の注文に応じてパンを種類毎にパン箱に収める作業)に従事した。当時の仕分け作業は、まだコンベアーシステムが導入されておらず、手押式であつた。昭和四一年一一月頃同工場の仕分け作業にコンベアーシステムが導入されたが、その頃五郎は仕分け作業から通い箱チエツク作業にまわされた。同作業は、正確には通い箱計数管理業務というが、これは出荷する箱と空箱になつて戻つてくる箱の数を調べる作業であり、同作業もオール夜勤であつたが、作業内容が単純なため、五郎には適していた。五郎は、昭和四二年四月まで約五か月間同作業に従事した。同年四月、五郎は再び製品仕分け作業に配置換えされ、同年五月七日まで一か月間ほどコンベアーシステムによる仕分け作業に従事したが、仕分け作業に適しないことから、再び通い箱チエツク作業に移された。しかし、その後製品仕分け作業の人員が不足してきたため、五郎は同年八月二五日三度び仕分け作業につくよう命じられた。
2 (被災者の従事した連続深夜勤と健康への影響)
五郎は、右のとおり、昭和四〇年八月二六日から急死した昭和四二年九月六日までの二年間深夜勤を続けてきたのであるが、この深夜勤は「オール夜勤」と呼ばれるもので、昼間の勤務は全くなく、勤務時間は、午後八時から翌朝午前五時までの早番と午後九時から翌朝午前六時までの遅番とがあり、いずれも拘束九時間、実働八時間勤務である。そして、午前零時から同一時までの一時間の食事と休憩の時間が、午前三時から一五分間の小休憩がとれることになつていた。公休は一週間に一回あり、残業は少なく、五郎の死亡前四か月の残業時間をみると、六月一〇時間、七月一一時間、八月一七時間(うち八時間は公休出勤分)であつた。このようにみてくると、五郎の従事したオール夜勤は、一見健康に影響を及ぼさない勤務体制であるようにみえるが、これを労働医学的見地から考察すると、五郎の従事した週実働四八時間、拘束週五四時間、週休一日制というオール夜勤制度は次のとおり健康を害する蓋然性の高いものである。すなわち、オール夜勤は、昼夜逆転の生活を余儀なくするが、かような生活形態は、人間固有の生理的リズムに逆行し、これに慣れて順応するということが生理学的には認められないのである。そのため、夜勤従事者は夜勤そのものによつて、大きな心身の疲労を覚えるのみでなく、昼間睡眠が一般に浅く、短くならざるをえないので、勢い疲労回復が不完全となる。しかも、週休一日制では、前夜からの夜勤があり、それに続いて週休があり、翌日には夜勤が控えているので、夜勤者は精神的な余裕をもてない。したがつて、このような夜勤の連続は疲労の蓄積を招くのが通常であり、その回復には週休二日以上の十分な休養と夜眠をとる必要があるのみならず、このような措置がとられている場合でも、健康管理に特別な配慮が望ましいのである。また、夜勤従業者の年令区分と疲労との関係をみると、二〇才台、三〇才台では、疲労の回復が良好であるが、四〇才台では、疲労の影響が長く残ることが実証されている。したがつて、四〇才台の労働者が週労働六日、週休一日制のオール夜勤を一両年も怠りなく続けていれば、慢性疲労からなんらかの健康障害をもたらす公算が大きいといえる。
3 (被災者の勤務態度と作業適応の状況)
ところで、五郎は右のような厳しいオール夜勤の勤務体制にもかかわらず、勤務態度が極めて真面目で、入社以来、無欠勤、無遅刻、無早退を続け、休憩時間中も次の作業の準備をするほど仕事熱心であつた。そして、性格的には几帳面、無口、気が小さく、責任感が強い人柄であつた。しかし、動作が他の人達より若干遅かつた。そのため、五郎は、通い箱チエツクのような仕事には適していたが、コンベアーシステムによる仕分け作業のように機敏な反応と動作を要請される作業には不向きであつた。このようなことから、五郎は、同僚や妻である控訴人に対して常々「仕分け作業は神経をつかう仕事で精神的に疲れる。」と洩らしていた。とくに八月二五日に仕分け作業に配置を命ぜられてからは、疲労感を強く覚えるようになり、同年九月一日頃五郎は上司である深田製品課長に対し、「仕分け作業は非常に神経を使うので、他の職場に変更してほしい。」と申し入れ、同課長も五郎に適した作業場を探すことを約した。五郎にとつて、このような申し出をすること自体きわめて異例のことであつた。
4 (被災者の死亡前配置された仕分け作業)
