東京高等裁判所 昭和51年(ネ)34号 判決 1976年10月20日
控訴人
福本安佐
右法定代理人親権者父
福永芳包
右同母
福永純子
右訴訟代理人
鈴木栄二郎
被控訴人
春田幹夫
被控訴人
春田澄子
右二名訴訟代理人
原秀雄
主文
原判決を次のとおり変更する。
被控訴人らは控訴人に対し各自一〇七万五二〇八円及びこれに対する昭和四七年一一月五日から完済にいたるまで、年五分の割合による金員を支払え。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じこれを三分し、その二を被控訴人らの負担とし、その余を控訴人の負担とする。
この判決の第二項は仮に執行することができる。
事実《省略》
理由
一控訴人は福永芳包及び福永純子の長女(昭和四四年三月一七日生)であつて、控訴人ら家族は本件事故が発生した昭和四七年一一月五日ころ、横浜市旭区中希望が丘一五番の一に居住していたこと、一方被控訴人らは夫婦であつて、春田早田(昭和四三年一一月三日生)はその子であり、被控訴人ら家族も控訴人の近くに居住していたものであること、及び控訴人が右同日午後四時ころ、当時の右控訴人方四畳半の部屋において、握りはさみにより受傷したことは、当事者間に争いがない。
二控訴人はその受傷は早苗の行為によるものであると主張し、被控訴人らは控訴人の自傷行為によるものであると抗争する。<証拠>によると、昭和四七年一一月五日午後四時ころ、それぞれ控訴人と早苗を伴つた福永純子と春田澄子は戸外で出会つたところ、福永純子は買物を済ませて帰る途中であり、一方春田澄子はこれから買物に行くところであつたから、福永純子は春田澄子が買物の用件を済ませて帰るまで早苗を預りその自宅で遊ばせることになつたこと、そこで福永純子は早苗を自宅に連れて行き、控訴人と早苗は四畳半の部屋で一緒にままごと遊びをしていたこと、控訴人と早苗が遊んでいた右四畳半の部屋と、隣室の六畳との間仕切り用のふすまはあけたままであつたので、四畳半の部屋から六畳の部屋への出入りは極めて容易であつたこと、六畳の部屋のステレオの上には、早苗がたやすく手が触れられる高さに針箱が置いてあつたこと、そして針箱の中には握りはさみや針があつて、早苗らが容易に握りはさみを取出すことができたこと、福永純子は洗濯物や生後二か月の赤子の世話などで、早苗らの遊びの動向に気付かなかつたところ、控訴人の悲鳴にも似た泣き声を聞いたので幼児らに近づくと、控訴人は「いたいいたい、早苗ちやんがはさみでいたいいたい」と言いながら、足をばたばたさせて泣いていたこと、一方早苗は右手に握りはさみを持ち、控訴人と向い合うようにして立つていたこと、そのとき福永純子は、控訴人の左眼の白眼のところが充血し、左の眼尻のところに血がにじんでいることに気付いたことが認められる。右事実によると、六畳の部屋のステレオの上にあつた握りはさみを、控訴人と早苗のいずれが取出したかは不明であるが、早苗がその手に持つていた握りはさみで、控訴人の左眼を傷つけたことが認められ、前掲証拠中右認定と異なる部分は措信できず、その他右認定を左右する証拠はない。
三ところで早苗が本件事故当時満四才であつたことは当事者間に争いがないから、早苗はその行為の責任を弁識するに足りる能力を有していなかつたものと認めるのが相当であり、従つて早苗は控訴人に与えた右傷害につき責任を負わないものというべきである。そして被控訴人らが早苗の父母であり、その親権者であることは、当事者間に争いがないから、被控訴人らは早苗の法定監督義務者として、本件事故により控訴人が被つた損害を賠償すべき責任がある。
四被控訴人らは、福永純子が責任をもつて預つてあげるというので、被控訴人春田澄子は早苗を福永純子に預け、早苗は控訴人方でままごと遊びをしているうち、本件事故となつたのであるから、法定監督義務者である被控訴人らとしては、その義務を怠つてはいない旨主張する。
ところで幼児を持つ親が幼児が安全に遊べるよう種種配慮し、幼児の行動に絶えず注意を払うべきことは当然ではあるが、被控訴人春田澄子の前記本人尋問の結果によると、春田澄子は早苗を一人で遊びに出すことはなく、常に側にいてこれを見張り、また室内で遊んでいるときも、包丁やマツチは高く見えないところに置き、はさみは箪笥の上に置くなどして、絶えず早苗が危険なものに手を触れないように注意し、早苗に対しても危険なものがあつたらすぐ母親のところに持つて来るよう常日ごろ注意し、近隣の母親達とも幼児に危険なもので遊ばせないよう話し合つて、被控訴人春田澄子は、ことさら通常の母親が用いる以上の細心の注意を早苗の遊びや行動に向けていたことが認められる。
