大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和54年(う)2231号 判決 1981年1月26日

控訴人 弁護人

被告人 横山崇

弁護人 大塚利彦

検察官 窪田四郎

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大塚利彦作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

論旨は、要するに、被告人は本件犯行当時精神分裂病に罹患しており心神喪失の状態にあつたものであるから無罪とすべきであるのに心神喪失を認めず、単に心神耗弱の状態にあつたと認定した原判決は、証拠の取捨選択及び評価を誤つた結果事実を誤認し、ひいては、刑法三九条一項を適用すべきであるのに同法三九条二項、六八条三号を適用した違法があり、右事実誤認、法令適用の誤は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というにある。

記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を合せ検討すると、以下のとおりである。

一  まず被告人の本件犯行の動機、犯行に至るまでの経緯、犯行の状況等についてみるに、原判決挙示の関係証拠によると

被告人は、昭和五三年五月二九日午後、当時通学していた調理師専門学校からの帰途、午後四時四〇分ころから同六時一五分ころまで新宿区内の映画館でいわゆるポルノ映画を観たが、映画の場面にひどく性的興奮をおぼえ、自分も女性の肌に触つて見たい、乳房、性器がどうなつているか見たいという気持になり、映画館を出て帰宅途中、映画の場面を思い出し、また自宅に帰つてからも、自分の気持を押えることができず、道路を通行中の女性を襲つてその思いを遂げようと決意し、自分の部屋にあつたスキー帽をすつぽりかぶれるように目に当る部分を鋏でくりぬいて、女性を襲うための道具とし、また玄関の下駄箱の横に掛けてあつた縄とび用の縄のグリツプを取りはずして紐だけにしたものを用意して、通学用手提袋の中にスキー帽と一緒に入れ、同午後七時三〇分ころ、母親には友達の家に行つてノートを見せてもらうと嘘を言つて家を出た。前回は家の近くで女性を襲つて逮捕されたことがあつたので、今度はできるだけ自宅から遠い所へ行こうと考え、国鉄中野駅で鉄道案内板を見ているうちに、高校時代に友達と一緒に五日市町に行つたことを思い出し、電車を乗り継いで五日市駅に、同午後九時二〇分ころ着き、同駅で下車した。最初に、同駅で被告人と一緒に下車した若い女性の後をつけて行つたが暗がりの道に入つて行つたため見失つてしまい、再び同駅まで帰り、一旦は家に帰ろうと考えて中野駅までの切符を買つたものの、あきらめ切れず、同駅の椅子に腰かけて機会を待つていたところ、次の電車が到着し、下車した人の中に若い女性を見付け、再び後をつけて行つたが、途中で見失つた。しかし、その付近を徘徊しているうちに、同午後一〇時一五分ころ、同町入野一五三番地付近道路上で帰宅途中の本件被害者国分田鶴子を認め、同女を襲うことを決意し、一旦同女とすれ違つた後、手提袋の中から前記縄とび用の紐を取り出して手に持ち、足音がしないように、履いていた革靴を脱いでその場に置いて同女の後を追いかけ、約一五〇メートル先の道路上で同女に追いつき、背後から所携の紐を両手に持つてこれを同女の頸にかけて同女を仰向けに引き倒し、悲鳴をあげる同女の上に馬乗りとなり、両手で同女の頭部をアスフアルト舗装の道路上に数回打ちつけ、あるいは同女の顔面を殴打するなどの暴行を加え、同女に対して全治までに約二週間を要する頸部圧挫傷、頭部挫傷等の傷害を負わせたものの、同女の抵抗に遭い、また同女が騒ぐので口を両手で塞いでいたところ指を咬まれたためわいせつ行為をすることなく、その場から逃げ出した。そのころ同女の悲鳴を聞いた近所の住人からの一一〇番通報により急行した警察官が検索中、被告人を発見し職務質問のため被告人を停止させたところ、被告人は路地に逃げ隠れ、追跡した警察官に「俺じやない、俺は何もしていない」と泣き叫んでいた。このとき被告人は白ワイシヤツの胸あたりに血痕が付着しており、左手中指の咬傷から出血し、素足のまま黒短靴をはき前記の紐が入つた手提げ袋を所持していたが、被告人は、警察官から「この紐でやつたのか」と追及され、泣きながらうなずき逮捕に応じた。

