東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)180号 判決 1979年10月09日
原告 遠藤仁三郎
被告 東京都選挙管理委員会
主文
原告の本件請求中立川市選挙管理委員会のなした決定の取消を求める部分につき訴を却下する。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
昭和五三年六月一八日執行された立川市議会議員選挙における当選の効力に関し立川市選挙管理委員会が同年七月一九日なした原告の異議の申出を棄却する旨の決定及び被告が同年九月一九日になした原告の審査の申立を棄却する旨の裁決はいずれもこれを取り消す。
右選挙における当選人古屋博人の当選は無効とする。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決
二 被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
との判決
第二主張
一 請求の原因
1 原告は昭和五三年六月一八日執行の立川市議会議員選挙において立候補した候補者であり、翌一九日開催の選挙会において、得票一、一八六票と決定され、最下位当選人古屋博人(以下「古屋候補」という。)の得票数一、一九二票に対し六票差で落選人と決定されたものである。
原告は右選挙の効力に関し立川市選挙管理委員会(以下「市委員会」という。)に対し昭和五三年六月二三日異議の申出をしたが、同委員会が、同年七月一九日これを棄却する決定をしたので、これを不服とし同年同月二八日被告に対し右決定を取り消し、原告を当選人とする旨の裁決を求めた。被告は昭和五三年九月一九日右申立を棄却した。
2 原告が被告の裁決を不服とする理由は、つぎのとおりである。すなわち本件選挙に立候補し、最下位で当選人と決定された古屋候補の得票数一、一九二票中には、公職の候補者でない同人の父古屋博の投票が一一票算入されている。これを右古屋候補の得票一、一九二票から控除すれば一、一八一票となり、原告の得票数一、一八六票より五票だけ少くなる。よつて原告が当選人となり古屋候補は落選人となるべきであり、これに反する決定及び裁決は違法である。
3 被告は本件審査にあたり職権をもつて全投票を開披して調査した。開披調査において検討を要するものと認めた投票はA四七票、B一三票、C八票、D三票、E六四票、合計一三五票であつた。個々の投票の記載内容は裁決書添付の別表のとおりである。
右の投票中BないしEの投票は本件に関係なく、本件に関係あるのはAのうち投票番号(37)ないし(47)の一一票である。そのうち(37)ないし(45)の投票には古屋博と記載され、(46)(47)の投票には甲州屋と記載されている。以下これらの投票が無効である理由を述べる。
4 別表A(37)ないし(45)の投票について
右各投票は、古屋候補の父古屋博に対してなされた無効の投票である。何となれば古屋博は、以下の事情により立川市において極めて知名度の高い人物であるからである。すなわち、
(一) 古屋博は山梨県から立川町へ出て約五〇年、今日の甲州屋の隆盛を築きあげた山梨県人の中でも代表的成功者の一人として山梨県人の間で周知され著名である。なお、山梨県人の立川市在住者は三、〇〇〇人余と推定されている。
(二) 古屋博は昭和三年一月立川市柴崎町三丁目三番一〇号に甲州屋という屋号で酒類調味料等を販売する店舗を構え、昭和二五年一一月二日合名会社甲州屋を設立してその代表社員となつたが、その店舗は立川駅近くの目抜きの商店街にある。また同人は東京小売酒販組合、東京酒類商業協同組合、東京味噌醤油商業協同組合の各立川支部組合員であり、昭和二〇年代に立川酒商組合副組合長に就任していて現在同業者の長老としてその知名度は高い。
(三) 古屋博は昭和二八年五月一日に創立された立川商工会議所の当初からの正会員であり、同会議所の商業部会の酒類燃料関係分科会員として活躍している。
この関係においても知名度は高い。
