東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2034号 判決 1978年1月23日
控訴人 菱沼盛雄
右訴訟代理人弁護士 濱田宗一
被控訴人 第一火災海上保険相互会社
右代表者代表取締役 西原直廉
右訴訟代理人弁護士 藤井正博
主文
原判決を取消す。
控訴人と被控訴人との間の自動車保険契約(証券番号・〇六一二三二六号、保険の目的・普通型貨物車・登録番号山形一ま三八五四号)に基づき、控訴人が別紙記載の交通事故に基づく損害賠償責任を負担することによって被る損害を被控訴人が金一、〇〇〇万円の限度で顛補する義務を負うことを確認する。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張は、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 控訴人と被控訴人の代理人(締約代理店)古沢房子との間で本件自動車保険契約が締結されたことは、当事者間に争いがない。ところがその日時について、控訴人は昭和四六年九月四日(土曜日)と主張し、被控訴人は同年九月六日(月曜日)と主張するので、これを検討する。
二 《証拠省略》を総合すれば、昭和四六年九月六日午前一〇時半ないし一一時ごろ、古沢房子が被控訴人会社仙台支社山形支部に保険申込書、契約報告書に保険料一六万余円(本件保険分は一二万余円)を添えて持参し、九月四日に控訴人との間で本件保険契約ほか一件の自動車保険契約を結び保険料を領収した旨報告したので、同支部で九月四日契約成立として受入事務を処理したこと、被控訴人は、本件保険契約につき、九月四日付の保険料領収証(これは、房子の保険料算出に誤りがあったため、さきに房子が控訴人に交付していた領収証と差し替えるため同支部で作成したもの)を発行し、さらに同月二一日には保険証券(証券番号・〇六一二三二六号、保険の目的・普通型貨物車・登録番号山形一ま三八五四号、保険期間・昭和四六年九月四日から同四七年九月四日午後四時まで一年間、対人賠償一事故一、〇〇〇万円、契約日・昭和四六年九月四日等の記載があるもの)を発行し、いずれも控訴人が所持することが認められる。
そして証人古沢房子、同古沢重哉の各証言及び控訴本人の供述(原審及び当審、以下同じ)は、いずれも真実九月四日に本件保険契約及び保険料領収がなされたとしている。
三 ところが被控訴人は、右三名の証言、供述は措信できないものであり、本件保険契約は、右三名が、九月五日(日曜日)に発生した本件事故車(控訴人保有)による別紙本件保険事故(この事故発生は当事者間に争いがない。)ののちに仕組んで日付を遡らせた、いわゆるアフター・ロス契約(以下「アフロス契約」という。)であると主張するから、この点について考える。
1 右三名の証言、供述全体の中には、相互にくいちがうところや、疑わしいか、虚偽と思われるところも部分的に存在することは否定できない。例えば、九月四日に控訴人が古沢重哉、房子(夫婦)方に本件保険契約のため赴いた時間につき、房子の証言と控訴本人の供述は、一、二時間程度くいちがうが、毎日のスケジュールが時間的に正確な人であれば格別(右両名はそれに該当するとは認められない。)行動時間についての記憶のくいちがいはありうるところである。また、房子、重哉の証言中、九月四日午後に本件保険契約につき前記山形支部に電話連絡したとの部分は、証人田中の証言と対比すると疑わしいし、本件事故発生後一週間位して本件事故を知って山形支部に電話で通知したとの部分は、証人多田の証言と対比し、また被控訴人としては後記のように同年一〇月二一日はじめて本件事故発生を知って本件係争になったこと(証人多田、同小磯仁の各証言で認める。)を参照すると、虚偽の疑いが濃い。しかし、証人多田、同房子、同重哉、同船津昭の各証言によると、一〇月二一日以後重哉、房子は被控訴人からきびしい取調べを受けたがアフロス契約をしたことを極力否認し、ただ九月四日中に締約を連絡しなかった点や本件事故発生後通知を怠ったことを追及されて、代理店として種々弁明していたふしが認められるから、前記房子、重哉の各証言部分は、同様の動機から出た可能性もないではない。