さて、五郎が仕分け作業に再配置された昭和四二年八月二五日から死亡事故当日の翌九月六日までの一三日間における製品仕分け作業の状況をみると、大要次のとおりであつた。すなわち、
(1) まず、当時の仕分け作業は、作業員一四名で得意先に出荷する一〇四品種のパンの仕分けを担当していたが、各作業員の負担がなるべく均等になるようにするため、担当品種は三、四日毎に組み替えられることになつており、五郎が担当した仕分け作業についてみると、八月二六日から同月二八日までの三日間は甘食班(三品種)、八月三〇日から九月二日までの四日間はハイミルク班(五品種)、九月三日から同月五日までの三日間は調理ロール班(八品種)とそれぞれ担当が変り、事故当日の九月六日にはホツトケーキ班(九品種)と担当品種は一三日間で当初の三倍に増えた。
(2) 次に、仕分け作業量であるが、五郎が再配置された八月末には、総数で八、〇〇〇個台であつたが、学校等の夏休みが明けた九月一日に入ると一万個台に増え、事故当日の九月六日には一万一、〇〇〇個台と一週間余りで約一四パーセントも増加した。しかも、事故当日五郎が担当したホツトケーキ班の作業量は、作業開始の午後九時頃にとくに集中し、多忙をきわめた。
(3) ところで、五郎らが従事した仕分け作業は、毎分約六メートルの速度で動くコンベアー上につぎつぎに送られてくる各得意先の注文票に記載された品種と数量を敏速に読み取り、背後もしくはコンベアーの下に置いてあるパン箱から注文どおりのパンを取り出してコンベアー上のパン箱に積み入れるという作業である。そして、得意先の注文は品種及び数量がそれぞれ異るから、各作業員の担当する品種と数量が多ければ、それに応じてパンの選択作業が複雑になる。のみならず、同作業は、次のパン箱がコンベアーで送られてくるまでに終了していなければならないから、仕分け作業の担当品種と数量が多い場合には、かなり強度の神経緊張を要するとともに、相当習熟していなければ迅速かつ的確にこれを処理していくことができないものである。それ故、仕分け作業に馴れるだけで通常概ね三か月を要するとされており、なかでも、九品種を受け持つホツトケーキ班の仕分け作業は、熟練した作業員でも、その処理に難渋するところであつた。
(4) 五郎は、前にコンベアーシステムを一月余り経験しているとはいえ、もともと仕分け作業に適していないうえ、仕分け作業に再配置されてから、僅か一三日間に三品種から五品種、八品種と担当品種が増え、同作業に習熟しないまま、事故当日は最も難しい九品種担当のホツトケーキ班を担当させられた。
かくして、事故当日の九月六日夜の仕分け作業は午後九時から開始されたのであるが、開始早々から作業量が五郎の担当に集中したため、五郎は間もなく作業に追われだし、注文票記載のパンを入れ終らないうちに通い箱がコンベアーに乗つて検品係の方へ行つてしまうという異常な事態が一時間半足らずの間に七、八回も起り、その都度、小田検品係から叱責され、パンの不足分を約七メートル先の同検品係のところまで走つて届けることを余儀なくされ、その結果、後続の仕分け作業が間に合わなくなるという悪循環が続いた。そこで、かような事態を見兼ねた隣りの仕分け作業員山崎二郎が自分の作業の合間をみて手伝つてくれ、さらに栗原主任、村沢班長も交互に手伝つてくれた。このようなことから、午後九時四〇分ないし五〇分頃には作業も漸く順調な状態に戻り、一息ついた五郎が右山崎作業員に礼を述べ、一旦腰をおろして再び立ち上つて作業を始めた直後に、五郎はコンベアーの上にパン箱をおきながら、崩れ落ちるように倒れた。五郎は間もなく救急車で戸田中央病院に運ばれたが同病院医師池田正記が診察したときには、すでに死亡していた。
5 (被災者の入社後死亡までの健康状態)
