東京高等裁判所 昭和52年(行ケ)39号 判決 1978年8月30日
原告
ビズクムニイ
ウスタブ
オルガニキツク
シンテズ
被告
特許庁長官
上記当事者間の標記事件について次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
この判決に対する上告期間につき、附加期間を90日とする。
事実
第1当事者の申立
原告は、「特許庁が昭和51年9月22日同庁昭和45年審判第8639号事件についてした審決を取消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、被告は、主文第1、2項と同旨の判決を求めた。
第2請求の原因
1. 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和43年3月21日、名称を「固体粒子をコロイド粉末度まで分散するための装置」(後に「浮遊固体粒子を分散させる装置」と訂正)とする発明について、1967年(昭和42年)3月21日チエコスロバキヤ国においてした特許出願に基づく優先権を主張して特許出願をしたが、昭和45年5月27日拒絶査定を受けたので、同年9月16日審判の請求(特許庁同年審判第8639号事件)をしたところ、昭和51年9月22日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年10月13日原告に送達された(なお、出訴期間につき、附加期間を3か月と定められた)。
2. 特許請求の範囲
本願発明の昭和50年10月7日付手続補正書によつて補正された明細書(以下「補正明細書」という。)の特許請求の範囲には、次のとおり記載されている。
固体粒子及び直径3mm以下の分散用微粒子を混合した懸濁液を激しく攪拌することによつて浮遊固体粒子をコロイド粒度まで分散させる装置であつて、円筒状の閉鎖した容器と、この容器と同心の回転軸及び前記容器の内径の50%ないし95%の直径を有する1つ以上の攪拌用円板から成る高速攪拌器とを包含し、同心に配置した前記回転軸及び容器の軸線が、水平面あるいはこの水平面に対して45度以下の角度で傾斜した平面に位置しており、前記攪拌用円板が、スロツトまたはリブまたは溝の形態をした2ないし10個の彎曲した輪郭部を備えており、各輪郭部の幅が円板直径の5%ないし15%であり、その曲率半径が円板半径の50%ないし100%である装置。(別紙図面参照)
3. 審決理由の要点
請求人(原告)に対し昭和50年6月10日付で通知された拒絶理由は、(1) 昭和45年4月13日付で補正された明細書(以下「原明細書」という。)第4頁第7行ないし第17行に「曲線輪郭部の最適半径は…でなければならない。」とあるが、そのうちの「曲線輪郭部の入射角」及び「平滑な円板によつてかきまぜられる時に作られる流線の入射角」が昭和43年4月22日付で補正された図面(別紙図面のもの。)上どの部分を指すのか明らかでなく、さらに、原明細書には、溝または凸起からなる輪郭部によつて分散粒子及び懸濁液のどんな流れが生じ、それが液体中の固体粒子の懸濁液を粉砕並びに分散作用にどのように影響し、その結果所期の効果が達成されるのか、技術的かつ具体的な説明が全くされていないので、前記記載箇所の内容を理解できない。(2) 原明細書の特許請求の範囲に限定してある数値がどのような格別の意味をもつのか、また、それらの組合わせによりどのような格別の効果を奏するのかにつき、発明の詳細な説明の項には全く説明されていないので、必須構成要件の技術的意義が不明瞭である、というにある。
これに対し、請求人から昭和50年10月7日付で補正明細書が提出されたが、これによつても、明細書の記載不備はいぜん解消していない。すなわち、
指摘事項(1)については、補正明細書第5頁第16行ないし第6頁第7行の記載が対応するが、その記載によつても「輪郭部の入射角」及び「滑らかな円板によつて懸濁液を攪拌したときに生ずる流線の入射角」(以下、「円板による流線の入射角」という。)がどのような技術的意義のものか、輪郭部による特有の作用効果が何かが不明であり、また、同(2)についても、輪郭部に対する数値限定に関してはその技術的意義が不明である。
