東京高等裁判所 昭和52年(ラ)732号 決定
抗告人らは相手方が前調停事件においてとった一連の行為に相続放棄の効力を認めるべきであると主張する。しかし、わが民法が相続人に対し、相続開始後自由に承認又は放棄することができる旨の選択権を与えた所以は、相続人が相続開始当時における相続人と被相続人その他の利害関係人との人的関係ならびに相続財産の状態を配慮し、これによって他の掣肘をうけることなく独立かつ自由な意思に基づいて承認又は放棄の決意をなさしめんとした趣旨と解されるのである。したがって、推定相続人が相続開始前に相続放棄をすることは、わが民法の許さないところというべきである。もっとも、右のように解するときは、相続開始前における遺留分の放棄が認められていること(民法一〇四三条)と均衡を失するとの論もあるが、立法論としてはともかく、現行法の解釈としては前記のように解するほかはない。よって、抗告人の右主張はそれ自体失当であるといわねばならない。
また、抗告人らは、相手方が被相続人峯の相続財産については、なんらの権利も主張しないとの意思を表示していながら相続開始後にわかに相続権を主張することは、権利の濫用もしくは信義則に反するという。なるほど、相手方が被相続人峯の生前、前記遺留分放棄許可の申立をした際に、被相続人峯の相続をする意思のないことを表明したことは前記のとおりである。しかしながら、相続開始前の相続放棄は法律上なんらの効力も有しないのであるから、遺留分放棄許可申立の際における相手方の相続放棄の意思表明は法律的効力を有しない、単なる遺留分放棄の縁由にすぎないものというほかない。そして、被相続人峯が遺言もしくは生前処分をすることにより相手方に事実上遺産の相続をさせないことができたのに峯がこれをしない(なお、本件においては峯が遺言もしくは生前処分をしなかったことについて相手方の干渉、介入等の妨害があったとの事情は認められない。)ままで、死亡し、本件相続が開始した以上、相続開始前に相手方のした遺留分の放棄はなんらの法的効果をも生じないものであるから、相手方が自己の相続権を主張するのになんら妨げないというべきである。したがって、相手方が相続権を主張することは正当な権利行使であって、それが権利濫用に当り、もしくは信義則に反するとの抗告人らの主張は到底採用できない。」
(渡辺 糟谷 浅生)