大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和52年(く)122号 決定

被告人 梅津萩子 外三名

〔抄 録〕

そこで検討するのに、本件身分帳簿の提示・閲覧等につき、被疑者に対し、東京地方裁判所八王子支部に勤務し、民事事件を担当する特例判事補たる単独裁判官として、民訴法二六二条または三三三条に基づく一般的・抽象的権限を有することを認めた原決定の判断は正当として是認できる。(むしろ、被疑者が八王子支部勤務の特例判事補たる裁判官であった以上、民事事件、刑事事件の担当を問わず、抽象的・一般的には本件身分帳簿の内容を何らかの形で了知する必要のある事件を担当する可能性があったというべきであるから、被疑者は、右の意味で、特例判事補たる裁判官として、民訴法二六二条または三三三条のみならず、刑訴法九九条二項((提出命令))または二七九条((公務所等に対する照会))に基づき本件身分帳簿の提示・閲覧等を求める一般的・抽象的権限をも有していたと解される。)

しかしながら、原決定が示した刑法一九三条の「其職権ヲ濫用シ」の解釈基準のうち、公務員がその一般的・抽象的職務権限に属する事項につき、これを不法に行使すること、すなわち、実質的には正当な権限外に属する行為を形式的・外形的にはその職務の執行等正当な権限行使に仮託して行なうことが必要である、との抽象的基準はともかく、前示の具体的基準、すなわち、少なくとも、「現に担当している特定の事件について必要なため」民訴法二六二条等所定の手続により、「本件身分帳簿の提示・閲覧等を求める旨が相手方に表示されていなければならない、」との基準は、刑法一九三条の目的とする保護法益の保護、すなわち、いずれが主でいずれが従かは別として、それが公務の適正を図るという国家的法益の保護と原決定指摘の「公務員の公正なる職務の執行を期待する一般人の行動の自由という個人的法益の保護という二つの目的を同時に達成すべきものとする見地から考えて、いささか同条の職権濫用罪の成立を不当に狭く解するものといわざるを得ない。右保護法益に鑑みるとき、実質的には正当な権限外に属する行為を形式的・外形的にはその職務の執行に仮託して行なうとは、行為の相手方において、その行為が一般的・抽象的職務権限に基づく正当な権限内の行為であると信ずる程度に、右権限に基づく職務の執行であるという外形を装うことである、と解されよう。

これを本件について見るに、原決定挙示の証拠資料並びに当審における事実取調の結果、とりわけ、証人程田福松の供述を総合勘案すれば、原決定が「第二 当裁判所の判断」中「一 認定事実」として摘示する事実を概ね認めることができる(もっとも、被疑者が昭和四九年七月二〇日ころ程田所長に架電したとする点は右程田証言に照らして疑問があり、同旨の電話が同月二二日もしくは翌二三日程田所長及び南部課長の両名になされたと見る余地がある。また、南部課長が本件身分帳簿の一部たる診断書等を筆写させ、同月三一日これを被疑者に郵送した際、程田所長の指示を仰いだとの点も、同様程田証言に徴して多少疑問が存するものの、いずれにせよ、南部課長が程田所長の意を体して右筆写、郵送をしたことは疑いない。)ほか、被疑者は、同月二四日、網走刑務所所長室において、程田所長に自己の名刺を手渡して自己紹介したのち、本件身分帳簿を閲覧するまでの間、同所長に対し、「私は労働、公安事件の裁判を担当し、調査・研究しているので、その参考にするために宮本顕治さんのことについて調べに参りました。これから、仙台にも寄って行きたいんです。」という趣旨のことを述べて来意を告げたことが窺われる。

そして、右事実に鑑みれば、程田所長らとの電話の応接において被疑者が「職務上」または「職務上参考にするため」との言辞を使用したか否かはしばらくおくとしても、被疑者の同月二四日の所長室における言動は、それまでの電話による応接と相まち、程田所長らをして被疑者の本件身分帳簿提示・閲覧の要求が前示一般的・抽象的職務権限に基づく裁判官としての正当な権限内の行為であると誤信ぜしむるに十分であり、まさに右権限に基づくものであるとの外形を装ったことは明らかである。

しかも、被疑者は、矯正局長通達(昭和四〇年四月一五日矯正甲第三五六号)等の趣旨からいって、矯正施設の長たる刑務所長が、単なる裁判官に対する親切心や広義の司法に携わっていることのよしみからだけでは、受刑者個人の秘密、人権にかかわる身分帳簿をたやすく提示・閲覧させないことを熟知していたからこそ、前示の外形を装ったと推測できること、被疑者が所長室における程田所長らとのやりとりを、途中から、かつ、秘かに録音したのは、自己に有利な証拠だけをことさらのこそうとしたものとも疑えること等に照らせば、被疑者が職権を濫用して程田所長らをして義務なきことを行なわしめることの犯意を有していたことも明白である。被疑者の前示行為は、まさに刑法一九三条の構成要件を充足するものといわなければならない。

とすれば、原決定には、所論のとおり、刑法一九三条の解釈の誤りないし事実誤認が存し、これが本件付審判請求の当否の判断に影響を及ぼすことは明らかであるから、その余の抗告理由について判断するまでもなく、原決定は取消を免れない。

よって、本件抗告は理由があるから、刑訴法四二六条二項により、原決定を取り消し、さらに次のとおり決定する。

本件付審判請求の趣旨及び被疑事実は、原決定の「第一 請求の趣旨及び被疑事実」記載のとおりであるから、これを引用するが、被疑者の前示行為は、すでに判断したように、刑法一九三条の構成要件を充足するから、本件被疑事実につき犯罪の「嫌疑なし」として被疑者を不起訴処分にした検察官の措置は不当である(因みに、本件はその社会に及ぼした重大な影響からいって、とうてい被疑者を起訴猶予にすべき事案とは認められない。)。

したがって、本件付審判請求は理由があるから、刑訴法二六六条二号により、事件を東京地方裁判所の審判に付することとする。

(草野 鬼塚 油田)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!