したがつて、本願発明は、特許法第36条第4項及び第5項の規定を満たしていないから、特許を受けることができない。
4. 審決の取消事由
しかし、後記のとおり、補正明細書には審決指摘のような記載不備の点はなく、本願発明は、特許法第36条第4項及び第5項に違背するものでないから、これに反する審決の判断は誤りであり、審決は、違法として取消されるべきである。
(1) 「輪郭部の入射角」及び「円板による流線の入射角」について
(1)' 右両入射角の技術的意義自体は、本願発明の実施(現実化すること)に必ずしも必要でないのみならず、補正明細書には「円板が回転を続けると、あたかも円板周囲の懸濁液が円板の周縁からその半径方向面に沿つてある角度(入射角とする。)をもつて回転中心に向う流線を持つて流れるかのようになる。」(第3頁第11行ないし第14行)と記載され、その意義が説明されている。
(2)' 右両入射角を次の第1、2図によつて説明する。
第1、2図において、かきまぜ円板2は、軸3を中心にして円筒状容器1の内部を回転している。そして、第1図のかきまぜ円板には、複数条の溝または突起からなる輪郭部6が設けられているが、第2図のものにはその輪郭部が存在しない。
第1図において、輪郭部6の中心線が円板2の外周円と交わる点をP2とすれば、P2において円板2の半径に垂直な線Aと、P2において輪郭部中心に対する接線Cとのなす角αが「輪郭部の入射角」である。次に、第2図の滑らかな円板が回転すれば、「あたかも円板周囲の懸濁液が円板の周縁からその半径方向面に沿つてある角度をもつて回転中心に向う流線を持つて流れる」が、同図には、その例示として1本の流線10が示されている。流線10が円板2の外周円と交わる点をP1とすれば、P1において円板2の半径に垂直な線Aと、P1における流線10の接線Bとのなす角βが「円板による流線の入射角」である。
以上の点は、当業者の技術常識であり、また、補正明細書の全体から当業者の容易に理解することのできる事項である。
(3)' 被告は、流線の入射角が判明しない場合は、輪郭部の入射角が決まらず、最大の攪拌効果を奏するものを作ることができない旨主張するが、滑らかな円板によつて攪拌したときに生じる流線の入射角は、液の粘度、密度、円板の大きさ、速度等の条件によつて変化するので一律に定義することはできず、攪拌効果をあげるのに、「滑らかな円板によつて懸濁液を攪拌したときに生じる流線の入射角より30%ないし50%大きく」することが望ましいとの知見にもとづき、それを実現する方法として「輪郭部の曲率半径は、円板半径の50%ないし100%」とすることを提案したのが本願発明であるから、その思想、課題の解決方法は明記されており、特許法第36条第4項の規定以上に詳細にわたつて記載されているもので、同項違背をとやかくいうべき理由はない。
(2) 輪郭部による作用効果について
(1)' 補正明細書第4頁第10行ないし第5頁第8行の記載から明らかなように、従来の滑らかな円板では、円板の回転速度が一定以上に速くなると、円板の表面に接触している液の粘性に打勝つてすべりを生じ、そのため分散効果が弱まる欠点があつたところ、本願発明においては、円板の表面に凹凸の条、すなわち輪郭部を設けてすべり現象を防止し、これによつて分散速度及び全効果をかなり向上させることができた。特許請求の範囲において限定された輪郭部の形状は、これによつて最良の分散効果を得ることが多くの実験によつて判明したものである。
(2)' 被告は、輪郭部の曲率半径及び幅の限定が臨界値であるなら、その効果を定量的に記載すべきである旨主張する。しかし、定量的記載が容易にできる場合はともかく、必ずしもそれが容易でない場合にまで記載しなければ違法であるということはできない。特許法で保護される発明は、同法第2条第1項で定義しているとおり「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」であればよいのであるから、同法第36条第4項の解釈に当つても右基本原則と相反することはできず、被告のいう定量的記載が必要要件とは到底考えられないのみならず、そのために莫大な時間、努力、費用等を要するような場合にまでも必ず記載すべきであるということはできないはずである。
