東京高等裁判所 昭和52年(ネ)1619号 判決
一 ≪証拠≫を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 中村喜代子の母訴外中村ヨシとその夫訴外中村一郎は、新潟県北蒲原郡笹神村大字大室四五二八番地の乙において旅館「富竹旅館」を経営し、喜代子はその手伝いをしていたが、同旅館の経営は不振に陥り、右一郎は借財を重ねていた。
(二) 貝沼定男は、昭和三七年三月小学校の教諭を辞めてから職には就かず、時には各地の温泉場に湯治に出掛けていたが、昭和四三年一二月ころ通称村杉温泉の右富竹旅館に湯治に行って右中村らと知り合いになり、ふとした機縁から金員の融通方を懇請されて、右一郎及びヨシに対し、喜代子を保証人として同月一四日から昭和四四年二月一四日までの間に四回にわたり合計六九万円を貸し付けた。しかし、右中村一郎ら三名は約定の弁済期を経過しても右借受金を弁済せず、貝沼定男は、右ヨシを相手方として新発田簡易裁判所に調停の申立てをし、昭和四七年一〇月には同人を債務者として右調停に基づき有体動産の差押申請手続をとったが、右中村一郎ら三名から懇請されて右申請を取り下げるに至り、定男は、その後右ヨシからわずかずつ数回にわたって弁済を受けたものの、昭和四八年三月にはなお約四〇万円の貸金債権を有していた。
(三) 新潟県中蒲原郡亀田町農業協同組合は、右富竹旅館の経営者中村一郎に融資する意図をもって、昭和四三年、訴外丸山国吉を借主、右一郎を保証人として一〇〇万円を貸し付け、右一郎所有の富竹旅館の不動産について抵当権の設定を受けたが、ほとんど弁済を受けることができないまま時日が経過し、早急にその回収を図る必要が生じたので、右農協の担当者訴外本図邦雄は、昭和四七年七月ころ旧知の間柄にあった被控訴人に対し、「中村一郎という人が持っている富竹旅館が金に困り、競売になりそうなので、一時助けてやってくれないか。そうすれば気楽に温泉にも行けるだろう。」と話しを持ち掛けたところ、被控訴人が乗り気になったので、そのころ同人を中村喜代子に紹介した。被控訴人は、喜代子から苦境を打ち明けられてこれに同情し、同年八月ころ同人の説明をそのまま信用して、右一郎に対し四三〇万円を貸し付け、同人所有の前記不動産について抵当権の設定を受けた。
また、被控訴人は、約三町五反歩の田畑を耕作していたが、右亀田町大字船戸山六箇山地区が市街化区域に指定されたことにより右耕作地のうち田二町歩がやがて宅地化される状況に置かれたことをおもんぱかり、折を見てその代替地を取得しようと心掛けていた。
(四) 中村喜代子は、被控訴人が喜代子の言動をたやすく信用し、かつ、農地を取得したいと念じていたことに乗じて、土地の売買代金という名目の下に被控訴人から金員を騙取しようと考え、昭和四七年一二月ころ市販の「荒木」と刻した印章を買い求め、昭和四八年三月ころ被控訴人に対し、「荒木定雄」という人物が実在せず、したがって右「定雄」所有の土地も存在しないのに、「笹神村大日に住んでいる荒木定雄という人が村杉でドライブインを作り、北海道にいる娘夫婦を呼び寄せて経営させたいと言っている。この荒木さんは、次郎丸に三町歩、村杉に三町歩の田を持っているが、これを売ってその金を資金にしたいと言っているので、その田を買ってはどうか。」と申し入れたところ、被控訴人から「頼む。」と言われたので、同月中旬ころ被控訴人を笹神村次郎丸に案内し、だれの所有地であるかも分からない土地を示して、「これが荒木定雄の土地だ。」と説明した。
被控訴人は、その翌日再び前日に案内された右次郎丸の土地を訪れて、付近の人に聞いたところ、喜代子から指示された土地は右「荒木定雄」の所有地でないことが判明した。被控訴人がそのことを詰問すると、喜代子は、「荒木さんから確実に聞いていなかったので、次郎丸の土地ははっきり分かっていなかったが、村杉の三町歩の田は私にはっきり分かっている。三町歩一八〇〇万円だというのだから、その方がいいと思うがどうか。」と弁解かたがた新たな話を持ち出した。そこで、被控訴人は、喜代子に対し、右「荒木定雄」から村杉の田三町歩を買い受ける旨回答するとともに、「荒木定雄に会わせてほしい。」と申し入れた。
