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東京高等裁判所 昭和53年(う)2657号 判決 1979年4月12日

被告人 中村豊

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人谷浦光宜が差し出した控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断する。

所論は、原判示第二事実についての事実誤認の主張であつて、要するに、原判決は被告人が国鉄東京駅構内八重州新幹線中央乗換出札所において、「服部和彦が同所四番カウンター上に同人所有にかかる札入れ一個を置き忘れた直後、同カウンター上からいまだ同人占有下にあつた右財布を窃取したものである」と認定しているが、(一)本件財布は被害者の占有から離脱していたものであり、(二)また被告人も本件財布を窃取する意思をもつていなかつたから、本件は窃盗罪ではなく占有離脱物横領罪をもつて問擬するのが正当であつて、この点原判決は事実を誤認しており、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、として、その理由を縷述するものである。

しかしながら、原判決が判示第二事実について挙示する証拠によれば、原判示のとおり窃盗の事実を認定することができるのであつて、原判決が所論の点について事実を誤認しているとは認められない。以下論点についての判断を示すこととする。

(一)  本件財布に対する被害者の占有について

所論は、被害者は本件財布をポケツトにしまうつもりで無意識的に四番カウンター上に置いたのであり、右財布を四番カウンター上に置かれた状況下で支配する意思をもつていなかつたから、本件財布は被害者の占有から離脱したものというほかはないと主張する。

よつて検討するに、前記関係証拠によれば、被害者が国鉄東京駅構内八重州新幹線中央乗換出札所の四番カウンター(指定券、特急券窓口)において、ズボンの尻ポケツトから本件財布を取り出し、そこから一万円札を抜き出し特急券を買い、すぐその足で一三番カウンター(乗車券窓口)に行き乗車券を買いつり銭を手に持つていると思つた財布に入れようとして、四番カウンターに財布を置き忘れたことに気付き、慌てて同カウンターに戻つたところ、既に財布は持ち去られていたもので、被害者が四番カウンターで特急券を購入してから一三番カウンターで財布を置き忘れたのに気付いたのは約一、二分後で、四番カウンターから一三番カウンターまでの距離は約一五、六メートルに過ぎなかつたことが認められるのであつて、これらによれば、被害者は四番カウンターから離れた直後に本件財布を置いて来たことに気付いており、しかも一三番カウンターに至つた時点においても四番カウンター上の本件財布に対し、被害者の目が届き、その支配力を推し及ぼすについて相当な場所的区域内にあつたものと認められるから、かかる時間的、場所的状況下にあつた本財布は、依然として被害者の実力的支配のうちにあつたと認めるのが相当であり、未だもつて被害者の占有を離脱した状況にあつたものとは認められない。

所論は、被害者は四番カウンター上に本件財布を置いたときから、右財布を支配する意思がなかつたというが、司法警察員作成の現行犯人逮捕手続書等によれば、被害者は財布をしまう際ではなく、特急券を購入する際、財布を四番カウンター上に置いたものと認められるのであり、もとよりその際財布を支配する意思も有していたものと推認できるから、その時点から財布が被害者の意思に基づかないで占有を離れていたとは到底認めることはできない。

(二)  被告人の窃取の意思について

所論は、被告人は本件財布を切符を買つた誰かが置き忘れていつたものと思つて拾つたのであつて、窃取の意思はなく、単に遺失物横領の意思しかなかつたというのである。

しかしながら前記現行犯人逮捕手続書、丸山任彦の検察官に対する各供述調書によれば、被告人は、四番カウンターから五、六メートル離れた地点で、被害者が同カウンター上に本件財布を置き忘れたままその場を立ち去つて行く状況の一部始終を見ていて、被害者がその場を離れるや直ちに四番カウンターに近付き本件財布を手中に収めたことが認められるのであつて、右の状況のもとにおいては、被告人は、本件財布が被害者において一時置き忘れたものであり、未だ同人の占有が継続していることを知りながら、同人や周囲の人に気付かれないうちに、本件財布を自己の支配下に移したものと認められるから、被告人は本件財布を窃取する意思を有していたものと認定することができる。

もつとも被告人は、原審公判廷において、私は誰かが財布を忘れるのを物色して取つたのではなく、落し物を捜しながら歩いていたところ四番カウンター上に財布があつたので、持主がいないのを一、二分間ぐらい確かめた後に拾つたのであるなど所論に添う供述をしているが、前記現行犯人逮捕手続書、丸山任彦の検察官に対する供述調書二通によれば、丸山任彦は本件当日すり置き引きの犯人検挙の目的で前記出札所付近を警戒していた鉄道公安官であつて、その付近をぶらつきお客の荷物等に視線を投げかけている被告人を置き引きを狙うものとしてじつとその行動を見張つていたものであり、被告人が前記認定地点から被害者が本件財布を置き忘れたまま立ち去つて行く様子を見ているのを現認していた事実が認められるのであつて、これらの事実に徴し、所論に添う被告人の原審供述は措信できない。

以上説示したとおり、原判決には本件財布に対する被害者の占有及び被告人の窃取の意思について事実誤認はなく、本件が占有離脱物横領罪であるとの所論は採用できない。

よつて、刑訴法三九六条により、本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用については刑訴法一八一条一項但書によりこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 向井哲二郎 山木寛 中川隆司)

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