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東京高等裁判所 昭和51年(ラ)288号 決定 1978年9月18日

抗告人 君原一郎

相手方 君原かず 外一名

主文

原審判を取り消す。

本件を千葉家庭裁判所市川出張所に差し戻す。

理由

一  本件抗告の趣旨は、主文同旨の決定を求めるというにあり、その理由は、「被相続人亡君原健一(以下「亡健一」という。)は、昭和四一年一月三日自宅において、抗告人、相手方君原かず(以下「相手方かず」という。)、相手方君原信彦(以下「相手方信彦」という。)、抗告人の妻良子、長女緑、相手方信彦の当時の婚約者みち子、亡健一の実弟君原秀明立会の下に、別紙目録第一記載の土地四筆(以下「○○町の土地」という。)及び同第二記載の土地、建物(以下「○○○の土地、建物」という。)を抗告人に贈与した(なお、

同時に同第三記載の土地四筆(以下「○○の田」という。)は相手方両名に贈与された。)。したがつて、○○町の土地及び○○○の土地、建物は抗告人の所有に帰したものであつて、本件遺産分割の対象とすべき遺産に該当しないというべきところ、右と異なる判断の下に、○○○の土地、建物については亡健一から抗告人に贈与があつたことを認めたものの、○○町の土地について右贈与を認めず、これを相手方両名に共有取得させた原審判は不当であるから、取り消さるべきである。」というにある。

二  そこで、抗告人主張の贈与の存否について以下検討する。

1  本件記録中の各戸籍謄本、登記簿謄本、疎甲第一ないし第三号証、疎乙第一、二号証、同第三号証の一、二、同第四ないし第七号証、同第一一号証の一ないし四、同第一二号証、同第一三号証の一ないし三、同第一四号証の一ないし四、同第一五、一六号証の各一ないし八、同第一七、一八号証、同第二〇号証、同第二一号証の一ないし三、同第二二ないし第二六号証、同第二八、二九号証、同第三〇号証の一、二(以上いずれも真正に成立したものと認める。ただし、疎乙第一号証、同第一二号証中相手方かず作成名義部分を除く。)、原審における証人西山光夫の証言、君原良子、君原秀明各審問の結果、原審及び当審における抗告人(当審は第一回)、相手方両名(いずれも原審は第一回)各審問の結果の一部を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  ○○町の土地四筆はいずれも亡健一の父亡君原忠左衛門の所有であつたものを亡健一が大正一五年二月二五日家督相続によりその所有権を取得したもの(右のうち別紙目録第一の(1)、(3)記載の土地は現在も右忠左衛門の所有名義のままとなつている。)、○○○の土地及び○○の田はいずれも亡健一が大正一二年三月三〇日森三郎から売買によりその所有権を取得し、同日その旨の登記を経たもの、○○○の建物はその敷地である右○○○の土地買受後亡健一が建築所有するに至つたもの(当時は未登記)である。

(二)  亡健一(明治二八年八月七日生れ)は、先妻いね(大正一一年四月二七日死亡)との間に大正一〇年三月一日抗告人をもうけ、昭和二年相手方かずと再婚し(昭和七年婚姻届出)、妻子のほか母、弟、妹らと共に○○○の土地、建物に居住していた。昭和一四年四月一日亡健一と相手方かずとの間に相手方信彦が出生した。亡健一は琵琶の教授などにより若干の収入を得るだけで定職をもたず、一家の生計は主として○○町の土地の地代収入によつてまかなわれていた。抗告人は大学を中退し、昭和一六年○○○○○に○○として就職した。

終戦後は亡健一、相手方かず、抗告人、相手方信彦の四人だけで○○○の土地、建物に居住し、亡健一は初め○○○に、昭和二六年頃から文化財に関する知識を生かして○○○○○に○○として勤務するようになり、抗告人は引き続き○○○○○の勤務を続けていた。

