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東京高等裁判所 昭和54年(う)2517号 判決 1980年12月11日

被告人 木内益二郎

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人斎藤兼也、同村山芳朗が連名で提出した控訴趣意書の第一、二点に記載されているとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点(原判決には審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるとの主張)について

所論は、原判決が予備的訴因を採つて被告人に対し背任罪を認定するに当り、右予備的訴因によれば、被告人は木更津北部商業組合(以下単に組合という。)の代表理事として、同組合が商工組合中央金庫千葉支店から組合員に対する転貸資金として現実に受領した合計二五七万八四六円のうち、残額九二万八四六円については、昭和四二年一〇月二三日組合事務所において、「渡辺亨に対し、同人が組合名義でした借金の返済にあてさせるため、これを交付するなど流用し」たとされているのに、原判決が被告人は右残額を「そのころ三立興業株式会社への債務弁済等に流用し」た旨、右予備的訴因において検察官が全く主張していない事実を認定したのは、刑訴法三七八条三号後段にいわゆる「審判の請求を受けない事件について判決をした」違法を犯したものであるというのである。

よつて、所論に徴して原審訴訟記録を調査すれば、本件の予備的訴因においては、組合が組合員に対する転貸資金として商工組合中央金庫から現実に受領した金二五七万八四六円のうち、金九二万八四六円については、被告人が渡辺亨に対し、同人が組合名義でした借金の返済にあてさせるため、これを交付するなどして流用したとされているのに、原判決は右予備的訴因に従つて被告人に対し背任の事実を認定判示するにあたり、右の部分につき、被告人は前記九二万八四六円については、これをそのころ三立興業株式会社への債務弁済等に流用した旨判示していることは、まことに所論の指摘するとおりである。しかしながら、原審において取調済の関係証拠によれば、被告人が渡辺亨に対し、前記九二万八四六円を他の組合の資金とあわせて交付したのは、同人がその家屋敷を担保にして三立興業株式会社という金融会社から組合名義で借金をしていたので、同人にこれを返済させるためであつたこと、同人は被告人から交付された右金員をもつて、三立興業株式会社に対する組合名義の負債を弁債し、前記家屋敷に対する抵当権の抹消を受けたこと、及び、渡辺の三立興業株式会社に対する負債は、これを借り受けるに至つた事情や、借り受けた金員の使途については必ずしも明らかでないが、いずれにしても組合名義の負債であることが、それぞれ認められる。してみれば、前記九二万八四六円について、被告人が渡辺亨に対し、同人が組合名義でした借金の返済にあてさせるため、これを交付するなどして流用したというのも、これを手短かに表現すれば、右金員を三立興業株式会社への債務弁済等に流用したということにもなり、結局本件においては右両者の意味するところは同一に帰し、同一の事実を指すものと解せられる。それ故、原判決がこの点において、予備的訴因で主張されていない事実を認定判示したとの所論は、その前提を誤つているといわざるをえず、従つて、原判決が審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるとの主張の、理由のないことも明らかであるから、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(原判決には審理不尽による法令の解釈適用の誤り及び事実誤認並びに理由不備の各違法があるとの主張)について

