東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2387号 判決 1978年1月25日
控訴人
静岡信用金庫
右代表者
天野四郎
右訴訟代理人
御宿和男
同
廣瀬清久
被控訴人
揖斐川鉄興株式会社
右代表者
春田磯治
右訴訟代理人
東浦菊夫
同
古田友三
主文
原判決を取消す。
静岡地方裁判所が同庁昭和五〇年(手ワ)第一六九号約束手形金請求事件について昭和五一年四月二三日言渡した手形判決のうち、被控訴人に関する部分を認可する。
右手形判決に対する異議申立後の訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
一控訴人主張の請求原因1及び3の各事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、請求原因2の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
二そこで被控訴人主張の抗弁について判断する。
1 被控訴人主張の債権者代位権に基づく相殺の抗弁(第一項抗弁)について
(1) 被控訴人が訴外会社に対し、その主張の手形金債権を有していること、訴外会社が控訴人に対し本件手形金債務二〇八万六、六三〇円を負担していること、訴外会社がすでに倒産して無資力となり、同会社代表者が行方不明であること、及び被控訴人がその主張の日にその主張の相殺の意思表示をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。被控訴人は訴外会社が控訴人に対し、定期預金債権一、九二五万七、〇〇〇円及び定期積金債権七二九万八、〇〇〇円を有していた旨主張するけれども、その金額についてはこれを認めるに足りる証拠はなく、<証拠>を綜合すれば、昭和五一年一月二五日現在で、訴外会社は控訴人に対し、原判決添付別紙預金債権目録(1)ないし(5)記載のとおりの預金債権を有していたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(2) しかし、被控訴人が右認定の預金債権をもつて、訴外会社の控訴人に対する本件手形買戻債務と相殺しても被控訴人の訴外会社に対する確定判決のある手形金債権の保全のためには何の役にも立たないから、被控訴人主張の代位権の行使はその要件を欠くものとして効力を生ずるに由ないものといわねばならない。
2 次に、被控訴人主張の差押・転付命令により取得した預金債権に基づく相殺の抗弁(第二次抗弁)について
被控訴人が訴外会社に対し、その主張の手形債権を有し、その主張の経緯で訴外会社が控訴人に対して有する本件預金債権(前記預金債権目録(1)ないし(5)の預金債権)につき仮差押をし、次いでその主張の執行力ある手形判決に基づいて本件預金債権につき差押・転付命令を得たこと、同命令正本が昭和五一年五月二四日第三債務者である控訴人に、同年六月九日債務者である訴外会社にそれぞれ送達されたこと、被控訴人が控訴人に対し昭和五一年六月一四日の原審第五回口頭弁論期日において本件預金債権を自働債権とし、本件手形債権を含む合計六一六万五、八三〇円の手形債権及びこれに付随する利息債権を受働債権として相殺の意思表示をしたこと、以上の諸点に関する判断については、原判決一一枚目裏八行から同一三枚目表一〇行までの記載をここに引用する。
三控訴人主張の再抗弁について
1 控訴人は被控訴人のした前記相殺の意思表示の前である昭和五一年二月一四日付及び同年三月四日付各書面をもつて訴外会社に対し相殺の意思表示をしたと主張する。そして、<証拠>によれば、控訴人が右各書面をその主張の頃発送したことが認められるが、右各書面が訴外会社代表者平田伍の所在不明のためいずれも到達しなかつたことは控訴人の自認するところである。控訴人は訴外会社との間に結んだ信用金庫取引約定書第一一条二項を根拠として、右各書面が訴外会社に到達しなかつた場合でも、通常到達すべき時に到達したものとみなされる旨の特約があり、このような特約の存在は公知の事実であるから、前記二月一四日付書面は同月一六日頃、前記三月四日付の書面は同月六日頃それぞれ到達したものとみなされる旨主張する。しかしながら、右特約の信用金庫取引約定に規定され、公知の事実であるといつても、特約当事者以外の第三者、殊に本件預金債権の差押をし転付をうけた被控訴人がその効力を受容しなければならないいわれはないというべきである。
したがつて、控訴人の訴外会社に対する前記各相殺の意思表示は、結局、控訴人主張の時期に到達しているとはいえないから、控訴人のこの点に関する主張は、その余の点について判断するまでもなく失当というべきである。
