大判例

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東京高等裁判所 昭和52年(う)1757号 判決 1978年5月23日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人森荘太郎、同田川俊一が連名で差し出した控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、原判決は、司法警察員金保寿宏外一名作成の実況見分調書の記載を根拠に、本件事故発生当時被告人の操縦していたモーターボートと被害者とが衝突した地点(以下本件衝突地点又は衝突地点という。)の付近に被害者が使用していた白色発泡スチロール製浮玉が浮遊していたものと認定し、この事実を前提として、本件事故は被告人が自船の進路保持に気をとられて進路前方左右の注視を怠り、右浮玉を看過したため発生したものであるとして、被告人の過失を肯認しているが、当時右浮玉は、被告人の操縦していたモーターボートの航路筋すなわちその前方左右には存在しなかったのであって、右実況見分調書の記載を根拠に被告人の過失を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで以下、この点につき、原審記録及び原裁判所において取調べた各証拠に、当審における事実取調の結果をも加えて検討する。

(一)  右各証拠に照らすと、本件は、東京都大島大島町波浮港の港湾区域内において、潜水して貝類採取に従事していた被害者が被告人の操縦するモーターボートの約三メートル前方に浮上したため、これに気づいた被告人は直ちにスロットルレバーをニュートラルにし左方へ急転舵する措置を講じたが及ばず、同船のスクリューが右被害者に接触し、同人が死亡するに至った事案であり、かつ、被害者が浮上した時点においては、原判示のとおり、被告人としてはもはや本件の結果を回避するための適切な手段は講じ得なかったものと認めざるを得ない事案である。

そして、原判決は、当時被害者が発泡スチロールで作った手製の箱型浮玉を海面に浮遊させながら潜水に従事していたことが認められる点を捉え、右浮玉が相当離れた地点からもこれを認識することができ、しかもこれが単なる浮遊物ではなく、その付近において潜水し貝類等の採取をしている漁業従事者の使用する標識であることが認識できる状況にあったものと認定したうえ、被告人において自船の進路前方左右を十分注視していたならば、容易に右浮玉を発見することができ、したがってその付近で潜水していた漁業従事者の存在を認識し得る状況にあったのに、被告人が右の注視を怠って浮玉を看過したため本件事故が発生したものとして、被告人に過失がある旨判示している。したがって、本件では、衝突地点と事故当時における右浮玉との距離関係を確定することが極めて重要であるが、この点について、原判決は、本件事故後における現場付近の実況見分の際、被告人が衝突地点として指示した地点から七、八メートル離れた場所に右浮玉が浮遊しているのが発見されているとしたうえ、事故当時においてもこれが「衝突地点の近くに浮遊していたものと推認される」と説示しているにとどまり、それ以上具体的に、これが本件衝突地点からどのくらい離れた距離に浮遊していたのかについては触れていない。

もっとも、原判決の判文から推すと、原審は、通常のモーターボート操縦者ならば、右浮玉を発見することにより、その付近で潜水している漁業従事者の存在を知ることができ、したがってその付近を航行すればこれと衝突する結果が生じることを予見できたことを前提として過失を肯認しているものと理解することができるが、右の結果を予見することが可能であったという以上、浮玉と衝突地点との距離は、これを数字的に示すことは困難であるとしても、本件衝突地点として指示されている地点付近の状況(船舶の航行が比較的頻繁であると認められる)を前提とする限り、相当近距離である場合に限定されなければならないというべきであり、原判決もその見地に立って過失を肯認したものと解せられる。

(二)  ところで、司法警察員金保寿宏外一名作成の昭和五一年五月六日付実況見分調書、右金保に対する原裁判所の証人尋問調書の各記載並びに原審及び当審証人平野彰の各供述によると、本件事故後間もなく(その二時間二〇分後から五〇分間)、被告人立会のもとに事故現場の実況見分が行われたが、その際まずモーターボートでいったん港湾区域外の舵掛瀬付近まで直行し、そこから被告人の指示に従って事故発生に至るまでの被告人の船の航路をたどり、被告人が衝突地点として指示した地点に赴いたところ、同地点から七、八メートル離れた場所に前記浮玉の浮遊しているのが発見された、というのである。

