東京高等裁判所 昭和52年(ネ)1101号 判決 1979年9月27日
控訴人
新建興行株式会社
右代表者
篠崎純子
右訴訟代理人
奥野健一
外二名
被控訴人
東京都中野区
右代表者区長
青山良道
右指定代理人
山下一雄
外三名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金一、九六六万七、九二〇円及びこれに対する昭和四七年一二月一八日から支払いずみに至るまで年五分の割合いによる金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、主文と同旨の判決を求めた。
<中略>
(控訴人の陳述)
ある事項に関する法解釈について疑義があり、学説、判例も区々に分かれている場合に、公務員がそのうちの一説に立脚して公務を執行したことが結果的には違法であつたとしても、そのことから直ちに右公務員に過失があつたものとはいえないというのが通説、判例であるとされているが、最高裁判所昭和四六年六月二四日第一小法廷判決(民集二五巻四号五七四頁)の趣旨からみて、単に法解釈について見解が分かれているだけでは足らず、実務の取扱いも分かれていて、しかも、いずれの見解にも相当の根拠が認められる場合でなければならないものと解すべきである。ところで、本件のごときいわゆる二重使用の敷地に係る建築確認申請の取扱いについては、学説、判例、通達がなく、実務の取扱いも不明確であつたとはいえ、見解が区々に分かれていたというわけではなく、また、本件不適合の決定をした三好主事の見解は、単なる立法論にすぎずして何らの根拠をも有しないものであるから、同主事には、過失があつたといわざるを得ない。
(被控訴人の陳述)
いわゆる二重使用の敷地に係る建築確認の申請であつても、建築主事においてその計画を法令の規定に適合するものとして確認しなければならないものとすれば、衛生・安全上好ましい建築環境を確保しようとして建築基準法が定めた建ぺい率、容積率等の規制はたやすく潜脱されて、遂には、都市は無秩序と混乱に陥いることとなるので、かかる確認申請は、不適法なものというべきである。ところで、現行法上、建築物の敷地についての公示制度はないものの、建築確認申請書には当該建築物とその敷地や周囲との関係を明らかにする附近見取図や配置図が添附されている(なお、昭和四五年法律第一〇九号により建築基準法九三条の二の規定が創設されたことに伴い、附近見取図や配置図の記載のある「建築計画概要書」なる書面も添附され、該書面は一般の閲覧に供されることとなつた。)ので、申請に係る土地が既存の建築物の敷地として使用されているかどうかということは、建築確認事務を担当している公務所に照会すれば、容易に判明することである。したがつて、敷地の二重使用を禁止したとしても、善意でいわゆる二重使用の敷地を譲り受けた者が不測の損害を蒙る事態は避けられるばかりでなく、使用制限に伴なう権利関係の調整は、瑕疵担保責任等私法上の規定によつて解決されるので、これによつて取引の安全が害されることはない。
(証拠関係)<略>
理由
一本件の事実関係についての当裁判所の判断は、原判決説示理由一と同一であり、当審における証人三好泰照の証言及び控訴会社代表者篠崎忠司本人尋問の結果も、右判断を左右するものではないので、ここにこれを引用する。
二控訴人は、被控訴人区の建築主事である三好泰照が、控訴人の建築確認申請に対し、当該建築物の敷地はさきに東京都建築主事によつて確認された建築物の敷地の一部であつて同敷地には現に建築物が存在しているので二重使用となり、昭和四五年法律第一四一号による改正前の建築基準法(以下単に「建築基準法」又は「法」という。)二八条、四〇条及び五九条の二に違反するという理由で、申請に係る計画が同法の規定に適合しない旨の決定をしたことが、国家賠償法一条所定の違法な公権力の行使に該当する、と主張する。
