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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2535号 判決 1979年8月29日

控訴人 理研精機株式会社

右代表者代表取締役 西川勉

右訴訟代理人弁護士 高島良一

同 森口静一

同 山田昇

被控訴人 佐藤吉一

右訴訟代理人弁護士 仙谷由人

同 遠藤昭

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人の申請を却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、被控訴人は、「控訴棄却」の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、次のとおり訂正付加するほか原判決の事実欄に記載されているとおりであるから、これをここに引用する。

(訂正)

一  原判決二丁裏二行目の「昭和四六年一〇月」とあるのを「昭和四四年一一月」の誤記と認めて改め、同四丁裏五行目の「会社は」から同七行目の「旨主張している。」までを、「会社は、本件解雇につき労働協約五二条、就業規則七九条三号、九号、一〇号を、休職処分につき労働協約四九条六号、就業規則七八条二号を各適用してこれらをなした。」と訂正する。

二  同六丁表六行目の「ある。」の次に、「なお、控訴人の被控訴人に対する本件懲戒解雇告知の際に理由とされたのは、第一次及び第二次休職処分の理由と同趣旨の「経営理念に反する行動」であり、具体的な処分理由は示されなかった。」を挿入し、同丁裏二行目の「嫌悪し、」の次に、「特に被控訴人が中心となって作成した組合青年部のビラによる組合活動に着目してこれを嫌悪し、被申請人を職場から排除しようとして」を、同五行目の「七条一号」の次に「、三号」を、それぞれ挿入する。

三  同八丁裏四行目の「イ、就業時間中のビラ、原稿書き」から同九丁表一〇行目の「昭和四九年二月二五日」までを次のとおり訂正する。

「(1) 就業時間中のビラ、原稿書き

被控訴人は、昭和四八年八月頃からしばしば就労時間中に上司の注意を無視して、青年部教宣局名義のビラ等の原稿を書いた。その回数は同月頃から昭和四九年三月頃までに合計九七回に及んだ。これは就労義務、職務専念義務に違反し、労働時間中の組合活動禁止にも違反する。

(2) 無断職場離脱

被控訴人はしばしば自己の職場を離れ上司が注意したにもかかわらず職場離脱をくりかえした。その日時、回数は、昭和四八年一二月二一日、同月二四日、昭和四九年三月一三日、同月一五日(二回)、同年四月四日(二回)、同月一二日、同月二五日(二回)、同年五月二四日の一一回である。

被控訴人が職場を離れるときは、自己の担当する機械を停止するなどして会社の業務を中断させ、又は右機械を自動操作のままにして放置するなどして会社の業務を害するおそれを生ぜしめるとともに、話しかけた相手方の職務の遂行を妨害したのである。

被控訴人が担当していた機械は、N・C班配属当時はN・C旋盤、ラム課配属当時は汎用旋盤であったが、被控訴人が右のように職場から離れたか、又は離れなくても機械に対する監視や注意を怠ったために、次のような製品の加工ミスが生じ、会社に経済的損失をこうむらせた。

昭和四八年一一月頃 スピンドル加工ミス

同月二二日頃   スピンドル加工ミス

昭和四九年二月五日頃 シリンダー加工ミス

同月二一日頃   スピンドル加工ミス

(3) 無断外出

被控訴人は無断で職場を離脱して外出し、会社の業務の運営を妨げた。

(4) 休瑕、遅刻、早退

被控訴人は勤務態度が不良であり、予め届出することなく、次のとおり休んだり、遅刻、早退することが多く、そのため会社は作業計画をたてるうえ等で支障を蒙った。

遅刻 昭和四八年八月九日、一一月一二日、昭和四九年三月一一日(計三回)

早退 昭和四八年一〇月三〇日、一一月九日、一二月一一日、同月一二日、同月一三日、昭和四九年一月二一日、二月一二日(計七回)

半日休暇 昭和四八年九月一日、同月二七日、一〇月八日、同月一三日、一二月四日、同月二二日、同月二四日、同月二七日、昭和四九年一月二五日、二月一五日、同月二二日、同月二三日、三月一八日、同月二〇日(計一四回)

