東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)84号 判決
一 請求の原因1ないし5の事実については、当事者間に争いがない。
二 そこで、審決を取消すべき事由の存否について判断する。
1 まず、原告は、補正後の本願発明と引用例記載の発明とでは、それぞれのグリオキザール化ビニルアミド共重合体の構造に著しい差異がある旨主張し、本願発明におけるグリオキザール化ビニルアミド共重合体は、(イ)アミド基の一モルに対する―CHOHCHO置換基の割合及び(ロ)水溶液又は水分散液の粘度がそれぞれ限定されていることによつて架橋構造が適度に抑制され紙繊維との反応性を十分有するのに対し、引用例記載の発明におけるグリオキザール化ビニルアミド共重合体は、本願発明における前記要件(イ)及び(ロ)のような要件を具備していないことから、その構造のほとんど全体に亘つて架橋され、紙繊維との反応性をほとんど残していない、とする。
成立について争いのない甲第三号証(引用例)によれば、引用例は、グリオキザール化アクリルアミド―アクリル酸ソーダ共重合物を用いて、ビーターサイズ法、含浸法、塗布法、スプレー法などにより、繊維系繊維材料であるパルプ又は紙に処理をして、乾湿時の強度を増大させた紙を製造する方法に関するものであるが、引用例には、次の記載の存することが認められる。すなわち、「本発明に使用するグリオキザール化アクリルアミド―アクリル酸ソーダ共重合物は、基本的に次の構造を示す化合物である。
<省略>
(一頁右欄下段)、「本発明に使用するグリオキザール化アクリルアミド―アクリル酸ソーダ共重合物は、電気的にはアニオン性を帯び、これと硫酸バンドを併用すれば、パルプに吸着され、所持するアルデヒド基がパルプ又は紙のセルロースの水酸基と反応し、乾燥強度、湿潤強度を同時に向上させるものであり、乾湿両強度共に従来の処理用薬品に較べて、効果は極めて大である。」(二頁左欄三段)。
右の記載内容からみても、引用例記載の発明におけるグリオキザール化アクリルアミド―アクリル酸ソーダ共重合体は、共重合体のアミド基の部分にグリオキザールに基因する―CHOHCHO基が結合している共重合体であり、かつ、セルロースと結合する場合には、―CHOHCHO基のアルデヒド基がセルロースの水酸基と反応することが明らかである。そして、引用例記載の発明におけるグリオキザールに基因する―CHOHCHO基が前記のような性質をもつものであつてみれば、引用例におけるグリオキザール化アクリルアミド―アクリル酸ソーダ共重合体は、紙繊維との反応性をほとんど失つてしまう程に架橋が進んだものではなく、紙繊維との適度の反応性を保有するものであり、また、粘度についても、紙に対して処理するのに好都合な範囲の粘度をもつものと理解するのが相当である。この点について、原告は、本願発明におけるグリオキザール化ビニルアミド共重合体は前記の要件(イ)及び(ロ)を具備していることを強調するが、これらの要件は、後に詳述するごとく、両者相俟つて結局、グリオキザール化ビニルアミド共重合体が紙の湿潤強化処理に好都合な粘度と紙繊維との反応性をもたせるという程度の規定にすぎないとみざるをえない。そして、前記要件(イ)については、本願発明と引用例記載の発明との間に差異がないことは、後に検討するところから明らかであり、かつ、前記要件(ロ)の粘度に関する限定規定も、紙の湿潤強化処理に好都合な粘度を表現したものとみざるをえず、この程度の限定規定を設けることは当業者が実験によつて容易にしうることであるから、原告のこの点の指摘を勘案しても、本願発明における共重合体が引用例記載の発明におけるものと判然と区別できる構造上の差異があるとする原告の主張は採用できない。
2 次に、原告は、補正後の本願発明と引用例記載の発明との間には、置換基のモル数の点(原告のいう要件(イ))及び粘度の点(原告のいう要件(ロ))において差異がある旨主張するので、これらの点について、順次検討する。
(一) アミド基の一モルに対する―CHOHCHO置換基の割合(原告のいう要件(イ))について
補正後の本願発明においては、「アミド基の一モルに対して―CHOHCHO置換基が〇・〇六ないし〇・五モル、好ましくは〇・一ないし〇・二五モルに相当する割合」と規定されていることは、当事者間に争いのない補正後の特許請求の範囲の記載から明らかである。一方、前掲甲第三号証によれば、引用例には、グリオキザールに基因する―CHOHCHO基のモル数についての一般的説明はなく、また、実施例においても、グリオキザール化を行つていることが明記されているものの、共重合物中のアミド基一モルに対して―CHOHCHO基がどの程度存在するようにグリオキザール化されているかについては説明がない。