(3)' また、被告は、特許請求の範囲に「輪郭部の入射角に合わせて」との記載が欠けている旨主張する。
しかし、この点は、審決理由中で明記していない事項であるばかりでなく、発明の技術的範囲は、特許請求の範囲の記載のみならず、発明の詳細な説明の部分も参照して決めることができるのであるから、右の点は明細書から当然理解できる範囲のものであり、出願拒絶の理由になるような事項ではない。
もし、被告において、この点が明細書の記載として、特許請求の範囲と発明の詳細な説明の間の確たる相違と考えるなら、特許法第17条第2項第2号による手続補正を命ずべきところ、技術的意義が不明とする漠然たる拒絶理由通知を出したことは、明らかに特許法の適用を誤つたもので、それを肯認する審決も当然違法である。
(4)' さらに、被告は、輪郭部の円板上における位置態様について、参考図(ロ)のものも含まれる旨主張する。しかし、発明の詳細な説明と関連させて読めば、入射角の関連で、そのような解釈をすることは技術常識上ありえず、また、前項で述べた法律の適用がここでもそのまま当てはまるものであるから、この点に関する被告の主張も理由がない。
(3) 輪郭部に対する数値限定について
(1)' 輪郭部に対する数値限定とは、
① 各輪郭部6の幅Wが円板2の直径dの5%ないし15%であること、すなわち、前記第1図においてW=d×(5/100~15/100)であることと、
② 各輪郭部6の曲率半径rが円板2の半径d/2の50%ないし100%であること、すなわち、同図においてr=d/2×(50/100~100/100)であることとである。
これらの数値限定に関する技術的意義については、補正明細書第6頁第5行ないし第7行に「これらの及び前述の数値は、この構造において満足すべき攪拌結果を得るに必要なものであり、他に意味はない。」と明記されている。
(2)' 被告は、輪郭部について、位置的限定なしの数値限定のみでは技術的意義が不明である旨主張する。
してみると、審決が「輪郭部に対する数値限定に関してはその技術的意義が不明である。」というのは、実は、被告の参考図の(ロ)のような場合についてのみである。そして、このような場合が本願発明の対象として予想していないものであることは、発明の詳細な記載から理解できるところであり、特許請求の範囲の解釈としても、そのようなものを排除して認めることもできる。
しかるに、実体がこのようなものであるにかかわらず、特許法第17条第2項第2号による補正命令を出さず、特許請求の範囲をその文言どおり広く解した上、内容のあいまいなまま同法第36条第5項を適用した審決は、明らかに法律適用を誤つたものである。
第3被告の答弁
1. 請求原因1ないし3の事実は認める。
2. 同4の取消事由は争う。審決の判断は正当であつて、原告主張の違法はない。
(1) 原告主張の(1)について
補正明細書第5頁第16行ないし第6頁第2行には、「リブまたは溝の最適な曲率半径は、懸濁液の粘性及び密度に依存する。最大の攪拌効果を得るには、輪郭部の入射角が、滑らかな円板によつて懸濁液を攪拌したときに生じる流線の入射角よりも30%ないし50%大きくなければならない。それに合わせて、輪郭部の曲率半径は、円板半径の50%ないし100%となる。」と記載されている(傍点は、被告の挿入)から、流線の入射角が判明しない場合には、輪郭部の入射角が決まらず、最大の攪拌効果を奏するものを作ることすらできない。すなわち、両入射角は、本願発明を実施する上で出発点の一つとなるものである。
ところが、原告は、「右両入射角の技術的意義自体は、実施に必ずしも必要でない」旨主張するのであるから、補正明細書を基準に本願発明について理解しなければならない以上、原告のこの主張は、補正明細書の記載内容と矛盾し、理解しがたいといわざるをえない。
したがつて、原告の指摘する「円板が回転を続けると、あたかも……流れるかのようになる。」という単なる懸濁液の現象面の説明だけでは、その技術的意義を説明したことにはならない。
(2) 同(2)、(3)について