右半日休暇が有給休暇としてとられたものであっても、その殆どは被控訴人において自動車教習所へ通うためのものであるから、被控訴人はこれらの欠勤につき正当な事由を有せず、就労義務不履行の責を免れないものである。

(5) 私用電話の使用料の無申告、不払

会社は職場内にある電話を従業員が私用で使うことを特に禁止してはいなかったが、使用者が使用の都度備付のノートに使用の日、回数等を記入し、使用料は給料から一括引去る扱いであったところ、被控訴人は、使用回数が多いのにノートに殆ど記入しなかった。

(6) 残業拒否

会社は生産計画を達成するため必要に応じて時間外労働を実施しているが、上司が被控訴人に対し時間外労働に協力すべきことを要請し、被控訴人も協力を約束したのに、正当の理由なくこれを実行せず、たとえばラム課で勤務した約八ヶ月間に、わずかに一日につき一時間三〇分の時間外労働を二回しただけであって、会社業務に非協力であった。このことは、前記(4)の事実と併せて、職場の作業計画の遂行を阻害するとともに、同僚に負担をかけ、職場における協力、信頼関係を破壊するものであった。」

四  同九丁裏一行目の「欠如していた。」の次に「被控訴人は前記のような労働契約上の就労義務、職務専念義務、誠実義務に違反する行状により会社の業務を阻害し、その秩序を乱すとともに、会社に対して謂れのない中傷をくり返し、その『はね上り』的行動により職場の上司や同僚の不信を買うに至った。」を挿入し、同丁裏一二行目の「会社は経営」から同一〇丁表三行目の「基づき、」までを、「会社は労働協約四九条六号に基づき、」と訂正し、同四行目の「休職処分に付した。」の次に、「尤も、右休職処分につき会社は懲戒事由である就業規則七八条二号をも適用してこれをなしたが、このことについての会社の真意は次のとおりである。すなわち、被控訴人の前記の行為は、懲戒解雇事由たる就業規則七九条三号、九号、一〇号に該当するので、会社は被控訴人を懲戒解雇もできると考えた。しかし会社は被控訴人が右行為を反省し改悛するならば懲戒解雇までしなくてもよいと考え、反省を促すために被控訴人に右の休職を命じ、休職を命じる「特別事情」として前記就業規則七八条二号を示したのである。右のように雇用関係を継続しうる可能性の回復を期待し、懲戒解雇を回避するため休職制度を利用することは、わが国の労使慣行として一般に行われているところである。」を挿入する。

五  同一一丁表一行目の「労働協約五二条、」を削除し、同二行目の「付したものである。」の次に、「尤も右解雇処分につき会社は労働協約五二条をも摘示したが、前記のとおり、会社は被控訴人の解雇を回避する趣旨をも含めて、休職を命じたのに、被控訴人がその期間を経過しても、反省の色を示さなかったので、本件解雇処分をするにいたったのであって、この経過に徴すると、右五二条を付加した会社の心情は理解することができよう。」を挿入し、同三行目の「労働協約および」を削除する。