しかしながら、前認定のとおり、引用例には、引用例記載の発明に用いるグリオキザール化アクリルアミド―アクリル酸ソーダ共重合物の基本的構造を示す記載があるところ、この式をみると、アミド基一モルに対してグリオキザールに基因する―CHOHCHO基は、〇・五モルの割合になつている。しかも、引用例記載の発明も、本願発明と同様、アクリルアミド共重合物のグリオキザール化物の有するアルデヒド基が紙の湿潤強度の向上という効果を発揮することに着目し、これを利用しようとする発明であることは、すでに認定したとおりである。このような引用例の目指す作用効果と前記構造式に示された引用例で用いられるグリオキザール化アクリルアミド―アクリル酸ソーダ共重合物の構造からみると、引用例記載の発明における共重合物中のアミド基に対するグリオキザールに基因する―CHOHCHO基のモル比は、ほぼ〇・五と解するのが相当である。
したがつて、引用例と本願発明との間には原告のいう要件(イ)の点について差異があるものとは認められず、この点の原告の主張は、理由がない。
(二) 粘度(原告のいう要件(ロ))について
補正後の本願発明においては、そこで用いられるグリオキザール化ビニルアミド共重合体の粘度に関し、「固形物濃度として約一〇%におけるその水溶液又は水分散液の粘度がガードナー・ホルトスケールBに止まりうる」と規定されていることは、当事者間に争いのないところであるが、この点について、本件決定が「引用例記載の発明では、どのような粘度のものを使用したのか記載がない代りに、分子量として具体例で二一万、三六万、五〇万のものを使用したことが明示されている。」としていることに徴すると、本件決定は、引用例に示された共重合体の分子量を根拠にして前記の粘度規定の意義を判断したものと解せざるをえない。しかしながら、前掲甲第三号証によれば、引用例の実施例において分子量が二一万、三六万、五〇万と記載されたものは、グリオキザール化される以前のアクリルアミド―アクリル酸ソーダ共重合物であることは明白であるから、グリオキザール化されていないビニルアミド共重合体の分子量が引用例に記載されているからといつて、これをもつて、ただちにグリオキザール化されたビニルアミド共重合体の分子量に換算できるものではなく、ましてや、グリオキザール化されたビニルアミド共重合体の粘度を類推できるものでもない。本件決定が粘度規定の有無の判断に当つて、グリオキザール化ビニルアミド共重合体の粘度を、原料たるビニルアミド共重合体の分子量をもつて、判断しうるとした点は、原告主張のとおり、当を得たものとはいえない。
ところで、補正後の本願発明における前記の要件(ロ)の意義について検討するに、本願発明の特許公報(成立について争いのない甲第五号証―特許出願公告昭四六―三二八八号)によれば、その「発明の詳細な説明」中の参考例1及び参考例2には、ビニルアミド共重合体をグリオキザール化する反応において、反応系の樹脂液の粘度がガードナー・ホルトスケールBのときに反応を停止する旨の記載が認められるが、この記載以外に、この規定された粘度がどのような意義をもち、なぜこの粘度で反応を停止したかについては、記載されていない。本願発明の特許公報の記載全体を通してみても、前記の要件(ロ)がそれ自体で格別の臨界的意義を示すものと理解されうる記載は見出しえない。そうすると、要件(ロ)は、結局、前記の要件(イ)と相俟つてグリオキザール化ビニルアミド共重合体が紙の湿潤強化処理に好都合な粘度と紙繊維との反応性を保持させるという程度の規定にすぎないものと解せざるをえない。
前記の要件(ロ)の規定の意義が右のようなものであるとすると、要件(ロ)は、引用例において示唆されている湿潤強化処理のために好都合の範囲を粘度として表現したに止まるものであり、この程度の規定は、当業者が必要に応じ実験によつて適宜に設定しうる程度のことというべきである。
したがつて、本件決定は、粘度規定の有無についての判断に当つて前記のごとき当を得ない前提に立つたそしりを免れないものの、それは、要件(ロ)の規定自体が右のごとく引用例の記載に基づいて当業者が容易に設定できる程度のものにすぎない以上、結局、本件決定の結論に影響を及ぼすものとみることはできない。
なお、原告は、この点に関し、本願発明がpH約8、反応温度三〇度Cという反応条件を選んだことによつて、ゲル化を惹起する前に反応を停止させることができ、これによつて紙の湿潤強化用として最も適当なグリオキザール化ビニルアミド共重合体を得ることができた旨主張するが、右のごとき反応条件は、本願発明の構成要件に含まれていない事項であるから、これを前提とする原告の主張は採ることができない。
3 更に、原告は、補正後の本願発明と引用例との間には、湿潤強度に関する作用効果の点において特段の差異がある旨主張し、その根拠として、甲第九号証の二の「表1」を挙示するので、この点について検討する。