以上の事実を認めることができる。

二  次に被告人の本件犯行時の精神状態について考察する。

(一)  鑑定人中田修作成の鑑定書及び同人の原審公判廷における供述(以下、両者を併せて「中田鑑定」という。)によると、被告人は、鑑定時には、被害妄想、情意鈍麻を主徴とする精神分裂病(破瓜型)に罹患しており、発病は一四歳ころである、本件犯行当時も明らかな精神分裂病の状態にあり、軽度ながらアルコール酩酊の影響もあつた、と鑑定している。鑑定人逸見武光作成の鑑定書及び同人の原審公判廷における供述(以下、両者を併せ「逸見鑑定」という。)によると、被告人は、一四歳のころ視線恐怖を主症状とする精神分裂病を発病し、視線恐怖はその後も続き、鑑定時には、精神分裂病は軽快状態にあり、本件犯行は精神的退行現象ないし症状の表現と解され、この状態が精神分裂病の過程によるものか、発達上の問題かは速断し難い、と鑑定している。両鑑定は、被告人が本件犯行当時精神分裂病に罹患していたとする点では一致しているが、その病状の程度や本件犯行との関連性については、その評価を異にしている。

中田鑑定によると、精神分裂病は重大な精神病であり、初期においても深刻な人格の侵襲があるから、著しく寛解した例外的な場合を除いて、精神分裂病が明らかなときは、犯行と精神症状とのあいだの関連性を問題とすることなく無条件に責任無能力とすべきである、とする。もつとも、右は同鑑定人の参考意見であると特に断つている。

ところで、中田鑑定は、本件犯行が著明な精神分裂病の状態で行われたとし、その根拠として、(イ)被告人が本件犯行の前に映画館で隣りの者が喋るのをきいて、自分のことを言われているように関係づけ妄想が生じ、それと関連して顔面がひきつり、眼が痛み、それをまぎらすため飲酒し、その結果のアルコール酩酊が本件犯行を容易にしたこと、(ロ)被告人の関心は女性の乳房や性器が実際にどうなつているかを見たい、丁度蛙を解剖して内臓がどうなつているかを見たいと思うのと同様であり、動機の面でもかなり特異であつて、強制わいせつの動機としては珍らしい、(ハ)本件犯行が一面計画的であるが、一面犯行の途中でぼんやりしていたという自供もあり、従来二回も同様な行為をしているのに、今回も目的を達していない幼稚な行為といえることを挙げ、これらは犯行の態様のなかに精神分裂病に特異なものはないにしても、精神分裂病的色彩は十分読みとれる、と説明している。

中田鑑定の指摘する右の(ロ)及び(ハ)は多分に事実認定又は事実の評価を含むものであり、同鑑定は問診により得た被告人の供述を重視するが、前段で認定した事実によれば、その動機は、ポルノ映画を観て興奮し「自分も女性の肌にさわつて見たい、乳房や性器がどうなつているか見たい」とする、女性と接触した経験の乏しい青年の自然の性衡動にもとずくもので、特に異常とは認められない。これをもつて単に解剖的興味とする同鑑定の見解は疑問である。犯行についても、被告人は前回自宅近くで女性を襲つてすぐ発覚した経験から、本件は自宅から遠く離れた場所を選んでおり、犯行の手段も、紐や覆面を用意するなどし、実際にも紐を使つた危険な犯行であつて、結果的に失敗したことをもつて幼稚と評価するのは首肯し難い。

(イ)の点は、同鑑定が問診により得た資料にもとづき、映画館内での病的異常経験及びこれを抑えるための飲酒の事実を認めているが、同鑑定は、本件が被告人の映画館内で経験した被害妄想ないし関係妄想に直接支配された犯行とは断定しておらず、むしろ、右妄想を抑えるために飲んだ酒によるアルコール酩酊が本件犯行を誘発した面があるとするにすぎない。要するに、同鑑定は、分裂病者が直接幻覚や妄想に支配されないでも、感情面の障害とか知能障害或はその他の障害で犯行に至ることがあり、かかる意味で本件には分裂病的色彩があるというにほかならない。