思うに、建築基準法は、「国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資すること」を目的として(一条参照)、建築物の構造耐力の安全確保に関する基準、防火、避難に関する基準、建ぺい率、容積率、高さ等の形態に関する基準等を定め(二章以下参照)、その基準を遵守せしめて右の目的を達するため、一定の建築物の建築主に対し、工事着手前の段階で、当該建築物の建築に関する計画が建築物の敷地、構造及び建築設備に関する法律並びにこれに基づく命令及び条例の規定に適合するものであることについて建築主事の確認を受けさせ、確認を受けない右建築物の建築や大規模の修繕、模様替えの工事はすることができないものとし(六条参照)、また、工事が完了した段階で、届出に係る建築物及びその敷地が右の法令の規定に適合しているかどうかの検査を受けることを義務づける(七条参照)とともに、右の法令の規定に違反する建築物又はその敷地については、工事施行の停止、当該建築物の除却、移転等を含む是正措置を命ずることとしている(九条参照)。
このように、建築確認の制度は、建築基準法の前記目的を達成するために設けられた違反建築防止の手段であるから、建築主事は、確認に当り、申請書の記載を鵜呑みにすることなく、確認の結果がその事態と一致するように努めなければならないこと、論をまたないところである。しかし、もともと、建築主事の審査は、専ら建築行政の立場から、申請に係る計画が前記法令の規定に適合するかどうかという観点に立つて行なわれるものであり、しかも、確認それ自体は、単なる判断の表示であつて、法律効果を形成する行為でないのはもとより、あらゆる法分野における計画実行の免罪符を附与するものでもない。したがつて、建築主事は、当該建築物の敷地について、その境界線の正否や使用権原の有無等私法上の法律関係を審査する権限のないのはもとより、現場に臨んで敷地の実状が申請書の記載と符合するかどうかを調査すべき職務上の義務もなく、申請書に基づきその計画が前記法令の規定に適合するかどうかを形式的に審査すれば足りるものというべきである。
しかし、だからといつて、法は、建築主事の審査権限を申請書の形式的審査のみに局限し、虚偽の申請を容認することがあつてもやむを得ないとするものでないことは、建築確認制度を設けた趣旨からみても、また、申請書に一定の事項を明示した附近見取図、配置図、日影図等を添付すべきものとしていること(同法施行規則一条参照)に徴しても明らかである。したがつて、申請に係る計画が敷地等の実状を無視したものであることが客観的に明白であり、しかも、かかる計画を容認することが法の前記目的に著しく違背すると認められる場合において、建築主事が関連事件の確認書類や敷地の実状等を調査したことによつて右の事実を把握し、不適合の決定をしたとしても、該決定の行政処分としての効力はともかく、少なくとも、これをもつて国家賠償法一条所定の帰責原因としての違法な公権力の行使に当ると断ずることは、許されないものと解するのが相当である。
いま、本件についてこれをみるのに、前記認定事実によつて明らかなごとく、控訴人申請に係る計画は、原判決末尾添付物件目録記載(一)の土地(425.44平方メートル、以下「本件土地」という。)の上に木造二階建共同住宅一棟(建築面積170.90平方メートル、延面積316.64平方メートル)を建築せんとするものであるが、本件土地は、さきに訴外沢田建設株式会社が建築確認を受けて建築した鉄骨造九階建共同住宅一棟(建築面積324.234平方メートル、延面積2,592.596平方メートル)の敷地となつている同目録記載(三)の(1)ないし(4)の土地(合計1,067.704平方メートル)のうちの一部である右(三)の(1)の土地(646.27平方メートル)を分筆してできたものであるから、いわゆる二重使用の敷地であり、しかも、本件地域における建ぺい率が六〇パーセント、容積率が二七〇パーセントであるから、右既存建築物に必要な最少限度の敷地の面積は、建ぺい率で540.40平方メートル、容積率で960.23平方メートルであり、したがつて、その敷地のうち右建築物以外の建築物の敷地として使用できる面積は、107.474平方メートルであつて、この面積の敷地に建築できる最大限度の建築物の面積は、建築面積で64.48平方メートル、延面積で290.18平方メートルにすぎず、控訴人申請に係る建築物が建築面積、延面積とも遙かに前記法令所定の制限を超えるものであることは、客観的に明白であり、しかも、かかる建築物の建築に関する計画を容認することは、法の前記目的に著しく違背するものというべきである(もつとも、前記訴外会社は、控訴人が本件土地に建築物を建築することによつて、維持保全義務(八条参照)に違反する者として措置命令(九条参照)を受けることがあるとしても、そのことと控訴人申請に係る計画が右のごとく前記法令の規定に適合していないこととは、自ら別個の問題である)。