次に、五郎の健康状態であるが、入社時の検査では、とくに異常を発見されなかつたが、昭和四一年五月九日に訴外会社において行われた定期健康診断の際に、血圧測定検査で最高一五四、最低一一〇の数値が記録された。右最低血圧の測定値が異常に高いのに、五郎はその頃訴外会社から「現状勤務支障なし」と判定され、再検査も命ぜられず、また、その後本件死亡事故までの間に行われた定期健康診断(昭和四一年一一月三〇日及び翌昭和四二年四月一三日の二回)においては血圧測定すらなされなかつた。しかし、医学的見地からみれば、五郎は昭和四一年五月九日の第一回検査の頃から、すでに医療もしくは医師による観察を要する程度の高血圧症に罹患していた蓋然性が高い。しかるに、五郎は、その後本件死亡事故まで訴外会社の健康診断で高血圧の点についてなんらの検査も指示もうけず、また五郎自身、高血圧に関する知識を欠き自覚症状もなかつたので、医師の精密検査をうけ血圧を正常に保つための治療もうけず、普通の家庭生活とオール夜勤の作業を続けてきた(なお、五郎は、飲酒も週一回位で、酒量もビール一本、日本酒二合程度であり、喫煙も一日五本程度であつて、とくに生活面で不摂生にわたることはなかつた。)。
ところで、五郎は、昭和四二年八月二五日に仕分け作業に配置換えを命ぜられるまでは、健康について格別不調を訴えなかつたが、その後前記のとおり疲労感を強く覚えるようになり、九月五日夜には疲労のためかなり食慾が減退し、事故当日の九月六日朝(なお、当日は、八月三一日から七日連続夜業が続き、翌日が公休日に当つていた。)、夜勤を終えて帰宅したときは、控訴人に対し疲労を強く訴え、夕食時には、普段は控訴人が起さなくても目覚めたのに、二度も起されて漸く起床したうえ、無欠勤の五郎が休みたいとの意向を洩らしたほど疲労感が残つていた。しかし、責任感の強い五郎は、自分が休めば、他の作業員に迷惑をかけるといつて疲労を押して出勤した。その末に、本件死亡事故が突如発生したのである。五郎が作業場で倒れてから死亡するまでの時間が極めて短いことから、診察に当つた池田医師は「心臓不全」と診断したが、解剖等死因を明確にする措置はとられなかつた。
以上の事実が認められ、前記証拠中右認定に抵触する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
三そこで、右認定事実に基づいて、五郎の死亡が労働者災害補償保険法(以下労災法という。)第一二条の援用にかかる労働基準法第七九条、第八〇条所定の「労働者が業務上死亡した場合」に当るかどうかについて考えてみるのに、これを疾病による場合についていえば、労働者が業務に基づく疾病に起因して死亡した場合をいい、右疾病と業務との間に相当因果関係のあることが必要であり、その疾病が原因となつて死亡事故が発生した場合をいうものと解するのが相当である。したがつて、五郎の死亡が業務上のものといいうるためには、死亡の原因となつた疾病が明らかにされなければならないところ、五郎の死亡が急性心臓死であることは当時者間に争いがないものの、急性心臓死をもたらした疾病については、控訴人と被控訴人との主張に隔りがあるので、まず、この点について検討する。
1 (五郎の死因となつた疾病についての当事者の主張の要約)
控訴人は、原審において、「五郎は、オール夜勤による過労から高血圧症、冠動脈硬化症となり、さらに深夜業を続けたためにその症状が悪化し、ついに被災当日のミスの続出等の状況とがあいまつて、発病し、急死したものか、あるいは元来、高血圧、冠動脈硬化症があつたけれども、右悪条件が著るしく疾病を悪化させ、発病し急死したものか、そのいずれかである。」と主張し、当審では、「五郎の高血圧は、オール夜勤の一年という長期連続勤務によつて、それが強いストレツサーとして体に作用した結果であり、さらにそれに続く一年間のオール夜勤が高血圧をさらに悪化させるストレツサーとして作用し、五郎の高血圧を増大悪化させ、動脈硬化を生起させ易くなり、被災当日の業務中の異常な神経の過度緊張とあいまつて、心筋梗塞を惹起せしめたとみるべきである。」と主張する。これに対し、被控訴人は、五郎の死体解剖がなされていないため具体的死亡原因及び死亡当時の生理的状況、体質、他の疾病の有無等についてすべて不明であるから、五郎が控訴人主張のような経過をたどつて心筋梗塞により死亡したと仮定ないし推測すること自体が根拠を欠くと主張する。
2 (被災者の死体解剖がなされない場合の疾病の特定について)