七  同一一丁表七行目の「(一)項ロのうち、」から同丁裏四行目の「否認する。」までを、「(一)項(1)は否認する、この点は、被控訴人が仕事上のメモあるいは届出書を作成することをとらえ、控訴人がこれをことさらあげつらっているとしか考えられない。同(2)のうち、被控訴人が昭和四九年三月一三日、同年四月四日に職場にいなかったことのあることは認めるが、その余は否認する。同年三月一三日には被控訴人は組合の執行委員として組合執行委員会に出席し、同年四月四日には組合と控訴人との間の団体交渉に出席したため、それぞれ職場を一時離れたのであり、控訴会社においてはこれらを認める労使慣行があったから、右の職場離脱は何ら問責されるべき事柄ではない。なお、被控訴人も業務の必要上他の職場に行くこともあったが、これは時間も短く、特に上司の許可を求めるまでもない取扱いのものであったし、もとより業務阻害とみられるべきものではなく、かえって同(2)の控訴人の主張は控訴人が特に被控訴人の動静をマークしていたことを証明する以外のものではない。また、控訴人は被控訴人の製品加工ミスを云々するが、これらはたとえあったとしても誰にでもあるミスであるし、被控訴人の職場離脱と何ら関係のない事柄である。同(3)の主張事実は否認する。同(4)のうち、被控訴人が控訴人主張の日に半日休暇をとったことのみ認めるが、その余は争う。そもそも被控訴人に関する休暇、遅刻、早退は全て届けられ、控訴人において受理されているものであり、しかも全て有給休暇として処理されているのであって、被控訴人の有給休暇の取得がなぜ処分理由になるのか理解に苦しむ。控訴人が時季変更権を行使しないでいて被控訴人の有給休暇の取り方が悪いというのは信義則に反すること甚だしい。また、そもそも組合役員が早退、外出の取扱いのもとに組合業務を行うことは、控訴人会社において常時行われ、慣行として認められており、他の組合役員らにおいてもそのような取扱いであったのであり、被控訴人のみがこの点で問責されるいわれはない。同(5)の主張も争う。同(6)の主張も争う。控訴人が計画実施した残業は昭和四八年八月二二日まではいわゆる三六協定もないまま行われた違法なものであった。しかし、被控訴人は右残業につきできるかぎり協力しこれを行った。すなわち、被控訴人は、N・C班配属当時には右残業を控訴人会社の計画通りに行った。ラム課配属当時には、被控訴人は残業を殆どしなかったが、これは当時被控訴人が組合執行委員、地区労青年婦人部書記長をしていたこと、また自動車教習所へ通うこと等により特に多忙であったからである。尤も、同課配属当時被控訴人は汎用旋盤カズヌーブ七二五による仕事を担当したが、その仕事の内容、性質からして残業を要することは殆どなかった。管理課検査係配属の時は、この職場は本来残業のない職場であったが、それでも被控訴人は一月に二、三回は残業をしたのである。」と訂正する。

(当審における新たな控訴人の主張)

仮に本件懲戒解雇の意思表示が無効とされるとしても、被控訴人は前記のような職場規律違反等の行為をしたものであるから、就業規則第六三条第二号の「不都合な行為があったとき」に該当するものであり、したがって右意思表示は被控訴人に対する同号に基く予告解雇の意思表示として有効なものである。

仮に右のような意思表示の効力の転換が認められないとすれば、控訴人は被控訴人に対し昭和五二年九月一四日の当審第四回口頭弁論期日において同日付準備書面をもって予備的に三〇日の予告をもって通常解雇の意思表示をした。

したがって、控訴人と被控訴人との雇用関係は消滅した。

(当審における新たな被控訴人の主張)

控訴人主張の右予告解雇の各意思表示は、同一事由に基き、控訴人が被控訴人に対し第一、第二次の各休職処分及び本件懲戒解雇処分をした上、更に四回目の不利益処分を行うためのものであり、一事不再理の原則に著しく違反し、無効である。

のみならず、右各意思表示は控訴人が被控訴人にただただ控訴人の職場から排除しようとして考え出されたものであって、解雇権の濫用に当り、無効である。

(当審における新たな証拠関係)《省略》

理由

一  被控訴人は、昭和三九年四月控訴人会社に入社し、同時に製造課第二係特殊機械班に配置され、同四四年一一月頃からポンプ課N・C班に所属していたところ、昭和四八年四月頃から会社が同班に「二交替制」を実施しようとしたので、会社の労働組合青年部の一員としてこれに対する反対闘争を行ったこと、被控訴人は、同年八月一日ラム課に、同四九年三月二二日管理課検査係にそれぞれ配置換されたこと、同四九年七月六日控訴人は被控訴人を同月八日から三ヶ月間の休職処分(以下第一次休職処分という)に付し、引続き同年一〇月八日一ヶ月間の休職処分(以下第二次休職処分という)に付し、その後同年一一月二九日に至り被控訴人を懲戒解雇処分(以下本件解雇という)に付したこと、は当事者間に争いがない。

