東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)176号 判決 1981年10月20日
原告
株式会社大隈鉄工所
被告
豊田工機株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1当事者の求めた裁判
原告は、「特許庁が昭和53年9月1日に同庁昭和49年審判第10245号事件についてした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は、主文同旨の判決を求めた。
第2当事者の主張
1 原告の請求の原因及び主張
(1) 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和45年12月26日特許出願・昭和49年7月29日設定登録に係り、名称を「シフト歯車のシフト時に歯部干渉のない歯車機構」とする発明(以下「本件発明」という。)についての特許第737000号(以下「本件特許」という。)の特許権者であるが、被告が、昭和49年12月3日、特許庁に対し、本件発明の明細書の特許請求の範囲第1番目記載の発明(後記(2)の1記載のとおりのもの。以下「本件特定発明」という。)につき無効審判の請求をしたところ、特許庁は、これを同庁同年審判第10245号事件として審理のうえ、昭和53年9月1日、「本件特定発明の特許を無効とする。」旨の審決をし、その謄本は、同年9月14日、原告に送達された。
(2) 本件発明の要旨
1 駆動軸の回転を被動軸に変速して伝達するため歯車の噛み合いを替えるシフト歯車機構において、歯数Z1、Z3を有する歯車を駆動軸に設け、この歯車のそれぞれに噛み合う歯数Z2、Z4を有する歯車を被動軸に設け、その一方の軸の歯車をシフト可能に嵌装して歯車の噛み合いを替えるようにし、更に軸の割り出し位置n等分の割り出し機構を設けると共に、前記各歯数は
ならびに
の条件を満足するごとく決定してなり、前記割り出し位置n個所において円滑な歯車変換を行ないうることを特徴とするシフト歯車のシフト時に歯部干渉のない歯車機構。(別紙図面(1)参照)
2 駆動軸の回転を被動軸に変速して伝えるため歯車の噛み合いを替えるシフト歯車機構において、歯数Z1、Z3、Z5を有する歯車を駆動軸に設け、この歯車のそれぞれに噛み合う歯数Z2、Z4、Z6を有する歯車を被動軸に設け、その一方の軸の歯車をシフト可能に嵌装して歯車の噛み合いを替えうるようになし、更に軸の割り出し位置n等分の割り出し機構を設けると共に、前記各歯数は
ならびに
の条件を満足するごとく決定してなり、前記割り出し位置n個所において円滑な歯車変換を行ないうることを特徴とするシフト歯車のシフト時に歯部干渉のない歯車機構。
(3) 審決の理由の要点
本件発明の要旨は、前項記載のところにあるものと認める。なお、右の構成要件のうち、K、Y、U、W、T及びXはそれぞれ整数m1、m2及びm3はそれぞれモジユール、αcは工具圧力角、αb1、αb2及びαb3はそれぞれ噛み合い圧力角を示すものと認める。
ところで、西ドイツ国特許公開第2029469号公報(以下「引用例」という。)には、「駆動軸(10)側の回転をこれに平行な被駆動軸(13)に変速して伝達するため、歯車(11)、(14)及び(12)、(15)の噛合いを替えるシフト歯車機構において、歯数Z1=28、Z3=98を有する歯車(11)、(12)を駆動側の軸(10)に設け、この歯車(11)、(12)のそれぞれに噛み合う歯数Z2=56、Z4=28を有する歯車(14)、(15)を被動軸に設け、その一方の軸(10)の歯車(11)、(12)をシフト可能に設けて歯車の噛合いを替えるようにし、更に軸(13)に割出し位置n=1等分の割出し機構を設けると共に、前記割出し位置n=1個所において円滑な歯車変換を行ないうることを特徴とするシフト歯車のシフト時に歯部干渉のない歯車機構であつて、前記対をなす歯車のうちの一対の変速比は別の対の変速比の倍数、前記すべての歯車の歯数は前記倍数の倍数よりなるもの」について、当業者が容易に実施できる程度に記載されているものと認められる。(別紙図面(2)参照)