所論は、(その一)及び(その二)として、そもそも刑法二四七条の背任罪が成立するためには、犯人が「他人のためその事務を処理する者」すなわち「他人の事務をその他人のために処理する者」であることが認められなければならないのであるが、本件においては、被告人は組合の理事長すなわち業務執行者として、商工組合中央金庫から転貸資金を借入れてこれを組合員に貸付けるという組合の事務を行う者ではあるが、右貸付の相手方である組合員石塚政雄ら四名に対する関係においては、同人らのためにその事務を行うものではない。従つて、被告人には右石塚らに対し背任罪を犯す身分がない。しかるに、原判決は組合として商工組合中央金庫から転貸資金を借入れてこれを組合員に貸付けるのは、単なる組合の事務であるにとどまらず、組合員のための事務であると判示して、被告人の右石塚らに対する本件背任を認めたが、このように解することは双方代理を禁止している民法一〇八条及び理事と組合との間に委任関係を認めた中小企業等協同組合法四二条、商法二五四条三項の規定するところに違反しており、他方、組合の組合員に対する融資が民法五八七条所定の消費貸借契約の関係に帰し、この場合、組合と組合員とは互に民法上の契約の当事者であることを考慮すれば、原判決は明らかに刑法二四七条の解釈及び適用を誤つているといわざるをえないとともに、原判決が前記のとおり、組合の転貸資金の借入れ及び同資金の組合員に対する転貸は、単なる組合の事務であるにとどまらず、組合員のための事務であると判示したのは、同時に事実を誤認したものであり、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであると主張し、更に、(その三)ないし(その五)として、被告人が石塚政雄ら四名に損害を加える目的を有していた事実、被告人に背任の故意が存した事実、被告人が原判示の行為について違法性の認識を有していた事実及び被告人が石塚政雄ら四名に対して損害を加えた事実は存在せず、原審で取り調べた証拠によつては右各事実を認定することができないのに、右各事実の存在を肯定したうえ、仮に石塚政雄らが被告人の本件行為により損害を蒙つたとしても、その損害は極めて微細で、その行為には可罰的違法性がないのに、これを看過して背任罪の成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるというほかないばかりでなく、原判決は、罪となるべき事実の判示に当たつて、背任罪の構成要件要素をなす損害の程度を認定判示していない点において、理由不備の違法があるというのである。

よつて、原審の訴訟記録及び関係証拠に基づいて考察するに、被告人に対する本件背任につき原判決が認定判示する事実中、以下の事実関係については、その挙示する証拠に照らしてこれを認めるに足りる。すなわち、被告人は、中小企業等協同組合法に基いて設立され肩書自宅に事務所を置いた本件組合の代表理事として、組合の発足した当初よりその地位にあり、組合員に対する事業資金の貸付及び右貸付資金借入れ等の業務執行の責に任じてきたものであること、右貸付及び借入れの業務執行の具体的方法は、まず、借入れ希望の組合員から組合に対して転貸希望金額等を記入した借入申込書を提出させたうえ、理事長においてこれをとりまとめて、組合名義で所定の金融機関に組合員への転貸資金借入れの申込をなし、右転貸申込組合員らの連帯保証のもとに金融機関から資金が借りられたならば、これを組合員の申込額に応じてそれぞれ転貸することとされていたこと、そして、本件において、被告人は原判示の昭和四二年九月二三日ころ、組合名義で商工組合中央金庫千葉支店に対し合計三〇五万円の転貸資金の融資申込をなし、これに対する組合員の転貸申込の内訳は被告人木内益二郎、渡辺亨、石塚政雄が各四〇万円、草刈嘉一郎、地曳重治、鈴木正夫が各五〇万円及び金坂貫市が息子の一美名義で三五万円であつたが、右申込組合員全員が組合の連帯保証人となり、千葉県信用保証協会の保証を付けたうえで融資決定をみるに至り、この結果被告人は組合理事長として同年一〇月一九日同金庫千葉支店において、申込額から利息、保証料等を控除した金二五七万八四六円を受領したのであるが、当時組合の経理状態が一部組合員らの返済遅滞や事務処理の杜撰さのために悪化していて、複数の金融機関と時期をずらせて借入れ、返済を繰返さざるを得ない状況になつていたところから、一部の理事者らと話し合つたうえ、転貸資金として借受けた右金二五七万八四六円について、申込組合員らに対しその申込額から前記の利息、保証料等を控除した転貸基準額に応じて転貸することなく、かねて昭和四一年一二月二三日千葉銀行より組合が被告人及び安田芳雄、金坂一美、渡辺亨、中村貞司、石塚政雄の六名に対する転貸資金として借受けた五〇〇万円の負債中、期限が到来していた二五〇万円の債務に対する弁済として、同四二年一〇月二三日ころ千葉銀行木更津支店に金一六五万円を支払つたほか、残額九二万八四六円については、これをそのころ三立興業株式会社への債務弁済等に流用したことが、それぞれ認められる。