(三)  ○○町の土地は戦前から他に賃貸していたが、戦災により地上建物が焼失した機会にその一部をあらたに別の者に賃貸したところ、昭和二四年頃旧借地人二、三人から借地権の存続を主張して調停等が提起されるに至り、亡健一はこれに対する対策に苦慮し、抗告人にその処理一切を依頼した。抗告人は、新旧借地人と種々交渉し、亡健一がこれらの者との間に既に成立させていた調停に基づく支払の一部を自ら負担するなどして紛争処理に努力し、二、三年かかつてようやく事態を収拾した。その間抗告人は亡健一が戦前から滞納していた右土地の税金の支払もした。そして、以来、地代の取立てを含め、右土地の管理は、抗告人が亡健一からその一切を任されてこれに当たるようになつた。

(四)  抗告人は、昭和二四年良子と婚姻し、昭和二六年長女緑をもうけたが、右婚姻当初から良子と相手方かずとの仲がうまくいかず、従前から必ずしも円滑でなかつた抗告人と相手方かずとの間にも次第に対立が目立つようになり、亡健一夫婦及び相手方信彦と抗告人夫婦とは、昭和二六年初め頃から、無用の摩擦を避けるため、同じ建物(○○○の建物)の一階と二階とにわかれ、世帯を別にするに至つた。なお、右建物は、同年一一月頃火災にあい、修理を要する状態となつたため、亡健一が良子を介して○○在住の良子の兄弟に金借を頼み、金二九万二〇〇〇円を無利息で借り受け、これに抗告人が工面した若干の金員を加えてその修理がなされた。

相手方信彦は、高校卒業後○○○○短期大学に進み、昭和三四年卒業と同時に○○会社に○○○○○として就職した。抗告人は相手方信彦の学資の一部を援助するなどし、両名の関係には当時格別の問題はなかつた。

(五)  昭和四〇年春頃相手方信彦の結婚の話がもち上がり、亡健一は相手方信彦のために○○○の土地の一部に建物を建築することを考え、その資金を得るため、同年七月五日稲村真一郎に対し、○○の田を代金三九六万六五〇〇円で売却した。右代金は、契約成立時に金一〇〇万円が支払われ、その後何回かに分けて昭和四一年夏頃までにはその全額が支払われたが、右土地は農地であつたから、その所有権移転には県知事の許可を必要とするところ、買主の稲村としては、いずれこれを他に転売する考えもあつて、早急に右許可の手続を求めることもなく、したがつて所有権移転登記手続もなされないまま推移した。なお、亡健一は右売却について抗告人には格別の相談をしていない。

(六)  亡健一は、昭和四〇年頃には七〇歳を超え、相手方かずと抗告人夫婦との仲がしつくりいつていないことから、自らの死後遺産の分配をめぐつて争いが生じることも予想されたので、自己の所有不動産を生前に分配してその帰属を明確にしておこうと常々考えていた。その場合、亡健一としては、当時所有していた不動産のうち、○○の田は前記のとおりこれを処分し、その代金を相手方信彦のための建物の建築費用等にあてることとするが、○○町の土地は前記のとおり抗告人が終戦直後の紛争処理に努力し、その後の管理一切を行つてきた経緯に照らし、これを抗告人に取得させるのが自然であると考えており、また君原家の生活の本拠であつた○○○の土地、建物も、長男である抗告人にこれを承継させる(もちろん、将来必要に応じて自己夫婦又は相手方信彦のために右土地の一部に建物を建築する場合には、抗告人においてこれを認めることを当然の前提として)つもりであつた。そして、亡健一は日頃から右のような考えを口に出すことがあり、抗告人としては自己が長男として亡健一の所有不動産を承継するのは当然であるという意識が強く、当時としては相手方両名もあえてこれに異を唱えることはない状況であつた。

(七)  亡健一は、昭和四一年一月三日腰を痛め病臥していたが、実弟の君原秀明が年始のあいさつに訪れた機会に、同人の立会の下に、日頃考えていたところに従つて自己所有の不動産の分配を明らかにすべく、相手方かず、抗告人夫婦、その長女縁、相手方信彦及び偶々年始のあいさつに来ていた相手方信彦の婚約者みち子を枕もとに呼び集め、抗告人に対し、「○○の田は相手方両名に渡してやつてくれ。その他の不動産(○○町の土地及び○○○の土地、建物)は抗告人にやる。」という趣旨を告げ、これに対し、異議を述べる者はなく、一同これを了承した。

