大判例

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東京高等裁判所 昭和53年(ラ)530号 決定 1978年9月18日

抗告人

須丹札アーネスト

外八名

右九名訴訟代理人

楠本安雄

斉藤浩二

相手方

富国生命保険相互会社

代表者

古屋哲男

主文

本件抗告を棄却する。

当審において追加した理由に基づく本件仮処分の申請を却下する。

抗告費用は抗告人らの負担とする。

理由

一本件抗告の趣旨は、「原決定を取消す。相手方は、原決定添付の別紙物件目録(一)記載の土地上に建築中の同目録(二)記載の建物について、その一三階以上の部分の建築工事をしてはならない。本件申請及び抗告費用は相手方の負担とする。」との裁判を求めるというにあり、その抗告理由は別紙記載のとおりである。

二よつて考えるに、本件において抗告人らは、相手方が日比谷公園に近接して本件建物(原決定添付別紙目録(二)の建物)を建築することにより、抗告人らが東京都の設置に係る都市公園たる右日比谷公園の一般使用者として有する権利ないし利益が侵害されるとして、右建築工事の差止を求めているが、地方公共団体の設置する都市公園は住民ないし一般公衆の共同使用に併せられる公の施設であつて、何びとも他人の共同使用を妨げない限度において自由にこれを使用することができるものであるけれども、その使用は公法関係におけるいわゆる一般使用に該るものであり、都市公園の管理はこれを設置した地方公共団体が公園管理者として行なうべきものであつて、一般使用者たる個人は当然には右のごとき差止を求める根拠となる権利ないし利益を有するものではないといわなければならない。抗告人らはこの点に関し、同人らは各自、日比谷公園の一般利用者として、同公園を健全で快適な公共空間として利用し、もつて健康で文化的な生活を営むこと、歴史的文化的環境としての同公園及びその日照、景観等の環境を保全すること、あるいは震災時において広域避難広場として同公園に安全に避難することを内容とする、各種の権利ないし法的保護に値する利益を有すると主張するが、公園の利用価値や環境等の保全は公園の管理に属し、前述のように公園管理者たる地方公共団体の管理権の作用として行なわれるべきものであつて、一般使用者は当該公園につき、前述の使用をなしうることのほかには、抗告人ら主張のような権利ないし利益を有するものではないというべきである。なお、公の施設の一般使用者といえども、その使用が日常生活上諸般の権利を行使するについて不可欠のものである等特別の利害関係の存する場合には、自己の使用に対する妨害の排除を求めることができると解されるが、本件においてかかる事情の存することについては、主張もなく、疎明も存しない。従つて、本件においては、保全すべき抗告人らの権利ないし法的保護に値する利益は存在しないものというほかはない。

また、抗告人らは、予備的に、相手方の本件建物の建築が抗告人らに対する不法行為に該当することを根拠として右建築工事の差止を請求しているが、前述のように抗告人らに法的保護に値する利益が存在しない以上、相手方の行為が抗告人らに対する関係で不法行為を構成することもまた認められないことになる。

三つぎに、抗告人らは、地方自治法第二四二条の二第一項第四号に基づき、東京都に代位して相手方を被告とする妨害排除請求訴訟を提起する予定であり、右訴訟で保全すべき本件公園の環境価値及び財産価値をも本件仮処分申請の被保全権利として追加する旨主張する。

しかしながら、抗告人らが右訴訟を提起するについては、その請求に係る事項につき監査委員に対する監査請求を経由することが右訴訟において東京都を代位する資格を取得する要件であるというべきであるから、抗告人らの右監査請求に対し監査委員の監査の結果もしくは勧告があつたこと、またはその請求の日から六十日以内に監査委員が監査もしくは勧告を行なわなかつたこと等について疎明したときに限り、右訴訟の提起前においても仮処分申請をなしうると解すべきところ、本件記録上右事実をうかがわせるに足りる疎明はない。

四よつて、その余の点について判断するまでもなく、本件仮処分の申請を却下した原決定は相当であり、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、また、抗告人らが当審において追加した理由に基づく仮処分の申請もその要件を欠くためこれを却下することとし、抗告費用は抗告人らの負担とすべきものとして、主文のとおり決定する。

(川島一郎 田尾桃二 小川克介)