(四) 古屋博は昭和二八年四月から昭和二九年三月まで及び昭和三一年四月から昭和三二年三月までの二回に亘り「立川南口すずらん通り商友会」総代を勤め、昭和三九年四月から昭和四一年三月までの二年間は「立川南口すずらん通り商店振興組合」理事として商店街の発展に貢献しており、地元商店関係者の間ではその知名度は頗る高い。
(五) 古屋博は昭和二四年頃から立川市の諏訪神社の氏子総代を勤めている。諏訪神社は同市柴崎町一の五の一五に所在する由緒ある神社で、約五、〇〇〇坪の敷地に寛文一〇年に造営された本殿があり、再建以来三〇〇年を経、立川市における最古の木造建築物として市重宝に指定されている。立川市の富士見町、柴崎町、錦町、羽衣町、曙町が右神社の氏子区域であり、旧立川市の八割に当り、世帯数は昭和五三年現在八、七五〇名に及んでいる。
古屋博は柴崎町の北町会選出の氏子総代であるが、毎年四月に開催される氏子総代会の総会に出席して年間行事と予算を決定するほか、正月祭、節分祭、例大祭の執行や運営費、寄附金の徴収等に当つている。
昭和三七年八月諏訪神社が境内を囲む三方道路に石垣を築造した際古屋博は当時の市長、市議会議長、市振興会長等と共に多額の寄附をなし、中柱に「古屋博」の氏名が刻されている。また昭和四二年七月神楽殿の新築に際しても古屋博は金二万円を寄附し寄附者芳名碑にその氏名が刻されている。従つて古屋博は諏訪神社の氏子関係においても長老としてその知名度は高い。
(六) 古屋博は昭和二六年四月に執行された立川市議会議員選挙に立候補し最高点で当選し、同年五月一日から昭和三〇年四月三〇日まで同市議会議員であつたが、その間都市計画審議会委員、総務委員会委員、財務委員会委員、警務委員会委員、経済委員会委員、事業委員会副委員長として幅広く活躍している。
また昭和三二年一一月一八日から昭和三五年一一月一七日まで、同年一二月一九日から昭和三八年一二月一八日までの両度に亘り六年間立川市固定資産評価審査委員会委員を勤めたほか、昭和三九年三月三〇日から昭和四〇年三月三一日まで立川市選挙管理委員会委員として公職を歴任し、その知名度の高いことは何人も否定できないところである。
それ故(37)ないし(45)の投票がいずれも古屋候補に対する有効な投票であるとした原裁決の判断は公職選挙法(以下「公選法」という。)の適用を誤つたものであつて、到底認容することはできない。
古屋博は実在人であり、その氏名が古屋博である以上は、これを古屋博と記載することは誤字でも脱字でもないのである。これら九票の投票をした選挙人らはいずれも古屋博を意識し古屋博に投票する意思をもつて投票したものと察せられる。
したがつて投票秘密主義の法制のもとにおいては投票した選挙人の意思を憶測して被選挙人をきめることは許されないところである。
5 これら投票に記載された文字をみるのに(37)ないし(40)に記載された「古屋博」なる漢字は、達筆で明瞭に記載され、また(41)ないし(45)に記載された「ひろし」「ヒロシ」なる名の文字が、何ら遅疑するところなく自信をもつて明瞭に記載されている。この点からみてもこれらの投票の選挙人らは古屋博を熟知しており同人の存在を意識して記載したものと思われる。
以上のごとく(37)ないし(45)の投票は古屋博の投票を正確明瞭に記載したものであつて、同人は本件選挙の候補者でないからこれらの投票は無効である。
6 甲州屋と記載した投票について
本件別表Aの投票番号(46)には「甲州屋」、(47)には「甲州ヤ」と明瞭に記載されている。裁決は、この二票はいずれも古屋候補の有効投票と認めた。その理由とするところは、古屋博は有名人でないこと、古屋候補は甲州屋の名義をもつて選挙運動をしたことのあること、また古屋候補以外には甲州屋という名称を用いて選挙した者のいないことから甲州屋と記載された投票は古屋候補を意味するものと認めたのである(裁決一四頁終から六行目以下)。しかしながら古屋候補は甲州屋なる屋号を有する者ではなく、この屋号は酒類販売業を営んでいる古屋博の販売店の屋号であつて、古屋候補には関係ない。古屋候補は市会議員として市政に没頭していて酒類の販売には関係していない。したがつて甲州屋といえば古屋博のことであり、古屋博といえば甲州屋のことである。両者は社会的には一身同体をなしている。
他面古屋博は裁決が説示しているように(同九頁終から四行目以下)その公職歴、職業歴などからみても永年にわたり町や市のために貢献した功労者であり、著名人であることが明らかである。