なお、○○の田は前記のとおり前年に売却済みであつたが、当時未だ県知事の許可がなされていなかつた以上、その所有権は法律的には依然亡健一にあつたわけであるけれども、当時の亡健一の認識としては、右土地は既に処分済みで自己に所有権はないものと考えていたとみるのが自然であり、したがつて、○○の田に関する右発言の真意は、右土地を売却して得た代金を相手方両名の将来の生活のためにつかうことについて抗告人の了解を得ることにあつたものとみられる。

(八)  抗告人は、亡健一から右のような話があつた直後の同月六日頃測量士に○○○の土地の測量をさせると共に、その頃下水用排水溝を設置するための土地として、○○○の土地の北側隣接地所有者石川宏から右土地の北側境界線に沿つた三尺幅の土地六・二五坪を買受ける約束をし、その分筆をうけた上(同月二八日分筆登記)、代金として同月一八日金二〇万円、同年四月六日金二二万八一〇〇円を支払い、同年一二月二四日右石川から所有権移転登記をうけた。

そして、抗告人は、同年七月一九日未登記であつた○○○の建物について亡健一名義に保存登記をした上、同月二三日右建物及び○○○の土地についていずれも同月一九日付け贈与を登記原因として自己、妻良子、長女緑の共有名義(持分三分の一)に所有権移転登記をした(右のように自己単独名義にせず三名の共有名義に登記したのは、その方が贈与税が安いとの知人の助言に従つた結果である。)。右登記の具体的手続はすべて抗告人が行い、亡健一は抗告人に印鑑を渡し、一切を抗告人に任せていた。

(九)  一方、亡健一は、かねての計画どおり相手方信彦のために○○○の土地の東側公道に面した部分(その場所の選定については相手方信彦と抗告人との間で相談がなされた。)に建物を建築することとし、相手方信彦が手配した大工によつて同年一月一八日頃建築工事が開始され、同年三月初め木造スレート葺平家建居宅、床面積五二・〇六平方メートルが完成し、相手方信彦は同月一一日自己名義に所有権保存登記をなした。そして相手方信彦は同月七日みち子と結婚式を挙げ、右建物に夫婦で入居した。右建物の建築、結婚に要した費用合計約金二六〇万円(建築費用約金一七〇万円のほか、家財道具購入費用、電話架設代、結婚式の費用等)は○○の田の前記売却代金の中から出捐された。

(一〇)  亡健一と相手方かずは、当初相手方信彦夫婦と右新築建物に同居したいとの希望をもつていたようであるが実現せず、従前どおり○○○の建物に居住し、抗告人方と相手方信彦方とで一か月交替で食事をする話合いができ、一時そのとおり実行されたこともあつたものの、相手方かずをめぐつて何かとごたごたが絶えず、結局、昭和四一年夏頃亡健一は、○○の田の売却代金の残余をもつて○○○の土地の一部に夫婦の隠居所として簡易な建物を建築することを決意した。そこで、建築する場所の選定につき相手方信彦が抗告人と相談し、抗告人の意見により○○○の建物の裏側にあたる西側部分に建築することになり、その頃約四〇万円をかけて木造プレハブ式亜鉛葺平家建居宅、床面積一六・五二平方メートルが建築され、亡健一と相手方かずはここに移り住んだ。

