東京高等裁判所 昭和52年(ネ)1994号 判決 1979年11月07日
控訴人
株式会社富士
右代表者
石橋常吉
右訴訟代理人
圓山潔
阿部博道
被控訴人
株式会社大沢琺瑯製作所
右代表者
大沢一郎
右訴訟代理人
井上恵文
外六名
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 当審における予備的請求に基づき、被控訴人は控訴人に対し、金一二八万〇、六二五円及びこれに対する昭和五〇年七月一日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを一五分し、その一を被控訴人の負担、その余を控訴人の負担とする。
四 この判決は第二項にかぎり仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の申立
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は控訴人に対し金二、〇〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年七月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
3 (当審における予備的請求)被控訴人は控訴人に対し金一二八万〇、六二五円及びこれに対する昭和五〇年七月一日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
5 仮執行宣言
二 被控訴人
本件控訴を棄却する。
当審における予備的請求を棄却する。
第二 控訴人の請求原因
一 請求原因
1 控訴人は昭和五〇年一月二五、六日ころ被控訴人との間で、本件土地(原判決添付物件目録一記載の土地。但し、「八広二〇五一の一及び五二の一」とあるのを「八広二丁目五一番の一及び五二番の一」と改める。)について、代金を一億八、〇〇〇万円とし、手付金二、〇〇〇万円を同月二九日公正証書による契約書作成時に支払い、残金一億六、〇〇〇万円を同年二月二八日土地引渡及び所有権移転登記手続と引換に支払うこと、地上建物の取壊費用は控訴人の負担とすること、当事者の一方が違約した場合、違約者は相手方に手付金相当額の二、〇〇〇万円を支払うこと、との約定で、控訴人が被控訴人から買受ける旨の売買契約を締結した。
2 ところが被控訴人は、本件土地を東京都墨田区に売却して所有権移転登記手続を経由したため、控訴人との間の右売買契約上の債務は履行不能に帰した。
3 よつて、控訴人は被控訴人に対し、右約定に基づき、違約金二、〇〇〇万円とこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和五〇年七月一日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
4 仮に、右売買契約において違約金支払の約定の存在が認められないとしても、控訴人は、前記売買代金債務の履行のため、光信用金庫及び第一勧業信用組合から融資を受け、その利息として合計一二五万八、六二五円、経費として二万二、〇〇〇円を支払つたところ、右売買契約が前記のような被控訴人の責に帰すべき事由により履行不能となり、これにより控訴人は右出捐額相当の損害を被つたことになるから、被控訴人に対し控訴人の被つた右損害一二八万〇、六二五円とこれに対する本件訴状送達の翌日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 当審における新たな予備的請求原因
1 控訴人は、昭和四九年一一月ころから被控訴人との間で、本件土地を買受ける交渉をし、昭和五〇年一月二五、六日ころ、代金一億八、〇〇〇万円、内金二、〇〇〇万円を手付として契約成立時に、残金は土地引渡、所有権移転登記と引換に支払うこと、地上建物の取壊費用は控訴人の負担とすること、との約定で売買することに交渉がまとまり、被控訴人は契約締結(契約書作成)日を同月二九日と指定した。
2 そこで控訴人は、被控訴人が本件土地を間違いなく控訴人に売り渡すものと信じ、その買受資金を光信用金庫及び第一勧業信用組合から借り受け、かつ、契約予定当日、向島公証役場の公証人に対し売買契約公正証書の作成を嘱託した。
