東京高等裁判所 昭和52年(行ケ)87号 判決 1981年3月25日
原告
ハルコン・インタ・ナシヨナル・インコーポレーテツド
被告
特許庁長官
右当事者間の審決取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
この判決に対する上告期間につき、附加期間を90日とする。
事実
第1当事者の求めた裁判
原告は、「特許庁が昭和49年審判第9447号事件について昭和51年12月1日にした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は、主文第1、2項同旨の判決を求めた。
第2請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、特許庁に対し、名称を「アラルケンの製法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、1968年(昭和43年)8月5日アメリカ合衆国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和44年8月5日特許出願をしたところ、昭和49年8月27日拒絶査定を受けたので、同年11月12日審判を請求し、特許庁昭和49年審判第9447号事件として審理されたが、昭和51年12月1日右審判の請求は成り立たない旨の審決があり、同審決の謄本は、昭和52年1月12日原告に送達された(なお、出訴期間として3か月が附加された。)。
2 本願発明の要旨(特許請求の範囲)
(1) 液相反応媒の存在下、アラルカノールの接触脱水によるアラルケンの製造方法において、該脱水を約220度C以上であつて該液相反応媒の分解温度以下である温度で行うことを特徴とするアラルケンの製法。
(2) 液相反応媒の存在下、アラルカノールの接触脱水によるアラルケンの製造方法において、該脱水を約220度C以上でありまた該液相反応媒の分解温度以下である温度で行い、かつ、触媒として表面積が15m3/g以上の固体を使用することを特徴とするアラルケンの製法。
3 審決の理由の要点
本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
これに対し、特許出願公告昭31―9875号特許公報(出願公告昭和31年11月17日、以下「引用例」という。)にはアラルカノールの一種であるジメチルフエニルカルビノールを特定の有機カルボン酸の存在下に加熱して、アラルケンの一種でα-メチルスチレンに変化させる方法が記載され、特に、脱水工程をフエノール等の液相反応媒で行うことは、その2頁左欄23行ないし28行及び例2ないし例4に、また、脱水の反応温度は、広範囲に変化しうるが、100度Cないし200度Cの範囲が好適であることが、同左欄33行ないし35行に、それぞれ記載されている。
本願発明の特許請求の範囲(1)に記載の発明(以下「第1発明」という。)と引用例のものとの相違点は、反応の温度限定にあり、第1発明では、反応温度を220度C以上から反応媒の分解温度以下とした点にある。
そこで、温度範囲をこのように選択することについてみるに、引用例には、前記のような記載があるほか、「反応を完了する時間は、温度の函数で、130度Cないし140度Cで数時間、200度Cでは数分で終る。」との記載があり、また、温度を右好適反応温度である200度C以上に上げて実施した場合に反応に重大な支障をきたすような記載は見られないから、脱水を引用例の方法より短時間に行おうとするには、反応温度を200度C以上に上げて実施すればよいことは、当業者なら引用例の記載から容易に読みとることができる。したがつて、第1発明は、引用例の記載から当業者が容易に発明をすることができるものである。
次に、本願発明の特許請求の範囲(2)に記載の発明(以下「第2発明」という。)は、第1発明を行う際、触媒として、表面積が15m2/g以上の固体を用いる方法であるが、右固体として本願発明の明細書に例示されている珪藻土については、引用例にも、「脱水工程は……珪藻土のような大なる表面積を与える物質の如き触媒の使用によつて促進しうる……」との記載があり、珪藻土の好適な表面積のものを選択して使用することは、当業者が容易にしうることである。したがつて、第2発明も、引用例の記載から容易に発明をすることができるものである。