こうして、亡健一は昭和四三年二月二六日右プレハブ式建物において脳溢血にて死亡した。

(一一)  抗告人は、既に昭和四一年一月三日亡健一から○○町の土地及び○○○の土地、建物を贈与されたものと考えていたが、右のうち○○町の土地(従前同様その管理一切は抗告人が行い、相手方両名は全くこれに関与することなく推移していた。)については、贈与税等の負担を考え所有権移転登記手続をしないうちに亡健一が死亡してしまつたので、右土地と、同じく亡健一の所有名義のままとなつている○○の田(当時前記稲村真一郎から相手方信彦に対し、登記手続の要求がなされていた。)とを亡健一の遺産として分割する形式をとつて、登記名義を実体にあわせるのが得策であると考え、昭和四三年五月頃相手方信彦に対し、その旨を告げて協力を求めた。相手方信彦は、○○○の土地、建物及び○○町の土地が既に抗告人の所有に属していることを前提とする抗告人の言い分に異議を述べることなく、右のような方法で問題を処理することに一旦は異議なく同意したものの、妻みち子と相談した結果、翌日抗告人を勤務先に訪ね、○○町の土地のうち若干を譲つてくれるよう申し入れ、抗告人はこれに応じて別紙目録第一の(4)記載の土地を譲ることとした。そこで、抗告人は、○○町の土地のうち右一筆及び○○の田を相手方両名の共有(持分各二分の一)とし、○○町の土地のうちその余の三筆を抗告人の所有とすることなどを内容とし(○○○の土地、建物は既に抗告人他二名に登記名義が変更されているので、分割の対象に加えていない。)、抗告人及び相手方両名を作成名義人とする昭和四三年八月二〇日付け遺産分割協議書を三通用意し、これを相手方信彦に示して押印を求め、相手方かずには相手方信彦から趣旨を説明してその押印を得てもらいたいと依頼した。相手方信彦は右に応じてその場で自ら押印し、その直後頃相手方かずには無断で、後記のとおり当時○○の田の登記手続等のために預かつていた相手方かずの印鑑を押捺し、右協議書を抗告人に渡した。相手方かずは、右協議書の内容について抗告人ないし相手方信彦から相談をうけておらず、その作成には全く関与していない。

(一二)  相手方信彦は、稲村真一郎の要求により○○の田の登記名義をその転売先に移転するため、その趣旨を告げて相手方かずから昭鑑を預かり、昭和四三年一一月一九日前記遺産分割協議書のうちの一通を使用して、○○の田について相手方両名が持分各二分の一にて相続した旨の登記をした。そして、その後昭和四四年一二月二五日右土地のうち三筆については岩本庄作、一筆については山倉伝造を譲受人とし、譲渡人を相手方両名として農地法三条の県知事の許可がなされ、昭和四五年五月一日右岩本、山倉に対しそれぞれ所有権移転登記手続がなされた。右諸手続の売主側の手続は、相手方信彦が相手方かずから印鑑を預かり、すべてとり行つたものであるが、相手方かずも事情は十分承知していた。

2  以上認定の諸事実を総合すれば、亡健一は昭和四一年一月三日○○町の土地及び○○○の土地、建物を抗告人に贈与したものと認めるのが相当である。

相手方両名は、原審(いずれも第一回)及び当審における審問において、右贈与の存在を否定し、相手方かずは、右同日の経緯としては、君原秀明、相手方かず、抗告人夫婦(相手方信彦はその場にいなかつた。)が亡健一の枕もとに集つた際、君原秀明から亡健一に対し、抗告人も一人前になつたことであるし、そろそろ実印を抗告人に渡して一切を任せたらどうかとの話があり、亡健一が渋々ながらこれに応じて実印を抗告人に渡した(当審においては、実印を渡したかどうかはわからないと供述する。)ということがあつたにすぎない旨、相手方信彦は、昭和四一年の正月に亡健一からその所有不動産の分配について話があつたことは全く知らない旨各供述し、相手方信彦の当時の婚約者みち子も、原審における証人尋問において、そのような話合いに同席したことはない旨を供述する。しかしながら、右のうち相手方かずの供述がそれ自体抗告人主張の贈与の存在をうかがわせるものであることはともかくとして、右各供述は、前同日君原秀明、相手方両名、抗告人夫婦、緑、みち子を前にして亡健一から前項(七)認定のとおりの発言があり、一同異議がなかつた旨を明確に供述する原審における君原良子、君原秀明、原審及び当審(第一回)における抗告人各審問の結果に照らし、また前項認定の諸事情、特に、抗告人が同年七月亡健一の了解の下に贈与を登記原因として○○○の土地、建物につき所有権移転登記手続を了していること、相手方信彦が亡健一死亡後抗告人から遺産分割の形式で問題を処理することの申入れをうけ、その内容が抗告人主張の贈与の存在を前提とするものであつたにもかかわらずこれに異議を述べず、前叙のとおりの内容の遺産分割協議書に自ら押印し、その後右協議書の内容に従つて○○の田について相手方両名名義に相続登記をしていること、相手方信彦は相手方かずに相談することなく右協議書に同相手方の印鑑を押捺しているところ、相手方両名が実の親子の関係にあつて、相手方信彦がいわれなく相手方かずの利益を害するような行為に出る理由を見出し難く、当時の状況としては、相手方信彦において、抗告人主張の贈与の存在を前提として、相手方かずも右協議書の内容に異議を述べることはないはずであると考えていたとみるのが自然であることなどに照らし、にわかに採用することができない。他に昭和四一年一月三日亡健一が抗告人に対し、○○町の土地及び○○○の土地、建物を贈与した旨の前記認定を左右するに足りる証拠はない。