3 ところが、被控訴人は、控訴人が他から買受資金の融通を受けるなど、売買契約締結のための準備をしていることを知りながら、契約予定当日にいたるも契約の締結をしないばかりか、控訴人には全く秘して、本件土地を東京都墨田区に売却して所有権移転登記手続を経由し、これにより控訴人が本件土地を買い受けることを不可能にした。
4 その結果、控訴人は売買代金に充てるために融資を得たことが無為に帰し、その金利と手続経費合計一二八万〇、六二五円の損害を被つた。
5 右のように被控訴人が控訴人に対し本件土地について、売買契約を締結する意思あることを明確に表明し、その契約締結日まで指定しながら、右契約を締結しなかつたことは、信義則に反して控訴人の右契約締結の利益を侵害したものであつて、控訴人の被つた損害は、被控訴人の故意又は少くとも過失に基づく被控訴人の違法行為によるものというべきであるから、被控訴人は右損害を賠償すべき不法行為責任がある。
よつて控訴人は被控訴人に対し、損害金一二八万〇、六二五円とこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和五〇年七月一日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三 被控訴人の答弁
一 請求原因に対する認否
1 請求原因1は否認する。
2 同2中、被控訴人が本件土地を東京都墨田区に売却したことは認めるが、その余については争う。
3 同3の主張は争う。
4 同4中の、控訴人が金員を借り受けたことは知らない。その余については争う。
二 当審における新たな予備的請求原因に対する認否
1 請求原因1は否認する。
2 同2の事実については知らない。
3 同3中、被控訴人が本件土地を東京都墨田区に売却したことは認め、その余は否認する。
4 同4の事実については知らない。
5 同5の主張を争う。
第三 証拠関係<省略>
理由
一控訴人は、先ず被控訴人との間で本件土地について売買契約が成立したと主張して、被控訴人に対し右契約解消に伴う違約金の支払いを求めるから考えるに、<証拠>を合せると、以下の事実が認められる。
1 控訴人は主として宅地の分譲、家屋の建売を業とする株式会社であるが、控訴人の代表者石橋常吉は、昭和四九年九月ころ不動産仲介業者岡部福太郎から、被控訴人所有の本件土地を含むおよそ七〇〇坪(二三一四平方メートル余)の土地の一括買取を勧められ、同人の紹介により被控訴人の代表者大沢一郎及び専務、経理担当者らと会見したものの、話合いは進行せず中断した。しかし同年一一月に至り、再び岡部を介して控訴人代表者石橋は被控訴人の代表者や専務ら被控訴人側との交渉を進め、約一〇回の面談折衝の結果、同月一一日ころ被控訴人所有土地約七〇〇坪中の一部である本件土地を、代金一億八、〇〇〇万円で控訴人が買い取ること、代金中二、〇〇〇万円は手付として契約書作成時に、残余は昭和五〇年二月二八日に各支払うこと、地上建物は被控訴人が撤去すること、岡部に対する仲介手数料は、売買代金の二分相当額として控訴人が支払うこと、買取土地に附随する私道については被控訴人は無償で控訴人に所有権移転登記をすること、を内容とする売買契約を、昭和四九年一二月二八日に向島公証役場において公正証書による契約書を作成して締結する旨の諒解に達した。なお、本件土地上の建物の解体撤去費用は、控訴人において被控訴人の名で業者に見積りさせた結果、同年一二月一六日付で八四〇万円との見積書が提出されている。
2 そこで、控訴人は、買受資金を調達するため、同年一二月二七日光信用金庫(吾嬬町支店)から二、〇〇〇万円、同月二八日第一勧業信用組合(向島支店)から五、〇〇〇万円の融資を受けて契約の準備を調え、待機したが、契約予定日になつて、被控訴人から契約の延期方の申入があつたので、これに応じた。
