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東京高等裁判所 昭和53年(ラ)1350号 決定 1979年4月24日

抗告人 坂本健太郎

相手方 森田玲子

主文

原審判を取消す。

本件を東京家庭裁判所八王子支部に差戻す。

理由

一  抗告人は、主文同旨の決定を求めたが、抗告の理由とするところは別紙記載のとおりである。

二  よつて審按するに、本件記録によれば次の経過事実が認められる。即ち、抗告人は東京家庭裁判所八王子支部に、「相手方は申立人(抗告人)に対し内縁関係解消に件う財産分与として、東京都立川市○町×丁目×××番地×・同番地×所在、家屋番号×××番×、鉄筋コンクリート造陸屋根四階建共同住宅、一階一一七、二〇平方メートル、二階一一七、二〇平方メートル、三階八九、五五平方メートル、四階八九、五五平方メートルについて持分三分の二を分与する。」との調停を申立て、同庁昭和五二年(家イ)第七四八号内縁関係解消に伴う財産分与調停事件として係属した。同裁判所の調停委員会(後に単独調停機関としての家事審判官)は、本件につき調停を進めたが結局当事者間に合意が成立する見込みがないとして、昭和五三年七月二〇日調停不成立として事件を終了させた。その結果本件は家事審判法二六条一項により審判に移行したものとして取扱われ、審判事件として手続が進められた。ところが、この審判手続中更替した原審家事審判官は、事実認定の結果、本件は当事者間に内縁関係が認められないから、家事審判法九条一項乙類五号の財産分与審判事件として審判に移行し係属することはないとして、「申立人(抗告人)と相手方との間の昭和五二年(家イ)第七四八号内縁関係解消に伴う財産分与調停事件は、昭和五三年七月二〇日審判に移行することなく調停が成立しないものとして事件が終了した。」との審判をした。この審判に対する不服申立が本件抗告である。

三  思うに、内縁関係が解消された場合、その効果として離婚に伴う財産分与の規定が準用されることには殆ど異論がないが、その根拠は、結局のところ、内縁関係に社会通念上夫婦としての実をみるからである。そうである以上、いわゆる重婚的内縁関係解消の場合にも、財産分与を認めることを肯定してよいと考える。蓋し、婚姻関係にある一方当事者が、婚姻外の男女関係を結んだ場合、婚姻関係の方が夫婦としての実を失つて事実上の離婚状態にあるのに対し、その婚姻外の男女関係にこそ夫婦としての実がみられるときはこの男女関係は、重婚的ではあれ内縁関係にほかならないとするに妨げないからである。

それ故、内縁関係が重婚的内縁関係であつても、それが解消したとして財産分与の調停申立がなされた場合は、離婚に伴う財産分与の規定が準用されるべきであるから、その調停が不成立となつたときは、家事審判法九条一項乙類五号、二六条一項に則り、当然調停申立のときに審判の申立があつたものとみなされ、審判手続に移行するとしなければならない。もつとも、内縁関係とその解消の事実は、婚姻関係とその解消即ち離婚の場合と異り、戸籍の如き一見明確な外形的標識を缺くのが一般であるから、実際上は調停委員会もしくは単独調停機関としての家事審判官の調停終了時における認定判断に依拠せざるを得ない。しかし、もとより、審判手続に移行したからといつて、再び調停に付する場合は別論としても、必ず財産分与の審判をなすべきであるとするのではない。審判手続の結果内縁関係の存在とその解消という要件缺くか、内縁関係解消後調停申立時までに二年を経過していることが明らかとなれば、申立(この申立は審判の申立と解すべきである)却下の審判をなすべく、また却下は免れたとしても、当事者双方の協力財産の額その他一切の事情をみて、財産分与をすべきでないと認めれば、財産分与をしないとの審判をしなければならない。

四  本件について、調停終了時の家事審判官は、抗告人と相手方との間に内縁関係が存在し、かつ解消したことが認められるとしたことは、審判移行を是認した経過から明らかである。そこで、果して原審認定のように右の内縁関係、少くとも重婚的内縁関係が認められないかが、あらためて検討されねばならない。