二  そこで、本件解雇に至る経緯について検討する。

《証拠省略》によると、被控訴人につき、控訴人はその主張(一)の職場規律違反等の行為があったとし、これを理由としてまず第一次休職処分をなし、次いで右処分理由とされた行為及びこれにつき右処分によっても被控訴人が何ら反省しないことを理由として第二次休職処分をなし、さらに右行為を理由とし、かつ、右行為につき被控訴人の反省がなおなされないとして就業規則第七九条等に基づき本件懲戒解雇をしたこと、右各休職処分による休職期間中控訴人の被控訴人に対する賃金は支払われないものとされたこと(但し、被控訴人の申請にかかる控訴人に対する賃金支払仮処分決定により第一次休職期間中の賃金についてはこれが支払われた。)、控訴会社における就労の継続を欲していた被控訴人にとって右各休職処分は、これにより賃金がえられなくなる点だけからみても不利益な処分であったこと、被控訴人は第一次休職処分以後全く控訴会社に勤務する機会をえないまま昭和四九年一一月二九日の本件解雇に付されたこと、第二次休職処分の期間が満了した同月八日から同月二九日までの間は、被控訴人が新潟地方裁判所長岡支部に提起した別件休職処分無効確認請求事件等につき和解手続が進行していたため控訴会社の了解の下に被控訴人において出勤を見合わせていたこと、以上の事実を認めることができ(る)。《証拠判断省略》

三  控訴人は、被控訴人に対する本件解雇は就業規則第七九条第三号、第九号、第一〇号を根拠とするものであると主張する。よって、右主張にかかる規定をみると、《証拠省略》によれば、会社の就業規則第七九条第三号、第九号、第一〇号は、

「従業員が左の各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。但し情状により減給又は出勤停止或は役位剥奪に止めることがある。

三、職務上の指示命令に不当に従わず、職場の秩序を紊そうとしたとき

九、業務に怠慢で改悛の見込のないとき

一〇、前条各号の行為が再度に及ぶか又はその情状が特に重いとき」という規定であり、第七八条は、

「従業員が左の各号の一に該当するときは減給又は出勤停止或は役位剥奪に処する。但し情状に依り譴責に止めることがある。

一、出退社に関し、不正行為のあったとき

二、勤務怠慢素行不良又はしばしば会社諸規則に違反し会社の風紀秩序を紊したとき

三、許可なく会社の物品を私用したとき

四、私物を修理作製したり他人に頼んで修理作製させたとき

五、故意又は重大なる過失により会社に有形無形の損害を与えたとき

(六ないし八号略)」と規定されていることが認められる。

四  そこで、被控訴人に果して右就業規則第七九条第三号、第九号、第一〇号に該当する控訴人主張の職場規律違反等の行為があったかどうかにつき検討する。

(1)  就業時間中のビラ、原稿書きについて

《証拠省略》によると、昭和四八年八月頃から同四九年三月頃までの間、当時組合執行委員であった被控訴人が就労時間中にその職場でしばしば紙に何かを書いていたことがあること、被控訴人がその際何を書いていたかはいちいち確認されていないが、組合関係のビラの文案を練ったり、その原稿のメモを書いたりしていた場合があることが認められる。しかしながら、右証拠と原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果を対照すると、その頃被控訴人が職場で自己の担当する機械についてのメモ等を作成することもないわけではないことが認められ、控訴人が主張するように、総ての場合に被控訴人が組合関係のビラの原稿書き等職務外の行為をしていたものとは断じ難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(2)  無断職場離脱について

