東京高等裁判所 昭和53年(ネ)2996号 判決 1984年4月27日
控訴人
株式会社学習研究社
右代表者
古岡秀人
右訴訟代理人
馬場東作
森田武男
佐藤博史
高津幸一
高橋一郎
被控訴人
天野隆介
右訴訟代理人
大竹秀達
吉川基道
佐伯静治
佐伯仁
服部大三
主文
原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
右部分に関する本件仮処分申請を却下する。
申請費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。
事実
(当事者の求める裁判)
一 控訴人
主文第一ないし第三項と同旨の判決。
二 被控訴人
控訴棄却の判決。
(当事者双方の主張)
次に付加するほか、原判決事実摘示「第二 当事者の主張」欄(別表を含む。)記載のとおりであるから、これを引用する(但し、原判決一二丁表八行目の「遣責」を「譴責」と改める。)。
一 当審における控訴人の主張
1 中央労働委員会(以下「中労委」という。)は、昭五六年九月一六日付命令をもつて、東京都地方労働委員会(以下「都労委」という。)が申立人を労組、被申立人を控訴人とする都労委昭和五〇年不九号及び同不第三九号事件について発した被控訴人の原職相当職(以下、単に「原職」という。)復帰と解雇の日の翌日から原職復帰までの賃金相当額の支払を命じる救済命令を維持したが、右のうち原職復帰を命じる部分につき東京地方裁判所は、中労委の申立に基づき昭和五七年四月三〇日付をもつて控訴人に対し右命令に従うべき旨の緊急命令を発した。そこで、控訴人は、労組と協議の結果、昭和五八年一月五日被控訴人をしてその原職たるレジャー出版部に復職せしめ、その後被控訴人は現在まで同部に引き続き就労している。
2 また、控訴人は、被控訴人の原職復帰の賃金月額についても、昭和五八年一月分から毎月二五万八、三七五円(これは原判決が命じた支給月額一八万二、五〇〇円を七万五、八七五円上回るものである。)を支払い、同年四月分からは更に増額して毎月二六万八、五七五円を支払つている。
3 他方、被控訴人の解雇の日の翌日から原職復帰までの賃金相当額(所謂「バックペイ」)の支払を命じる部分について中労委が東京地方裁判所にした緊急命令の申立は却下されたが、中労委は右却下決定に対して東京高等裁判所に抗告したところ、同裁判所は、昭和五八年五月九日付をもつて、右賃金相当額の支払についても中労委の命令によつて維持された前記都労委の救済命令に従うべきこと(但し、支払うべき金員の額は、右賃金相当額から被控訴人が原判決に基づき控訴人より支払を受けた額を控除した差額とする。)を命じる決定をしたので、控訴人は、これを受けて昭和五八年六月三日被控訴人に対し右差額バックペイ分(賞与、期末奨金各相当分を含む。)として合計七六二万〇、五〇三円を支払い、被控訴人はこれを受領した。
4 一般に保全訴訟においては、被保全権利と並んで保全の必要性の存在を要するところ、本件は、所謂「断行の仮処分」として特に保全の必要性は厳格に判断されるべきことは論を俟たない。
ところで、本件仮処分の必要性は、もともと本訴の確定を待つては賃金を唯一の生活の資とする被控訴人の生活が破壊され、権利の保全が事実上無意味となるところに存したのであるから、緊急命令の履行の結果とはいえ、以上に記述したとおり、被控訴人については、現在及び将来の賃金、賞与の支給が現実に実施ないし保証され(しかも、その金額は原判決認容額をはるかに上廻るものである。)、のみならず過去の差額分も現実に支払われており、そのうえ原職に復帰し、現に就労している以上、如何なる意味においても、本件仮処分の保全の必要性は完全に消滅しているものと断ぜざるを得ない。
したがつて、本件について改めて本訴をもつて争うのは格別、本件仮処分申請は保全の必要性を欠くものとして却下されるべきであり、原判決中控訴人敗訴部分は取消しを免れない。
二 当審における控訴人の主張に対する認否と反論
1 当審における控訴人の主張1ないし3の事実は、控訴人が被控訴人に対し昭和五八年四月分から毎月二六万八、五七五円の賃金を支払つていることを除いて認める。同4の主張は争う。