(五) 中村喜代子は、右「荒木定雄」なる人物を仕立てる必要に迫られたので、同年三月二一日貝沼定男に対し電話で、「実は返済する金のこともあるし、亀田町の渡辺さんに是非会ってほしい。電話では詳しいことが言えないので、明日午前一〇時三〇分ころまでに月岡温泉の村上館まで来てほしい。」旨頼んだところ、定男は、何の理由で亀田町の渡辺に会えというのか、その理由を理解し得なかったが、喜代子に会えば、同人から貸金の一部でも回収することができるのではないかと期待し、喜代子の頼みを承諾した。
貝沼定男は、翌三月二二日午前一〇時三〇分すぎころ新潟県北蒲原郡豊浦町大字月岡の月岡温泉「村上館」に赴いたところ、喜代子から、「亀田町の渡辺直一さんが田を買いたいというが、売主が病気で来られないので、買主との書類のやり取りができず、困っていた。あなたのことを売主に話したら、学校の先生をした人であれば大丈夫だから是非頼んで代人をつとめてもらい、取引をしてくれと言われたので、あなたに来てもらった。この取引ができれば、あなたから借りた金も返すことができる。」等と頼まれたので、これを承諾し、更に、喜代子からその場で、「買主は間もなくこの旅館に来る被控訴人であり、売主は笹神村大日の荒木定雄である。土地は笹神村笹岡にある田三町歩である。売主が来られないので、あなたが荒木定雄であるかのように振る舞い、うまく話しを進めてくれ。荒木の印章も持って来たから頼む。」等と説明を受けた上、右取引の手順につきかんで含めるような説明を受けた。
(六) 被控訴人は、中村喜代子と打ち合わせておいたとおり、同日午前一一時ころ右月岡温泉の村上館にやって来たが、貝沼定男は、その場で喜代子から「この人が売主の荒木さんです。」と被控訴人に紹介されるや、すっかり売主の「荒木定雄」に成り済ました上、取引の内容については喜代子が主として被控訴人と折衝し、定男が相づちを打ちながら時折口をさしはさんで話しを進めた結果、同日、右「荒木定雄」を売主、被控訴人を買主として、「笹神村大字大室オヤ地三五六番ないし四六六番の田合計三町歩」という土地につき、売買代金を一八〇〇万円と定め、その支払方法については契約と同時に一〇〇〇万円、昭和四九年八月二〇日に八〇〇万円を支払うこととし、右代金完済と同時に登記済権利証書を被控訴人に交付する旨を約定した売買契約が締結され、定男は、その場で、喜代子があらかじめ準備していた契約証書の売主欄に「荒木定雄」と記載した。
そして、貝沼定男は、その場で売主として、被控訴人から右売買代金の一部として現金五五〇万円及び額面四五〇万円の小切手一通の交付を受け、その旨を記載した受領書を「荒木定雄」名義で作成してこれを被控訴人に交付した。定男は、その後間もなくかねての打合せのとおり、被控訴人から交付を受けた右現金五五〇万円及び小切手一通を右村上館で喜代子に交付した。
(七) 中村喜代子は、昭和四八年四月九日被控訴人に対し、「荒木定雄さんが山を買いたいと言っているから、三五〇万円を用意してほしい。」と申し入れ、同時に貝沼定男に対しても「荒木定雄」として振る舞ってもらいたいと頼み込んで、翌四月一〇日前記亀田町本町の寿司屋「東寿司」に右両名を呼び集めた上、定男と口裏を合わせながら被控訴人に対し、「荒木定雄さんに三五〇万円を貸してほしい。これを約定の弁済期(昭和四九年四月二〇日)に弁済できないときは、前記田三町歩の売買代金の一部に充当してもよい。」と申し入れ、定男は、「荒木定雄」を借主として、貸借名下に被控訴人から現金三五〇万円の交付を受け、その場でその旨を記載した借用証二通を「荒木定雄」名義で作成し、これを被控訴人に交付した。定男は、右東寿司から帰る途中、タクシーの中で右三五〇万円を喜代子に交付した。