《証拠省略》によると、控訴人主張の日にその主張の回数において被控訴人が一時職場から離れたことのあることが認められ(控訴人主張の職場離脱のうち、昭和四九年三月一三日及び同年四月四日に被控訴人が一時職場にいなかったことについては当事者間に争いがない。)、右のうち数回は所属長の許可を得ずにポンプ班の関某等のところに話しに行ったものであることが認められるけれども、同時に《証拠省略》によると、当時の被控訴人のような職種のものは、旋盤等の刃物の研磨、工具類の取寄、同僚との仕事上の連絡、手洗等のため職場を離れることもあり、これらは時間も短く特に上司の許可を求めるまでもない取扱のものであったこと、当時被控訴人は組合の執行委員をしており、昭和四九年三月一三日の午前中には一時右組合の執行委員会に出席し、同年四月四日の午前中には組合と控訴会社との間の団体交渉に出席し、これらのため被控訴人が一時その職場を離れたのであり、このことは被控訴人の上司も了承していたこと、控訴会社においては組合の役員が右のような組合用務のため就労時間中に一時職場を離れることを認める労使慣行になっていたこと、前記認定の被控訴人の職場離脱によりその職場の業務が特段に阻害された形跡のないことが、それぞれ認められる。

次に製品ミスについての控訴人の主張について検討する。

《証拠省略》によると、被控訴人は昭和四八年一一月頃特別注文品のスピンドルを加工中その摺動部附近に削り過ぎの加工ミスを犯し、このため右の品物の注文がキャンセルされ、控訴会社にそれ相当の経済的損失を与えたことを認定することができ、また、《証拠省略》によれば他にも被控訴人に他の従業員にも往々にしてある作業上のミスがあったことを窺うことができ(る。)《証拠判断省略》しかしながら、右認定の加工ミス以外の控訴人主張にかかる特定のスピンドル、シリングー等の加工ミスを被控訴人が犯したことについてはこれを認めるに十分な証拠がない。すなわち、右主張に沿う記載のある疎乙第五六号証の五、第五七号証の五、第五八号証の四については、《証拠省略》からすると、控訴会社の従業員堀沢誠が昭和五二年春頃右の記載のない伝票(すなわち、疎乙第五六号証の四、第五七号証の四、第五八号証の三)をコピーした上、これらに右記載部分を書き加えてこれらを作成したことが認められるから、右の記載のある前記疎乙各号証は、その作成自体に問題があり、これらをもって控訴人の前記の特定の加工ミスの主張を認めることはできないし、右主張に沿うかのような《証拠省略》も右主張に沿う記載のある前記疎乙号各証に基きなされているものであって、これまた右主張を確認するに足りず、他にこれを認むべき証拠はない。

ところで、右認定の被控訴人のスピンドル加工ミスはもとより軽視しえないが、《証拠省略》によると、右加工ミスは被控訴人の前記職場離脱と無関係のものであって、このような加工ミスは当時の被控訴人のような旋盤類を取扱う職種の者にとっては絶無を期し難いものであることが認められ、また右のような加工ミスを被控訴人が再度犯したことが認められないことは前記のとおりであるから、これらの諸点を勘案すると、右認定の被控訴人の加工ミスをもって本件懲戒解雇事由に当る程重大、深刻なものとみることはできない。

(3)  無断外出について

《証拠省略》によると、昭和四八、九年頃被控訴人が就労時間中に時折り外出したことのあることが認められるが、同時に《証拠省略》によると、被控訴人の右の外出は全て控訴会社に届出がなされており、(但し、昭和四九年三月一日午後約二時間外出した際は、帰社後に右届出をした。)これが全て認められて有給休暇として処理されていることが認められるのであって、右外出により控訴会社の業務の運営が特段に妨げられたことを認むべき証拠はないから、控訴人のこの点の主張は理由がない。