そこで、本件特定発明と引用例技術とを比較すると、両者はいずれも「駆動軸の回転を被動軸に変速して伝達するため歯車の噛合いを替えるシフト歯車機構において、各2種の歯数を有する歯車を駆動軸側に設け、この歯車のそれぞれに噛み合う各歯数を有する歯車を被動軸に設け、その一方の軸の歯車をシフト可能に嵌装して歯車の噛合いを替えるようにし、更に軸の割出し位置を規正する割出し機構を設けると共に、前記各歯数はその間に特定の関係があり、かつ、その各歯車対を構成する歯車の間の中心軸間距離をそれぞれ等しくするという条件を満足するごとく決定してなり、前記割出し位置において円滑な歯車変換を行ないうる、シフト歯車のシフト時に歯部干渉のない歯車機構。」である点で同一構成要件よりなるが、
① 本件特定発明は、軸の割出し位置がn等分の割出し機構を具備するのに対し、引用例の割出し機構はn=1であること。
② 本件特定発明の各歯車の歯数の関係は
ただし、n、KおよびYはそれぞれ整数
であるのに対して、引用例は、各対をなす歯車の一対の変速比は別の一対の変速比の倍数、すべての歯車の歯数は前記倍数の倍数という条件よりなること。
③ 本件特定発明は
ただし、m1、m2はそれぞれモジユール、αcは工具圧力角、αb1およびαb2はそれぞれ噛合い圧力角であるのに対して、引用例は平行な2軸の間に各変速歯車対が設けられ、一方の軸に設けられた歯車を軸方向にシフトすることにより各別の変速比を得る歯車変速機構において、各対を構成する歯車の間の中心軸間距離が等しいこと、
の各点において両者はその構成要件を異にするようにみえる。
ところで、本件発明明細書の記載を参照すると、そのうちには「n=1の時は……」との説明がなされていて、本件特定発明にあつてもn=1の場合を予想しているものと認められ、また、そのどの部分をみてもn≠1である旨の記載が見当らない以上、本件特定発明においてn=1である選択をした場合には上記①の記載にかかわらず両者は同一の構成要件を具備するものと認められる。
次に、前記引用例歯車機構において
とすれば、さきの条件により、aは整数、また同じ条件に基いて
Z1=a・K1
Z2=a・K2
Z3=a・K3
Z4=a・K4
したがつて、
ただし、K1、K2、K3およびK4はそれぞれ整数である。
前記条件により、aおよびK3はそれぞれ整数であるから、(1-a)・K3もまた整数、即ち
である条件を満たすものと認められる。
同様にして
の条件を満足する。
ここで引用例歯車機構の一実施例によつて上記の条件を確めると
Z1=28
Z2=56
Z3=98
Z4=28
であるから
a=7、
でいずれも整数となり、引用例歯車機構も本件特定発明の構成要件である
と同等の条件を具備するものと認められるから、n=1の場合、さきに②に挙げた本件特定発明と引用例との構成上の差異は実質上無いものに帰する。
また、引用例歯車機構も平行な2軸間にある2対の歯車が割出し位置にあつて各対毎に噛み合う際に、円滑な歯車変換が行なわれ、シフト時に歯部干渉がないようになつているから、各歯車対の間の軸間距離は互に等しいものと認められる。
ところで本件発明の明細書の記載によれば、一対のインボリユート平歯車(歯数はZ1・Z2・モジユールm1、噛合い圧力角αb1、工具圧力角αc)が噛み合う条件は、それらの軸間距離をa1とすれば
他の一対のインボリユート平歯車(歯数はZ3、Z4、モジユールm2、噛合い圧力角αb2、工具圧力角αc)が噛み合う条件は、その軸間距離をa2とすれば
したがつて、a1=a2という条件の許では
の式が成立つのが当然である。
そしてさきに述べたとおり、引用例歯車機構の各歯車対の間の軸間距離は互に等しいのであり、また機械・装置に常用される歯車の歯形は特に指定されない限りインボリユート歯形であるから、今、引用例歯車機構に用いられる歯車のモジユールをm1、m2、噛合圧力角をαb1、αb2、工具圧力角をαcとすれば、前述の条件から当然
の関係式が成立するものと認められる。
したがつて、上記関係式の点でも本件特定発明は引用例と同一条件よりなるものであり、さきに挙げた③の構成上の差異はこれを認めることができない。
以上、検討の結果、本件特定発明と引用例との技術的相違点は実質的に無いものとなり、結局、本件発明の出願前に頒布された引用例刊行物に記載の技術は、本件特定発明の一実施例に包含されるものと解される。
したがつて本件特定発明は、特許法第29条第1項第3号に規定する要件に違反して特許を受けたものに相当するから、同法第123条第1項第1号の規定に基づいてこれを無効とすべきものとする。
(4) 審決を取り消すべき事由