2 次に、本件保険契約がアフロス契約ではないかとして一応疑いをかけるべき若干の点につき、被控訴人の主張を中心に、触れてみると、
(1) 事故当夜、控訴人は、かねて本件事故車を含む同人の保有車輛につき自賠法による強制保険(以下「自賠責」という。)の手続をしていた株式会社東北自動車整備工場の常務取締役富樫秀雄を訪ねて右自賠責のことを尋ねたのであるが、その際控訴人は、本件事故の場合自賠責ですむかとの質問をしているが(富樫は、経験事例をあげ、大丈夫だろうと答えた。)、本件保険のことは口に出さなかった(以上は証人富樫秀雄、同小磯の各証言、後者により成立を認める乙第五号証、第一〇号証の一ないし四、控訴本人の供述を総合して認める)。しかし、右行動を不可解とすることはできない。すなわち、自賠責のことはもちろん、賠償額のおおよそは、事故責任者として経験者に尋ねておきたいであろうし、また控訴人が本件保険のことを特に富樫に話さなかったことも、控訴本人の供述、及び当時富樫との間で自動車修理の遅延問題等で気まずいことがあり(証人佐藤春良の証言と控訴本人の供述で認める。)、後記のように以前富樫を通じて入っていた任意保険を期間切れ後に富樫に継続依頼しなかったいきさつからみて、理解できないものでもない。
(2) 控訴人は、その保有車輛四台につき富樫(東北整備)を通じて任意保険に加入していたが、うち三台は昭和四六年六月五日期間が切れたのに継続せず(富樫、小磯の各証言、乙第五号証、第一〇号証の一、二と控訴本人の供述を総合して認める。)、約三か月後、しかも本件事故の前日に、うち本件事故車を含む二台についてのみ本件保険契約をしたというのは、偶然すぎる感がないではないけれども、元来保険事故は偶然のものであるし、また本件事故車は東北整備に修理に出していたが、昭和四六年八月末ないし九月初めごろ控訴人が引取って使用を開始したこと(証人佐藤、同植松富士雄の各証言と控訴本人の供述で認める。)からすれば、九月四日に本件保険契約をしようとしたのもあながち疑惑とはいえず、また右加入につき東北整備を利用しなかった事情も、前記(2)の富樫との関係から、一応理解しうる。さらに、残る一台につき任意保険をつけなかった事由については、控訴人の供述に動揺ないし不明瞭さがみられるが、元来任意保険の利用は自由である以上、重要視することはできない。
(3) 本件事故については、昭和四六年一〇月二一日控訴人の事故報告書をもってはじめて被控訴人に通知があり(成立に争いのない乙第三号証と証人多田、同小磯、同船津の各証言で認める。)、事故から四六日を経ていることは、たしかに遅く、問題といえないではない。しかしながら、自動車保険の場合、任意保険は自賠責の上積み(補充)であり、現に被害者吉田香(死亡)の分は、のちに昭和四六年一二月一一日、自賠責五〇〇万円の範囲内の四二〇万円で示談が成立しており(成立に争いのない甲第一〇号証で認める。)、被害者吉田七百子(重傷)の分は、自賠責五〇万円を超えるような傷害(特に後遺症)かどうかは当初控訴人に明確でなく、翌昭和四七年四月二五日になって一、〇〇〇万円請求の訴が提起されたこと(成立に争いのない甲第五号証と証人吉田俊男の証言、控訴本人の供述を総合して認める。)からすれば、控訴人が右の程度に遅れて事故通知をしたことが、悪事発覚をおそれ、または良心にとがめていたからなどと考える根拠にはならないというべきである。
(4) 房子は、多田貞一(前記山形支部長)の取調べを受けた際、最後には、本件保険金を控訴人に請求させないというようなことを述べているが(証人多田の証言で認める。)、その意味は必ずしも明瞭でないうえ、これは、前記1認定のように、監督者から種々追及されたのをかわす弁明的発言と解する余地がありうる。
(5) 重哉が控訴人と従兄弟の関係にあり、また控訴人が重哉にいくらか貸金があったこと(重哉の証言と控訴本人の供述で認める。)から、アフロス契約を共謀したのではないかと考えることは、もちろんできない。
四 以上例示したとおり、房子、重哉の証言と控訴本人の供述及び本件全体の経過に何ほどかの問題点はあるにしても、全体としてこれらの証言、供述を措信するに足りないと認めることはできず、かえって、
