東京高等裁判所 昭和53年(う)2533号 判決 1980年1月31日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人秋山泰雄、同安養寺龍彦、同荻原富保が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官加藤泰也が提出した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意第一点の一 傷害罪に関する事実誤認について
所論は、被告人は、原判示第一の松永幸二(以下「松永」という。)に対しては、ドアが開く前に、両手で同人のえり首をつかんでドアの方に押し、ドアから出た後に、マンホール上付近で同人のネクタイを引つ張つただけであつて、いずれも暴行とは評価することができない軽微な行為であり、しかも同人が原判示のような傷害を負つたかどうか明らかでなく、仮にそのような傷害を負つたとしても、それが被告人の暴行によるものとは断定できないのに、原判決は被告人が暴行を加えて傷害を負わせたと認定しており、また、原判示第二の外山雄三(以下「外山」という。)に対しては、そのワイシヤツのえり元をつかんだだけであつて、外には暴行を加えた事実がなく、しかも同人が原判示のような傷害を負つたかどうか明らかでなく、仮にそのような傷害を負つたとしても、それは被告人の暴行によるものではなく、被告人は三部明光(以下「三部」という。)と共謀したこともないのに、原判決は被告人が三部と共謀し外山に暴行を加えて傷害を負わせたと認定しているのであつて、いずれも判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。
しかし、原判決が、その証拠の標目の項の中で、個々の証拠の信用性について述べているところは相当であつて、当裁判所としても、これを是認することができる。そして、原判決が掲げている関係各証拠によると、原判決が、その判示第一の事実の中で、被告人が松永の肩を突き飛ばしたと認定しているのは、被告人が松永の肩を強くたたいたことの誤りと認められる外は、判示各事実が優に認められ、所論のような誤認があるとは思われない。そして、右誤認は、全体の中のほんの一部分であるうえに、両者は暴行の態様としては類似のものであるから、判決に影響を及ぼすものではない。
また、当審における証人町田雄司(以下「町田」という。)、同風間正一(以下「風間」という。)及び同栗原光雄(以下「栗原」という。)の各供述は、後に述べるように、右判断に影響を及ぼすものではない。
なお、所論にかんがみ、若干の点について、当裁判所の判断を示しておくこととする。
一 所論は、本件の発端となつた事情として、被告人がドアの取手に手をかけようとしたところ、左側にいた外山が「だめだ」と言いながらいきなり両手で被告人の胸を突き飛ばしてきたので、これに抗議するため外山に近づこうとしたところ、一〇名位の管理者から実力で阻止されたのであるが、その際、被告人の右前にいた松永が右足をあげ、足先で被告人の右足のひざのあたりを一回けつた、というのである。
この点については、原判決が、その証拠の標目の項の中で詳細に判示しており、右のような事実は認められないとした原審の判断(原判決六丁裏九行目の「程度を起えて」は、「程度を超えて」の誤記と認める。)は相当であり、所論のように根拠のない一方的な推論に基づくものとは思われない。本件当時、松永、外山の両名らは、通用口のドアの内側に、ドアの方に背を向けて立ち、被告人らが勝手にドアを開けるのを制止しなければならない立場にあつたものであり、被告人は、「何をやつているんだ、そこどけ」などと言いながら、二、三回松永らの制止を無視して、ドアの取手に手をかけてドアを開けようとしたというのであるから、そこに力の衝突があり、体が接触し合つたりしたであろうことは否定できないが、外山がいきなり両手で被告人の胸を突き飛ばしたとか、松永がことさらに被告人の右足をけつたというような事実は認められない。
二 所論は、本件が起こる直前には通用口のドアに錠が施してあり、このドアを開けたのは深瀬隆弘であつて、これに反する証人松永、同外山及び同加藤鉦二(以下「加藤」という。)の各供述には信用性がない、というのである。
