東京高等裁判所 昭和51年(ラ)321号 決定 1979年5月31日
抗告人
山田光江
外六名
右七名代理人
堂野達也
外三二名
主文
本件抗告を棄却する。
理由
一抗告の趣旨
原決定中抗告人らに関する部分を取り消す。
抗告人らと日本化学工業株式会社との間の東京地方裁判所昭和五〇年(ワ)第一〇、一二九号損害賠償請求事件に関して抗告人らに対し民事訴訟費用等に関する法律三条による手数料の納付につき訴訟上の救助を付与する。
二抗告理由の要旨
抗告人らは、いずれも、クロム禍のため肺癌等によつて死亡した日本化学工業株式会社の元従業員らの相続人であるが、外一一三名の者とともに、会社に対して提起した損害賠償請求訴訟に関し、原裁判所に訴訟救助の申立をしたところ、同裁判所は、昭和五一年四月一九日、抗告人以外の者については訴訟救助を付与し、抗告人らについてはその申立を却下する旨の決定をした。
しかし、原決定は、抗告人らに関する限り、以下述べる理由によつて違法である。すなわち、
およそ、訴訟救助の制度は、新憲法の下においては、単なる貧困者に対する国の恩恵ではなく、裁判を受ける権利を保障した憲法三二条や、法の下の平等、健康で文化的な生活を営む権利、生命、自由及び幸福追求に対する権利を保障した憲法一四条、二五条、一三条の理念を実現する手段として理解すべきである。したがつて、民訴法一一八条にいう「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」とは、健康で文化的な生活を営みながら訴訟を遂行することができる資力を有しない者、いいかえれば、訴訟費用を負担するときは健康で文化的な生活を破壊される者を指称する、というべきである。そして、右の資力の有無の判定に当つては、厳格で画一的な運用を避け、憲法の右の理念を実現することができるように努めなければならない。
(一) しかるに、原決定は、標準勤労者世帯と全国産業における二〇歳から二四歳までの勤労者の昭和四九年における各平均年収を基礎として、同居の親族四人までの申立人については年収三〇〇万円をもつて、また、独身の申立人については年収一五〇万円をもつて資力判定の一般的基準とした。しかし、右の基準金額は――それが家族の収入を考慮した点において違法であることは、後に述べることとするが――次のように、不当に低額であるとの謗りを免れない。
(1) 原決定の使用した統計資料は、いずれも、全国平均を示すものであるが、抗告人らは、ほとんど東京ないしはその近郊に居住しており、東京及びその近郊では、全国平均を相当上回る年収があり、また、生活費も高いにもかかわらず、原決定は、右の事情を全く無視している。
(2) 原決定は、前記の平均年収に、家族持ちで五六万円、独身で二八万円を上乗せはしているものの、右程度の僅少な金額では、到底、本件本案訴訟のごときいわゆる公害訴訟の特質を十分に配慮したものということはできない。けだし、(イ)本件の本案訴訟は、クロム酸塩等の粉じん、ミスト、蒸気を吸収したりそれに接触したために健康を蝕まれ、長年苦しみぬいた挙句、肺癌等により死亡したことに対する会社の責任を追求するものであるが、その訴額も大きく、また、基礎事実について医学上なお解明を要する多くの問題点を含んでいるため、因果関係や会社の帰責事由等についての立証活動に科学的資料を必要とする結果、法定訴訟費用が高額になるばかりでなく、それに伴う調査研究等にぼう大な法定外費用を必要とする。従来の同種裁判例(たとえば、京都地裁昭和四八年一〇月二二日決定)も、資力の有無を判定するための基準金額は、本案訴訟の特殊性を考慮して国民の一般的所得水準よりも高位に求めるべきであるとして、平均収入に一〇〇万円を加算した金額をもつて基準金額としている。右の裁判例の出された昭和四八年に比らべて物価が上昇していることを勘案すれば、本件において各平均収入に加算すべき金額は、一〇〇万円を下ることはあり得ない。(ロ)いわゆる公害訴訟にあつては、被害者たる原告は知識、資力ともに乏しい一般庶民であるのに対し、加害者たる被告が知識、資力ともに存分に駆使し得る巨大な企業であることにかんがみ、武器の平等、当事者公平の原則等に照らし、資力の有無は、被告会社の資力との相対的評価の下に判定すべきである。(ハ)さらに、いわゆる公害訴訟にあつては、原告勝訴の見込みの高いことは、経験則の示すところであり、本案訴訟において勝訴した者は訴訟費用を負担しないという原則にかんがみれば、勝訴の蓋然性の高い場合には、救助の要件も、緩和されて然るべきである。
