東京高等裁判所 昭和51年(行コ)61号 判決 1978年1月31日
控訴人 本原和満
被控訴人 芝税務署長
訴訟代理人 竹内康尋 小川修 ほか二名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事 実 <省略>
理由
一 本件各更正の取消しを求める訴えの適法性について
控訴人らは、本訴において、各更正の取消しを求めているが、控訴人らの当該年分の所得税につきその後再更正の行なわれたことは、控訴人らの自ら認めて争わないところである。しかして、かように、或る年分の所得税について再更正が行なわれた場合には、当初の更正の取消しを求める訴えがその利益を欠いで不適法となることは、すでに確立した判例である(最高裁判所昭和三二年九月一九日第一小法廷判決、民集一一巻九号一六〇八頁、同庁昭和四二年九月一九日第三小法廷判決、民集二一巻七号一八二八頁参照)。
二 本件各再更正の取消しを求める訴えについて
控訴人らが生計を一にする夫婦であり、昭和四八年における控訴人和満の所得は事業所得と長期譲渡所得とであつて資産所得がなく、控訴人幸の所得は株式の配当所得のみであり、その株式が同控訴人の亡父から相続したものであること、控訴人らが右年分の所得税につきそれぞれの主張のごとき確定申告をしたところ、被控訴人が被控訴人幸の配当所得たる資産所得を主たる所得者と認める控訴人和満の総所得金額に合算して税額を算出し、本件各再更正を行なつたことは、いずれも、当事者間に争いがない。
控訴人らは、右各再更正の適法性を争うので、以下、その適否について判断する。
(一) 資産所得合算課税の合憲性
控訴人らは、まず、所得税法九六条ないし一〇一条の規定する資産所得合算課税が憲法一三条(個人の尊重)、一四条(法の下の平等)、二九条(財産権の保障)、三〇条及び四八条(租税法律主義)に違反すると主張する。
所得税法九六条ないし一〇一条の規定する資産所得合算課税は、一定範囲の親族(生計を一にする親族のうち「夫と妻」、「父又は母とその子」、「祖父又は祖母とその孫」((但し、子及び孫については、配偶者又は子を有する者並びに資産所得以外の所得の合計額が一〇万円を超える者を除く。))のうちに、所定の額を超える利子所得、配当所得及び不動産所得たる「資産所得」を有する者がいる場合、その親族(「合算対象世帯員」)の資産所得を「主たる所得者」(総所得金額から資産所得の金額を控除した金額が最も大きい者、総所得金額から資産所得の金額を控除した金額のある者がいないときは、資産所得の金額が最も大きい者)の所得とみなして主たる所得者の総所得金額に合算し、その合算された所得金額に累進税率を適用して税額を算出し、それを主たる所得者の総所得金額と合算対象世帯員の資産所得金額の割合に応じて按分し、そのそれぞれの税額をもつて主たる所得者及び合算対象世帯員各人の税額(但し、合算対象世帯員については資産所得以外の所得につき別に計算した税額が合算される。)とする制度である。この制度が、資産所得の恣意的な分散による租税負担の軽減を防止する機能を果たしていることは確かである。しかし、単にそれのみに尽きるものではない。若し控訴人らのいうごとく、この制度がいわゆる租税回避行為(その概念の確定は、しばらくおくこととする。)を封ずることのみを目的として設けられたものであるとすれば、租税回避行為は、資産所得についてだけ、しかも右のごとき範囲の親族間においてのみみられるわけではないから、合算対象所得の種類を単に資産所得のみに限定する必要はなく、また、合算対象世帯員の範囲を右のごとき一定の親族のみに限る必要もなく、広く、資産所得以外の所得についても、また、右の範囲の親族以外の者の間においても、合算課税を認めて然るべきであろう。しかるに、法がかかる挙に出なかつたことからみても明らかなように、この制度の本来の目的は、被控訴人も主張するごとく、むしろ、資産所得の特質に鑑み、租税負担の公平を期することにあるものというべきである。
およそ、租税が担税力に応じて公平に負担されなければならないことは、「租税正義」の要請として、ひとしく国民の希求するところであり、また、それが税制の基本理念であることは、多言を要しないところである。そして、担税力、すなわち、国民の租税支払能力の測定は、窮極的には、課税単位の決定というすぐれて税法的な問題の解決の仕方いかんによつて左右されるものであつて、憲法の基本原理たる個人の尊重や法の下の平等の原則から当然に導き出されるものではない。現在の所得税法が課税単位につき個人単位主義を建前としているのは、それが夫婦別産制等現行私法秩序に適応しているとはいえ、もともと、所得税の課税標準たる所得が各個人によつて稼得され、かつ、それが稼得した本人に帰属し、消費されるという事実に徴し、担税力を個人単位に把握することが、租税公平負担の要請にそうこととなるからである。また、一方、現在の所得税法といえども、完全な個人単位主義を採用しているわけではなく、家族従業員への対価の必要経費不算入を規定したり(五六条)、配偶者や扶養親族について所得控除を認めている(八三条、八四条)のも、担税力は個人を孤立したものとして測定すべきではなく、個人が世帯で生活を営んでいる事実を直視し、消費単位としての世帯ごとの経済状態を担税力の上に反映させるべきであるという考え方に基づいているのである。