請求人は、本願発明において反応温度の相違からくる効果として、目的生成物の転換率、選択度において引用例のものより優れていると主張するが、目的生成物の収率については、引用例に95%及び98.5%の実例があるから、本願発明のそれと同程度であり、ただ、引用例における実例では、反応時間が本願発明に比して長時間を要しているに過ぎない。しかし、この点も、引用例には前記のとおり、反応時間は温度との函数であり、高温度で行うことにより、これを短縮できる旨の記載があるから、本願発明のように、これを220度C以上にして行うことは、右引用例の記載を実験的に裏づけた程度のものである。したがつて、本願発明の効果も引用例に記載された効果以上のものではない。
よつて、本願発明は、いずれも、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。
4 審決の取消事由
審決は、①本願発明と引用例のものとを対比するに当り、両者の間に存する重要な相違点を看過した点及び②本願発明における反応温度を220度C以上にすることは引用例から容易に読みとることができ、また、本願発明の効果が引用例に記載された効果以上のものではないとした点で誤つており、このような誤りに基づいて、本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法として取消されるべきである。
1 相違点の看過
審決は、第1発明と引用例のものとの相違点は、反応の温度限定の点のみであるとするが、引用例のものは、大量のフエノール(なお、この他に、特定の有機触媒)の存在を前提とするに対し、第1発明は、フエノールを用いる必要がない点で、両者の間には重要な相違があるのに、これを看過している。
(1) 引用例に記載の発明は、もともと、クメンハイドロパーオキサイドをフエノールとアセトンに分解する際に副生するジメチルフエニルカルビノールをα-メチルスチレン製造の原料として用いる方法に関するものである。したがつて、フエノールは、当初から原料の一部として当然含まれており、このように多量のフエノールを含んでいる原料を用いた場合に、いかにして有効に脱水反応を遂行するかが、引用例の課題なのである。引用例のものが、多量のフエノールの使用を必要とするものであることは、例えば、その明細書における、「特に、本発明は、フエノールの存在下における該変換を満足に行う方法に関するものである。」との記載のほか、随所の記載(1頁右欄第7行ないし第25行、同第26行ないし2頁左欄第6行、3頁左欄第20行ないし右欄第1行、3頁付記第1項)から明らかである。
このように、引用例のものは、多量のフエノールの存在下において、ジメチルフエニルカルビノールを脱水してメチルスチレンを得る方法に関するものであり、硫酸等従来用いられていた触媒に代えて、有機カルボン酸を触媒として用いることにより従来法の欠点、すなわち、重合物やクミルフエノールの生成を避けられるのみならず、多量のフエノールの存在がむしろ脱水を促進するという予想外の効果を得たとする点に重要な特徴を有するのである。
なるほど、引用例中にも、フエノールの存在なしに行うことができる旨の記載もある(1頁左欄第6行、特許請求の範囲)が、引用例に記載された4つの実施例のうちフエノールを存在させないで行われた例1は、多量のフエノールの存在下で行われている他の3つの実施例に比べ、変換率(脱水率、収率)が著しく低い(例1では、変換率(脱水率)が46%であるのに対し、例2では、変換率が70%、例3、例4では、収率がそれぞれ、95%、98.5%)ことからも分るように、実質的には対比例的性格のものであつて、引用例の記載は、結局、多量のフエノールと特定の有機触媒との併用を実質的な必須事項としていることを当業者に示唆しているものである。
(2) これに対し、本願発明は、フエノールの存在を必要としない方法である。すなわち、本願発明にあつては、フエノールは、特殊な場合にしかも極く少量ならば添加してよい化合物として扱われているに過ぎず、多量のフエノールは好ましくないのであり、このことは、明細書の記載から明らかである(8頁第5行ないし末行、24頁第1行ないし第14行)。
なるほど、本願発明は、その特許請求の範囲及び発明の詳細な説明において、文言上、フエノールを反応媒として用いることを明示的に排除してはいないが、本願発明の明細書には、反応媒として、フエノールを使用する例示は全くなく(17頁より18頁にかけて液相反応媒の適例が示されているが、これには、フエノールはなく、また、実施例1ないし6に用いられる液相反応媒にも、フエノールはない。)、また、本願発明の明細書で特に好ましい出発原料(アラルカノール)とされている化合物、例えば、α-フエニルエタノールを使用する場合、その沸点が約204度Cであるのに対し、フエノールの沸点は約182度Cであるから、フエノールは、この場合液相反応媒として使用できず、反応媒として全く意識されていないのである。