3  ところで、前記1に認定したところによれば、○○○の土地上に相手方信彦のために建築された建物は、その完成と同時に亡健一から相手方信彦に贈与されたものであり、亡健一夫婦の隠居所として建築されたプレハブ式建物はその完成と同時に亡健一の所有に帰したことはもちろんであるが、それがいずれ相手方かずの唯一の居住場所となることが予測されていた当時の状況からすれば、その頃亡健一から相手方かずに対し、亡健一が死亡したときはその所有権を相手方かずに移転する旨の死因贈与の意思表示がなされたものと認めるべきである(以上の贈与及び死因贈与の存在は抗告人・相手方両名間に争いのないところでもある。)。しかして、前記1の認定の当時の状況からすれば、亡健一としては、昭和四一年一月三日○○○の土地、建物を抗告人に贈与するにあたり、将来右土地の一部に自己夫婦又は相手方信彦の居住用建物を建築するときは(亡健一が当時既に相手方信彦のための建物の建築を計画していたことは前認定のとおりである。)、抗告人において、当該建物の存在する限りその敷地の無償使用を認めるべきことを当然の前提としていた(すなわち、抗告人が右敷地使用を認めないというのであれば、亡健一としては○○○の土地、建物を抗告人一人に贈与することはありえなかつた)ものと考えるべきであり、そのことは、右贈与の際必ずしも明示されてはいなかつたものの、抗告人としても当時これに異議はなかつたものと認めるのが相当である。そして、先に認定したところによれば、抗告人が前記各建物の建築について異議を述べなかつたことは明らかであるから、抗告人は、その各完成の頃、相手方信彦の建物の敷地については同相手方との間、プレハブ式建物の敷地については亡健一との間に、右各建物の所有のために通常必要な範囲内の敷地を右各建物の存在する限り無償で使用することができる旨の使用貸借関係を設定したものと認めるべく、右プレハブ式建物の敷地については、原審における抗告人審問の結果により、亡健一が死亡した直後にも抗告人は相手方かずに対し、右建物(それが相手方かずの所有に帰するに至つたことについては、抗告人も当時から異存がなかつたものと推認される。)の敷地の使用について異議を述べていないことが認められるから、抗告人は、亡健一の死亡により右建物の所有権を取得した相手方かずとの間にも、前記贈与の趣旨に従つて前同様の使用貸借関係を設定したものと認めなければならない(抗告人と相手方両名との間に、右各建物の所有のために通常必要な範囲内の敷地について使用貸借が成立していることは、期間の点を除き抗告人も認めて争わないところである。)。

してみると、相手方信彦は、亡健一から生計の資本として、前記建物及びその敷地についての右認定の使用借権相当の利益を得たもの、相手方かずは、亡健一からその死亡により前記プレハブ式建物及びその敷地についての右同様の使用借権相当の利益を得たものと認むべきであり、したがつて、亡健一から抗告人になされた前項認定の贈与のうち○○○の土地、建物の贈与は、抗告人において右各使用貸借関係の設定に応ずべき負担付でなされたものであつて、抗告人が右各負担の履行として右認定のとおり各使用貸借関係の設定に応じた以上、右贈与により右土地につき抗告人が得た利益は、その更地価格から右各使用借権の価格を控除した額となるものといわなければならない。