(1)' 輪郭部の曲率半径が、円板半径の50%ないし100%に、その幅が円板直径の5%ないし15%にそれぞれ限定されるためには、これらの数値が、本願発明の奏する効果上、これらの数値以外ではその効果を奏しないという臨界的意義を有する限界値であることが、当業者に正確に理解できねばならないにもかかわらず、補正明細書にはその記載がない。また、右各数値がいわゆる「実験値」であるならば、これらの臨界値で定められた範囲の前後の数値では、本願発明の奏する効果が格段に相違することを、最適な曲率半径に影響する懸濁液の粘性及び密度の記載(補正明細書第5頁第16行)とともに、定量的に記載すべきであるが、この点についても、補正明細書には全く記載がない。
(2)' 補正明細書第5頁第17行ないし第6頁第2行には、最大の攪拌効果を得るには、流線の入射角より大きい角度を有する輪郭部の入射角に合わせて、輪郭部の曲率半径は、円板半径の50%ないし100%となる旨記載されているにもかかわらず、特許請求の範囲には、「輪郭部の入射角に合わせて」との記載が欠けている。
参考図
発明の詳細な説明に記載の事項から考えられる輪郭部の態様
特許請求の範囲に記載の事項から考えられる輪郭部の態様
したがつて、当業者にとつては、この点を記載していないままの特許請求の範囲の記載事項が「発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみ」の記載に当ると解するほかなく、しかも、この点を欠く構成でも、本願発明の目的を達成し特有の効果を奏することができる旨の記載が、発明の詳細な説明の欄に存在しないのであるから、当業者にとつては、なぜ、それ以外の輪郭部の数値限定のみで(特許請求の範囲には、円板上における輪郭部の位置関係については、曲率半径のみが記載され、たとえば、輪郭部が円板周縁からどのように円板内に入つてくるのか、輪郭部が円板中心部とどんな位置関係を持たねばならないかなどの記載は存在しない。)所期の目的を達成し効果を奏するのか理解しがたく、また、当業者に容易に追試できる程度に記載されているともいえない。
(3) 輪郭部の円板上における位置態様は、多様な組合わせが考えられ、本願発明について追試をする場合、たとえば参考図(ロ)のような輪郭部のものでも所期の効果を奏するのか否か補正明細書にはその記載がなく、ひつきよう、本願発明の効果を奏する分散装置の実施の範囲が、当業者にとつて不明であるといわざるをえない。
(4) すでに指摘したとおり、特許請求の範囲には、輪郭部の円板上における位置的限定がない。しかも、その位置的限定なしの「数値限定」のみでは、輪郭部の数値限定以外の発明の構成要件と一体となつて、どのように本願発明の目的を達成し効果を収めるのか、発明の詳細な説明に記載がないのであるから、結局、「輪郭部の数値限定」の技術的意義が不明であるといわざるをえない。その結果、当然に、「発明の構成に欠くことができない事項のみ」が特許請求の範囲に記載されているか否か不明となるのである。
逆に、特許請求の範囲にまさしく「発明の構成に欠くことができない事項のみ」を記載しているとするならば、その記載のみで当業者が容易に追試できるとの記載が発明の詳細な説明欄に記載されているべきところ、そうではなく、輪郭部の位置的限定とともにしか(輪郭部の数値限定について)右説明欄に記載されていないのであるから、これまた、輪郭部の数値限定の技術的意義は不明であるといわざるをえないのである。
第4証拠関係
原告は、甲第1号証ないし第8号証を提出し、被告は、甲号各証の成立を認めた。
理由
1. 請求原因事実中、本願発明につき、出願から審決の成立にいたるまでの特許庁における手続の経緯、特許請求の範囲の記載及び審決理由の要点は、当事者間に争いがない。
2. そこで、まず、原告主張の取消事由のうち、(2)、(3)の点、すなわち、本願発明の補正明細書において、輪郭部による特有の作用効果が不明かどうか、また、輪郭部に対する数値限定の技術的意義が不明かどうかについて検討する。
(1) 輪郭部による作用効果について