このように、本願発明は、フエノールの存在を前提とする方法ではなく、フエノールは、液相反応媒として脱水反応で生成する高沸点残留物を用いる場合にのみ、起泡現象の抑制剤として、しかも、極く少量(0.2~2%)用いられるに過ぎないのであつて、多量のフエノールの存在は、むしろ好ましくないものとして扱われている。
2 本願発明の反応温度及び効果に対する判断の誤り
(1) 反応温度について
(1) 引用例に示された反応温度は、100度Cないし200度C、特に100度Cないし150度C程度の範囲である。
なるほど、引用例には、「反応温度は、広範囲に変化しうるが、100度Cないし200度Cの範囲が好適である。」との記載がある。しかし、右の記載中、「反応温度は、広範囲に変化しうるが」との部分は、技術的な裏付けのない、いわば例文的記載であり、字質的意義を有しない。もしも、このような単なる抽象的な作文に過ぎない記載に意義を認めようとすると、ある反応を記載した文献にこのような文言を一言でも記載しておけば、その反応については、すべての温度範囲を用いることが公知であつたとみなされるという、はなはだ不自然な結果をもたらすことになる。したがつて、引用例に示された温度範囲は100度Cないし200度Cの範囲にとどまるものである。因みに、引用例における前記の記載は、日本特許に対応するフランス特許、米国特許、英国特許にも記載されておらず、このことからも、右記載が引用例の発明において重要な意義を有しない事項であり、日本特許の出願途中に、審査官の訂正指令を受けたため、作文的に追加記載されたに過ぎないものである。また、引用例における「130度C~140度Cでは、整時間を要するが、200度Cでは、操作は数分で終る。」との記載も、同じく追記されたものであり、それは、反応の温度と時間との関係を実施例からみると、温度差から考えて、反応時間の短縮度があまりにも大きくて不自然であり、当業者にとつては、到底措信できない。仮に、それが事実であるとしても、200度Cよりも数十度も高い本願発明の場合には、爆発と同じ現象が起ることとなり、実用不可能な危険な温度であることを示唆しているものである。しかも、引用例において、実施例として現実に用いられている反応温度は、100度Cないし145度C(例1では145度C、例2では134度C、例3では100度C~105度C)であり、また、引用例中には「最適の結果を得るための反応温度の選定は、各要素によつて決まる。好適には、温度は、メチルスチレンが連続的にその形成について蒸留されるような温度である。」と記載されている。この記載と右の実施例の記載とを合わせれば、引用例において特に好適な温度として教示されているのは、100度Cないし150度C程度、すなわち、前記100度Cないし200度Cのうち、特にその低温部分の範囲であるとみるべきである。
(2) 次に、スチレンは、高温においては極めて重合し易いことが技術常識として知られており、しかも、スチレンの製造において、生成分の重合の回避が極めて重要な問題であることは、引用例にも示されている。したがつて、スチレンを得るための反応においては、反応温度を高くすることは避けなければならないのが、当業者の技術常識である(甲第6号証参照)。現に、引用例からは、脱水反応においては、それに伴う副反応、特に折角生成したメチルスチレンが重合してメチルスチレン重合体になつてしまう副反応が、極めて重要な問題であることが明らかに読みとれる(例えば、1頁左欄第18行ないし右欄第6行、同右欄第17行ないし第23行、)。
したがつて、このような技術常識をふまえて、前記反応温度を考えると、引用例に示されている反応温度の範囲は、100度Cないし200度Cであつて、この範囲を超えて更に高温を用いることは避けなければならないというのが当業者の常識であるから、引用例には、それ以上の高温を用いることは示唆されていない。
(2) 効果について
(1) 本願発明の効果の第1は、目的生成物であるアラルケンに対する反応選択率が著しく高いことである。このことは、明細書において、「本発明の方法によれば、アラルケンに対する選択度が高く、しかも、副生物としてアラルカンの生成が少なく、アラルカノールの脱水転換率を高くすることができる。本発明者は、従来用いられている温度より高温、すなわち、約220度C以上の温度で反応を行うと選択度が増大するという意外な事実を発見した。反応温度を約220度C以下の程度に低下させると、選択度も低下する。」と記載されているほか、実施例1によると、220度C以上の温度を用いた場合、スチレンに対する反応選択率が著しく高まり(95%以上)、特に270度Cないし290度Cの温度範囲において、最も選択率が高い(97%以上)。しかも、スチレンに対する選択率が最も高い右温度範囲においては、高沸点残留物に対する選択率は最も低い。本願発明は、220度C以上の反応温度を用いることにより、このような顕著な効果を奏しえられるのであつて、このことは、引用例には、全く記載も示唆もされていない。
