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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)646号 判決 1978年4月27日

控訴人 原田みつ子

<ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 遠藤良平

被控訴人 勝山正彦

右訴訟代理人弁護士 鈴木敏夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、左記のとおり付加訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  主張

控訴代理人は、原判決の「事実」、「第二 当事者の主張」、「二請求原因に対する被告の認否と主張」の2の(二)(四枚目表五行目から九行目まで)、(三)(四枚目表一〇行目から裏末行まで)及び(八)(五枚目裏一一行目から六枚目表八行目まで)に摘示された主張に代えて、次のとおり主張すると述べた。

「(二) 越利生は、あらかじめ妻越みさほの弟に当たる被控訴人を連帯債務者とする連帯借用証書、手形、小切手上の債務に関する承諾書、公正証書作成の嘱託についての委任状及び自己の印鑑証明書を用意してこれを携え、昭和四三年五月一六日ごろ、富田トリ及びその長男富田博に案内されて上京し、原田友三郎方を訪れた。当日は、被控訴人も、自己の印鑑証明書を携えて同行する予定になっていたが、所用のため同行することができなくなり、越利生が被控訴人の代理人として金銭借用の交渉をすることになった。

(三) 原田友三郎方での話合いの結果、同人は、越利生及び被控訴人を連帯債務者とする金五〇〇万円の借用申入れを承諾し、被控訴人の印鑑証明書については、越が帰宅後直ちにこれを追送することを約した。

そして、原田友三郎(以下単に「原田」ともいう。)は越に対し、現金は用意してあるがいま金を持って行くかと尋ねたところ、越は、現金をこの場から持ち帰っても仕方がないから、金はいったん自分が受け取ったことにして、原田において保管されたい旨答えるとともに、従来どおり約束手形で大三家具から家具を売ってもらい、越が振出し又は裏書をした手形については、原田に差し入れた連帯借用証書の写し等を金融機関に示して割引を依頼し、万一それらの手形が不渡りになったときは、大三家具において、金五〇〇万円を限度として、直接原田から不渡り分に相当する現金を受け取って手形の決済をしてもらいたい旨要請し、富田トリ及び原田友三郎はこれを承諾した(以下この合意を「金銭授受の約定」という。)。したがって、原田を貸主とし、越利生及び被控訴人を借主(連帯債務者)とする金五〇〇万円の消費貸借契約は、この日に原田友三郎方において成立した。

(八) 以上のとおり、本件金銭消費貸借については、金銭の授受は、昭和四三年五月一六日ごろ越利生が上京した当日、原田友三郎方において原田と越との間になされたものであり、原田が越からその金銭の保管を委託されたにすぎない。したがって、原田友三郎を貸主とし越利生及び被控訴人を借主(連帯債務者)とする金五〇〇万円の消費貸借契約はこの日に成立したものである。

仮にそうでないとしても、原田友三郎、越利生(自らが債務者であるとともに、被控訴人の代理人であった。)、富田トリの三者間で、万一越から大三家具に交付された手形が不渡りになった場合には、その不渡り分に相当する金員を大三家具が直接原田から受け取るという金銭授受の約定がなされており、前記(七)において述べたように、その約定に基づき原田が大三家具に対して金員を交付したのであるから、少なくともその交付の時点において金銭の授受がなされたといわなければならない。