<抗告理由>

第一、原決定の違法性

原決定は、抗告人らの主張をきわめて形式概念的に一括して把握した上、その「主張する権利ないし利益は、それ自体、債権者ら個人が具体的に有する私法上の権利ということができないのはもちろん、法的に保護された利益ということができない。けだしこれらの利益は債権者らが本件公園を利用することによつて享受する反射的利益にすぎないからである」と述べ、抗告人らの具体的な主張・立証には一切立入らないまま、抗告人らの主張が「それ自体」法律的に理由がないものとして本件申請を却下した。しかし原決定の右基本的立場には、方法論的にも実体的にも重要な本質的欠陥があるといわざるをえない。

1 原決定は、公園にそれを利用する個人の具体的権利や法的に保護された利益が成立することはおよそありえず、反射的利益しかありえないという絶対的前提から出発しているようである。しかし公共用物の利用に関する反射的利益論は、もはや今日では一般に承認された絶対的な前提でも何でもない。最判昭三九・一・一六民集一八巻一頁をはじめ、その延長線上の多数の学説判例によつて公法領域でも私法領域でもしだいに克服されつつあることは周知の事実である。前記最判及びその後の裁判例は道路に関するものが主であるが、公共用物の反射的利益論が不可疑の前提でなくなつた以上、もはや道路も公園も本質的な区別はない。今日の過密都市において、市民が老若男女を問わずまた貧富を問わず平等に利用・享受できる健全で快適な環境としての公園の不可欠な重要性は決して道路にまさるとも劣らない。問題はあくまで当該道路や公園が当該市民にとつてどのような実質的意義をもつているかにかかつており、これは具体的事案の実体審理を通じてはじめて判断されうる問題である。現に抗告人らは日比谷公園に具体的個人的な利益・かかわりを有することを明らかにするための調査結果をも提出している。しかるに原決定はこれらの具体的事実には全く目をふさぎ、「公園利用=反形的利益」という過去の理論として形骸化しつつある抽象命題を大前提として実体審理の途すらふさいでしまつた。伝統的にも実定法的にも原告適格が限定される行政訴訟ですら適格の拡大と反射的利益論の克服傾向が顕著にみられる今日、民事訴訟においてこれ程硬直的な原決定の姿勢にまず一驚せざるをえない。

2 訴えや申請が「主張自体失当」として排斥されるのは、主張がすべて真実であつたとしても法論理的に当該訴えや申請がそもそも成立しない場合であると解されるが、本件はおよそそのような場合とは考えられない。抗告人らが差止請求の法的根拠としてあげた中で公園利用権や環境権は未だ一般に承認されていないとしてもそれらも主張自体失当とさるべきでない。まして、たとえば人格権は今日の多数判例・学説によつて既に承認され(大阪高判昭五〇・一一・二七判時七九七号等)、ほぼ確立されたとさえみられる。その範囲の画定は個々の事案によるとしても、もし人格権に基づく抗告人らの申請を主張自体で排斥するなら、少なくとも抗告人らが人格権の中味として主張した内容が具体的に検討され、それが人格権としての法的保護に値しない理由が明示さるべきであるが、原審はこれすらも回避している。

3 さらに原決定には、法・権利及び裁判の本質に関する基本的な誤解があると思われる。けだし原決定の「主張自体」の論法からすると、あたかも民事法的救済は既存の公認され確立された権利または救済類型のカテゴリーのどれかに該当する場合でなくては受付けてもらうこともできないかのようである。しかし過去の時代ならいざ知らず、現在の民法も民事訴訟法も右のようなシステムを採用していないことは明らかであろう。即ち民事訴訟の原告は一定の申立のほかは具体的事実を陳述すればよく、権利の名称や法適用を主張することまでは必ずしも必要でない、後者はむしろ裁判所の職責であるとされる。問題は抗告人らの主張した個々の権利の名称でなく、法的保護を求められた利益の内実であり、これは具体的な事実関係を離れて抽象的に論じることはできない。

