東京高等裁判所 昭和53年(ネ)1686号 判決 1979年5月30日
控訴人
根岸スエ
右訴訟代理人
石川功
被控訴人
山本トリエ
右訴訟代理人
蒲範雄
被控訴人
逗子信用組合
右代表者
菊池敏夫
右訴訟代理人
中村源造
外一名
主文
控訴人が差戻前の当審で追加した請求を棄却する。
前項の請求に関する訴訟費用は控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
一請求原因一項ないし三項の事実<編注・控訴人と根岸誠二との婚姻、本件土地建物の贈与、根岸誠二の死亡>並びに控訴人が差戻前の当審の昭和五一年七月二七日の口頭弁論において陳述した同月二日付準備書面によつて被控訴人らに対し本件遺留分減殺請求の意思表示をなした事実は、当事者間に争いがない。
<証拠>によると、本件贈与がなされた当時、本件土地建物は訴外根岸誠二の財産としてほとんど唯一のものであり他にみるべきものがなかつたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。<証拠>によると、訴外根岸誠二とその妻控訴人とはかねて夫婦仲に円満を欠いていたが、昭和三三年頃には不仲程度が甚しくなり、誠二は同年六月頃家を出て被控訴人桜井方において同人と同棲し、養子である訴外根岸克子とともに同被控訴人の世話を受け、生活費も同人の補助に頼つていたものであるが、七四歳の高令になり生活力も失つていた時期である昭和四三年一二月二〇日に、被控訴人桜井の自己及び克子に対する愛情ある世話と経済的協力に感謝し、かつ自分の亡きあと養子克子の面倒を同被控訴人にみてもらうために本件土地建物につきその持分二分の一を被控訴人桜井に贈与し、同時に他の二分の一の持分を克子に贈与したものであることが認められる。また、右証拠によれば、被控訴人は昭和四八年二月頃本件建物のうち店舗部分に相当改装工事を加えたことが認められるが、右事実及び前記のとおり被控訴人桜井が訴外根岸誠二の生計を扶けた事実があるからといつて本件土地建物が実質的に被控訴人桜井の所有物であつたとみなされるものではない。
前記争いのない事実及び前記認定事実のもとにおいては、被控訴人桜井は、訴外根岸誠二の全財産が同被控訴人と克子に贈与され、その結果遺留分権利者に損害を加えることを知つて、本件贈与を受けたものとみるのが相当である。
そうすると、被控訴人が贈与を受けた本件土地建物の共有持分二分の一は、遺留分算定の基礎となる財産というべきであり、控訴人の本件減殺請求の対象となりうるものである。
二そこで、本件遺留分減殺請求が時効により消滅したか否かについて、先ず判断する。
<証拠>によると、控訴人は、夫である訴外根岸誠二が昭和四九年六月二五日に死亡した後一か月足らずのうちに本件土地建物の権利関係について調査し、本件土地建物が昭和四三年一二月二〇日付で被控訴人桜井及び訴外根岸克子に共有持分二分の一宛贈与されていることを了知していたことが認められる。
ところで民法一〇四二条にいう「減殺すべき贈与があつたことを知つた時」とは、単に贈与の事実を知つた時でなく、それが減殺をなし得べきものであることを知つた時をいうものと、解すべきであるから、遺留分権利者となりうる者が右贈与は無効であると信じ、訴訟上抗争しているような場合には、贈与を知つていた事実だけをもつて「減殺すべき贈与」があつたことを知つていたものとは直ちに断定できないが、民法が遺留分減殺請求権につき特別の短期時効を法定した趣旨に鑑みれば、右無効の主張が一応の事実上の根拠もしくは法令の解釈適用上の根拠があり、無効を主張し、遺留分減殺請求権を行使しないことにつき相当の理由があると認められないかぎり、「減殺すべき贈与」を知つていたものと認めるのが相当であり、贈与無効の主張をしていることのみをもつて時効の進行の開始がないものとすることはできない。
本件記録及び弁論の全趣旨によれば、本件において控訴人の訴訟代理人は、訴外根岸誠二の被控訴人桜井に対する本件贈与が、右両者間の妾契約に基いてなされたもので公序良俗に反し無効であると考え、その旨の主張をして被控訴人桜井の受贈した本件土地建物の持分二分の一の返還を訴求していたが、原審において右返還請求が不法原因給付の返還として許容されないとの趣旨の判決を受けてから、控訴審において予備的に本件減殺請求権を行使して遺留分相当分の返還請求をするに至つたものであること、被控訴人逗子信用組合の訴訟代理人は昭和四九年一一月一一日付準備書面において仮に本件贈与が公序良俗に反し無効であるとするならば控訴人の返還請求は民法七〇八条により許されない旨を主張しており、右準備書面は原審における前同日の口頭弁論期日において陳述され(被控訴人桜井も右主張を援用した)たこと、従つて、控訴代理人の右主張自体及び右訴訟の経緯に照らして、遅くとも昭和四九年一一月一一日頃には、仮に本件贈与が無効であるとしても、これを理由とする目的物返還請求が排斥されることがありうることは充分に予想されたこと、控訴人の本件贈与無効の主張は差戻前の当審の判決においては、贈与に至る事情及び経過に照らし公序良俗に反する無効なものといえない旨判断されて排斥され、右の判断は最高裁判所においても是認されたことが認められる。
右認定事実によれば、本件贈与の無効を主張したこと自体前掲の事情からみれば根拠を欠くものというべきであるが、さらに相手方から民法七〇八条の抗弁が提出されているにもかかわらず控訴代理人が本件贈与の無効のみを主張して目的物の返還を請求し、昭和五一年七月まで遺留分減殺請求権を行使しなかつたことについては相当な理由があつたとは認めがたい。従つて、控訴代理人は遅くとも昭和四九年一一月一一日頃には本件贈与が「減殺すべき贈与」であることを知り、又は知るべきであつたと認めるのが相当であり、右の効果は控訴人本人についても及ぶものというべきである。従つて、遅くとも右時点から本件減殺請求権の消滅時効の進行が開始していると解すべきである。
そうすると、控訴代理人が本件減殺請求の意思表示をなしたのは、昭和五一年七月二七日であるから右時点より一年以上経過しており、本件遺留分減殺請求権は時効により消滅しているといわなければならない。
三以上の次第で控訴人の本件遺留分減殺請求に基づく請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当である。
よつて、控訴人が差戻前の当審で追加した本訴請求(旧予備的請求)は理由がないのでこれを棄却することとし、右請求に関する訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(外山四郎 海老塚和衛 鬼頭季郎)
物件目録<省略>