(八) 貝沼定男は、昭和四八年七月二日中村喜代子から「富竹旅館に来てくれないか。」と頼まれ、同人から「荒木定雄に会わせてやる。」と言われたので、翌七月三日前記富竹旅館に赴いたところ、喜代子から「委任状と領収証を書いてくれ。」と頼まれ、同人から指示されるまま、「左記の件について荒木定雄の田三町歩売却した内金一五〇万円也の支払入金については中村喜代子殿に委任します。」と記載した被控訴人あての委任状を「荒木定雄」名義で作成したほか、金額欄及び作成日付欄空白の被控訴人あての領収証を「荒木定雄」名義で作成してこれらを喜代子に交付した。
喜代子は、同日、被控訴人を右富竹旅館に呼び、同人に対し、「荒木さんが金がほしいと言っている。荒木さんは仕事で来られない。」等と申し向けて、右「荒木定雄」作成名義の委任状及び領収証を提示し、その場で被控訴人から売買代金の一部として現金一五〇万円の交付を受けた。
同日、貝沼定男と被控訴人は右富竹旅館に同時刻に滞在していたが、喜代子は定男を被控訴人に会わせないようにした。
(九) 中村喜代子は、昭和四九年一月中旬ころ被控訴人に対し、「登記済権利証書を交付するから売買残代金を支払ってほしい。」と申し入れ、同月一七日前記富竹旅館において被控訴人から残代金として現金二七〇万円の交付を受け、自ら「荒木定男」名義で作成した領収証を被控訴人に交付したが、右権利証書を交付しなかった。
以上のようにして被控訴人は、「荒木定雄」を売主とする前記田三町歩の売買契約に基づく売買代金として(前記(七)の三五〇万円も、代金の一部として清算された。)、右「荒木定雄」と名乗った貝沼定男及び中村喜代子に対し現金合計一三二〇万円を交付したのであるが、被控訴人は、喜代子及び定男の前記のような言動を信用し、定男が右田三町歩の所有者である「荒木定雄」であって、同人との間に売買契約を締結すれば、売買の目的物件とされた右田三町歩の所有権を取得し得るものと誤信した結果、右売買契約を締結し、その履行として右売買代金を支払った。
ところが、被控訴人は、右売買代金を完済したのに右田三町歩の登記済権利証書の交付を受けることができなかったので、昭和四九年三月ころ喜代子を詰問したところ、同人から「被控訴人を騙したものである。」との告白を受け、初めて自分が騙されて金員を支払ったことを知った。<中略>
二 そこで、貝沼定男の不法行為責任の存否について検討する。
(一) 前記一の(五)ないし(八)において認定したように、貝沼定男は、中村喜代子から「返済する金のことがあるから来てほしい。」と依頼されて、昭和四八年三月二二日、月岡温泉の村上館に赴き、同人から「この取引ができれば、あなたから借りた金も返せる。」と言われたので、同人の頼みを引き受けることとし、同人から定男が病気中の売主の代役をつとめるものであること並びに土地売買契約の内容、右売買契約締結のための折衝の手順等につき詳細な説明を受けて、その指示どおりに売主の「荒木定雄」に成り済まして振る舞い、右「定雄」の所有地と指称する架空の田三町歩につき被控訴人との間で売買契約を締結し、「荒木定雄」名義をもって契約証書及び受領書を作成して、被控訴人から現金五五〇万円及び額面四五〇万円の小切手一通の交付を受けたほか、その後も右「定雄」に成り済まし、同年四月一〇日亀田町の東寿司において「荒木定雄」名義の借用証二通を作成して、被控訴人から現金三五〇万円の交付を受け、更に、同年七月三日村杉温泉の富竹旅館において「荒木定雄」名義の委任状及び領収証を作成したのであって、しかも、定男は、被控訴人の面前において喜代子と口裏を合わせながら土地売買又は金員貸借の折衝をしたのであるから、その言動から見れば、定男は、喜代子と共謀の上、被控訴人を欺罔して同人から金員を騙取したと推認し得る余地がないとはいえない。