もともと抗告人らは単に抽象的一般的な形で公園利用者の私権の承認を求めているのではない。あくまでも日比谷公園という、歴史的文化的にも都民の憩いの広場としての現在の利用からも他にかけがえのない中央公園の環境が決定的に侵害されようとする事態に直面して、同公園にかかわる債権者らの具体的な利益及び権利に基づく本件申請をし、これに対する裁判所の御判断に最後の期待を託しているのである。その根拠として抗告人らは、本件ビルの建築が同公園の日照・天空・景観をいかに阻害し、圧迫感や風害を増大させ、また歴史的文化的環境を破壊するか、本件ビルが右の点及び皇居お堀端や中央官庁街との関連からもいかに地域適合性を欠如しているか等を主張立証し、これが改正建築基準法との関係では巨大なかけこみ建築にほかならないことを明らかにした。これらの具体的事実に関する限り、相手方からも(風害や地下水を除くと)ほとんど実質的な反論は提出されていない。しかし驚いたことに原決定はこれらの抗告人の主張立証のすべてを黙殺した。抗告人らの本件申請はすべて右の具体的事実に立脚しており、これらの甚大な被害等があるからこそ救済を求めているのである。だから原決定のように被害その他の具体的事実と証拠に目も耳もふさいでしまわれたのでは最初から勝負は決つている。右のような決定を抗告人らは独断的観念論とよばざるをえないのである。

4 右に関連して、原決定の論理はおよそ法の発展を否定することになる。けだし民事法的救済の内容は決して既存の制定法や判例の明示したものに限定されない。激しく流動する社会経済的状況のもとで、従来は全く必要のなかつた新しい社会経済的利益の法的救済が求められ、この要請を裁判所が正面から受止めることによつて法の発展と柔軟な時代的適応が可能とされてきた。現に本件において、都心のかけがえのない中央公園のすぐそばに超高層ビルを建てるような計画は従前なら誰ひとり考え及ばず、従つてこれを阻止する市民の権利も必要ではなかつた。今はじめて本件ビルの計画によつてそのような権利が自覚され主張されるに至つた。さりとて抗告人らが何か急進的な突飛なことを主張しているわけではない。急進的で突飛なのは本件ビルの計画であり、これに対し抗告人らは残り少ない健全快適な環境の最低限を守ろうとしているにすぎない。それを「主張自体」で否定する原決定の姿勢は、すべての法発展の否定に通じるとともに「裁判の拒否」でさえあるといわなくてはならない。

5 差止請求権の根拠として特定の権利侵害を要求する立場からも以上のようにいうことができる。まして権利侵害を要件としない不法行為説(一時は強く批判されたこともあるが、最近再び有力に支持されている、沢井・公害差止の法理五〇頁等)からすれば原決定の矛盾は一層明白である。けだし特に不法行為説では、具体的な差止請求権の有無は、当該事件の加害態様と被害あるいは受忍限度を具体的に比較衡量した結果はじめて判断されうる。原決定も不法行為説自体を否定していないにも拘らず同説に基づく抗告人らの主張をそれ自体失当としているが、具体的事実の検討もしないでなぜ受忍限度等の利益衡量ができるのか。全く倒錯した思考といわざるをえない。

第二、被保全権利の追加――住民訴訟を

本案とする仮処分

抗告人らは本件仮処分申請の被保全権利として次の主張を追加する。

1 申請外東京都知事は、日比谷公園及び同公園を構成する土地その他の財産の管理者でありながら、その環境価値及び財産価値を著しく減損することが必至の本件ビルを含む内幸町二丁目特定街区(同公園の南側)を自から計画決定し、かつ第一勧業銀行ビル(同公園の東南側、三五階建)の建築を自から許可した。これは明らかに違法な財産の処分または管理、又は管理を違法に怠るものであるから、抗告人らのうち須丹礼、島田、林、新井及び柳田の五名は、昭和五三年二月二〇日東京都監査委員に監査請求をしたが、同委員はその後六〇日を経ても監査を行わないので、右抗告人らは申請外知事に対し地方自治法第二四二条の二第一項第二号第三号、同条第二項第三号に基づく住民訴訟を提起し、東京地裁昭和五三年(行ウ)第三六号として同庁民事第三部に係属中である。右訴訟では第一次的に前記計画決定及び建築許可の取消または無効確認を求めているが、一方で本件ビル等の工事が進行しているに拘らず申請外知事はその停止を求めようともしないので、抗告人らは近く同知事に代位し当該建築主である相手方らを被告として同法同条第一項第四号に基づく妨害排除請求訴訟を提起すべく準備中である。