よつて甲州屋と記載された投票は、古屋博に投ぜられた投票であつて、当然無効である。
7 結語
以上のごとく別表Aの投票番号(37)ないし(47)の投票はいずれも候補者でない古屋博になされた投票であることが明らかであるから無効である。その結果古屋候補の得票は原告の得票より少く、原告が当選人となり、古屋候補は落選人となるべきである。
よつて原告は本件異議申立棄却の決定及び審査申立棄却の裁決の取消及び古屋候補の当選無効の宣言を求める。
二 請求の原因に対する答弁及び被告の主張
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2の事実は否認する。
3 同3の事実は認める。ただし別表A(37)ないし(47)の各投票が無効投票である旨の主張は争う。
4 同4の事実中
(一)は不知。ただし、山梨県人の間で周知されて著名である点は否認。
(二)は古屋博が原告主張の会社を設立しその代表社員となつたこと。
を認め、その余は不知。なお、同業者の長老として知名度が高いとの点は否認。
(三)は不知。知名度が高いとの点は否認。
(四)は不知。地元商店関係者の間ではその知名度は頗る高いとの点は否認。
(五)は古屋博が諏訪神社の柴崎町の北町氏子総代であることを認め、知名度が高いとの点を否認。
(六)は認める。ただし知名度が高いとの点は否認。
5 同5の主張は争う。
6 同6の事実中、裁決書の理由記載の中にその主張のとおり認定部分が存することを認め、その余は否認する。
7 別表A(37)ないし(45)の効力について
およそ「立候補者制を採る選挙制度の下においては、選挙人は候補者に投票する意思をもつて投票に記載したものと推定すべきであるから、投票の記載が候補者の氏名と一致しない投票であつても、その記載が候補者氏名の誤記と認められる限りは、当該候補者に対する投票と認めるべきである。」(最高裁判所昭和三一年二月三日第二小法廷判決民集一〇巻二号一九頁)。ところで、右各投票の記載が本件選挙における他の候補者との比較において候補者古屋博人の氏名との類似性が高いことについては、原告もこれを明かに争わないところ、本件においては、たまたま投票と同一の氏名を有する者が立川市内に実在するため、この者との関係で右各投票の効力が問題とされるわけであるが、かかる場合には前記選挙人の投票推定に関する実験則が、候補者同志間のそのときよりも一層強力に働くに至ることは明らかであるから、該投票にして明確に候補者外の実在人に投票する意思をもつて投票したとすべき特段の事情が認められない限り、これを無効投票とすべきではなく、当該候補者に対する有効投票と認定されなければならない。しかるに古屋候補の父、古屋博の経歴は、立川市議会議員をおよそ二十数年前の昭和二六年五月一日から同三〇年四月三〇日までの一期つとめたことがあるほか、同市固定資産評価審査委員を昭和三二年一一月一八日から同三五年一一月一七日まで、及び同年一二月一九日から同三八年一二月一八日までの二期六年間、その後同市選挙管理委員会委員を昭和三九年三月三〇日から同四〇年三月三一日まで一年間(なお、この一年間には選挙の執行は皆無であつた。)つとめ、また立川駅南口で甲州屋(合名会社甲州屋、代表社員古屋博)という屋号で酒類販売を主とする店舗を構え営業中で、かつて同業組合の役員に就任したことがあり、現在は立川市にある諏訪神社の一町会の選出にかかる氏子総代をつとめているという程度に過ぎず、しかも前記立川市議会議員に当選したさいの選挙を除き、公選法に基づくいかなる選挙にも立候補したことがない等を斟酌すれば、選挙人が殊更同人を志向して投票する程の著名人と認め得ないから、右投票を無効とすべき特別事情はなく、右各投票は古屋候補に対する有効票というほかない。従つて、これを無効票とする原告の主張は失当である。
8 (46)(47)の投票の効力について