(1)' 成立に争いのない甲第4号証(補正明細書)によれば、補正明細書第4頁第9行ないし第5頁第8行には、本願発明の作用効果に関して、「(輪郭部の)作用は、前述の説明から明らかであろう。要するに、攪拌作用を高めるのである。従来、滑らかな円板が攪拌器で用いられていたのである。しかしながら、このような滑らかな円板を用いている場合、分散用微粒子を被分散懸濁物質とともに攪拌した際、円板の周速度を変えることによつてのみある程度攪拌の強さを変えることができるにすぎない。最大許容周速度は懸濁液の粘性に依存するのである。過速度になれば、円板が「スキツド」、すなわち「すべり」を生じ、分散効果は低減することになる。したがつて、滑らかな円板を用いたのでは、ほんの限られた分散速度すなわち効果を達成しうるだけである。本発明によれば、容器と同心の軸上に装着してあつて、表面にリブ、溝、スリツトの形状をした彎曲輪郭部を備えた一つ以上の攪拌用円板からなる攪拌器を用いることによつて、分散装置の分散速度及びその全効果をかなり向上させることができる。」との記載があることが認められる。そして、一般に、円板にリブ、溝、スリツト等の輪郭部を設けるものが、それを具備しない滑らかな円板と比較して、分散速度及び効果をある程度向上させる場合の存するであろうことは、技術常識上も推認するにかたくないけれども、具体的に、円板にどんな構成の輪郭部を設けた場合にどんな効果を収めうるのか、特に、「表面にリブ、溝、スリツトの形状をした彎曲輪郭部を備えた一つ以上の攪拌用円板」によつて何ゆえに「分散速度及びその全効果をかなり向上させる」のかについては、右記載部分だけでは明らかでないし、他に補正明細書を調べても、その具体的理由またはこれを裏付ける実験結果等の記載は存しない。
(2)' 当事者間に争いのない特許請求の範囲の記載によれば、本願発明において攪拌用円板に備える輪郭部とは、「スロツトまたはリブまたは溝の形態をした2ないし10個の彎曲した輪郭部」であつて、「各輪郭部の幅が円板直径の5%ないし15%であり、その曲率半径が円板半径の50%ないし100%である」ことを構成要件とするものであるが、前掲甲第4号証によれば、補正明細書には、輪郭部に対する数値限定による効果に関しては、第6頁第5行ないし第7行に「明らかに、これらの及び前述の数値は、この構造において満足すべき攪拌結果を得るに心要なものであり、他に意味はない。」との記載があるほか、他に全く記載されていないことが認められる。
そうすると、右記載部分だけでは、輪郭部を右のような特定の構成としたことによつて、どんな特有の作用効果が収められるかを理解することは、到底不可能であるといわざるをえない。なぜならば、輪郭部の幅及び曲率半径を限定した点に本願発明の特徴があるとする以上、限定された範囲のもののみが本願発明の特有の効果を収めるために必要不可欠であつて、その範囲外のものとは効果上格段の差異があること、少なくとも、右範囲内のものにおいては十分な効果を収めうることを明らかにする定量的実験結果等を示すべきであるところ、補正明細書にはそのような資料が全く存しないからである。
なお、原告は、この点に関し、効果の定量的記載が容易でない場合には、その記載が特許法第36条第4項の必要要件とは考えられない旨主張する。しかし、同項の一般的解釈はともかくとして、本願発明については、原告自身「特許請求の範囲において限定された輪郭部の形状は、これによつて最良の分散効果を得ることが多くの実験によつて判明したものである。」と主張して、出願前に多くの実験を経たことを認めているのであるから、輪郭部に対する数値限定に基づく定量的記載を省略できる場合に該当するものとは到底いうことができない。
(3)' 前掲甲第4号証によれば、補正明細書第5頁第16行ないし第6頁第5行には「リブまたは溝の最適な曲率半径は、懸濁液の粘性及び密度に依存する。最大の攪拌効果を得るには、輪郭部の入射角が滑らかな円板によつて懸濁液を攪拌したときに生じる流線の入射角よりも30%ないし50%大きくしなければならない。それに合わせて、輪郭部の曲率半径は、円板半径の50%ないし100%となる。輪郭部の幅は、円板直径の5%ないし15%でなければならず、各円板の各側面に2ないし10個の輪郭部を設けなければならない。」との記載があることが認められ、これによれば、本願発明においては、輪郭部の入射角が「円板による流線の入射角」より30%ないし50%大きい構成であることを前提とし、これと、前掲特許請求の範囲に示される輪郭部の個数、その幅及び曲率半径に対する限定とがあいまつて、はじめて本願発明の「最大の攪拌効果を得る」という作用効果が期待できるように解される。