(2) 本願発明の効果の第2は、右のような好適な反応を、特別な反応媒や触媒を用いなくとも行えることである。
すなわち、本願発明では、明細書に記載のとおり、「実質的にどんな高沸点有機物質でも液相反応媒として使用でき、」(17頁)、「この液相反応媒は、極性のものでも無極性のものであつても、用いることができる。ただ、この液相反応媒が高沸点を有すること、すなわち、液相反応媒の沸点が脱水されるアラルカノールの沸点より高いことを必要とするだけ」(7頁)なのである。しかも、「特に好適な液相反応媒は、脱水反応で形成される高沸点残留分であつて、必要量だけ蓄積できれば、極めて満足できる材料となる。」(8頁)。また、「前述したように、特に好ましい液相反応媒は、脱水反応中に生成する高沸点残留分である。この物質は、この方法に固有なもので、ほとんど無償で入手できる。」(18頁)ので、反応の遂行に伴つて自然に生成される高沸点残留分を、そのまま反応媒として、使用することができるのである。
これに対し、引用例のものは、前述したとおり、フエノールを反応媒として用いることを前提とし、フエノールが存在しなければ、満足な結果がえられない方法である。このような方法が記載された引用例からは、右のような本願発明の効果を予測することはできない。
第3被告の答弁
1 請求の原因1ないし3の事実は認める。
2 同4の主張は争う。審決には、原告が主張するような誤りはない。
1 原告の1の主張について
(1) 原告は、引用例のものは、多量のフエノールの存在を必要とするものであると主張するが、そこにいう多量とはいかなる量をいうのか、不明であるばかりではなく、仮に、その点を措いても、次の理由により、原告の主張は失当である。
引用例には、なるほど、フエノールの存在を必要とする方法が記載されていることは、原告の主張するとおりであるが、そのほかに、フエノールを使用しない方法が実施例として記載されている。また、引用例に記載されているもののうち、フエノールを使用した実施例において、その使用量が、原料ジメチルフエニルカルビノールの使用量と対比して、多量であることから、必ずしも良い結果が得られるものではない。すなわち、(イ)例2と例2の対比例とでは、ジメチルフエニルカルビノール対フエノールの比は、いずれも1対1であつて同一であるが、対比例では、多量の重合体及び縮合物が生成しており、(ロ)例3と例3の対比例とでは、右の比が、例3では1対1、その対比例では1対1.04で、ほぼ同じであるにもかかわらず、右対比例では、大量の重合体及び縮合物が生成しており、(ハ)例4と例4の対比例では、右の比は、例4で1対7.3、その対比例(その2)で1対18であり、後者の方がフエノールを多量に使用しているにもかかわらず、多量の重合体の生成がある。このような点からみて、引用例のものが、多量のフエノールを使用したが故に良い結果をもたらすものでないことは明らかである。
(2) 次に、本願発明について原告は、フエノールの存在を必要としないものであると主張する。しかし、第1発明における特許請求の範囲には、「液相反応媒の存在下、アラルカノールの接触脱水」と記載されているだけで、液相反応媒が具体的に特定されておらず、また、フエノールの沸点が182度Cであつても、使用する反応容器が密閉式であり、反応条件としての圧力も特定されていないのであるから、加圧下では、フエノールも液相反応媒として使用できると考えられる。したがつて、フエノールを使用した実施例がないというだけでは、本願発明がフエノールを使用しない方法であると断定することはできず、結局、本願発明と引用例との間にこの点での差異はない。
2 同2の主張について
(1) 引用例には、220度C以上の温度で本願発明のような反応を行うことが示唆されていることは、次のとおり、明らかである。