ところで、原判決は被告人の右所為に対し、検察官が予備的に追加した訴因に従つて背任罪の成立を認め、前記のような組合としての金融機関からの転貸資金の借入れ及びこれの組合員に対する転貸は、単なる組合の事務であるにとどまらず、組合員のための事務であり、被告人は代表理事として誠実にその業務執行をなすべき任務があつたのに、前記石塚、草刈、地曳、鈴木の四名の組合員に対する関係において、その転貸基準額に応じた転貸手続をとらず、その任務に背いて右転貸資金を前述のように他に流用したものである旨を判示しているので、本件転貸資金の借入り及びこれによつて借受けた資金を組合員に貸付けることにおける、組合及び組合員と右組合の理事長である被告人の関係について考察すると、まず、組合と理事長との関係については、同組合定款の定めによると、理事長は組合を代表し、組合の業務を執行する(同定款二七条二項)とともに、役員として、法令、定款及び規約の定め並びに総会の決議を遵守し、組合のため忠実にその職務を遂行すべき義務を負う(同定款二九条)のであり、更に、中小企業等協同組合法はその四二条により、理事及び監事について商法二五四条三項を準用して、組合とこれらの役員との間の関係は委任する規定に従うことを明らかにし、合わせて理事については商法二五四条ノ二をも準用し、その組合に対する忠実義務は単に倫理的な義務にとどまらず、法律上の義務であることを明記している。従つて、本件において、被告人が組合に対する関係においては、理事長すなわち代表理事として、前記資金の借入れ及び転貸の業務を行なうについて、民法の委任の規定に従い、善良な管理者の注意をもつて、忠実にこれを遂行する法的な義務を有することはいうまでもない。これに対し、個々の組合員が組合から融資を受ける際の関係は法律上消費貸借関係であり、本件において、組合が組合員らから融資の申込を受け、これをまとめて商工組合中央金庫から転貸資金の借入れをした事実関係の下においては、組合と転貸申込組合員らとの間には消費貸借の予約があつたと解することができる。従つて、組合が組合員らに対し消費貸借の予約に基づく債務を負い、被告人が組合の業務執行者として、右予約に基づく組合の債務の履行、すなわち組合員らに対する金員の貸付けに当たるべき忠実義務を組合に対して負うことは疑いがなく、被告人の右義務は同時に組合員らに対するものでもあるかの如き外観を呈するが、それはいわば被告人の組合に対する右忠実義務の投影とでもいうべきものであり、前記のように商工組合中央金庫千葉支店からの借入れが組合員らに対する転貸を目的としてなされたものであり、同人らがその借入れに際して組合のため連帯保証をしている事実を考慮に入れても、組合の業務執行者である被告人が、右予約については組合の対向当事者である組合員らに対する関係で、組合に対するのと同様に、右予約に基づく債務の履行に当たるべき法律上の義務を負うものとは考えられない。それ故、被告人は組合に対する関係については格別、前記石塚らの組合員四名に対する関係においては、背任罪にいわゆる他人のためその事務を処理する者としての身分を有しないといわなければならない。そうだとすれば、原判決が本件につき、組合として商工組合中央金庫千葉支店から組合員に対する転貸資金を借入れて、これを組合員に転貸するのは、単なる組合の事務であるにとどまらず、組合員のための事務であり、代表理事である被告人は、組合員に対する関係においても、誠実にその事務を遂行すべき法的義務を有した者、すなわち任務があつたのであり、そして、石塚政雄ら四名の組合員に対し、組合として借入れた転貸資金から転貸基準額に応じた合計一六六万三、八〇三円の転貸手続をとらず、これを原判示の使途に流用したのは、右任務に背いた行為として背任罪に該る旨認定判示し、これに刑法二四七条を適用したのは、事実誤認及びこれに基き誤つて右法条を適用する違法を犯したものといわなければならず、更に、被告人において右石塚ら四名に対し、同人らのためにその事務を処理する任務を有する者ではないとすれば、被告人を本件背任罪に問擬する余地がないから、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであつて、論旨は(その一)及び(その二)の点において既に理由がある。それ故、その余の控訴趣意について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に次のとおり判決をする。

