大判例

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東京高等裁判所 昭和52年(う)1200号 判決

被告人 松本博

〔抄 録〕

所論は、過失犯の訴因については、被告人側に防禦を尽さしめるために過失の前提となるべき注意義務を具体的に特定しなければならないのにかかわらず、本件の起訴状記載の公訴事実には、「被告人は………左方道路から前記交差点に進入しようとしていた稲葉一夫運転の車両を左前方約二三三・六メートルの地点に認めたので、その動静を注視し、安全を確認して進行すべき注意義務があるのに………」とあるだけで、過失の態様を安易に拡大し、過大な注意義務を被告人に強要している、このような訴因の表示は前示の要請に反するものであって、訴因の構成自体が違法である、つぎに、原判決が訴因変更の手続をとることなく、右と態様を異にする注意義務違反による過失を認定したことも違法である、というのである。

まず、本件起訴状記載の公訴事実として所論のような注意義務が表示されていることは明らかであるが、その記載のうち、被告人が稲葉一夫運転の車両を左前方約二三三・六メートルの地点に認めたとあるのは、被告人が稲葉の車両に最初に気づいた経緯を表示したものであり、また右の注意義務の趣旨は、やがて被告車が交差点に進入するに際して、左方道路から同じく交差点に向って進行してくる稲葉車両との衝突事故の発生を防止すべく同車両の動静を注意し、安全を確認すべきであるという点にあると解される。これをより具体的にいうならば、(関係証拠によれば、被告車の進行していた道路と稲葉運転車両が進行していた道路は、ともに見通しの良い、田園の中で十字に交差する道幅に大差のない道路であったことが認められるから)、交差点のやや手前から多少の余裕をもって減速徐行したうえ、稲葉車両の動静を注視し、もし同車両がそのまま進行をつづけるときには、場合によっては同車両をして先に交差点を通過させるなどを指すものと解することができる。そうであるとすれば、起訴状の訴因の記載がその特定に欠けるとか、その他これを違法視すべきものがあるとは考えられないから、この点の論旨は理由がない。

しかし、次に、これに対応する原判決の罪となるべき事実認定をみると、原審は、起訴状の訴因に記載された被告人の過失の態様は、広汎のもので、適正を欠くとの見解(原判決の理由中の「被告人および弁護人の主張について」の二訴因変更の要否の項目参照)のもとに、起訴状記載の訴因と同趣旨の注意義務・過失を認定することを避け、これと異って、被告人が稲葉車両を左前方約二三三・六メートルの地点に認めた後「更に自己の進行交差点手前約一六・六米地点において、前記稲葉一夫の車両も、右交差点の手前約二五米の地点に直進して来たのであるから、右車両の動静を注視し、交通規制のない右交差点においては、自動車運転者としては右交差点直前で一時停止し、左右道路の交通の安全を確認して、そのうえで交差点に進入し、よって事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、一時停止することなく時速約三〇キロメートルに減速進行し、かつ右稲葉一夫の車両より早く交差点を通過できるものと軽信して、漫然進行した過失により」自車を稲葉車両に衝突させたと認定・摘示し、かつこのように認定するのに訴因変更の手続をとる必要はなと説示しているのである(前示項目参照)。

しかし、右の認定によれば、被告車が交差点の手前約一六・六メートルの地点まで接近し、稲葉運転車両がその左方道路を交差点まで約二五メートルに接近した状況を前提とし(したがつて、その前の段階では法律上の注意義務はないことになろう)、その時点で交差点の直前で一時停止したうえで交通の安全を確認する義務があるのに、被告人がこれを怠った点に過失があることになるのである。

ところで、原判決挙示の証拠および当審における事実取調の結果によれば、被告車が進行していた道路は(稲葉運転車両が進行していた道路も同様)アスファルト舗装の道路であったこと、本件当時は雨が降っていたこと、被告車の速度は時速約三〇キロメートル(稲葉運転車両のそれは、時速約四〇キロメートルないしはそれ以上)であったことが認められるから、交差点の手前約一六メートルに接近してから交差点の直前で停車しようとすれば、雨天時の制動距離の関係からみて通常の一時停止の方法では間に合わず、直ちに急停車の措置をとるほかないと考えられる。このように、交差点の直前(十数メートル)に至ってから後の注意義務を問題とし、しかもそれは直ちに急停車しなければならないものであるとすれば、前述した起訴状記載の訴因における注意義務とは態様を異にするものであり、したがって両者の注意義務違反としての過失もまた異なるものというほかはない。そして、右のような訴因と態様を異にする過失を認定することは、被告人の防禦に実質的な不利益を及ぼすおそれがあるといえるのであって、訴因変更の手続を要するものと解するのが相当である。

しかるに、記録上原審がこのような措置をとった形跡はなく、原審は起訴状記載の訴因についての前示のような見解(それが当らないことはすでに述べたとおりである)をとったうえ、訴因の変更手続をとることなくこれと態様を異にする過失を認定したことになるから、原審の訴訟手続には法令の違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるものというべく、論旨は理由があることに帰し、原判決は破棄を免れない。

(藤野 新関 渡辺)

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