審決は、本件特定発明と引用例とのそれぞれの歯車相互間の歯数の条件式が全く異なる技術思想により導き出された構成要件として相異なる条件式であり、その結果、本件特定発明のものが引用例のものから到底期待できない作用効果を持つものであるのに、後記のとおり、これらの点を看過し、単に引用例の場合が本件特定発明の一実施例と一致することをもつて、両者を実質上同一であると速断したものであつて、この点で事実誤認の違法があるものであるから、取消を免れない。
1 n=1の場合構成要件としての両条件式が実質上同一であるというためには、互に必要にして十分であることが証明できなければならず、審決のように一方を他方に代入して満足するか否かを確かめただけでは足りず、さらに他方を一方に代入して満足するか否かをも確かめる必要がある。そして、審決とは反対に本件特定発明の条件式を引用例の条件式に代入すると、n=1の場合であつても、本件特定発明の条件式は、引用例のそれを必ずしも満足しないのである。このことからみても、割出し位置を一個にした場合に限つても、両条件式は、せいぜいいくつかの点において交錯することがあるというにすぎず、本来系統を異にする数式であることは明らかである。
2 右の二つの条件式が本来系列を異にする別個の数式であるのは、それらが全く異なつた技術思想から導き出されたことに起因するのである。すなわち、本件特定発明の
なる構成要件は、
① n等分の割出し位置をもつ機構において、
② n等分された任意位置において噛合い部における一方の歯山中心線と他方の歯車の歯谷中心線とが必ずしも一致している必要がなく、歯山と歯谷との噛合い位相が一致していればシフト可能となる。(ここに噛合い位相の一致というのは噛合い部分における一方の歯車の歯山中心線と他方の歯車の歯谷中心線が両歯車の中心を結ぶ直線上からズレている場合にも、そのズレが噛合い進行方向に1ピツチに対して等しい割合であれば両歯車は噛合い可能であることから、この割合の一致のことを指すものである。)という技術思想から導かれたものであるのに対し、引用例の
Z1=a・k1
Z2=a・k2
Z3=a・k3
Z4=a・k4
なる条件式は
① 割り出し位置を1個所として、
② 噛み合う二つの歯車の一方の歯車の歯山中心線と相手方歯車の歯谷中心線とを一致させればシフト可能となる、
という技術思想に着想の原点をもつものであることが分る。
そこで、右の双方の技術思想を対比した場合、本件特定発明の技術思想は、割り出し位置を1個に限定せず、可能なすべての割り出し位置を想定している点並びにシフト可能な関係を相互の歯山と歯谷が完全に一致する(一方の歯車の歯山中心線をもう一方の歯車の歯谷中心線に一致させる。)場合に限定せず「位相の一致」なる領域概念を用いていることの2点で相違しかつ、これらの点で引用例のものにはない、また引用例のものからは容易に想到することのできない技術思想であるといえる。
3 その結果、本件特定発明によるシフト機構は、次に述べるような、引用例のものからは到底期待できない作用・効果を持つているのである。
(1) 噛合い部における相互の歯山中心線と歯谷中心線が両歯車の中心を結ぶ直線の線分上にある場合に限定せず、右の線分上からズレている場合もシフト可能な場合としてとり入れたため、それだけ歯数の組合せ、ひいては変速比に多様性をもたせることができ、用途・目的に応じた歯車シフト機構の供給が可能となる。
(2) 右の歯車の組み合せの各々の場合において、割り出し位置が複数ありうる場合は、その有無とその数を知りうることから、割り出し位置(機構)を多く設けることにより、より迅速なシフトが可能になる。
4 被告は、条件式は単なる「歯数を決定する設計要領」にすぎないと主張するが、無限にある任意の歯数(の組合せ)の中から一定の目的を達しうる歯数(の組合せ)を選ぶ、すなわち歯数の条件を限定する機能を果しうるものは、本件特定発明の場合、とりもなおさずこの条件式自体である。歯車とかレンズ等の一定の技術分野においては、こうした条件式を言葉に換えて特許請求の範囲に使用せざるをえないのであり、しかも、この条件式にこそ当該発明の一番重要な技術思想が表われている場合がほとんどである。そうだとすれば、こうした条件式が、設計要領であるかどうかはともかくとして、当該発明の中心的な構成要件であることに疑問の余地はない。条件式を充すところの個々の具体的な歯数(の組合せ)は、その実施例の1とみるべきである。したがつて、本件特定発明による歯数(の組合せ)の一部が引用例の場合と一致することがあるとしても、それは、実施例においてたまたま一致することがあるというにすぎないのであつて、実施例のごく一部が当該発明の技術思想とは何の係わりもなく偶然知られていたというだけで、その発明性を全体について否定してしまうことは許されないものといわなければならない。