本件公訴事実の本位的訴因の要旨は、被告人は、木更津市中央二丁目一〇番一〇号の自宅に事務所を有する木更津北部商業協同組合の理事長として、組合員に対する転貸資金の借入れ及びその転貸などの業務に従事していたものであるが、中小企業等協同組合法による組合員七名に対する転貸資金として、昭和四二年一〇月一九日商工組合中央金庫千葉支店から金三〇五万円を借受け、その内現金二五七万八四六円を自己において業務上保管中、組合員草刈嘉一郎(借入申込金額五〇万円)、同地曳重治(借入申込金額五〇万円)、同鈴木正夫(借入申込金額五〇万円)、同石塚政雄(借入申込金額四〇万円)ら四名に対する転貸資金に充当すべき、利子その他を差引いた組合所有の金一六六万三、八〇三円を、昭和四二年一〇月二三日ころ前記事務所において、擅に自己らの千葉銀行木更津支店に対する債務の返済その他に費消する目的で、着服横領したものである、というのであり、また、予備的訴因の要旨は、被告人は右木更津北部商業協同組合理事長として、同組合員に対する事業資金の貸付及び組合員のためにするその借入等の業務を執行するもので、右貸付及び借入は、借入希望の組合員から組合に対し所定の借入申込書を提出させたうえ、組合が右申込に応ずるためにする金融機関からの借入につき、右組合員を連帯保証人とし、その借入金を組合員に貸付けることとしていたのであるから、借入申込組合員に対し、組合の右借入債務につき連帯保証債務を負担させて借入をしたときは、右組合員に対し、申込に応じた金員を貸付けるべき任務を有するところ、昭和四二年九月二三日ころ、組合員草刈嘉一郎、地曳重治、鈴木正夫から各五〇万円、石塚政雄から四〇万円、その他の組合員から一一五万円合計三〇五万円の事業資金の借入申込を受け、同金員中、所要の経費を除き、前記草刈らに転貸をすべき金額は、草刈、地曳、鈴木が各四三万七、八四三円、石塚は三五万二七四円であつたのであるから、直ちに右組合の右金庫に対する三〇五万円の借入金につき連帯債務を負担させた同人ら四名に対し、転貸すべき金額の合計一六六万三、八〇三円を貸付けるべきであるのに、その任務に背き自己及び組合員渡辺亨、同金坂一美の利益を図り、右草刈ら四名に損害を加える目的で、右借入金中、右被告人ら三名に貸付け得る限度額は合計九〇万七、〇四三円であるのに、これを七四万二、九五七円超えた一六五万円を同人らに転貸し、同人らからさきに組合が千葉銀行から借り受けて同人らに転貸した金の返済として、同額を組合に受け入れたうえ、これを昭和四二年一〇月二三日に同銀行木更津支店に対し、右組合の借金の返済に充当し、更に残額九二万八四六円につき同日右組合事務所において、右渡辺に対し、同人が同組合名義でした借金の返済にあてさせるため、これを交付するなど流用して右草刈ら四名に貸付をせず、よつて同人らに対し、右三〇五万円に対する連帯債務のみを負担させて、財産上の損害を与えたものである、というのであるが、被告人を業務上横領罪に問うた右本位的訴因については、原判決が説示するとおり、「被告人が本件においてなした所為はすべて組合名義の計算においてなされており、たとえ、そこに被告人が一組合員として融資を受けたものの返済部分が含まれているとしても、対外的には組合の債務の減少ないし消滅につながるものであり。」「そこに被告人が個人として領得する余地があるものとは考えられないから、」被告人に「横領罪における不法領得の意思の存在を認定することは困難であつて、」被告人の所為を業務上横領に問擬することはできないとともに、被告人を背任罪に問うた予備的訴因についても、被告人は石塚ら四名の組合員のためその事務を処理する者であるとは認め難く、背任罪の成立に必要な身分を有することには疑いがあるから、被告人の本件所為が背任罪を構成するというのは疑問であることについては、前段説示のとおりであつて、結局、本件公訴事実はいずれの訴因についても犯罪の証明がないことに帰するから、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとして、主文のとおり判決をする。

(裁判官 四ツ谷巖 杉浦龍二郎 阿蘇成人)

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