東京高等裁判所 昭和53年(ネ)42号・昭53年(ネ)1243号 判決
ところで、被控訴人は、水窪営林署の署長及び庶務課長(以下「署長」らという。)が、健康管理者又は主任衛生管理者(以下単に「健康管理者」という。)として、被控訴人の健康管理上とるべき適切な措置を怠った違法により、被控訴人に気管支拡張症、肺結核として療養生活を送らせ、呼吸器機能障害の身体障害者と認定されるに至らしめたと主張し、控訴人はこれを争うので、先ず事実関係について判断する。
≪証拠≫を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 被控訴人(昭和二年一二月三〇日生)は、前記のように昭和三九年七月二九日豊橋市民病院に入院したが、これは、かねてから慢性気管支炎で亀井敦医師の治療を受けていたところ、右気管支炎が悪化し、同医師の紹介により、右病院において診察を受け、肺結核及び気管支拡張症と診断されたためである。しかし、被控訴人は、昭和四一年三月一五日には同病院を退院して、在宅治療に変った。右退院に際して、豊橋市民病院は、「被控訴人は肺結核、気管支拡張症の疾患で入院加療したが、経過良好で、三月一四日退院予定であり、四月二〇日まで自宅加療を必要と認める」旨の昭和四一年三月一二日付診断書を発行し、該診断書はそのころ水窪営林署に提出された。
2 退院後、被控訴人は、天竜保健所に結核患者として登録され、同所の療養指導を受けるほか、亀井医師の治療を受けつつ、在宅療養につとめていたが、昭和四二年四月初旬、水窪貯木場主任小森三郎から復職の意向の有無を打診されたのに対し復職の希望を申し出で、同月一一日、主治医たる前記亀井医師の診断書を添付して、東京営林局長宛てに「私傷病のため休職中のところ別紙診断書の通り軽作業が可能となったので復職したい」旨の復職願を提出した。右診断書(同日付)には、「病名、慢性気管支炎、肺結核。軽作業可能なるものと認む。安静度七」との記載があり、水窪営林署がさらに同署衛生管理者である鈴木直彦医師をして被控訴人を診断せしめた結果同医師から提出された診断書(同月一八日付)には、「傷病名、肺結核。現在血沈一時間四ミリ、二時間六ミリ。X線撮影の結果、異常なく、治癒したものと認める」旨の記載がなされていた。
3 水窪営林署長は、右鈴木医師の診断書に基づいて、被控訴人を復職させて差支えないものと判断し、東京営林局長にその旨副申し、同月二一日付で同営林局長から復職の発令があり、被控訴人は復職した。そして、右営林署長は、同人の健康状態を考慮して、水窪貯木場庁舎内外の清掃、除草など労力を要することの少ない単純簡易な雑役に従事させた。
4 被控訴人は復職後も、亀井医師の投与する薬を服用して同医師の治療を受け続けたが、水窪営林署の実施した昭和四二年五月一〇日の春季定期健康診断及び同年一〇月一九日の秋季健康診断においては、鈴木直彦管理医から、医療は必要であるが軽作業に従事して差支えないと診断され、そのことを意味する指導区分B1の判定を受けた。そして被控訴人は、復職後、身体に外見上特段の変異を起すこともなく八か月を過し、その間、復職直後の昭和四二年四月二五日から二八日まで及び同年五月一日の計五日の病気休暇を得て休業した以外には、年次休暇は別として、病気を理由として休業をすることもなく、漸次、元気を回復している様子が見られた。そこで、前記小森主任は、被控訴人を担当業務の一定しない雑役に従事させたままにしておくよりは、同人にふさわしい他の職種に就かせるのが同人のためになると判断し、当時被控訴人採用時の職種である貯木場の守衛が既に廃止になっていたこともあったので、被控訴人の配置換えを上司に進言した。そこで署長は、衛生管理者たる厚生係長安藤重治をして被控訴人の主治医亀井医師及び営林署管理医の鈴木医師から意見を聞かせたうえ、被控訴人の承諾を得て、同人が就き得る職種のうち、比較的高齢な者や婦人のみならず、健康状態の異常又は四肢の障害がある者でも従事している業務で、最も軽度の労役をもって足りる林道の保守に従事させることとし、昭和四二年一月一日、被控訴人を戸中山製品事業所に配置換えし、土木手を命じた。(なお、被控訴人は、同月五日をもって農林技官に任命された。)亀井医師は、右配置換えに際し、被控訴人が土木手として林道保線業務に従事すること及びその業務の態様を知りながら、被控訴人の健康上右配置換えが不適であるなどの注意又は意見を述べるということはなかった。