(二) しかし、貝沼定男が前記認定の言動をなすに当たって同人の認識していたところを仔細に検討するに、≪証拠≫によると、定男は、前記中村ヨシらに貸し付けた約四〇万円を回収するのに難渋し、苦慮していたところ、中村喜代子から右借金を弁済することができるようになる方法があるから手助けを頼むと懇請されたので、右貸金の回収を図りたい一心からこれを承諾し、同人から指示されるまま、前後の事情も知らずに同人の指称する「荒木定雄」に成り済まして振る舞ったにすぎないこと、すなわち貝沼定男は、喜代子の説明をそのまま信用し、右「荒木定雄」が実在の人物であって、右説明に係る田三町歩を所有し、これを売却してドライブインを経営したいというのに、病気のため出歩くことができず、そのため右売却の取引もできないでいるということを気の毒に思い、右「定雄」がかって教師をしていた自分を信頼して右取引の折衝を任せたいというのであれば、これを引き受けて右「定雄」のために役立ちたいと考え、喜代子の指示するとおりに振る舞ったものであること、貝沼定男は、前後の言動を通じ、喜代子が被控訴人を欺罔して同人から金員を騙取しようとしていたことを知り、又はこれを推察して右言動に出たものではなく、ただ定男は、被控訴人の面前で自分が右「荒木定雄」の代理人としてではなく、右「定雄」本人として振る舞うことを要求されている点を気掛かりに思い、喜代子に対し何度となく右「定雄」に会わせてくれるよう申し入れ、右「定雄」に面接して不安を解消しようとしたが、喜代子の計略に阻まれてその目的を達しなかったこと、したがって、結局貝沼定男は、喜代子に踊らされて同人の仕組んだ違法な行為に関与したのであるが、定男には喜代子のした違法な行為に加担することの認識はなく、被控訴人を欺罔して同人から金員を騙取しようとする意思はなかったこと、以上の事実を認めることができる。<中略>
(三) してみれば、貝沼定男は、その言動を外形的に観察すれば、中村喜代子のした違法な行為に協力したと見ることができるのであるが、定男には、被控訴人を欺罔して同人から金員を騙取しようとする意思がなく、また、喜代子の行為が欺罔によって被控訴人から金員を騙取しようとするものであること及び自己の言動が喜代子の違法な行為の実行を容易ならしめるものであることの認識がなかったのであるから、貝沼定男につき被控訴人の主張する喜代子との共謀による不法行為は成立しないものというべきである。
(四) しかしながら、貝沼定男は、自分が見ず知らずの人物である「荒木定雄」に成り済まして振る舞い、右「荒木定雄」の所有地と指称する田三町歩につき被控訴人との間で売買契約を締結し、同人から売買代金名下に金員の交付を受けようとしたのであるから、定男としては、右売買契約を締結するに当たり、右「荒木定雄」なる人物及び同人の所有地が実在することを確認し、かつ、右「荒木定雄」がその所有地を定男を介して他に売却する意思を有すること、すなわち定男に「荒木定雄」の代理人として右土地を有効に処分し得る権限が与えられていることを確認して、買主である被控訴人に不測の損害を与えないよう注意すべき義務があったというべきである。換言すれば、定男としては、自分が「荒木定雄」と名乗って右売買契約を締結すれば、その履行不能により、被控訴人において右売買の目的物件につき所有権を取得することができず、したがって、同人から売買代金の名目で交付を受けるべき金員につき同人に損害を与える結果となることを予見し、同人をして右損害の回避を可能ならしめるべきであったところ、定男は、自らも中村喜代子から騙され、右「荒木定雄」の所在及びその真意を確認すべき機会を奪われたものとはいえ、喜代子から「売主は笹神村大日の荒木定雄であり、土地は笹神村笹岡にある田三町歩である。」と説明を受け、その手掛りを得ていたのであるから、一挙手一投足の労を費やせば容易に右結果の発生を予見し、かつ、それを未然に防止することができたものであるのにかかわらず、右注意義務を尽くさず、喜代子から受けた説明を鵜呑みにして前記認定の言動をするに至ったものであると見るのが相当であるから、定男には後記損害の発生につき過失があったものというべきである。