2 緊急命令と仮処分とは、その制度の趣旨、目的、要件、効果等を異にするものであつて、たとえ緊急命令によつて被控訴人が原職に復帰し賃金の支給を受けたとしても、その利益はあくまで事実的、反射的、暫定的かつ第二次的なものにすぎないのであるから、それによつて被控訴人自身の救済を直接の目的とする本件仮処分の必要性がいささかも減少するものではない。それに、緊急命令が発せられた後でも、裁判所は申立又は職権により何時でもその命令を取消し又は変更できるとされているところ、控訴人は、後に取下げたとはいえ、いつたん裁判所に対し緊急命令の取消しの申立をしているのであつて、このことは被控訴人の地位の不安定さを示すものである。
更に、所謂「バックペイ」についての被控訴人に関する緊急命令は、その主文及び理由から明らかなように、原判決の存在を前提にし、同判決の時間的経過や他の被解雇者で緊急命令が発せられた者らとの均衡を図る等の理由から、賃金相当額につき原判決認容額を上廻る部分の履行を命じたものであるし、原職復帰後の月額賃金についても、控訴人は当初原判決認容額たる一八万二、五〇〇円しか支給しようとしなかつたが、その後の折衝によつて七万五、八七五円が上積みされて月額二五万八、三七五円となつた経緯があるのである。このように、緊急命令と原判決とは、それぞれ併存、補完しあう関係にあるのであつて、この点からも、本件仮処分の必要性が失われていないことは明らかである。
(証拠関係)<省略>
理由
一本件記録によれば、被控訴人は、昭和四八年三月控訴人会社に採用され、同年六月レジャー出版部に配属され、以来同部で雑誌の編集に従事してきたが、昭和四九年一一月右レジャー出版部から編集総務部市場開発室への異動(配転)を命じられ、これを拒否したところ、同月二九日解雇の通告を受けたことから、右配転命令及び解雇の効力を争うとともに、被控訴人が賃金を唯一の収入として生活する者であり、控訴人から従業員として取り扱われず、賃金等の支払を受けられないでは、生活に困窮し著しい損害を蒙るとして、昭和四九年一二月二一日東京地方裁判所に対し、被控訴人が控訴人会社のレジャー出版部所属の従業員たる地位にあることを仮に定める旨と毎月一一万四、〇〇〇円宛の賃金の仮払を求める旨の仮処分を申請したこと、なお、賃金の仮払については、原審の口頭弁論終結時である昭和五二年一二月五日の第一一回口頭弁論期日において、その求める裁判の内容を、昭和五二年一一月一五日までの賃金、一時金、期末奨金として合計八六七万六、四二八円及び同年一二月以降本案判決確定に至るまで毎月一八万七、三〇〇円宛の賃金の各仮払を求める旨に変更したこと、原審は、昭和五三年一一月三〇日被控訴人の申請をほぼ認容して、控訴人に対し、被控訴人が勤務部署をレジャー出版部とする労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める旨及び五二年一二月一五日までの賃金等として八四七万四、八七八円を直ちに、同年一二月以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り月額一八万二、五〇〇円宛の金員をそれぞれ被控訴人に支払うべき旨を命じる判決を言渡したこと、この判決に対し、控訴人は控訴をしたが、被控訴人は控訴をしなかつたことが認められる。
二ところで、当審における控訴人の主張1ないし3の事実は、控訴人が被控訴人に対し昭和五八年四月分から毎月二六万八、五七五円の賃金を支払つていることを除いて、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、控訴人は被控訴人に対し賃金として昭和五八年四月分から毎月二六万八、五七五円を支払つていることが認められる。
三以上の事実によれば、被控訴人は、緊急命令の結果とはいえ、原職たるレジャー出版部に復職して就労し、昭和五八年一月分から原判決が仮払を命じた額を上廻る毎月二五万八、三七五円の、また同年四月分からは毎月二六万八、五七五円の賃金の支給を受けているのみならず、解雇の日の翌日から原職復帰までの賃金相当額についても、原判決が仮に支払を命じたことにより控訴人に既に支払つた額を控除した残額を受領しているのであるから、控訴人が賃金を唯一の収入として生活する者であつて、レジャー出版部に勤務する従業員として取り扱われず、賃金等の支払を受けられないでは、生活に困窮し著しい損害を蒙ることを理由とする本件仮処分申請の保全の必要性は、最早失われたものというべきである。