本件は、職場における急死であつて、しかも、被災者が生前医師による精密な健康診断もしくは治療をうけていないので、死後解剖がなされなければ、五郎の死亡の原因となつたであろう疾病を解剖医学的に明らかにすることは不可能である。しかし、本件においては、五郎の死体解剖の措置がとられなかつたことにつき、その遺族において遺体の解剖を拒絶する等剖検を妨げるべき所為に及んだことを認めるべき証拠はないのであり、このように被災者の遺体が解剖されないことについて遺族の側に何ら責むべき事情がないのに、解剖所見による厳格な死亡の原因及び疾病の状況に関する立証を控訴人に対し求めることは、立証責任の公平の原則及び「労働者の業務上の事由による死亡等につき公正な保護をするため保険給付を行うこと」を目的として制定された労災法の立法の趣旨に照らして相当でない。
のみならず、労災法の適用にあたり被災者の死亡の原因となつた疾病を明らかにすることの主旨は、疾病の医学的解明自体にあるのではなく、疾病と業務との因果関係を労災法上の見地から明らかにすることにあるのであるから、解剖所見が得られない本件のような場合において死因となつた疾病を特定しなければならないときには、被災者の生前の健康状態、急死に至る情況等から医学経験上通常起りうると認められる疾病を蓋然的に推測して特定すれば足りると解するのが相当である。
3 (被災者の死亡の原因となつた疾病)
前記のような観点から、五郎の死亡の原因となつた疾病について調べてみるのに、原審証人寺島万里子(川口診療所所長医師)は、「心筋梗塞の可能性が一番強いと考えられる。」と述べ、当審証人上畑鐵之丞(杏林大学医学部衛生学助教授)は、「心筋梗塞か脳出血であろう。」と述べ、前顕甲第二三号証(財団法人労働科学研究所長斉藤一の意見書)当審証人斉藤一の証言によれば、「五郎の死は、脳血栓かもしくは虚血性心疾患(心筋梗塞、狭心症)と想定される可能性が大きい。」というのであり、当審証人大野恒男(関東労災病院副院長、労働省労災専門委員)は、[心筋梗塞による急性心臓死であろうと思う。」と述べる。これに対し、当審証人村上元孝(東京都養育院付属病院長)の証言ならびにこれによつて真正に成立したと認められる乙第五二号証の三(同人の意見書)によれば、「本件急死がなにによるか、説明不可能である。しかし、全くの推測をすれば、異常な経過を辿つた心筋梗塞あるいは動脈硬化性虚血性心疾患が考えられる。」というのである。
右のように、五郎の死因について、医師である各証人の証言もしくは意見は、必ずしも一致しないが、これは解剖所見がない以上当然のことであつて、当裁判所は、右の証言及び意見ならびに前記認定の五郎の急性死に至る経過等を総合して、五郎の死の原因は、心筋梗塞による蓋然性(以下、本件疾病という。)が最も高いと推認する。
4 (本件疾病の業務起因性)
次に、本件疾病が五郎の従事した業務に基づいて発症したものと判断することができるかどうかについて検討を進める。
疾病の業務起因性の有無の判断には、事柄の性質上、疾病の発生の機序に関する医学的知見の助力を必要とするが、この判断は、疾病の原因に関する医学上の判定そのものとは異り、ある疾病が業務によつて発生したと認定し得るかどうかの司法的判断であるから、解剖所見を欠くため解剖医学的見地からは疾病の発生した原因の解明が困難な場合においては、被災者の既存疾病の有無、健康状態、従事した業務の性質、それが心身に及ぼす影響の程度、健康管理の状況及び事故発生前後の被災者の勤務状況の経過等諸般の事情を総合勘案して、疾病と業務との因果関係について判断するほかないものと考える。そこで、以下、右の見地から五郎の本件疾病と業務との関係について調べてみる。
(一) (被災者の既存疾病について)
五郎が訴外会社に入社した昭和四〇年八月当時どのような既存疾病を有していたかは、当時の資料がないので定かでないが、入社後約九か月後に実施された定期健康診断の際、最低血圧値「一一〇」という異常に高い血圧が測定されたこと、これを臨床医学的にみれば、当時の五郎が治療もしくは観察を要する高血圧症に罹患した蓋然性が高いと認められることは前記のとおりである。控訴人は五郎の高血圧症は、オール夜勤による過労が原因であると主張し、被控訴人は五郎の遺伝的素因が主たる原因であると主張する。しかし、仮に五郎の高血圧症が夜勤によつて発症したものであるにせよ(もつとも、その可能性は考えられるが)、もしくはそれが同人の遺伝的素因に起因するものであつたにせよ、高血圧症に罹患していることが判明した労働者についてなんらの健康上の配慮をせずして、高血圧症を増悪させるような業務を遂行させた結果災害が発生したときは、業務起因性を肯定すべきことになるから、本件において、高血圧症が業務に起因したかどうかの判断は必ずしも必要ではない。むしろ、五郎が高血圧症という既存疾病を有することが判明した後における健康管理と就業の状況について調べ、もつて、五郎の高血圧症が業務によつてどのような影響をうけたかを検討することが肝要である。