(二) 原決定が抗告人らの資力の有無の判定に当り、家族の収入を考慮したことは、失当である。
原決定のごとく、申立人に資力がなくともその家族に資力があれば申立人に資力があるものとして取り扱うということは、申立人において家族の収入、資産を自己の収入、資産と同様に使用、処分し得るか、そのことを家族に対して要求し得る権利を有することをその当然の前提とするもの、といわなければならない。しかし、かようなことは、法に明文がないのみか、そもそも、個人主義に立脚した現行法の秩序と矛盾することが明らかである。なるほど、現行法の下においても、親族間には協力、扶助、扶養等の義務が認められている(民法七三〇条、七五二条、七六〇条等参照)。しかし、訴訟を進備、遂行するための費用のごときは、これら義務の対象とはなり得ないものである。
それ故、原決定のような考え方は、前提そのものにおいて失当たるを免がれず、現に、抗告人らの配偶者やその他の家族が訴訟費用の負担、立替えを拒否すれば、抗告人らは、裁判を受ける権利を失う結果となること、火をみるよりも明らかである。
(三) 以上のような見地に立つて抗告人らの資力の有無に言及するのに、
(1) 抗告人山田光江、無職、無収入であり、夫に資産があるといつても、右抗告人自身において、訴訟費用を支払うため夫の財産を使用、処分し得る権利はないし、夫に対して訴訟費用の負担、立替を要求する権利も有していないのであるから、訴訟費用を支払う資力はないものというべきである。
(2) 抗告人児玉瑠美子は、独身で年収二〇六万円の給与所得はあるが、さきに述べた二五〇万円の基準には及ばないから(同居の児玉よもの年収一一六万円とあわせても合計三二二万円に過ぎない。)、訴訟費用を支払う資力のない者というべきである。
(3) 抗告人椎名高男は、年収三四四万円の給与所得はあるが、同居の扶養家族が三人おり、年収がさきに述べた四〇〇万円の基準には及ばないから、無資力者である。
(4) 抗告人渡辺昌子は、年収一二二万円の給与所得はあるが、夫とともに養母と未成年の子三人を扶養している。仮りに、夫の年収三一六万円を加算することが許されるとしても、その場合、扶養家族数は五人となり、さきに述べた四〇〇万円の基準に達しているとはいえないから、訴訟費用を支払う資力のない者と認定されるべきである。
(5) 抗告人加藤光子は、年収一七二万円の給与所得があり、夫も年収約二二一万円の所得があるが、二人で未成年の子二人を扶養している。したがつて、仮りに抗告人には夫の収入をあわせて年収三九三万円の所得があるとしても、その場合、扶養家族は三人となり、前記四〇〇万円の基準には達していないから、訴訟費用を支払う資力なき者であるといわざるを得ない。
(6) 抗告人下夕村道夫は、独身で年収一八四万円の所得はあるが、前記二五〇万円の基準には及ばず、訴訟費用を支払う資力のないものである。
(7) 抗告人中里重夫は、独身で年収二〇七万円の所得しかないので、右と同様、無資力者と認めるべきである。
なお、抗告人渡辺昌子、同加藤光子の両名については、未成年の子を養育しながら働らきに出ているので、右の給与を得るために相当の必要経費がかかつていることを看過してはならない。
三当裁判所の判断
(基準金額の当否について)
(一) 訴訟救助の制度は、新憲法の下においては、単なる貧困者に対する国の恩恵ではなく、裁判を受ける権利を保障した憲法三二条や法の下の平等を保障した憲法一四条の理念を実現する手段として理解すべきこと、まさに、所論のとおりである。そして、また、憲法は、すべての国民に対して「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障しているのであるから、救助付与の対象者である民訴法一一八条にいう「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」とは、自然人にあつては、訴訟費用を支払うと「健康で文化的な最低限度の生活」が害される者をいうものと解すべきである。ところで、ここに「健康で文化的な最低限度の生活」といつても――それは、もともと抽象的な相対的概念で、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定要素を総合考慮してはじめて決定できるものではあるが――それほど潤沢なものではあり得ず、国民の一般的生活水準を維持し得るに足りる程度のものであることを知らなければならない。