(4)  休暇、遅刻、早退について

《証拠省略》によると、被控訴人が控訴人主張のとおりの日時、回数において遅刻、早退していることが認められ、被控訴人が控訴人主張のとおりの日時、回数において半日休暇をとっていることは当事者間に争いがない。しかしながら、右各証拠及び当審における被控訴人の供述によると、右の遅刻、早退、半日休暇はその殆どが事前に控訴会社に届出られ、これが全て認められて有給休暇として処理されていることが認められる。控訴人は被控訴人の有給休暇の殆どは自動車教習所に通うためのものであるから、被控訴人は就労義務不履行の責を負うと主張するが、被控訴人においてその有給休暇を何に使うかについては被控訴人の自由であり、もし、有給休暇の時季指定につき、これにより被控訴人の属する職場の事業の正常な運営が妨げられる場合には控訴人において時季変更権を行使すれば足りることは法令上明らかであり、控訴人が被控訴人の本件有給休暇につき時季変更権を行使したことのないことは本件弁論の全趣旨から明らかである。また、被控訴人の有給休暇の届出は右時季変更権を行使することが不可能な状態においてなされたと認めるに足りる証拠はなく、《証拠省略》中以上の認定に反する部分は採用しない。したがって、控訴人の(4)の主張は理由がない。

(5)  私用電話の使用料の無申告、不払について

《証拠省略》によると、控訴会社の職場内にある電話について控訴人主張のとおりの取扱いがなされていたこと、昭和四八、九年当時被控訴人が会社の電話を私用で使いながら、ほとんどその申告をせず、備付けのノートに記入しなかったこと、昭和四八年一一月頃被控訴人が就労時間中私用電話を長々とかけていたので、上司である近藤満寿男製造部長が就労時間中の私用電話は原則として禁止されている旨注意をしたところ、被控訴人はこれに抗議し、口論となったことのあることを認めることができる。しかし、勤務時間中の私用電話の回数、その無申告の回数が、他と較べて被控訴人において特に多かったことについては《証拠省略》によってもこれを認めるに十分でなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(6)  残業拒否について

《証拠省略》によると、控訴会社においては昭和四八年九月一日までは労働基準法第三六条の定めるいわゆる三六協定がなされていなかったが、同日以前においても従業員の協力をえて残業が実施されていたこと、被控訴人がN・C班に配置されていた当時、被控訴人は同班における残業をほぼ割当てられたとおりに実施したこと、被控訴人は、当時同班で計画されていた「二交替制」には組合員の一員として反対していたが、同班が実施していた残業そのものには反対していなかったこと、被控訴人がラム課に配置されていた当時、その全期間を通じ被控訴人は合計約九時間四五分の残業をしたにとどまり、これは同課の同僚の同期間の残業時間に較べて少ないものであったこと、しかしこれは当時被控訴人が控訴会社労働組合の執行委員であり、かつ小千谷地区労働組合協議会青年婦人部の書記長(但し、同書記長になったのは同四八年一二月六日頃からである)でもあったため、組合用務に忙しく、かつ同人が自動車の運転免許をとるべく自動車教習所に通ったため特に多忙であったことにもよるものであったこと、同人に対し上司が残業を強く要求したり、残業の少いことにつき特に注意したりした形跡のないこと、同人が管理課検査係に配置されていた当時、この職場は本来残業の少ない職場であったが、それでも同人が若干の残業はしたことがあること、以上が認められるのであって、《証拠省略》中右認定に反する部分は採用できず、これらの認定事実からすると、被控訴人は、ラム課在勤中は残業につき非協力な点がみられるが、右は残業を命じられながら、これを拒否したという程度には至らなかったものということができる。

(7)  経営理念の否定等について

控訴人は、被控訴人が控訴会社の経営理念を否定し、職場における協調性を欠き、上司や同僚の不信を買うに至ったと主張するところ、《証拠省略》によれば、控訴会社は「豊かな会社、豊かな社員、豊かな社会」という標語が示すところをその経営理念とするものであるが、昭和四八年から同四九年にかけて組合執行委員、青年部長であった被控訴人は、当時の組合が会社に協調的であるとして飽き足らず、控訴会社の行事等を「労使協調路線確立のため」であると決めつけるなど、会社の経営方針、人事管理等に批判を加え、特に昭和四八年三月頃にはポンプ課N・C班の二交替制の実施につき、結局組合はこれに同意したが、被控訴人は強くこれに反対していたこと、被控訴人は、組合の運営における多数決原理を否定するような言動をしたものとして昭和四九年一二月九日組合を除名されるに至ったことが認められる。しかしながら、労働組合員が使用者の経営理念や方針を批判することは一般に自由であり、右疎乙第六二号証(昭和四八年一二月一〇日付、年末一時金闘争反省資料、組合青年部教宣部発行)の記載をみても被控訴人の会社批判が許されるべき程度を特に逸脱したものとは認められない。また、前記証拠によれば、被控訴人はラム課、検査課のいずれにおいても上司から好ましい人物とは見られなかったことが認められるが、右は後記のような事実に由来するものであり、さらに、控訴人が被控訴人の労働契約上の就労義務、職務専念義務、誠実義務違背として主張するところも具体的事実としては結局前認定の程度であって、これが控訴会社の経営理念を否定することになるとはいえず、また、被控訴人の上司や同僚に甚しく迷惑を及ぼし、その著しい不信感を招いたと認めることは困難であり、他に控訴人の前記主張を認めるに足りる証拠はない。

