大判例

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東京高等裁判所 昭和53年(う)2650号 判決

被告人 七五三木武男

〔抄 録〕

所論は、要するに、原判決は被告人に課せられる注意義務として(イ)後退前に下車するなどして後方の安全を確認すること、(ロ)後退中は後写鏡(サイドミラー)により後方の注意を欠かさないようにすることなどを挙げているが、(イ)については、自動車運転者が、付近に人家も交差する道路等もない山間の一本道である本件現場の道路を、停止後直ちに十数メートル後退するのに、わざわざ下車して自車後方の安全を確認するまでの必要は考えられないばかりでなく、被告人が後退開始前に左右の後写鏡により後方を確認したさいには被害車が見通し可能の範囲内にいなかったのであるから、かかる注意義務は本件について因果関係をもつものでなく、(ロ)については、被告人が前記のような道路及び交通状況のもとに、自車を道路右脇の退避所へ進入させる困難な操作に従事していたことを考えると、原判決のいうように「左右のサイドミラーにより絶えず左右後方の安全を確認する」こと及び「後退中に左サイドミラーによって自車左後方の安全確認を継続する」ことは事実上不可能といってよく、一方、被害者の側からすれば容易に事故回避のための措置をとりえたのであるから、被告人に対して右のような注意義務を要求するのは甚だしく酷であり、被告人としては、後続車両の運転者が被告人車の動静を注視し、必要に応じて減速し、或いは停止してくれるものと信頼して運転すれば足りると解すべきであるから、被告人に前叙の如き注意義務を課した原判決は法令の解釈、適用を誤ったもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで所論の点を検討してみるのに、自動車が後退する場合には前進の場合と比較して、いわゆる死角の範囲が非常に広くなるので、自動車運転者としては、後方の交通状況には特別の注意を払う必要があり、運転台から後方を見通しえないときは、自ら降車して後方に危険のないことを確認したうえ、後退を開始すべき業務上の注意義務があることは当然といわなければならない(昭和一四年一一月二七日大審院判決、同院刑事判例集一八巻五四四頁参照)。そして、右の死角の点を本件についてみると、訴訟記録並びに原審及び当審において取り調べた各証拠によれば、被告人が運転していた普通貨物自動車は車長五・七五メートル、車幅二・一〇メートル、車高二・四二メートルのいわゆるダンプ型の四トン車であって、その運転席から後方の安全を確認するための装置としては運転席の斜め前方の左右両側に後写鏡(サイドミラー)が設置されているのみであるが、後写鏡を通して後方を見通した場合にも、右のように車長が長く車幅が広いために後写鏡に映らない死角の範囲は極めて広く、また、運転者が運転席の右窓から身体を乗り出して後方を見通した場合でさえ、右側方及び右側斜後方の視界に接してかなり広い範囲にわたり死角の存在することが認められる。また、関係証拠によれば、本件事故現場を通ずる道路は、国道と県道を結ぶために山林を切り開いて造成された幅員約三・七メートルのアスファルト舗装道路で、当時車両の交通量は増加しつつあり、しかも本件の場合は、車両を道路の左側に一旦停止させたのち、対向車線を斜めに横断して右後方に後退させるという変則的な運転方法をとるのであるから、右側からの追越し車両の存在等も容易に予測されるところであって、後方から進行してくる車両との衝突の危険性は極めて大きかったものといわなければならない。したがって、右のような車両の後退にあたり、自動車運転者としては、同乗者のいないときは、自ら一旦下車して自車の後部に廻り、後退進路上の安全を確認したうえで後退進行を開始すべき義務のあることは当然であり、また、被告人車を道路脇の退避所に向かって後退進行させることが所論のように困難な運転操作を伴うものであったとしても、後退開始の直前から後退の実施中を通じ、継続して左右の後写鏡により後方の安全を確認することが自動車運転者に対して一般に要求される必要最少限度の義務であることはいうまでもないところであるから、本件の場合に被告人に対してこれらの実施を期待することは少しも苛酷な要求にはあたらないものと考えられる。さらに、本件の場合、被告人が自車の後退開始直前に下車して、後方の道路状況を見分していたとすれば、被害車の近接するのを発見することができて適宜の対応措置をとりえたことは前示のとおりであり、また、原審及び当審受命裁判官の各検証調書によると、左右の後写鏡を通して後方から接近してくる二輪車を発見することは必ずしも容易であったとはいえないにしても、後写鏡による慎重な注視を継続していれば、自車の後方に延びる直線道路が湾曲する手前の地点から自車の死角にいたるまでの間において近接してくる被害者が後写鏡の中に出現するのを発見しえたものと認められ、この履行手段によっても本件衝突事故を回避することができたわけであるから、原判決が判示している後方の安全を確認するための履行手段が本件と因果関係を有することは明白である。また、関係証拠によれば、本件被害者は被告人車に近接したのち、これを右側から追い越そうとしたもののようであるが、かような措置が法規に照らして違法なものといえないうえに、本件のような状況のもとに自車を後退させる被告人としてかかる後続車のあることを予見する可能性及びその義務のあることは多言を要しないところであるから、所論信頼の原則を本件に適用する余地はなく、かくして、原判決には所論のような法令の解釈、適用の誤りはない。

(西川 杉浦 阿蘇)

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