大判例

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東京高等裁判所 昭和53年(ネ)362号 判決

≪証拠≫によれば、本件遺言書は、亡庄田吉勝がその全文並びに「昭和四拾壱年七月吉日」の文言及び自己の氏名を自書し、これに押印したものである事実を認めることができる。

ところで、「吉日」というのは、一般に、「物事をするによい日。よい日がら。めでたい日。運のよい日。」(広辞苑第二版その他の国語辞典)という意味で用いられている文言であって、私文書を作成するに当たって使用される例が少なくなく、本件においても、亡庄田吉勝は、本件遺言書を作成した日に、慶賀すべき日としてその日を表示する意図をもって「吉日」と記載したものと推認することができる。したがって、本件遺言書に記載されている「吉日」の文言が「大安の日」(陰陽道による大安日をいうものと解される。)を指すものであるとか、昭和四一年七月中の「一日から三一日までの三一個の日」を指すものであるという控訴人の主張は、これを採用することができず、結局本件遺言書自体から特定の作成年月日を発見することはできないものといわざるを得ない。<中略>

控訴人は、前記一で説示したような自筆証書に日附の自書を要求する趣旨からみて、暦日の特定がないという一事をもって本件遺言書による遺言を無効とするのは、遺言者の意思を反映させようとする遺言制度の目的に反するから、妥当でないと主張する。

なるほど、遺言の方式に関する立法論としては、できる限りその要式性を緩和し、遺言者の真意を探究してこれを生かすようにすべきであるとするものがあり、民法の解釈としても、控訴人の右の主張に沿う見解がないわけではない。

しかしながら、要式行為はその方式に従っていなければ法律上の効力を生じないものであり、民法は自筆証書による遺言を厳格な要式行為としているのであるから、その解釈上要式性の緩和についてもおのずから限度があるといわざるを得ない。確かに民法の規定する要式性は自筆証書による遺言をしようとする者にとって不自由であり不便な場合もあり得るのであって、立法論としては、繁雑をいとわなければ、日附の記載がない証書による遺言もこれを一応有効とした上、他の証拠によってその作成時期を確定し、遺言能力の存否なり、作成時期の先後なりを決することとすることも可能であろう。ただ、民法は、そのような態度を採ることなく、遺言者の真意を明確にし、事後における紛争と混乱を避けるため、画一的に日附の自書を強制することとしたものと解すべきである。この民法の法意に照らすとき、自筆証書による遺言が有効であるためには、当該証書自体により遺言成立の日が一義的に明確にされていることを要するものと解するのが相当である。

したがって、前記のように亡庄田吉勝に遺言能力があり、かつ、いまだに複数の遺言書の存在が明らかでないからといって、日の記載のない本件遺言書による遺言を有効なものとすることはできない。

(貞家 長久保 加藤)

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