東京高等裁判所 昭和53年(ネ)669号 判決 1981年7月22日
控訴人 鈴木梅吉
右訴訟代理人弁護士 本多藤男
被控訴人 小谷田孝一
右訴訟代理人弁護士 上原悟
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 申立て
控訴代理人は、「原判決を取り消す。東京都新宿区四谷二丁目二番五の土地と二番一五、一六の土地との境界が原判決添付図面「あ」点と「い」点とを直線で結んだ線であることを確認する。被控訴人は控訴人に対し原判決別紙物件目録記載の建物のうち右図面「あ」点と「い」点とを直線で結んだ線を越えて二番一五、一六の土地にある部分を収去して、その敷地部分約九・七七平方メートルを明け渡せ。訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
二 主張
当事者双方の主張は、左に付加訂正するのほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、こゝにこれを引用する。
1 原判決三枚目裏七行目「境果石」を「境界石」と改める。
2 同末行目「二五三・三」を「二五三・三八」と改める。
3 同四枚目裏五行目の次に改行して次のように付加する。
「仮に控訴人及び被控訴人の各所有土地の境界があい両点を結ぶ直線でないとしても、控訴人は昭和三七年一〇月一〇日二番一五、一六の土地を買い受けた際、右土地の範囲は原判決説示のAB線をこえて被控訴人所有の本件建物南壁の線まで及んでいるものと過失なくして信じ、以来右部分を所有の意思をもって平穏公然に占有しているから、昭和四七年一〇月九日右部分の所有権を時効により取得した。よって少くとも右部分の明渡請求は認容されるべきである。」
4 同四枚目裏七行目「から」を削る。
5 同九行目冒頭から「否認する。」までを「土地を買い受けたり、そのときからこれを占有したりしていたことは、否認する。買受人は小谷田金三郎である。」と改める。
6 同七枚目表五行目「は否認する。」を「、及び控訴人がその主張の土地を善意無過失でかつ所有の意思をもって占有したことはいずれも否認する。」と改める。
7 同末行目「A、B」を「B、A」と改める。
理由
一 本件紛争の経過と本件各土地の所有占有について
《証拠省略》総合すれば、次の事実を認めることができ、前記証拠中これと異る部分は採用しない(なお係争各土地の現時の所有者及び右各土地が隣接し、境界につき争いのあること、係争各土地の登記簿上の面積は争いがない。)。
1 齋藤誾は昭和二五年五月二七日その所有にかゝる東京都新宿区四谷二丁目二番五宅地七三坪六合一勺のうち北側二三坪五合九勺を被控訴人に、南側のうち東半分二五坪一勺を荻原由牧に、西半分二五坪一勺を船木謹也に各売却し、同月二九日右二番五から荻原取得地、船木取得地各二五坪一勺を分筆して同所二番一五及び一六(以下単に二番一五、一六という。)とし、二番五の残地(以下単に二番五という)の面積を二三坪五合九勺とし、それぞれ右取得者名義(但し被控訴人についてはその実弟小谷田金三郎に将来売却するつもりであった関係上、同人名義)に所有権移転登記手続きを経た。
2 被控訴人の買受当時は第二次大戦後間もない頃であったため、二番五の東側にある同所二番二二地上には佐藤積善所有の運送店用店舗一棟が存在したものの、分筆前の二番五及びその西側にある同所二番六の土地等は戦災焼跡を簡単に片づけた程度の空地であった。
被控訴人は右売買のあっせんに当った鈴木町会長から図面一葉(乙第一号証)の交付を受け、被控訴人買受土地の実測面積は約二七坪であると説明され、境界を示す標石の確認、地積実測等の措置をとらなかったものの、右図面にもとづいて買受土地のおよその範囲を確かめ、約一〇年近く、これを空地のまゝ放置しておいた。
3 この間荻原及び船木は右買受土地をそれぞれ小川は子、井上八丈に売却し、右両名はこれを順次草刈みい子に売却し、同人は右両地上の建物の一部でパーマネント等の美容業を、後にバー、喫茶店業を営んだ。