引用例には、原告が主張するとおり、「反応温度は、広範囲に変化しうるが、100度Cないし200度Cの範囲が好適である。」との記載があるほか、これに続いて、「最適の結果を得るための反応温度の選定は、各要素によつて決まる。」とあり、また、「反応が完了する時間の長さは、時間(「温度」の誤記と認められる。)の函数である。130度Cないし140度Cでは整時間(「数時間」の誤記と認められる。)を要するが、しかし、200度Cでは操作は数分で終る。」との記載があり、これらを関係づけて読むと、温度を上げると反応時間を短縮することになり、このことは、一般の反応傾向と合致し、この傾向を反応温度200度C以上に上げた場合に少し外挿すると、本願発明の反応温度220度C以上という条件を生じるので、引用例には、本願発明の反応温度の条件が示唆されているとみるのが妥当である。なお、原告は、右の記載中「反応温度は、広範囲に変化しうるが」との部分は、技術的な裏付けのない単なる作交であると主張するが、その温度が余りにかけはなれたものならばともかくも、200度Cについては、技術的裏付けがあり、この技術的裏付けのある温度の近接上位の温度について述べたものであるから、これを原告が主張するように解すべきでない。
(2) 目的生成物の収率について、引用例のものと本願発明とを対比してみると、前者の例3では、収率が95%、例4では98.5%であり、後者の明細書33頁第1表では、スチレン収率が81%ないし96%であるから、本願発明は、引用例のものと同程度又はそれ以下であり、同じ収率95%をとつたときに、引用例の例3では、反応温度が100度Cないし150度C、反応時間が7時間であるのに対し、本願発明の実施例1の試験番号4及び6では、反応温度が290度C及び330度C(反応時間は不明)であるところ、前述のとおり温度を上げると、反応時間が短縮されることは、一般の反応の傾向であることを考慮すると、本願発明の効果は、特別のものではない。また、反応温度についてみると、引用例のものは、本願発明よりも約200度Cも低い温度で反応を行い、同程度の収率をもたらすものであることを考慮すると、かえつて、引用例のものの方が優れていると解すべきである。
第4証拠関係
原告は、甲第1号証ないし第7号証、第8号証の1、2、第9号証ないし第15号証を提出し、被告は甲号各証の成立を認めた。
理由
1 請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。
2 そこで、審決の取消事由の存否について、検討する。
1 相違点看過の主張について
(1) まず、引用例に記載の方法におけるフエノールの存在について、検討する。
成立に争いのない甲第4号証によると、引用例のものは、ジメチルフエニルカルビノールを脱水させてα-メチルスチレンを形成させることに関する発明であり、その明細書には、原告が指摘するとおり、液相反応媒としてフエノールの使用を必要とする方法が記載されていることは、明らかである。しかし、同号証によると、引用例の発明における特許請求の範囲の記載よりして、引用例のものは、液相反応媒の使用が必須要件とされていないのであり、この点で、本願発明の特許請求の範囲の記載とは、明らかに異なつているが、同号証によると、引用例の発明の詳細な説明中には、「本発明は、フエノールの存在下における該変換を満足に行う方法に関するものである。」としたうえ、これに引続いて、「但し、これに限られるものではない。」との記載、「本発明の方法は、単独であるいは……フエノール又は他の物質の存在下において……適用しうるものである。」との記載及び「例えば、脱水は……大部分のフエノール及び……タールのようなより高度な沸点の生成物を含有しない媒質で実施しうる。」としたうえ、これに引き続いて「しかしながら、脱水はまた存在するアセトンの及び炭化水素の除去前あるいは除去後において、単に分解に使用した酸触媒を含有しない媒質でも実施しうる。」との記載があり、これらの記載からすれば、引用例には、フエノールを含有しない媒質の使用が可能であることが具体的に明示されていることは明らかである。また、同号証によると、引用例には、例1として液相反応媒を使用しない(したがつて、フエノールを使用しない)事例が示されており、この点は、原告も自認するところである。
ところで、原告は、右例1について他の3つの実施例に比べ、変換率(脱水率、収率)が著しく低いことからみて実質的には対比例的性格のものであり、このことから、引用例には、フエノールの存在しない技術が開示されているとすることはできない旨主張する。
前掲甲第4号証によると、なるほど原告が主張するとおり、引用例における例1ないし例3の場合の変換率、脱水率、収率、原告主張のとおりであり、したがつて、例1のものは、例2、例3のものに比較して、かなり低率であることが認められるけれども、右事例について、発明としては無価値なものであるとして、否定的評価が加えられているような記載はなく、このことと、前述のとおり引用例に記載の発明は、液相反応媒の使用を必須要件とするものでない点で、例1の場合も、その特許請求の範囲に包含されていることなどを併せ考えると、右事例も、引用例に記載の発明における1実施例とみるのが相当であり、引用例を検討しても、これが対比例的性格のものであると解すべき合理的理由は見当らない。因みに、成立に争いのない甲第2号証、同第3号証によると、本願発明の明細書35頁第2表における試験番号7のものは、本願発明の1実施例であることは明らかなところ、その収率は、40%であることが認められ、この値は、前記の例1のものより低い。