したがって、越利生及び被控訴人がいずれも原田友三郎から金銭を受け取ったことがないから本件消費貸借が成立していないということはできない。」

被控訴代理人は、控訴人らの右主張は否認すると述べた。

二  証拠《省略》

理由

一  訴外亡原田友三郎から被控訴人に対する債務名義として、東京法務局所属公証人坂本謁夫の作成に係る昭和四三年第二五一〇号金銭消費貸借契約公正証書が存在し、右公正証書には、連帯債務者たる越利生及び被控訴人は、昭和四三年五月一六日債権者原田友三郎から、弁済期同年八月一六日、利息年一割五分、期限後の遅延損害金日歩八銭二厘の約定の下に、金五〇〇万円の貸与を受け、その債務を履行しないときは直ちに強制執行を受けても異議のないことを認諾する旨の記載があること、右公正証書は、同年八月五日に、連帯債務者として表示されている右両名の代理人としての控訴人原田洋一及び債権者として表示されている原田友三郎の嘱託により、公証人坂本謁夫が作成したものであること、原田友三郎は昭和四六年七月七日死亡し、控訴人ら四名がその相続人となって右友三郎の権利義務一切を承継したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  控訴人らは、被控訴人は、越利生の金銭借用のため連帯債務者となることを全面的に承諾し、その手続一切を右越利生及びその妻越みさほ(被控訴人の姉)に委任し、同人らを通じて控訴人原田洋一に公正証書作成の嘱託に関する代理権を授与したものである旨主張するのに対し、被控訴人は、控訴人原田洋一に対して公正証書作成の嘱託に関する代理権を授与した事実はなく、同人を代理人として執行認諾の意思表示をしたことはないのであって、本件公正証書は、被控訴人の全く知らない間に、一面識もない原田親子(原田友三郎及びその子である控訴人原田洋一)の嘱託により作成されたものである旨抗争するので、この点について検討することとする。

まず、《証拠省略》によれば、越利生、被控訴人及び越みさほの三名を連帯債務者とし、あて名及び作成年月日の記入を欠く金五〇〇万円の連帯借用証書(乙第一号証)、右三名名義の同じくあて名及び作成年月日の記入を欠く手形及び小切手上の債務に関する承諾書(乙第二号証)並びに控訴人原田洋一を代理人と定めて、金五〇〇万円の貸借についての公正証書作成の嘱託に関する一切の権限を委任する旨の昭和四三年五月一六日付け越利生及び被控訴人名義の委任状(乙第四号証)が、原田友三郎及びその承継人である控訴人原田洋一の手もとに存在し、これらによって本件公正証書(乙第三号証)が作成された事実を認めることができる。

ところで、《証拠省略》によれば、右各書類の末尾にある被控訴人の住所氏名の表示は、いずれも被控訴人が自ら記載したものではなく、いずれかの機会に被控訴人の姉である越みさほがこれを記載したものであることが認められる。また、右各証拠によれば、被控訴人名下の印影は、同人の印章によって顕出されたものであることが認められるが、同人が自ら押印したものであることを認め得る証拠はない。そこで、これらの被控訴人名義の記名押印が果たして同人の意思に基づいてなされたものであるか否かが問題となるのであるが、この点に関し、原審における被控訴人本人の供述はこれを強く否定するものであり、同じく証人越みさほの証言も、いかなる機会に行ったかの点については明確を欠くが、被控訴人の住所氏名を記載することについてその承諾を得たことはないとしているのであって、これらに反しそれが被控訴人の意思に基づいてなされたものであることを認めるに足りる的確な証拠はこれを見いだすことができない。

もっとも、《証拠省略》によれば、昭和四三年五月一八日付けの被控訴人の印鑑証明書(乙第五号証の二)中の被控訴人の住所、氏名、生年月日の記載は同人の自筆によるものであり、その印影は同人の印章によって顕出されたものであることが認められ、《証拠省略》によれば、右印鑑証明書は何びとかの手によって原田友三郎のもとに送付され、それが本件公正証書作成の際使用されたものであることが推認される。また、《証拠省略》を総合すれば、昭和四三年当時、被控訴人は、越利生の事業を援助するため、同人の振り出した手形に裏書をしたり、あるいは同人が信用保証協会に対して債務保証の申込みをする際に同人の連帯保証人となっていたことがあり、必要がある場合には被控訴人名義の印鑑証明書の交付を受けて越に手交していた事実は、これを認めるに難くない。しかしながら、更に進んで、被控訴人が当時越の借財を保証すること等について越夫妻に包括的な代理権を与えていたことを認めるに足りる証拠はなく、また、前記昭和四三年五月一八日付けの印鑑証明書についても、原田からの金銭借用に関連して使用されるものであるとの認識をもって、被控訴人がその交付を受け、これを越夫妻あるいはその他の何びとかに手交した事実を認めるに足りる証拠はない。

むしろ、《証拠省略》によれば、被控訴人は、越のため手形の裏書や借財の保証を依頼された場合には、個々に関係書類に目を通した上で、自ら署名押印し、又は越みさほにこれを代行させていたことが認められ、前示証人越みさほの、乙第一、第二、第四号証中の被控訴人の住所氏名は自分が書いたものと思うが、本人には断わっていない旨の証言及び被控訴本人の、これらの書類は全く知らず、署名押印について承諾を与えたことはない旨の供述は、信用するに値するものと考えられる。