(二) (被災者の健康管理について)
五郎が前記昭和四一年五月九日実施された定期健康診断の当時すでに高血圧症に罹患している蓋然性が高いと認められること、しかるに、五郎は、右健康診断において「現状勤務支障なし」と判定され、その後、死亡まで二回行われた健康診断においては、血圧測定すら受けることのなかつたことは、前記のとおりである。この点に関し、被控訴人は、昭和四〇年ないし昭和四二年当時における健康診断は、労働基準法第五二条、労働安全規則第四九条以下に準拠して行われたものであつて、循環器等の検査については、今日のように具体的な実施方法が定められておらず、特に医師が他の方法による必要を認めるかまたは本人の申し出がない限り問診及び聴打診により行われることをもつて足るものと解されていたのであるから、訴外会社が定期健康診断に当り医師に対し、血圧の測定を要求しなかつたとしても、当時の社会一般の健康診断に対する認識の程度及び夜勤が身体に及ぼす影響が不明確であつたこと等からみて、右の点は責められるべきではないと主張する。なるほど、五郎が入社後死亡するまでの間に実施された健康診断が被控訴人挙示の根拠規定に基づいて行われたことは、前顕乙第四号証の欄外の記載及び被控訴人挙示の法令に照らして明らかであるから、仮に訴外会社が昭和四一年五月九日実施の定期健康診断において五郎に対し血圧測定検査を実施しなかつたとしても、その点を捉えて、健康管理の手落ちということはできないであろう。しかし、本件においては、右健康診断において、五郎の血圧測定が担当医師によつて行われて高血圧症の蓋然性の高いと考えられる血圧の数値が測定されたのであるから、健康診断を実施した訴外会社としては、五郎に対し、右の結果を告げて注意を促すとともに、その後の五郎の健康管理に相当の注意を払い、医師による再検査を実施して病状を確めたうえ、その結果に即応した適切な業務上の措置をとることが、事業主に対し健康診断を義務づけた前掲労働基準法規の趣旨に沿う所以であると考える。もつとも、この場合五郎が自己の高血圧であることを知つていたとすれば、自ら進んで医師の診断を受け、会社に申し出て健康管理上必要な措置を講ずるべきであろうが、同人がこのような措置をとらなかつたからといつて、訴外会社の前記健康管理上の責任を免れしめるものとはいえない。
(三) (高血圧症者の夜勤について)
次に、右のとおり、五郎について高血圧症が高い蓋然性をもつて推定される状況のもとにおいて、従来どおりオール夜勤に従事させれば、五郎の心身にどのような影響を及ぼすであろうかについて検討する。
五郎の従事したオール夜勤が週一日制の連続深夜勤であつて、健康人でも精神的肉体的負担が重いため、健康を害するおそれが多いものであることは、さきに指摘したとおりである。
被控訴人は、五郎が従事していた夜勤業務自体が慢性的疲労をもたらすことはなく、オール夜勤を継続すれば、徐々に、夜勤に適合するし、また、五郎の場合は、公休も消化され、残業も少なかつたから、疲労の蓄積があつたとは考えられないし、現に、訴外会社及び同業のフジパン株式会社においては、深夜勤勤務により、心臓病や脳溢血等で倒れたものがいないと主張する。そして、<証拠>中には右主張に沿う記載部分があるけれども、右書証をもつてしては、いまだ被控訴人の右主張事実を証するに足りず、かえつて、前記二の2で認定した事実及び<証拠>を総合すれば、訴外会社におけるオール夜勤勤務は、労働者の健康に多大の悪影響を及ぼし、夜勤勤務者中には、循環器系等の疾病を患つたり、あるいは死亡したもの、あるいは退職を余儀なくされたものが少なからず存在したことが窺われるのである。
かようにして、高血圧症の疾病を有すると認められる五郎が、訴外会社から労働安全衛生上何らの配慮を受けることなく、健康者と同一の勤務条件で約一年四か月にわたり、オール夜勤という業務に従事した以上、五郎の高血圧症及びこれに伴う動脈硬化症が相当進行悪化していたであろうことは、前記<証拠>に照らしても、十分推測されるところである。