3 年が明けた昭和五〇年一月一三日、被控訴人代表者大沢は控訴人の代表者に対し、地上建物の取壊費用を控訴人が負担してもらいたいと申し入れ、他に本件土地をより高価で買い取ってくれるものがあるが、右費用を控訴人が負担してくれるならば、本件土地を他人には売らない旨を付言したので、控訴人代表者は右申入について三回程控訴人と交渉を重ねた後、承諾の旨を回答した。そこで控訴人と被控訴人の間で、同月二九日に契約を締結する予定を立て、その際先に諒解に達した契約事項のほか、被控訴人の株式会社三井銀行及び日綿実業株式会社に対する債務のため本件土地上に設定されている抵当権については、被控訴人においてこれを消滅させ、右債務の残高証明を控訴人に差し入れることも新たに約定に加えることとした。そして控訴人代表者は、契約すべき事項を確認し合う意味で、印刷された土地(付)建物売買契約書用紙に代金額、手付に関する事項、残代金に関する事項、私道に関する事項その他前記の約定事項等を書き込み、買主名欄に控訴人の記名用ゴム印を押捺したうえ、被控訴人にその売主名欄への記入を求めたところ、被控訴人も同書面の売主名欄に記名用ゴム印を押捺して、契約予定日の四、五日前、すなわち昭和五〇年一月二五、六日ころ控訴人に返戻すると同時に、特約事項と題し、建物解体に関する事項、土地分筆に関する事項、私道に関する事項、債務残高に関する事項を記載した書面をも自ら作成して控訴人に交付した。
4 控訴人は契約予定日たる昭和五〇年一月二九日が到来したので、買受資金の不足分を補うため、同日更に第一勧業信用組合(向島支店)から一億二、〇〇〇万円の貸付を受け、また、手付金二、〇〇〇万円を携帯して前記公証役場に出向き、売買契約公正証書作成のため被控訴人側関係者の到来を待つたけれども、何者も姿を現さないので、仲介者岡部に質した結果被控訴人がすでに、本件土地を東京都墨田区に売却していることを知つた。なお、控訴人は向島公証役場において契約不完結の場合の手数料三、〇〇〇円を支払つている。
5 本件土地の相当部分が含まれている東京都墨田区八広二丁目五一番の一の土地については、昭和五〇年三月二〇日同日付買収を原因として、東京都墨田区に対する所有権移転登記手続が経由されている。以上のとおりである(右各事実のうち本件土地が東京都墨田区に売却されたことは、当事者間に争いがない。)。
二右認定したところによれば、控訴人と被控訴人との間で本件土地の売買に関して約定すべき事項につきほぼ合意が成立し、確定的契約の締結は、公正証書による契約書の作成をもつてすることとして、右契約日を定めたけれども、結局、契約書が作成されるには至らなかつたのであり、かかる事実関係の下にあつては、控訴人と被控訴人との間にいまだ控訴人主張の売買契約が成立したということはできない。そして、他に売買契約の成立を認めるに足りる証拠もない。
そうだとすると、売買契約の成立を前提とする約定違約金の支払い又は債務不履行に基づく損害の賠償を求める控訴人の請求は、その余について判断するまでもなく失当として棄却すべきである。
三そこで、控訴人の当審における予備的請求について判断する。
被控訴人がその所有地を控訴人に売却するについて、控訴人との間で交渉を進め、売買代金を始め、約定すべき事項について、相互の諒解に達し、一旦、契約を締結すべき予定日まで取り決めたけれども、被控訴人は右期日における契約締結の延期を申し入れると共に、建物取壊費用の負担について、控訴人に不利益に変更する申入をして、控訴人からその承諾を得た後、再度契約締結日を相互で取り決め、かつ被控訴人は控訴人の求めに応じて契約事項の確認を目的とした土地付建物売買契約書と題する書面の売主名欄に、その記名用ゴム印を押捺したばかりでなく、被控訴人自らも、特約事項を記載した書面を作成して控訴人に交付したことは、前示のとおりである。してみれば、控訴人としては、右交渉の結果に沿つた契約の成立を期待し、そのための準備を進めることは当然であり、契約締結の準備がこのような段階にまでいたつた場合には、被控訴人としても控訴人の期待を侵害しないよう誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の義務があると解するのを相当とし、被控訴人がその責に帰すべき事由によつて控訴人との契約の締結を不可能ならしめた場合には、特段の事情のない限り、控訴人に対する違法行為が成立するというべきである。しかして、被控訴人は、控訴人とあらかじめ定めた期日における契約の締結に応じなかつたばかりでなく、右契約の目的となる筈であつた本件土地を被控訴人に秘して東京都墨田区に売却してその相当部分について所有権移転登記手続を経由し、控訴人が右土地を買い取ることを不可能ならしめたのであつて、控訴人が右の挙に出ざるを得なかつた特段の事情については被控訴人において主張立証するところがないから、被控訴人の右所為は、控訴人の有する契約締結の利益を侵害した点において違法というほかない。そして、前記認定したところによれば、右違法行為については、被控訴人に故意か少くとも過失があつたというべきである。したがつて、被控訴人の右違法行為の結果生じた控訴人の損害は、被控訴人においで賠償すべきものであるから、次に控訴人の損害について検討する。
