大判例

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東京高等裁判所 昭和52年(う)1962号 判決

被告人 加藤安彦

〔抄 録〕

控訴趣意第一点について。

論旨は要するに、原判決は、被告人の本件各無免許運転の事実を罪となるべき事実第一のとおり一時点における日時場所だけで特定して判示しており、右判示は本件起訴状記載の公訴事実第一と同一である。しかしながら、無免許運転のような継続犯についての訴因及び有罪判決の事実摘示においては、運転の距離又は始期、終期もしくは時間等を明示する必要があり、この点を明らかにしていない本件公訴事実第一は本件各運転行為を特定しているとはいえないから、本件公訴提起は違法であり、これをそのまま受理して審判した原審の訴訟手続には不法に公訴を受理した違法がある。また、原判決の事実摘示にも理由不備の違法があるというのである。

そこで検討すると、被告人の本件各無免許運転に関する起訴状記載の公訴事実及び原判決の事実摘示は、所論のとおりその日時場所を何時何分ころ「何番地付近道路において」と摘示している。しかし、無免許運転の訴因を明示するには、道路交通法六四条一一八条一項一号の構成要件に該当する具体的事実を運転の日時、場所、運転車両等によって、他の犯罪事実と区別できる程度に特定して記載すれば足りるのであり、これに対する有罪判決における罪となるべき事実の判示も同様の程度に特定すれば足りるものと解すべきである。そうして、無免許運転は通常時間的、場所的に継続、移動する性質をもつ行為であるが、証拠の関係等から、それが開始された時刻、場所、運転経路等を示さず、本件のように特定の場所付近における運転行為だけを起訴し、これを判決において認定しても何ら違法ではないというべきである。(この場合でも、起訴され、認定された所為にはある程度の幅があると解すべきことは後に述べるとおりである。)したがって、原審の訴訟手続及び原判決の事実摘示には所論の各違法はないから、論旨は理由がない。≪中略≫

控訴趣意第三点について。

論旨は要するに、原判決は第一の一の無免許運転罪及びこれと同一の日時、場所における第二の速度違反罪を併合罪として処断しているが、右両罪はその日時、場所が同一である以上、社会的見解上一個の行為であり、観念的競合の関係に立つと解すべきであるから、原判決は法令の適用を誤っているというのである。

そこで検討すると、原判決が、第一の一において、被告人が無免許で、昭和五二年二月二四日午前一一時二五分ころ、東京都府中市八二七八番地付近道路において、普通乗用自動車を運転した旨を、第二において、被告人が前記第一の一記載の日時、場所において、過失により制限速度をこえる速度で前記自動車を運転した旨を認定し、右無免許運転罪と速度違反罪とを併合罪として処断していることは所論のとおりである。しかし、原判決が無免許運転の日時、場所を右のように判示しているからといって、被告人の無免許運転の所為を一瞬時、一地点における行為だけに限定して認定した趣旨と解するのは正当でなく、その地点に到達するまでの、時間的、場所的にある程度の幅をもった継続的行為として認定した趣旨と解するのが相当である。そうして、原判決挙示の被告人の検察官(昭和五二年五月二四日付)及び司法警察員(同年二月二四日付)に対する各供述調書、交通事件原票、速度測定カードによれば、被告人は、右地点で警察官に停止を命ぜられるまで約四〇〇メートルの行程を無免許で運転し、その途中で最高速度が二〇キロ毎時と指定されている本件道路にさしかかったが、無免許運転とは関係なく、不注意により標識に気づかず、右制限速度を一八キロこえて進行したところを警察官に現認されたものであることが認められ、この事実は原判決認定の事実の範囲に含まれると解されるのである。なお、速度違反の行為も継続性をもつけれども、自動車の速度は刻々と変化することが多いから、原判決が認定した速度違反の所為はかなり局所的にとらえたものと解するのが相当である。そうしてみると、右過失による制限速度違反の所為は約四〇〇メートルにわたる無免許運転の継続中における一時的局所的な行為に過ぎないから、社会的見解上別個のものと評価すべきである。したがって、両罪が併合罪の関係にあるとして処断した原判決に法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

(小野 斉藤 小泉)

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