そして、被控訴人区の建築主事である三好泰照は、かねてより、不動産業者から「本件土地を買い入れても家を建てることができるかどうか。」という問合わせを受け、既存建築物の敷地の一部である本件土地が売りに出されている事実を仄知していたので、控訴人に対しても、その確認申請については期限内に何分の応答をすることができない旨を通知するとともに、申請の取下げないしは修正をするようにすすめたが、控訴人がそれを拒否して明確な回答を要求する挙に出たので、あらためて、東京都から関係書類を取り寄せ、現場にも赴いて、本件土地が東京都建築主事により昭和四五年四月七日確認番号第二三号をもつて確認された建築物の敷地の一部であり、その敷地には現に建築物が存在している事実を確かめ、本件不適合の決定をするに至つたのである。
それ故、本件不適合の決定をもつて国家賠償法一条所定の違法な公権力の行使に当ると断ずることは、許されないものといわなければならない。
三なお、仮りに本件不適合の決定が違法な公権力の行使に当るとしても、三好主事に故意はもとより過失がなかつたものというべきである。けだし、或る事項に関する法解釈について相異る見解が対立し、実務の取扱いも分かれていて、そのいずれにも相当の根拠が存する場合において、公務員がそのうちの一方の見解をとり、その見解に立脚して公務を執行したが、後になつてその執行が裁判により違法であると判断されたとしても、これをもつて直ちに右公務員に故意又は過失があつたものと認めるのが相当でないことは、すでに判例の示すところである(最高裁判所昭和四四年二月一八日第三小法廷判決、裁集民九四号三三三頁、同庁昭和四六年六月二四日第一小法廷判決、民集二五巻四号五七四頁参照)。そして、前記認定事実によれば、本件のごときいわゆる二重使用の敷地に係る建築確認の申請を受けた場合の取扱いについては、これまで行政指導等によつて処理されてきたためか、判例、学説、通達等のみるべきものがなく、三好主事の照会した上級庁たる東京都首都整備局建築指導部においても、確認の是非をめぐつて部内で賛否両論に分かれ、遂に統一した回答ないし指導をすることができなかつたこと、また、同主事のとつた見解にも相当の根拠があることは、前段説示の理由によつて自ら明らかである―この点につき、控訴人は、前記判例の趣旨を厳格に解釈して、公務員に故意はもとより過失がなかつたというためには、判例の文言どおりの要件がある場合に限られる旨主張する。しかし、公務員がその職務上当然弁えているべき法規を知らないで又は一般に妥当している見解と異なつた見解に立つて公務を執行したような場合は格別、本件のごとく、判例、学説のみるべきものがなく、また、取扱いの先例も見当らない事実関係の下で、公務員が職務執行の責任を果たすため、自ら一定の見解を打ち出して職務を執行し、その見解に相当の根拠が認められるような場合においても、その公務員に故意はもとより過失はなかつたものと解するのが相当であり、前記判例も、かかる解釈を否定するものではないと思料される―からである。
四されば、控訴人の本訴請求は、理由がないものとして棄却すべきである。
原判決は、本件不適合決定が国家賠償法一条所定の違法な公権力の行使に当るとした点において失当たるを免かれないが、本訴請求を排斥した結論そのものにおいては正当であるので、本件控訴は、所詮、理由なきに帰する。
よつて、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(渡部吉隆 浅香恒久 中田昭孝)