なお、《証拠省略》によれば、富田トリは以前に原田友三郎から金銭を借り受けたこともあって同人と面識があったこと、金銭の借用に必要な書類の用紙は富田トリが所持していたこと、越みさほは、富田トリの強い要求により、記載内容に関する十分な認識のないまま書類に署名押印した経験があること、越みさほには、被控訴人の印鑑証明書を余分に受け取っていた記憶があること、被控訴人が同人の印鑑を越方に置き忘れ、数日後それを取りに行った事実があること等がうかがわれ、被控訴人の不知の間に、右書類に同人の署名押印が代行され、あるいはその印鑑証明書が利用される機会は決して絶無ではなかった事情がうかがわれるのである。そして、《証拠省略》によれば、被控訴人は、昭和四八年四月に至り承継執行文の付記された本件公正証書の正本が送達されるまで、本件公正証書が作成された事実を全く知らなかったことが推認されるのであって、前記認定はこの事実によっても支持されるべきものと考えられる。

以上によれば、被控訴人が原田友三郎からの金銭借用に関する公正証書の作成に必要な書類に自ら署名押印し、又は他人がこれを代行することについて承諾を与えたことはなかったものと見るべきである。

したがって、被控訴人が、越利生又は越みさほを通じて控訴人原田洋一に本件公正証書作成の嘱託についての代理権限を授与し、公証人に対して有効に執行認諾の意思表示をした事実を認めることはできないから、本件公正証書は、少なくとも被控訴人に対する関係においては、債務名義としての効力がないものといわざるを得ない。

控訴人らは、仮に被控訴人が右代理権を授与したことがないとしても、被控訴人には民法第一〇九条の表見代理による責任がある旨主張する(その主張の趣旨は必ずしも明確ではないが、被控訴人は、越夫妻に公正証書作成の嘱託についての委任状を作成させ、越が原田にこれを交付したのであるから、被控訴人は原田に対し、越に代理権を授与した旨を表示したことになるとするものと解される。)が、前記認定のとおり、被控訴人が、原田友三郎又は控訴人原田洋一に対し、越利生又は同みさほに何らかの代理権を授与した旨を表示したとは認められないのみならず、そもそも本件公正証書の効力について表見代理が問題となるとすれば、それは公証人に対する執行認諾の意思表示についての表見代理の成否にほかならず、執行認諾の意思表示について民法の表見代理に関する規定の適用はないものと解すべきであるから、控訴人らの右主張は、それ自体失当であるといわなければならない。

三  本件公正証書作成の嘱託についての代理権限の点とは別に、本件公正証書に表示された請求権の記載と客観的事実とが一致するか否かの点についても、以下に検討を加えることとする。

本件において、連帯債務者とされている越利生又は被控訴人が債権者とされている原田友三郎から直接かつ現実に金銭を受け取った事実がない点については、当事者間に争いがない。

この点に関し、控訴人らは、越利生において原田に対し「金はいったん越が受け取ったことにして、原田の方で保管してもらいたい」旨を依頼し、原田がこれを承諾してそのまま保管することにしたのであるから、とりもなおさず右両者間において金銭の貸渡し、受取りが行われた上、原田が越からその保管を委託されたのであって、消費貸借はその時点で効力を生じた旨主張するのであるが、この主張も、控訴人らの主張する金銭授受の約定、すなわち、越利生が従来どおり約束手形によって大三家具から商品を仕入れ、万一越の振出し又は裏書をした手形が不渡りになったときは、その不渡り分に相当する現金を大三家具が原田から受け取るという三者間の約定の存在を否定するものではなく、むしろこの約定を前提とするものにほかならない。そこで、以下これらの控訴人らの主張に則して、それらが真実であるという仮定の下に検討を進めることとする。

まず、《証拠省略》によれば、控訴人らにおいて原田友三郎が越利生から委託されたと主張する金五〇〇万円の保管について、預り証等が作成された事実はなく、また、この金銭保管と一体をなす重要な合意と見るべき金銭授受の約定についても、これを証する念書あるいは覚書等は全く作成されなかったことが認められ、したがって、越利生において、それを金融機関等に示すことにより手形の割引を受けることが容易になるというような利益を享受することはできないものと思われる。