そして、前記認定の事実によれば、貝沼定男のした過失による不法行為の態様は、いわば中村喜代子のした故意による不法行為の重要な部分を構成するものともいうべく、両者は密接不可分の関係にあり、定男の外形的協力行為がなかったならば、喜代子の不法行為も容易に成立し得なかったものと推認し得るほどのものであるから、右両者の不法行為の間には客観的に関連共同性があると見るのが相当であり、したがって、定男は、喜代子との共同不法行為により被控訴人に加えた損害につき喜代子と連帯して賠償の責めに任ずべきであったというべきである。
三 次に、控訴人に賠償を命ずべき損害について検討する。
(一) 前記一の(六)ないし(九)において認定したように、貝沼定男は、被控訴人から売買代金の名目で、昭和四八年三月二二日に現金五五〇万円(同日授受された額面四五〇万円の小切手一通については訴求されていないし、その損害額も不明である。)、同年四月一〇日に現金三五〇万円(これは当初消費貸借の名目であったが、後日売買代金に組み入れられた。)の交付を受け、中村喜代子が被控訴人から同じ名目で、同年七月三日に現金一五〇万円、昭和四九年一月一七日に現金二七〇万円の交付を受けたのであるが、右各金員はいずれも定男の僣称した「荒木定雄」と被控訴人との間に締結された売買契約の履行として授受されたものであるから、被控訴人が支払った右合計一三二〇万円は、定男及び喜代子の共同不法行為との間に相当因果関係の存在を認め得る損害である。
(二) ところで、前記一の(四)において認定したように、被控訴人は、昭和四八年三月中旬ころ中村喜代子から「荒木定雄所有の次郎丸の田三町歩を買ってはどうか。」と言われて、次郎丸の土地を現地で指示されたが、その翌日再び右土地を見分して、その土地が「荒木定雄」の所有地でなかったことを知ったものであるのにかかわらず、なおかつ、≪証拠≫によると、被控訴人は、その後中村喜代子が改めて村杉温泉の村はずれの土地を案内したので、同人の説明を信用し、貝沼定男の扮する「荒木定雄」との間で田三町歩の売買契約を締結し、その売買代金を四回にわたって完済したが、その間喜代子の言動には疑わしく思われる点が数々あったものの、同人には限りない恩情を与えてきたものと思い込み、それゆえに同人がその恩情を裏切って被控訴人を騙すような行為はしないものと軽信して、喜代子の疑わしい言動を一々とがめることをせず、また、「荒木定雄」と名乗る定男の身元を確認することも、何らかの権利保全の措置を講ずることもなく、たやすく売買代金名下に前記金員を支払って損害を被るに至った事実を認めることができる。
したがって、以上認定の事実によれば、被控訴人は、右売買契約を締結し、その履行をするに当たっては、売主の真否、目的物件の存否等を事前に確認し、不測の損害を受けないように注意すべき義務があったというべきところ、被控訴人は、中村喜代子の言動に過度の信頼を置く余り、目的物件の登記簿を調査する等の初歩的注意義務をも尽くさなかったのであるから、被控訴人には不法行為の成立及び損害の拡大につき過失があったものと見るのが相当である。
そして、被控訴人の右過失は、貝沼定男の過失責任による損害賠償の額を定めるにつきこれを考慮すべきであり、前記認定の諸事情から見て、被控訴人の過失の程度はこれを四割と認めるのが相当である。したがって、定男の負担すべき損害賠償額は、前記損害一三二〇万円の六割に当たる七九二万円とすべきである。
(貞家 長久保 加藤)