5 水窪営林署の現場作業員は、作業場宿舎に宿泊して服務することになっていたので、被控訴人も右配置換えにより、白倉林道の起点から五〇〇メートル奥にある白倉検問所跡宿舎に遠山正二、北村某及び炊事婦一名と共に寄宿したうえ、当初は白倉林道の起点から五〇〇メートルの地点までの区間、三か月後の昭和四二年四月一日以降は、起点から一・五キロメートルまでの区間を担当し、主として右区間における危険発見のための巡視のほか、道路の凹凸をじょれん(鋤簾)を使ってならしたり、竹箕や一輪手押車で土砂を運び埋土するなどの方法による簡易な補修(右作業態様については当事者間に争いがない。)や、側溝にたまった土砂又は崩れ落ちた土砂の除去作業に従事していた(時にはつるはしを用いることもあった。)が、右担当区間は、林道中最も整備された箇所であり、被控訴人より一四才年長で足の不自由な同僚の遠山正二が、その奥地の二ないし三キロメートルの区間を担当しているのに比べて、遥かに作業量は少なく作業も容易な場所であった(なお、被控訴人が当初担当した五〇〇メートルの区間は、かって遠山が事故で負傷したため、林間鉄道関係業務から林道保線業務に変った際に、松葉杖を使用しつつ服務したことのある場所である。)。そのうえ被控訴人は、上司の直接の監督の下に服務したのではなく、また、一日の作業量が割当てられたのでもなく、自らの判断で適宜作業に従事していたのみならず、西野三三主任から、無理をすることなく、体調に合せて服務すれば足りる旨言い渡されていたし、現に、朝の始業は遠山より遅く、夕方は遠山より早く終業するのが通常であり、雨天の際には、他の者が平常通り就業する場合でも被控訴人は就業しないことがあったし、特に寒いときには暖を採るための休憩を多くとるなどした。そのため、被控訴人担当区間は、最も整備された林道部分であるにもかかわらず、保全が十分とはいえないことがあり、時には同僚の遠山らが被控訴人の知らないうちに、それとなく補修しておくこともあった。また林道保線業務そのものについて、被控訴人の主治医亀井医師も、水窪営林署衛生管理者の鈴木医師も、被控訴人の身体に適応する軽作業に該当すると判断していた。
なお、被控訴人の所属していた戸中山製品事業所は、昭和四四年七月一日限りで廃止され、それに伴って被控訴人の所属が白倉製品事業所に変更したが、その際白倉検問所跡宿舎も廃止されたため、被控訴人ほか右宿舎に寄宿していた者らは、白倉製品事業所宿舎に移転した(同所には、土木手以外の作業員も含めて七〇人ないし八〇人の者が宿泊していたし、その中には、被控訴人の母も弟も含まれていた。)。
6 被控訴人は営林署に勤務する前、風呂桶の製造販売を営んでいたものであり(この点当事者間に争いはない。)、水窪営林署に守衛として採用された後も、その業務が夜警であった関係で、日中は右営業を継続していたが、健康が勝れなくなった昭和三六年ころからは、風呂桶販売取付の営業を妻に委ねて、被控訴人自身はこれを手伝う程度にとどめ、昭和三八年四月四日をもって、営業名義人を被控訴人から妻の西沢ちとせに変更する旨を税務関係諸機関宛て届け出た。
しかし、被控訴人は、復職後も、妻の営む営業を手伝い、土木手として勤務するため作業場宿舎に寄宿している間も、週末の土曜から日曜にかけて帰宅し、自動車を運転して風呂桶の運搬をしたり、注文に応じて風呂桶取付工事に従事したりしていた。
7 被控訴人は、復職の際に鈴木管理医から肺結核治癒と診断され、昭和四二年春季及び秋季の各定期健康診断に際しても同医師から結核について特段の注意を受けなかったこと、また主治医の亀井医師は、被控訴人が全身倦怠感を訴え、時々喀血のあることを告げたのに対し、それは気管支拡張症の特徴であって心配はない旨答えていたに過ぎないことから、被控訴人としては、罹患した疾病中、肺結核は治癒し、慢性気管支炎又は気管支拡張症のみが残存しているものと思い、職場の上司や同僚らには慢性気管支炎を患っていると話していた。右のほか、被控訴人は昭和四三年一月から昭和四四年八月までの間に、次のとおり亀井医師の診断書に基づいて病気休暇を得ていたが、右各診断書には病名として慢性気管支炎とのみ記載されていた。