しかし、本件にあらわれた全証拠によつても、通用口のドアに錠が施してあつたのか、なかつたのか、決め手となるような資料は存在しない。しかも、この点は、そのいずれであつても、原判決に事実誤認があるか否かを決める直接的な証拠になるものではない。そして、所論の右各証人は、被告人が、まず、内側からみて左側のドアを開け、続いて、差し込み錠になつている右側のドアの差し込みを外して、これを開けた旨詳細に供述しているうえに、当審証人町田、同風間及び同栗原も同様の供述をしていて、十分信用に値するものと思われる。もつとも、証人深瀬隆弘は、ドアを開けたのは自分である旨供述しているが、この供述は、右各証人の供述と対比し、また、勝手にドアを開けられないように努めていた松永、外山及び町田らの管理者がすぐそばにいたのに、何の妨害もされることなく、すんなりドアを開けることができたと供述していることなどからみて、にわかに信用することができないものというべきである。
なお、所論は、証人松永、同外山及び同加藤の各供述が信用できない理由として、ドアを開けさせまいとする多くの管理者の中にいた被告人が、阻止されることもなく、たやすくドアを開けることができたとは考えられない、ともいうのである。しかし、当初から、松永、外山及び町田らが被告人を制止していたことは証拠上明らかであり、その中で、被告人から、町田は、ごみ箱があるすみの方へ突き飛ばされたり、ネクタイをしめられたりし、外山は、地下に通ずる階段へずり落とされ、松永は、首を抱え込むようにされ、ドアの取手を持つていた手を払いのけられたりしたため、あえてそれ以上の制止行動に出なかつただけではないかと推測され、しかく不審なこととは思われない。
三 所論は、被告人が松永に暴行を加えたという証人松永、同外山及び同加藤の各供述には相互にくい違いがあつて、信用ができない、というのである。
たしかに、右各証人の供述には、松永に対する暴行の時間的、場所的関係などについて、若干のくい違いが認められるが、この程度のくい違いは、本件のように、短時間のうちに、次つぎと類似の暴行が行われたような場合には、しばしば起こりうることであつて、そのゆえに信用性が否定されるというようなものではない。そして、これらの供述を含む前記関係各証拠によると、さきに些少な誤認として指摘し補正した事実が優に認められるのである。
問題は、当審証人町田及び同風間の供述である。町田及び風間は、外山、松永らと前後して通用口の内側に至り、そこで警備に当たつていたのであるから、松永が被告人から暴行を受けたとすれば、その事実を目撃したはずであると思われるのに、両証人とも、松永が暴行を受けた事実は見ておらず、記憶にもない旨供述しているのである。しかし、両証人とも、ドアの方を向いて警備に当たつていたところ、被告人が後ろからきて町田に暴行を加えた、被告人が町田から後ろに押された後、時間的にはほんのわずかであるが、後ろの方で、ごたごたしたり、ざわざわしたりした状況があつた、暴力まがいに押しのけて外に出ようとする行為があつたと感じた、その後で被告人がドアを開けて外に出た旨供述しているのであつて、被告人と松永との間のトラブルが無かつたと供述しているわけではない。そして、証人松永、同外山とも、町田が暴行を受けた後に、松永が暴行を受けたと供述しているのである。また、当審証人栗原は、ドアの外側で警備に当たつていたものであるが、被告人がドアを開けて外に出た後、松永の腕を引つ張るか、胸元をつかむかは、はつきり覚えていないが、松永を引つ張り出して、マンホール付近で、うず巻き状態に振り回したなどと供述して、被告人が松永に暴行を加えたことを肯定しているのである。しかも、被告人自身も、原審以来、ドアが開く前に、松永のえり首を両手でつかんで同人をドアの方に押したこと、ドアから出た後に、マンホールの上付近で、松永のネクタイを引つ張つたことを認めているのである。
以上の事実からすると、前記証人町田及び同風間の各供述は、証人松永、同外山及び同加藤の各供述の信用性を減殺するものとはいえないし、また、被告人が松永に暴行を加えたという原判決の事実認定が誤りであると信ぜさせるに足りるものとも思われない。
所論は、原判決が、その判示第一において、被告人が松永の「ネクタイを掴んでいた手を急に放して同人の背中を壁にぶちあてる」暴行を加えたと、故意に壁にぶちあてたように判示しているが、松永自身、故意にされたとは思わない旨供述しており、右判示は証拠に基づかないものである、というのである。