そうしてみると、引用例のものは、液相反応媒としてフエノールの存在を必須事項とするものではなく、したがつて、引用例には、フエノールの存在しない場合についての方法も、積極的に開示されているものと解するのが相当である。
(2) 次に、本願発明における液相反応媒としてのフエノールの存在について考える。
前掲甲第2号証、第3号証及び当事者間に争いのない本願発明の要旨によると、本願発明にあつては、その特許請求の範囲にはもとより、発明の詳細な説明中にも、反応溶媒として、フエノールの使用を積極的に除外する旨はない。
ところで、原告は、本願発明において、フエノールはその沸点と反応温度との関係において、液相反応媒として使用できない旨主張するが、前掲甲第2号証、第3号証によると、本願発明の明細書には、フエノールを消泡剤として少量使用する場合、その気化率は約20%に過ぎない旨記載されており、また、本願発明は加圧下で行うことを排除するものではなく、むしろ、加圧下で行うことが好ましいものであることが記載されているのであるから(16頁、17頁)、加圧下において、すなわち、液相反応媒の沸点を上昇させて反応を実施することも可能であることを考慮すると、フエノールの沸点と反応温度との関係においてフエノールが反応溶媒として排除されているものとは考えられない。
また、原告は、本願発明においては、フエノールを用いる場合であつても、それは起泡現象の抑制剤として極く少量を使用するに過ぎず、多量のフエノールは好ましくない旨主張し、前掲甲第2号証によると、本願発明の明細書には、「フエノール又はフエノール性物質を添加して液相反応媒中にその200ppm(重量)があると泡立つのを仰制するのに効果がある。……高沸点残留物の起泡特性を抑圧するには、液相反応媒の重量に対し約0.2~2%のフエノール性物質を用いるのがよい。」との記載があることが認められる。しかし、同号証によると、右明細書にはこの記載に引き続いて、右の起泡特性を抑圧する目的に適するフエノール性物質として、フエノールそのもの、クレゾール類やピロカテコール、レゾルシノール、ピロガロール、1、2、4-ベンゼントリオール、フロログルシノールなどがある旨記載され(24頁)、他方、液相反応媒として使用に適する材料としては、トリフエルメタンなど高沸点炭化水素やホワイト油など高沸点留出石油炭化素があるほか、更に、クレゾール、ピロカテコール、レゾルシノール、ピロガロール、1、2、4-ベンゼントリオール、フロログルシノールなど前記のフエノール性物質のほとんどが挙げられているのであり、(17頁、18頁)、なるほど、その中にフエノールそれ自体は記載されていないけれども、両者の対比関係やフエノールそれ自体と右のフエノール性物質との特性からみて、フエノールのみを積極的に排除する記載など他に特段の事情がない限り、フエノールが液相反応媒として好ましくない材料であると読解することはできない。なお、前掲甲第2号証によると、本願発明の明細書には、6つの実施例が記載されており、これらには、液相反応媒としてフエノールを用いたものはないけれども、右実施例における反応溶媒は、すべてトリフエニルメタンであつて、これらの実施例の記載をもつて、フエノール排除されているとすることはできない。また、その溶媒の使用量を各実施例について対比すると、引用例におけるフエノールの方が、本願発明におけるトリフエニルメタンよりも多量に使用しているとはいえず、その原料対液相反応媒の各使用量比の対比関係からみて、同等であると解される。
(3) 以上検討したところから明らかなとおり、引用例のものが、反応溶媒として、必ずしも多量のフエノールの存在を必須要件とするものではなく、他方、本願発明が反応溶媒としてフエノールを排除するものではない点で、本願発明と引用例のものとの間に、原告の主張する差異はないから、審決に、その主張するような相違点の看過はない。なお、原告は、引用例のものは多量のフエノールと特定の有機触媒との併用が実質的な必須事項であるとも主張するが、引用例のものは、右のとおり多量のフエノールの存在を必須要件としないものであり、他方、本願第1発明では触媒に限定がないので、右原告の主張は採用できない。
2 反応温度及び効果に関する主張について
(1) 反応温度について
