東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)97号 判決
一 請求の原因一ないし三の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の本件審決の取消事由の存否について検討する。
本願発明の出願当初の明細書及び図面において、保持板が作動軸を中心として回動するように構成された多軸ミシンが記載されていることについては、当事者間に争いがない。そこで、まず、同明細書及び図面における右構成の記載の在り方について検討する。
成立に争いのない甲第二号証(本願発明の出願当初の明細書及び図面)によれば、本願発明が解決しようとした課題は、従来の多軸ミシンの欠点であつた「作動中の針棒を、他の針棒が保持されている位置まで引きもどしてからでなければ、針棒の切替えは、行えず、しかも、この切替えの間は駆動レバーを一時的に停止させて待たせておかねばならないことから、ミシンによる縫製作業の時間ロスが大きく、高速縫製には適応しえない」ことを除去しようとするにあり、本願発明は、この課題の解決手段として、「針棒押えが針棒を押えて下降した後、針棒とともに上昇している時点において、保持板を作動軸を中心として回動させると、針棒押えも、作動軸を中心として針棒とともに回動し、この回動した状態で、針棒押えが上昇し終り針棒から離反すると、針棒押えは、別の針棒に係止する位置に、自動復帰しうるように構成した」ものであり、その実施例としては、複数の針棒14、14、14を独自に昇降可能に支承した保持板12を、作動棒4を中心として回動可能に機体2の突出部3´に支承し、かつ、引張りスプリング11で所定位置に復帰するようにした針棒押え10を、機体2の突出部3、3´に昇降可能に支承した作動棒4に止着したものが、一例記載されているだけであり、他の構成(ことに、複数の針棒14、14、14を、直線的な往復動等の、弧を描く回動以外の往復動をする構成)であつてもよい旨の記載はもちろん、それを示唆する記載さえないことが認められる。したがつて、本願発明の出願当初の明細書及び図面に開示された発明は、右課題解決のための前示構成、ことに保持板、複数の針棒及び針棒押えが作動軸を中心として回動する構成のものだけであると解するのが相当である。
ところで、ここに「回動」とは、点又は点の集りが、固定軸又は固定点からの距離及び相互間の相対的位置を変えず、かつ、軸方向の移動を伴わずに行なう運動、本願発明に即していえば、作動軸を中心とする円運動であり、そのような円運動をする保持板上に保持されている針棒も作動軸を中心とする円の円弧上にその軌跡をつくるものであることは明らかである。
一方補正後の特許請求の範囲において、保持板は針棒の横方向の往復動軌跡に一致するように機体に対して往復動自在に装着されていることが必須の構成要件となつていることは、当事者間に争いがない。ところで、ここにいう「往復動」とは、二つの定点の間の往き帰り運動であるが、その行程については、直線上あるいは円弧上などという限定はないので、往復動一般を指すものというべく、直線上の往復動も円弧上の往復動も含まれるものと解される。しかして、円弧上の往復動とは前述の「回動」の行程の一部にほかならない。したがつて、補正後の特許請求の範囲においては、保持板を回動させる構成(すなわち、作動軸を中心とする円運動をさせる構成)に加えて、保持板を直線的に往復動させる構成も含まれているといわなければならない。
そうすると、補正後の特許請求の範囲は、出願当初の明細書又は図面に記載されていない事項を加えて記載したものであるから、要旨の変更になるものというべく、このような補正は許されない。
原告は、本願発明の作用効果を得るためには、針棒のそれぞれが横方向へ往復動するに当つて、直線的に往復動しても、弧を描いて往復動しても何ら差異はなく、本願発明の場合、このこと自体は重要な技術事項ではない。しかも、針棒を横方向へ往復動させるに当り、弧状に往復動させることも、直線的に往復動させることも、本願発明の出願前の刊行物により広く知られ、当業者が必要に応じ適宜選択しうる自明な事項であつたから、針棒の「横方向の往復動」に関する技術事項は、出願当初の明細書に記載された事項の範囲内のことである、と主張する。