しかし、原判決は、必ずしも故意にぶちあてたと判示しているわけではなく、また、証人松永は、主尋問において、「被告人は、私のネクタイとワイシヤツをわしづかみにして、強く引つ張りました。それから、急に手をはなしましたので、私は後ろの壁に強くぶちあたりました。」と供述し、反対尋問において、「あのときは、私も引つ張られまいとして自分のほうにネクタイを引つ張りましたので、お互い引つ張り合いの状態ですので、どういう意味で離したか知りませんけれども、パツと手を離した瞬間に、私も引つ張つておりますので、その反動で後ろへ行くということです。」と供述し、更に、別に、わざと手を離したんだという趣旨じやないですね、という質問に、「そのへんは、よくわからないのです。」と答え、また、あなたの証言されたのは、必ずしも被告人がわざと手を離したんだという趣旨ではないわけですね、という質問に、「はい」と答えているだけであつて、所論のようにはつきり故意にぶちあてられたとは思わないと供述しているわけではなく、証拠に基づかない認定という非難は当たらない。
また、所論は、原判決は、本件の翌日の司法警察員による実況見分の際、マンホール付近で松永のものと思われるワイシヤツのボタンが一個発見されたことをもつて、被告人がマンホール付近において、松永のワイシヤツをわしづかみにして、そのボタン穴を破つたことの根拠としているようであるが、当日夜中庭で行われた抗議集会の後で、全逓組合員らが中庭の掃除をしているのであるから、ボタンを見落すことはなく、もしほんとうに落ちていたとすれば、それは掃除の後に落とされたものと考える外はなく、この点に関する証人松永の供述も信用できない、というのである。
証人大羽繁の供述及び司法警察員作成の実況見分調書の抄本によると、本件当日の夜、荻窪郵便局の中庭で行われた集会の後で、大羽繁らが中心になつて、約二〇人で一五分位の時間をかけて、約一三〇〇平方メートルの中庭の掃除をしたことが認められるが、ボタンが落ちていたというところが中庭の片すみであること、街灯の位置からかなり離れた場所であること、落ちていたボタンがかなり小さなものであることなどを考慮すると、これを見過して掃除を終つたということも十分考えられることであつて、所論のように見落すことはないと断定できるものではないうえに、掃除が終つた後に落としたと疑うに足りるような証拠はなく、かえつて、前掲各証拠に、被告人が加えたという暴行の態様を合わせて考えると、ボタンが落ちたという松永の供述は信用に値するものと思われる。
四 所論は、原判決が、その判示第一で認定している松永に対する傷害は、その証拠となつた証人松永の供述が、松永を診察した医師である証人桑野研司の供述とくい違つているなど信用性のないものであるうえに、被告人の行為によるものかどうか、ことに原判示の被告人の行為によるものかどうかが明らかでなく、ことによると、管理者らの暴行に対する被告人の防御行為によるもので、傷害と評価できない行為によるものではないかともいえる、というのである。
たしかに証人松永の供述と右桑野の供述には、若干の違いがあるが、それは、主として、暴行による傷害の程度に関する表現の違いであつて、そのことのゆえに証人松永の供述の信用性を否定することはできず、前記関係各証拠によると、さきに些少な誤認として指摘し補正した原判示第一の被告人の暴行により、その判示した傷害が生じたものと認められるのである。
五 所論は、被告人が外山に暴行を加えたという証人外山の供述内容によると、被告人のかつこうは全く不自然で奇妙であり、被告人がそのような行為をしたとは到底考えられないうえに、証人松永、同加藤の各供述と互いにくい違つていて、いずれも信用できない、というのである。
しかし、証人外山が供述する、被告人が加えたという暴行の内容は、被告人が、その左手で外山の左手をつかんでねじり上げた状態で、その右手で外山のシヤツのえり元をつかんだり、頭髪をつかんだり、ももの辺りをけつたり、顔につばをかけたりしたというのであつて、十分可能な行為であり、所論のように全く不自然で奇妙なかつこうであるとは思われない。しかも、証人加藤は、被告人が外山の左手をつかんでいたこと、左脇腹の辺りをけつたこと、頭髪を引つ張つたこと、つばをかけたことを、また、証人松永は、被告人が外山の頭髪をつかんだことを、それぞれ目撃した旨供述しているのである。