これに対し、原審証人土屋一幸は、本件事故後同人が見た浮玉の位置は、被告人が衝突地点として指示した地点よりも北北東方向へ七〇メートルぐらい寄った、水くみ場と称する場所の近くであった旨供述しており、また当審証人筧治は、同人が前記実況見分に立会った際、舵掛瀬付近に赴く途中(すなわち被告人が衝突地点を指示する以前に)、右浮玉が発見され、これが船中に引揚げられたが、その際浮玉の浮遊していた位置は、右衝突地点として指示された地点よりも北西方向へ一五〇メートル近く離れた位置である旨供述し、被告人も原審及び当審公判廷において、右実況見分の際衝突地点を指示する前に浮玉が発見された旨供述しているのであって、これらの供述と前記実況見分調書の記載並びに金保寿宏及び平野彰(いずれも警察官)の各証言との間には著しい相違がみられるが、右実況見分調書の記載並びに金保及び平野の各証言の信用性について考えてみるのに、被告人は本件事故発生後直ちに海中に飛び込んで被害者を船の上に引き揚げ、急遽その場を立去っており、本件衝突地点を確認する余裕は到底なかったものと認められるうえに、衝突の場所はその痕跡をとどめない海上のことであるから、右実況見分調書の記載等によれば、被告人はほとんど何の手懸りもないままに衝突地点を指示したことになり、しかもたまたまそこから七、八メートルの近距離に浮玉が発見されたというのであって、いささか奇異の感を免れず、あるいは被告人が捜査官から浮玉の浮遊している位置を知らされたうえ、その位置との関係を念頭に置いて衝突地点を推定し指示したのではなかったか、との疑問を払拭しがたい。いずれにしろ、被告人の衝突地点の指示が確信をもってなされたとは到底認められず、またその指示したところと実際の衝突地点との間に相当の誤差がある可能性は否定できないところである。

一方、前記土屋一幸及び筧治の証言中浮玉の浮遊していた地点に関する供述部分は、その相互間にも著しい相違があって、そのいずれかを直ちに採用することは躊躇せざるを得ないが、両名ともに、本件につき利害関係のない中立的第三者の立場にあり、その証言自体もかなりの具体性と明確性とを備えているだけに、いちがいにこれらを排斥しがたい面もあり、このことを考慮に入れると、前記実況見分調書の記載や金保、平野の各証言をそのまま容認することには疑問が残るものといわざるを得ない(なお右実況見分については、その際撮影したフィルムを誤って感光させてしまったり、被告人の指示した衝突地点の確定方法が適切でなかったため、厳密にはこれが確定されていないなど、かなりの手落が認められるのであって、このことからすれば、被告人に衝突地点を指示させる以前に浮玉を引き揚げてしまうという捜査の常識に反する事態も、いちがいにあり得ないことといい切れないものがあるのである。)。

(三)  更に、右浮玉の浮遊していた位置と本件衝突地点との距離関係について検討してみるのに、《証拠省略》によると、右浮玉を使用する理由は、一般に、これと錨とを結ぶロープにスカリと称する網を下げておき、採取した貝類等を一時これに入れて作業を続けるのに便利であること、潜水者が疲れた場合一時これによって休息できること及びこの付近で潜水作業をしていることを他に知らせることができるなどが挙げられ、したがって、通常は、当然その近くで作業をしているわけであるが、潜水者によっては、その時の状況に応じ、右浮玉の位置から一〇〇メートルも二〇〇メートルも離れて貝類採取等の作業をする場合もあり、被害者についてもこれまで浮玉より五〇メートルぐらい離れて作業をしたこともあることが認められるうえに、本件当時どの程度離れて潜水していたのかを直接的に証する証拠はなく、判然としないのであるから、事故当時の浮玉の位置から直ちに被害者が浮上してきた位置(衝突地点)を推量することは相当でないというべきである。

なお、仮に前記実況見分の際被告人が衝突地点として指示した場所が正確であるとして、そこから七、八メートル離れた場所に浮玉が浮遊していたことを前提として考えてみても、右浮玉には長さ一三・八メートルのロープがつき、その先につけられた錨で海底に固定されていたこと、同所の水深は必ずしも明確でないが海図によると一応五、六メートルぐらいと認められること(平野徹の原審証言では三、四メートルということであるが、やゝ不正確と思われる。)、本件事故当時風波は穏やかであり、かつ約二キログラムの貝類が入ったスカリが右ロープに結ばれてはいたが、潮流の影響(それがどの程度のものであったかは明確ではないが)により、浮玉は、右の錨の真上を中心とし半径一〇メートル前後の円を描いた場合の円内海面上を自由に移動し浮遊していたものと考えられること、及び事故発生時から衝突地点の実況見分時までの時間的経過を考え併せると、事故当時の浮玉の位置は、右衝突地点として指示された地点より前記の七、八メートルに右円の直径にあたる約一〇メートルを加算した距離、すなわち二〇数メートルも離れた場所に浮んでいた可能性が考えられるのである。