もつとも、仮に本件特定発明の特許請求の範囲から引用例と一致する場合を構成要件上除外することが技術的に可能であるとするならば(換言すれば、一致する部分が構成要件上可分であるならば)、これを含む構成要件を全体として無効であるとする余地が、一般的にはあるかも知れないが、本件特定発明の場合には、特許請求の範囲の記載から実施例において引用例と一致する場合のみを除くことは、n=1又はn=2のときについては、引用例はn=1又はn=2のすべてのものを含んでいるわけではないので、n=1又はn=2のときを全部除外するわけにはいかないし、また、本件特定発明の特許請求の範囲から引用例の条件式をそつくり除外することも、引用例の条件式の拠つて出るに至つた理由は全く不明であつて、これを「発明の詳細な説明」において説明することができないので、あえてこれを特許請求の範囲から除外すると、全体として本件特定発明の技術思想が暖昧なものとなつてしまうため、技術的に不可能というべきである。そうだとすれば、出願人としてはこれを除外する方法がなかつたものであるから、この点は、無効を否定する材料として当然考慮されるべきである。
2 請求の原因に対する被告の認否及び主張
(1) 原告主張の請求の原因(1)なしい(3)の各事実は認める。
(2) 同(4)は争う。
本件特定発明が特許法第29条第1項第3号に規定する要件に違反したとする審決は正当であつて、これを取り消すべき何らの違法もない。
1 条件式は歯車系の物理的性質(量的関係)を記号をもつて示したもので、歯車系の物至的属性である。ところで、本件特定発明と引用例の両条件式は多数の共通解(式が一般式であることを考慮すれば無限の共通解)を有するものであつて、その解が引用例の条件式によるものなのか本件特定発明の条件式によるものなのか、または、いずれの条件式にもよらずたまたま選定された歯車列なのか区別ができないので、本件特定発明の意味するものとは、歯数を決定するための単なる設計要領にすぎない。したがつて、本件特定発明の条件式に対しては、学術的価値は認めるとしても、「発見」の域を脱しないものであるから、発明としては、それ自体に特許性の存在は認められない。
原告は、歯車とかレンズ等の一定の技術分野においては、条件式を言葉に換えて請求の範囲に使用せざるをえない旨主張するが、歯車とかレンズの事例は、従得公知でない歯車形状とかレンズの曲面を特殊な条件式によつて表現した場合である。しかるに、本件特定発明の条件式は、従来公知の引用例のn=1を含むものであり、しかも、その公知の部分を除外できないと原告自ら述べているような条件式であるので、その条件式は、本件特定発明が公知のものと異なるという明確な特定をするものではない。しかも、引用例と本件特定発明の実施例は、その第1図(別紙図面(2)及び(1))が実質的に同一であるので、その構成は両者同一と認めざるをえない。以上のとおり、その条件式は、公知の引用例のものと区別するためのものではなく、単にその構成についての物理的属性として歯車の歯数・割出し位置の関係を式に表現して、第1図の実施例の使用要領を示したものにすぎないのである。
2 引用例は軸の割出し位置n等分においてn=1という特定のものであるが、本件特定発明はnを1に限定せず一般化しているから、本件特定発明は、引用例の実施例を包含しているものに相当する。
つぎに、本件特定発明においてnが1でない場合、たとえばnが6であるときを考えると、これには、nが1、2、3、6の4種類の割出し可能の位置が存する。したがつて、本件特定発明と引用例との発明同一性の問題を避けるために、本件特定発明からnが1であるときを除くということをしてみても、nが1以外の場合であるときにもnが1のときと同じ位置にある割出し点(これは引用例に該当し、本件特定発明の実施にあたらない。)を含むものであるから、やはり、発明の同一性の問題を生ずるのである。
また、本件特定発明も引用例も、歯車のシフトによる噛合いが可能ということは、当然位相が一致することであり、両者に差異はない。
3 本件特定発明も引用例も、その明細書に記載された作用効果は実質的に同一と認められるので、この点からも両者の技術思想は同一と認めるべきである。