2 右各住民訴訟は、一般の行政訴訟と異なる民衆訴訟の一つとして東京都の住民である抗告人らに原告適格があることは異論の余地がない。そして本件ビル等による公園への被害の性質程度及びこれに対し申請外知事が何ら影響の検討評価もせずに公園の価値を著しく減損させる各ビルの建築を積極的に許可していること等からみて、右許可ないし決定が地方自治法二三八条の四、地方財政法八条等に反する違法のものとして取消(又は無効確認)される蓋然性はきわめて高い。もつとも前記訴訟で被告都知事は(1)監査請求の対象と訴訟の対象に相違点のあること、(2)公園は地方自治法二三七条以下の定める「財産」に該当しないこと、の二点を主な根拠として却下を求めているが、右各主張は法文及び従来の判例学説にてらして全く根拠がないものである。

3 住民訴訟についても行政事件訴訟法七条により民事訴訟法上の仮処分の規定が適用される(浦和地判昭五二・一・二八判時八四三号二九頁、東京高判昭五二・一一・一六判時八七六号七九頁)。特に本件は右先例と異なり私企業たる相手方に対する仮処分申請であり、行訴法四四条との関連での疑問も存しない。しかも住民訴訟の本案判決確定後では本件ビルの建築が完成し権利の実現は不可能となるので、前記抗告人五名は、申請外知事に対し同知事に代位して近く提起する予定の住民訴訟を本案として、本件建築の禁止仮処分を申請する次第である。

<参考・原決定>

(東京地裁昭五三(ヨ)第八二八号、建築工事禁止等仮処分申請事件、昭53.5.31民事第九部決定、却下・抗告)

【主文】

本件申請は、これを却下する。

申請費用は、債権者らの負担とする。

【理由】

一 債権者らの本件仮処分申請は、債務者が別紙物件目録(一)記載の土地上に建築中の同目録(二)の建物(以下「本件建物」という)について、その一三階以上の建築工事の禁止を求めるものであり、その理由とするところ(被保全権利)は多岐にわたるものの、要するに、債権者らは、それぞれその肩書地に居住する東京都民であり、従来から東京都千代田区にある日比谷公園(以下「本件公園」という)をしばしば利用して、その健全で快適な環境を享受してきたものであるが、本件建物が計画どおり建築されれば、本件公園の日照、天空、景観等が阻害されるのをはじめ災害時には危険が増大して、これまでの本件公園の利用価値と快適性は半減し、更には本件公園の持つ歴史的文化的価値は著しく毀損され、これによつて債権者らが有する本件公園を健全で快適な公共空間として利用し、もつて健康で文化的な生活を営むことを内容とする公園利用権又は人格権、右同様の内容及び歴史的文化的環境としての本件公園とその日照、景観等の環境の保全を内容とする環境権又は日照権、震災時において広域避難広場として本件公園に安全に避難することを内容とする安全権又は生存権、若しくは以上のことを内容とする法的保護に値する利益を侵害されることとなるので、債権者らは債務者に対し前記のような建築工事の禁止を請求できるものであり、仮りにそうでないとしても、本件公園にかかわりを有し、その利用利益、人格的利益その他健全で快適な環境利益及び日照利益を現に享受し、今後とも享受しようとする債権者らへの不法行為となることは明らかであるから、これに基づき債権者らは債務者に対して本件建物の建築工事禁止の請求権を有する、というものである。

二 しかしながら、本件において債権者らが侵害されると主張する権利ないし利益は、それ自体、債務者ら個人が具体的に有する私法上の権利ということができないのはもちろん、法的に保護された利益ということもできない。けだし、これらの利益は、債務者らが本件公園を利用することによつて享受する反射的利益にすぎないからである。債権者らは、本件公園の歴史的文化的価値をしきりに強調するが、仮りに、本件公園が歴史的文化的に貴重なものであつたとしても、そのことは、債権者らの個人的な利益とは直接関係のないものであり、本件公園の有する歴史的文化的価値は、右の結論に何らの影響も及ぼすものではない。以上のとおりであるから、債権者らが予備的に主張する不法行為も、これまた成立する余地のないことが、明らかである。

そうだとすれば、債権者らは、私法上の権利若しくは法的に保護された利益を侵害される虞れはないのであるから、債務者に対し本件建物の建築工事の禁止を請求する権利(被保全権利)を有しないものといわなければならず、もとよりこの点の疏明に代えて保証を立てさせることも相当でないから、本件仮処分の申請は、その余の点について検討するまでもなく却下を免れない。よつて、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(川崎和夫)

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