前掲甲第五号証及び成立について争いのない甲第九号証の二(昭和五二年四月一一日付審判請求理由補充書)によれば、甲第九号証の二添付の表1は、各種樹脂(グリオキザール化ビニルアミド共重合体)を用いて得た紙の湿潤強度を破壊長kmをもつて比較したものであつて、原告が特許庁の審判手続において提出した比較実験結果報告書の一部であるが、この表1の記載と本願発明の特許公報の参考例の表の記載とを対比すると、次のとおり認められる。すなわち、原告が補正後の本願発明にかかる樹脂であるという陰イオン性樹脂No.5のグリオキザール対アミドのモル比をみると、アミド基一モルに対するグリオキザールの使用モル数は約〇・二五九であるから、これは、本願発明の特許公報における参考例4の表に示された実験データのうち、実験3のグリオキザールモル比(共重合体中のアクリルアミドのモル当り加えられたグリオキザールのモル)〇・二五に最も近似し、補正後の本願発明におけるモル比規定のうち最も好ましい割合に相当するものと認められ、また、原告が補正後の本願発明にかかる樹脂であるという陽イオン性樹脂No.1のグリオキザール対アミドのモル比をみると、アミド基一モルに対するグリオキザールの使用モル数は、約〇・五二八であるから、これは、本願発明の特許公報の参考例4の表における実験2のデータに示されたグリオキザールモル比〇・五に最も近いこと、更に、原告が補正後の本願発明にかかる樹脂であるという陽イオン性樹脂No.2のアミド基一モルに対するグリオキザールの使用モル数は約〇・二九六であるから、これは、本願発明の特許公報の参考例4の表における実験2と実験3の中間の割合に相当することが認められる。このように、甲第九号証の二の表1には、本願発明の特許公報の参考例4の表に照らしてみてもかなり好ましい範囲のモル比をもつ樹脂のみが示されているにすぎず、補正後の本願発明の技術的範囲に含まれる、たとえば、前記参考例4の実験5に相当するような、アミド基一モルに対してグリオキザール〇・一二モルを用いる場合(アミド基の一モルに対して―CHOHCHO基〇・〇六モル)の樹脂に関するデータは示されていない。そこで、たとえば、甲第九号証の二の表1における陽イオン性樹脂No.1についてアミド基一モルに対して使用するグリオキザールを〇・一二モルとした場合の樹脂の湿潤強度(破壊長km)を、前記参考例4の実験3と実験5のデータの比率から推定してみると、表1の陽イオン性樹脂No.1の湿潤強度のおよそ八割程度の数値になるものと考えられるが、これは、比較対象とされた引用例の実施例の樹脂1と近似した陰イオン性樹脂No.3及びNo.4を用いた数値と大差がないとみざるをえない。
右のとおりであるから、補正後の本願発明が「アミド基の一モルに対して―CHOHCHO置換基が〇・〇六ないし〇・五モル、好ましくは〇・一ないし〇・二五モルに相当する割合」とした規定の範囲と前掲甲第九号証の二及び本願発明の特許公報の前記のごとき記載内容を総合して判断すると、前掲甲第九号証の二の実験結果をもつてただちに、補正後の本願発明が、引用例から期待できない程の格別顕著な作用効果を奏するものと断定することはできない。
本件決定が、補正後の本願発明と引用例記載の発明とにおける共重合体の間で、湿潤強度の効果上特段の差異が認められない、とした点を誤りとすることはできない。この点の原告の主張は失当である。
(4) 以上のとおりであるから、補正後の本願発明が引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができるものとして、昭和四七年一月四日付手続補正書による手続補正を却下した本件決定は、結局正当であり、これを前提として補正前の明細書における特許請求の範囲の記載に基づいて本願発明の要旨を認定した審決には、原告主張のような違法の点はない。そして、本願発明の要旨が、請求の原因2の「本件補正前の発明の要旨」記載のとおりとすると、すでに検討した引用例(本件決定の引用例と同じ特公昭四〇―一三六八六号特許公報)の記載内容から明らかなとおり、本願発明は引用例記載の発明と同一であるから、審決が本願発明は特許法第二九条第一項第三号の規定に該当し、特許を受けることができない、とした結論は正当であり、審決にはこれを取消すべき違法の点はない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとする。
〔編註〕 本件における発明の要旨は左のとおりである。
本件補正前の本願発明の要旨
「イオン性、親水性かつ熱硬化性ビニルアミド重合体を吸着せしめたことを特徴とする湿潤強度強化紙。」
本件補正後の本願発明の要旨
「アミド基の一モルに対して―CHOHCHO置換基が〇・〇六ないし〇・五モル、好ましくは〇・一ないし〇・二五モルに相当する割合で結合しており、かつ、固形物濃度として約一〇%におけるその水溶液又は水分散液の粘度がガードナー・ホルトスケールBに止まりうる、イオン性、親水性かつ熱硬化性のグリオキザール化ビニルアミド共重合体を吸着せしめたことを特徴とする湿潤強度強化紙。」