2(1) <証拠>によれば、控訴人は被控訴人に対し、昭和五一年六月一九日付同月二一日到達の「相殺通知書」と題する書面をもつて「控訴人は本先預金債権につき被控訴人への転付命令の送達をうけたが、控訴人は訴外会社に対し同年二月一二日付をもつて控訴人の訴外会社に対する貸付債権一、一三九万五、六六六円をもつて訴外会社の控訴人に対する本件預金債権等と対当額において相殺した。よつてその旨通知する。」旨の通知をしたことが認められるところ、右通知の趣旨は被控訴人が取得した本件預金債権が、これに対して被控訴人の取得した転付命令より前にすでに相殺によつて消滅していたことを主張するものと解されるから、さきに控訴人がした前記相殺の意思表示がその効果を生じないときには被控訴人に対してあらためて相殺の意思表示をするとの趣旨も含まれるものと認めるのが相当である(のみならず、控訴人のした右昭和五一年六月一九日付書面による意思表示が被控訴人に対する右相殺の意思表示と解しえないとすれば、本件口頭弁論の全趣旨によれば、控訴人は被控訴人に対し当審訴訟において右の趣旨の相殺の意思表示をしたものと認めることができる。)。そして、他方被控訴人が控訴人に対し、昭和五一年六月一四日に本件預金債権を自働債権とし、本件手形債権を含む前記手形債権を受働債権として相殺の意思表示をしたことは前記引用の原判決記載のとおりである。
(2) 右によれば、被控訴人のした相殺の意思表示は、控訴人がしたそれよりも前になされたものである。しかし控訴人主張の両債権(自働債権たる貸付債権と受働権債たる本件預金債権)の相殺適状が被控訴人主張の両債権(自働債権たる本件預金債権と受働債権たる本件手形債権)の相殺適状より先に生じた場合には、被控訴人はその主張の相殺をもって控訴人に対抗しえないものと解するのが相当である。
(3) そこで、次に控訴人及び被控訴人主張の各債権の相殺適状の先後について調べてみる。
訴外会社が控訴人との間に昭和四八年三月一九日控訴人主張の信用金庫取引契約を結んだこと、その取引約定書には、訴外会社に「手形交換所の取引停止処分があつたとき」には、当然期限の利益を失い、直ちに債務を弁済する旨及び控訴人は訴外会社に対する債権と訴外会社の控訴人に対する定期預金等の債権をもつて期限のいかんにかかわらず、いつでも相殺することができる旨の各条項が定められていることは、当事者間に争いがない。そして、右取引約定書の各条項は訴外会社に信用悪化の事態が生じた場合には控訴人において債権の早期かつ安全な回収をはかろうとする意図に基づくものであることが明らかであつて、右約定は自然かつ合理的なものとして、事実たる慣習が形成され、公知の事実であることから第三者に対しても効力を有するものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五一年一一月二五日第一小法廷判決参照)。そして、<証拠>によれば、訴外会社は昭和五〇年一二月二日に財団法人清水銀行協会清水手形交換所において取引停止処分をうけたことが認められる。したがつて、同日をもつて、控訴人の訴外会社に対する貸付債権は期限の利益を失い、また、訴外会社の控訴人に対する預金債権も控訴人がいつでも期限の利益を放棄することができることにより、相殺適状になつたというべきである。そこで右相殺適状時である昭和五〇年一二月二日現在における控訴人主張の貸付債権(いずれも平田工業に貸付けた昭和五〇年六月二八日付一〇〇〇万円のうち五二七万六五七一円、同年九月五日付六〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年一二月五日から昭和五一年二月一二日まで年10.25パーセントの割合による利息一一万九〇九五円以上合計一、一三九万五、六六六円)と預金債権(合計一、一三九万五、六六六円)の存否及び数額について調べてみる。<証拠>を綜合すれば、控訴人は訴外会社に対し、昭和五〇年六月二八日に金一〇〇〇万円を、同年九月五日に金六〇〇万円をいずれも年利10.25パーセントの約で手形貸付をしたことが認められ、右各貸付金がその後弁済されたとの主張、立証がないから、控訴人は訴外会社に対し、右金六〇〇万円及び金一〇〇〇万円のうち、控訴人主張の内金五二七万六五七一円の合計一、一二七万六五七一円の貸付債権を有していたというべきである。しかし、控訴人主張の金六〇〇万円に対する昭和五〇月一二月五日から昭和五一年二月一二日まで年10.25パーセントの割合による利息金一一万九〇九五円(計算上は一一万七、九四五円である。)については控訴人主張の相殺により貸付債権が相殺適状期である昭和五〇年一二月二日に遡つて消滅することとなるから、同日以降の利息(もしくは遅延損害金)は生じないものというべきである(前記取引約定書第七条三項には、控訴人が相殺をする場合の差引計算として、「利息、損害金等の計算についてはその期間を計算実行の日までとする。」旨定めているが、右計算規定は両債権を相殺適状時に遡つて清算する相殺の原則に対する例外を定めた特約であるから、特約当事者以外の第三者殊に本件預金債権の差押をし転付をうけた被控訴人を拘束するものと解することはできない。)