逸見鑑定は、被告人の精神分裂病と本件犯行との直接の関連性を否定し、さらに、本件犯行当時の被告人の精神分裂病は軽快状態にあつたとしている。同鑑定の判断は、原判決挙示の関係証拠により当審も正当として是認できる原判決の二の(一)「精神分裂病罹患とその後の経過」並びに前記認定の本件犯行の動機、経緯及び態様に照らし十分首肯できる。

両鑑定によると、被告人は八王子拘置支所に移監された昭和五三年八月頃から精神分裂病が急速に進行し重篤になつたことが認められ、また当審証人式場聰の供述によると、右の病状は当審においても継続していることが認められるが、右各証拠によると、勾留による拘禁や取調、事件の審理による刺激や猛暑による疲労が悪化の原因であることが認められ、犯行当時の病状が軽快状態にあつたとする認定と矛盾するものではない。

(二)  次に被告人の知能程度について考察する。

中田鑑定によると、被告人の知能程度は、田中ビネー式知能検査によると知能指数が五二、知能年令が七歳一〇か月であり、精神薄弱(軽愚)に相当する程度であり、これは、精神分裂病に罹患しているため情意が鈍麻し、検査に対する意欲がないため低くなつたもので、もともと精神薄弱といわれるような低い知能ではないとしている。

逸見鑑定によると、脳研式知能検査では一八点で、中低度の知能障害と判定されるが、容易な問題で失敗し、難解な問題で成功することより、精神薄弱とは考えられないとし、また、精神分裂病の症状の一部とみるか、発達障害と見るか判定し難いが、被告人には精神的な退行現象が認められ、知能、感情、社会的適応性を含め、全人格的には一〇歳ないし一三、四歳の程度の状態にあるとし、本件犯行は、精神的退行現象ないし症状の表現と解される、としている。両鑑定人ともそれぞれ知能検査結果の数値が低下していることを認めているが、右のような理由から被告人が精神薄弱であるとは判定していない。しかも、右各検査は、本件犯行後の被告人の病状が著しく進行した時期になされたものであることを考慮する必要がある。

三  以上検討した諸事情にもとづき被告人の本件犯行の責任能力について判断する。

被告人は、本件犯行当時精神分裂病に罹患していたが、その症状は軽快状態にあり、一応社会的に適応した生活を送つていたものであること、しかしながら、精神分裂病は、人格全体に対する侵襲を伴うものであり、しかも、被告人には、精神的退行現象が認められること、本件犯行当日映画館内で体験した妄想、眼病という異常体験が間接ながら本件犯行に影響を及ぼしたともみられないでもないこと、本件犯行を決意するにあたつても、被告人が以前二回にわたり同種の事件で処罰され現に執行猶予中であるにもかかわらず短絡的に犯行に及んでいることを併せ考えると、被告人は、本件犯行当時心神の障害があつて、そのため自己の行為の規範的意味を理解し、その理解に従つて行動を制御する能力が著しく滅弱した状態にあつたことは否定することができない。

しかしながら、本件犯行が精神分裂病にもとづく異常体験に直接支配されたものであるとは認められず、精神的退行現象としての知能、感情、社会的適応性の低下も重度のものではないこと、本件犯行の動機や犯行前の準備、計画及び犯行態様は一応の脈絡がとれており、客観的に諒解可能であつて特段異常ともいえないこと、本件犯行後捜査官に対し犯行の模様を詳細かつ具体的に供述し、その内容は客観的な事実ともよく符合しており、また捜査官の質問に対して否定すべきところは否定するなど全体として適確な応答をしていること、その他記録によつて認められる諸般の状況を総合すると、被告人は、前記の心神の障害によつて、人己の行為の規範的意味を理解し、その理解に従つて自己の行動を制御する能力を全く欠いていたものとは認められない。それ故、被告人の心神喪失を認めず、心神耕弱の状態にあつたとして、刑法三九条二項、六八条三号を適用して被告人を処断した原判決には、所論の事実誤認、法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき同法一八一条一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡村治信 裁判官 林修 裁判官 新矢悦二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例