被控訴人は仮処分と緊急命令とでは、その制度の趣旨、目的、効果等が異なり、緊急命令によつて被控訴人が受けた原職復帰等の利益は、事実的、反射的、暫定的かつ第二次的なものにすぎず、被控訴人自身の救済を直接の目的とする本件仮処分の必要性は未だ失われていない旨主張するが、本件仮処分申請は被控訴人が収入の途を奪われていることをその保全の必要性の基礎においているものであつて、被控訴人が原職に復帰して賃金収入を得ている以上、たとえ、それが被控訴人の主張するような緊急命令の事実的、反射的、暫定的、第二次的利益の結果として実現されたとしても、被控訴人の収入が現実に確保され、日常生活上の不安が解消したことには変りがないのであるから、被控訴人の右主張は失当である。なお、被控訴人は、裁判所は職権又は申立により何時でも緊急命令を取消し又は変更できること及び現に控訴人が緊急命令の取消しの申立をしたことを挙げ、被控訴人の地位が不安定であることを指摘するが、控訴人が緊急命令取消しの申立をその後取下げたことは被控訴人の自認するところであるうえ、被控訴人に関する緊急命令に控訴人が服してこれを履行していることは当事者間に争いがないのであるから、被控訴人において、緊急命令が近い将来取消し又は変更される可能性のあることを具体的に疎明しない限り、被控訴人の地位が仮処分によつて、保全しておかなければならない程に不安定であるということはできない。
次に、被控訴人は、緊急命令は原判決を前提にしており、両者はそれぞれ併存、補完しあう関係にあるので、本件仮処分の必要性は失われていないとも主張する。なるほど、<証拠>によれば、東京高等裁判所が中労委の命令によつて維持された都労委の救済命令の主文第二項(解雇の日の翌日から原職に復帰するまでの間に受けるはずであつた賃金相当額の支払を命ずる部分)に従うべきことを命じる決定をした際、その主文において、控訴人が被控訴人に対して支払うべき金員の額は、右賃金相当額から被控訴人が原判決に基づき控訴人から支払を受けた額を控除した金額としていること、以上の事実は、概ね当事者間に争いがない。)が一応認められるところ、これは、救済命令が支払を命じた賃金相当額と原判決が仮払を命じた金員とは同一の性格のものであり、かつ、後者は既に支払済であることから、これに該当する部分については、右救済命令が履行されたのと実質的に同じ状態にあり、敢えてこれについて緊急命令を発令する必要性はないと判断されたことによるものと推認され、この推認を覆すに足る疏明はない。これによれば、右高裁決定は原判決の存在を前提にし、両者は補完しあう関係にあるということができないではない。しかし、右高裁決定が原判決に基づいて仮払された金員の部分を緊急命令の対象から除外したといつても、救済命令はあくまで解雇の日の翌日から原職復帰までの賃金相当額全部についてその支払を命じているのであり、原判決に基づく仮払の金員が右賃金相当額と同一の性格のものであつて、その一部を構成するのと同視できるものであることからすれば、右救済命令が存する限り、仮に原判決が取消されたとしても、それによつて直ちに被控訴人が原判決に基づいて仮払を受けた金員の返還を求められる筋合にはなく、それ故前記疎明事実にかかわらず、少なくとも所謂「バックペイ」に関する部分については、原判決並びにこれを求めた仮処分申請は全く無意味になつたものというべきである。他方、原職復帰を命じる緊急命令については、これが原判決の存在を前提にして発令されたものであることを疎明するに足る証拠はないのみならず、原職復帰後の賃金についても、被控訴人が緊急命令に基づいて原職に復帰して現に就労している以上、これが支給を受くべきは当然であつて、この理は、たとえ原判決が取消されても、何ら異なるものではない。そして、原職復帰後の賃金の額が被控訴人主張のような経緯によつて定められたとしても、その額が原判決が仮払を命じた額を上廻るものであるからには、被控訴人主張の事実が原判決を存続させるに足る事由となるものではないことは明らかである。
したがつて、今なお仮処分の必要性があるという被控訴人の主張は、採用することができない。
四以上のとおりであるから、本件仮処分申請は、被保全権利の存否について判断するまでもなく、保全の必要性がないものとして却下されるべきであり、これと異なる原判決中の本件仮処分認容部分(控訴人敗訴部分)は取消しを免れず、本件控訴は理由がある。
よつて、原判決中控訴人敗訴部分を取消し、右部分に係る本件仮処分申請を却下することとし、申請費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(磯部喬 大塚一郎 川﨑和夫)