(四)  以上を要するに、本件では、衝突地点と事故当時浮遊していた浮玉の位置との距離関係が明確でなく、原判示のように、浮玉が衝突地点の近くに浮遊していたものということ自体疑問であるのみならず、仮に前記実況見分調書の記載を全面的に採用したとしても、事故当時における両者間の距離は二〇数メートル程度は離れていた可能性を否定し去ることはできないから、これらを前提として被告人の過失の有無を考えてみるのに、原審及び当審における一切の証拠を検討してみても、本件では、被告人が当時進路前方左右を十分注視しつつモーターボートを操縦していたとしても、被害者の姿をその停止可能距離(約一〇メートルと認められる)より前の地点で発見することが可能であったとは到底認められず(本件衝突時の前に被害者が息つぎのため浮上したとしても、予想できる一回の潜水時間及び右モーターボートの速度などを考え併せると、その際の両者間の距離は、はるかに遠かったものと推認できる。)、更に当時浮玉の位置が被告人の直進していた航路より二〇数メートルも離れていたものとすれば、右浮玉の形状が単なる浮遊物と紛らわしいものであっただけに、このような場合、通常のモーターボート操縦者ならば右浮玉を発見することにより進路上に潜水従事者が浮上してくることを予見できたものと認めることは困難であり、したがってまた、操縦者に対し、これとの衝突を避けるため進路を変更するなどの措置を講ずることまで期待し、要求することは相当でない。まして、本件では、さきに指摘したとおり、衝突地点そのものが必ずしも明確でなく、被告人の進んでいた航路と浮玉とが、それ以上に離れていた疑いもあるのであるから、原判決がいうように、被告人において自船の進路前方左右を十分注視していたならば容易に浮玉を発見することができ、そのことから、進路前方に漁業従事中の被害者のいたことまで予見できたものとは到底認めがたく、ひいては、また、原判示のように、被告人が前方左右の注視を尽さず前記浮玉を看過したまま進行したため本件事故が発生したと断定することも相当でないというべきである。

なお原判決は、被告人が進路前方左右の注視を怠った点以外にも何らかの注意義務違反があるかのような判示をしており、起訴状記載の本件訴因も、右の注視義務違反のほか、被告人が進路を前記波浮港入航路の中心部にとるべきであったこと、減速すべきであったこと等の注意義務を怠ったことをも過失としているかのごとくであるが、本件各証拠に照らすと、被告人が当時原判示の航路を進行していたこと自体には格別問題はなく、また前記諸事情のもとでは、被告人に二〇ノットよりも更に減速すべき義務があったともいうことができず、他に本件事故発生の原因とみられる注意義務違反があるとは考えられない。

(五)  結局、本件事故については、被告人の過失に原因があったと断定することはできないから、その過失を認めた原判決には、この点において事実の誤認があり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかというべきである。

よって刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により自判する。

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、小型船舶操縦の業務に従事しているものであるが、昭和五一年五月二日午後零時一五分ころ、モーターボート(クルーザーボート)「タカヤマ五号」を操縦し、東京都大島大島町波浮港灯標より東南東約二七五メートル、竜王崎灯台より南西約二三五メートルの海上を同港岸壁に向け約二〇ノットで走行した際、同海上付近においては採貝藻漁業者が浮玉を浮遊させ潜水して貝藻類の採取に従事していることが多いことを知っていたのであるから、進路を同港入航路の中心部にとるはもちろん、進路前方左右を注視しかつ適宜減速したうえ、採貝藻従事者を早期に発見し、これを避譲して進行する等し、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、折から同所において、柏木寛(当時三〇歳)が浮玉を浮遊させて貝類の潜水採取をしていたのに、自船の進路保持に気をとられ、右浮玉を看過したまま、同港の北岸寄りを同一速度で進行した過失により、自船の進路前方で浮上していた右柏木を、その直前約三メートルに迫って始めて気付き、急制動・急転舵の措置を講じたが及ばず、自船のスクリューを同人に接触させて後頭部・背部切傷・頭蓋骨骨折等の傷害を負わせ、よって、右柏木をして同日午後一時一八分ころ、同町差木地字クダツチ同町国民健康保険南部診療所において、右傷害に基づき死亡するに至らしめたものである。」というのであるが、前説示のとおり、原審及び当審において取調べたいっさいの証拠を検討してみても、被告人に、公訴事実に指摘されている過失を認めることはできず、したがって、本件はその犯罪の証明がないことに帰するので、同法四〇四条、三三六条後段により、被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

(裁判長裁判官 藤井一雄 裁判官 寺澤榮 永井登志彦)

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