<証拠>によると、次の事実を認めることができる。
1 控訴人は、被控訴人との間で売買代金を一億八、〇〇〇万円とすることについての合意がほぼ成立した段階で、登記費用その他の経費を見込んで、本件土地買受資金として、光信用金庫(吾嬬町支店)から二、〇〇〇万円、第一勧業信用組合(向島支店)から一億七、〇〇〇万円の融通を受けるについて内諾を得たが、契約締結日が昭和四九年一二月二九日と決つたので、同月二七日光信用金庫(吾嬬町支店)から二、〇〇〇万円を、控訴人が振り出し、控訴人代表者石橋常吉が保証した右同額の約束手形(支払期日昭和五〇年一月一七日)を差し入れ、最終返済期日を昭和五〇年二月一〇日と定めて、手形支払期日までの利息七万七、二五六円、手形用印紙代二、〇〇〇円計七万九、二五六円を天引前払いのうえで借り受け、また翌二八日には第一勧業信用組合(向島支店)から五、〇〇〇万円を、右同額の控訴人振出の約束手形(支払期日同月三一日)を差し入れ、右手形支払期日まで四日分の利息六万〇、二七三円天引前払のうえ借り受けた。右五、〇〇〇万円の借受金については、順次手形の書替を予定したものであつたが、契約締結が延期となつたので、当初差し入れた手形の支払期日をもつて一旦返済した。
2 契約延期後、改めて昭和五〇年一月二九日を契約日とすることに決つたので、控訴人は、同日、第一勧業信用組合(向島支店)から一億二、〇〇〇万円を、同額の約束手形(支払期日同年三月三一日)を差し入れ、右支払期日までの利息(年利一一パーセント)二二四万二、一九一円、印紙代二万円計二二六万二、一九一円天引のうえ借り受けた。しかし右借受金も、契約が不成立に終つたので、期限前の同年二月二八日に返済し、天引された利息中、一一二万一、〇九五円の払い戻しを受けた。
以上のとおりであり右認定に反する控訴人代表者尋問の結果は措信しない。そして、控訴人の右利息及び印紙代等合計一二八万〇、六二五円の出捐は被控訴人が売買契約を締結しなかつたことによつて無益に帰したことが前述したところにより明らかであり、結局右出捐は被控訴人の右所為によつて控訴人の蒙つた損害というべきである。
ところで、控訴人は小規模企業であることが弁論の全趣旨により認められるところ、小規模の企業体が一億八、〇〇〇万円という極めて高額の取引をするに当つては、その資金を金融機関からの融資に依存するのが通常予想されるところであり、取引が不成立に終つた場合には右融資を受けるに際しての利息の支払等諸費用の出捐は無益に帰することが明らかであるから、控訴人の右損害と、被控訴人の前示違法行為とは相当因果関係があるというべきである(それのみならず、被控訴人としても前記のような事情を当然に認識し得たものということができる。)。そうだとすれば、被控訴人は控訴人に対し損害賠償として金一二八万〇、六二五円とこれに対する前記不法行為時より後であり、本件訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和五〇年七月一日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるといわなければならない。
よつて、控訴人の予備的請求は理由があるから、正当としてこれを認容すべきである。
三以上のとおり、本件土地の売買契約の成立を前提とする控訴人の請求はいずれも棄却すべきものであるから、これと同趣旨に出た原判決は相当であり、本件控訴は理由のないものとして棄却すべきであるが、控訴人の当審における予備的請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(森綱郎 新田圭一 真栄田哲)