4 被控訴人は昭和三四年頃二番五の空地に、ブロック造陸屋根二階建建物を建築するに当たり、隣地二番一五、一六の所有者草刈みい子、東側隣地二番二二所有者佐藤積善の家人、建築業者大田昭二の各立会を得て、二番五の残土を片づけ、前記図面にもとづき境界を調査したところ、原判決添付図面A点(二番五と二番六及びその北側公道南側の線とが接する点即ち右図面ニ点に存する上部に十字を刻した標石から右二番五と二番六両地の境界線に沿ってほゞ南方一二、七七七メートルの地点をいう。原判決が二番一六とその西側の二番一九の土地と、その南側公道(新宿通り)との接点、即ち右図面イ点からイニ両点を直線で結ぶ線上二一・五七二メートルの点として示すところと同一である。)及び同図面B点(二番五と二番二二及びその北側公道南側の線とが接する点即ち同図面ハ点から右二番五と二番二二両地の境界線に沿ってほぼ南方一二、七〇〇メートルの地点をいう。原判決が二番一五とその東側の二番四の土地とその南側公道との接点即ち右図面ロ点からロハ両点を直線で結ぶ線上二一・六二七メートルの点として示すところと同一である。こゝから一八センチメートル西方に草刈所有建物の東北端がある。)とに各上部に十字を刻したほゞ同様のコンクリート製標石を発見した。草刈も被控訴人もAB両点を直線で結ぶ線をもって被控訴人所有二番五と、草刈所有二番一五との、右二番五と草刈所有二番一六との、各境界線であることを確認した。被控訴人はこれに従い二番五に右A点をほゞ南西端とする右建物を建築し、草刈はその所有の物置の一部が二番五に越境していたのでこれを撤去し、かつ二番一五、一六地上の草刈所有建物の西側空地部分と、その北側空地部分(被控訴人所有二番五との境界であるAB線に沿った土地部分)との境に当たるA点から南方に木戸を、B点附近に観葉植物養生用の板造り四段棚をそれぞれ設けるなどして北側空地部分に立ち入らないようにした。ところで、草刈はその所有建物でのバー及び喫茶店用のクーラー運転等の必要上北側空地部分に排水用ドラム罐を埋めた際、その一部がAB線を越えて二番五に侵入していたけれども、被控訴人側も北側空地部分はゴミ等を置く程度にしか利用していなかったため、この程度の僅かな越境には敢て異議を述べなかった。
5 草刈は昭和三七年九月五日頃控訴人に対し佐藤積善の紹介により二番一五、一六の各土地と地上建物とを売却し、その際草刈及び不動産取引業者と控訴人とは右土地と二番五との境界を調査したところ、A点を確認できたにとどまり、B点は佐藤積善所有の隣地との境界上に設置されていたへいと前記棚とに妨げられて現認できず、草刈がB点としておよその位置を指示するにとどまった。控訴人買受後の北側空地部分の使用状況は草刈所有の頃と同様であった。
6 建設省係官は昭和四五年頃二番一五、一六の土地の南端に接して国電四谷駅から新宿駅方面に向って東西に走る国道いわゆる新宿通りの拡幅用地として右土地の大部分を買収すべく、控訴人と、被控訴人の妻小谷田茂子との立会を得て右買収予定土地の範囲を調査したが、その際関係者はAB両点において前記標石の存在することを認め、これが右土地と二番五との境界線であることに異議はなかった。
7 佐藤積善は昭和四八年以前二番二二地上に存在した前記運送店用店舗及びへいを撤去し、同年頃同地上にビルディングを建築すべく、門田智晴、被控訴人の立会を得て二番五との境界を調査し、ハ点に接して東京都の下水道の蓋があること、AB点に従前通り標石があることを各々確認し右ハB両点を結ぶ線が両地の境界であることを承認し、佐藤はビル建築工事を実施した。
8 控訴人は同年三月頃右買収に伴う所有地の残地面積を知るべく、土地家屋調査士川久保左武郎に依頼し、同人は被控訴人の立会を得られなかったものの、佐藤積善、控訴人の代人門田智晴、大倉作成らの立会を得て調査した結果、A点には前記標石が存在したが、B点の標石は隣地建築工事のため若干浮いた感じて原位置に存在していることを現認し、一応AB線をもって境界として二番一五、一六を測量し(甲第五号証)、両地の登記簿上の面積一六五・三四平方メートルに対し実測面積一六〇・六〇三五平方メートル即ち四・七三六五平方メートルの不足あることを発見した。
控訴人は右の問題につき人を介して被控訴人に交渉を申し入れたが効なく、同年一〇月本訴を提起した。
9 控訴人は昭和五〇年頃二番一五、一六地上建物での営業を廃し、翌五一年右土地中一四〇・九五平方メートルを道路敷として売却し、右建物を撤去し、売却部分には道路工事が行われ、残地一九・六五四平方メートルは空地のまゝである。
二 係争土地の占有及び標石について
右事実によれば、本件係争境界について、その設置者及び設置の年代は明らかにできないにせよ、本件紛争発生以前からAB両点に各標石が存在し、控訴人及びその前所有者草刈、被控訴人らはこれを発見後尊重し、草刈は越境建物を撤去し、被控訴人は所有地上に右境界を侵さないよう若干の空地を残して建物を築造し、控訴人は境界線を含む北側空地部分にはマンホールを除き立入を差し控えてきたが、控訴人は実測後B点ついてA点につきこれが境界を示すものではない旨異議を述べるに至ったものである。