所論は、加藤には、被告人が外山をけつたことを目撃できるはずがないというが、当時における三者の位置関係からみて、所論のように目撃できるはずがないときめつけることはできない。また、所論は、証人松永が目撃したという頭髪をつかむ行為は、被告人と外山との間のトラブルの終了間際に行われたということであるが、証人外山の供述によると、頭髪をつかまれたのはトラブルの前半であつて、矛盾があるともいうが、同証人は前半とは供述していないうえに、ある間隔をおいて二回つかまれたと供述しているのであつて、矛盾があるとは思われない。また、証人松永が、頭髪の点以外の供述をしていないのは、松永と被告人及び外山との関係位置等からみて、詳細を知ることができなかつたためであると思われるのであつて、被告人の行為がなかつたと供述しているわけではない。
その他、この三証人の供述間に若干のくい違いがあることは否定できないが、本件のような雑然とした状態のもとで、しかもおかれた立場や関係位置の異なる三者の供述に、これ位のくい違いが起こることはしばしばありうることであつて、そのゆえに供述全体の信用性が否定されるということはない。そして、これらの供述を含む前記関係各証拠によると、原判示のような暴行の事実が優に認められるのである。
六 所論は、原判決が、その判示第二で認定している外山に対する傷害は、被告人と三部の行為によるものとは認められない、というのである。
しかし、証人外山の供述によると、三部が外山の髪の毛を引つ張つたり、右側腹部をつねつたりするなどの暴行を加えたことが明らかであり、前記関係各証拠によると、被告人及び三部が加えた暴行により、判示のような傷害が生じたものと認められる。
所論は、左腕をねじり上げることと左前胸部の痛みとの間には何ら因果関係がない、ともいうのである。しかし、経験則上、両者間には因果関係があると考えるのが合理的である。
七 所論は、三部が外山の右側腹部をつねつたり、外山の髪の毛を引つ張つたりしたとしても、それは三部独自の行為であつて、被告人との間には共犯関係がない、というのである。
しかし、前記関係各証拠、ことに被告人、証人外山及び同三部の各供述によると、三部は、通用口より出てきた被告人から、ドアのところで、「牛込の外山の野郎また来てやつてひどい目にあつた。」旨告げられ、そのことについて、被告人の面前で、西村労務連絡官を詰問したこと、その後、被告人が、さつきの態度は何だ、謝れということで外山の方へ寄つて行き、外山に暴行を加えたこと、三部は、そのことを承知しながら、自らも外山に近付き、同人を外に引出して謝らせるため、同人の髪の毛を引つ張つたり、右側腹部をつねつたりしたこと、被告人は、三部が外山に暴行を加えていることを知りつつ、自らも暴行を続けたこと、三部は全逓東京西北地区委員長の職にあり、被告人は同地区書記長の職にあつたもので、ともに外山に対し悪感情を持つていたことが認められるのであつて、これらの各事実によると、被告人と三部とは暗黙のうちに意思連絡のうえ、外山に対して暴行を加えたものということができる。
なお、所論は、証人外山も認めているように、被告人は外山を通用口から奥の方へ引つ張ろうとしていたのに対し、三部は外山の髪の毛を引つ張つて通用口の外の方へ出そうとしていたのであつて、三部の暴行を自己の攻撃のために利用していないのであるから、共謀はない、ともいうのである。
しかし、実行共同正犯の成立に必要な意思連絡があるというためには、共同者の各自が、互いに暴行を加えることを認識し合つておれば足りるのであるから、所論のように外山を引つ張つて行こうとする方向が違つたとしても、そのことのゆえに意思連絡がなかつたということはできない。
論旨はすべて理由がない。
控訴趣意第一点の二 公務執行妨害罪に関する事実誤認について
所論は、原判示第一の松永は、被告人から暴行を受けたという時点では、通用口の内側にとどまつていたのであつて、まだ警備に着手していなかつたものであり、原判示第二の外山は、被告人から暴行を受けたという時点では、三部らがドアの内側に入ろうとするのを制止しておらず、制止する意思もなかつたのであるから、職務の執行中とはいえないうえに、両名とも、被告人らが庁舎外に出るのを制止する権限はなく、また、その必要もないのに、ドアに施錠をしたりして被告人らが庁舎外に出るのを阻止したのは、過剰、違法な警備行為であり、しかも、被告人には、両名が通用口の警備をしているとの確たる認識がなかつたのであるから、公務執行妨害罪は成立しないのに、原判決がこれを肯定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認である、というのである。
しかし、前記関係各証拠及び当審における事実取調の結果によると、所論の点を含めて判示各事実が優に認められ、誤認があるとは思われない。