1 九月四日の前記山形支部における事務処理については、前記二認定のところ、及び事務員田中則子が房子に事故はなかったかと問い、房子がないと答えたやりとりがあった程度で格別問題もなく円滑であったこと(証人田中、同房子の証言で認める。)からみて、同日における房子の言動に疑点はなかったと考えざるをえず(その時点で房子、重哉が本件事故を知っていた証拠はない。)、さらに、被控訴人としては、土曜日の保険契約には神経を使っていたのに(証人多田、同小磯、同船津の各証言で認める。もっとも同証言中、即日入金できないかぎり土曜日は契約を受付けないよう指導していたとの部分は、本件の事務処理経過からみても疑わしく、たとえ指導があったとしても、徹底していなかったふしがみられる。)、一応順調に九月四日を契約日、保険期間開始日とする保険証券が発行されていることは、右心証を補強する。
2 被控訴人が、土曜日の契約を確実、容易に証明できるよう事務手続を完備させるか、それができないときは絶対に受付けないように指導していた形跡は認められない(右1参照)のであるから、一般的に本件のような場合、契約者または代理店がのちにアフロス契約の疑いを受けると、正しい場合でも、書類や証人等で一点の疑いのないよう証明するのは容易でなく、場合によると、弁明しても、さらに追及されて、心理的に困惑に追い込まれるおそれもある。
3 アフロス契約は重大な詐欺行為であるが、本件の全経過をみるに、いまだ、控訴人、房子、重哉が事故当日の夜から翌日午前までにかような計画を謀議し、実行したとの積極的心証を惹かない(ちなみに、乙第三号証によると、事故報告書記載の事故日は九月四日と誤記されており、契約日と同じ日であり、基本的な、一そう疑われやすいミスをおかしたことになるが、アフロス契約共謀者とすれば粗末すぎる感を拭いえない。)。
五 そうすると、以上のところまでを総合判断し、いまだ房子、重哉の各証言及び控訴本人の供述を措信しえないものとして排斥することはできず、結局、本件保険契約は、保険証券、保険料領収証記載のとおり昭和四六年九月四日契約され、保険料が領収されたと認定するほかはないと判断する。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
六 そこで、被控訴人の仮定抗弁につき判断する。
1 抗弁1(保険料領収前の損害不顛補)については、前記のとおり、本件事故発生以前に保険料(その額は、一一万四五七一円)が領収されていると認めるものであるから、右抗弁は理由がない。
2 抗弁2(告知義務違反による解除)については、控訴人が本件事故車を運賃収益を目的として使用していたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、《証拠省略》を参照すれば、控訴人は青果業を営み、果物等を生産者から買って罐詰業者等に売ったり、仲介したりし、差益または手数料を得ていたもので、本件事故車もそのために使用していたと認められる。そうすると本件事故車が営業用貨物自動車であったことを前提とする抗弁2は、理由がない。
3 抗弁3(事故通知の遅滞による免責)についてみると、前記三2(3)のとおり、本件事故の通知が遅いことは事実であるが、《証拠省略》によると、本件保険約款で事故通知遅滞により被控訴人が免責されるのは、正当な理由なくして通知義務に違反した場合に限られ、したがってこの観点から、いつをもって遅滞とみるかも弾力性があると解せざるをえないし(約款上もその基準は定められていない。)、本件の場合、前記三2(3)認定のところから考えて、正当な理由がなく通知を遅滞したとまではいえないから、右抗弁も理由がない。
七 以上のとおりで、本件保険契約に基づき、本件事故によって控訴人が負担すべき損害賠償責任による損害を保険金額一、〇〇〇万円の限度で顛補する義務を被控訴人が負うことの確認を求める本件請求は、理由があるから、これと結論の異なる原判決を取消して、右請求を認容することとし、訴訟費用につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小堀勇 小川克介 裁判長裁判官瀬戸正二は、退官のため署名押印することができない。裁判官 小堀勇)
<以下省略>