なお、控訴人主張のとおりの記号による職務成績評価において、被控訴人が昭和四八年一二月度に「C」、同四九年五月度に「D」であったことは当事者間に争がないが、《証拠省略》によると、昭和四八年五月度における被控訴人の職務成績評価は「A」であり、それまでの同人のそれもおおむね「A」であったこと、同人は少くともN・C班において技術的な面については職場の同僚、上司から信頼されていたものであることが、それぞれ認められるのであって、これらのことと本件弁論の全趣旨からすると、同四八年一二月度、同四九年五月度の同人の成績評価がにわかに著しく低下したのは、被控訴人が技術的に自信のあったN・C班からラム課に配置換された以後新しい職場に満足せず、特に組合青年部の教育宣伝活動に熱心となり、会社における労使協調の方向に批判的な言動に出るようになったため、前記(1)ないし(6)の行為が職場規律違反として被控訴人について特別に注目されるようになったことによるものであると考えられる。これらの点からすると、被控訴人の勤務状況がその頃遽かに著しく悪くなったとする控訴人の主張も直ちには採用し難い。

五  控訴人が、本件解雇の事由として主張する職場規律違反等の具体的行為についての判断は前記(1)ないし(7)のとおりであるところ、被控訴人には右認定の事実の限度において職務専念義務違背、職場規律違反に該当する行為があったということができる。しかしながら、控訴会社は被控訴人に対し、控訴人主張の事実を理由として、前記のとおり昭和四九年七月六日三ヶ月の休職処分をし、次いで同年一〇月八日被控訴人が反省を示さないとしてさらに一ヶ月の休職処分をしたものであり、右の休職期間中はいずれも無給とされたものであることは前示のとおりである。ところで、《証拠省略》によれば、会社の就業規則第五六条、同労働協約第四九条に定める休職事由は会社従業員の責に帰すことのできないものを掲げており、休職は本来制裁的性格を有しないものであることが明らかであり、会社が前記主張事実を理由として被控訴人を右第一次及び第二次休職処分に付したのは、休職事由に該当する事実がないにもかかわらず、懲戒処分に代えて休職処分をしたものというべきである。そして、右の休職処分は、その期間が長く、しかも無給である点において、就業規則第七六条が定める懲戒処分の一である出勤停止(一〇日以内出勤を停止し、その間賃金を支給しない。)よりは実質的に重い処分であったということができるのであるから、特段の事情のないかぎり、右休職処分をもって懲戒処分に至る段階的処分であるとして両処分を併せて課することは同一事由に基き二重に処分することになり、許されないものというべきである。