AB両点の標石は発見後それぞれ被控訴人又は佐藤の所有建物築造に際会したが、これにより、或はその他の事由によりその位置に変動を来したとは認められない上、関係者が前記のとおりこれを境界石として尊重して各所有地を占有してきた事跡に照らし、境界を示す有力な徴表と考えられる。
三 公図、実測図について
前記乙第三号証(公図写)によれば、公図上の本件各土地の形状は甲第五号証(実測図)のそれと大差なく、二番五と二番一五、一六との公図上の境界線は、前記ABを結ぶ線よりもかなり北方に示されているものの、二番五とその北方の道路との境界線(原判決添付図面ハニを直線で結ぶ線に相当する。)及び二番一五、一六とその南方道路との境界線(前記図面イロを直線で結ぶ線に相当する)とほゞ平行に示されていることが、明らかである。
乙第一号証(実測図)は、被控訴人が二番五取得当時仲介に当った鈴木町会長から手交されたものとはいえ、作成者も作成年月も明らかでないのみならず、前記甲第五号証(土地家屋調査士川久保左武郎作成の実測図)と対比すれば、原判決添付図面イA線にあたる部分の長さはほゞ一致し、同ロB線にあたる部分の長さは約六センチメートル短い程度にとどまるものの、同ニA線にあたる部分は約三〇センチメートル短く、ハニ線にあたる部分は約一三センチメートル短い等の相違を見るのであって、乙第一号証のみを根拠として本件境界を定めることは相当でない。
そのほか分筆に当って作成さるべき実測図面等は提出されていない。
四 実測面積について
前記甲第五号証によると、ABを直線で結ぶ線をもって二番五と二番一五、一六との境界線とするときは、二番五の登記簿上の面積七七・九八平方メートルに比し実測面積は九二・七八平方メートルであって、一四・八〇平方メートル超過し、二番一五、一六の登記簿上の面積一六五・三四平方メートルに比し実測面積は一六〇・六〇平方メートルであって四・七四平方メートル不足する。分筆前の二番五についてみれば、登記簿上の面積二四三・三二平方メートルに比し実測面積は二五三・三八平方メートルであって一〇・〇六平方メートル超過することが明らかである(登記簿上の面積は争いがない。)。
《証拠省略》によると、仮に二番一五、一六の両地につき登記簿上の面積一六五・三四平方メートルを確保できるようこれと二番五との境界線をA点を通って作図すれば、その境界線がこれらの土地とその東側隣地との境界線と交る点はB点よりも右東側隣地との境界線に沿いほゞ北方に一・二七五メートルの地点(これをX点という。)となるが、AXを直線で結ぶ線は二番五と北側公道との境界線(原判決添付図面ハニ線に相当する。)及び二番一五、一六と南側公道との境界線(同イロ線に相当する。)とは平行でなくなり、かつこれは二番五上の被控訴人所有本件建物の内部を通過すること、しかもこの場合でも分筆前の二番五の登記簿上の面積中その実測面積を超える部分は、すべて分筆後の二番五に含まれることが認められる。
控訴人は、原判決添付図面あい線によれば、右面積差(いわゆる縄延び分)を二番五と二番一五、一六とに折半したことになるから、右線は境界として相当であると主張する。仮に計算上そうなるとしても、これは前記の占有の状況、標石設置状況とあまりにも相違する。
五 境界について
分筆前の二番五の登記簿上の面積及び公図が実測によるものとはいえず、分筆後の右面積とても同様であって、いわゆる縄延び分を分筆に当りどのように配分したのかも明らかでないから登記簿上の面積、実測面積を重視して境界を定めるのは相当でなく、標石ABが存在し、関係者がこれを尊重して前記のように行動したこと、これと公図上の境界とがいずれも南北の隣接道路敷と本件各係争地間の境界と平行であることなどに鑑みると、二番五と二番一五、一六との境界はAB線であると定めるのを相当とする。
六 建物収去について
前記認定事実と《証拠省略》とによれば本件建物は二番一五、一六上に存在するとは認められないから、右土地所有権にもとづき本件建物の収去を求める控訴人の請求は理由がなく、棄却すべきである。
控訴人がAB両点を直線で結ぶ線をこえてその北方部分本件建物南壁までを占有したとは認められないから、控訴人は占有部分所有権を時効取得できず、右部分のみの明渡を求めることもできない。
七 結論
右に説明したところによれば、これと同旨の原判決は相当であるから、本件控訴を棄却し、民事訴訟法九五条八九条を適用して控訴費用は控訴人に負担させて主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鰍澤健三 裁判官 沖野威 佐藤邦夫)
<以下省略>