。また、控訴人の主張する受働債権は、原判決添付別紙預金債権目録(1)ないし(5)記載の預金債権合計金一〇九四万三、六〇五円のほか、別段預金一五万一、九八六円及び解約利息金三〇万七五円を加えた総額金一一三九万五、六六六円であるが、右相殺は控訴人が被控訴人に対してしたものであり、したがつて、その受働債権は被控訴人が前記差押、転付命令によつて取得した右(1)ないし(5)の本件預金債権のみであつて、右別段預金及び解約利息は、右受働債権たりえないものである。そこで、右別段預金及び解約利息を除外して受働債権である右(1)ないし(5)の預金債権の額について調べてみると、<証拠>を綜合すれば、相殺適状時である昭和五〇年一二月二日現在における右預金債権の額は、少なくとも原判決添付別紙預金債権目録(1)ないし(5)記載の各現在元金額合計一、〇九四万三、六〇五円であるものと認められる。
そうだとすれば、控訴人は昭和五〇年一二月二日を相殺適状時として前記貸付債権合計金一、一二七万六、五七一円を自働債権とし、前記預金債権合計金一、〇九四万三、六〇五円を受働債権として、その対当額について相殺をなしうる状態にあつたということができる。
これに対し、被控訴人が昭和五一年五月二四日(差押・転付命令が控訴人に送達された日)に取得した前記(1)ないし(5)の各預金債権は、同(4)の定期預金の満期日が同年三月二六日であり、その他の預金債権の満期もすべて同日以後であるから、その相殺適状は控訴人の有する預金債権の相殺適状時である昭和五〇年一二月二日より後であることが明らかである。
(4) してみれば、控訴人の前記相殺の意思表示は被控訴人のそれに後れるものであるが、その相殺適状が先である以上、控訴人の前記相殺の意思表示により被控訴人主張の預金債権金一、〇九四万三、六〇五円は昭和五〇年一二月二日に遡つて、控訴人主張の貸付債権のうち金一、一二七万六、五七一円と対当額において相殺され、右預金債権はこれによりその全額が消滅したものというべく、したがつて被控訴人主張の相殺はその効力を生ずるに由ないものといわねばならない。
被控訴人は控訴人主張の両債権が先に相殺適状にあつても、被控訴人主張の両債権をもつて相殺することは信用金庫取引約定においても禁止されていないと主張するが、右取引約定において預金者側からの相殺(いわゆる逆相殺)禁止の特約がないからといつても、相殺適状が後に生じた債権をもつてする相殺が優先するいわれもないのであるから、前記説示のとおり被控訴人主張の両債権の相殺適状が後である以上、右主張は採用できない。
また、被控訴人は控訴人主張の貸付債権と本件預金債権とが相殺適状にあつたのであれば、本件手形債権と預金債権も昭和五〇年一二月二日当時相殺適状にあつたと主張する。しかしながら、控訴人主張の前記貸付債権と預金債権とが、昭和五〇年一二月二日に相殺適状になつたのは、前記取引約定に基づき専ら、控訴人の将来の相殺に関する期待を保護するためになされた前記相殺予約の効力に由来するものであるから、訴外会社またはその差押・転付債権者である被控訴人の側から右相殺予約を援用して同日をもつて本件預金債権が相殺適状にあつたと主張しうるものではない。したがつて、本件手形債権と預金債権は同日相殺適状にあつたとはいえない。
また、被控訴人は控訴人が相殺適状後、相殺権の行使を久しく怠つたため、被控訴人が相殺権を行使したものであるから、控訴人の相殺権の行使は許されないと主張するが、前記認定の事実及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は昭和五一年二月一四日及び同年三月四日付各書面をもつて訴外会社に対し相殺の意思表示をしようとしたが、訴外会社の代表者が行方不明のため、その手続が捗らないうち、被控訴人が本件預金債権につき差押・転付命令を得たたうえ、本件相殺の意思表示に及んだものであり、その後間もなく、控訴人は被控訴人に対し前記相殺の意思表示をするに至つたものであつて、控訴人の相殺権の行使に被控訴人主張の懈怠は認められないから、右被控訴人の主張も採用できない。
よつて、控訴人の再抗弁は右2の主張について理由があるというべきである。
四しからば、被控訴人の抗弁は理由がないことになるから、被控訴人に対し、本件約束手形金二〇八万六、六三三円及びこれに対する満期である昭和五〇年一一月二五日から支払済に至るまで手形法所定年六分の割合による利息の支払を求める控訴人の本訴請求は正当であつて、右請求を棄却した原判決は失当であるのでこれを取消し、右請求を認容した手形判決を認可することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第八九条、第四五八条に従い主文のとおり判決する。
(松永信和 糟谷忠男 浅生重機)