昭和四三年一月一八日から同月二七日までの間に九日
同年五月九日から同月一五日までの間に六日
同月二九日から同年六月二九日までの間に二八日
同年七月四日から同月二七日までの間に二一日
同年八月五、六日の二日間
昭和四四年一月二二日から同年二月一日までの間に一〇日
同年三月三日から同月一五日までの間に一二日
同年五月一二日から同年八月一一日までの間に七九日
なお、被控訴人が罹患した肺結核は、復職した当時、治癒していたものであって、その後、被控訴人在職中、再発したことはなかった。
8 水窪営林署では、職員に対する定期健康診断を、昭和四二年度について前示のとおり実施した後にも、昭和四三年六月及び一一月、昭和四四年五月及び一一月、昭和四五年七月及び一二月に実施した。(しかし被控訴人が昭和四二年の二度を除いては右各健康診断を受けたと認めるべき証拠はないが、ただ亀井医師の診察、治療は昭和四五年四月ころまで継続された。)
9 被控訴人の直属の上司、西山三三主任は、被控訴人の健康状態を考慮し、同人の担当として、最も整備された林道部分で、しかも他の者より短い区間を割り当て、その服務の仕方についても体調に応じて適当に就業することを許容して、病気休暇の申出があれば、すべて承認の措置をとったものの、被控訴人が週末には家業に精を出し、自動車を運転して風呂桶を運搬したり、風呂桶取付工事に従事したり、時には病気休暇中に、右のような行為に出ることなどを見聞し、職場では被控訴人の勤務振りについて蔭口がささやかれる状況にあることから、被控訴人が病身にかこつけて職務を疎んじているのではないかとの不信の念を抱き、被控訴人が自己所有自動車を運転して担当区間の巡視をした際には、乗車したままの巡視はいけない旨注意し、また、被控訴人が昭和四三年五月ころ病気休暇中に電話をもって、業務が身体に無理であるとの理由でその変更を希望した際には、このような話し合いを電話でするのは相当でないので、出勤できるようになってから、直接、事情を聞くことにする旨返答しつつも、健康回復への努力の足りない非を諭した。
10 被控訴人は、右のような勤務状態のうちに過して来たが、昭和四四年九月二四日、作業現場からの帰路、降り出した雨にうたれたところ、その晩から発熱して翌日から病気休暇を得て休業したまま、昭和四五年一二月二五日休職となり、その後、前示のとおり身体障害者の認定を受け、退職するに至った。
以上のとおりであって、右認定に反する≪証拠≫は、前掲各証拠に照らして採用することはできず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。<中略>
三 以上の事実関係の下に、被控訴人の主張について判断する。
まず、被控訴人は、署長らが被控訴人の復職に際し、十分な検査、診察を経させることなく、安易に職場に復帰させた違法があるという。しかし、署長らが被控訴人の提出した亀山医師の診断書のほか、さらに衛生管理者たる鈴木医師の診断書をも徴したうえ、被控訴人の申し出でた復職を相当と認め、その手続を進めたものであること前認定二の2及び3のとおりであって、右手続を進めたことになんら違法はないというべきであり、また、これ以上の措置を採らなかったからといって、署長らに健康管理者としての義務懈怠の違法があるとすることもできないから、右主張は理由がないといわなければならない。
次に、被控訴人は、被控訴人が昭和四三年一月一日土木手として水窪営林署戸中山製品事業所に配置換えとなるに当って、署長らは被控訴人の健康状態を留意しなかったとし、その違法を主張する。しかし、前認定二の3及び4の事実によれば、被控訴人は復職後、右発令までの間に春季及び秋季の二度にわたる定期健康診断を受けたが、復職時に比べて特段の身体の異状は指摘されなかったばかりでなく、署長らは被控訴人の就業状況、健康状態等を慎重に観察、考慮したうえで、右配置換えを決定し、かつ、右配置換えにつき被控訴人の主治医たる亀井医師及び衛生管理医たる鈴木医師の意見をも徴していることが認められるのであるから、右配置換えをするに当って署長らに違法の廉はないと解するのが相当である。したがって、この点の被控訴人の主張も採用することはできない。