三  以上説示したところによれば、昭和四一年一月三日亡健一から○○町の土地及び○○○の土地、建物の贈与をうけた旨の抗告人の主張は理由があるというべきところ(ただし、○○○の土地、建物の贈与に負担が付されていたことは右判示のとおりである。)、本件記録によれば、相手方両名が原審における昭和五一年三月一二日の審問期日において、抗告人主張の右贈与につき予備的に遺留分減殺請求権を行使したことが明らかである。

ところで、右贈与は、相続開始の一年前になされたものではあるが、その一部について前判示のとおり負担が付されていたとはいえ、当時亡健一が所有していた財産のほとんど全部を贈与するものであつたのであるから、特段の事情の認められない本件においては、亡健一、抗告人とも右贈与が相手方両名に損害を加えうべきことを認識していたものと認めるのが相当である。しかして、亡健一が死亡当時債務を負担していたことを認めるに足りる資料はないから、本件において遺留分算定の基礎となる財産は、(1)抗告人が贈与をうけた○○○の土地(ただし、前示使用借権の負担付のもの)、建物及び○○町の土地、(2)相手方信彦が生計の資本として贈与をうけた前記建物及びその敷地の使用借権相当額、(3)相手方かずが死因贈与をうけた前記プレハブ式建物及びその敷地の使用借権相当額を合計したものとなるすじあいである(なお、前記二、1に認定したところによれば、○○の田は亡健一が昭和四〇年七月五日稲村真一郎に売却したものであるところ、その所有権は昭和四四年一二月二五日県知事の許可のなされたときに右稲村からの転買人である岩本庄作他一名に移転したというべきであり、右土地は厳密にいえば亡健一死亡当時なおその所有に属していたものと認めざるをえないが、亡健一としては、既に代金の完済をうけて県知事の許可があり次第、所有権移転登記をすべき義務を負つていたのであるから、右土地は実質的にはもはや亡健一の遺産ではなくなつていたものと認めるべく、これを遺留分算定の基礎となる財産に加えるべきではない。)。そして、原審において当事者間で相続開始時の価格として合意された数値に従い、かつ原審における調査結果によると○○○の土地の建ぺい率が四〇%とされていることに照らし、前記各使用借権の及ぶ敷地の面積をそれぞれ四〇坪、一二・五坪程度とみた上、その価格を更地価格の五〇%として計算してみると、抗告人に対する前記贈与は、相手方両名の遺留分(各六分の一)を侵害するものであり、したがつて、相手方両名の前記遺留分減殺請求権の行使により、右遺留分を侵害する限度において、その効力を失うことになる。

四  ところで、右のように共同相続人の一人に対してなされた生前贈与が、他の共同相続人の遺留分減殺請求権の行使によりその遺留分を侵害する限度において失効したときは、当該贈与の目的となつた財産については、右減殺請求権者が右失効した分、受贈者がその余の分につき各持分を有する遺産共有状態が生ずるものと解すべく、この場合家庭裁判所は、遺産分割の手続により、民法九〇六条の規定に従い、右共有持分に応じて当該財産を各共同相続人に分割取得させるべきものと解するのが相当であり、右の理は、本件におけるように他に分割すべき遺産が存しない場合においても異ならないと解すべきである。

五  以上の次第であつて、亡健一から抗告人に対し、○○○の土地、建物の贈与があつたことを認めただけで、○○町の土地の贈与を認めず、右を前提として遺産分割を行い、○○町の土地全部を相手方両名に共有取得させた原審判は不当であるから、これを取り消すべきである。そして、前判示のとおり昭和四一年一月三日亡健一から抗告人に対し、○○○の土地、建物(ただし、前叙のとおりの負担付のもの)及び○○町の土地の贈与があつたことを前提として、相手方両名からなされた前記遺留分減殺請求権行使の結果に基づき右各物件の適正な分割をなすためには、原審において更に審理を尽くさせる必要があるものと認め、本件を原審に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 小林信次 裁判官 滝田薫 河本誠之)

別紙目録<省略>

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