なお、所論にかんがみ若干の点について、当裁判所の判断を示しておくこととする。
一 所論は、原判示第一の行為当時、松永、外山らは、通用口のドアの内側で待機していたもので、まだ警備に着手していなかつた、というのである。
しかし、前記関係各証拠によると、松永、外山らは、警備班の一班に所属して、通用口の警備を担当するものとされたこと、警備に当たつては、解散命令、庁舎内外の警備、非違行為の現認、集会参加者のチエツク、連絡の権利義務を付与されていたものであるが、その中心は、組合員等の庁舎内への立入の規制であつたこと、通用口の警備に当たつての班員の配置方法などについては特別の定めがなく、具体的な状況に対応するものとされていたこと、当日午後二時三五分ころに、庁舎三階の庶務会計課の事務室を多数の組合員に占拠され、午後五時三〇分ころにも、まだ約四〇名の組合員が居座つていたこと、当日は、午後六時から同郵便局中庭で、多数の組合員が集合して抗議集会が開かれることになつており、午後五時三〇分ころには、組合員が通用口の前を通つて続々参集していたこと、午後五時三〇分ころ、同郵便局長遠藤久仁夫(以下「郵便局長」という。)の指示により、松永、外山らは一班の他の班員と前後して通用口に到着し、加藤、栗原らの三名がドアの外に出て、ドアを背にして並んで立ち、町田、風間らがドアの内側で、ドアに向かつて並んで立ち、松永、外山らが同じくドアの内側で、町田、風間らと背中合わせに並んで立つたことが認められるのであつて、これらの事実によると、松永、外山らは、原判示第一の行為当時、既に警備に着手していたものというべきである。
なお、所論は、通用口の警備は、庁舎内への立入制限が目的であるから、通用口の外側に立つのが常道である、ともいうのである。
庁舎内に組合員がいない場合には、所論のように通用口の外側に立つことによつて警備の目的を達することができるものと思われるが、本件当時のように、約四〇名の組合員が庁舎内にいて、事務室を占拠しているような場合には、原判決が判示するように出入りが錯そうし、不測の事態が発生するかもしれないのであるから、班員らがドアの内側にも立つて警備に就いたのは適切であつたというべきである。
また、所論は、松永、外山は、ドアの内側で単に待機していたものであることが証拠上明らかである、ともいうのである。
しかし、所論が指摘する加藤証言(九四一丁)にも、また、本件記録を精査してみても、待機していたものと認むべき証拠は見当たらない。
二 所論は、被告人と外山との間のトラブルが発生した当時には、外山は三部らが庁舎内に入ろうとするのを制止しておらず、制止する意思もなかつたのであるから、職務執行中であつたとは認められない、というのである。
しかし、証人外山、同松永の各供述によると、外山は、被告人が暴力をもつてドアを開けた後も、三部らが庁舎内に入ろうとするのを制止していたのであるが、三部らがあえて庁舎内に入ろうとせず、一時小康状態になつたので、マンホールの辺りで被告人から暴行を受けた松永を庁舎内に導き入れるため、同人を導いて通用口の中に入れた際、いきなり被告人から暴行を受けたというのであつて、警備を続けていたことが明らかであり、所論のように三部らが庁舎内に入ろうとするのを制止していなかつたとか、制止する意思がなかつたなどとは到底認められない。
三 所論は、ドアを開けようとした被告人を阻止した松永らの行為は、組合員らが庁舎外に出ることについては制限をしないという局の方針に反するだけでなく、当時の局内外の具体的な状況からみて、その必要がなく、また、責任者の判断を仰ぐ余裕もあつたのに、判断を仰ぐこともせずに軽々になされたもので、過剰違法な警備である、というのである。
しかし、原判決も、弁護人の主張に対する判断の項の二の2の第三点についての中で説示しているように、証人松永、同外山らの供述によると、同人らは、警備に就いた際、ドアの外側で、警備に当たつていた管理者と第三者との間でトラブルが起こつているのではないかと感じ取る一方、内側では、被告人が、「何をやつているんだ、そこどけ」などと言いながら、ドアに近付き、勝手にドアを開けようとしたのを見て、とつさに被告人が外の組合員を中に入れようとしているものと判断し、被告人を制止したというのであつて、所論のように、単純に庁舎外に出ることを制止しようとしたものではなく、また、ドアの外側で現実にトラブルが発生していたこと、前記のように、当時なお約四〇名の組合員が庶務会計課の事務室に居座つていたこと、中庭の抗議集会に参加する組合員が次つぎと通用口の前を通つていたことなどの当時の庁舎内外の情勢を考え合せると、必要かつ妥当な措置であつたというべきであり、また、責任者の判断を仰ぐほどに余裕があつたとは思われない。