更に、被控訴人は、署長らが被控訴人を作業場宿舎での宿泊を伴う林道保線業務に従事させ、被控訴人から右業務が身体に無理であるとの訴えがあったのに、これを不問に付した違法があると主張する。しかしながら、営林署における職制上、被控訴人の従事し得る業務としては、林道保線がもっとも軽度の作業であること、被控訴人の服務の仕方について十分配慮されていたこと、亀井医師も鈴木医師も、林道保線業務が被控訴人に従事させてよい業務であることを認めていたこと、等、前認定二の5ないし7の事実関係のもとにあっては、署長らに健康管理者としてとるべき措置を怠った違法があると認めることはできない。もっとも、前示したように、被控訴人が昭和四三年五月ころ上司の西山主任に対し、業務が身体に無理であるとの理由で、職種変更の希望を申し入れたことがあるけれども、それは病気休暇中に電話をもってしたものであったため、西山主任から出勤した時に直接会って事情を聞くことにするとの返事を得ただけで具体的な話にまで立ち入ることはなかったものであり、他方、西山主任は、被控訴人が職場では病身を理由に他に比べて遥かにゆるやかな勤務に服しているにもかかわらず、週末や時には病気休暇中に、妻の営業する風呂桶販売、取付工事に、他人に目立つ程、積極的に従事していて、同僚間の話題に上っていたことから、被控訴人の服務態度に少なからず不信の念を抱いていたことも前示のとおりであって、その後、被控訴人が西山主任に面接し、医師の診断書等、信頼できる資料をもとに具体的に説明して、西山主任をして自己の健康状態の不具合につき認識させるための努力をしたと認めるに足りる証拠はないから、かかる事情のもとにおいて西山主任が被控訴人の申入れを署長らに具申しなかったからといって、これをとがめることは相当でなく、したがって署長らが被控訴人の申入れに対応した措置を採らなかったとしても、違法と断ずることはできないというべきである。被控訴人の前記主張も理由がないというべきである。
次に、原審鑑定人海老原勇の鑑定の結果中に、被控訴人は、復職時に肺結核は治癒していたが、気管支拡張症、慢性気管支、細気管支炎及びこれに続発した細気管支拡張、肺気腫などによる小のう胞性病変が存在し、肺線維症も出現していて、かなり重症の肺機能障害を持っていたものであり、そのため少くとも週一回程度の内科的な診察で経過を見ながら月一回程度の血沈検査、二か月に一回程度の胸部X線検査を実施し、同じ割合で肺活量、一秒量の測定などの簡易な肺機能検査を実施すべきであったこと、復職後から昭和四二年一〇月ころにかけて軽度ながら確実に病状が進行していたものであり、したがって昭和四三年一月一日の極寒期における林道保線業務に配置換えされたのは、医学的に極めて矛盾した措置であったこと、そして右業務に従事したために病状が増悪したことの鑑定意見が存するが、右は、≪証拠≫と対比してたやすくそのまま採りえないものであるばかりでなく、署長らが被控訴人の病状につき、慢性気管支炎というほかに、右海老原鑑定人の鑑定結果にあるような重症の肺機能障害を伴った疾病が存し、それが確実に進行しつつあったことを認識していたと認めるべき証拠はなく、かえって前認定の事実経過から、それを知らなかったものであって、知らなかったことに過失はなかったと認めるのが相当であるから、署長らが右鑑定結果に指摘するような検査等の措置を採らなかったことをもって違法ということはできないというべきである。
その他、前記認定の事実関係の下において、署長らが被控訴人の健康管理上、講ずべき適切な措置を尽さなかった職務違背の違法の点は見当らないし、他にこれを認めるに足りる証拠はないばかりでなく、かえって、被控訴人が復職後従事した林道保線の作業は、受持区間を単独で行動する営林署の現場作業中最も軽い作業であり、被控訴人は当該林道中最も安全かつ作業の容易な区間を割り当てられ、同僚に比べてその区間が最も短かかったなど、上司、同僚も被控訴人の身体状況を考慮していたことからみると、この間の業務が被控訴人の疾患を増悪させたと認めることは困難であるから、署長らに職務上の義務を怠った違法があり、そのため被控訴人に気管支拡張症、肺結核として療養生活を送らせ、呼吸器機能障害の身体障害者と認定されるに至らしめたとの被控訴人の主張は、右いずれの点においても、理由がなく採用することはできない。
(大内 森 真栄田)