ところで、前叙のごとく、所得を稼得する個人を課税単位としてとらえ、その所得に対して累進税率を適用する制度の下では、資産所得については、(1)同一金額の所得のある夫婦世帯であつても、夫のみがその所得を有する場合と、夫と妻がそれぞれの所得の一部ずつを有する場合とでは、後者の方が税額が前者の方のそれと比らべて相当低額となるが、かかる結果は、資産所得にあつては、給与所得におけるごとき所得を得るための経費等担税力の減退を来たすべき事由がないのであるから、租税公平負担の見地からみて、不合理であるというべきである。(2)また、資産所得が特定の資産から生ずる所得であるところから、生計を一にする世帯員に資産を分割することによつてその分散を図り、租税負担の軽減を図ることが容易である。この場合、不当に租税の負担を回避するため単に資産の名義だけを恣意的に変更したようなものに対しては、実質課税の原則を活用することによつて租税負担の公平を期することができるとしても、真実許された方法で名実ともに資産を分割して租税負担の軽減(いわゆる節税)を図ることは、法律上可能である。これに対し、給与所得や退職所得のごとき勤労所得にあつては、それが勤労という個人の労働から生ずる所得であるが故に分散できないため、両者の間に租税負担の不公平を招来することとなる。そして、このことは、親族間における資産の取引が相互の対抗意識や権利意識が稀薄で、法的形式等も不明確な事情の下に行なわれる事実に鑑み、しかも、毎年回帰的に、かつ、短期間内に大量の処分を限られた陣容で処理しなければならない税務行政の実状に照らせば、前叙のごとき資産の分割が単なる名義上にとどまるものであつても、個々の事案につき具体的にこれを認定することが不可能に近いことに思いを致せば、極めて深刻な問題であり、租税公平負担の見地からみて到底看過し得ないところである。(3)そればかりでなく、資産の分割が単なる名義だけにとどまるときはもとよりのこと、たとえ名実ともに行なわれたり、また本件におけるごとく、当初より世帯員が自己の固有財産として当該資産を取得したときであつても、生計を一にする前記範囲の親族の間においては、その緊密な経済的協力関係から、少なくとも資産所得に関する限り、世帯主が世帯員のそれを管理・処分したり、一旦緩急ある場合には世帯員が自ら自発的に共同生活のために提供するのが、わが国における一般の実情である。こうした理由から、所得税法は、資産所得に限り、例外的措置として、世帯を課税単位としてとらえる合算課税の制度を採用するに至つたのである。
そして、ここに合算対象世帯員の資産所得を主たる所得者の所得とみなすといつても、決して、当該資産所得が世帯員に帰属していることを否定したり、主たる所得者の所得に帰属せしめるのではなく、あくまでも、税額の計算上そのように取り扱うにすぎないのであり、このことは、当該資産所得が合算対象世帯員の稼得した所帯として申告され、かつ、当該資産に対応する税額が合算対象世帯員の負担すべき税額として納付されることからみても明らかである。
以上を要するに、所得税法といえども憲法の明文はもとよりその基本原則にも違反してはならないこと論をまたないところであるが、課税単位の問題については、憲法は、何ら触れるところがなく、所得の概念とともに、所得税制の基本的課題として、専ら、法律の定めるところに委ねているのであるから、現行の所得税法が個人単位主義以外の課税単位制を採用したからといつて、それが直接憲法の規定に違反しないのはもとより、憲法の基本原理たる個人の尊重や法の下の平等の原則に違背するものではなく、また、資産合算課税は、租税負担の公平を期するという公共の福祉のために設けられた合理的な制度であるから、被合算者がこの制度により合算されない場合に比らべて多額の税額を負担することになるということだけで、直ちに、それが財産権の不当な侵害であるとか、法の下の平等に違反するものとはなし得ず、まして、租税法律主義の精神に違背するものともいえない。なお、資産所得合算課税の制度がたとえ控訴人らのいうごとく婚姻生活に対する国家の妨害的措置であるとしても、ドイツ連邦共和国の基本法のような婚姻と家庭を国家の妨害的措置から保護する特別の規定の設けられていないわが国の憲法の下においては、右のことが憲法に違反するものとはなし得ない。
その故、控訴人らの違憲の主張は、その前提を欠くか又は独自の見解に立脚するものであつて、すべて、理由がない。
(二) 本件資産所得の特質と合算課税制度の適用
次に、控訴人らは、仮りに資産所得合算課税が違憲でないとしても、本件資産所得は、控訴人幸が相続によつて取得した株式から生じた配当所得であり、本来資産の分割とは無縁のものであつて租税回避行為の介在する余地のないものであるから、合算課税の対象とはなり得ないと主張する。
しかし、控訴人らの右の主張は、資産所得合算課税の制度が租税回避行為の存在する場合にのみ適用されるべきであることを前提とするものであるが、すでにその前提そのものにおいて失当であること、前段の説示によつて自ら明らかである。
(三) 所得税法九六条の解釈の適法性
さらに、控訴人らは、以上の主張にしてすべて理由がないとしても、控訴人和満は所得税法九六条三号にいう主たる所得者に該当せず、したがつて、控訴人幸もまた同条四号の合算対象世帯員に該当しないと主張する。
しかし、所得税法九六条三号にいう「主たる所得者」とは、被控訴人のいうごとく、同法二二条二項の規定するとおり各種所得金額の合計額の意味であつて、その中に必らず資産所得金額が含まれていなければならないというわけのものではなく、それが含まれていない場合に主たる所得者を決定するに当り総所得金額から控除すべき資産所得金額は、零として計算すれば足りるのである。
それ故、控訴人らの右の主張もまた、採用の限りでない。以上の次第で、本件各再更正には控訴人ら主張のごとき違法はなく、したがつてまた、本件各再更正を前提とする本件各決定にも違法はない。
三 結論
よつて、本件訴えのうち、本件各更正の取消しを求める訴えは、いずれも不適法であるのでこれを却下し、その余の請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却すべく、これと同趣旨に出た原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないので棄却することとし、控訴費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 渡部吉隆 渡辺忠之 柳沢千昭)