ところが、前掲特許請求の範囲には、輪郭部及び「円板による流線」の各入射角の相関関係について何らの限定もないことが明らかであるから、右に摘示した作用効果が、果して本願発明の構成のみによるものであるかどうか疑問であるといわざるをえないし、この点においても、輪郭部による特有の作用効果が補正明細書上明確であるとはいえない。
(4)' また、前掲特許請求の範囲には、円板上における輪郭部の位置関係(例えば、輪郭部が円板周縁からどのように円板内に入るか、円板中心とどんな位置関係にあるか等)が何ら限定されていないから、例えば、被告の指摘する参考図(ロ)のような位置関係にある輪郭部も、本願発明の構成要件を充足するものといわざるをえない。他方、輪郭部の幅及び曲率半径が限定されている場合でも、円板上におけるその位置関係いかんによつては、円板の攪拌効果に大きな影響を与えるものであることは、見易い道理であるから、先に摘示した「分散装置の分散速度及びその全効果をかなり向上させる」という効果が、特許請求の範囲に記載された輪郭部の構成のみによつて達成することができるかどうかも明らかではない。
もつとも、原告は、発明の詳細な説明と関連させて読めば、「入射角の関連で」、参考図(ロ)等のものが含まれると解することは技術常識上ありえないと主張するが、円板に対する輪郭部の入射角については、特許請求の範囲に何ら規定されていないのであるから、原告の主張は、その前提自体失当であるといわねばならない。
また、原告は、特許請求の範囲と発明の詳細な説明の間に確たる相違があるときは、特許法第17条第2項第2号による手続補正を命ずべきである旨主張するが、同号による補正命令は、形式的審査をもつて足りる方式上の違反を対象とするものであつて、明細書の記載が同法第36条第4項、第5項の規定に違反する場合のごときは、これに含まれないものと解するのが相当であり、しかも、特許請求にかかる発明の実質的な内容の補正については、補正をすることができるための要件を具備する場合においても、補正をするかどうか、補正をするとしてその内容をどのようにするかなどの選択特定は、すべて出願人に委ねられているものであり、特許庁が出願人の意向を忖度して、補正すべき内容を想定選択し補正を命ずべきものとは考えられないから、特許庁が進んで促し、補正の機会を与える場合は格別、原告主張のように、特許法第17条第2項の規定上、特許庁に補正を命ずべき義務が存するとも、その義務のかい怠を審決取消の事由としうるものとも解することはできないから、原告の主張は採用することができない。
(5)' 以上のとおりであつて、結局、補正明細書によつては、輪郭部による特有の作用効果が不明であるから、これと同旨の審決の判断に誤りはないというべきである。
(2) 輪郭部に対する数値限定について
前項において判示したとおり、本願発明においては、輪郭部の数、その幅及び曲率半径の数値が限定されてはいるが、補正明細書には、それらの数値限定に基づく効果についての定量的な説明もされず、また、記載された作用効果については、それが特許請求の範囲に記載された輪郭部の構成による特有のものであるかどうかも明らかでないため、その特有の作用効果は不明であることに帰着する。
したがつて、輪郭部に対する数値限定に関して、その技術的意義が不明であるとした審決の判断には誤りがない。
3. そうすると、補正明細書には、審決の指摘する、輪郭部による特有の作用効果及び輪郭部に対する数値限定の技術的意義の点においてすでに、当業者が容易にその実施をすることができる程度に発明の効果が記載されているとはいえないものであるから、原告のその余の取消事由について判断するまでもなく、審決が、少なくとも特許法第36条第4項違背を理由として、本願発明の特許を否定したのは正当であつて、この点に何ら違法はない。
4. よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条及び民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(荒木秀一 橋本攻 永井紀昭)
<以下省略>