ところで、控訴人は、右休職処分後も被控訴人が反省しないことをもって本件解雇の一つの理由としているのでこのことが右の特段の事情に当るか否かにつき検討する。

《証拠省略》によると、昭和四九年一一月二九日頃控訴人が提出を要求した誓約書につき被控訴人においてこれの提出を拒否したことをもって控訴人が被控訴人に反省がないものとみなしていることが認められるが、前記のとおり、当時被控訴人は新潟地方裁判所長岡支部に休職処分無効確認請求の訴を提起して、控訴人の主張事実を争っていたものであり、その頃同事件について裁判所において和解が試みられていたとはいえ、控訴人の主張事実に対する前記判断に徴すれば、被控訴人が控訴会社の要求するとおりの誓約書を提出しないことを深く咎めるのは相当でない。また、同人が第一次休職処分をうけて以来控訴会社の職場で就労する機会をもちえないでいることは前記のとおりであるから、控訴人においてたやすく被控訴人に反省がないと判断することも許されないし、被控訴人が右誓約書を提出しないこと自体が就業規則第七九条の各号に当らないことについては多言を要しない。なお、右証拠及び本件弁論の全趣旨によれば、被控訴人が上記裁判所の和解に応ずる姿勢を示さず、控訴会社を攻撃する言動に出たことが認められるが、これとても訴訟中のことであり、前示認定に照せば、被控訴人を解雇する事由の一つに加えることは相当でない。したがって、控訴人主張の被控訴人が反省しないことをもって右の特段の事情に当るとみることはできない。

六  以上のとおり、控訴人主張の被控訴人の職場規律違反等の行為は、これの存在が認められないか、若しくは問責されるいわれがないか、又はその程度が重大、深刻といえないものであって、その一つ一つについてもこれらを総合してみても懲戒解雇事由を定めている就業規則第七九条第三、第九、第一〇号のいずれにも該当しないばかりか、前記のように右行為につきすでに二回にわたり懲戒処分に等しい本件各休職処分がなされているのであるから、本件懲戒解雇は許されず、他の判断をなすまでもなく無効なものというべきである。

七  以上述べたとおり、控訴会社主張の懲戒解雇理由はいずれも違法であって、本件解雇は無効というべく、したがって、被控訴人は昭和四九年一一月二九日以降も控訴会社の従業員としてその労働契約上生ずる権利を有する地位にあるものであって、その就労を拒否されていることにより同日以降賃金の支払を受けるべき権利があると一応認められる。そして、被控訴人が本件解雇当時一ヵ月金七九、四〇〇円の賃金の支払を毎月二八日に受けていたこと、被控訴人が昭和四九年一一月八日から同月二九日まで日割計算により会社から賃金の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、被控訴人が会社から支払われる賃金を唯一の生活の資として家族を養っており、本件解雇の結果賃金が支払われないことにより著るしい支障が生じていることが認められ、本案判決の確定までこのままの状態で推移すると回復出来ない損害を蒙るおそれがあるものということができる。よって、控訴人に対し、本案判決確定に至るまで金一三四、八三九円(同月三〇日以降同年一二月二〇日まで、および、同月二一日以降昭和五〇年一月二〇日までの各賃金、正確には合計金一三五、八三九円であるが、この点につき被控訴人から不服の申立がないので、この誤算は訂正しない。)と、昭和五〇年二月以降毎月二八日限り前記賃金の仮払を命ずる必要があると一応認めることができる。

八  当審における新たな主張に対する判断

控訴人は当審において新たに予告解雇の主張をするので検討する。

まず、本件懲戒解雇の意思表示を予告解雇の意思表示に転換する旨の控訴人の主張については、一般に、懲戒解雇の意思表示に予告解雇の意思表示が当然含まれているものとは解されず、これの転換を認めるときは、解雇の意思表示をうけるものの地位を不当に不安定ならしめるから、かかる意思表示の転換は許されず、右主張はこの点において理由がない。

次に控訴人は昭和五二年九月一四日付をもって予備的に三〇日の予告をもって通常解雇の意思表示をしたと主張するが、控訴人主張の被控訴人の非違行為についての判断が前記のとおりであり、しかもこれにつきすでに二度にわたり前述のような本件各休職処分のなされていることも前記のとおりである以上、右通常解雇の意思表示も根拠のないものであり、解雇権の濫用とみるべきものであって許されない。控訴人の右主張は採用できない。

九  以上の次第で、被控訴人の本件仮処分申請は認容すべきものであり、結論においてこれと同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。

よって民訴法第三八四条、第八九条、第九五条に従い主文のとおり判決する。

(裁判長判事 外山四郎 判事 海老塚和衛 鬼頭季郎)

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