なお、原告は、「引用例の条件式の拠つて出るに至つた理由は全く不明である」旨主張するが、引用例でもその条件式は本件特定発明と同様に無干渉に歯車をシフトするという目的のもとに導出されたものである。
理由
1 原告の請求の原因(1)ないし(3)の各事実、すなわち、特許庁における手続の経緯、本件発明(本件特定発明を含む。)の要旨及び審決の理由の要点については、当事者間に争いがない。
2 そこで、審決に原告主張の取消事由があるかどうかについて考える。
(1) 原告は、本件特定発明における条件式が本件発明の中心的な構成要件であり、これと異なる条件式を構成要件とする引用例のものとは、たとえ実施例において一部一致するものがあるとしても、これを本件特定発明と同一とすることはできない旨主張する。
発明の実施という面からみると、本件特定発明は、歯車機構に関するもので物を対象とした発明であるから、本件特定発明は、特許法第2条第3項第1号に規定する発明の実施すなわち生産、使用、譲渡もしくは貸渡のできるようなものでなければならないところ、本件特定発明の特許請求の範囲に記載してある条件式そのものは、シフト歯車機構の構造として直接出てくるものではなく、条件式から得られた結果が歯部干渉のないシフト歯車の歯数として用いられるものであり、その条件式から得られるシフト歯車の歯数の組合せは多数あつて、これを設けた個々の歯車機構がすべて本件特定発明の実施物にあたるものと認められるから、本来はこれらをまとめて直接表現したものを特許請求の範囲に構成要件として記載しなければならないものである。
しかるに、本件特定発明は、前記のとおり、これを条件式によつて表わしたものであり、その条件式は、シフト歯車の歯数の組合せの具体的な数値を導き出すところの式であつて、シフト歯車の歯数の多数の組合せの具体的な数値をまとめて直接表現したものではなく、これらを具体的な数値のもとになる式をもつて間接的に表現しているにすぎないものとみるべきものである。
この点に関して、原告は、いずれもその成立に争いのない甲第6ないし第11号証を提出し、歯車、レンズ等の分野においては条件式が特許請求の範囲に構成要件として記載されている旨主張するが、これらの分野においても、通常、条件式自体が直接物の構成を示すものではなく条件式より求められる曲線の形、具体的な数値を構成とするものを間接的に表現したものと解されているのであり、このことは、本件特定発明についても変りはない。(仮に、本件特定発明の条件式自体を発明の構成要件であると解さなければならないとすれば、それは特許請求の範囲に発明の実施ができない事項が記載されているものとみざるをえないことになる。)
そうとすれば、本件特定発明における条件式はその具体的な数値をまとめて表現するためのものであり、その導き出された個々の具体的な数値こそが本件特定発明の直接の構成であるとしなければならない。
そして、右の個々の具体的な数値は、原告が本件特定発明の発想の根拠となつたと主張する、噛み合うべき歯車の歯山と歯谷との噛合い位相の一致という発想からはずれるものではなく、また、本件特許の明細書(成立に争いのない甲第3号証)の発明の詳細な説明の項の記載をみてもその内容とも一致するものと認められるから、本件特定発明が右の発想を根拠としている事実及び右明細書の記載は、本件特定発明の条件式を前記のように解することを妨げるものではない。
(2) 原告は、本件特定発明の条件式と引用例の条件式とを対比し、両者は、系列を異にする数式であつて、技術思想を異にするものであるから、本件特定発明と引用例のものとを同一とみることはできない旨主張する。
両条件式が数式として異なり、それを導き出す根拠としての発想においても異なるものであることは、原告主張のとおりであるが、本件特定発明の条件式は、前記のとおり、シフト歯車の歯数の組合せの具体的な数値を表現するための手段にすぎないというべきであるから、直接の構成要件である具体的な数値を対比せずに両者の数式ないしはその由来する発想を対比しても、これによつて、両者が発明として同一であるかどうかを決することはできず、その対比は意味のないところといわなければならない。
(3) 原告は、また、n=1の場合、構成要件としての両条件式が実質上同一であるというためには、互に必要にして十分であることが証明されなければならず、審決のように一方を他方に代入しただけでは足りない旨主張する。