(四) (被災者の仕分け作業への再配置と同作業の災害性について)
五郎が昭和四二年八月二五日訴外会社の指示により仕分け作業に再配置されたこと、同作業が五郎にとつて不向きであり、不慣れであつたこと、同作業がその作業内容からみて、かなり精神的緊張を伴うものであること、精励格勤、しかも無口な同人が間もなく上司に職場の変更を願い出たのに同作業を継続させられたこと、しかも、事故前日から、疲労感が強く、事故当日の九月六日には漸く起床したほどであつたこと、しかるに、五郎の担当作業は、その疲労度に比例して短時日の間に質、量ともに困難の度を増し、遂に事故当日には不運にも九品種の仕分けをするホツトケーキ班を担当し、それが作業開始早々多忙を極めたため、作業上のミスを続発させたことは前記のとおりである。右一連の事実経過に徴すれば、五郎の従事した仕分け作業が健康で有能な作業員にとつては、被控訴人主張のとおり十分耐えうる程度のものであつたとしても、本件事故当時長期にわたるオール夜勤によつてすでに五郎の高血圧及び動脈硬化症が相当進行、悪化していたことが推測され、かような健康状態にあつた五郎にとつて、右の作業配置の変更及び当日の仕分け作業の過重な負担が、健康な熟練者の場合と異り、強度の精神的緊張をもたらしたであろうことは推察に難くないというべきである。
以上認定の事実関係と<証拠>を総合すれば、本件疾病は五郎が高血圧症に罹患していたのに、訴外会社が五郎に対し適切な健康管理の措置を講ぜず、五郎をして健康に悪影響を及ぼす「オール夜勤」に従事させたため、高血圧及びこれに伴う動脈硬化症を増悪させたこと、さらに、右のような健康状態にある五郎をして精神的緊張を伴う仕分け作業に不用意に配置換をさせたため、疲労の蓄積とストレスにより冠動脈硬化症を起こさせたこと、しかも、事故当日の作業の負担過重と連続的なミスに基づく強い精神的緊張が重なつたこと等が相まつて発症したものと推認するのが相当である。そして、もし訴外会社において、五郎に対し、さきに指摘したような健康管理をし、五郎が高血圧症者であり動脈硬化の状態にあることを十分認識して労働安全衛生上の配慮をしていたならば、五郎がオール夜勤を続け、しかも、精神的緊張を要する仕分け作業に再配置されるようなことは起らなかつたであろうと考えられるのであつて、そうすれば、五郎は本件疾病により死亡するという事態は避けられたであろうと推測されるのである。被控訴人が援用する<証拠>をもつてしても、いまだ前記認定を覆すに足りない。また、<証拠>中の医師池田正記の意見中には、前記認定に反する部分があるが、右意見は五郎の死亡に至るまでの前記認定の一連の事実関係についての認識が十分なくして出されたものであるから採用し難い。次に、前掲乙第五二号証の三(村上意見書)及び前記村上証人の証言中には、別紙「被控訴人の主張」五に一部沿うところがあるが、同証人の証言からも明らかなように、同証人は、五郎が従事したようなオール夜勤の実態についての労働医学的認識の程度において十分とはいえないのみならず、本件のような労働災害によつて起るであろう疾病についての専門的研究者でもなく、専ら同証人の経験してきた臨床医学的研究の成果を踏まえて所見を述べているものであるから、同証人の意見及び証言をもつてしては、いまだ前記認定を左右するに足りないというべきである。他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。
四以上説示したところによれば、五郎の死亡の原因と推測される心筋梗塞は、五郎の従事した業務に起因して発症し、かつ右業務と疾病との間には相当因果関係があると認めるのが相当であり、そして、右疾病を原因として本件死亡事故が生じたものと認めることができる。
しからば、五郎の本件死亡に業務起因性がないとした被控訴人の本処分は違法というべきであるから、その取消を求める控訴人の本訴請求は正当として認容すべきである。
よつて、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は失当であるから、これを取消して同請求を認容することとし、訴訟費用の負担について民訴法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(渡辺忠之 鈴木重信 糟谷忠男)