更に、《証拠省略》を総合すれば、控訴人ら主張の金銭授受の約定がなされたという昭和四三年五月一六日ごろ以降、越と大三家具との間では手形取引が続けられ、当初は越の手形が不渡りとなることもなかったが、同年夏同人が詐欺ないしは小切手帳の盗難に遭ってから急激に情況が悪化し、ついに同年九月には同人が倒産して多数の不渡り手形を出すに至ったこと、そして大三家具は、昭和四三年一二月二七日及び昭和四四年五月二八日に至り、はじめて現実に原田から現金を受け取ったこと(それが金銭授受の約定に基づくものであるかどうかは別として)が認められるのである。そこで、右約定の時点においては、越の振出し又は裏書に係る手形が順調に決済されることを期待して取引が続けられることになったはずであるから、この時点において、そもそも越利生につき手形の不渡りが果たしていかなる段階に至って生ずるか、またその不渡り分がどの程度に達するかは的確に予測し得る事柄ではなく、大三家具が原田から受け取る金員の支払によって充当されるべき越の手形金債務は将来の不特定のもの(昭和四三年五月一六日ごろあるいは本件公正証書が作成された同年八月五日においてはもとより、右公正証書において弁済期とされている同年八月一六日においても、到底特定され得ないもの)であったといわなければならない。

したがって、控訴人らの主張する昭和四三年五月一六日ごろの時点においては、一応金五〇〇万円という限度は画されたものの、金五〇〇万円という一定の金額につき、原田と越利生との間に金銭の授受と同一の利益の授受があったと見ることは到底不可能であり、同日ごろ金銭消費貸借契約が成立したとすることはできない。

以上のとおりであるから、控訴人らの右主張を前提とする限り、その主張する時点において本件公正証書に表示された原田の請求権は実在せず、その発生の時期及び内容も不確定であって、本件公正証書の記載が客観的事実に一致するものということができないことは、いうまでもないところである。

更に控訴人らは、仮に前同日ごろ消費貸借が成立したとはいえないとしても、金銭授受の約定に基づき、大三家具は、昭和四三年一二月二七日及び昭和四四年五月二八日の二回にわたり金二五〇万円ずつを原田から受け取ったので、少なくとも、これらの各時点において金銭の授受があり、消費貸借が効力を生じたのであるから、本件公正証書が事実と一致しないとすることはできないと主張する。

なるほど、請求権発生原因として公正証書に記載された事実に多少客観的事実と一致しないところがあっても、いやしくも公正証書の記載により、問題となる請求が具体的に認識され得る以上、それが有効な債務名義たるを失わないことは、そのとおりであるが、それにもおのずから限度があるのは当然であって、客観的事実との間に著しい不一致が存在する場合には、その公正証書は効力を有しないものというべきである。

本件の場合においては、金銭授受の日時は昭和四三年一二月二七日及び昭和四四年五月二八日であって、これらの時点は、本件公正証書に貸渡し借用の日として記載された昭和四三年五月一六日より遅れること実に七月余及び一年余に及び、本件公正証書に弁済期として記載された同年八月一六日からもはるか後になるのである。そうだとすれば、金銭消費貸借による債権の発生原因として本件公正証書に記載されたところと客観的事実との間には著しい不一致が存在し、到底前者をもって、後者の現実に発生した債権を表示するものと見ることはできない。

なお、以上に述べたところは、いずれも控訴人らの主張する事実に則して、それらがすべて真実であるという仮定の下に判断した結果にすぎない。そもそも、仮に原田友三郎と越利生との間において、金銭消費貸借契約ないしは金銭授受の約定がなされたことを認め得るとしても、被控訴人との関係について見るとき、本件全証拠によっても、被控訴人が越に対して原田との間の金銭消費貸借に関する代理権を授与し、これを通じて被控訴人と原田との間に何らかの合意が成立したことを認めることはできず、また、被控訴人が越に代理権を授与した旨を原田に対して表示したものと認めることも困難である。

他方、金銭授受の約定については、当裁判所もまた、その成立を肯認し難いものと判断するが、その理由は、原判決がその理由二(一〇枚目裏一一行目から一九枚目裏六行目)において説示するところと同一であるから、これを引用する。

四  以上いずれの点から見ても、本件公正証書は、少なくとも被控訴人に対する関係においては、債務名義としての効力を有しないものといわざるを得ず、その執行力の排除を求める被控訴人の請求は理由があり、これを認容した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第九三条第一項、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡本元夫 裁判官 貞家克己 長久保武)

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