審決が、審決理由中の演算にみられるとおり、引用例のものが本件特定発明の実施例に相当することを立証するために、本件特定発明の条件式に引用例の条件式より得た値を代入し、引用例のものも本件特定発明の条件式を満足するものであることを説示し、引用例の構成要件を充足するものが本件特定発明の構成要件をも充足したものということができるとしたことは、原告主張のとおりであるが、原告が主張するように、さらに引用例の条件式に本件特定発明の条件式より得た値を代入して満足するかどうかを検討することは、本件特定発明と引用例のものとがその全範囲において一致していることを必要とするものではなく、その一部が一致している場合でも両者が同一であるとすべきことを考えれば、その必要はないものといわなければならない。
なお、右に関連して、原告は、本件特定発明の特許請求の範囲から引用例のものだけを除去することは技術的に不可能であり、このことは、本件特定発明の特許無効を否定する材料として当然考慮さるべきである旨主張するが、本件特許発明の特許請求の範囲から引用例と一致する点を除かなければ、依然として本件特定発明に無効事由が存在することになるものであるから、審決の結論に影響はなく、除く手段がないからといつて、審決を取り消す理由とすることはできない。けだし、引用例に記載されている技術は、本件特許の出願前に公知となつていたもので、万人が自由に使用できるところの公共の財産ともいうべきものであり、これを実施したために本件特定発明の特許権の侵害となるということは、逆に本件特定発明の特許が公共の財産を侵することになり、また、新規なもの、進歩性を有するもののみに特許を附与するという特許制度の趣旨にも反することになるからである。
のみならず、本件特定発明の特許請求の範囲から引用例と一致する点を除くことが可能かどうかを考えるに、少なくとも、本件特定発明の条件式から導き出されたシフト歯車の歯数の組合せのうちで、「歯山中心線と歯谷中心線とが一致せず、歯山と歯谷の噛合い位相の一致したところの割出し位置のみを設置した割出し機構を設けたもの」と、特許請求の範囲において割出し機構を限定することなどにより、歯山中心線と歯谷中心線とが一致する割出し位置を持つところの引用例と同一の技術思想のものを除くことは不可能ではないと考えられ、右のように割出し機構を限定しても、本件特定発明の根拠とした発想である、割出し位置が1か所でなく、一方の歯車の歯山中心線と他方の歯車の歯谷中心線とが両歯車の中心を結ぶ直線上から外れていてもシフトが可能であることとも反することなく、また本件特許の明細書の発明の詳細な説明とも一致するものであるから、本件特許発明の技術思想を暖昧にすることなく、その根拠とする発想の大部分を生かしたまま、本件特許発明から引用例と一致する点を除くことができると考えられる。
(4) 原告は、さらに、本件特定発明は、引用例のものからは到底期待できないような作用、効果を有する旨主張する。
n=1で一方の歯車の歯山と対向する歯車の歯谷とが一直線上にある場合においても本件特定発明の条件式により導き出された具体的なシフト歯車の歯数の組合せは、本件特定発明の一実施例にあたるものであつて、本件特定発明の技術思想を具体化したものというべきであり、一方、引用例のシフト歯車の歯数の組合せが、本件特定発明の右の場合の実施例と一致するものであることは、原告も争わないところであるから、引用例のものも、円滑な歯車変換を行ないうるものというべく、その点で作用効果において本件特定発明のものと格別の差異はないものである。
なお、原告が請求の原因(4)の3の(1)及び(2)において主張する作用効果は、本件特定発明の条件式に該当するものであつて引用例の条件式に該当しない場合にもたらされる効果であり、本件特定発明は、前記のとおり引用例に該当する場合も包含するものであるから、原告の主張する右効果は、本件特定発明に係るもののうち引用例に該当するもの以外の場合の実施例の効果にすぎず、本件特定発明の特許請求の範囲に記載された発明に対応する効果とは認められない。
(5) 以上の次第で、原告の主張はいずれも理由がなく、本件特定発明は引用例のものと実質上同一といわなければならないから、特許法第29条第1項第3号、第123条第1項第1号の規定に基づいて本件特定発明の特許を無効とした審決の判断に誤りはない。
3 よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(杉本良吉 楠賢二 舟橋定之)
<以下省略>