しかしながら、右の点に関する証拠として提出された成立に争いのない甲第五号証も第六号証も、ともに、本願発明のような針棒押えの時点を早め、針棒切替えの迅速化を図りうる構成については、何ら開示するところがないのはもちろん、かえつて、両書証のものは、縫製位置において、針棒の垂直駆動をいつたん停止させた後に、針棒の切替えを行うようにしたものと認められるから、その限りにおいて、直線的な往復動をするものと、孤を描いて往復動をするものとで、さしたる差異がないとしているに過ぎない。これに対し、本願発明は、針棒押えの時点を早め、針棒切替えの迅速化を図ることを課題とし、前示の構成により、針棒の上昇行程における保持板の回動を可能にし、針棒の横方向への回動の際にも針棒押えが針棒とともに回動し(この回動に関する限り、両者間に相対運動はない。)、その状態のまま針棒押えが上昇し終り、その後針棒から離反して、別の針棒と係止する位置(縫製位置)に自動復帰するようにしたものであり、このような構成のものにおいては、針棒が弧を描いて回動する場合と直線的な往復動をする場合とでは、この両者の運動軌跡が異なること、前者が回転中心をもち、一定の腕の長さを有する針棒押えにより針棒を常に作動軸から一定の距離において押えうるのに対し、後者は回転中心をもちえないので、右のようにはならないことなどからも理解しうるように、針棒と針棒押えとの関連構成に差異の生ずることは明らかである。したがつて、本願発明の技術分野の問題として考察する場合、右の一方を他方に転用するにも、作動軸を中心として回動する保持板や針棒押えの構成などについて適切な改変を加えざるをえず、その点について何らの開示も示唆もない以上、本願発明の出願当初の明細書及び図面からは、当業者といえども、いずれにするとも任意に選択可能な自明の事項であるとすることはできない。
原告がそのほか陳述するところも、本件補正が要旨の変更であつて許されないという右結論を左右するものではないから、本件審決には原告主張のような違法はない。
三 よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとする。
〔編註その一〕 本件における特許請求の範囲は左のとおりである。
1 出願当初のもの
機体の一部には直進的な上下動を自在にしている作動棒と、この作動棒を中心として左右への回動を自在にした保持板とをそれぞれ備えさせ、保持板には常時上昇位置への復帰を可能に付勢された複数本の針棒をそれぞれ作動棒と平行的な上下動を自在に備えさせる一方、作動棒の一部にはこの軸と一体的に上下動し、かつ、軸を中心とする左右への回動が可能で常時は一定位置に復帰しうるように構成した針棒押えを具備させ、しかも、この針棒押えは作動軸の下降動作に伴つて任意の針棒に係止してその針棒を押し下げうるように張出し構成させ、この針棒押えが針棒を押えて下降した後、針棒とともに上昇している時点において保持板を作動軸を中心として回動させると、針棒押えも作動軸を中心として針棒とともに回動し、この回動した状態で針棒押えが上昇し終わり針棒から離反すると、針棒押えは別の針棒に係止する位置に自動復帰しうるように構成したことを特徴とする多軸ミシン(別紙図面参照)
2 補正後のもの
単一の保持板に対し複数の針棒を相互に並列状態に自立させ、しかも、その自立状態は、保持板に対しそれぞれの針棒を上下動自在に装着するとともに、それぞれの針棒はそれぞれ一端を保持板に当接させた個別のスプリングにより上方へ付勢して構成し、更に、保持板は、複数針棒のそれぞれの横方向の往復動軌跡が後述針棒押えの下方で全て一致するように機体に対して往復動自在に装着し、更に、針棒の横方向の往復動軌跡の上方でしかも縫製位置にある針棒頭部の上下方向の往復動軌跡と対向する上方位置には、上下動を可能にした針棒押えを配設していることを特徴とする多軸ミシン
〔編註その二〕 本件に関する図面は左のとおりである。
別紙図面
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