ところで、資力の有無を判定するに当り家族の収入を考慮すべきことについては、後に詳述することとするが、総理府統計局編・家計調査報告第三二六号並びに労働大臣官房統計情報部編・第二七回統計年鑑によれば、昭和四九年における標準勤労者世帯(世帯人員3.83人)の全国平均年収(税込み、以下同じ。)は二四六万九、五〇四円、支出の収入に対する割合いは77.8パーセントであつて、両者の差額は五四万七、四七六円となり、四人以上六人までの勤労者世帯の平均年収二七三万五、九六四円、収入と支出との差額は五一万八、三八八円であり、また、労働大臣官房統計情報部編・昭和四九年賃金構造基本統計調査報告第一巻によれば、同年における全産業の二〇歳から二四歳までの勤労者の平均年収は一二二万四、〇〇〇円であることが認められ、その支出の収入に対する割合いを77.8パーセントと見積ると、両者の差額は二七万一、七二八円となる。そして、収入と支出との間に右のような差額のあることは、それだけ生活に余裕があることを物語るものということができる。しかも、原決定が本案訴訟の訴額、特質等をも勘案して、右の各年収額に加算し、同居の家族が四人までの申立人については年収三〇〇万円をもつて、また、独身の申立人については年収一五〇万円をもつて資力判定の基準金額としたことは、まことに、相当であるといわなければならない。
抗告人らは、本件の本案訴訟がいわゆる公害訴訟であることの特質を強調して、右の基準金額が低きに失し、少なくとも、三〇〇万円を四〇〇万円に、一五〇万円を二五〇万円に引き上げるべきであると主張する。しかし、記録によれば、本件の本案訴訟の原告は、抗告人らを含めて一二〇名の多きに達し、そのほとんどすべての者が各世帯単位に分かれており、また、審理の重点も、各原告の個別的事項よりも責任原因のごとく原告全部に共通する事項に置かれるものと認められ、訴訟の準備、追行について各原告の負担すべき費用の均分額は、さほど高額に達するものとも思われないので、申立人毎に決せられるべき具体的金額としてはともかく、一般的資力判定の基準金額としては、原決定の認定は、抗告人らの非難するごとく低きに失するものとはいえない。
なお、昭和四九年以後の前記統計資料によれば、同年以降における勤労者世帯、独身の勤労者ともに、その収入、支出の金額のみならず、両者の差額の金額そのものも増加しているので、右の各基準金額は、今日においても維持し得るに足りるもの、ということができる。
また、抗告人らは、本件の本案訴訟の原告は東京ないしはその近郊に居住しているのに、原決定が全国平均の統計資料を使用したことは失当であると主張する。しかし、記録によれば、本件の本案訴訟の原告のすべての者が東京ないしはその近郊の大都市圏に居住しているわけではなく、地方の中・小都市に居住する者もいるばかりでなく、前記統計年鑑によれば、七大都市における収入と支出との差額五一万六、〇八四円は、中都市における(五四万二、六一六円)及び小都市におけるそれ(五六万三、三五八円)はもとより、前掲の全国平均のそれ(五四万七、四七六円)と比較しても、さほど大差はないことが認められるので、抗告人らの非難は、当らないというべきである。
(家族収入合算の許否について)