古屋候補は本件選挙の選挙運動にさいし、選挙運動用ポスター及び同葉書に「合名会社甲州屋役員」と記載してこれを掲示頒布し、その上選挙公報にも氏名の横に「甲州屋」と記載して選挙運動をしていたものであり、他方立候補者中に古屋候補を除きかかる屋号を有したり、又は「甲州屋」という名称を使用して選挙運動をした立候補者はいなかつたから、たとえ候補者外に「甲州屋」の屋号を有する者が存在し、且つ、候補者がその屋号による事業の営業主ではないことを考慮しても、なお右二票を「甲州屋」を使用して選挙運動をなした候補者の有効票と認めるのが相当であつて、かかる認定こそ前記(一)で述べた選挙人は立候補者中のいずれかに投票したものと推定すべきである旨の実験則にも合致する所以というべく、これに反する原告の主張は原告独自の主張として排斥をまぬがれない。なお、「甲州屋」なる名称の使用に関しては、選挙長に届出ることを要しないものである。
第三証拠<省略>
理由
一 原告が本件選挙に立候補した候補者であること、原告がその主張の経緯により選挙会において落選人と決定されたこと、原告が右選挙の効力に関し立川市選挙管理委員会に対し、その主張の日時に異議申出をなし、同委員会が原告主張の日時に右異議申出を棄却する決定をしたこと、原告はさらにその主張の日に被告に対し右決定を取り消し、原告を当選人とする旨の裁決を求め、被告が原告主張の日に右申立を棄却したこと、右選挙における原告の有効得票数が一、一八六票であること、最下位当選人とされた古屋候補の得票数一、一九二票中一一票は別表A(37)ないし(47)に示されたとおりの記載内容を有し、これらを除くその余の一、一八一票が同候補に対する有効な投票であること、古屋候補の父の氏名は「古屋博」であり現存しており、立川市柴崎町において酒屋を営む合名会社甲州屋を設立し、その代表社員であり、その公職歴は原告主張のとおりであり、現に立川市諏訪神社の氏子総代(柴崎町北町選出)をつとめていることは当事者間に争いがない。
二1 成立に争いのない乙第二号証によれば、本件選挙の候補者中には、「古屋」の氏を称する者あるいは「ふるや」と読む氏を称する者は古屋候補のほかになく、「博」あるいは「ひろし」の名を称する者としては古屋候補のほかに、榎本博、菅沼ひろしの両名があり、なお「ひろと」と読む名を有する者としては岡部寛人があり、そのほかに「ひろ」ではじまる名を有する者はいなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。
2 訴外古屋博の知名度につき、証拠によれば次の各事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
(一) 古屋博が立川市議会議員に当選した昭和二五年の選挙における同人の得票順位は第一位であり、得票数は六五〇票であつたが、その後は一度も公選法による選挙に立候補したことがない。(成立に争いのない甲第一二号証の一、二、同乙第三号証の五)
(二) 古屋博が代表社員をしている合名会社甲州屋酒店は国鉄立川駅の南口(裏口)から一〇〇メートル足らずの商店街に位置する通常の規模の商店である。(証人酒井光吉の証言、これにより右商店の写真であると認められる甲第六、第七号証、立川市の地図であると認められる同第八号証の一、二)
(三) 古屋博は東京小売酒販組合、東京酒類商業協同組合、東京味噌醤油商業協同組合の各立川支部組合員であり、昭和二〇年代に立川酒商組合副組合長に就任している。
(原告本人尋問の結果、これにより真正に成立したと認められる甲第九号証の一、二、成立に争いのない乙第三号証の四)
(四) 古屋博は昭和二八年五月一日創立された立川商工会議所の会員であり、同会議所の商業部会の酒類燃料関係分科会員である。(いずれもその体裁及び内容から立川商工会議所の作成した名簿であると認められる甲第一〇、第一四号証の各一、二)
(五) 古屋博は昭和二八年四月から同二九年三月まで及び昭和三一年四月から同三二年三月までの二回に亘り「立川南口すずらん通り商友会」総代を勤め、昭和三九年四月から同四一年三月までの二年間は「立川南口すずらん通り商店振興組合理事をつとめた。(成立に争いのない乙第三号証の四)
(六) 立川市の著名な神社である諏訪神社の境内の碑に同社神楽殿新築のさい古屋博が金三万円を寄附したことが他の多数人の名にまじつて刻まれており、また道路に面し、同社の周囲にめぐらされた石柱の一本に古屋博の名が刻まれている。人名を刻した石柱には、大中小三種あり、古屋博の分は中位の大きさで、一七九本のうちの一本である。(成立に争いのない甲第一ないし第三号証の各一、二、第四号証、原告本人尋問の結果、これにより立川市の地図であると認められる同第五号証の一、二)