四 所論は、被告人において、松永や外山が警備の職務に従事していたことを認識していたと認めるに足りる証拠はない、というのである。
しかし、被告人が階段を降りて通用口の方に向かつた当時には、前記のように、管理職である加藤、栗原らの三名がドアの外に出て、ドアを背にして並んで立ち、町田、風間らがドアの内側で、ドアに向かつて並んで立ち、松永、外山らが同じくドアの内側で、町田、風間らと背中合わせに並んで立つていたのであり、被告人の供述によると、被告人は、通用口のところに一〇名位の管理者がおり、「ちようど、しめたドアの前に並んで立つて、ドアを背にしてこちら側を見てるというような管理者と、それと雑談をしているような管理者と、まあ、このような状態で管理者はいました。……三部委員長を入れないためにそうしているんじやあないかと、こう思つたわけです。」と述べており、また、ドアを開けようとしたところを管理者によつて制止されたのであるから、松永及び外山に暴行を加えた当時、被告人は、同人らが警備の職務に従事していたことを十分に認識していたものというべきである。
なお、所論は、外山は、組合員に対する制止行為をするなどの職務を執行していなかつたのであるから、職務執行中であるとの認識がなかつた、ともいうのである。
しかし、外山が警備を続けていたことは、前記のとおりであり、被告人は警備を続けていた外山を認識していたのであるから、職務執行中であるとの認識があつたものというべきである。
論旨は、すべて理由がない。
控訴趣意第二点 法令適用の誤りについて
所論は、松永、外山らのした警備行為は、その目的、態様に照らし、民間企業においてもみられる純然たる労使関係の問題として把握されるべきであり、民間企業における施設管理権に基づく警備行為と本質的に異ならないし、郵便局の業務自体も基本的には民間企業における業務と異ならないのであるから、松永、外山が公務員であるからといつて、公務にあたるものと解すべきではない、というのである。
しかし、本件警備行為は、郵便局長の庁舎管理権に基づく命令により、郵便業務の正常な運営を維持するためになされたものであつて、所論のように、純然たる労使関係の問題ではなく、民間企業における警備行為とは趣を異にするものといわなければならない。また、郵便業務は、きわめて公共性の強い仕事であるため、国営とされ(郵便法二条)、何人も郵便の業務を業とし、また、国の行う郵便の業務に従事する場合を除いて、郵便の業務に従事してはならないなどとして(同法五条)、事業の独占性を明確にし、これに違反したものには刑罰をもつて臨むこととされている(同法七六条)のであつて、所論のように、郵便局の業務自体が基本的には民間企業における業務と異ならない、というようなものではない。従つて、所論は、その前提において理由がない。
そして、本件のように、郵便局長の庁舎管理権に基づく命令により部下職員がした警備行為は、刑法九五条一項という公務員の職務に当たるものと解するのが相当である。
論旨は採用できない。
なお、職権で調査すると、原判決は、法令の適用の項において、判示所為として、「いずれも刑法九五条一項、二〇四条(判示第二については更に刑法六〇条も適用)、罰金等臨時措置法三条一項一号」を挙げ、次いで科刑上一罪として、「刑法五四条一項前段、一〇条(いずれも、一罪として重い傷害罪の刑で処断)」を挙げ、更に刑の選択として、「所定刑中懲役刑選択」と記載しているのである。
しかし、本件のような犯罪について、科刑上一罪の処理として、刑法五四条一項前段、一〇条を適用すると、軽い同法九五条一項の罪に罰金刑以下の定めがない関係上、その段階で、重い傷害罪について規定されている一〇年以下の懲役をもつて処断することに決まつてしまうのである(昭和三二年二月一四日第一小法廷判決・刑集一一巻二号七一五頁参照)から、その後で、更に所定刑中の懲役刑を選択するということはあり得ないものというべきである。この点で、原判決には法令の解釈適用を誤つた違法があることになるが、余分なことをしたというだけで同一の結果に帰するのであるから、判決に影響を及ぼす違法とはいえない。
そこで、刑訴法三九六条により、本件控訴を棄却し、同法一八一条一項本文により、当審における訴訟費用を被告人の負担とし、主文のとおり判決する。