引用例のものにおける反応温度がいかなる範囲について開示又は示唆されているとみるべきかについて検討する。
(1) この点について、引用例には、「反応温度は、広範囲に変化しうるが、100度Cないし200度Cの範囲が好適である。」との記載があることは、当事者間に争いがなく、また、前掲甲第4号証によると、引用例には、「130度Cないし140度Cでは整時間を要するが、200度Cでは操作は数分で終る。」との記載があり(なお、右の「整時間」は、その前後の記載内容、成立に争いのない甲第10号証からみて、「数時間」の誤記と解される。)このような記載をはじめ、引用例の他の記載を検討すると、引用例には、反応温度として100度Cないし200度Cについて開示がされていると認められる。
ところで、原告は、引用例における右の記載は、技術的裏付けのない例文的記載であつて単なる作文に過ぎず、実質的意義を有しない旨主張する。
引用例を検討すると、なるほど、その実施例に用いられた反応温度をはじめ、その他の記載をみても、200度Cを超える反応温度についての具体的記述が全くないことからすると、右の記載があるからといつて、この1事をもつて、その好適条件とされる100度Cないし200度Cの温度範囲を少なからず超える温度領域についても、教示されているとみることは、できないであろう。
しかし、化学反応の速さが、温度の上昇に伴つて、多く、従前の温度変化におけると類似の傾向を示すことは広く知られた原則であつて、もとより、当業者の常識といえるものであり、引用例のものの場合において、130度Cないし140度Cと、200度Cとにおける反応時間の差は、不自然とはいえない。それはまた、例えば、成立に争いのない甲第13号証における反応温度、反応時間、収率の関係からも肯認できることである。そして、現に、前掲甲第4号証によると、引用例にも、脱水方法に関する具体的記述と共に「反応が完了する時間の長さは、時間(この「時間」は「温度」の誤記であると解される。)の函数である。」と記載され、この原則が、引用例のものにおける反応にも妥当することを示している。先行技術として、右のような記載がある場合には、問題とされる温度がどの程度のものであるか等にかんがみて、その温度について開示ないし示唆がされていると解するのが相当であるか否かを具体的に判断すべきものである。
これを本件についてみるに、本願発明における反応温度は、220度C以上とされ、したがつて、その下限である220度C付近については、引用例に直接示された前記200度Cを約20度超える温度に過ぎない。そして、前述のとおり、引用例には、特に、反応時間が温度の函数である旨示されていることなどからすると、当業者としてはこれに基づいて、220度C前後の温度についても、容易に想到ないし検討の対象とするであろうことは、推認するに難くないところである。もつとも、化学反応はまた、融点、沸点その他の条件によつて、わずかな反応温度の変化があつても、反応に顕著な影響を及ぼす場合もあるから、200度Cと220度Cの間にわずか約20度Cの差しかないとしても、この温度領域において、特別の場合には、前記のような記載を軽々に拡張して解することはできない。しかしながら、本願発明における反応温度のうち下限領域である220度C付近の温度については、前記のような特別な場合に当るとの事実をうかがうに足りる証拠もないから、以上の諸点を併せ考え、結局、引用例には、その好適温度として具体的に明示された100度Cないし200度Cの上限を20度C程度超える領域の反応温度についても示唆がされているものと解するのが相当である。
(2) なお、原告は、反応温度の選定上、スチレンの重合性について特別な考慮がされるべき旨主張するので、この点について考える。
まず、本願発明の目的物質は、アラルケンであつて、スチレンに限定されておらず、他方、引用例のものは、α-メチルスチレンを目的物質とするものでかるから、スチレンのみの重合性について主張してみても適切とはいえない。しかして、仮に、スチレンとα-メチルスチレンとがその重合性について同等なものであるとしても、前掲甲第4号証によれば、引用例に示された例1ないし例4の4つの実施例における記載上、本願発明における目的生成物質の1つであるα-メチルスチレンの重合性は、反応触媒又は反応触媒と溶媒との組合せによつて著しい差異のあることが認められ、反応温度を高めても触媒や触媒と溶媒との組合せいかんによつては、重合の回避が可能であることが読解される。また、前掲甲第4号証により認められる引用例における「好適には、温度は、メチルスチレンが連続的にその形式について蒸留されるような温度である。」との記載や例1、例2の記載からすると、引用例には、α-メチルスチレンを生成し次第留出させ、これを反応系から除去するような重合防止方法の1種と解される方法も示されていると解することができる。(なお、成立に争いのない甲第6号証、第11号証ないし第13号証には、スチレン単独の場合の重合性について記載されていることが認められる。しかし、この重合性がα-メチルスチレンと同じであると仮定すると、引用例の各実施例の場合のような低温であつても、重合体が少なく、α-メチルスチレンが高収率で得られるのは不合理なこととなり、また、重合性が温度にのみ左右され、引用例の記載が措信できないとすると、それよりも高温で行われる本願発明も同断である。)