(七) 諏訪神社の氏子総代は全部で四九人あり、古屋博は同市柴崎町の北町会(世帯数二四一)を代表してその一人となつている。(証人酒井光吉の証言、これにより真正に成立したと認められる甲第一三、第一五号証)
(八) 古屋博は山梨県出身であり、戦前立川市山梨県人会の結成につくし、同県人会内部では比較的知名度が高い。(証人酒井光吉の証言、これにより真正に成立したと認められる甲第一一号証の一、二、第一八号証)
三 さて、以上の事実関係を前提として別表A(37)から同(45)までの投票の効力について検討する。
まず、これらの投票は「古屋博」、「古屋ヒロシ」、「古屋ひろし」、「ふるやひろし」あるいは「古谷ひろし」と記載されているので、本件選挙の候補者でない古屋博に向けられた票であるか否かが問題となるが、選挙人は候補者に投票する意思をもつて投票に記載したと推定すべきものであるから、投票に記載された氏名と同じ氏名をもつ者が同一選挙区内に実在する場合でも、投票の記載がその実在人を指向するものと認められるためには、その者が地方的に著名であるなどその記載が特に当該実在人を表示したと推認すべき特段の事情があることを要する(最高裁判所昭和三一年二月三日第二小法廷判決民集一〇巻二号一九頁、同三二年三月五日第三小法廷判決民集一一巻三号四二九頁、同三三年四月八日第三小法廷判決民集一二巻五号七〇一頁、同四〇年二月九日第三小法廷判決民集一九巻一号一三六頁参照)ところ、古屋博は判示の公職歴を有し、また酒類販売業を営み、諏訪神社の氏子総代を務め、さらに立川市山梨県人会の主要なメンバーであるなど公私に亘つて種々の活動をして来た結果、立川市内等の限られた範囲である程度の知名度を有することをうかがうことはできるが、一方同人は古屋候補の先代として既に活動の最盛期を終えているものと推認され、また立川市が東京のいわゆるベツドタウンとして近年著しい発展を遂げ、他地方よりの流入者の割合の高い地域である(この点は公知の事実である。)ことを斟酌するときは、前認定の事実関係から古屋博が前記特段の事情とするに足りるほどの高い知名度を有するとは認めがたいといわざるをえず、従つて右各投票は候補者でない古屋博に向けられたものとすることはできない。一方本件選挙の候補者中には右各投票の記載と完全に一致する氏名の者はなく、右各記載と最も高い類似性を有する氏名の候補者が古屋候補であることはいうまでもなく、かつその間の相違も僅少であつて、右各投票の記載は古屋候補の氏名を誤記したものと認めるになんら妨げがない。
それ故右(37)ないし(45)の各投票はいずれも古屋候補に対する有効投票であるといわねばならない。
四 当事者間に争いのない古屋候補の有効得票数一、一八一票に右A(37)ないし(45)の九票を加算すると一、一九〇票であり、それだけで原告の得票数一、一八六票を上廻ることは明らかであるから、別表A(46)、(47)の二票(「甲州屋」あるいは「甲州ヤ」と記載された票)が古屋候補に対する有効な投票であるか否かについての判断は省略することとする。
五 原告は立川市選挙管理委員会のなした原告の異議申出に対する却下決定の取消をも求めているが、公選法第二〇七条、第二〇六条に照らすと、異議申出に対する決定及び審査申立に対する裁決を順次経由した場合、その結果に不服のある者は、決定が裁決によつて取り消されているときはもちろん、決定が裁決によつて維持されているときでも、裁決のみの取消を求めて出訴しうるが、決定の取消を求めて出訴することは許されていないと解すべきであつて、原告の右取消の訴は不適法というほかはない。
六 以上の説示で明らかなとおり、立川市選挙管理委員会の決定の取消を求める訴はこれを却下すべく、また古屋候補を当選人として、原告を落選人とした被告の裁決はいずれも正当であつて原告の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 安藤覺 石川義夫 柴田保幸)
別表<省略>