1  本件記録によれば、次の事実が認められる。

(一)  抗告人(明治三三年一一月一日生)は、大正一三年二月二一日妻カヨ(明治三四年九月二八日生)と婚姻し、その間に二人の子女をもうけたが、相手方を知るようになつたことから、カヨとの不和が深まり昭和三六年にカヨと別居して相手方と同棲生活に入り、爾来一五年間この関係が継続したところ、昭和五一年に相手方が他男と婚姻するに及び、右関係は解消した。

(二)  抗告人カヨと別居するにあたつては、土地、家屋等を分与しており、人を介するなどして離婚を求めたが、カヨは別れることを自ら言い出したものの、相手方に対する意地もあつて、籍を抜くことだけは譲らなかつた。相手方は、当初抗告人に妻子のあることは知つていたが、抗告人に愛情をいだいていたので、入籍できないまでも、夫婦として死ぬまで生活を共にする覚悟であつた。

(三)  右同棲期間中、抗告人は、昭和三七年に自ら購入した土地、建物で相手方と共に旅館営業を始め、同三八年には公正証書による遺言をして、これらの不動産を相手方に遺贈する旨を明らかにした。同四五年にはこの旅館をとりこわしてマンションを建築し、その建物の所有名義を相手方とした。

(四)  この間、抗告人とカヨとの間には、その二人の子女を含めても、相互に、殆ど全く往来がなく、また婚姻費用等何らの経済的給付関係をもたず、お互いの生活は、別箇独立に続けられていた。しかも、相手方が昭和五一年に抗告人と別れたのは、相手方の婚姻外の一人つ子の結婚に備えて実の父との婚姻にふみきつたことを契機とするが、カヨは、前記マンションにひとり暮す抗告人の現状を知りながらも、今なお抗告人を受けいれようとする心境にはなつていない。

以上の事実に鑑みれば、抗告人とカヨとの夫婦としてのありようは、生活の場としての住居の面はもとより、精神的、経済的なつながりの面でもその実体が失われて久しく、僅かに戸籍の上にその残骸をとどめている事実上の離婚状態として推移していつたものというべく、一方抗告人と相手方との共同生活は、住居はもとより、精神的にも経済的にも、夫婦としての実体をなして一五年間に及んだものとみることができる。そうである以上、もし、特段の事情がなければ、抗告人と相手方との関係は、まさしく重婚的内縁関係と称してあやまりないであろう。

2  本件記録中にあらわれた次の諸点は、いずれも未だ右重婚的内縁関係を否定する特段の事情とするに足りない。

(一)  抗告人の供述による、抗告人が相手方と同棲するにあたり妻と離婚できないと述べたとの点は、離婚意思がないことの表明としてよりも、離婚意思はあるが、妻の同意を得ることができないので、離婚したくとも許されないとの表現にすぎないとみるのが自然である。

(二)  坂本カヨの供述による、一〇年くらいしてからは時々抗告人がやつてくるようになつたとの点は、いついかなる事情からいかなる程度のことか判然としないのみならず、諸般の証拠を綜合すると、むしろ極めて稀な場合のようにうかがえる。

(三)  昭和五二年五月一八日に、抗告人が、相続人を妻カヨと明示して遺言公正証書を作成している点は、相手方との関係解消後、抗告人が先にした相手方のための前記遺贈の公正証書が意味を失つたとして、これを取消すことに重点があつたものというべく、少くともこのことをとらえて、内縁関係否定のあかしとすることできない。

(四)  相手方が、抗告人に妻子のあることを知つて抗告人との婚姻外関係に入り、かつ同棲生活を続けたとの点は、この関係が重婚的なものであつても、直ちに内縁関係であることを否定し、単なる妾関係であるとの証左とするには足りない。

(五)  相手方自身が、抗告人との関係を妾関係と思うと述べている点は、法律上の知識の幾何を有するか疑わしい相手方の表現として妾という言葉にことさら拘泥することは当を得ない。

五  以上のとおりであるから、原審判が他に特段の事情を挙げることなく、抗告人と相手方との間に重婚的内縁関係が存在したことを認めなかつたのは、審理不尽のそしりを免れず、原審判はすでにこの点で失当として取消すべく、更に審理を尽くさせるため本件を東京家庭裁判所八王子支部に差戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 西村宏一 裁判官 宮崎富哉 高野耕一)

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