右のような点を考慮すると、引用例に記載された発明において、その反応温度が220度C付近に高められた場合に、回避できないようなα-メチルスチレンの重合が生じ、発明の目的を不能又は困難にするような特段の事情は認められず、他に、この認定をくつがえすに足りる証拠はない(なお、原告は、前記の「反応温度は、広範囲に変化しうる」の記載及び「130度Cないし140度Cでは数時間を要するが、しかし、200度Cでは操作は数分で終る。」との記載は、日本における特許出願に係る引用例に記載されているだけであつて、これに対応するフランス特許出願等における明細書には、このような記載がない旨主張するが、このことだけでは、右認定を左右しうるものでないことはいうまでもない。)。
そうしてみると、引用例のものに係る200度Cないし220度Cの温度領域について、いずれにしても、原告の主張は、採用の余地がない。
(2) 効果について
(1) 前掲甲第2号証ないし第4号証によると、本願発明においても引用例のものにおいても、共に、選択度と転換率との積が収率とされていることが認められる。
そこで、この収率について、本願発明と引用例のものとを対比してみるに、両者の間に、スチレンとα-メチルスチレンという目的物質について差異はあるけれども、前掲甲第2号証ないし第4号証によると、引用例のものにおける実施例中、例3では95%、例4では98.5%であるのに対し、本願発明の実施例1に係る明細書33頁第1表のものでは81%ないし96%であること、また、収率が共に95%の場合についてみると、引用例における例3では、反応温度が100度Cないし105度C、反応時間が7時間であるのに対し、本願発明の実施例1の試験番号4及び6のものでは、反応温度が290度C及び330度C(但し、反応時間については記載がない。)であることが認められる。また、前掲甲第2号証ないし第4号証によると、本願発明の実施例3に係る明細書35頁第2表のものは、第1発明においては触媒に限定がないから、試験Cは本願発明に含まれるところ、試験番号6、7及びCは、33頁第1表の試験番号Aのものよりも収率が劣つており、右7及びCは引用例に記載の収率において最も低い価を示す例1よりも劣つている。(なお、前記甲第2号証、第3号証によると、本願発明の明細書中の35頁第2表、38頁の第4表において、反応温度220度C付近での効果(収率)は記載がなく、その反応温度限定の効果に関する臨界的意義は不明である。)
右認定の事実に、温度と反応時間との関係を併せ考慮すると、本願発明における効果としての収率が引用例のものにおけるそれに比して優つているものとは認められない。
(2) 次に、本願発明において使用される液相反応媒は、前1の(2)に認定のとおりであつて、反応による高沸点残留分に限定されるものではなく、引用例におけるフエノールに類似した特殊な溶媒の使用もまたこれに包含されているものと認められる。
また、本願発明の触媒についてみるに、当事者間に争いのない発明の要旨によると、第1発明では、触媒について何らの限定もないから、引用例のものにおいて用いられる触媒が、第1発明に含まれるというべきであり、このことは、本願発明の明細書の触媒に関する記載(19頁、20頁)と引用例のそれとを対比すれば、1層明らかであり、前掲甲第2号証ないし第4号証によると、少なくともサリチル酸については両者が一致している。
したがつて、液相反応媒や触媒についても、本願発明が引用例のものに比して格別の差異を有し、ないしは、効果を奏するものとは考えられない。
3 よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の附与につき、行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条、第158条第2項の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(荒木秀一 藤井俊彦 清野寛甫)