(二) 申立人の資力の有無を判定するに当りその家族の収入を考慮すべきであるかどうかは、所論のごとく協力扶助義務(民法七五二条)、互助扶養義務(同法七三〇条、八七七条)等の親族法の法律問題ではなく、資力の有無は当該申立人が現実に営んでいる生活の実態を斟酌して判定するのが妥当であるかどうかという事実問題にすぎない。そして、民訴法一一八条にいう「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」とは、自然人にあつては、自己及びその同居の親族の生活を害するのでなければ訴訟費用を支払うことのできない者である(旧民訴法九一条、ドイツ民訴法一一四条参照)から、申立人の資力の有無を判定するに当り、当該申立人及びその家族の日常生活が本人の収入と家族の拠出によつて賄なわれているとか、少くとも、日常生活の実態からみて家族につき不時の出費の融通を期待することができる生活基盤の存する場合には、拠出金額ないしは融通を期待し得る金額の限度において、家族の収入を合算し、然らざる場合には、家族も当該申立人の訴訟追行につき共同当事者となつている等特段の事情がない限り、家族の収入を切り離して本人の資産、収入のみに基づき、本人の資力の有無を判断するのが相当である、といわなければならない。
(基準の具体的運用について)
(三) 以上は、資力の有無判定の一般的基準の設定について立言したのであるが、基準の具体的運用に当つては、諸般の事情を勘案して、憲法三二条の理念を実現し得るよう弾力的に行なうことが肝要である。抗告人らがいわゆる公害訴訟における資力の有無の判定は、単に被害者たる原告の事情だけについてではなく、加害者たる被告会社の資力との相対的評価の下に行うべきであるとか、勝訴の蓋然性が高い場合には、無資力の要件を緩和すべきであると主張するのも、そのこと自体の理論的当否の点はともかくとしても、基準の弾力的運用を求めるものとしては、傾聴に値するものということができるであろう。
しかしまた、それと同時に、民訴法が救助付与の要件を定めている趣旨(一一八条参照)にかんがみ、それが濫用にわたるがごときことのあつてはならないことを忘れるべきでない、といわなければならない。
そこで、前叙の基準に照らし、抗告人らの資力の有無を個々的に検討するのに、疎明資料によれば、次の事実が認められる。すなわち、
(1) 抗告人山田光江は、家庭の主婦であつて定収入はないが、同居の夫に扶養されており、夫は鉄工業の経営者として年収四〇六万円を得ていて、他に生計を共にする家族として未成年の子と夫の両親がおり、全員持家に居住している。
(2) 抗告人児玉瑠美子は、独身であるが、給与所得者として年収二〇六万二、〇三二円を得ており、生計を共にする家族としては母(原決定によつて訴訟救助を受けた。)だけであるが、母も給与所得者として年収一一六万六、五四五円を得ており(その合計は三二二万八、五七七円)都営住宅(賃料一か月一、八八〇円)に居住している。
(3) 抗告人椎名高男は、給与所得者として年収三四四万六、一四七円を得ており、生計を共にする家族としては妻、(原決定によつて訴訟救助を受けた。)、短大生及び母がいるが、全員持家に居住している。
(4) 抗告人渡辺昌子は、給与所得者として年収一二二万九、二五九円を得ているが、同居の夫も給与所得者として年収三一六万二、六〇〇円を得ており(その合計は四三九万一、八五九円)、他に生計を共にする家族としては未成年の子二人と養母がおり、全員持家に居住している。
(5) 抗告人加藤光子は、給与所得者として年収一七二万五、八四五円を得ているが、同居の夫も給与所得者として年収二二一万二、一二六円を得ており(その合計は三九三万七、九七一円)、他に生計を共にする家族としては未成年の子が二人おり、全員持家(但し、その敷地は借地)に居住している。
(6) 抗告人下夕村道夫は、給与所得者として、年収一八四万六、〇七二円を得ているが、独身であり、借家(賃料一か月一万八、〇〇〇円)に居住している。
(7) 抗告人中里重夫は、給与所得者として年収二〇七万四、〇七九円を得ているが、独身であり、母の居宅に兄弟と共に同居している。
してみれば、他に抗告人らに対し訴訟救助を付与すべき特段の事情の疎明がない本件においては、抗告人らは、いずれも、「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」に該当するものとはいえない。
よつて、抗告人らの本件訴訟救助の申立を却下した原決定は相当であつて、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり決定する。
(渡部吉隆 浅香恒久 中田昭孝)