さらに右本人尋問の結果によれば、被控訴人春田澄子は、本事故発生三日後の同月八日、福永純子から控訴人が眼の治療のため入院したことを聞き、その夜夫春田幹夫とともに、早苗に対して、握りはさみの外らしやはさみ及び子供はさみを示し、本件事故発生のときどのはさみでどのようにしたかを問いただしていることが認められるが、仮に被控訴人らが、その主張するように控訴人の負傷は控訴人の自傷行為によるものであつて、早苗の行為によるものでないと信じていたとするならば、あえて右にみたようなことをする必要はないことである。
以上の認定事実に、早苗が本件傷害を惹起した事実をあわせると、被控訴人らはかねてから、早苗の遊びに乱暴な面がみられることを了知し、絶えず早苗の遊びや行動に強い関心を抱いていたものと認めるのが相当である。
五そうとすれば、被控訴人春田澄子は福永純子に早苗を預けるに際し右の点に十分留意し、早苗に対し危険なものに手を触れることのないよう事前の注意を与え、また福永純子に対しても、同被控訴人が常日ごろ近隣の母親達と話合つていると同様、幼児に危険なものを与えないよう話をし、また、被控訴人らが早苗の行動に強い関心を持つている事情を伝え純子の注意を喚起して、早苗が控訴人方で危険なものを持つて遊ぶことのないようとりはからうなど細心の注意を払うべきであつた(このことは、福永純子に後述のような過失が認められたとしても、何ら変るものではない)。しかるに被控訴人春田澄子の前記本人尋問の結果によれば、被控訴人春田澄子は早苗及び福永純子に対して、右に述べたような注意をしなかつたことが認められ、他に被控訴人らが監督義務を怠らなかつたことを認めるに足りる証拠はない。されば被控訴人らは、控訴人の被つた損害を連帯して賠償すべき義務がある。
六よつて損害の額につき検討する。<証拠>をあわせると、控訴人は本件事故により急性白内障を起し、昭和四七年一一月六日から同月一〇日まで横浜市立大学医学部病院へ入院し、角膜縫合術の手術を受けた後、同病院において入院と手術を繰返えし、その間に同病院に通院して治療を受けた外、神戸市須磨区高倉台の兵庫県立こども病院でも治療を受けたが、控訴人の左眼は殆んど失明に近く、医師の診断では現在左穿孔性角膜外傷・左人工的無水晶体症となつていること、その間控訴人は入院治療費として少くとも一三万四九三二円を支出したこと、そして交通費等雑費として一万五四八五円を支出し、同額の損害を被つたことが認められる。
七ところで控訴人と早苗が遊んでいた四畳半の部屋と隣室の六畳の部屋との間仕切り用のふすまはあけたままであつたから、四畳半の部屋から六畳の部屋への出入りは容易であつたこと、六畳の部屋のステレオの上には、早苗らがたやすく手が触れられる高さに針箱が置いてあつたこと、針箱の中には握りはさみや針があつて、早苗らが容易に握りはさみを取出すことができたこと、福永純子は洗濯物や赤子の世話などで、早苗らの遊びの動向については全く無関心であつたことは、既に述べたとおりである。
このことは、福永純子にも自分の子であると他人の子であるとをとわず、おおよそ弁識能力のない幼児を室内で遊ばせる場合、幼児が危険なものに手を触れたり、手に持つたりして遊ばないよう、絶えずその遊びの動向に注意することはもとより、その周囲に危険なものが存在した場合には、幼児に注意を与えるか、その位置を変えるなどの措置をとつて幼児をして完全に遊べるよう配慮と関心を払い、保護者としての監督義務を果すべきにかかわらず、これを怠つた過失があつたものということができる。
八そして福永純子の右過失は、本件損害賠償額を定めるにつきこれを斟酌するのが相当であるところ、これを斟酌すると、被控訴人らが賠償すべき金額は、第六項認定金額の半額に当る七万五二〇八円(円未満切捨)とするのが相当である。
九次に慰藉料の額につき判断する。控訴人は本件事故当時満四才のいたいけな幼児であつたところ、不慮の事故にあつて、入院と手術を繰返えし、絶えず通院するなどその治療に努めたが、それでも控訴人の左眼は殆んど失明の状況にあることを考えれば、控訴人の被つた肉体的精神的苦痛は甚大なものであることが想像するに難くない。これに前認定の諸般の事情をあわせ考慮すると、同人に対する慰藉料の額は一〇〇万円とするのが相当である。
一〇されば被控訴人らは控訴人に対し、各自一〇七万五二〇八円及びこれに対する本件事故の日である昭和四七年一一月五日から完済にいたるまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるが、その余の義務のないことが明白である。
よつて原判決を右の趣旨に従い変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条、第九三条第一項を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を各適用し、主文のとおり判決する。
(渡辺一雄 田畑常彦 丹野益男)